サラリーマン野宿旅
野宿実例集 No.16  雨の降る日は、屋根の下で

 初掲載 1999.11. 21

 野宿をする場所はほとんどが空地や川原で、人工物などない所が多い。トイレや水道などの人工物が完備された有料のキャンプ場などは、野宿旅において最も避けるべき所なのである。しかし無料で、しかも雨が降りそうな日に屋根があるとなると、事情は違う。ましてや、トイレに水場まで付いているでは素通りする訳にはいかない。でもそんないい場所は皆がほっておかないのだ。時には見知らぬキャンパーと一緒になるのも仕方がない。

今回の野宿地 今回の野宿地

杉ヶ越を目指して峠道を登っていると、道路脇にいい場所があるではないか
トイレに水場、それに屋根のある舞台が気に入った

 5月3日、この日は九州上陸2日目であった。ゴールデンウィークを使っての九州野宿旅真っ最中である。ところがこの旅で訪れるのを楽しみにしていた峠のひとつである尾平越が、行ってみると途中で通行止めで、敢え無く引き返しとなった。意気消沈気味の上に天気も崩れてきた。この様子では今夜は雨だ。弱気になって安いビジネスホテルにでも泊まろうかと電話で2件当ってみた。しかし、さすがにゴールデンウィーク中では空きがない。あっけなく満室だと断られて、ますます意気消沈である。それでも旅は続けなければならない。尾平越の代わりに同じ大分県と宮崎県の境の峠である杉ヶ越に向かうことにした。

 狭い県道を走り繋ぎ、大分県宇目町で主要地方道日之影宇目線に乗る。後は峠まで一本道だ。峠道を登りながら、こんな日は雨が避けられる東屋などが見付かれば、野宿もしやすいんだがと虫のいいことを考えていると、道路脇に何やら広場があった。砂が敷き詰められた広場の一角にトイレと水場と、それに何に使うのか舞台がある。舞台は屋根付きで、ここにテントを張れば雨対策は万全ではないか。たまにはいいこともあるのである。

 
舞台 広場にあった舞台

この屋根のある舞台の上にテントを張れば、雨対策は万全だ

 その一見キャンプ場とも思える広場は、集落からは随分離れているし、寂しい峠道の途中にあるので、勿論管理人などはいない。「無断で使用禁止」などとうるさい看板もなく、自由に使ってよさそうだ。舞台の右上にある看板には

このコミュニティ施設休憩所は自治宝くじの助成事業で建設したものです

平成2年10月 宇目町

とある。野宿旅ではこうした休憩所が一番有り難い。キャンプ場と名が付いたところは、人が押し寄せるし、有料だし、管理人がうるさいしで、野宿旅には適さない。旅の途中の一夜を過ごすのに、安全にテントが張れる空地と、それにトイレと水場があればもう言うことなしなのだ。しかもこの宇目町のコミュニティ施設休憩所には、雨がしのげる屋根もある。

 ほとんど今夜はここで野宿と決めたが、日が落ちるまでまだ少し時間もある。峠まで行ってみることにした。道の途中からは大分県側にいい眺めが広がる。これが峠道の旅の楽しみのひとつでもある。峠に着くまでに2個所でキャンパーを目にした。ゴールデンウィークの休みを使って家族や友人達で来ているようだ。雨が降りそうだからカッパを準備しようなどと話している。今夜の雨もテントで過ごす覚悟のようだ。しかもお世辞にもいいキャンプ地とは言えないところにテントを張っている。車道の直ぐ脇だし、狭い草地だし、そこからいい眺めが見れる訳でもなく、近くを綺麗な沢水が流れている訳でもない。それに比べればあの休憩所の方がよっぽどいいのにと思うのであった。

 
峠道からの景色
 
峠道より大分県側を望む。こんな景色が眺められ、だから峠の旅は面白い。

 峠のトンネルを抜けて宮崎県側を眺めてみた。深い谷間に険しそうな道が続いていて、この先このぶんでは暫く野宿地などは見付かりそうもない。これで今夜はコミュニティ施設休憩所と決心がついた。休憩所に戻り、早速テントの設営にかかる。舞台は小さいがテントひとつ置くには十分である。ただし、舞台が高いので登り降りにやや苦労する。車は舞台の軒先に停めた。これで雨に濡れることなく荷物の出し入れもできるというものだ。

 そうこうしている内に、1台の4WD車が広場に乗り入れてきた。やはりこの場所に目をつけない訳がない。一人の男が車から降り、こちらに近付いてきて、ここで一緒にキャンプしたいとのこと。先客であるこちらへの挨拶である。もちろん快諾する。この舞台はこちらで一人占めしてもいいかと聞くと、いつも車で寝ているからかまわないとの返事。男が車に戻ると、助手席より女性も一人降りてきた。やはり少しこちらを警戒していたようだ。男一人の野宿者は人から見るとやはりちょっと危ない存在なのである。

 大丈夫と判断したようで、女性の方も話し掛けてきた。甲高く、ちょっと舌っ足らずの子供っぽいしゃべり方をする。ふたりは夫婦のようで、歳はこちらと同じか少し上程度。似たもの夫婦とはよく言ったもので、ふたりとも背格好がよく似ている。背が低くちょっと小太りで、何だか漫才夫婦のようだ。どこの山に登るのかと聞いてきた。その夫婦は体形に似合わず(失礼)登山に来ているようで、こちらも登山者だと決め付けている。こんな所で野宿している者は、登山者以外には考えられないのだろう。こんな時の返事はいつも苦労する。野宿旅のことをどう説明したら理解してもらえるか分からない。登山などは大昔から市民権を得ていて、誰でも「登山」と聞いただけで納得することだが、「野宿旅」となると、それがどういうものかほとんど知る者はいない。また、その野宿旅が一体何を目的にしているかとか、やっている本人さえもよく分かっていないのだから、説明できる訳がない。咄嗟に開聞岳に登ると返事をしてしまった。確かに今回の旅の目的のひとつが開聞岳に登ることで、それは嘘ではなかった。しかし開聞岳はこの大分と宮崎の県境附近とは全くかけ離れた、九州の南の外れの鹿児島県にある。相手は当然不可解な顔をする。仕方がないから野宿をしながら九州をあちこち旅して回っていると説明する。それも面白いねとは言ってくれたが、どことなく気の無い返事であった。

 
舞台にテント設営 舞台にテント設営

暫くすると、今夜の同居人がやって来た

 
 漫才夫婦は手馴れた感じでキャンプの支度を始めた。奥さんが今夜の寝床となる車を適当な場所に移動させる。夫は近くの林の中に入り、焚き火のための枯れ枝を抱えるほど持ってきて、盛大に燃やし始めた。ゴミがあったらいっしょに燃せばいいと言ってくれる。こちらはいつものわびしいレトルトの夕食を済ませ、地図を眺めたり、今日の旅の記録を手帳にメモしたりする。

 その内また一台のワゴン車が入ってきた。同じく夫婦連れで、歳も同じ程度。如何にも登山者といった体格のいいふたりで、体育会系的な夫婦であった。今にも降り出しそうな天気を気にして、舞台の横のひさしの下に陣取る。夫婦で手分けをしてテキパキと食事の支度をし、二人で楽しく会話をしながら食事を始めた。ちょうど子供も成長して手が離れ、また夫婦ふたりで休日を登山にキャンプにと楽しんでいるというふうだ。

 それにしても、夫婦で仲良く声を掛け合いながらキャンプという共同作業をし、また食事中の会話はいろいろとはずみ、時折奥さんの楽しそうな笑い声も聞こえてくる。いい加減長い年月連れ添った夫婦なのだろうが、こんなにいつまでも新鮮な関係を続けられるものなのだろうか。これもこれも登山やキャンプといった共通の趣味を夫婦で持ち、実践しているからこそかもしれない。それは先の漫才夫婦についても同様で、どちらもある種の理想的なカップルの形なのだと思った。
  

荒船山

同居人がまた増えて、車3台にキャンパー4人、野宿者ひとり
 

 体育会系夫婦の食事が終ると、漫才夫婦が焚き火の方に来るように誘った。こちらは日も暮れたので早々とテントの中に入り、ローソクの明かりで明日の旅程などを地図を広げて検討していた。テントの中から聞いていると、漫才夫婦は久留米から、体育会系夫婦は福岡から来ているようだ。しきりに「かたむき」がどうのこうのと言っている。この近くの県境にそびえる傾(かたむき)山のことを話しているのだ。夜の焚き火を囲んで、初対面とはいえ同じ登山の趣味を持っている2組の夫婦の会話は、山談義で弾んでいるようだった。

 一方こちらは、先ほどからどうも腹具合が悪くなってきた。この旅も家を出発してから今日で4日目。旅の疲れが溜まってきているせいか、この時期になるとよく腹痛に悩まされる。腹を抱えて横になっていると、夜の9時頃になって体育会系夫婦が出発した。今夜ここでキャンプするのではなく、どうも夜中に山を歩くようだ。しかも今夜は雨が降るというのにである。こちらとはやはり体の作りが違うらしい。

 腹痛で深い眠りにつけないまま、うつらうつらしていると、12時過ぎになって漫才夫婦の車も出発する音がする。ちょっと車の中で仮眠をとったので、こちらもこれから山に入ろうという気だ。全く同じ人間とは思えない。こっちは相変わらず腹がしくしく痛むし、それでなくても夜中に山の中を歩き回る元気など元々持ち合わせてはいない。

 深夜に降り出した雨は風を伴った。舞台に端に立て掛けてあった板が、ガタガタ音を立ててうるさい。いやな夢を見る。どういうわけかテントの下からイノシシに牙で突かれる夢だ。野宿旅などするには体力も精神力も全く不足しているのだった。

 朝が明けると広場はガランとしていた。空は低くどんより曇り、時折強く雨が落ちてくる。幸い腹痛は治まった。雨が降ったせいか、勢いよく水があふれ出ている水場で顔を洗う。いつものラーメンの朝食をとった後、折角トイレも有るので使わせてもらう。昨日の夫婦は今ごろどこの山を歩いているだろうか。こちらも軟弱な体で、いまだ市民権のない「野宿旅」を続けるとする。杉ヶ越の峠道はこの先、宮崎県側がずっと長い。今日はこのまま雨も続くようだ。

 

☆実例集目次

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