サラリーマンのちょっと一言
 
1999年
  
1999.12.24
人生は一人遊び

 人との関わり合いは、あまり好まない。「ホームぺージ見たよ」と電子メールをもらったり、それに対して当たり障りのない返事をかえしたりする程度のつながりは、かえって楽しいと思うのだが、それ以上の深い付き合いとなると、腰が引けてしまう(かわいい女の子なら別)。
 それがどうしてかは自分でも分からない。生まれ持った性格か、はたまた子供の頃からの体験によるものか。とにかく、内面より出てくる他人に対する拒絶感のようなものを、押さえることができない。だから会社に居る時を除くと、一人で過ごす時間の方が圧倒的に多い生活を送っている。
 何をするにも自分の為、自分中心の暮らしである。
 食事をしたり、休息をとったりと、自分が毎日を生きていくのに必要な雑事は勿論のこと。週末の休みをどの様に過ごすか、夏休みなどの長期休暇はどこへ出掛けるか、そうしたほとんどが自分だけの都合で決まっている。自分で計画を立て、自分で実行に移し、自分で楽しみ、自分で反省する。誰の為でもなく、誰の都合でもなく、ただただ自分だけで完結していることが多いのだ。

 そんな自分だけの生活だが、なるべく楽に、快適に、効率的に、ローコストに送りたいと思う。その為にはどうしたらいいか考えるのが面白い。例えば、冬などの寒い季節は、寝る前に布団の横に明日着る服や靴下を用意しておく。目が覚めるとまず上半身を起こし、上着を着込み、その後布団から抜け出してズボンと靴下を素早く履く。なるべく寒い思いをしないで済む様に、それでいて暖房など点けなくていいように。その後の食事や歯磨き、トイレなど、朝の支度の手順はほとんど決まっていて、数分の狂いもなく、会社へ出掛ける毎日だ。

こんな毎日が、まるで遊んでいる様に思える時がある。

 暮らしに必要な活動を怠れば、生活環境は荒れ、身体の健康は損ない、何しろ会社に出勤しなければ、給料がもらえないではないか。遊びなどと言うほど甘い物ではないはずだ。でも、それほどの切迫感がない。人を扶養するなど、自分以外の者に対する責任を負っていないので、真剣味がないのだ。全ては自分の為、いや、自分の為とさえも思えない。自分が生きて、一体何をするというのか。

 会社での仕事も同じ様なものだ。会社に於ける自分の立場をただ演じている様な気がする。自分に割り当てられた配役を、うまく演じて遊んでいるのではないかと思える。たまに会う友人や親類との付き合いも、ある時は先輩だったり、ある時は甥であったり、その場その場で役を演じている。どういう場合にはどんな行動をして、どんなことを言うのか考えて実行する。何だか、そこには本当の自分が居ないように思える。ましてや自分が生きているという実感などない。

 小さな子供がひとりで砂場で遊んでいたりする光景を目にする時がある。砂の上にしゃがみ込み、一心に砂で何かを造っている。小さな体を更に小さく背を丸め、周囲ではしゃぐ他の子供達には目もくれず、夢中になってひとりの世界に没入している。口を開くこともなく、表情ひとつ変えることもない。私の人生もそんなものかもしれない。

 今、どうして生きているのかというと、死なないから生きているとしか言いようがない。生きているからには、持て余す時間がある。それをどの様にして暇つぶしするか。やっぱり私の人生は一人遊びである。

面白くなくなれば、いつでも止められる遊びのように。






P.S 最近ホームページの更新をサボっている。年も押し迫ったからしょうがないと、御容赦願うことにする。しかも明日からは冬休みを使った、いつもの一人遊びの旅に出てしまう。今回は11日間の長旅だ。でも荷造りは済んだが、まだ行き先が決まっていない。取り敢えず初日の宿泊先だけ予約して、後は旅に出てから考えることにする。こんな旅を始めてから、旅先で年を越すことが多くなった。今回もきっと、どこぞの安いビジネスホテルの狭い一室で、たった一人のわびしい正月を迎えることだろう。そんな旅の報告はまた来年。よいお年を。
 

 

1999.11. 5    
140円の昼食

 サラリーマンにとって会社で食べる昼食は少なからず関心事である。
 これまで従業員数で数十名から数万名までと、いろいろな会社や職場の遍歴があるので、昼食の形態もさまざまなものを経験してきた。
 その上で、現在の会社の昼食が一番気に入っている。
 いわゆるカフェテリア方式というやつで、毎日変わる数種類のメニューから好きなものを勝手にお盆に取って食べ、下膳の時に食券で払うのだ。おかずは50円のものから50円刻みで最高250円まで。ご飯は茶碗一杯が50円、どんぶりなら100円。味噌汁はただだ。それに日替わりのカツ丼などのどんぶり物が350円。他にもカレー300円やラーメン250円は毎日ある。うどんとそばは各130円で、山菜などを乗せると50円増しの180円といった選択肢もある。
 ある程度社員数がある会社なので、こうして事業所内に社員食堂を設け、専門の食堂の業者を入れて運営させることができている。小さな会社に勤めていた時は、社内に厨房などの設備を整える余裕はなく、近くの弁当屋から仕出し弁当を注文するしかなかった。仕出し弁当は選択肢が少ない上に、何を食べているか分からない様な味気ないものだった。営業マンなどはよくやっていたが、会社の近くの食堂に出掛ける手はあった。それなら好きな物が食べられるし、味もまあまあである。しかし仕出し弁当なら400円前後なのに対して、外食すればその倍以上は掛かってしまう。サラリーマンの安月給で毎日外に食べに行くわけにもいかない。
 それに比べれば今の会社ではメニューの選択肢もそれなりにあり、値段も安い。その上、会社より30%の食事代の補助が受けられる。正社員なら食券を買う時に30%引きで買えるのだ。例えば1ヶ月分と称した8、000円綴りの食券なら5、600円である。

 つい最近この食堂のメニューが一つ増えた。その名も「日替わりヘルシーメニュー」。200円用のおかずの皿に、例えば小さなバターロールパンにツナやレタス、ベーコンなどを挟んだ洋食の主食がひとつ、コロッケなどの主菜がひとつ、キャベツの千切りにプチトマトのスライスを数枚盛った副菜、それにパイナップルなどの果物がほんの一盛り乗っている。それが日替わりで内容が変わる。ロールパンがハンバーガーになったり、コロッケがハムになったりホットドッグになったりする。健康な若い男性なら2皿くらい簡単に食べられる量だが、女性などにはちょうどいいかもしれない。それにいままで和食ばかりのメニューにパンが登場したのは、選択の範囲が広がり歓迎するところだ。
 この頃はこのヘルシーメニューに、ただの味噌汁を付けたのが私の昼食の定番となってる。粗食小食を旨とする自分にはぴったりである。ガツガツ食べるとあっと言う間になくなってしまうので、ゆっくり噛みしめながら食べる。キャベツの千切りも、数ミリ角の切り屑までも残らず箸でつまんで口に入れる。食べ終われば皿の上には食べられる物以外何も残らずきれいなものだ。ヘルシーメニューは個数限定で昼時前に作り置きしてあるので、ハンバーガーなどは冷たくなっていてあまりおいしくない。それに、ただの味噌汁はさすがにただだけあって、実などほとんど入ってない。しかし何と言ってもその安さは向かうところ敵無しだ。
 このメニューに、ときにはカレーそば180円(実質126円)などを織り交ぜながら日々の昼食とし、それが一日の活動に必要なエネルギー源の一部となっている。実質平均140円以下である。日本広しと言えども、140円で昼食を食べているサラリーマンは滅多にいないのではないか。早く会社など辞めて、サラリーマン稼業から足を洗いたいと願っているが、この安い昼飯が食べられなくなると思うと、それだけが心残りであった。

 

1999.10. 4
ばあさんが死んだ

 祖父母の中で最後まで生き残っていたばあ様だ。満97歳。今世紀のほとんどを生きていたことになる。同居していた訳ではないので、あまり関わりは多くない。特に大人になってからは親戚を訪れることも少なかったので、ばあさんの顔を見る機会は滅多になかった。
 ここ数年はボケが始まり、かなり親戚の叔母などは苦労したそうだ。もともと気丈で頑固者だったから、想像に難くない。しかし私にはいつもニコニコしている姿しか記憶がない。それはそれでいいことだった。
 葬式では久しぶりに叔父や叔母、従兄弟(いとこ)の顔を見た。
 ばあさんが97歳なのだから、その子供の代に当る私の両親や叔父や叔母も、もういい歳である。言っちゃー悪いが、ばあさんの直ぐ後に続きそうなのもいる。
 従兄弟もいいおじさん、おばさんだ。と言っても9人いる従兄弟の中で、私は2番目に年長なので、人のことは言えない。中には16歳の娘がいる者もいて愕然とした。早くに親をなくし、あまり恵まれない暮しをしていた従兄弟も、今は立派な父親になっていた。しかしその横顔には子供の頃の懐かしい面影が残っていた。
 葬式は叔父の意向で自宅で行われた。立派な庭のある大きな家だ。その親戚の従兄弟とはよくその庭で遊んだものだ。今はその従兄弟の子供たちが遊びまわっている。時の流れを痛感する。他にも誰の子だか分からないが、家の中や外のあちこちに小さな子供や母親に抱かれた赤ん坊がいる。ばあさんは死んだが、代わりに若い命が育っている。
 私には子供はいない。あるのは同居している両親と自分自身の老いばかりである。そろそろ自分と両親の終り方を考えておかなければならない時期だ。

 


 1999/ 5/23 GW

 ゴールデンウィークには九州に行ってきた。

 去年のGWは一部休日出勤があってまともな旅に出掛けられなかった。今年はきっちり休ましてもらえるように休み前から画策し、満願成就とあいなった。会社の休みは5月1日(土)から5月9日(日)までの9日間。しかしそれでも九州は遠いい。そこで4月30日に早退し、その日出港のフェリーで翌々日の5月2日の早朝に九州新門司港に上陸、約7日間を過ごし、8日の夜にまた新門司港から出るフェリーで10日の早朝に東京フェリーターミナルに着き、その足で会社に出社する計画を立てた。

 4月30日の午後3時、連休を前に皆が浮き足立つ中、私一人早々と荷物を持って席を立ち、こそこそオフィスを離れてゆく。私と同じプロジェクトで働いている者の中には仕事が忙しく、休日出勤を余儀なくされている者も居て、若干後ろ髪を引かれるのであった。バイクで家に戻り、既に野宿道具を満載したジムニーに乗り換えてフェリー乗り場に向かう。何度か通った道ではあるが、相変わらず道は間違えるし、首都高速は怖いわ、渋滞にはまるわで、全く都会はいやである。

 時間が掛かって遅く着いたせいもあり、乗船手続きは既に長蛇の列が出来ていて、皆落ち着きがない。私も出港の時間の直前になってやっと車に戻れた始末で、非常に焦ってしまった。そして今度は前に停めてある乗用車の運転手がなかなか戻ってこない。それでも係員の誘導でどうにか無事に乗船し、寝台に荷物を置いて外の甲板に出れば、こうこうと月が東京湾を照らし出していて、旅が始まったことを実感した。

 九州の7日間は概ね天気にも恵まれ、まあまあの旅ができた。それについてはまたの機会にご報告。

 帰りは乗船手続きを早めに済まそうと、出港3時間前には新門司港に着いた。その甲斐あって乗船順位が早く、2人用の一等寝台の部屋を一人で使うことができた。GWの時期から外れていることもあり乗客は少なく、展望風呂など一人でゆったり入れるくらいだった。

 いつも薬の世話になっているので、たまには自力でがんばってみようと、いつものセンパー(乗り物酔いの薬)は飲まないでいた。しかし翌日やっぱりダウンしてしまった。久しぶりに味わう船酔いの気持ち悪さは、相変わらず嫌なものだった。後日会社の通勤途中にできたばかりのディスカウントストアーを覗くと、センパーが安売り(2びん入りが確か500円以下)していたので、思わず買いだめしてしまった。

 帰りに一つの問題が持ち上った。何でもフェリーの積荷が多い関係上、乗用車は本来のCデッキやDデッキではなく、その下の船底に近いEデッキに入れられた。EデッキはDデッキより可動式のスロープが下がり、そこを下って降りる。その後はスロープが上がり、Dデッキに荷物が積まれてしまうのだ。よって下船の時はDデッキが空かないと、Eデッキから出られない仕組みである。10日月曜日の早朝5時に予定通りフェリーは着岸したが、下船開始まで1時間以上待たされたのだ。そしていつもの様にまた道を間違えた。到底会社の就業時間に間に合わない。覚悟を決めて家に着いてから会社に電話した。私の旅のことなど全く知らない部長にどう説明しようかと迷ったが、開口一番「フェリーが遅れたので1時間ほど遅れます」と言ったらそのまますんなり通ってしまった。

 早退や遅刻までしたのではちょっと問題があったかもしれないが、長期の休みが少ない日本の社会が悪いのである。GWの後は何ヶ月も先の夏季休暇に期待するしかないのもそうだ。せめて夏季休暇がドイツ並みに1ヶ月あればいいのだが。


1999/ 4/ 3  フレッシュマン

 4月になり、ぽかぽか暖かく、名実ともに春である。但し会社のオフィスの中は、あまり春を感じられない。窓を開け放し、春の気持ちのいい空気を入れたいところだが、そうすると春の嵐で書類は飛び散るし、埃も入って机の上はざらざらしてくる。結局窓は締め切り、冬と同じどんよりしたエアコンの空気がオフィスを埋めている。そんな中で一つだけ、オフィスの中でも春らしさを感じることがあった。4月に入社したばかりのフレッシュマンが、人事部の教育担当者に連れられ、アヒルの行列の様に一列になって社内を移動していくのに出くわした。各部署を回って説明を受けているらしい。すれ違いざま、ちょこんとお辞儀をして通って行く。よしよし、先輩を敬えよ。ただし年の割にはこの会社での勤続年数は少ないんだけどね。

 みな申し合わせたように紺色のスーツに身を包み、若干緊張の面持ちである。それに比べこちらは汚れてよれよれの制服のズボンをはき、野宿旅の時でも使う柄物のシャツを着て、だらしなく腕まくりの格好である。勿論ネクタイなどしない。完全に会社をなめてかかっている。うちの会社はそれほど服装に厳しくはないが、それでもきちっと白いワイシャツを着て、ネクタイもきりりとしめ、洗濯をした小奇麗な制服の上下を、袖口のボタンもちゃんと留めて着ている者は少なくはない。そういう者は課長職以上か、将来課長職以上になる者であろう。すなわち私は出世とは完全に無縁なのである。最近世の中にはカジュアルデイといって、ラフな服装をしてもよい日を決めている会社があるそうだが、私の場合は以前から毎日がカジュアルデイである。

 もう情熱の火も灰になり(もともと無かった?)、こんなすれっからしの私でも、春の陽気とフレッシュマンを見ると、何となくうきうきしてくるのは不思議だ。何か新しいことでも始めてみようかなどと思ったりする。でも結局は、さして変わらぬサラリーマン生活の毎日がただ続いていくだけで、それをもう何年繰り返しているのだろうか。でも紺色スーツのフレッシュマンにとっては、間違いなく新しいことの始まりである。将来への未知の可能性も持っている(大抵は可能性だけなんですがね)。彼らからすればサラリーマンとして大先輩なのだが、逆に彼らのフレッシュさと、ちょっぴり年齢の若さが、羨ましく思われるのであった。

 
戻る