サラリーマン野宿旅

惨めで悲惨な車内泊


 車内泊はしようと思ってするのではない。旅に使っている車は軽自動車で、キャンピングカーなどという代物ではない。誰が好き好んで窮屈な軽自動車の中で一夜を明かしたいと思うものか。特にこのジムニーというのは4ナンバーの貨物車である。荷室が広い代わりに運転席のシートを目一杯後ろにさげ、リクライニングを倒れるところまで倒しても、身長173cmの私の体を伸ばせるだけの空間は得られない。大き目のテントの中で手足を自由に伸ばし、ゆったり眠るのは魅力的なことなのだ。だから3〜4人用のテントを一人で使い、シュラフも外国製の大きなものを使っている。

愛車
この車は走破性がよく、旅の道具として気に入っているが、こと車内泊には向いていない。

 車内泊は緊急避難的に止むを得ずするのだ。どうしてもテントを張るだけのスペースがある野宿地を見つけられなかったとか、大雨などの悪天候でテントを張れないとか、野犬やクマが怖いとかである。野宿が駄目ならホテルや旅館に切り替えればいいと考えるかも知れないが、そう簡単ではない(それは予算の問題では決してない)。野宿をしようとして結局諦めた場合、周りは人家などもない辺ぴな所である。宿泊の予約をしようにも公衆電話がある筈もない。携帯電話を持ち合わせていてももちろん圏外だ。近くに山中の一軒宿があったなんて都合のいい話しはありえない。旅館やホテルが確保できる都会まで延々と車を走らせなければならないのである。日も落ち暗くて景色も楽しいめない走行を続けるのは詰まらないし危険でもある。その日一日旅をしてきた疲れも出てきていて、早く体を休ませたい。そんな時に車内泊とするのだ。

 野宿旅では野宿地を見つけ出せるかが、その旅の一日の最後に残された関門である。経験を積むことにより、野宿地を探し出す感のようなものも備わるし、野宿を諦め旅館泊に切り替えるタイミングも心得てくる。しかしベテランの私でもまだそのタイミングを逸して車内泊となる割合が、野宿10回につき1回以上もあるのが悲しい。


東北の夜は更けて

 青森県弘前市の西に接する相馬村より田代相馬林道で長慶峠を目指す。今夜はこの林道沿いに野宿地を求める目論見であり、林道に入り込んだのはもう日暮れも近かった。期待通りの未舗装路で、これまた期待通りに人気など全くない寂しい道である。季節は7月下旬の初夏。山の道は標高があるので、暑くもなく寒くもなくちょうどいい。快適に峠道の旅を楽しみながらも、野宿地探しには余念がない。どこか手頃な所はないかときょろきょろするが、周りは鬱蒼と茂る原生林ばかりである。一夜を過ごすには薄気味悪いことはなはだしい。なるべく広く開けた平坦地が欲しいところだが、それどころかテントひと張りできる場所さえも見つけられず、あれよあれよと言う間に峠に着いてしまった。

 山の日暮れは早い。太陽は日没時刻を待たずに西の山陰に隠れ、谷間に暗い影を落とす。不安な面持ちで秋田県田代町へ下り始める。相変わらずの原生林にうんざりする。暫くして地図にない分岐が現れた。野宿地探しでは幹線道で見つけられない時にこうした行き止まりと思われる分岐に入り込むのが常套手段である。しかし今回はその気になれない。幹線道がこの有り様なのだから、その枝道はもっと薄気味悪いに決まっている。それと先ほどから道脇に目にする「クマ注意」の看板が気になって仕方がない。諦めて車を進める。この先地図によると早口ダムというダム胡があるはずだ。そこまで人里に下りれば少なくともクマの心配はないだろう。

早口ダム
早口ダムに着いたが暗くて何も見えないので看板の写真だけ撮る。野宿地が見つからない。

 ヘッドライトを点してただただもくもくと車を運転する。周囲の雰囲気が変わり、開けた感じがすると思ったら、その湖に出た。しかし暗闇に湖面は望めない。しかたがないから湖の看板の写真だけ写す。周辺が一瞬カメラのフラッシュで明るくなったが、直ぐにまたもとの暗がりである。周りを見回してももう野宿地を見つけ出すだけの視界がない。そそくさと車に乗り込みまた走り出す。見える物はヘッドライトに浮かび出た砂利の路面と、道を覆い被すように生えた草木だけである。ただ車を走らせているだけで、もう何の考えも浮かばない。疲れて何も考えられない。道が舗装路に変わった。街灯や人家の明かりがぽつぽつ見え始める。このまま進めば町中に入ってしまい、そうなればテントなど張れない。咄嗟に何処とも知らない分岐に折れる。直ぐにヘッドライトに道脇のわずかばかりの空き地が映った。とにかく車を乗り入れ、エンジンを切り、ライトを消し、シートに体をもたれて気持ちを落ち着かせる。

 目が暗さに慣れてくると周囲が見えてくる。この空き地の周りには田畑が広がり、少し離れた所には数件の人家が点在していた。傍らの道は山に向かっているから多分行き止まりで、これから夜にかけて通る車などないだろう。通ったとしてもこの道の奥に住んでいる僅かな住人が家路に急ぐ車くらいなものだ。さすがに道のすぐ脇にあるこの空き地にテントなど張ったら不信に思われてしまうが、車を止めておくだけなら大丈夫だろう。残念だがこのまま大人しく車内泊と諦めた。

 疲れて夕食も取る気になれない。でもあんまり惨めなのもしゃくに障るのでポケットコンロでお湯を沸かし、即席スープなど飲む。ラジオをぼんやり聞きながら眠気が襲ってくるのを待つ。明日は人目に付かない様に早朝に出発しようと思いながら眠りについた。


奥只見湖に日は落ちた

 新潟県湯之谷村と福島県檜枝岐村にまたがる奥只見湖周辺は地図を見ただけでも如何にも荒涼とした景色が楽しめそうなところだ。当然野宿地も期待できると思い、その様に旅程を組んだ。関越自動車道の小出インターを下りて国道352号を進む頃にはもう正午を大きく回っていた。まずは手始めにトンネルばかりの奥只見シルバーラインで奥只見ダムに向かう。9月中旬の天気のいい土曜日とあって、ダム周辺には行楽客が多く、私には全く不似合いである。もちろん野宿など望むべくもない。

 しばし華やいだ観光客の中を場違いのみすぼらしい男の姿が徘徊していたが、間もなく居心地悪そうに長いトンネルをまた引き返して行った。国道に戻り、湖に沿う道となる頃には、男にふさわしい荒涼とした景色が広がりだした。それを見てやっと男も落ち着きを取り戻したのだった。湖の周囲は大小幾つもの谷が深く切れ込み、湖は複雑な形を成している。道も当然屈曲が多い。谷の対岸の直ぐそこに道が見えても、そこまで行き着くには谷の奥まで入り込み、橋などで谷を渡り、また延々と戻らなければならない。やたらと時間が掛かる道であり、そんな道を男は嬉々として楽しみだした。しかし別に車を飛ばす訳ではない。連続するコーナーの走りを楽しんでいるのではないのだ。むしろ他の車より走り方は遅い。交通量が少ないといえども国道であり、そのうち1、2台の後続車が後ろにピッタリついてしまう。すると男はすまなそうにその小さな軽自動車を道の端ぎりぎりに寄せてやり過ごし、また一人でとことこ走り出すのだった。しかしそれでいて男は自分のペースを頑なに崩そうとは決してしない。ゆっくり走ることで周りの景色を楽しめるのが何よりと思っているのだ。きょうきょろよそ見などはしなくても、ゆっくり走れば視野が広がり、自然と景色が目に入ってくる。自分がその荒涼とした風景の中に一人ぽつんと置かれている寂しさを心地よく思っているふしがある。数えきれないカーブもひとつひとつ丁寧に曲がっていく。まるで愛着のある物を愛でるように。するとその気の遠くなるような道程も男には何の苦にもならなかった。

 ただ男ににはひとつ気掛かりがあった。その日のねぐらである。人気の無い所で野宿をすると決めていたが、この道沿いにはいい場所がない。幾つかある林道の分岐にはことごとくゲートが掛かり、男の侵入を拒んだ。まさかこの国道脇にテントを張るわけにもいかない。時間は容赦なく過ぎていく。男は沈み行く夕日を眺め、途方に暮れて立ち尽くした。

奥只見湖の夕日
奥只見湖の夕日。さてこれからどうしよう。

 夕日を眺めて感傷に浸っていても仕方がない。尚も車を進めるが、どうもいつものいやなパターンになりそうな予感がする。道は湖を離れ只見川に沿って遡る様になる。もうヘッドライトを点けなければ走れない暗さだ。道路の直ぐ脇のこんな所にと思う場所にテントがちらほら見られる。川原に出られそうな脇道に入り込んだら、川岸の狭い草むらの様な所に先客が居た。気の毒になりそうなキャンプである。夜更けに突然ヘッドライトの明かりで脅かしてしまったのを悪く思いながらまた国道に引き返す。

 全く日本のキャンプ事情は惨めなものだ。アウトドアブームで物はあふれ、立派なキャンプ道具が比較的安く手に入る。しかし肝心なキャンプをする場所が少ない。管理しきられたキャンプ場を嫌ってどこか自然のキャンプ場所を求めても、なかなかないのがこの狭い日本の現状だ。特に野宿旅は出たとこ勝負である。キャンプそのものを楽しむのなら、前もってよさそうなキャンプ地を探しておくなり、以前使って気に入っている所をまた使うなりすればいい。しかし野宿旅では丁度日が暮れた所で野宿場所を探さなければならない。今まで何度も野宿しているが同じ場所で野宿したことは一度もない。野宿旅で野宿地を探すのは大変なことなのだ。

 他人の惨めなキャンプを哀れんでいる場合ではない。もう日はとっぷり暮れて野宿地を見つけるだけの視界はなくなった。あとはなるべく人に煩わされることがない所で車内泊するしかない。道は県境を越えて福島県檜枝岐村に入る。広い待避所でもあればそこに車を止めるのだが、今はそれさえもない。道幅は更に狭くなり、曲りくねった上り坂が始まった。この先車一台止める場所さえあるとは思えない。その時ひとつの林道の分岐がヘッドライトの明かりの中に見えた。咄嗟に車を突っ込む。道は入口より10m程の所に朽ちかけた丸太が横たわり、通行止となっていた。見るからに廃道と思しき林道である。草や枯れ葉が路面を隠し、両脇から木々が覆い被さっている。薄気味悪く車から外に出る気もしない。ここが今日の宿泊地だと思うと悲しくなってくる。フロントガラスから見上げれば梢の隙間から月がこうこうと照っている。


小樽は祭り

 久し振りの北海道の旅を終え、明日は小樽発新潟行きのフェリーで帰路につく予定だ。出港が午前10時だから9時には乗船手続きをしに港に行かなければならない。今夜は奮発して小樽市内のホテルに宿泊して体調を調えることにする。なにしろ船に弱いので長距離フェリーに乗る前は体の具合に気を付けなければならない。野宿が続いたので今夜はあったかい風呂とふかふかのベッドでゆっくり休むとする。しかしホテルの予約はまだ取っていない。今回の旅は7月下旬という時期外れに特別に取れた9日間の連休を利用したものだった。8月中旬の夏期休暇真っ盛りならともかく、この時期なら簡単に宿泊予約が取れると楽観していた。電話代がもったいないからその日の午後早くに小樽市内に入ってから公衆電話で電話する。ところが何件あたっても皆満杯ですべて断られた。小樽市の周辺の町もあたったが無駄であった。どうも様子がおかしい。そういえば町の雰囲気がなんか違う。どうも小樽の祭りがあり、その為に宿泊施設が一杯なのらしい。とんだとばっちりを受けてしまった。

 諦めて急きょ野宿に切り替える。看板で知った近くの天狗山の方にあるキャンプ場に行ってみるが、家族連れのキャンパーで賑わい、やはり場違いな気がして利用するのはやめた。小樽市街でうろうろしても野宿地が見つかるわけもないので、適当に定山渓温泉に通じる道道に進んでみる。途中コンビニによって弁当を買う。いつも車内泊になった時は大抵夕食を作って食べる余裕がない。弁当なら直ぐに食べられる。もうこの時点でテントを張ることは半ば諦めていた。朝里ダムのループを走る。昔オートバイでこの道を走ったときはダムはまだ工事中であった。随分立派な道になってしまった。ダム湖周辺はよく整備され駐車場も多く、トイレなども完備されている。ここで車内泊にしてもいいと思う。小樽港にも近い。しかしまだ日没までには時間が少しあり、テントで休むことに固執してその後延々と定山渓温泉の方まで走りくどくどと野宿地を探したが、朝里ダム湖で車内泊する以上にいい野宿地は見つけられず、結局湖に引き返して来た。

朝里ダムループ ダム湖

         朝里ダム下流のループ                ダム湖  この景色を見ながら車内泊

 コンビニで買った弁当はやっぱり役に立った。おなかが一杯になれば気持ちも落ち着く。近くにトイレや水道もあり、考え様によっては下手な野宿より快適でもある。水に不自由することなく手や顔を洗い、歯も磨ける。湖の眺めもいい。ただ夜になって時々通る車のライトが煩わしい。それに真夜中にやってきて、近くに車を止めるやつがいた。こんな夜更けに何の用か不気味である(相手もこちらが不気味かもしれないが)。暫く様子を見ていたが、またぷいと走り去っていったので安心して眠りについた。


  車内泊をした翌朝は人目に付くのを嫌って早々と出立する。わざわざ朝食を作って食べたりはしない。窓の外が白んでくるとエンジンをかけ、ライトを点け、惨めさを振り払うように旅の続きの道をまた走りだすのである。まるで昨夜一晩そこで眠ったなんてことは嘘で、何もなかったかのように。


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