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松姫峠  変貌しつつある峠道
まつひめとうげ


<掲載 1999/ 3/10> 今月の峠 1999年 3月

松姫峠
松姫峠  奥が大月市、手前が小菅村
1月下旬、道の両脇に雪が残っているものの、路面凍結もなく峠越えができた

 奥多摩方面に日帰りの遊びに行った時など、よくこの峠を越えたものだ。それなりの峠道で、最初に越えたときなど、わくわくしたものだが、何度も通るうちに慣れっこになってしまって、このホームページに載せる峠として、これまで思いつくこともなかった。慣れとは怖いもので、この峠道ではうかつにも一度バイクで転倒したことがある。今は国道に昇格し、ダム工事を伴って大きく変貌しようとしている峠道だ。

小菅村 小菅村案内マップ

 松姫峠は山梨県北都留(つる)郡大月市と小菅(こすげ)村の境にある。道は甲州街道の大月から小菅村を通り、奥多摩に通じている峠道だ。自宅より程よい距離にあり、休日の一日を奥多摩にドライブする時、行きや帰りに通る周遊コースとしてもってこいなのだ。小菅村は奥多摩湖の上流、東京都に接する位置にある。旅館や民宿、キャンプ場、スポーツ施設と山里の村にしては賑やかだ。面白いものでは原始村なる昔の住居を再現した施設などもあり、都心からの行楽客が訪れているようだ。

 村の中心地より峠に向かうと、途中左に鶴峠を越えて上野原町に通じる県道を分岐し、その先どんどん高度を上げていく。こちら側は北斜面にあるので、冬期は路面凍結がやや心配される。この道はもともと県道大月奥多摩線のはずだったが、近年いつの間にか国道139号になっていた。ある時気付くと、似つかわしくない国道標識が立っているではないか。しかし小菅村側の道は、10年ほど前と比べてもほとんど変わりはない。相変わらず威張って国道と言える道ではないのだ。しかし道幅も十分ある舗装路で、景色で楽しみながら走っていると、峠まで楽に登れてしまう。

 松姫峠は明るく開けた峠で、標高1250m、山梨県知事による石碑などがある。大月側に少し下ると眺望もいい。名前の由来は、武田信玄の息女松姫が、八王子に逃げ延びる時に越えた峠とのことで、名付けられたそうである。この峠については「続 多摩」(米光秀雄、他、著)という本に少し出てくる。その記述や出版年などからすると、昭和44年ごろに車道として開通した峠のようだ。大月市の和田集落を訪れた著者が青梅に帰る時に、地元の方から地図にも載っていないこの新道のことを聞いて、開通の翌年に車で峠を越えている。本の冒頭にその時の松姫峠の写真が載ってた。道は当然のごとく未舗装で「松姫峠」と書かれた木の柱が峠に立っている。道の傍らには著者が乗って来た車であろう、今から見れば如何にも旧式の車が一台停まっている。全く貴重な写真だ。その時には既に県知事の書による石碑があったと書かれていたが、現在のものと同じものだろうか。ただ写真に写っていた木の柱は、現在はもうないように思うが。

「松姫峠」の石碑 「山梨県知事 田邊国男」 松姫峠の碑

 大月側の道はやや険しい。松姫峠は大菩薩峠より連なる牛ノ寝通りと呼ばれる尾根に位置する。その尾根より派生する複雑な支脈を幾つも乗り越えて行くのだ。いつもならこの様な峠道は慎重に下るのだが、何度も走りなれた道となると、つい油断してしまう。

 ある年の初冬にオートバイで奥多摩をあちこち走り回り、日も傾いてきたので、さて帰路につこうと思った時、いらぬ欲が出た。奥多摩有料道路(現在は無料となった奥多摩周遊道路)でも使って無難に帰るつもりが、最後に松姫峠の峠越えも楽しもうと考えた。小菅村から登り、一気に峠に着く。そこにはオンロードバイクの二人連れが休んで居り、私が着くと同時に大月へ下り始めた。まだバイクの初心者らしく、のろのろと走って行く。私も時間に余裕がないので、すこし焦り気味で直ぐ後を追う。簡単に追いつくと調子に乗って走っていると、あるカーブで咄嗟に訳もわからずバイクが転倒し、左足の上に乗ったままアスファルトの路面を滑った。後で考えると、どうやら雨により山の斜面の細かい砂が流れ出て、路面に敷き詰められていたのだ。それに気付かず、大して減速もしないで曲がろうとしたから、あっという間に転倒したのだ。やってしまったと、気は動転するばかり。足を挟まれ身動きできず、路面に横たわりながら助けを呼ぼうとした。叫べば前を行くバイクが気付いてくれるかとも思ったが、もう既に山陰に隠れて見えない。辺りは急激に暗くなっていく。もう泣きたい気持ちである。車でも通りかからないかと願ったが、このまま道路の上に横になっていては危険と考えて、挟まれた足をどうにかバイクの下から抜き出し、よろよろ立ち上がった。防寒のためにジーパンの下にさらにトレーナズボンもはいていたが、両方とも左膝の部分がひどく破れ、血に染まった膝が露出していた。恐る恐る触ってみるが、膝蓋骨などの骨折の心配はないようだ。他に肩などの打ち身もあるが、大したことはないようだ。皮のライダーブーツを履いていたのは正解だった。十分足首の保護に役立った。自分の体の状態がはっきり判ってくると、やっと冷静さが戻ってきた。膝の皮膚にめり込んだ砂粒などを取り除き、ハンカチを縛って応急処置をする。次にバイクを立ち上げる。左膝に力が入らないので、かなりてこずる。バイクはハンドルがひどく曲がり、クラッチレバーも変形していた。しかしエンジンは直ぐにかかった。慎重にバイクに跨り、のろのろ下り出す。ハンドルが曲がったため、直進するのにもハンドルを大きく左にきっていなければならない。ブレーキなどの異常に気を付けながら徐々にスピードを上げる。2速にシフトアップしようと、左膝をかばいながらチェンジペダルを蹴り上げるが、びくとも動かない。この先峠を下った後は国道20号を走らなければならないのだ。ローギヤのままとろとろ走る訳にはいかない。それに家まで60km前後の道程である。気が遠くなる思いだ。焦る気持ちを押さえて、とにかく停まって調べることにした。ペダルは曲がってギヤボックスに押し付けられている。素手では直せない。道端の石を拾ってきて何度か叩いている内に、辛うじて動くようになった。後はただただ峠道を下る。こんな時の峠道はウンザリするほど長く感じた。また国道20号に出てからは休日の行楽帰りの大渋滞に巻き込まれ、なかなか先に進めない。傷のためか寒さのためか、時々左膝が痙攣する。渋滞で停まったときに触ってみると、1.5倍くらいに腫れ上がっていた。結局無事に家まで辿り着き、後日バイクも自力で修理し、今に乗り継いでいる。ただしその後しばらくは階段の上り下りも苦労させられ、左膝の傷はケロイドとなり、今も生々しい記念として残っている。

ダム工事
ダム工事で変貌しつつある峠道

 その険しい大月側の道に、今大異変が持上っている。ダム建設である。道は峠よりしばらく下ると、国道20号沿いの桂川に流れ込む葛野(かつの)川に沿うようになる。その葛野川の支流の土室(つちむろ)川を堰き止めて作られる東電下部ダム(以前には葛野川ダムとの記述もあった)と、その下流深城付近の葛野川に作られる深城ダムである。その工事の影響で最近は通るたびに道のコースが変わっていく。トンネルが掘られ、橋が架けられ、国道らしい立派な道が出現している。

工事計画(右が北) 工事計画
右上が東電下部ダム、下が深城ダム

 この工事は広域に渡るもので、ここより西方の小金沢連嶺の向こうにも上日川ダムを建設中だ。こちらのダムとは導水路で結ばれ、全体では大きな水力発電所計画となっている。よってこの松姫峠の道が変わるだけではなく、上日川ダムにより日川林道(嵯峨塩裂石林道)が変貌し、葛野川の上流(小金沢川)に沿う真木小金沢林道は、何年か前より通行止の憂き目に遭っている。どの道もほんとに楽しい道であったのに。

真木小金沢林道分岐 真木小金沢林道分岐
直進が真木小金沢林道、左の急カーブが本線で大月市街へ(間違い易い!!!)
ジムニーの後ろに停まる乗用車は、私の後をくっ付いてきて、戸惑っているようだ
この場所もその内水没である

 峠直下の険しい下りを過ぎると、道は左に急カーブする。直進は真木(まぎ)小金沢林道である。日が暮れて暗い時にでも降りてくると、思わず直進してしまいそうな分岐だ。よくまごついている車を見かけたことがある。しかし今は間違って入り込んでも、その先直ぐにゲートで、工事車両以外は通してくれない。この林道の通行止は中間地点の大峠までである。真木側より上ってくると、大峠を過ぎて少し下ったところに、やはり有人のゲートがあり、通行は丁重に断られるので、こちらも潔く引き返さざるを得ないのだ。

ゲート 真木小金沢林道の深城側のゲート

 真木小金沢林道の分岐を過ぎた直ぐ先には、峠を降りてきて最初の集落深城があった。道の両脇に数件の民家がひっそり建っていて、やっと人里まで降りてきたと安堵する。日が暮れてもそれまで街灯などなかった道に、人家の明かりがポッと灯っているのを見るのは、何となく安心させられるものだ。怪我を抱えて下ってきた時は尚更であった。それがある時跡形もなく壊されていて、改めてダム工事が進んでいることを痛感した。ダムの大規模な工事現場をまのあたりにするより、その民家が取り壊された跡を見たほうが、印象的であった。

 深城を過ぎても甲州街道(国道20号)に出るまで、まだ10km以上もあるのだが、道は徐々に平坦に走り良くなる。途中右に奈良子への分岐があり、奈良子林道を通って真木小金沢林道の大峠近くに繋がっている。この近辺の林道やら峠道が軒並み失われて行くなか、この奈良子林道はいい遊び場である。但し、かなりの悪路となる時もあり、我がジムニーでさえも手が出ない場合があった。

猿橋 日本三大奇矯のひとつ 猿橋

 国道へ出る数キロ手前で、国道を離れて葛野川を渡り左の県道を進むと、猿橋(さるはし)方面に出られる。猿橋は四国徳島のかずら橋と並ぶ三大奇矯の一つとのこと。かずら橋は四国まで行った時にわざわざ観光客に混じって訪れたことがあるが、猿橋がそのかずら橋と肩を並べる奇矯とは最近まで知らなかった。現在の観光用のかずら橋は、よく見ると鉄のワイヤーで強度を持たせ、かずらのツルはそれを覆っている飾りに過ぎない。コストや安全の為には仕方がないが、興ざめは免れない(但し、渡るのは非常にスリルがある)。それに比べて猿橋はどうなのだろうか。外見からは伺えないが、もしかして中に鉄骨が通っていたりして・・・。

 既に深城の集落は消えうせ、ダム工事計画図によると、その跡地は県営深城ダムにより水没する運命のようだ。ダム工事現場付近は、古くは平将門の末裔が落ち延びて住みついたという言伝えもある土地である。松姫が越えた峠に車道が通じてからまだ30年ほどだが、特に最近の変化はこれまでにないほど大きなものだ。この峠道の変貌を見届けたい思いである。


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