サラリーマンのちょっと一言
 
1998年
 

・1998年 5月17日 「パソコンのスイッチ」

 私が今サラリーマンをやっている会社は、メカメカしい産業機械を作っている。鉄の塊のような機械で、昨今はやりの情報通信といった花形ハイテク産業とはあまり縁がなさそうに思える。それでも会社内の事務処理は次々にEDP化され、ネットワークのケーブルが床下を網の目の様に這いずり回りだした。そして遂には技術系、事務系の社員一人一人にIDとパソコンがあてがわれるところまで来てしまった。
 CRTを覗き込んで報告書を打っている時、ふと疲れた目を上げて周りを見渡すと、同じフロアに居る者全員がパソコンに向かっていることがある。皆、無表情に黙り込んでCRTを見つめている。ちょっと異様な光景だ。ある者はCADを使って図面を作成し、ある者は表計算ソフトで実験データを整理し、またある者はシミュレーションソフトで機械剛性の解析など行っている。ゴツイ鉄の機械を作っているわれわれも、もうパソコンやネットワーク無しでは仕事が立ち行かない。パソコンがなければ電子メールで送られて来る業務連絡さえも受け取れないのだ。
 パソコンなら私がまだ社会人一年生の時から既に会社の仕事に使っていた。当時勤めていた会社がパソコンメーカーであったこともあり、社内のあちこちにパソコンが転がっていた。休み時間などはよくパソコンのゲームを楽しんだものだ。でも当時のパソコンはまだ一部の技術者しか使いこなせない特殊な機械であった。あれから随分の月日が流れたが、パソコンという機械の使い難さはWindowsが出てその操作性が格段に向上してからも、その本質はそれ程変わっていないのではないかと思う。それがネットワークと組み合わされることにより、情報通信などとは無縁のような会社の業務形態をも、ほんの数年前と比べて随分変わったものにしてしまった。そこに歪みがあるのではないだろうか。年配の社員の中には、自分に支給されたパソコンの電源を一度も入れない方もいる。
 使いこなせば確かに便利な道具である。ファックスを打つより、電子メールの方がよっぽど手間が掛からない。電卓を使うより、表計算ソフトの方が融通は利くし間違いが少ない。へたに電話をしまくっているよりインターネット検索の方が効率的だったりする。かつて自分より字がへたな者を見たことがない私にとって、ワープロは救世主である。しかし何か腑に落ちない。
 朝、出社して自分の席に着くと、いの一番にすることはパソコンの電源を入れることだ。だれもがそうする。事務の女の子も、電気ポットのコンセントを入れる前に自分のパソコンのスイッチを入れる。始業のチャイムが鳴る前にまだ間があるというのに、とにかくネットワークにログインしてWindowsを立ち上げる。そのことに誰も何のためらいもない様だ。パソコンを立ち上げておいてそのまま何もしない者も多い。ひどい時は会議や打ち合わせに行ったきり、2時間も3時間も戻ってこない者がいる。何と電気の無駄だろうか。しかしそれだけではない。
 私にはウインテル(WINTEL、Windows & Intel)にいい様に振り回されている気がする。以前は自分の方からパソコンを使っているという意識があった。しかし最近はパソコンに使わされているようだ。ソフトの使い方が分からなくて、いらつかされる時がある。ネットワークにぶら下がったプリンタのドライバをインストールしようとして、散々てこずらされる時がある。私は押し付けられることに異常な拒否反応を示す。ちょっと興味を持てば案外面白く覚えられる事なのだが、パソコンごときに使われまいと、意固地になって敢えて覚えようとしない。そして思い通りに動かないパソコンを前に怒り出すことさえある。
 私はへそ曲がりで、人が感心を持つ事には敢えてそっぽを向く癖がある。誰もがやれインターネットだ、やれイントラネットだと言っていると、そんなもん絶対にやらんぞと思ってしまう。結局会社ではイントラネットを使っているし、こうして自分でもインターネットを始めてホームページを作ったりしているが、それでも流行になんかに流されないぞという気概はある。会社ではパソコンに関して、業務上最低限に必要なことしか覚えない。ホームページを作るにも、ただ文章を書き、写真を貼りつけるだけで、凝ったテクニックなど使う積もりはない。何がマーキーだ、何がJavaスクリプトだ。私は自己表現の手段としてインターネットを利用しているのであって、決して時流に流されているのではないのだぞ。
 だから朝、会社でもパソコンのスイッチをためらいながら入れることにしている。ウインテルよ、こんなもん使いたくないのだが、仕方なく使ってやっているんだぞとばかりに。しかしこんな風に考えるのも、若い時の無邪気な好奇心が失せて、頑固な年寄りに近づいている証拠なのだろうか。もう少し早く生まれていれば、自分にあてがわれたパソコンのスイッチを一度も入れることさえなかったかも知れない。


・1998年 5月 2日

 ゴールデンウィークの真っ最中だと言うのに、何でパソコンのキーなどこうして叩いているのだ。それは仕事で会社に出ない訳にはいかず、連休が虫食いになり、遠出できなくなったからだ。いつもの年なら九州か東北の方にでも旅をしているはずなのに、なんてこった。
 このところ忙しくて会社から帰ってきても、何も出来なかった。週末の休みも疲れていて、何もする気になれなかった。だからサラリーマンはいやなのだ。
 ホームページの更新ができない言い訳でした。


◆1998年 1月11日(峠と旅)

 冬期は峠の旅がなかなか出来ないので、少々欲求不満気味です。好んで行く峠は大抵冬期通行止だからです。しっかりしたゲートで閉ざされ、全く入り込めない道はそれでもすっぱり諦めがつくのですが、そうした通行止が行われないところも、行ってみたら急坂に路面はびっしり氷が張り、つるつる滑って通れるどころか、非常におっかない思いをし、この寒空に冷汗びっしょりという羽目に遭います。それでも以前は懲りずにあっちこっちの峠や林道に出かけていたのですが、最近ははじめから諦めてしまっています。ただ車のタイヤはいつもの様に去年のうちから早々とスタッドレスに付け替えました。しかしそれが最初に威力を発揮したのは1月8日にめったに降らない地元に降った雪の時でした。

 
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