サラリーマン野宿旅
野宿実例 No.33
 
近場の奥多摩で1泊2日の野宿旅
 
山梨県塩山市・泉水谷林道終点にて(2005.5.28泊)
 
  
 
<旅の切っ掛け>
 
 最近、「続 多摩」(武蔵書房)という本を図書館で借りた。その本にはまだ開通したての松姫峠(山梨県大月市と小菅村の境)の写真が載っているのだ。昭和40年代中頃のことである。以前読んだことがあるが、また無性に見たくなった。今は国道に昇格し完全舗装になった松姫峠だが、その写真では未舗装の荒々しい峠として写っている。
 
 何度見てもこの松姫峠はいいな〜と再び感激しつつ、他のページもペラペラめくっていると、黒川金山のことが書かれていた。黒川千軒とも言われた武田信玄の隠し金山で、奥多摩より更に多摩川を遡った塩山市にある。そう言えば、この直ぐ近くには泉水谷(せんすいだに)林道というのがあった。その林道は過去に2回走ったことがある。泉水谷を詰めた所で行止りとなり、往復走行となる道だ。川沿いの崖を伝って行く険しい未舗装林道だったという記憶がある。
 
 一方、友人の新しいツーリングマップを借りて見ていると、その泉水谷林道は終点よりまた別の林道と繋がり、いつの間にか通り抜けできるようになっているではないか。これは面白い。黒川金山の探索も兼ねて、久しぶりに泉水谷林道を走ってみようかと思った。これが今回の旅の切っ掛けとなった。
  
 時は5月下旬のとある週末。来週早々には梅雨入りするとの予報である。旅をするなら今がチャンスだ。自宅に近い奥多摩近辺なら、これまではいつも日帰りである。ここはひとつ1泊して、のんびり丹念に旅をするのもいいではないか。我ながらいいアイデアである。これまで何度となく訪れた奥多摩だが、また趣が変わった旅ができるかもしれない。
 
 しかし、さすがに宿泊を伴った旅となると、急には決心が固まらない。とにかく準備だけはと食料などをバッグに詰めるが、金曜の夜の段階では、まだ旅に出掛けるかどうか迷っていた。
 
  
 
<旅の出発>
 
 土曜日の朝。普段通りに起きて普段通りに朝食を食べる。旅に出掛けるからといって、無理に早起きしたりしない。ここらが余裕である。食事も終り、暫し考え、やっぱり旅に出ようと決心した。
 
 宿泊手段は初めから野宿一本に絞る。そうすれば荷物が減らせる。ドライヤーを持って行っても、テントの中では使えないのだ。日数も2日と決まっているから、食料もぴったり4食分(1日目の昼と夜、2日目の朝と昼)を用意した。勿論下着や上着などの替えは一切なし。2日間着たままである。
 
 町中に出ることはないからと古いジーパンを履く。しかし、あまりにも古くてしかも補修の跡がひどく目立った。さすがの私もこれは恥ずかしいと別のに履き替える。こんど暇な時に補修をし直そう。靴も古くていいやと下駄箱の奧から出したスニーカーを履く。すると、何だか足の裏がべとつく。調べると補修した接着剤がはみ出て靴下にへばりついていた。私は何でも補修して使い続けるが、この靴はもう補修の限界にきているようだ。泣く泣く廃棄と決定。別の少しましなスニーカーに履き替える。それとて、町中で履くにはなかなか勇気がいる年代物である。
 
 靴下に接着剤が付いたが、旅が終わったら捨てる積りの穴明きであった。何の問題もない。下着や靴下などで古くなった物は取って置き、こうした旅に使ってそのまま捨てることにしているのだ。
 
 車にはゴールデンウィークの時に使ったシュラフが1本入っているだけだった。テントやエアーマットなど他の野宿道具は全部運ばなければならない。1泊といえども、こればかりはどれ一つ減らせない。
 
 準備が整っていざ出発。時間は8時。いつもの旅に比べれば遅い出発である。これも近場の旅だからこその余裕である。
 
<旅の途中>
 
 訪れる所、訪れる所、どこも以前に2、3度は必ず行った場所ばかりである。それでもじっくりのんびり探索すれば意外に楽しい。小峰峠の旧道に寄る。車は完全に通行止となっていた。梅野木峠は通行止かと思ったら、日の出町側からは峠まで車が入れた。途中には新しく「つるつる温泉」なる大きな施設ができていた。奥多摩駅付近の国道411号にはバイパス路が一部完成している。トンネルを抜けると、弁天橋の近くに出た。小菅村では大菩薩峠直下の車道の行止りまで行った。小菅村からは箭弓(やぎゅう)神社を見て今川峠で丹波山村に入った。旧道の大丹波峠(おおだわとうげ)の手掛かりを探したが見つからなかった。泉水谷林道入口近くに立つ「尾崎行雄水源踏査記念碑」を見た。「おいらん淵」に寄った。先の「多摩」の本は、この「おいらん淵」ついても書かれている。それによると、本来はもっと上流にあったそうである。なかなか物知りになる本だ。
  
 その後、一之瀬林道で二之瀬、三之瀬の集落を訪れ、犬切峠(いぬきりとうげ)近くから分岐する大ダル林道に入る。この林道は現在開削の真っ最中で、一方、国道411号の柳沢峠近くからも同じ名前の林道工事が進んでいる。その内両者は繋がるのだろうか。
 
 とにかく、行き止まり林道と知りつつ入ったのは、勿論今夜の野宿地探しである。開削跡も真新しく、白い砂利の路面や赤い土が露出した壁面は、何となく違和感があった。きれいに整えられているのはいいのだが、盛り土をしてならした所も多く、地盤が不安定に思えるのだ。大雨など降ったらどうなるか分からない。結局、沿道に気に入った場所はなく、終点で折り返して、また犬切峠に戻って来てしまった。
 
 ここは急がず騒がず、犬切峠には旧道があるとのことで、それらしい道に入る。狭く急なコンクリート舗装を暫し走ると、一之瀬の集落に出た。以前に着た時に見た学校があった。校庭には草が伸びていた。寂しさが漂っていた。
 
 一之瀬の集落
 
左手に学校の校舎
犬切峠を降りて来たところ
 
<泉水谷林道へ>
 
 他に適当なルートがないので、来た道をまた戻り、三度犬切峠に着く。さすがにそろそろ野宿地へ急がなくては。そこで今日の最後の目的地である、泉水谷林道へと車を進めた。
 
 国道分岐からはきれいなアスファルトが伸び、その直ぐ先に立派な林道看板が立っていた。もしかしたら泉水谷林道は生まれ変わったのかと思ったら、看板を過ぎると直ぐに昔ながらの険しい未舗装路が待っていた。
 
 この林道は左手の川と右手の壁に挟まれた狭い道である。時々岩壁が頭上にオーバーハングしていて、如何にも窮屈だ。よくこんな道が切り開けたと感心する。待避所もほとんどなく、対向車が現れたらことである。
 
 そんな訳で、暫くはこの道沿いに野宿地などある筈がない。ただただ、慎重に走るばかりである。途中一度、対向車があった。大型の4WD車だったが、もうかなり上流の所だったので、うまい具合に離合するスペースがあった。ちょっと年配の男性が一人乗っていて、お互いに会釈して分かれる。その直ぐ先で水晶橋(昭和44年10月完成)を渡り、泉水谷の右岸に出る。それから先は川から少し離れて進み、道の終点はもう近い。
 
 
泉水谷林道 
 
この様に岩壁がオーバーハングしている箇所が多い
 
 泉水谷林道
 
こうしてほとんどは川沿いを進む
 
  
 
<野宿地へ>
 
 ふと開けた所に出た。右手に工事の現場事務所らしいプレハブがあり、その前にちょっとした空き地が造られていた。よくよく見ると、ここは以前の泉水谷林道の終点であった。左の山の中に道が一本登り、「二輪車 乗入禁止」という看板にも見覚えがあった。しかし今は、林道は更に先へと伸びていた。路面には真新しい砂利が敷かれ、周囲も見違えるように整えられている。
 
 
 
泉水谷林道の終点
 
道の側らにはプレハブ小屋 
 
なかなか野宿によさそうだ
 
 さて、プレハブ小屋の前の平地は、テントを張るにはなかなか良さそうである。時間も丁度夕方6時と、いい頃合だ。空は開けて暗い感じはなく、地形的にも崩れやすそうな崖など周囲にない。敷地の一角に古そうな木柱が立ち、辛うじて「泉水小屋 1,349m」と読める。今の工事用のプレハブが建つ前は、ここには山小屋があったようだ。やはり昔ながらの場所は、安定感が違うのだ。プレハブ小屋の工事関係者が来ると困るが、土曜の夜ともなれば、もう仕事もないだろう。ほとんど、ここに野宿と気持ちは固まった。
 
 しかし、周囲の偵察は怠らない。それにここよりもっといい場所が近くにあるかもしれないのだ。新しく開通した道を暫く先へと走ってみた。道幅は広く、快適な林道である。この分ならツールングマップルの記述通り、国道まで抜けられそうだ。万が一の場合、脱出ルートが2経路あるのはいいことだ。しかし、どこかよそよそしい道でもある。まだ新参者で山に十分溶け込んでいないといった感じだ。1Kmも走ったか、やはり先ほどの場所に勝る所はなく、車を引き返した。
 
  
 
 テントを設営
  
<野宿の準備>
 
 野宿は久しぶりだった。去年以来である。こんな山奥に12時間近くも一人で過ごすのかと思うと、やっぱり不安である。今夜の天候は問題ないようだが、仮に大地震でも起きたらどうしよう。余計な心配ばかりが頭をよぎる。でも、テントを張って、エアーマットやエアー枕を膨らませ、シュラフも準備する頃には、気持ちが少し座ってきた。
 
車は脱出方向に向けておく 
  
<クマ対策>
 
 今回の野宿では、ちょっと考えることがあった。クマ対策である。今から比べて10年ぐらい前の方が、クマの被害はかえって少なかったように思う。その頃買った本にも、クマで命を落とす者は年に1人程度とあった。ところが近年、クマの被害が多く報道されている。里にまでクマが降りて来て、人と接触する頻度が増えたようだ。インターネットで調べたところ、奥多摩周辺にも20頭前後が生息しており、クマとの遭遇が多数報告されている。何とこの泉水谷でも遭遇事例があるというのだ。
 
 そこで今回は、これまで考えたクマ対策を全部用意した。まず音を出すベル。登山用の本格的な物は数千円もするので、岩手県の小岩井牧場に行った時に500円で買った土産物のカウベルを腰に付ける。ちょっと音が貧弱だが、まあいいだろう。
 
 音を出す物としては他にクラッカーもある。しかし、子供でも驚かないような小さな音しか出ないし、もう古くて湿気っていなければいいのだが。
 
 クマ対策の本格品と言えば唐辛子スプレー。でも本物は1万円もするので、数百円で買った安物である。はたして効き目はあるのだろうか。
 
 いざと言う時にはクマと戦う為のナタ。これを枕元に忍ばせる。しかし、そんな体力と度胸を持ち合わせているとは思えない。
 
 一晩中音を出す為のラジカセ。これはクマ対策専用にと買った物だ。しかし、予算をケチったのでオートリバース機能がない。カセットテープの片面が終わると停まってしまうのだ。これは迂闊だった。30分おきにテープをひっくり返していては、寝られないのだ。試しにラジオをつけてみた。するとこの山の中でも十分電波が届くではないか。これは有り難い。代えの新品の電池も持って来たので、今夜は一晩中つけておこうと思う。
 
 最後に、テレビで見たのだが、クマは自分より大きな物に怖がる。そこで、テーブルクロスなど大きなシートを広げて掲げると、クマは逃げて行くという。これだと思った。何故ならシートは安いからである。いつもの100円ショップで1.8m四方のレジャーシートを買った。色は視認性がいいだろうと黄色にした。黄色の車は事故が一番少ないのだそうだ。しかし、クマに対してどうかは分からないが。そのシートをさっと広げ、両手に持って高くかざすイメージトレーニングをする。いざと言う時に、これで万全である。
 
 つい最近もクマに襲われる夢を見た。山道を走っていると景色の良さそうな所に出たので、車から離れて景色を堪能しようとした。すると、木の陰にクマが居るではないか。気づかれぬ内にと、きびすを返して車に走った。すると、そちらにも一頭現れ、目が合ってしまった。もう何もできずに立ちすくむ私にクマが突進して来る。目の前数十センチに近付き、もうダメだと思った瞬間、目が覚めた。心臓は激しく鼓動していた。
 
 野宿旅では過去に3回クマに遭遇している。野宿旅など始めなければ、こんな悪夢も見なかったろうに。しかし、まだ夢ならいい。野宿する時のクマ対策は現実の問題なのであった。
 
 テントと車は程よい距離に
  
<夕食前>
 
 久しぶりの野外暮らしである。周囲の森から鳥の声がうるさい程だ。いろいろな鳴き声がする。中には口笛で私をからかっているかのよう鳴く鳥もいる。
 
 この時期、野宿で厄介なのは虫である。勿論虫除けスプレーは使うが、顔の周りを小さな虫が飛び回ってうっとうしい。日中も車から降りると、よくつきまとっていた。しかし、日が暮れかかるといつの間にやらいなくなった。
 
 同時に少し寒さを感じる。さすがに標高1,300以上である。それまで半そでのTシャツだったが、長年使っているドカジャンを着込み、更につい最近買った赤いジャケット(2,000円なり)を重ね着する。野宿は少し寒いくらいがいい。空を見上げると天気は曇り。ちょっとぱらぱら雨が落ちてきたが、大きく崩れることはなさそうだ。
  
<夕食>
 
 歩いて今夜のテントサイト周辺を散策したりしている内に、泉水谷の谷間は夜の帳が近付いた。完全に暗くなる前に夕食を済ませることにする。野外用の照明を持っていないのだ。
 
 近くの岩の上にラジカセを据付けNHKラジオを鳴らし、腰のカウベルを振りながら夕食の支度をする。敷地の一角に立つ移動式トイレの脇に、ホースで上流の沢水が引いてあった。常に手頃な水量がホースの口より流れ出ている。今日一日まともに手を洗っていないので、石鹸を出して来て洗う。すると、手首がしびれるほど冷たい。まるで雪解け水の様である。やっとの思いで石鹸を流し落とす。
 
 夕食のお湯はその冷たい沢水ではなく、車に積んで来た水を使う。日中の車内はもう真夏を先取りした様に暑かった。ポリタンクに入れた水はまだその名残を残してほんのり気持ちよく温かかった。
 
 夕食のメニューは「サトウのごはん」とレトルトの牛丼である。ごはんが温まるまで15分と長い。腕時計のストップウォッチ機能を使おうと腕を見たら、今まで時計をはめていなかったのに気づいた。普段の会社勤めでは考えられないことだ。
 
夕食の支度 
 
いつもの様に質素である
 
 牛丼はいい匂いがした。さぞかしクマにも美味しい匂いに思えることだろう。後始末をしっかりする。泉水谷林道を走りながらも、いつもの様にやや体調が優れなかったのだが、食事はなかなか美味しくいただけた。体調回復である。食欲も出て、ソーセージを追加する。最後にお湯をもう一度沸かし、ワカメスープで仕上げとなった。
 
 食事中に車が1台やって来た。ヘッドライトを点け、泉水谷林道の上流側から現れた。目の前でちょっと立ち止まり、様子を見てまた走り出した。もう薄暗いというのに、これからあの険しい林道を通るとは怖い話しだ。
 
 お腹が満たされると、何となく落ち着くものだ。最初の頃に感じていた不安ももうすっかりなくなった。食事の後片付けをし、ラジカセを持ってテントに入った。
  
<テントの中>
 
 今夜は特別にパッと明るく、ローソクを床に2本、天井に1本吊るす。なかなかいい雰囲気である。写真を撮りたくなって、デジカメを取りに車に戻る。しかし、やはりローソクの明かりは暗くて写りが悪い。フラッシュを焚こうとするが、操作が分からず頭に来て断念する。デジカメは操作が複雑でいかん。
  
 テントの中の様子(ピンぼけ)
 
明かりはローソクが一番
 
 地図を見ながら明日の予定を考えるが、なかなかいい案が浮かばない。今日もそうだったが、明日も適当にいこう。明日は明日の風が吹くさ。
 
 こうしてシュラフの上に横になっていると、腰がまた痛む。写真を頻繁に撮ったりして、車の乗り降りが多いのだが、それで腰に負担が掛かったようだ。体を動かすとちょっとした加減で痛い。以前、ぎっくり腰をやった時の痛みに似ている。何かと問題を抱えた体である。
 
 寂しいので友人に携帯電話をしようとするが圏外であった。ラジオはあんなに良く入ったのに。auだからだろうか?。友人のドコモと競争すると、大抵私のauが負けた。辺ぴな土地でauは形無しであった。
 
 9時頃、もう眠くなった。目覚まし時計を5時少し前にセット。シュラフに包まって、うとうとする。火事になるとまずいので、ローソクを吹き消し、そのまま眠り込んでしまった。
  
  
 
<夜中>
 
 ふと目が覚める。暗いテントの中にポツンと一人。外には山の中の暗闇が広がっていることだろう。やはりクマが心配だ。ラジオを点ける。すると11時から翌朝5時までの生放送がちょうど始まった所である。アナウンサーが年配の女性で、ゲストも1930年代生まれの女性とのこと。ボリュームを上げたラジオがうるさい。ついつい内容に聞き入ってしまう。
 
 話しは平安時代の虫を愛(め)ずる姫君のこと。確か宮崎駿さんが劇画「風のナウシカ」を制作する上でも、その姫のことが念頭にあったとのこと。当時の習慣であるお歯黒や眉毛を剃るのも拒む姫君は、本地(ほんち)が大事だという。蝶は誰でも愛でるが、毛虫はそうではない。その本地を考えれば、毛虫もかわいいとその姫君は言う。
 
 なかなかいい話しではないか。しかし、眠れない。クマ予防の効果は減るが、ラジオの音を小さくして、やっと寝付いた。
  
<怪しい車>
 
 ラジオの音で気づくのが遅れた。目が覚めた時にはヘッドライトの明かりは既にテントの脇を通り過ぎていた。この深夜にその車は泉水谷林道を登って来たようだ。そして近くに停まっている。テントを少し開いて覗くと、この先の牛首谷橋の手前に1台居る。話し声などはしない。一人だろうか。夜中に来る者は大抵一人が多い。暫く様子をうかがっていると、やっと走り去って行った。
 
 やっぱりクマより、人間の方が怖い存在だった。ラジオは消して眠ることにする。枕元のナタを使う相手は誰になることやら。
 
 そしてまた車である。今度は林道の上流側から来て近くに停まると、ドアを開け閉めする音もする。時計を調べると夜中の3時だ。これでは熟睡できたものじゃない。全く嫌になる。
 
 車はエンジンを切った。人の足音に気をつけていたが、テントに近付いて来る様子はない。テントから出てみようかとも思ったが、留まることにした。相手がどんな人物か分からないのでは、無用な接触は避けた方が賢明だろう。暫く起きていたが、何事も起らない。心配ながらも、そのまま再び眠ることにした。
 
 エンジン音でまた目が覚めた。人がまだ車の中に居たのだ。暖房をとる為にエンジンをかけたのだろうか。時計を見ると4時である。車の所在を確認すべく、耳を澄ませる。テントの入り口と反対側だ。防虫ネットを開き、薄暗がりに車らしき影を認める。車道脇に居る。何の目的で来た、どういう人物なのか分からないので、全く不安である。
  
  
 
<起床>
 
 そのまま眠ることができず、4時半頃になって起きることとした。テントの中で身支度を整える。テントの中は露で濡れていた。シュラフやマットをなるべく濡らさないように畳み、ローソクなどの道具をバッグに詰め、テントを出る。天気は良さそうだが、谷間には朝もやが立ち込めていた。テント以外の荷物は直ぐさま車に積み込む。
  
野宿の朝 
 
あまり熟睡できなかった
 
 荷物を片付けながら、例の車の方をチラチラ覗く。中に人は居るのだろうか。余裕のある所を見せつける為、お湯を沸かしてコーンスープをすする。すると、口の中を火傷してしまった。あまり、気取るものではない。
  
 向こうに例の車
 
中に人は居るのだろうか
 
<朝食>
 
 事態に変化がないので、そのまま食事とする。定番のチキンラーメンに、またソーセージ。気温約10℃と肌寒く、温かいラーメンが美味しく感じられる。
  
朝食 
 
チキンラーメンを煮る
 
 食事の途中で、車から一人の男が降りて来た。登山服姿に身を包み、近くの山の中へと分け入って行った。単なる登山者だったのだろうか。
 
 ところが暫くして戻って来ると、今度は沢に下りて行った。一体何をやっているのだろう。そしてまた戻って来ると、車に乗り込み泉水谷林道へと走り去ってしまった。
  
 
 
朝のテントサイト
 
<出発準備>
 
 朝を迎え、また鳥の声がうるさい程だ。いろいろな種類が居る。鳥について詳しいと、きっと面白いに違いない。
 
 テントの露を拭いて撤収する。ホースの沢水で歯を磨く。トイレは後にする。この後、柳沢峠に寄る積りなのである。あの峠には最近広い駐車場が整備され、立派なトイレもある。それを使う予定だ。
  
<出発>
 
 6時前には林道を走り出す。泉水谷林道の先は泉水中段林道と言うらしい。またこれら全線を通して新しく「泉水横手山林道」とも名付けられたようだ。
 
 間もなく林道に朝日が斜めに当たってきた。遠くの谷間を望めば朝霧をついて日が射している。すがすがしい気分だ。やっぱり林道を走るのは暗い真夜中ではなく、こうして日が出ている時に限るのだ。
 
 ところで、黒川金山の手掛かりはないかと沿道に注意していると、新横手山峠という所から4.1Kmと看板にあった。山道を歩いての4.1Kmはちょっと遠い。今回は諦めることにする。黒川金山はまた次の旅の切っ掛けとなるのである。
  
 林道に朝日が当たる
 
霧の谷間に日が射す 
 
  
  
 その後、その日の旅も行き当たりばったりである。まだ行ったことがなかった森泉郷を訪れたり、柳沢峠や中里介山記念館に寄り、上日川峠を再訪し、砥山林道や新しく開通した嵯峨塩深沢線を抜け、旧笹子峠の駒飼宿や笹子隧道を探訪、山の上にある笹子峠に歩いて登ったりした。笹子峠を降りてから国道20号を東京方面に走っていると、この先どこに行ったらいいかよく分からない。信号で止まるとそこは中央道の大月IC入口であった。信号が青になると、思わずそちらに入り、そのまま高速で帰路についた。日曜の午後は渋滞が多い。その前に帰ってしまおうと思ったのだ。自宅には早々と午後の2時に着いてしまった。旅の疲れを癒す時間はたっぷり残っていた。
 
 釣りをするとか山登りをするといった旅の目的な特になく、ただ何でもない道の終点や林道を走り、峠を越え、それで十分に楽しめるのであった。近場の奥多摩とその先の山梨県を回っただけだが、随分いろいろな所を訪れたという気がする。とても充実した2日間であった。
 
<初掲載 2005. 7.25>
 
  
 
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