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地蔵峠 
 
じぞう とうげ
 
  やさしい地蔵がひとり佇む峠
 
<初掲載 1999. 8.29> 今月の峠 1999年 8月 として
  
地蔵峠
地蔵峠
手前が長野県木曽福島町、奥が開田村
 
 地蔵と呼ばれる同名の峠は沢山あるが、その中で一番「気になっていた」のが長野県の開田村と木曽福島町の境、国道361号線上の地蔵峠である。峠には名前の通り一体の地蔵尊が建っており、峠を開田村側に少し下ると木曽御嶽山を望む好展望地がある。しかしそうした峠や峠道そのものが特に印象に残っているとい訳ではないのだ。
 
 国道361号は国道19号の木曽福島より岐阜県との県境を越え飛騨高山まで至る道で、19号のような一級国道を離れ、ちょっと寂しく旅をするにはもってこいの道であった。西の方へ旅に行く時や帰る時に好んで通ったのだ。それがある時飛騨高山の方からの帰り道、漫然と国道を流していると、どうも進んでいる方向が違う。道もやたらと立派である。しかし国道361号には間違いないのでそのまま進むと、見知らぬ大きなトンネルを抜け、気が付くと木曽福島に着いてしまっていた。あの地蔵峠はどこに行ってしまったのだ?
 
 その後、木曽福島側より訪れる機会があった。注意して走っていると、左折方向に「地蔵峠経由 開田」と書かれた道路標識が出ていた。ここだここだと勇んで道を曲がったが、すぐに「全面通行止」の看板に敢え無く引き返しとなった。
 
 以前から地蔵峠の北東に離れて新地蔵トンネルなるものがあったらしく、後にトンネル前後の道が改修されて、今では新国道として威張っている。地蔵峠を越える道は、新道にある道路標識を注意していないと分岐を見過ごしてしまう程の、旧道の身の上となってしまった。しかも通行止となるようでは、見捨てられてもう通れなくなるのではないかと気になっていたのだ。
 
 それがやっと今回再訪することができた。(1999年7月下旬)
  
開田村側起点
開田村側の峠道起点
末川を渡ったところ
右に「地蔵峠展望台」の看板が立つ
 峠には開田村側よりアクセスした。
 岐阜県の方から来ると開田村末川で新道にあるガソリンスタンドの角を右に下る道に入る。狭くクネった道だが、多分ここも元の国道の一部なのだ。以前はこの道を使って旅をしていたのかと思うと感慨深い。道路標識がなければ道を間違えそうに右左折して、やっと末川を渡る。この先は峠を越えて木曽福島町の黒川を渡るまで一本道である。

 橋の袂に「地蔵峠展望台」と書かれた看板が立つ。御嶽山の絵と展望台まで2.8Kmと書かれている。旧道はこの付近の人と、この展望台に誘われて通る人以外は、ほとんど使われそうに思えない。ただ道のところどころに立つ国道標識が、今もこの道が国道であることを唯一誇示しているようだ。

 
 峠を前にして気掛かりなことが一つあった。写真のフィルムが残り少ないのだ。しかし今は朝の8時前で、まだ店が開いてないだろう。それよりなによりこの開田村の近辺に、フィルムを売っている店があるのだろうか(開田村に失礼?)。
 
 面倒だが新道まで戻ると、角のガソリンスタンドが開いていた。そこで給油しつつ聞くと、フィルムも置いているとのこと。いつも買っている5パック入りの特価品などに比べると、かなり割高だがしょうがない。36枚撮りASA400を一本購入。店を出る前に地蔵峠は越えられるかと聞くと、あっさり越えられるとのこと。これで安心して峠道に戻った。
   

 展望台までの2.8Kmは、さすがに国道で道もよくあっという間だ。そこまであまり眺望もないので、尚更展望台からの御嶽山の眺めは雄大である。写真も気兼ねなくパチパチ撮る。

 道から突き出た展望台は比較的立派に造られていて、開田高原の案内図も置かれているようだが、その時には残念ながら切れていた。以前通った時にこんな展望台があったか全く記憶がないが、そこからの眺めは見たはずなのだ。

地蔵峠展望台
地蔵峠展望台
峠より開田村に少し下ったところにある
右端に乗鞍岳が写っている

 

地蔵峠
開田村より見た峠
写真中央付近に地蔵が立っている
 峠までは展望台から僅かである。残念ながら峠からは御嶽山は全く見えず、あまり眺望はない。

 峠手前に「木曽福島町」の看板が立ち、その脇より「縁結びの木」に続く旧飛騨街道の山道が下っている。どんな木なのか見たい気もするが、私には関係なさそうなのでやめておいた。

 地蔵峠という峠には、その名の通り地蔵が立っていて欲しいものだが、この峠にはちゃんと一体立っている。とてもやさしい顔立ちの地蔵だが、どことなく現代風で、輪郭もはっきりし過ぎていて、古いものとは思えない。

 

 峠は開田村指定の名勝になっているようで、下記内容の看板が立っている。
− 地蔵峠 −
 標高1335米、木曽福島町より開田村への玄関口に当る。
 この峠は、「吉蘇誌略」”宝歴3年”(1753)には「駕疲(かごつかれ)嶺」と記され、また天保9年(1838)の「木曽巡行記」には 地蔵峠と記されている。
 当時の道筋は、木曽福島側から登って現在の滝上へ来る嶮をさけて、遠廻りしていたものを、安政6年(1859)に滝上の岩山掘抜きの大改良工事を行い、現在の新道を開発した
 頂上の石地蔵は享保13年(1728)に 末川の隨松庵講中によって建てられたものであったが、地蔵さまの本体が昭和40年(1965)に盗難にあって紛失したので、昭和47年(1972)に再建されたものである。
 尾根づたいに南側の高いところに登れば、御嶽 乗鞍 駒ヶ嶽の三山を望み また旧道を開田側へ約100米程降れば、左側に縁結びの木と称する悲恋結実を物語る珍しい木がある。
 また地蔵峠では安山岩の溶岩の露出したのがみられるが、これはいまからおよそ百万年程前、開田村と南安曇郡安曇村と岐阜県高根村の境界にある鎌ヶ峰附近で火山爆発がおこり、そのときに噴出した溶岩とみられる。
昭和56年10月2日 開田村教育委員会
地蔵
峠に立つ地蔵

 

木曽福島側の景色
木曽福島側の景色
 江戸期には飛騨往還と呼ばれ、現在の車道の元は昭和24年に開通したそうだ。それまで2百数十年の間峠を守っていた地蔵は、車が通れるようになったのが禍した。峠に居てこその地蔵なのに、私欲で持ち去るとはまったく腹立たしい思いがする。
 地蔵の本体は造りかえられたが、台石には享保13年の銘が残るという。現在の地蔵尊はこのままずっとその上で立っていて欲しいものだ。

 峠を木曽福島側に進むと、急坂で一気に西洞川まで下っていく。南斜面に面しているので、明るく開けた感じを受ける。

 

 西洞川沿いの道になり、そこを暫く行くと真新しい建物が建っているが目を引く。「二本木の湯」とある。最近できたばかりの温泉施設のようだ。この地蔵峠の道は開田側で御岳山を望み、木曽福島側で温泉に入るのがいいようである。
 二本木の湯から2Kmほどで黒川を渡り、間もなく旧道は終わる。前回はこの黒川を渡る橋の袂に立っている道路情報に、しっかり「通行止」とあった。しかし今回は開田村末川からここまでの間、特に道の状況に悪いところは見られず、ガソリンスタンドの主人が言ったように、あっさり越えることができた。旧道となってもさびれた感じは全く受けない。しかし木曽福島側を下る途中、昨夜の野宿で夜露にびっしょり濡れたテントやシュラフを道端に広げて干し、ついでに遅い朝食を作って食べた。そこまでしても、この峠道を通過した車はたった1台だけであった。
木曽福島側
木曽福島町側  黒川を渡って峠へ
しかし残念ながらこの日は通行止の標識が左側に立つ

 

木曽福島側起点
木曽福島町側の峠道起点 角に商店あり
正面が峠へ 右は新地蔵トンネルへの新道だった
しかしこの写真の手前に新しい道を建設中
 木曽福島町の新道に突き当たるところでは、何やら大工事中で、びっくりさせられた。T字路が十字路になっており、その先では道路工事が進行中であった。

 元の道はセンターラインもない道だったが、それに平行して立派な道を新地蔵トンネルへ向けて建設中であったのだ。これでますます旧道への道は影が薄くなりそうだ。元の分岐の角にある商店も、本線から外れて商売がしにくくなるだろうに。
 開田側も木曽福島側も、後から計画された新道は広く強引なまでも直線的に建設される。ただただ通過するものにとっては非常に走り易い道路であるが、その附近に残された旧道が無残に思われた。

 

 地蔵峠を旧道に追いやった新地蔵トンネルじたいは、昭和62年には開通していたそうだ。ここも開田村と木曽福島町の境にある。
 名前は新地蔵トンネルだが地蔵峠とは随分離れているし、そのトンネルの上には折橋隧道があった。ある道路地図では誤植かもしれないが新折橋トンネルと書かれていた。本来そう名乗るべきである。しかし現在のトンネルには間違いなく新地蔵トンネルと書かれているのだ。
新地蔵トンネル木曽福島側
新地蔵トンネルの木曽福島側入り口
手前右に折橋隧道への道が分岐

 

木曽福島側の折橋隧道への道
木曽福島側の折橋隧道への道
ひどいラフ路 途中鎖で通行止
 新地蔵トンネルの木曽福島町側の入り口直前の右側に折橋隧道への分岐が残る。ある時登ってみるとひどい未舗装路であった。そしてすぐに簡単なチェーンで通行止となる。これ幸いとあっさり引き返すことにした。しかし車をUターンするのにひと苦労である。新地蔵トンネルの道とは別世界であった。

 

 開田村側より新地蔵トンネルに向かうと、ほとんど登り坂もないままトンネルまで行き着く。開田村側は早くから新道の建設が行われ、トンネルまでまったく途切れのない一本の国道となっている。
 冬場などは地蔵峠の通行は大変であったろうが、この新地蔵トンネルのおかげで、国道361号の通行は極めて楽になった。ある年の3月、道路の両側には雪が残っていた。しかし路面はしっかり除雪され、チェーンの必要もないほどであった。
 その代わりに今は地蔵峠は冬期通行止である。
 
新地蔵トンネル開田村入口
新地蔵トンネルの開田村側入り口
ある年の3月 道路の両側には雪が残る

 

折橋隧道開田口
折橋隧道開田口
トンネル入口は塞がれていた
 開田側より折橋隧道を目指したことがある。道は隧道まで続いていたが、隧道入口は残念ながら塞がれていて、もはや通れなくなっていた。
 その隧道脇を車道とは思えないような道が延びている。枯れ草や枯れ枝が路面を多い、普通の未舗装とはちょっと違った趣である。そのくねくねも走って楽しんだが、元の開田村の国道に出て終わった。

 木曽福島側の国道361号は、これからもますます改修工事が進むようだ。以前は国道19号からの分岐さえも頭を悩ませるほど複雑だったが、今では立派な橋が木曾川をまたいでズドンと国道19号に突き当たっている。あのわくわくした頃の国道361号の面影が消えてゆくのは残念だ。地蔵峠の峠道が残された唯一の砦であり、これからも気になる峠となってゆく。

 
木曽御嶽山
地蔵峠展望台より眺めた木曽御嶽山
 
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