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笹子峠  甲州街道最大の難所を行く


<掲載 1998/12/19> 今月の峠 1998年12月

笹子峠
笹子隧道の大月側  洒落た面構えの隧道入口

 東京の多摩に住むんでいると、信州など東京より西の方へ旅に行く時は、甲州街道(国道20号)を下ることとなる。もちろん時間を短縮したいなら中央高速を使うのだが、のんびり旅ができる余裕があれば、この甲州街道をとことこ走る方が好きである。最初は市街地や湖畔の行楽地など、ごみごみした所を国道は通過して行く。渋滞なども心配である。しかしそれも少しの我慢。そのうち何にもない甲州街道となる。上野原を過ぎ、大月市街を抜ければ、周囲に広がるのは山や畑ばかり。家を出発してここまで来ると、やっと旅に出てきたのだなと実感が湧いてくる。交通量も少なく、ゆったりした気持ちで車を走らせる。そして現れるのがこの笹子峠の道だ。

 国道をそのまま進めば昭和33年にできた長い笹子トンネルをくぐることになるが、もちろんそんな所は通らない。それ以前に使われていた旧国道20号、現在の県道日影笹子線が目的の峠道である。甲州街道最大の難所と言われた笹子峠。県道日影笹子線はほぼその旧甲州街道に沿った道で、峠は笹子隧道で越えている。山梨県の大月市笹子追分と大和村日影駒飼の境の峠である。


旧道分岐 国道から左に県道日影笹子線が分岐

 大月方面から来ると笹子トンネルの400m手前、国道20号が笹子川を渡る直前で左に県道日影笹子線が分岐する。大きく「笹子峠」と書かれた標識が矢印で誘っている。分岐に入ると「落石多し 通行注意」とか「やめよう不法投棄」の看板に混じって「矢立の杉」と書かれた案内看板が立っている。矢立の杉がこの旧甲州街道での最大の見所というわけだ。分岐にはバス停もあり、バスはすぐ先にある県道沿いの集落、新田(確か「しんでん」と読む)まで来ている。その集落を過ぎた後は、ひっそりとした一筋の細い峠道である。

矢立の杉
「笹子峠自然遊歩道のご案内」 地図上で左上が峠へ、右下が笹子駅へ
細い線が遊歩道 その途中にある木の絵が「矢立の杉」を示す。遊歩道を上から降りた方が近い。

 道は笹子川の支流、新田沢にほぼ沿って峠に向かう。途中県道を外れて遊歩道が通じている。例の矢立の杉はその遊歩道の途中にある。車道から簡単に眺められないのがいい。都会人もたまには車を降りて、山道を自分の足でてくてく歩けばいいのである。中にはこの峠道を終始歩いて越える人や、自転車でやってくる人までいるのだから。とは言いつつも、それまで何回かオートバイや車で越えた峠道ではあるが、私自身矢立の杉を見たのはつい最近のことである。その杉を見るだけなら、遊歩道を上から降りて車道との間を往復した方が近い。私もそうした。丁度遊歩道をリュックを背負って登ってきた方に、杉は近いかと念まで押して歩いたのだった。矢立の杉は歩いた距離から比べれば一見の価値があるのは間違いない。なかなか立派なもので、カメラのフレームの中に充分納まりきれなかった。よって残念ながらここに写真を掲載するのはやめにする。やはり自分の目で確かめてこそ価値がある。

大月側の道 大月側の道の様子

 最近通ってみて気がついたが、大月側の道の様子が変わっていた。以前はもっと狭いごつごつしたコンクリート舗装であった。側溝もあって、車で通ると随分狭苦しく感じたものだ。だが今はアスファルトとなり、道幅も広く走り易くなっている。昔は遊歩道などの案内看板も今ほど整備されていなかったと記憶する。

 考えてみると、峠にこだわって旅をする様になったのは、この笹子峠が始まりだったのではないかと思う。最初は国道20号を当たり前の様に下の笹子トンネルで抜けて行った。免許を取ったばかりでは、オートバイで長いトンネルを通過するだけでも、ちょっとした興奮ものである。その内余裕ができてくると、何やらくねくねした道がトンネルをバイパスして通じているのを地図で見つける。この世に旧道なるものが存在するのを知る。こんな道を一般人が通ってもいいのだろうか。何か恐ろしいことが待ち受けているのではなかろうか。ある時不安を感じつつも興味を引かれ、国道を外れて寂しい峠道に入り込む。他に通る者は誰もいない。後続車もなければ、すれ違う車もない。ただただ慎重に運転することに没頭し、周囲の景色もあまり目に入らない。坂道を登りきると、下のトンネルとは比べ物にならない程小さなトンネルが、ぽっかり口を開けている。トンネルの入口には右から左に「笹子隧道」(実際はもっと違う文字だがフォントがあるわけない)と見慣れぬ漢字が書かれてあった。周囲に目をやれば、なかなかの眺めである。下の長いトンネルを抜けたのでは見られない景色だ。トンネルを抜けて反対側の道を下る。いつまで経ってもなかなか下界に着かない。やっと民家が現れ、遂にもとの国道に合流した。そこには何台もの車が行き交っている。さっき見た山の中にある峠の隧道が幻だった様に思われた。国道をそのまま走るこの人達には見れないものを見てきた、人とはちょっと違ったことができというささやかな優越感もあった。

大月側の隧道入口 大月側の隧道入口
右から左に「笹子隧道」と書かれている

 どうもここらへんから峠の旅が病み付きになったらしい。笹子峠がこの道に引きずり込んだ張本人だ。


 笹子隧道の大月側はちょっと洒落た面構えである。かえって古さを感じさせる。近くに大月市消防本部で立てた「山火用心」(「山火事」ではなく「山火」である。どう読むのか?)の看板に標高1、093mと記されている。隧道向かって右側に、トンネルではなく本来の笹子峠への山道が付いている。隧道から上の峠までは、さほどの高さもなさそうに見えるが、歩いてみるとなかなか大変である。高遠などの殿様も大名行列でここを越えたのだろうか。

峠の大和村側
峠の大和村側

大和村側の眺め
峠付近からの大和村側の眺め
 

 かわって大和村側は「笹子隧道」の文字以外は有り触れたトンネルに見える。「笹子峠 1、096m」とトンネルに向かって右横に立つ標識の鉄パイプに記されていた。その標識の脇をすり抜け、トンネルの上を通り、歩いて峠に登れる。しかし、本来の道は、トンネルのやや手前を左より登っていく山道がそうなのだろう。

 トンネル手前右からは怪しげな道が伸びている。入口にゲートがあって車は入れず、その先途中で崩れた箇所もあるが、もとは車が通れるほどの幅があった道の様だ。こういう道が気になって仕方がない。どこに通じているのだろうか。何の目的で作られ、どの様に使われたのであろうかと。途中まで歩いて入ったことがある、まだ行き先をつきとめたことはない。


 この笹子の峠道の途中には、ところどころに何々茶屋跡と書かれた案内看板が幾つかあり、昔は峠道に沿って何軒かの茶屋が生業を立てていたことがうかがわれる。甲州街道の中のこの峠一つ越えるにも昔は大変な苦労で、立ち寄る茶屋は旅人のオワシスであったろう。それにしても茶屋を営んでいた人は、そこに住んでいたのだろうか。サラリーマンなど辞めて田舎暮らしをしたいと思っている私でも、ここに住む気にはちょっとなれない。

大和村
大和村側の風景  背後にきれいな山並みが望める

大和村側入口
大和村側の国道から旧道への分岐箇所
左に「笹子峠」と標識がある
 

 峠を大和村に降りてくると、一人の男が畑を耕していた。男の背後にはきれいな山並みがそびえ立つ。毎日こんないい景色の中で働けるとは、羨ましいかぎりである。窓からは建ち並ぶビルしか見えない事務所の中で、下を向いてデスクワークに励むサラリーマンとは大きな違いだ。しかし端で見るほど自然は甘くはないのも分かっている。農作業は重労働だし、真冬になればこの付近の寒さも厳しいに違いないのだ。やっぱり田舎暮らしは止めとくか。

 日影の集落の中を通り、中央高速の下を行ったり来たりした後に、県道日影笹子線は国道20号に突き当たる。これで小さな峠道の旅も終わりである。さすがに最近ではこの笹子峠を越えるくらいで緊張や感動などほとんどしない。もっと刺激的な峠道の方がいい。それだけ鈍感になってしまったとも言える。しかし今でもここを通れば、以前この峠を越えた時の気持ちを思い出す。昔と道が変わってしまったのは少し残念だ。笹子峠の旅は、ますます自分の記憶の中だけのものになっていく。


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