サラリーマン野宿旅

野宿の夜にテントの中で一人で過ごす方法


 随分わびしいテーマだ。野宿の夜に、テントの中で、しかも一人で過ごす方法など誰も関心などない。そんなハウツウを知ったところで、わざわざそこだけ好んで実践しようなどと思う者はいない。しかし野宿旅を行うに於いては、避けて通れない課題である。夜の過ごし方次第によっては旅が台無しになったり、はたまた有意義なものとなったりするのだ(そんなばかな)。どのような事をするのかで、その野宿の旅人のポリシーの一端が窺えるというのもだ。


夜中の焚火 焚火もそろそろ終了し、テントに潜り込むとする
4月30日 新潟県青海町橋立ヒスイ峡の近くの高台 テントから頭を出して星を眺める

 その日の旅程が終了し野宿地もどうにか確保、テントを張り寝床を仕立ててから夕食を済ませる。日が落ちれば眺める景色もない。焚火ができれば少しはテントの外で火遊びでもしているが、そんなに長くはできない。結局テントに入ることになる。

 テントの中はいつもの寝室だ。エアマットの上に敷いたシュラフに横になる。横たえた体の右側のいつもの所に懐中電灯やラジオなどを置き、明かりはいつものローソクを灯す。小さなローソクの炎一つでテントの中は十分明るい。

 寂しい野宿、何か音楽でも欲しい。ラジオをかけるが大抵の場合受信状況は悪い。野宿をする場所は山の中やそうでなくとも辺ぴな所なので電波が届かないのだ。ただ夜になるとフェーン現象と言ったろうか、電離層で電波が反射してどうにかAM放送が聞けたりする。しかし民放はまず無理で、NHK総合か教育である。気のきいた音楽は望めない。「福祉の時間」などの番組がある。普段視聴することが滅多にないので、たまには神妙に聞いてみる。障害者の方のご苦労などの話はテントの中で一人で聞いているとあまりにも心にずっしりきてしまう。
 天気予報などは旅には重要なことなので聞き耳を立てる。しかしよくよく聞いていると今いる場所とは全く離れた地方の天気予報だったりする。電離層で反射してきた電波はぜんぜん関係ない他方の局のものだった。
 ニュースなども熱心に聞こうと思う。旅を続けていると世界情勢に疎くなる。野宿の旅人といえども帰れば社会生活を営む立派なサラリーマンである。常に情報のアンテナは張っておかねばならない。しかしNHKのラジオニュースは同じことの繰り返しが多い。昼間車の中で聞いたことと一字一句全く同じに喋っている。
 また電離層を反射してきた電波は不安定だ。受信状況が周期的に悪くなる。無駄と知りつつチューニングを合わせ直したり、ラジオの向きを変えたり持ち上げたり、最後には叩いてみたりするがだめだ。アナウンサーが「若い女性が路上で…」。肝心なところが聞き取れない。世界情勢を聞き逃した。頭にきてスイッチを切る。

 折角都会のネオンから遠ざかった所で野宿しているのだから、星空を眺めない手はない。横着をしてテントから頭だけ出す。体はテントの中のシュラフの上に横になったまま、テントの外に枕代わりになる物を置いて頭を乗せ、くつろいだ姿勢で眺めるのだ。人が見たらかなり間抜けだが、こんな所で他人の目を気にする必要はない。
 目が慣れてくると満天の星空に驚く。今は高層マンションが立ち並ぶ私の生まれた所も昔はこんなふうに星が眺められたのだろうか。ひととき感慨にふけるが、自然オンチで星に関しても知っている星座は北斗七星とオリオン座だけである。直ぐに飽きてもじもじしてくる。時々彼方に飛行機の明かりなどが走ればその方に関心が行ってしまう。終いにはUFOでも現われない限り眺める気がしなくなる。天体観測も長続きはしない。


熊を見た夜 前日熊に遭遇。やっとの思いで辿り着いたい野宿地の朝
3月27日 奈良県十津川村池郷林道脇

 テントの中でやっておかなければならない事がある。今日の旅の道筋の確認と明日の旅の予定を地図で調べるのだ。

 野宿旅は行き当たりばったりなので何処をどう通って来たか、後になると皆目見当が付かない場合がある。今現在テントを張っている場所が何処なのかも分からない時もある。旅は人生であり、人生の記録は残しておいた方がいい。どこそこの国道を通って、途中県道に入るのを見落として通り過ぎ、同じ道を戻るのは嫌だからと適当な村道に曲がったら検討外れな方向に進み、丁度見つけた林道についでだからと入ったら延々走った挙げ句に行止りで、そこで野宿しようとしたら熊に遭遇し慌てて引き返し、熊から十分離れる為暗くなった林道をおっかなびっくり走って、やっと別の林道にその日の野宿地を見つけた、といった記録を地図に残すのだ。

 最初は通った道を黄色のマーカーでなぞるだけだった。しかし旅を重ねるに従い、ツーリングマップのどのページもマーカーだらけになり、何が何だか分からない。そこで旅ごとに違う色のマジックで進んだ方向を道の脇に矢印で示し、日付や舗装、未舗装の区別、通行止状況なども書き込む様にした。しかし凝りだすときりがない。それにテントの中でそんな事務作業をやっているといらいらしてくる。一部の記入は旅が終わった後にまわす。また考えても考えても、この地点からこの地点にどうやって来たのか、どうしても分からないといった時がある。よって地図に残された記録には事実と反する事や漏れがままあるのである。しかし10年以上も使っている古ぼけたツーリングマップは私の宝だ。

夜中のテント ここはどの村なのかもはっきりしない
8月17日 岐阜県上之保村付近 地図に無い奥山厚波林道の峠脇空き地の野宿

 また地図で明日の辿るコースを計画しなければならない。旅に出る前に大筋の計画は立てる。日本全国の地図を持って出掛けるのは大変だからだ。最低限、北海道だ、九州だ、東北だ、四国だ、程度の計画はある。しかしその日その日の計画など全くない。野宿旅は計画してもその通りにはいかないし、勝手気ままが信条である。また野宿地などもともと計画しようがない。よってその日、野宿した所で次の日の計画を立てるのが合理的なのだ。

 勝手気ままなら計画など全く立てなければいいと思うかもしれないが、それは素人である。人はある程度計画というか指針がないと行動に不安と迷いを感じる。それにいい林道や峠道を逃してしまうことにもなる。計画がないと結局行き当たる分岐の都度、地図を引っ張り出して面倒なのだ。そこで前の晩に地図を眺め、いい道はないかと物色する。昔はそれが楽しかった。まだ行ったことがない場所が沢山残っていたからだ。しかし最近は困った事にどのページをめくっても行くべき所がない。一度通った道はなるべく通らずに、それでいてなるべく景色が良くて、辺ぴな道を走り繋いでとあれこれ考える。そのコースは究めて複雑極まるものとなる。地図帳のあっちのページからこっちのページへと行ったり来たり目が回る。めぼしいページに指を挟み何度も比較検討しているうちに何が何だか分からなくなり、遂には地図帳を放り投げる。そして翌朝どちらに出発するのかまた地図を見て悩むのだ。


 よくキャンプにはアルコールが付き物のようだ。じっくり飲みながら時間を過ごせるものなのかも知れない。というのは私は全く飲めないのだ。テントの中で飲むのは人の3倍の砂糖を入れた甘ーいココアである。そんなものはさすがに毒なので何杯も飲めない。ましてや時間潰しにはならないのだ。

 有り触れたところで読書などしてみる。断っておくが間違ってもピンク雑誌などでは決してない(わざわざ断るのがあやしい)。文学小説や哲学の本である。買うのはもったいないから図書館で借りて持って行ったりする。しかし後でやっぱり自分のお金を使わなくて良かったと安堵するのだった。

 テントの中の明かりであるローソクは空缶の中に立てて下に置いてあり、必然的に明かりは下から上に照らす。よってあぐらをかいて座った姿勢で本や地図を見ると手暗がりになる。世の中にはキャンプ用のキャンドル立てが売られていて、それだとテントの中に吊るしてもテントを燃やす心配がない。しかし何千円もする。7.5号のローソクが20本も入って380円の毎日ローソクを、要らない空缶に入れて使ってきた野宿旅では、そんなキャンドル立てなど予算…、ではなくポリシーが許さない。仕方なく体を横たえ、本を上に掲げて下から見上げる様に読む。暫くすると本を持ち上げている腕が疲れてくるのだ。それにローソクは太陽光の様な白色光ではない。赤み掛かった色をしており、物の色の区別がつきにくい。特にグラビアの肌色が奇麗に出ないのが困る(何の本を読んでいるのだ)。結局テント内の夜の読書も長続きしない。


薪は豊富 こんな山奥 夜にはテントの中で物思いにふける
10月7日 長野県王滝村林道脇 付近に人気は全く無し

 最後はローソクの明かりで照らされたテントの天井を見つめ、腕組みして物思いにふけるのである。自分の人生とはどうあるべきか。人の幸福とは何か。生きる価値とはどういうことか。崇高なテーマを選ぶのだが、だんだん横道にそれる。悪くするとうまくいかない会社の人間関係だとか、なかなか成果が出ない仕事の事とか、旅に出てまでもついてまわるサラリーマンの性が悲しい。

 結局下手な考え休むに似たりと、早く寝るに限る。野宿旅では普段の暮らしより、少しでもより自然に近い生活をするのがいい。だから暗くなったらいつまでも人工的な明かりを点けていないで早めに休む。朝は空が白み始めたらもう起き上がる。

 日が暮れても会社の一室でこうこうと明かりを点けて残業したり、ネオンで昼間の様に明るい町中を徘徊したり、深夜をまわってもやっているテレビ放送を見続けたり、そして朝は昼近くまで布団に潜り込んでいる。普段はこうした生活に何の疑問も持たない。それが野宿旅で気付かされる。人も自然の一部。日の暮れと共に眠り、日の出と共に目覚める。それがよいのだ。

朝の焚火 早朝はまだ寒い。焚火を起こす
3月27日 三重県大内山村千石越林道から分岐する支線林道(青山線?)終点の野宿の朝


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