サラリーマン野宿旅
野宿実例 No.34
 
悲惨なトラブルでテントも張らずに車内泊
 
長野県臼田町(現佐久市臼田)・県道下仁田臼田線脇の空地にて(2000.6.2泊)
 
  
 
<群馬と長野の県境付近>
 
 群馬と長野の県境付近は、旅では良く出掛ける土地である。自宅からも比較的近い所にあり、何しろ好きな峠が多く存在するのだ。例えば南の方から、ぶどう峠、十石峠、大上峠、余地峠、田口峠などなど。
 
 今年(2005年)の6月にも、臼田町(うすだまち、現・佐久市臼田)の市街から県道下仁田臼田線に入って、その田口峠を目指したことがある。小海線の臼田駅前を過ぎ、暫く行くと、田口の集落の一角に龍岡城址というのがあることになっている。ツーリングマップルには「日本では函館とここしかない五稜郭」と出ている。以前、一人で来た時に立ち寄った記憶があるが、その時は友人と一緒なのでまた寄ってみることにした。県道は新しく田口の集落をバイパスする道ができていて、右往左往しながらもどうにか龍岡城址を見つけだしたのだった。
 
 龍岡城は、五角形の独特な形で堀を築き、その中に建てられた城である。それで五稜郭と呼ばれる。堀はあまり大きくなく、全体を見渡すこともできないので、残念ながらその五角形を実感することはできない。今では中に小学校が造られていて、のどかな雰囲気を漂わせている。
  
 田口の龍岡城跡の看板
 
五角形の特徴的な形をしている (撮影 2005.6.25)
 
 偶然にも、この夏には北海道を旅する機会に恵まれ、日本に2つしかない五稜郭のもう一つ、函館の五稜郭を訪れることができた。こちらはタワーの上から眺められ、観光客で大賑わいであった。何にしても、こうして日本のあちこちを旅することができ、幸いなことである。
 
函館の五稜郭 
 
五稜郭タワーより眺める (撮影 2005.8.15)
 
<見覚えのある草地>
 
 田口の龍岡城址をのんびり散策した後、目的の田口峠へと向かう。田口の集落を過ぎると沿線の人家はグッと減り、峠から流れ下る雨川(あめかわ)に沿った寂しい県道が続いているだけだ。途中、雨川ダムを横に見て過ぎ、その先、道は森の中へと入って行く。木々の間に数軒の家が建っているのがのぞく。別荘のようである。人里から離れた暮らしを望む人たちがここにも居た。
 
 田口峠への本格的な上り坂が始まる。屈曲が多くなる。しかし、峠のこちら側は標高差が少なく、それ程険しい峠道ではない。車の運転は友人に任せ、私は車の揺れに身を任せて、のんびり車窓越しに外を流れる景色を眺める。すると、道路に面した見覚えのある空地が目に入った。今は草が生い茂り、様子は少し違うが、ここは確かに以前、一夜を過ごした場所である。咄嗟に写真を撮る。そう、あれはあの悲惨な日のことだった。もう5年も前の出来事になる。
 
 道路脇に見覚えのある草地
 
ここは以前、野宿した場所だった (撮影 2005.8.15)
 
  
 
 2000年の6月初旬、2泊3日で長野・新潟県境付近を旅しようと出掛けたが、相変わらずの寄り道で、山梨県から長野県に抜けるのに、わざわざ大弛峠(おおだるみとうげ)を越えることにした。この峠は車道が通じている峠としては非常に標高が高く、乗鞍スカイラインを除けば日本で最も高いのではないだろうか。
 
 しかし、それがいけなかった。峠を長野県側に下る途中でちょっと脇道に入ったら、悲惨なトラブルを起こしてしまった。あわや車ごと谷底に落ちるかという緊急事態に陥ったが、幸運にも辛うじて脱出できた。しかし、もう心身ともにクタクタである。それにもめげずに旅を続けることにした。
  
 大弛峠の後は馬越峠、栗生峠、親沢峠などと、相変わらずの峠三昧である。トラブルによる愛車ジムニーの破損状況を気に掛けながらも、峠道の登り下りを繰り返す旅であった。
 
 さすがにそんなことをしていては旅程ははかどらず、2泊3日の旅の初日は、目指す新潟県境の遥か手前で日の暮れが近付いてきた。しかし、こんな時こそ野宿は重宝である。宿泊の時間になったら、その場所で野宿地を探せばいいだけのことである。しかも、ちょうどここは長野県と群馬県の県境に近い。この付近を旅することは多く、よってに野宿も2、3度は経験している。群馬県に越える峠道のどれか一つにでも入り込めば、きっと野宿地が見つかるに違いないのだ。
 
 そして選んだのは田口峠である。勿論、田口峠を越えてその先の群馬県に行ってしまえば、今回の目的である長野・新潟県境とは方向違いだ。よって、峠の手前で野宿し、また戻って来ようという目論見である。宿泊だけの為の寄り道なのだ。
 
 国道141号より勝手知ったる県道93号・下仁田臼田線に折れる。臼田の駅前のクランクも先刻承知とばかりにクリアし、県道を外れることなく田口の集落へ。集落内の道は狭く、軒先が車道ギリギリに並ぶ。途中、右手に龍岡城址を見て過ぎ、人家が途切れた辺りから沿道に野宿地を物色する。
 
 途中、通行止の看板が道の半分を塞いでいた。田口峠は大型車全面通行止で、その他の車も時間通行止とのこと。しかし、こちらは峠の先に抜けたい訳ではない。その手前で野宿地が見つかればいいのである。看板の横をすり抜け、先に進む。
 
通行止の看板 
 
田口峠は大型車全面通行止
 
 田口峠の道はこれまでも何度か越えた筈だが、野宿はまだしたことがなかった。道は雨川に沿って狭く、周辺に開けた土地は少なかった。それでもこの先には雨川ダムがあり、そのダム湖の上流部には湖月荘なる保養センターもあった。その付近は比較的土地が平らで開けており、そこが狙い目だと思っていた。
 
 しかし、その場所に到着してみると、辺り一面に草が伸び放題に伸び、野宿ができそうな所が全然見つからない。湖月荘も人影がなく、営業しているのかどうかも分からなかった。
 
 雨川ダム湖
 
田口集落方向に見る
周辺にいい野宿地はなかった
 
 やや焦る気持ちを抑えつつ、車を先に進める。この時期、日は比較的長く、夕方6時頃になってもまだまだ明るい。何とかテントを張れる場所を探そうと、もう少し粘ることにした。
 
 道は峠への登りが始まり、すると沿道は林ばかりで、ますますテントを張るのに適した場所はありそうになかった。それでも一度だけ、道に沿ってちょっとした空地があった。ただ、建設機械が停まっており、資材も置かれていた。車道にも近過ぎる。人影はないものの、テントを張る気にはなれない場所だった。ちょっと迷ったがまた車を走らせる。
 
 焦る気持ちを抑えつつ、またトラブルを起こしては大変と、慎重に坂を登る。すると、目の前にひょっこりトンネルが現れた。そこが田口峠であった。
 
 峠を訪れることを趣味としているが、今回ばかりはあまり楽しんでいる余裕はない。峠のトンネルを抜けると、その先、道は急勾配を九十九折れで下っていた。ますます野宿地の確保は難しそうに見えた。ただ、峠からの眺めは良かった。まだ周囲は辛うじて明るく、東に連なる山並を見渡すことができたのだった。
 
 もうこれで覚悟を決める時刻である。夕方6時を過ぎたのだ。山の中では日が暮れるのは早い。後30分くらいで今夜の宿泊場所に落ち着かなくてはならない。そうなれば、さっきの空地しかないだろう。そう覚悟を決めて、車を引き返すのであった。
 
田口峠に到着 
 
ここで夕方6時を過ぎた
 
  
 
 峠から下って来ると、林の中に隠れるように建つ山荘を過ぎた先に目的の空地はあった。空地に車を乗り入れる。地面は機械でならした後らしく、土が露出していた。テントを張るなら草ボウボウより、この方が都合いい。しかし、もうテントを張るだけの気力が残っていなかった。昼間のトラブルによる疲労もあるようだった。何だかもうやけっぱちの様な気持ちがする。背もたれを倒し、シートに深く腰掛ける。ボンヤリ外を眺めている間にも、辺りはどんどん暗くなっていく。これで、テントの中で手足を伸ばして寝るのは諦め、今夜は狭い車の中での車内泊と決定された。
 
 ついでに食事も作る気がしない。車内泊ならせめてしっかり夕食を食べればいいようなものだが、車内泊となった日はこうして夕食を摂らないことが多いのだ。野宿地探しに日暮れまであちこち走り回り、疲れている上に時間の余裕もなくなっているからだ。
 
 家から持参したバナナが一本あったのでそれを食べ、それで今晩の夕食も終りである。元々小食な上に、精神的に弱っているので、空腹など全く感じない。後は眠りに就くまでの2時間程の時間を、地図を見たり手帳にメモを書いたりして過ごす。7時頃、側らの狭い県道を車が2台とバイクが1台通過した。それ以後は通る者もなく、静かな夜となった。運転席に座ったまま、うとうとと眠り込んでしまった。
 
 暫くして目が覚めた。狭くて寝苦しい上に、寒くて目が覚めたのだった。面倒でもこのままではしょうがないので、助手席に移ってジャンパーを着込み、大型のシュラフを出して来てそれを被った。これで寒さ対策は万全である。やっと本格的な眠りに就く態勢をとったのだった。
 
 それでも、狭い車の寝苦しさには変わりない。何だか狭い牢屋の中に押し込められて拷問にあっているかのようだ。昔、江戸時代にそんな牢獄があったと聞く。体を伸ばして寝るだけの大きさがなく、囚人は絶えず体を曲げていなければならなかった。そこに何年も投獄されたのだ。
 
 それに比べれば、こちらはたった一晩のことなのだが、それでも熟睡などは到底できたものじゃない。夜中の12時半頃、また目が覚めた。体のあちこちが痛む。おまけに、昨日の昼食時にやけどした上あごもひりひりする。外に出て体を伸ばし、ついでに空地の隅に寄って小用を足す。空を見上げると、一面に曇が掛かっている。しかし真っ暗ではない。雲はボンヤリ白く浮き出て、この地上をほのかに照らし出している。何だか体がフラフラする。立っているのも難しいくらいだ。どうやら別世界に迷い込んでしまったらしい。よろめきながらまた狭い車の中に戻り、現実世界に戻る為、また眠りに就くのだった。
 
  
 
 翌日は4時過ぎに目が覚めた。晴天ではないが雨が降るような天気でもなかった。車の周囲には昨日と同じ空地があるばかりである。朝の訪れに目覚めたらしく、一匹の大きな蜂が飛んで来て、車の周囲にまとわり付く。フロントガラス越しにまじまじ見る蜂はグロテスクだった。こんな大きな蜂に刺されたらかなわない。この時期にアブや蜂は多く、要注意である。
 
 さて、こちらも起きて行動である。蜂の縄張りのこの空地での朝食は諦め、早々と車を走らせることとする。今日こそは新潟県に辿り着かなければならないのだ。
 
 野宿地の朝
 
昨夜はテントも張らずに車内泊となった
 
  
 
 群馬・長野県境付近の野宿は、今回は見事に失敗であった。慣れた所と思っていても、やはり野宿は難しい。毎回毎回、初舞台である。
<初掲載 2005.11.13>
 
  
 
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