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仁田峠
 
にた とうげ

 初掲載 2000. 6.12 「今月の峠 2000年6月」として

 
仁田峠
仁田峠 (1991年5月1日撮影)
 
 長崎県の島原半島。その形から、何となく人間の体の腎臓を思い出すのは私だけだろうか。その半島の中央には観光で有名な雲仙がある。1990年の暮れからは雲仙普賢岳が噴火し、翌年には大きな被害が発生したことでも人の記憶にあるだろう。
 仁田峠はそうした雲仙の真っ只中にある峠だ。標高は1,080mと、半島の中にある峠にしては思ったより高い。深江町と小浜町の境にあり、雲仙妙見岳と野岳に挟まれた断層鞍部に位置する。昭和32年に完成した仁田峠循環有料道路が走り、まさしく観光地の峠だ。

 「峠と旅」では、観光地どころか、ただでさえ人が通らないような峠ばかりを挙げているが、それからすると仁田峠は場違いな峠かもしれない。でも、個人的には懐かしい峠で、記憶の中ではもうセピア色になりかけている。
 今でこそ観光地を避けて辺ぴな所ばかり旅をしているが、人並みに有名観光地も訪れてた時期はある。雲仙を訪れたのは、オートバイでの九州初めてのロングツーリングの時で、そのアルバムを見ると九州各地の観光地が写っている。白い蒸気を上げた雲仙地獄などもある。上の仁田峠の写真もそうした中の一枚だ。そこからは雑然とした観光地のイメージなどではなく、懐かしいような切ないような気持ちが沸き起こる。旅をするのにまだまだ余裕がなく、その日の宿なども気にしながら、AX−1に跨りせわしなく続けていた旅の一場面である。
 

 仁田峠は薊(あざみ)谷を経て普賢岳に登る登山道の分岐点であったそうだ。ニタは湿地を表すという。ヌタ(沼田)が転訛したものとも言われる。それが峠名の由来だとすれば、今は観光客が押し寄せる仁田峠も、昔はは草が一面に生い茂る湿地だったらしい。

 写真の場所には「仁田峠」と書かれた立派な石碑もあり、峠と呼んでいいと思うが、道の最高所はもっと手前にあったような気がする。石碑を写しながら峠にしては腑に落ちないなと感じた記憶がある。道路に沿って広い駐車場があり、駐車場から少し歩くと妙見岳へ登る雲仙ロープウェイの駅がある。国立公園最初の観光ロープウェイだそうで、昭和32年開通と古い。ライダーブーツを履いたまま、観光客に混じって恥ずかしげもなく乗ったのだった。頂上駅からの眺めは素晴らしく、眼下の峠から遠く橘湾も見渡せた。
 
 同じアルバムの中にはどこから写したか分からないが、黒い噴煙をたなびかせる山がAX−1のバックに写っていた。多分島原市中を走っている時に噴煙に驚き、思わずバイクを止めて写したものだ。普賢岳の火砕流により大きな被害が発生したのは、この後のことである。

 仁田峠を越えたくらいの時期からは、徐々に旅先で観光地を訪れることは少なくなった。その為、その後何度も九州を旅しているが、雲仙や、当然仁田峠にも2度と行っていない。もう一度見てみたいような気もするが、多分このまま行かずにいた方がよさそうだ。旅慣れた今の自分にとっては、実物の仁田峠を目のあたりにするより、記憶の中に残っているおぼろげな仁田峠の方が、ずっといい峠に決まっているからだ。

 
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