くにみ とうげ
マップ 自作マップで、まだうまく作れていませんが、参考までに(容量18KB)
既に「峠と旅」でも掲載済みのこの国見峠を越えたのは、もう7年以上も前のことである。何度となく訪れた九州の旅の中でも、特に印象深い峠である。それは九州の真ん中の宮崎県と熊本県の県境付近の山奥に位置し、秘境と呼ばれた椎葉村に通じる峠道でもあったからだ。ツーリングマップに記された「酷道」の文字を実感する峠越えであった。
その後、新道の国見トンネルが峠の下に貫通し、峠はどうなってしまっただろうかと気になっていた。でも一方、新道ができたことで、旧道となった峠道はそのまま残っているのではないかと、期待も大きかった。やっと今年の春になって、それを確かめに行くことができたのである。
今回の峠道の起点は椎葉村側のこの分岐となった 直進が国見峠に続く国道265号 左に那須橋を渡って椎葉村の中心地、上椎葉へ国道265号が続く 手前は日向市に通じる国道327号 道路脇に宮崎交通のバス停「那須橋」の標識が立つ |
今回の峠道の起点は、椎葉村の那須橋となった。現在の椎葉村へ通じるメインルート、国道327号で耳川沿いに遡ると、那須橋で国道265号に突き当たる。鉄骨で組まれたトラス構造の橋で、7年前この橋の上から写真を撮ったのを思い出した。
国道327号は日向市まで通じており、椎葉村と都会を比較的容易に結ぶルートとして、一般的に使われているようだ。しかし耳川沿いの崖に造られた道は、部分的に狭い箇所もあり、これがメインルートかと思うと、ちょっと寂しいのである。このルートが開通する以前は、今回の国見峠や、熊本県の湯前町へ通じる不土野峠が、椎葉と外界を繋ぐ道であったそうだ。 生憎の小雨が降る天候で、目指す山並は霧に煙り、峠越えには不向きの空模様ではあるが、耳川の支流利根川に沿う国道265号を進むのであった。 |
那須橋から別れて、最初は2車線あった国道も徐々に狭くなり、数キロも走ると急に通行止の看板に突き当たった。まさか峠越えができないのかと思ったら、ちゃんとバイパス路ができていた。しかし、一時的な通行止にしては、工事期間などの表示が全くない。このままバイパス道を使い続ける積もりらしいのだ。 |
鹿野遊での通行止 左にバイパス路有り |
バイパス路入口 鹿野遊の集落の中を通る林道利根川三方界線へ 橋の右側に大型車通行禁止と看板が立つ なのに写真を撮っていたら、大型バスがやって来た |
バイパス路は鹿野遊集落を抜ける林道十根川三方界線の一部を使っていた。入口となる橋の袂には、大型車通行禁止の看板がしっかり立っている。この先には新道のトンネルができたというのに、現在の国道265号は、ここがボトルネックになってしまっているようだ。
しかし橋で写真を撮っていると、反対側より大型バスがやって来た。停めてあったジムニーの横を辛うじて通り過ぎて行った。狭いようだが、走ろうと思えば大型車でも走れるのだ。だから大型車通行止ではなく、通行禁止なのだろうかと思うのであった。通行止なら物理的に通れないが、禁止なら規則を破れば通れるわけである。 小さな鹿野遊集落を抜ける。近くには鹿野遊小学校があり、「スクールゾーン」の看板が目立つ。鹿野遊地区案内板に小学生のものらしい、手製のゴミ捨て禁止の張り紙がしてあった。バイパス路は間もなく仮設の橋を渡って、元の国道に戻った。 |
のんびり走っていると、道路脇に「日本一の杉」と看板に出ていた。日本一にしては随分控えめな看板なので、ちょっとうさん臭いのである。しかし何にしても日本一はいい。高さでは秋田県の杉が、確か76mほどの記録を残しているはずだ。さらに世界に目をやれば、アメリカのレッドウッドが何と110mの高さを誇る。高所恐怖症のわりには、なぜか木の高さにはうるさいのだった。マップにも観光名所として「八村杉」とちゃんと載っているし、ただただ峠を越えるだけでは旅ではない。しっかり寄道もすることにした。
看板の矢印に従って国道を右にそれ、村道を暫く走る。心細いながらも案内標識が出ていて、それを追えばいい。道路脇の僅かばかりの駐車場に車を置いて、雨にぬかるんだ泥道を少し歩くと、朱塗りの鳥居のある十根川神社があった。周囲を杉林が囲み、その中に埋もれるように建っている。ここまで近付いても、どれがその日本一の大杉なのか分からない。 |
十根川神社 この奥に八村杉が立っている |
日本一の八村杉 どこが日本一やねん? |
鳥居を抜けて中に入る。境内は狭苦しく、杉の木を探して右往左往する。この雨模様だが、参観者がちらほらいる。見つかった八村杉は確かに立派だが、どこが日本一だか分からない。案内板には昭和10年に国指定天然記念物となり、樹齢約800年、樹高54m、根回り19mとある。少なくとも高さについては一番ではない。別の案内板には、平成4年に宮崎県の巨樹100選に認定されたとある。しかしどこを探しても、日本一の根拠は示されていないのであった。まあ、そんなものだろうと、小雨の降る中、カメラのファインダに入りきらない八村杉を見上げて、写真を撮った。
尚、この杉には、那須大八郎宗久によるお手植えだという伝説がある。この大八郎というのは、平家討伐に使わされた弓の名手(名前は全く覚えていない)の弟だそうだ。兄に代わってこの平家落人の里、椎葉にやって来て、鶴富姫との悲恋物語を生んだ張本人でもある。杉を手植えしたかどうかもあやしいし、その木が偶然にもこんな大樹になるとは考えにくい。でもそのように言伝えられているのは確かだから、まあこれも、そんなものなのだ。 |
神社からの帰りがけ、売り子のおばさんが暖かいお茶が入っているから寄ってけと、声を掛けていた。行きには気付かなかったが、神社のそばの道路脇に土産物屋も開いていたのだ。この国見峠の峠道で、ここが唯一の観光地的な雰囲気がする所であった。
国道に戻り先に進むと、直ぐに道は2車線の立派な道路になった。左に峠への旧道が分岐したが、とにかく、トンネルを見に行くことにする。 ほとんど登りらしい登りもなく、快適な道はトンネル入口まで続いていた。国見トンネル、平成8年8月完成、延長2777m、巾6m、高4.5m。トンネル内はオレンジ色の照明が灯り、ジェットファンが装備され、トンネル入口には信号灯も立っている。沿線の状況と比べると、トンネルと道路ばかりが、ぐっと近代的なのである。トンネル手前には駐車場が設けられ、そこの椎葉村観光道路案内には、先の大八郎の伝説なども書かれていた。 |
国見トンネルの椎葉村側 立派な2車線路のトンネル |
トンネル直後の道路 左に駐車場があり、案内板が立っている でも入口近くに車が1台威張っていて、入ることができない |
トンネル近くでうろついている間にも、時折車が通る。椎葉へ入ってくる車ばかりだ。出て行く車は見掛けなかった。駐車場には1台の車が止まり、ドライバーが運転疲れを癒しているようだった。家族を連れていて、観光に来たらしい。
全くいい道ができてしまったものだ。日向市から通じる国道327号とは比べ物にならない。ただ1箇所、鹿野遊地区のバイパス路を除いて。 この立派な新国道が通じる前にも、実はこの場所に道があったらしい。国道から谷側をのぞくと、細い村道が見え隠れする。駐車場の脇より、その道へ降りられるようになっていた。まだトンネルがない昔のマップを調べてみると、その道の先に藪の内などの集落名が記されている。今も人は住んでいるのだろうか。昔の道はどんなだったろうかなどと、新道よりもそんなことに関心がいってしまう。 |
旧道の分岐まで引き返す。いよいよ坂道らしい坂道がある峠道だ。随分長い前置きだった。
分岐はトンネル方向に向かって左にある。椎葉村から来れば、大きな道路標識が出ていて、分岐に迷うことはない。標識には、直進が「熊本 五ヶ瀬」とあり、「五ヶ瀬ハイランドスキー場」と宣伝も書かれている。左折はもちろん「国見峠」である。ただし、五ヶ瀬側からトンネルを抜けて来ると、分岐を示す道路標識は出ていない。トンネルを通ってきて、また峠を越える者はいないということか。 旧道はこの谷の本流である十根川から外れ、支流の木浦谷に沿って一路西に向かう。トンネルの様にズドンと山並に突き当たる訳にはいかないのだ。峠道はぐるっと遠回りして、山の上を目指すのだ。 |
旧道が左に分岐する 大きな道路標識で、見落とすことはない |
旧道の入り口 中央に「椎葉村森林組合 木材加工センター」の看板 左隅に「村道木浦線起点」の白い木柱 |
さて、新道ができてから旧道はどうなったであろうか。まず、入口には「村道木浦線起点」と書かれた白い木の柱が立っている。まだ新しい。国道から村道に格下げになったのだ。トンネルの道も、峠を越える道も、どちらも国道のままにしておくわけにはいかないらしい。
旧道に入ってからは暫く人家が見られる。中村という集落らしい。入口に看板があった、椎葉村森林組合の木材加工センターなどもあり、殺風景な新道とは違って、人の暮らしが感じられる道だ。やはり峠道はこうじゃなくちゃ。ただただ険しいばかりの峠道だけではなく、人の歴史の重みを持った方が、味わい深いのだ。 一度入り込んだ木浦谷も4キロほど行くと、道は橋を渡ってほぼ180度反転する。反転した直後に椎葉側最後の小さな集落、中水流がある。ここまで来るとさすがに、よく暮しているなと感心してしまう。 |
木浦谷を離れ、峠に向かって急登が始まる。徐々に視界が広がる。残念ながらガスで煙って遠望はきかないが、峠道が通じる谷の険しさを、まのあたりにすることができる。
さすがに国見峠の峠道だ。以前に越えた時と同じ様に、全く期待を裏切らない。九州のなかでも3本の指に入る峠道と言える。寂しさがしんしんと伝わってくる、そんな感じがする。この味わいこそが私の求める峠の旅なのだ。生憎の雨だが、その雨も寂しさを倍増するのに一役買っているように思えた。 こういう道は事のほか、じっくり走る。もともと交通量が少ない上に、新道が開通した為、対向車など1台も来る心配がないのだ。 |
峠道の険しさが姿を現す |
谷を挟んで反対側に、先ほど通った道が見える |
トンネル開通から約3年。旧道となった峠道は、その寂しさに磨きがかかった。 |
楽しいことは直ぐに過ぎてしまうもので、思ったより早く峠に着いてしまった。それでも新道からの分岐より40分弱の時間を掛けている。峠には「上椎葉まで約40分」と看板があるのだから、いかにローペースかが分かるのだ。
一目見て、峠に変わりはなかった。7年の歳月を過ぎても、同じ峠が迎えてくれた。これもある意味で新道が完成したお陰である。旧道の峠道をいたずらに改修されずに済んだのだ。これからもこのままでいて欲しいと思うのであった。 峠に立つ看板なども、それ程変わりはない。ただ明らかに新しいのは「村道木浦線終点」と書かれた木柱である。 |
国見峠 手前が椎葉、奥が五ヶ瀬 |
中央に「村道木浦線終点」の木柱 左奥に林道開通記念日 |
国見峠は、峠にある看板によると、海抜1,178mである。しかしツーリングマップルでは1,080m、ある本では1,135mと書かれていた。峠の標高は時折この様に数値が食い違うことがある。そんな時は、実際に峠にある記述を信じる事にしている。よって1,178mと決定した。明治初期の開通当時は久留美嶺(くるみこうげ)と呼ばれ、南北を結ぶ主要交通路だったとのこと。現在は「国見峠」だが、西の熊本県との県境には国見岳もある。なんだかちょっとありふれていて、久留美嶺の方がよかったような気がする。
この峠で確認しておきたいことがひとつあった。それは石碑である。多分、開通記念碑だったと思ったが、定かでない。今回はじっくり眺めてみる。ところがひどく苔むしていて、なかなか読めない。それでも石碑の表は「林道十根川、本屋敷線開通記念碑」と読めた。「十根川」と「本屋敷」の文字が並んで記されている。林道十根川線は勿論椎葉側。すると林道本屋敷線は五ヶ瀬側に違いない。マップを開くと、確かに五ケ瀬町側に「本屋敷」の文字が見られる。 |
石碑の裏を見ると、どちらの林道も昭和26年の起工で、昭和33年か34年に完成している。碑文の最後に記された日付は、昭和34年5月である。苔むして、刻まれた文字もところどころ潰れかかり、随分老いぼれの石碑だと思ったが、考えてみると自分とほぼ同じ年齢なので、愕然としたのであった。
元は、人の足や牛馬で越えたであろう山道が、車が通れる林道となり、遂には国道にまで登りつめたが、今また村道となって、静かな峠が残った。 峠を五ヶ瀬町側に下る。この国見峠は、熊本県との県境の峠のような気になるが、五ヶ瀬も同じ宮崎県の町なのである。県境は直ぐ西を走っている。
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五ヶ瀬町側を下る 右上が峠方向 |
国見トンネルの五ヶ瀬側 1時間40分前には反対側に立っていた |
椎葉側に比べて道は少し走りよい。勿論全線舗装済みだが、椎葉側が終始狭いのに対して、五ヶ瀬側に入るとやや道幅があるからだろうか。しかし、谷の下の方に下ると、椎葉側よりも狭く、ずっとさびれたお気に入りの箇所があるのだ。初めてこの峠道に五ヶ瀬側より足を踏み入れた時、その「酷道」の有様にたじたじだった。それを期待して下りて来ると、そのままあっさり新国道に出てしまった。残念。
国見トンネルは、旧道分岐のすぐそこで、大きく口を開けて待っていた。考えてみれば1時間40分ほど前には、そのトンネルの反対側に立っていたのだ。延長3Km弱のトンネルなら、車で、ものの3分もあれば通過してしまう。それを長い時間を掛けて、わざわざ峠を越えてやって来たのだった。峠の旅がどれほど非効率的なものかが分かるのである。しかもトンネル両側の記念写真まで撮っておきながら、自分はトンネルを通ったことがないのに気付いた。新道に折角造られたトンネルだが、峠の旅人には無用の長物なのであった。 |
トンネルから五ケ瀬町の中心地へ向かって走りだすと、新道の脇に旧道の跡が僅かに残っていた。ほとんど車1台分の幅しかなく、これを国道と呼ぶにはよっぽど図々しくなければならない。7年前はここを走ったんだと思うと、なんだか懐かしい。その一方、やっぱり新道ができた影響は、少なくないんだと実感した。
雨のしょぼ降る峠越えも、たまにはおつなものだったが、濡れた地面に今夜の野宿地を求めるのは、ちょっと憂鬱である。そのうち電話ボックスでも見付けて、近場の旅館でもあたることにした。 (最初、以前一度宿泊したことがある高千穂旅館に電話するも、応答なし。そこで宿泊表で見付けた菊地旅館に無事予約。GW真っ最中だが、その日の宿泊者は私ひとりであった。) |
旧道の名残 まさしく、「酷道」 |