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古くからの日本三大峠について
 
 このホームページ「峠と旅」では、勝手に「三大峠」を提唱しているが、そこはそれ、歴(れっき)とした「日本三大峠」というのがある。車やバイクで旅ができない峠では、私にとって縁遠い存在なのだが、同じ峠として気にならない訳でもない。しかも数年前には日本三大峠の一つである雁坂峠にトンネルが通じ、本来の峠ではないにしろ、車やバイクで容易に訪れることができるようになった。
 
 そこで、古くからある日本三大峠に敬意を表し、どんな峠なのか少し調べてみようと思うのであった。ところがどうも良く分からないのだが・・・。
 
 一体どの峠が日本三大峠?
 
 まず、その3つの峠はどれかという最も基本的な問題で、つまずいてしまう。よく見るのは、
 
 ●針ノ木峠(はりのきとうげ)/北アルプス
 ○三伏峠(さんぷくとうげ) /南アルプス
 ●雁坂峠(かりさかとうげ)/秩父山脈
である。ところが次のように記述されているものも多く見掛ける。
 
 ●針ノ木峠
 ○夏沢峠(なつざわとうげ)) /八ヶ岳
 ●雁坂峠
 
 すなわち、日本三大峠の内の一つを「三伏峠」とするものと、「夏沢峠」とするものに大きく分かれているのだ。針ノ木峠と雁坂峠は間違いないようだが、三伏峠か夏沢峠かが問題である。結局、いまだ謎である。
 
 日本三大峠の所在地
 
 ●針ノ木峠
 長野県大町市と富山県立山町との境
 飛騨山脈の針ノ木岳(2,821)と蓮華岳(2,799mとの鞍部
 
 ○三伏峠
 静岡県静岡市と長野県大鹿村との境
 赤石山脈の烏帽子岳(2,726m)の西約1km
 
 ○夏沢峠
 長野県南牧村と同県茅野市との境
 八ヶ岳連峰の硫黄岳(2,760m)と天狗岳(2,646m)との間
 
 ●雁坂峠
 埼玉県大滝村と山梨県三富村との境
 秩父山地の雁坂嶺(2,289.2m)と水晶山(2,158m)の鞍部
 
 
 日本三大峠とされる根拠は?
 
 少なくとも古くから使われ、交通の要衝とも言われた峠のようだ。「日本書紀景行記」なるものにも登場するらしいが、歴史は大の苦手で、勝手ながら深入りは避けることにする。
 
 それから、ただ古い峠というだけでなく、どれもその標高が非常に高いのが特徴となっている。
 
 ●針ノ木峠:2,541m(2,536mとも)
 ●三伏峠:2,580m(2,615mとも)
 ●夏沢峠:2,392m
 ●雁坂峠:2,082m(2,050mとも)
 
 どれもこれもそうそうたるものだ。「峠」の文字がつく中では、三伏峠が1番で、針ノ木峠が2番だ、とする見方もある。ただ、標高というのは計測さえすれば、はっきりとした数値として出てきそうで、それが案外厄介なのだ。例えば雁坂峠の標高は2,082mとするものと、2,050mとするものがある。どうも、昭和34年の台風被害により、古い峠の数10mほど下に現在の峠が付け替えられたらしい。よって、現在の雁坂峠の標高は2,050mで、日本三大峠としての本来の雁坂峠は2,082mということになろうか。また、どこが日本で最高所の峠かということになると、「峠」という名はつかなくても、「越」と呼ばれる高い道がある。「峠」と「越」とを区別すべきだろうか。なかなか難しい。
 
 ちなみに、車道が越える峠としては、大弛峠(山梨県牧丘町・長野県川上村)が2,360mと高く、峠の名はないが乗鞍スカイラインの長野・岐阜県境が2,715mと群を抜いている。残念ながら、乗鞍スカイラインはつい最近、一般車の通行が禁止され、もうマイカーで訪れることはできなくなったが。
 
 また、標高が高いというだけなら、特に雁坂峠より高い峠はいくらもありそうなものだ。でも、それらは日本三大峠にはなっていない。古くから使われ、ある程度の価値がある峠で、かつ標高が高いものが日本三大峠と言われているのではないだろうか。かなり曖昧な解釈だが、あちこちで聞く日本三大×××とかいうものは、案外客観的な根拠がなく、主観的な選ばれ方をしているのかもしれない。
 
 日本三大峠の順番は?
 
 些細なことだが、日本三大峠をどの順番で挙げるのか決まっているのだろうか。大抵が、針ノ木峠、三伏峠(または夏沢峠)、雁坂峠の順である。
 仮に標高が高い順に並べると、三伏峠、針ノ木峠、夏沢峠、雁坂峠となる。
 
 夏沢峠を日本三大峠の一つとするなら、丁度標高順になっていることになる。しかし、三伏峠を日本三大峠とすると、標高順にはならない。標高とは別の何らかの理由があることになる。それは峠の重要度などであろうか。あるいは歴史の古さであろうか。
 
 日本三大峠の変遷
 
 北アルプスだとか南アルプスだとか八ヶ岳とか、どれも大変険しい山岳地帯に築かれた峠道だ。夏沢峠を除けば、他は皆、現在の県の境に位置する。夏沢峠も長野県と山梨県との県境に近い。こんな所を人や物資の交流があったとは信じられないほどである。しかし、針ノ木峠は江戸期から明治末期頃まで、越中(富山県)から信州(長野県)への、塩や魚、薬の移入路として使われたそうだ。また、雁坂峠は甲州(山梨県)と武州(埼玉県)を結ぶ秩父往還または甲州裏街道と呼ばれ、秩父三十三番霊場巡りや三峰山への修験者も通り、明治中期頃まで重要な交通の要路だった。
 
 しかし、鉄路や自動車交通の急激な発達の陰に、こうした峠がさびれていくのは世の常である。現在の日本三大峠で、交易などの実益的な役割を担う峠はなさそうだ。どれもハイカーやアルピニストの間でのみ話しが聞かれる峠となってしまった。今では針ノ木峠は後立山連峰縦走路の起点として、また三伏峠は南アルプス、夏沢峠は八ヶ岳登山の基地としてアルピニストで賑わい、雁坂峠は奥秩父主脈の登山者が訪れる峠となっている。
 
 元々は物資の輸送などの実益的な峠道として、三大峠に選ばれたのだろうから、行楽目当てで使われる現在の峠には、本来の日本三大峠としての意義は、もう見出せないのではないかと思う。ただただ、その歴史を偲ぶばかりだ。単に標高が高いだとか、あるいは景色が素晴らしい峠だとかの三大峠なら、長く世に通用しようが、人の歴史に深く関わる三大峠の運命は、時の流れに翻弄されることになる。
 
 日本三大峠と車道
 
 勿論、日本三大峠の峠そのものに車道が通じている所はどこもないが、近くに車道が抜けるようになった峠がある。
 
 一つは針ノ木峠で、昭和33年に峠の北数kmに針ノ木隧道が開通している。赤沢岳の山腹を抜けて大町市の扇沢と立山町の黒四ダムを5.4kmで結ぶ関電トンネルである。あの石原裕次郎主演の映画「黒部の太陽」を思い出す。現在は立山黒部アルペンルートとして非常に人気の高い観光ルートに組み込まれている。関電トロリーバスが運行しているが、一般車は通行できない。
 

トロリーバス (黒四ダム駅にて)
 
 もう一つは前述の雁坂峠で、それまで埼玉と山梨は県境を接しながら車道が一本も通じていなかった。そこに雁坂トンネルが初めて開通した。一般に通行が開始されたのは、1998年4月のことである。
 

雁坂トンネル (撮影 2001. 7. 1 )
埼玉県側の雁坂トンネル坑口
 
 
 立山黒部アルペンルートや雁坂トンネルは、一般人でも比較的簡単に旅行することができようが、本来の日本三大峠となると自分の足で登るしかない。勿論、ひ弱な私は日本三大峠のどの峠も訪れたことがなく、どんな所だろうかただただ想像するばかりだ。当然ながら、ここに掲載できる写真の持合せもない。山歩きは好きな方だが、北アルプスだ八ヶ岳だと、本格的な山は無理なのである。それに、歳はとるばかりで、最近は東京近郊にある高尾山が関の山といったところだ。残念ながらこの先も、日本三大峠を訪れることは決してないのであった。
<初掲載 2004. 9.12>
 
 参考資料
 
 角川 地名大辞典 長野県、富山県、埼玉県、山梨県
 昭文社 ツーリングマップル 3 関東 1997年3月発行
 その他、各種ホームページにて
 
三大峠
 

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