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天生峠 part2 22年前の峠
あもうとうげ


 初掲載 < 1999. 6.28 >


 天生峠は変わってしまった。
 残念なことに変わる前の峠の写真が残っていない。最初に訪れた時は不安がいっぱいで峠でのんびり写真など撮る余裕がなかった。その後も天候が悪かったり、日が暮れていたりでシャッターチャンスに恵まれなかった。また白川村から登って来て峠を過ぎてしまうと、河合村側には車を停めるスペースも少なく、ついついそのまま通り過ぎてしまうのだ。何しろ河合村側にはまだまだ険しく長い道程が待ってたのだから。

 それが22年前の峠の写真を持っておられた方からメールを頂き、またその写真の画像も送って頂いた。そこでここに紹介させて頂くこととする。
 

 
2年前の天生峠
2年前の天生峠
手前が白川村、切り通しの先が河合村
 
22年前の天生峠
22年前の天生峠
(山本さんより)
 
 上の右側がその22年前の峠の写真である。多分白川村側から写したものだ。写真には写っていないが切り通しの手前の右側に峠の石碑があるはずだ。ホームーページに載せる為もあり、サイズも小さく圧縮率を高めたことで画質が落ちてしまっているが、まるで絵画の様である。明るく開けた感じがし、私が持っていたイメージと大分違う。
 次に頂いたメールの文面を再掲させて頂く。
 
 
岐阜県の「天生峠」を掲載しているホームページを探していて「峠と旅」を見つけました。
結婚記念日の6月12日に、22年前結婚したころ通った天生峠に行って来ました。
作者の言うとおり、峠付近は恥ずかしい赤い屋根の建物や駐車場が出来ていました。
22年前撮影した写真を持っていき見比べましたが道路開通記念の石碑以外はぜんぜん別世界になっていました。その当時、天生峠と書かれた高さ5mくらいの大きな道標がありその隣で若かりし美しかった?
頃の嫁が写っている写真を見ながら探しましたが、見つかりませんでした。
あきらめて出発しようとふと草むらを見ると根本が腐ったのだろう、朽ち果てた道標を見つけました。
ふたりで「年とるはずだね」と苦笑しながらカメラに収めました。
 
22年前はオフロードバイクでのタンデムツーリングでした。
この峠道は、河合村から白川村まで全線、舗装はしてありましたが、普通車が一台やっと通行できるような道でした。走っていて「ホントにこの道で大丈夫なの」、嫁がしつこく聞いていたのを覚えています。
でも、今回走ってみると作者の言うとおり、立派な道になっていてちょっとショックでした。
若干昔の道が残っていると書いてあったので期待してましたが、たぶんその区間も整備が済んだんでしょうね。
 
22年前の峠の写真、友達のスキャナーで取り込んで次回送ります。
「峠と旅」楽しみにしていますのでがんばって下さい。
 
 
 
 
峠(河合村側)
河合村側より見た峠
左隅に黒地に白文字で「天生峠」と大暑された柱が立つ
多分ここに昔の5m近い柱が立っていたのだろう
この近くで倒れて眠っている古い柱を私も見掛けたことがある
まだ残っているだろうか
峠の柱
22年前には立っていた5m近い峠の柱
(山本さんより)
タンデムツーリングスタイルの
若かりし頃の奥さんも立つ
 
 
 
峠の石碑
峠の石碑
 木柱は世代交代したが、峠の石碑は健在である。
 次に碑文の一部を記す。
 
 思ひきや天生の嶺のほととぎす雲ふみ茶摘み声聞かんとは
礼彦
 閑古鳥迷ふ路さへなかりけり
其江
飛騨人が歌に句に詠じた往時の険峻ここ天生峠は標高1290米の山頂にあって西飛騨山系の要路である
春と夏とが一時に訪れる風趣と秋色の妍は真に佳絶であってここを訪う人は大自然の美と山気の秀霊に感懐を深くするところである
 
 さらに碑文には、大正12年4月県道183号荻町笹津停車場線に編入されて以来道路の改修は難航したが、昭和29年10月着工、昭和31年10月竣工したとある。ただその時に完成した車道の路面も今はもう跡を留めていない。
 
白山の案内板
白山を眺める案内板
峠より白川村側に少し下ったところにある
この峠道の一番のビューポイント
 
白川郷の案内
「ようこそ 合掌造りの里 白川郷へ」
(山本さんより)
 
 
 
地蔵
白川村側の道の途中にある小さな石蔵
峠の石碑とどちらが古いのであろうか
 
峠道入り口
白川村の国道156号より右に峠道、国道360号が分岐する
初めてこの分岐に折れた時は
本当にこの道でいいのかと不安にさせる程寂しい道である
何度かその付近を往復し、これ以外に分岐が無いのを確認して
峠を目指したのだった
  
 このページを作るためにまたアルバムを引っ張り出して眺めていたら無性に懐かしくなってきた。初めて峠を越えた時は免許を取って最初に買った中古(20万円ちょっと)のパルサー1300ccハッチバックであった。その1年後にはマフラーが脱落して廃車となり、今は数枚の写真にその赤い姿が写って残る。それは約10年前のこと。それが22年前となるとさらに懐かしいであろう。山本さん有難う御座いました。
 

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