私と旅 勝手な事を書きます
特に私の場合はしょっちゅう困っている。しかし「ご趣味は」と聞かれても、「旅です」などと答える程、常識外れではないのだ。そこでその様な事態に陥った場合は、「軽の4WDにテントやシュラフを積んで、野宿しながら峠をまわって・・・」と正直に答えるのだが、相手はかえって混乱してしまう。旅などに興味を持っていそうもない人には、始めから「旅行が趣味です」とあっさり答えることとしている。すると相手はしごく納得して、会話の流れがスムーズに行き、お互いの時間の無駄を省けるのでよろしい。しかし気持ちの中では「旅行ではなく旅なんだがなあ」とわだかまりが残る。
旅が好きだと言うのは反面、どこか日常生活に不満があると言っているようなところがある。特別に心を痛める事件が起こり、その時限り、気持ちの整理をしたくて、一時的にひとりで旅にでも出たいと思うなら、それは誰しもあることだろうが、恒常的に旅に出たいと訴える人は、今の暮らしから逃れたいという気持ちを持っているのではないだろうか。目の前の生活や、自分の立場から逃げたいのである。
旅はそうした否定的な暗い雰囲気を漂わせている。「どこか遠くへ行きたい」という例の歌の歌詞がまた思い出される。行くところはどこでもいいのである。一時的であれ慢性的であれ、今の自分から遠く逃れたいのだ。
少なくとも私の身近に居る者へは、長年の説得と、実際に行動で示すことで、「私の旅」は認知されたようだ。私が旅に行ってくると言っても、誰も疑わしい目でみることはない。何処へいくとも、いつ帰るとも告げずにふらっと出掛けても、またいつものことだと思われるだけである。旅の間中、一度も家に連絡などしなくても、別に心配もされない。
「一人」というのは、私の性格的なところによっている。これまでもいろいな事をやってきたが、大抵一人であった。どうも一人が性に合っている。自分勝手にやりたい。人と居ると煩わしい。友達などの仲間でいることのメリットは分かるのだが、私はディメリットの方に重きを置いてしまっているのだ。
一人でがむしゃらにいろいろやってはきたものの、今も続いていることは旅以外には殆どない。ある程度の成果が出てしまうと、みんなそれ以上進める気がなくなってしまう。例えば将棋でアマチュア四段を取った後はテレビ将棋を観戦するくらいで、自分では指さなくなった。カナヅチだったのがクロールで1km泳げる様になってからは、スポーツクラブを止めてしまった。実はどれもこれもそれほど好きでやっていた訳ではなかった。上達している時の面白さなどは感じたが、あとは何かしなくてはといった強迫観念に近いものに突き動かされていたのだ。
旅についてもその強迫観念的な部分はある。旅に出る時はいつもそれほどうきうきした気分だとは限らない。しかし折角の休暇を無為に過ごしてはいけないと思い、渋々旅に出る。すると旅をしている時のある種の居心地のよさが迎えてくれる。それが今も旅を続けられている理由のようだ。
他人が楽しそうにしていて、それに対して自分がつまらなければ、単純に不幸だと感じるのではあるまいか。
ジャングルの中でたった一人で生きているとする。そして生まれて以来、他の文明人と全く接触がなく、他にどんな世界があるか全く知らないとする。そんな状況では自分が幸せかどうかなど考えることはない。そんなこと考えること自体、全く意味がない。
昔の人に比べて現代人は幸福かどうかと、考えることはできる。現代は医療が発達して病気や怪我で命を落とすことが少なくなり、昔よりずっと長生きできる様になった。また交通機関が発達して世界中ほとんど何処にでも行ける様になった。しがないサラリーマンの私でさえも国内旅行ならしょっちゅうだし、海外へも少ないながら行ったことがある。高々100年前では、ほんの僅かな限られた人を除いて、一般庶民には海外旅行など思いもつかなかったことだろう。それが今では若いOLが気軽にほいほい外国に出掛けて行く。そう考えれば現代人は幸せなのだろうが、それはただそう考えるだけで、幸せを実感する人などない。それにこれからの未来のことを考えると、うまくすると宇宙旅行へも行ける時代が来るかも知れない。だからと言って未来人が羨ましくて仕方がないという人もいないだろう。
幸せかどうかは比較的身近な人との比較で判断しているんじゃないか。
現代は情報社会である。本人が好むと好まざるに関わらず、いろいろな情報が入ってくる。すると世の中には自分より桁違いな金持ちが居て、羨ましい暮らしをしているのを見せつけられたりする。豪邸に住み、毎日豪華な食事をし、休暇には奇麗な女性と一緒に自家用クルーザーで船旅を楽しんだりしていて、まったく腹が立つ。あるいは芸能界などで華々しく活躍し、大衆の憧れの的になっている者もいる。多くの若い女性からキャーキャー言われて、まったく羨ましい。
有りのままの自分でいいじゃないかと、開き直ろうとしたこともある。自分ひとりで好きなことをやっていればそれで本望だろうと思ったりもした。ひとはひと、自分は自分だと割り切れればよかったのだが、そうもいかなかった。やっぱり他人が羨ましく思える時がある。これまで自分には楽しかった事など一つもなかったのではないかと思える時もある。実際はそんな不幸な人生ではないのだが、現在の自分がその様に思えること自体がむなしい。腹の底から突き上げてくる怒りの様なもの、苦しみの様なもの、悲しみの様なものをどうしていいか分からない時がある。
これまでこのホームページに書いてきた「私の旅」のことなど、ある意味で見せ掛けなのかも知れない。ほんとに望んでいるのは、会社の休暇のたびに出掛ける様な旅ではない。もっと根本的な安住の地とでも言えるものだ。何かないか、何処かにないかと思っている間に時が経ち、歳を重ねてきてしまったようだ。そして未だ「私の旅」に代わるものは見つけられない。残念なことだがこれからも暫く「私の旅」は続けていくことになりそうだ。
(どうもちょっと鬱状態にあるようですね。困ったものだ。)
☆サラリーマン野宿旅 トップページへ