サラリーマン野宿旅

悪路  世の中にはこんなひどい道がある


 所詮、車なんていう代物は車が通れる様に作られた道路以外は、走ろうと思ってもなかなか走れるものではない。人間なら30cm程度の段差など軽々登れるが、最低地上高がせいぜい20cmの車には到底無理な話しである。また人間なら1m程の幅の溝など軽くひと飛びであるが、車は狭い側溝に落ちただけで身動きができなくなってしまう。それは走破性がいいと言われる4WD車の場合についてみても、さして事情は変わらない。よって我々ドライバーはおとなしくお上が決めた道路を走る以外に方法はないのである。しかし車が走るべくして作られたその道路が、時として車の走行を阻むのである。ここではそうしたいわゆる悪路やその他走りにくい道について話します。それにしてもいろいろと事情はありましょうが、ちょっと走りにくいんじゃありませんかね。


トンネル

狭いトンネル
これは特大の鍵穴ではない

 写真の正面に見えているのは大きな鍵穴ではない。車が通る為のトンネルというものである。左におわすは、わが愛車のジムニーで、この車は自慢ではないが軽自動車である。車幅は1.4mと狭く、運転しながら助手席のハンドル式の窓を開け閉めできるのは、私の腕が長い為だけではない。28mmの広角カメラによる写真の歪みもあろうが、それにしてもジムニーの幅とトンネルの幅にさして違いがないではないか。電灯もない暗いトンネルの中を、前を照らすだけしか能がないヘッドライトだけで、車のボディーをこすらず通過するのは至難の業であった。軽自動車でさえそんな有り様だから、果たして軽自動車以上の大きな車が通れるのであろうか。

 さてこのトンネルの所在であるが、それがはっきりしない。写真を撮ったのは1991年も押し迫った12月29日で、紀伊半島は三重県紀勢町、国道260号の雪の錦峠を越え、紀伊長島町、尾鷲市へと移動していた時のどこかである。トンネル入口の左にある黄色い看板に辛うじて「羽下」の文字が読める。紀勢町内の国道42号と260号を繋ぐ主要地方道68号紀勢インター線上に「羽下」なる地名があるが、そのあたりかもしれない。


トンネル2

洞穴トンネル
車の前方に洞穴の様なトンネル

 その日(1994年9月25日)天気は上々で、福井県勝山市から県境を越えて石川県白峰村を目指して走っていた。道は立派な国道157号線が通じているが、そこはそれ、やたらと脇道ばかり走って、なかなか先に進まない旅である。地図を見ると国道の県境は新谷トンネルで抜けているが、「新」と言うからには「旧」があるだろうと、目を凝らしてよくよく見ると旧道があり、県境には谷隧道というのがある。勿論行かない訳にはいかない。迷いながらも見事に旧道に入り込み、快調にとろとろ走る。ところが途中で突然道がなくなった。どうしたことかと辺りを見渡すと、何やら草むらの中に洞穴がある。さらによく見るとそれはトンネルだった。谷隧道である。このトンネルは思いの外長く、またカーブしたり、トンネル内で高低差があったりで、覗いてみても出口は全く見えない。勿論照明などは皆無であるから、トンネル中は真っ暗である。さすがの私も躊躇せざるを得ない。果たしてこのトンネルは抜け出られるものであろうか。まさか中にクマや化け物が棲んではいないだろうから、とにかくゆっくり入ることとする。

 ヘッドライトに照らされたトンネルの中には、ところどころ廃材が置かれたりして、いちいちそれらをよけて通らなければならない。かなり進んできたのに相変わらず出口の明かりは見えてこない。そのうちトンネル内の浸水箇所に差し掛かった。最初は小さな水溜まりだったのが、道幅一杯に浸水してきて、遂にはタイヤの1/3の深さにまでなってきた。水の底が見えないから、大きな穴でもあって、はまり込んだら大変である。前進は諦めることにしたが、戻るのも大変である。

 どうしたものかと考えていると、後ろよりオートバイが1台やってきた。世の中、物好きはいくらでもいるものである。結局そのオートバイも私の車が止っている浸水箇所まで来て、あっさり諦めてひき返して行った。私も早く引き返したいのはやまやまだが、トンネルの中は車がUターンできる程広くはないのである。それと車のライトは基本的に前を照らす様にできていて、暗闇をバックで走るには極めて不向きなのである。しかも途中には廃材などの障害物が待ち構えている。しかしこういうこともあろうかと、来る途中、主だった障害物の位置を記憶していたのだ。さすがにベテランは違う。バックしながら確か次の障害物は道路の右側にあったなどと記憶を辿りつつ、慎重に運転する。そして無事に洞穴の外に生還した。しかしこんなに長く後ろを向いて運転したのはベテランの私でもこの時が始めてである。しばらく首の痛みが残る羽目となった。


廃道

廃道
草に埋もれて、路面が見えない

紅葉橋
紅葉橋
チェーンが張られて通行止だが、
チェーンが無くても渡りたくない
 そう、あれはまだ世の中に廃道などというものは、そう簡単にはないと思っていたうぶな頃である。朝日スーパー林道を新潟県の朝日村から山形県の朝日村へと走り繋ぎ、荒沢ダムの先で、もう少し林道を走りたいと鱒淵林道に入り込んだ。予定では八久和ダムを越えて国道112号に出られるはずだった。しかし八久和ダムを過ぎる頃から道の様子が変である。普通の林道とはどこか違っている。草が伸び放題に伸びて、道の所在が分からなくなる程である。後悔し始めてきたが、戻るに戻れない。何処かに待避所があるのかも知れないが、草に埋もれてどこまでが地面で、どこから崖なのかもはっきりしないのである。ただただ慎重に前進するのみである。

 やっと草むらを抜けて広いところに出たと思ったら、前方に架かる紅葉橋はチェーンで通行止となっていた。チェーンが無くても渡りたくない様な橋の先を見ると、崖崩れで道が完全に塞がっている。辺りのさびれ方を見ると、不通になってから久しいと思われる。これでそれまでの道の荒れ方がひどい理由が分かった。これが廃道と言うものだったのだ。分かったのはいいが、出口が他に無い限り、この道をまた戻らなければならない。あまりいい気はしない。それにここに辿り着くまで「通行止」を示した標識など、一度も出ていなかったはずである。ちょっとむっとして、しぶしぶ引き返した。

 後になって分かったのだが、その川の下流で月山ダムが建設中で、その影響もあり道が復旧されていなかったのだ。後年、ほぼ形が出来上がった月山ダムの方から道を遡ろうとしたが、大規模なダム工事の前には旧道は跡形もなく、辿ることはできなかった。


悪路

南淡路水仙ライン
主要地方道76号洲本南淡線
通称南淡路水仙ライン
海を間近に見て走る爽快な道

急坂
黒岩という集落より入った道
写真で見るより現物はもっと恐ろしい。
急坂、急カーブにガードレール無し。
 淡路島の南側の海岸線を走る主要地方道76号洲本南淡線は、海を間近くに見て走る道で、通行量も極めて少なく、天気が良ければドライブには最適である。その日もまあまあの天候に恵まれ、静かに波打つ海を眺めながら快適に走っていた。しかしそうした快適さには直ぐに飽きてしまい、いつもの悪い病気が始まる。この道はもう何度となく走ったこともあり、どこか別の所に抜ける枝道はないかと地図を調べ始めた。海岸線ぎりぎりまで急峻な山が迫っていて、なかなかまともな道は分岐していないが、それでも南淡町黒岩という海辺の集落より分岐した道が、山を登って尾根伝いに通る道まで繋がっていることを、はっきりと地図に記されているのを私は目ざとく見つけた。

 早速入り込んだその道は、直ぐに急坂を登りつつ、山の斜面に建てられた小さな集落の家々の前を通過して行く。そして最終の人家を過ぎた先で、思わず車を止めざるを得なかった。路面はコンクリート舗装されているのだが、勾配が尋常でなく、また右に急カーブしていて、その先がどうなっているのか全く分からない。ガードレールもなく、一目見ると空に突き出たハングライダーが飛び立つ台の様だ。もしかしたらほんとに道が途切れていて崖になっているのかもしれない。まだこの道が尾根の道に通じるものとは断定できていないのだ。へたに入り込んで行き止りとなったら、バックでうまく戻ってこれるか分かったものではない。車を降りて偵察することにした。すると不意にスーパーカブが天から降ってきた。いやスーパーカブにまたがったおっさんが、その急坂をとことこ平然と下ってきたのである。少なくともこの先は人跡未踏の地ではなさそうだ。念の為歩いて下見すると、道はヘアピンカーブでその先に繋がっいる。若干のためらいと不安を押し殺して、車を進めることにした。ヘアピンカーブを曲がる最中、上を向いた車のフロントガラスの向こうは空しか見えない。しかも一度では曲がりきれない急カーブである。急坂での切り替えし。究極の坂道発進。ハンドブレーキを握る手が汗ばむ。ずり落ちれても車を止めてくれるガードレールはない。

急カーブ
草と枯れ枝で土の路面が見えない。
ひどいヘアピンで一度では絶対に曲がりきれない。

 

悪路終点
やっと悪路を抜け、尾根伝いの道に出た。
右に下る道が今登ってきた悪路。

 

 最初の難関を越えた先も、気が休まることなどない。舗装は途切れ、急な山肌に作られた路肩の弱そうな狭い道が続く。こんな道はジムニーか軽トラックしか走れない。案の定、軽トラックが一台途中に停めてあった。車重がある大型の4WD車では、路肩が崩れて海まで転がり落ちてしまうのではないだろうか。高度を上げて海の眺めはますますいいのだが、早くこの難所を抜け出たいという気持ちの方が勝ってしまい、のんびり景色を楽しむこともない。

 しばらくしてやっと怖い崖から逃れられたと思ったら、今度は車が走る道路とは到底思えない山道が、暗い林の中に続いていた。路面には草や枯れ木が敷き詰められていて、土の地面が全く見えないのだ。しかもひどいヘアピンが何度か続く。登ってきた道が180度転換し、そのまま折り返してまた登っているのだ。誰がどうやっても絶対一度では曲がりきれない。

 しかし幸運なことに道は悪路ながらも途切れることなく続いていて、遂には明るい尾根伝いの道に出た。世の中悪路はいろいろあるだろうが、一般の車が通行することを予期した道路は、それなりにできているものである。それに比べて地元の人しか使わない道路には、今回の様に道路の体裁を成していない程の悪路がある。しかしそんな悪路も地元の人にとっては重要な生活路であり、私が悪路だ悪路だと騒いでみても、スーパーカブや軽トラックは毎日平然と通っているのである。


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