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水呑峠  峠道を求めて日本有数の多雨地帯、宮川村へ


水呑峠
水呑峠 宮川村側トンネル入口

 トンネルで越えてしまう峠など味気ない。峠たるもの正々堂々と空の下を越えてほしいものだ。だからこのホームページにはトンネルのある峠は差別して、なるべく選ばないようにしている。しかしどうしても例外が出て来る。肝心な所が真っ暗な洞穴でも、その前後の峠道が良くて、無視してほっとく訳にはいかない峠がある。この水呑(みずのみ)峠ものそ一つである。
 ここは三重県の宮川村と紀伊長島町の境の峠。ご覧の様に小さく短いながらもトンネルになっている。標高は700m前後でトンネルの名前は確かに水呑トンネルだが、峠の名前として水呑峠とはあまり威張って言えない。

 と言うのは、国土地理院発行2万5千分の1の地図で見ると、この車道のトンネルの峠の直ぐ北側に、水呑峠と書かれた幅員1.5m未満の山道の峠がある。多分そちらが元祖であろう。しかもその道は紀伊長島町側で車道とは全く違ったコースをとる。車道は一旦紀伊長島町に入るが、間もなく菅ノ峠(走っていても何処がその峠かよく分からない)を越えて海山町の大河内川沿いを下る道となる。一方その山道は紀伊長島町をそのまま三戸川沿いの道へと繋がっている。これだけコースが違っているのに同じ峠名で呼ぶのは、元祖の峠に対して申し訳ないと思うのだ。

 この峠道がいいのは、ひとつには森林の村、宮川の奥深く佇む宮川貯水池と太平洋の熊野灘に面した海山町を繋ぐ峠であることだ。海と山を結ぶというのは、峠としてその意味が深い。
 宮川村は三重県下で最も面積が広い。そしてそのほとんどが林野で、耕地は1%前後に過ぎない。林業が盛んで、また日本有数の多雨地帯として知られている。この7月下旬(1997年)に台風9号が襲来した折りも、宮川村に大雨が降ったとテレビが報じていた。
 宮川村へは大台町内の国道42号より分かれる県道を宮川の左岸に沿って溯る。途中右より飯高町からの国道422号に合流して尚も進む。

宮川村イラストマップ
宮川村イラストマップ

 国道と名前は変わっても宮川ダムに通じるその道は徐々に山深さを増す。交通量も格段に減って寂しい道と変わり、反対に気持ちはわくわくしてくる(異常性格か?)。しかも宮川ダムの先には峠越えが待っているのだからこたえられない。
 左に千石越(千石越のページ参照)の分岐を分け、さらに道路右脇に「宮川村イラストマップ」なる案内板が出ているので、高ぶる気持ちを押さえつつ、しげしげと眺めたりする。案内板によるとダム近くに大杉谷林間キャンプ村なる設備ができているようだ。バンガローは分かるが、プールやテニスコートなどもあらしい。興ざめだ。気を取り直して車を走らせる。

宮川ダム
宮川ダム

 国道422号はダムに着く手前の大杉谷で宮川を渡って桧原谷川沿いの道となり、その先まだ車道はないが、池坂越あたりで紀伊長島町へ抜ける魂胆のようだ。しかし工事が進んでいる気配はない。地元の方には悪いが、役人の頭の中にある空想のままであって欲しい。そうすれば水呑峠の魅力が長続きする。
 国道から県道へと名前は戻り、道は宮川の右岸に渡る。谷はV字形にその深さを増し、遂に右手に宮川ダムの異様な姿が現われる。その先にある大杉谷林間キャンプ村は横目でちらりと眺めて素通りする。

 日頃の行いがいいので天候に恵まれ、ダムにより作られた宮川貯水池は穏やかな様相を漂わせていた。しかしここは有名な多雨地帯のど真ん中。天候が天候だと大変なことになるのだろう。今までの旅で2、3度、東京では想像もできない猛烈な集中豪雨に出くわしたことがある。車のワイパーなど何の役に立もたなかった。そんなことがここでも起こるのだろう。
 湖畔には湖底に沈んだ村があることを示す「望郷」と書かれた碑がある。裏にはダムの成り立ちなどを説明した碑文が書かれ、「秘境」の文字も見えて興味深い。

宮川貯水池
「望郷」の碑と宮川貯水池

 道はしばし寂しい湖岸を走る。こんな所にと思う場所に茶店がある。営業中だ。他人事ながら商売がやっていけるのか心配になる。
 実は1996年11月現在その湖岸途中にある小さなトンネルが通行止になっていた。トンネルの出口付近の崖が崩れかかっている。しかしゲートなどにより完全に通れなくしているわけではない。他に迂回路がないので、一応通行止にしているが、個人の責任に於いて通りなさいということだろう。こういうスタンスは好きだ。危険だからあれをしてはだめ、これをしてはだめと過保護にされている日本人。危険に関する情報は提示するが、後は自由にやりなさい。自分の命は自分で守りなさいとするのが大人だろう。トンネル手前で車を降り、歩いてトンネルを偵察。戻って対向車が来ないのを見定めて一気に通過する。
 寂しい宮川貯水池では新大杉橋の赤い欄干が一際目を引く。車一台がやっと通れる吊り橋で、意味もなく渡ってみるが、残念ながら橋の先は車では何処にも通り抜け出来ない。奈良県との境をなす鬱蒼とした森林地帯が行く手を阻んでいる。

宮川村側の展望
峠より宮川村方面を望む 秋11月

 道は貯水池の上流、桑木谷を溯るようになり、立ちはだかる山並みにへばりつく様なつづら折りが現われ、本格的な峠の上りが始まる。
 日が十分に昇り、暖かい日が差してきたので、昨夜のキャンプで夜露に濡れたテントやフライシート、シュラフを道端の草地の上に広げて干す。自分も座り込んでのんびりする。静かだ。結局乾いたテントなどを再びきちんと畳んで車に詰め込むまでの間、1台の車も通らなかった
 季節は秋。それ程見事とは言えないが、紅葉が楽しめる。それも自分ひとりの貸し切りである。

 明るく開けた谷あいの上りをゆっくり進めて峠に着く。最初にここを訪れたのは1993年3月だった。その時は峠から紀伊長島町側にはまだ未舗装区間が残っていた。右がその証拠写真である。このページの最初の写真と見比べて欲しい。この峠道の名前は手持ちのツーリングマップでは旧大杉林道となっている。完全舗装となった今では県道603号大杉谷海山線であることが道路標識で分かった。
 トンネルを抜け、峠を下ると僅かに紀伊長島町を通った後、いつの間にか海山町に入っている。

昔の峠
未舗装当時の峠

海山村側の展望
紀伊長島町側峠直下の景色 3月

 見渡す景色は山また山であるが、その先は何となく海が近い雰囲気がする。
 道は下り大河内川沿いを走る様になる。大河内川沿いにはキャンプに良さそうな河原がある。まだ日が高いので、今日はこの先の旅を進めるが、地図にメモしておいて、いつの日かキャンプしてみたい。
 そして峠道は国道42号の喧騒に出て終わる。次の峠道の旅を始めるまでに、また暫くの国道移動を続けなければならない。

海山村側の展望
県道大杉谷海山線海山町側途中  この先には熊野灘


 峠道状況(1996年11月)

 全線舗装済みで、一般の乗用車で問題なし。ただし宮川貯水池沿いのトンネル付近の落石が気に掛かる。


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