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<掲載 1999/ 6/ 4>
![]() 宇目町長渕 右より県道45号宇目清川線が合流 看板に「↑17Km藤河内渓谷」 「↑15Km木浦杉ヶ越」 |
車道の峠はトンネルで抜けている。場所は大分県と宮崎県の県境にある。初めて訪れた時と同じ様に大分県側よりアプローチする。実は同じ県境の峠でも、もう少し西にある尾平越を越える積もりが通行止で、仕方なくこちらに回ってきたのだった。 |
道は少し幅が広くなったかと思うと、また元の狭い道となりながら木浦の集落に着く。ここは木浦鉱山で知られる。この付近は江戸時代からすでに採掘されていたようで、町指定史跡にも「木浦山千人間歩」、「木浦女郎の墓」というのがあると案内板に出ていた。間歩(まぶ)とは坑道のことで、千人間歩とは大きな坑道を言ってるのだろう。藤河内渓谷に通じる大切峠の九合目にその廃坑跡があるらしく、それにまつわる古くからの伝説が残っているとのこと。また女郎の墓は大切峠の1Kmほど先にある十基ばかりの石塚をそう呼んでいるらしい。鉱山と遊女の結びつきはよく聞く話である。 |
![]() 宇目町木浦より峠方向を望む |
![]() 宇目町のコミュニティ施設休憩所 |
集落を過ぎると本格的な登りが始まる。少し上ると視界が広がり、眼下に先ほど通過した集落の一部が見下ろせたりする。間もなく木浦内隧道を抜け、さらに行くと道の右側に広場があった。屋根付きの舞台とトイレ、それに水がこんこんと涌き出る水場があるその広場は、正式には「コミュニティ施設休憩所」と言う長ったらしい名前を持っている。沿道に空き地などほとんどないこの峠道では、もってこいのキャンプ地である。 以前に峠を越えた時と同じコースを走ってるのに、どうも見覚えがある物がない。その時はこんな休憩所などまだ出来ていなかったかも知れないが、その広場を過ぎた先で滝の様にながれ落ちる沢なども記憶がない。ただただ走り過ぎて行っただけだったようだ。峠の名前すら気にすることもなく。 |
峠のトンネルまではほぼ2車線分の道幅がある走りやすい道路が通じていた。トンネル少し手前からは大分県側の景色が視界を遮る物なく見渡せる。さていよいよ峠の名前であるが、トンネルには「杉ヶ越トンネル」とあった。「大明神」の名はどこにもない。某出版社のツーリングマップに「トンネル上に祠」とあったので登ってみるがこれもない。途中で出くわした登山者に峠の名前を聞いてはみたが、やはり「杉ヶ越」じゃないかと返ってきただけだった。判然としないが長渕の看板にもあった様に、この峠は「杉ヶ越」であることは間違いないようである。
ところで峠に来る途中、ニ組のキャンパーを見掛けた。この時はGW(ゴールデンウィーク)真っ最中で、行楽に来ているのだ。一組は例の休憩広場を少し過ぎたあたり、もう一組はトンネルの直前である。どちらも道路の直ぐ脇の狭い空き地にテントを張っていた。そこからいい景色が眺められるわけでもなく、沢水が流れていてキャンプに便利だというのでもない。それに雲行きが悪く、今夜は雨になりそうだ。それでもどちらも賑やかに歓談したり、楽しそうに食事をしたりしてGWの一時を過ごしていた。 翌日峠まで戻ると例のキャンパー達はまだテントの中の様だった。案の定夜半から降りだした雨に見舞われたはずだ。私は屋根付きの舞台で難を逃れた。今日は残念ながら一日中雨降りとなる気配である。 |
![]() トンネルの上より眺めた宮崎県側の景色 登山者のものと思われる車が数台停まっていた |
![]() 日之影町の案内看板 |
日之影町側のトンネル入り口横より傾(かたむき)山への登山道が始まっている。この峠は祖母(そぼ)傾国定公園内にあり、傾山(1,602.2m)と新百姓山(1,272.6m)の間の鞍部に位置する。標高は900m強である。 日之影町側の直ぐに左の写真の案内看板が立っている。 青雲橋 30.0Km 60分 現在地 日之影町杉ヶ越 |
日之影町側の下りは宇目町側に比べると道が荒っぽい。険しいとまではいかないが、カーブの曲がり具合、勾配の程度、切り立った崖など山岳道路の雰囲気があり、私の好みに合っている。下るに従い道の状況は悪くなってきた。宇目町側もそうだったが、峠付近の方がかえって道幅もあり、道路としての程度はいいのである。
急坂で一気に高度を下げると、後は日之影川に沿った道が国道218号まで延々と続く。これには忍耐力がいる。気を抜いて走っていると、いつの間にやら日之影川が深い渓谷になっているので、要注意である。
途中工事区間がある。見立(みたて)の少し上流で、工事期間は平成11年3月15日から10月22日と看板にあった。時間規制で日曜日を除く8:30〜10:00、10:20〜12:00、13:00〜14:40、15:00〜17:00が通行止のようだ。現場は法面が如何にも崩れやすそうであった。
日之影町の最初の人家は見立渓谷近くにあるあけぼの荘である。GWだけあって数台の車と、窓には明かりが灯り、昨夜は泊り客があったようだ。他にも道路からはテントや、雨を避けて東屋をねぐらにしたらしい人影など見えて、おもいおもいの休日を楽しんでいるようだ。
あけぼの荘の先で日之影川の左岸に渡り、暫く2車線のいい道が続き、そこで「英国館」と標識が出てくる。なんでこんなところで英国館なのだろうか、いったいそれがどんな物なのか、行っていないから判らない。ただこの近くに昔見立鉱山があり、そこを開いたのが英国人のH.ハンターなる人物だそうだ。その人と関係するのかもしれない。
道は2車線ある立派な道になったかと思うと、また狭い道になるというのを繰り返す。如何にもスピードがでそうな2車線の直線区間の道路の真中に、まるまる太った毛皮が横たわっていた。たぬきらしい。人間がGWで浮かれている一方で、かわいそうな目に遭ったものだ。
宮崎県特有のことかは知らないが、「道の泉」というのがある。県内で幾つか見掛けたことがある。最初標識を見た時は「道の駅」と間違えて、宮崎県の道の駅は随分みすぼらしいと思ったらそうではなかった。日之影にもその道の泉がある。看板に「休憩の場として天然の水を利用し整備したものです。みなさんが気持良く利用できるようお願い致します。 宮崎県土木部」とある。国道脇などに時々見掛ける殺伐としたパーキングエリアに比べたらずっといい。これでトイレがあれば言うことなしなのだが。ただ肝心な泉の水は濁りや臭いがあった場合は利用を控えるようにと但し書きがあり、不用意には口に入れない方がいいのであった。
道はいくら下ってきてもかえって狭い区間の方が多いくらいである。日之影川に沿ったくねくね曲がる狭い道がまだまだ続く。 対岸にカラフルなテントが幾張りか見られた。日之影キャンプ場らしい。バイクも何台か停めてある。今日は雨降りで旅には難儀することだろう。 |
![]() 日之影川に沿う狭い道が延々続く |
![]() 峠道の終点 高千穂鉄道くぐってきたところ 遥か上に見えるは青雲橋 |
県道も終わりに近付いた頃、前方の上空高くに橋が掛かっているのが見えてくる。異様に高い。これが看板にあった青雲橋である。国道218号(旧バイパス)が通る橋で、まるで高速道路のようだ。その橋の遥か下を通り高千穂鉄道の線路くぐれば直ぐに県道237号(旧国道218号)に突き当たる。直接上を走る国道には出られないようだ。 道は遂に最後まで狭いままだった。その終わり方はあっけない。狭い県道がそれより少し広い県道にT字で繋がってるだけで、道を折れればそれまでの峠道がうそのようである。でも峠より青雲橋までが看板にあったように約30Km、また宇目町長渕から峠までが15Km、合計45Kmを一筋の道として途切れることなく繋がっていたのだ。 |
後になって杉ヶ越について調べてみると、古くは木裏(浦ではない)越とも呼ばれ、峠(トンネルのところではない)には奥村神社という神社があるそうだ。ツーリングマップに「トンネルの上に祠」とあったのは、トンネルのずっと上の峠のことを指していたのかもしれない。
その神社の境内にはかつて大杉が1本あり、それが杉ヶ越という名前の由来であるそうだ。また奥村神社には「杉越大明神」の旧称がある。これでやっと「大明神越」と繋がった。
個人的にはもう一つ小さな発見があった。杉ヶ越の名前も知らないまま初めて峠を越えた時、峠の写真など撮らなかったと思っていた。でも今回古いアルバムをよくよく調べてみると、宇目町川から見たトンネルと日之影町側の景色の写真が残っていた。これまでそれがどこを写したものか判らなかったのである。しかし今回撮ってきた写真と見比べてみると、間違いなく杉ヶ越なのだ。ちょっと嬉しくなった。峠の記憶は全く残ってなかったが、以前からわざわざ車を停めて峠を写真に収める奇妙な癖だけはあったのだ。