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![]() 牛首峠(1994年9月) 利賀村側の分岐 左(車の陰)が牛首林道、右の下りが水無白川林道(水無湖へ) 二股の間にあるのは漫画で書かれた熊に注意の看板 |
富山県の利賀村は県内でも最も南に位置し、南北に細長い村の岐阜県との県境に近い南側の地域は非常に山深く、だから利賀村には何度も訪れている。 |
峠には岐阜県の白川村より牛首谷に沿う林道牛首線が通じている。林道へは国道156号から離れ、島という地区に向かう。途中分岐があり、林道標識が立っているのが目印だ。林道に入ると間もなく未舗装路となる。道が直線的な谷の高所を進む様になると、視界もいい。谷の右岸を行くが反対側にも林道が見える。牛首林道は比較的最近に整備せれた様子がある。もしかすると牛首集落があった当時の峠道は別なのかも知れない。 |
![]() 岐阜県白川村 牛首林道起点 入り口の右側に林道標識が立っている |
![]() 牛首を偲ぶ石碑 |
林道走行を楽しみ、そろそろ峠というところの道脇に盛り土がある。4輪駆動なら急坂を上ってその盛り土に登る事ができる。その上にあるのは記念碑だ。どこらあたりにあったのかは知らないが、古くは牛首という名の集落があったそうだ。しかし昭和37年、38年に集団離村が行われ、今は住む人もなくなって久しい。その牛首を惜しんで建てられたのだが、碑そのものはまだ新しい。元の住民の方達であろうか、ふるさとは未だ忘れられないものなのであろう。 |
牛首峠では林道の石碑が目に付く。「広域基幹林道 牛首線」とある。どちらかといえば「牛首峠」と書かれていた方がよかったのだが。 峠より利賀村側には道が二つに分かれている。右に下る細く荒れた道と、左にほぼ水平に進む道である。何の標識もないので初めて来ると迷ってしまう。手持ちのツーリングマップル(1997年3月)には峠の手前で道が分岐していることになっているが、それはどうやら間違いらしい。 |
![]() 林道「牛首線」の石碑 |
![]() 牛首峠(1996年8月) 利賀村側の分岐 右側に資材が積まれ、ヘリポートがある 熊の注意看板はなくなっていた |
右の道には大抵「通行止」の看板が細々ながら立っている。こちらは林道水無白川線と呼ばれるのだと思われる。 ところで最近峠の様子が少し変わった。峠横にどうやらヘリポートらしき広場が整えられ、何の為か分からないが資材が積まれたりしていて賑やかだ。 |
水無白川林道は通行を規制しているだけあって荒れまくっている。急坂に加え石ころがごろごろだ。途中左に分岐する林道が迷わせる。それは牛首1号線と呼ぶらしく、上で先の牛首林道に合流している。 未舗装の林道を走り、峠を越えて降り立った利賀村ではあるが、そこに人が住む集落はない。建物といえばただダムの管理棟があるばかりである。夏ともなればさすがに湖畔の水無湖キャンプ場に幾張りかのカラフルなテントが張られ、湖に注ぐ支流の一つである水無谷では、釣り人がぽつりぽつり見られたりする。しかしそうした華やいだ季節を避け、または天候の悪い時に訪れると、人の気配が全くしない。ただひっそりと佇む水無湖が迎えてくれるだけである。 |
![]() 水無湖 水無湖キャンプ場からの眺め 左は利賀川ダムへ、右奥は水無谷へ 対岸に白いダムの管理棟が見える |
![]() 利賀村の奥地 水無谷 二ツ屋峠への上りの途中より撮影 対岸に東俣峠に上る林道のつづら折りが見える |
最初にここを訪れたのは初秋の時期、やはり白川村からの牛首峠越えでだった。地図にない分岐に迷わされ、通行止や熊注意の看板に当惑し、ひどいガタガタ道に冷汗してやっと着いた湖の眺めは、ただたださびしいばかりであった。日も暮れかかり、その日のねぐらをどこかに求めなければならない。やっと水無谷のわずかな河原にテントひとつを張れる場所を確保した。流木を集めて燃やし、静かな夜を一人で過ごした記憶がある。 |
この寂しい地より人里に出るには幾つかの道筋がある。最も無難なのはダム下流の利賀川に沿った県道を下り、牛首林道が合流する利賀村大勘場に出るコースだ。この大勘場までを一つの峠道とするのが正しいのかも知れない。それから水無谷に沿って逆に県道を溯り、二ツ屋峠で再び県境を越えて岐阜県に戻り、もう一つ楢峠も越えて岐阜県河合村まで出る道もある。峠のはしごをしたいならこちらがお薦めだ。他にも水無谷に沿った県道の途中から分岐する、東俣峠を経て利賀村上百瀬に出る道もあるが、険しい急坂の林道走行を覚悟しなければならない。 |
![]() 二ツ屋峠 |