サラリーマン野宿旅
野宿実例 No.32
 
入広瀬村の春はまだ遠かった
 
新潟県入広瀬村・元道の駅「いりひろせ」にて車中泊(2005.5.5泊)
 
  
 
 今年(2005年)のゴールデンウィークの旅は、いつもとちょっと趣向が違った。例年なら、なるべく温かい四国や九州への長距離旅行に出掛けるところである。春も盛りの5月初旬とはいえ、雪の多い地域ではまだまだ冬期通行止が続く峠が多い。勿論、峠を越えるだけが旅の目的ではないが、峠好きとしては旅先で出会った峠は、そのままほって置く訳にはいかない。全てといかないまでも、なるべく多くの峠を越えたいものである。そこで、ゴールデンウィークの旅では、まだ雪が多く残る地域はなるべく避け、温かい西日本へ赴くことが常であった。
 
 しかし、今回は別の目論見があった。ひょんな事から佐渡に行ってみようという話になった。友人がまだ訪れたことがないと言うし、私も約20年前に一度ちょっと島に渡っただけで、佐渡を旅したという記憶がほとんどない。最近、北朝鮮による拉致被害の方が、佐渡の出身でもあることから、佐渡島が何かと話題である。トキや金山で有名な佐渡。ここは一つ、この島をじっくり旅してみようということに話が決まった。
 
 とは言え、佐渡だけでゴールデンウィークを全て使い切るのはもったいない。佐渡の後は引き続き、新潟県やその周辺を旅することにする。しかし、どうも行き先の当てがない。心引かれる旅の見所が見付からないのだ。まあ、どうにかなるさと、佐渡以外は何の計画もないまま旅に出た。
  
  
 
 当初の佐渡での3泊4日の旅は予定通り無事に終え、信濃川沿いにある佐渡汽船のフェリ−ターミナルに戻って来た。複雑で混雑する新潟市内を一目散に抜け、とりあえず阿賀野川の上流方向を目指す。そして地図で目に付いた「瓢湖」(ひょうこ)に寄ってみる。白鳥の渡来で有名とのこと。餌付けの様子などを眺めた後、駐車場でその日の宿の予約をした。本来は阿賀野川近辺にある公共の宿に泊まりたかったのだが、旅に出る前に3、4軒当たってみたが、どこも満室と断られた。5月4日のゴールデンウィーク真っ只中とあっては仕方ないことか。そこでこの近場の五泉市のビジネスホテルに予約の電話をした。そのホテルは世の中のゴールデンウィークが嘘の様に、閑散としていた。
 
 翌日は、阿賀野川ライン下りを楽しんだ後、友人を信越本線の加茂駅に届けた。次の日に所用がある友人は、ここより鉄路で帰宅して行った。最近こんなパターンが多い。途中まで友人と一緒で、後は一人旅となる。二入と一人のギャップが大きく、暫く一人旅に慣れるまで時間が掛かるのだ。
 
 一人旅が寂しく思えるだけでなく、地図を見てくれるナビゲーターが居ないのがまた困る。案の定、加茂駅前から狭い一方通行路もある加茂市街を抜け、市の南に位置する下条川ダムへ向かう道を散々迷った。やっとダムに着いて、ホット一息。そこで昼食とする。
 
 その後は県道や国道を走り繋いで概ね南へと移動。全く行き先の当てがない、行き当たりばったりの旅である。途中、国道289号を南下した。この国道は新潟・福島の県境である八十里越の部分が未開通だ。道は大谷ダムの少し先まで立派な2車線路が完成していたが、木の根橋の手前でゲートにより車は行止りとなった。
  
 国道289号の終点
 
木の根橋の手前
現在、このゲートの先は工事中で通行止
 
 余談だが、八十里越と言えば、左足に深い傷を負った長岡藩士・河井継之助(かわいつぐのすけ)が、戸板に乗って最後に越えた峠である。歴史オンチな私が何故こんなことを知っているかというと、司馬遼太郎の「峠」という本を読んだからである。それがどんな類の本なのか、河井継之助なる人物が一体誰なのか、全く知らずにその本を図書館で借りたのだった。
 
 理由はご推察の通り、「峠」という題だったから、その一点である。いつ、どこの峠が出て来るのだろうかと、分厚い単行本の小さな活字を追ったが、八十里越以外には上越国境の三国峠の文字がちょっと現れただけである。何で「峠」なのか今もって定かでない。結局、その本は幕末の過渡期を生きた河井継之助を主人公とする歴史小説なのであった。
 
 理由はともあれ、たまには歴史に触れるのもいいものである。これで八十里越に対する思いもまた深まった。八十里越を越えた河井継之助の終焉の地、福島県只見町に河井記念館があると聞く。機会があったら寄ってみたいものだ。
 
 国道289号の終点から戻る途中、国道沿いに野宿に良さそうな場所がちらほら見掛けられた。しかし、野宿をするにはまだ早い時間である。野宿地は必要ない時に見付かって、肝心な時になかなか見付からないものである。
 
 国道沿いにある景勝地、八木鼻付近から南へ分岐する県道183号に入ると、直進方向の吉ヶ平山荘方面は勿論積雪通行止だったが、途中で分岐する県道210号の水ノ木峠も雪が積もっていて越えられなかった。どこにも抜けられず、延々、八木鼻まで引き返しとなった。佐渡でも雪による通行止に何度か出くわして往生したが、やはりこの時期、新潟県は侮れないのであった。
  
  
  
 あちこち寄り道をしている間に時間が過ぎ、そろそろ野宿地の候補を探さなければならなくなった。栃尾市に入って刈谷田川ダムに寄ってみた。ダムの堰堤を過ぎた先には雪が路面を覆っていて、それ以上奧に入れる状態ではなかった。ダム湖近辺で野宿地が見付かるこもあろうと、やって来たのだが、全く当てが外れた。
 
 それに、ダムの少し下流で大規模な土砂崩れの跡を見掛けた。そうなのである。この付近は去年発生した大規模な地震や豪雨の被害地であった。今回、新潟を旅するに当たって、それがやや気になっていたのだが、いつの間にやらその真っ只中に踏み込んでいたのだった。
 
 野宿地の当てのないまま、国道290号を石峠トンネル方向に走っている最中も、時折地震の爪痕が顔を覗かせる。道路の復旧工事箇所も何度か通過する。石峠トンネル手前で旧道に入ってみた。野宿ができる場所を探す為である。しかし、アスファルト路面に大きな段差ができていて、地震の恐ろしさをうかがわせていた。その道路脇に野宿できそうな場所があるのだが、やはり何だか怖い気がする。諦めて石峠トンネルを抜けることにした。

国道290号の旧道に入る 
 
どこかに野宿地はないか?
 
 路面に残る地震の爪痕
 
これでは恐ろしくて、野宿などできたものではない
 

 あれよあれよという間に峠道を下り切り、守門村(すもんむら)で国道252号に左折した。この先には六十里越があり、福島県へと通じている。旅の行先として、何となく福島県へ出ようかと思っていたが、浅はかな自分に呆れてしまった。この時期、六十里越が越えられる訳がなかった。国道252号に曲がると直ぐに、「六十里越峠 冬期閉鎖中!!」と大きな電光掲示板が掲げてあった。旅の行先と今日の野宿地の心配で、頭がちょっと混乱しているようだ。
 
守門村で国道252号に入る 
 
国道252号六十里越峠 冬期閉鎖中!!
 
  
  
 気を取り直し、これからは野宿地探しに専念することとする。「2兎を追うものは1兎も得ず」である。旅の行先は明日また考えるとして、今は兎に角、野宿地である。
 
 国道252号をそのまま進み、池ノ峠を越えて守門村から入広瀬村(いりひろせむら)へと入った。六十里越が通行止では、この先入広瀬村からどこへも抜けられない。この村で何とか野宿地を探すのだ。背水の陣である。
 
 地図を確認し、まずは黒又川ダムに目標を定めた。そのダムは国道を南に外れた福島県との県境近くの山奥にある。またもやダム湖かと、何とかの一つ覚えのようだが、そこに通ずる県道も多分途中で通行止であるのは重々承知である。そんな行止りの道なら、沿道に何とか野宿地を得られるのではないかと考えたのだ。
 
 国道から分かれたダムに通じるその道は、最初の内、僅かに沿道に人家があったものの、直ぐに寂しい道となった。右手には雪が残る斜面がそそり立ち、左手には凍てついた水田が広がった。何とも荒涼とした景色である。暫く進むと小さな堰堤脇を過ぎ、その先でやはり路面に積雪である。ノーマルタイヤでは危険過ぎて先へは進めないと判断。しかし、周囲を見渡しても、雪と氷の世界が広がるばかりである。テントを張れる乾いた地面が見付からないのだ。
 
 黒又川ダムへの県道
 
積雪で通行困難
 
側らには雪と氷の世界が広がるばかり 
 
これではテントは張れない
 
 時間は夕方6時となり、もうタイムリミットが近い。県道を戻る道すがら、道路脇に僅かな乾いた空き地を見掛け、テントが張れないこともないと思ったが、どうも周りの雰囲気が悪くて気が進まない。でも、この県道に入ってから軽トラックが2台ほど通るのを見掛けただけで、もう誰もやって来そうにない。それならここでもいいかと、車を停めて外に立ち、暫し周囲を眺めていた。すると、丁度その時、少し離れた崖の上から、氷のように硬く締まった大きな雪の塊が、ゴロゴロ音を立てて路上に落ちてきたのだった。思わず後ずさりする。
 
 もうこの時期では、この地域でも雪が降ることはないが、溶け残った雪がまだ山の斜面に多くある。それが自然に溶けて時折落ちてくるようなのだ。そう言えば、途中の道にも道路の真中に、落ちたばかりらしい雪の塊が幾つも転がっていた。雪崩というほどの規模ではないが、あんな氷の塊のような物にテントを直撃されたら、たまったものではない。テントは諦め、車に乗ると一目散にその場を後にした。
 
 国道に戻って、もう一度思案。新潟県の詳しい地図を持っていたので、入広瀬村の頁をよくよく見ると、道の駅「いりひろせ」というのがあることになっていた。所在は村の中心地に近いが、こんな晩なら誰も来る者が居ないだろう。こうなったらそこで車中泊でもいいと考えるようになった。早速、地図を頼りに村の中心街を進む。村はもう夕暮れ時で、道行く人影もなく、ひっそりしていた。
 
 地図では道の駅が県道346号沿いに記されていたが、行けども行けども、村を外れて寂しくなるばかり。それらしい施設などが出て来そうにない。道の駅なら途中に案内看板があって然るべきだが、それも全く見付からない。町の明かりが遠くなり、そこに来てやっと地図が間違いであることを悟った。
 
 こうなったら、勘を頼りに探すしかない。村内をウロウロするが、道は狭く道路標識も不十分で、迷ってばかりだ。しかも、国道を離れたこんな往来の少ない所に、道の駅があるとは到底思えなかった。何度か同じ道を行き来した末、また黒又川ダムへの道に舞い戻った。何とか雪が落ちて来そうにない所はないかと探した。ショベルカーなどが置かれた空き地があり、ここでテントを張ってしまおうかと思った。しかし、道路を挟んでそそり立つ雪を被った崖をじっと見ていると、今にも崩れてくるのではないかという恐怖心が湧いてきた。冷静に考えれば、土砂崩れなどそう頻繁にあるものではない。しかし、その時の精神状態は、やや過敏になっていたようである。また道の駅を探しに村の市街に入り込んだ。
 
 ここでテントを張ろうかと考えたが・・・
 
  
 
 道の駅「いりひろせ」は夕暮れの帳(とばり)の中に忽然と消えたかのようである。どこにも見つからない。しかし、頭の切替はもうできなくなっていた。ただただ道の駅を探すことで頭の中はいっぱいである。
 
 村内の中心を流れる川を見下ろす道より、ふと川沿いを眺めると、三角屋根の大きな建物が目に入った。周囲に駐車場が広がるも、明かりはほとんどない。どうやらあれが道の駅の名残ではないだろうか。何らかの事情で、道の駅「いりひろせ」は閉まったのではないだろうか。
 
 公共の宿「ひめさゆり荘」の脇を下って、その三角屋根に到着すると、やはり想像した通りであった。そこは道の駅の跡地だった。
 
道の駅「いりひろせ」の跡地 
 
右側のトイレは使用可能だった
 
 建物の中は、非常灯が寂しく灯るばかりで、あとは真っ暗だった。民族資料館のようなものらしかった。敷地の片隅にポツンとトイレがあったが、そこは明かりが点いていて、今でも使用可能であった。
 
 時間は夜の7時に迫り、もうこれ以上車での移動は精神的にできそうにない。トイレの近くに車を止め、エンジンを切る。正面に三角屋根を見る。背後には、この村には珍しく洒落たマンションが建っていた。「メゾンいりひろせ」とある。他には周辺に人家などなく、広々とし静かな場所だった。今夜はここにお世話になることとする。地震の爪痕や雪に追われ、やっと辿り着いた安住の地であった。
 
 元道の駅の敷地の片隅
 
ここで車中泊とあいなった
 
  
  
 今回の様に車中泊となる時は、大抵、緊急事態である。体力的にも精神的にも、少なからず参っている。これでは食欲など湧かない。コンロでお湯を沸かすだけでも面倒で、ペットボトルの飲み物を時折口にし、菓子類などをちょっとかじって夕食の代わりとする。
 
 折角使えるトイレなので、小用を足し、戻って来ると後部座席の荷物を片付け、助手席のリクライニングが十分倒れるようにする。運転席側はアクセルやブレーキのペダルがあって邪魔なので、寝る時は助手席である。それに、誤ってブレーキペダルを踏んだまま寝込めば、ブレーキランプが点きっぱなしで、バッテリーが上がってしまう危険もある。
 
 夜の冷え込みに備え、荷室からシュラフを出し、それを体に掛けて助手席のシートに深く座る。車をジムニーから今のキャミに乗り換えて、ちょうど3年が経つ。多分、キャミで車中泊するのは今回が初めてだ。軽自動車のジムニーより大きな車を買った積りが、キャミの助手席はジムニーより狭い気がする。特に足先のスペースがなく、足が自由にならない。横にはなったものの、あまりからだの自由が利かないのだ。真っ直ぐ上を向いたまま、じっとしているしかない。それでも、シュラフとシートに包まれ、気分が落ち着いていった。
 
 暫くじっとしていても、なかなか時間は経たず、寝るには早いので、ラジオを聞いてみたりする。また、明日の旅程が全く立っていないので、地図を開いたりする。でも、車内灯だけでは手暗がりでよく見えない。窓からもう暗くなった元道の駅の駐車場を見渡すと、隅の一角を照らす外灯が一本だけあった。あの明かりを利用しよう。運転席に移り、車をその外灯の下に移動した。
 
 福島県に抜けるには、六十里越がダメなら、更に南の国道352号しかない。勿論、枝折峠は越えられないだろうが、奧只見シルバーラインなら通れるかもしれない。後は、どう頭をひねっても、何もいいアイデアが浮かばない。明日は明日の風が吹くさ。外灯を離れ、元の定位置に戻った。
 
 車の中に居ながらにして、何気なく外の様子をうかがっていると、トイレを使いに男性が一人来ただけだった。後は誰もこの元道の駅にはやって来なかった。深夜に素行の悪い若者達にでもたむろされたら困ると思ったが、入広瀬村の夜は平穏に更けていった。時折、元道の駅に隣接する狭い道を車が通ったが、それも僅かなものだった。隣りのマンションに帰宅する車もあった。マンションの住人に不審者と間違われなければいいが。それにしても、ここが元道の駅だったとは、随分不便な所に作ったものだ。国道から大きく離れ、利便性がない。それが閉鎖の理由だろうか。こうして寝るには静かでいい場所なのだが。
 
 夜の9時を過ぎ、昼間加茂駅で分かれた友人に電話する。村の中心に近く、携帯電話が圏外でないのがいい。電話に出た友人は、こちらの苦境を知ってか知らずか、明るく楽しそうに話してくる。まあ、こちらもそれが救いである。友人の方も、ゴールデンウィークの帰宅ラッシュに当たって、新幹線が大変混んだそうである。お互い無事でよかった。
 
 電話を切ると、後は狭い車内で一人、押し黙っているしかない。目を閉じると眠気が襲ってきた。地図を見るのに手頃な手元ライトを、100円ショップででも買って、グローブボックスに入れておこう、などと考えながら眠りに就いた。
 
 深夜になって目が覚めた。それまでよく眠っていたようだが、胸がひどく痛んで目が覚めた。車中泊の寝苦しさは、これまで何度も味わったことだが、寝苦しいなどという生やさしいものではない。胸全体を締め付けるような、耐え難い痛みだった。
 
 最近、旅先で体調を崩すことが多くなった。単に歳を取って体力が落ちたというだけではなさそうだ。何か他に原因があるのだろうか。毎年受けている人間ドックでは、いつもの心電図以外は、特別な異常はないのだが。アルコールやタバコは皆無で、暴飲暴食はせず、粗食小食を旨とし、塩分や糖分を控え、普段の睡眠時間は十分取り、規則正しい生活を心掛け、最近はバドミントンなどのスポーツもしているというのに、これで不健康では全く割に合わないのだった。
 
 呼吸も苦しく、窓を開けて冷たい夜の外気を少し入れる。他に対策はなし。狭いシートでは寝返りも満足に打てず、ただただじっと我慢である。うつろな目で外を眺めると、片隅に一本灯っていた外灯も消えて、暗く寂しい駐車場があるばかりであった。こんな時は自分の命の危うさを感じる。
 
 暫くの間、目を閉じて苦痛に耐える時間が続いたが、その内また眠りに落ちていった。
 
  
  
 朝になると、体調はやや持ち直していた。痛みもかなり引き、狭い助手席のシートから起き上がる。こんな所に長居は無用である。シュラフを適当に丸めて片付け、車をスタートした。
 
 実は、冷静に考えてみると、昨日守門村からこの入広瀬村に入る池ノ峠の脇に、道の駅らしきものがあったのに気付いていた。勿論、手持ちの地図にその記載はなく、一瞬に通り過ぎたので、あまり確かなことではなかった。それに、頭の中は、とにかく地図で示された場所で道の駅を探すことばかりが一杯で、冷静な判断ができなかったようだ。
 
 国道を引き返し池ノ峠に来て良く見ると、道路脇に看板が立ち、「道の駅 いりひろせ」とあるではないか。ここは峠に隣接する鏡ヶ池を中心にした公園なっていて、昨晩散々探し回った道の駅「いりひろせ」は、その一角に移転していたのだった。早くこれに気付き、ここまで戻って車中泊をしていれば、もう少し余裕を持って一晩過ごせたかもしれない。
 
池ノ峠(入広瀬村方向を見る) 
 
左手に道の駅「いりひろせ」
 
 道の駅「いりひろせ」はまだ早朝ということもあるし、また国道の六十里越が通行止となれば、やって来る客も少ないらしく、1台の車も停まっていなかった。雪を残して寒々しい様相の鏡ヶ池を眺めた後、昨日の夕食も食べていないことだし、車を停めた道の駅の駐車場で、そのまま朝食とする。
 
 道の駅はまだ営業していなくても、コンロでお湯さえ沸かせれば、それで食事にありつける。これは便利である。コンロに掛けた鍋から朝の冷気に白い湯気が昇り始める。沸騰したお湯を鍋からカップ麺に移し、車の中で5分待って即席うどんをすする。外を見ていると、道の駅の管理人らしい男性が一人やって来て、駐車場の掃き掃除を始めた。それ以外は側らの国道を走る車もまばらで、寂しい道の駅だった。
 
 食事が終わった頃には、外に置いたままのコンロは冷たくなり、直ぐに車に仕舞えた。食事の後はトイレだが、こういう時だけ道の駅を便利に利用してしまう。すっきりしたところで、今日の日の旅をまた始めるのだった。
 
  
  
 その後、小出まで戻って国道352号を奧只見湖方面へと走った。通行止の看板は見当たらず、福島県へと抜けられそうだった。しかし、ひと気のない湯之谷村の商店街を抜けた先で、ふと路肩に車を停めた。枝折峠の先には、奧只見湖に沿った複雑な道が延々と続いている。それを思うと今はウンザリする。体調も心配だが、もう旅をしたくないという思いが湧いてきた。旅が楽しめないなら、このまま旅を続ける意味がない。その場で車をUターンし、小出ICから関越自動車道へと入り、貴重な連休をまだ2日残して東京への帰路に就いた。
 
 旅が好きなのに、こうして旅を中断することが時々ある。ひどい時は京都や三重の遠方から、一目散に深夜の自宅まで車を走らせたことがあった。たまにはこうして気が乗らなくなる日もある。でも、心配は要らない。また暫くすると、旅の虫がもそもそ動き出し、それを押し留めるのに大変なくらいである。
 
<初掲載 2005. 7.11>
 
  
 
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