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大木屋小石川峠 (仮称) 馬路村魚梁瀬に続く峠道
 
おおごやこいしかわ とうげ
(この読み方は正しくないかもしれません)
 
前編

 初掲載 2000. 6.18

 
大木屋小石川峠
大木屋小石川峠 (1993年 5月 2日撮影)
徳島県海南(かいなん)町側の大木屋小石川トンネル入口
生憎の雨で、カメラのレンズにも水滴が付く
しっとりと静かな峠
 
 四国は高知県の東側の山間部、北東側に徳島県を接する所に「やなせ」いう地区がある。「魚梁瀬」と書いて「ヤナセ」と読む。四国の観光ガイドブックを見ても、まず登場することなどないので、よっぽど何かの縁がない限り知る人は少ないのではないだろうか。魚梁瀬は馬路(うまじ)という村の北部に位置する。地図上では、太平洋に突き出した室戸岬から、真っ直ぐ上に徳島県との県境まで目を移すと見つけられるはずだ。太平洋沿岸からは、延々と寂しい陸路を走らないと辿り着けない、山奥の地である。背後には県境の峰々がそびえ、一見閉ざされたように思える魚梁瀬集落より、背後の山を越えて徳島県に抜けるたった一本の峠道がある。それが今回の大木屋小石川峠である。
 道は大木屋小石川線という未舗装林道で、峠は大木屋小石川トンネルで抜けている。残念ながら峠には名前がないので、仮称としてここでは大木屋小石川峠と呼ばせてもらう。

 この峠の周辺は個人的に非常に気に入っている土地なので、旅の回数も多く、カメラのシャッターを切る機会も多い。あれもこれもと載せたい写真が沢山あったが、ページが重くなるので少々割愛した。それでも20枚以上になったので、今回は主に高知側の前編と徳島側の後編に分けさせて頂くことにする。

 
 高知県内を魚梁瀬へ向かうルートは何通りかある。どれも太平洋沿岸を走る国道55号から、内陸に分岐する道を進むことになる。
 例えば安田町から県道12号安田東洋線に入る。途中馬路村の馬路温泉を通過し、更に人気のない奥へと進む。
 余談だが馬路温泉には2度も泊まったことがある。旅館に宿泊するより野宿の方が多い私にとって、これはめずらしいことだ。それほど気に入っている土地だ。宿泊をした早朝、村を散歩していたら、通りがかりの村の人が、「おはようございます」と声を掛けてくれる。そんな村だ。村おこしとしてユニークな活動もしていて、ホームページも開設している。
 尚、ツーリングマップルには馬路温泉とは別に「コミュニティーセンター馬路」とあるが、これらは同一のものだ。右の写真がそれである。写真に写った馬路村は、一見、開けた集落の様に見えるかもしれないが、ここが村の中心地で、ここを外れると、とたんに寂しい山の中だ。
 馬路村は大きく、馬路温泉のある馬路地区と奥の魚梁瀬地区に分かれる。県道12号は面白いことに、馬路地区を過ぎた先で一旦馬路村を出て北川村に入る。
馬路温泉
馬路村の中心地
手前の大きな建物が馬路温泉
「インクライン」と言う重力を使ったケーブルカーの
頂上駅より撮影 (1997年 9月27日)
 
県道54号の分岐
高知県北川村の国道493号から県道12号に入り、
ずっと北上して来たところ
直進が県道54号で魚梁瀬に向かう
左に鋭角に県道12号が安田や馬路へつづく
 また魚梁瀬へ向かうルートして、国道55号の室戸岬をバイパスするように通っている国道493号に、どちらの入口からか入り、北川村で県道12号に分岐する方法もある。
 田野町から国道493号に入ると、道は概ね奈半利(なはり)川に沿う。川は途中、平鍋ダム、県道12号沿いになって久木ダムと通って、魚梁瀬ダムまで通じる。
 魚梁瀬へは県道12号より分岐し、県道54号魚梁瀬公園線へと入る必要がある。県内から魚梁瀬への交通路は、最終的にはこの県道54号が唯一の車道となっている。
 左の写真がその県道の分岐点だ。海沿いからここまで来るだけでも、もう大変である。途中、ぽつりぽついりと小さな集落があるが、この先にもまだ集落があるのかと、危ぶみたくなる程だ。
 一度、東洋町側から国道493号に入り、馬路村を目指したことがある。旅程がうまく組めず、途中で完全に日が暮れてしまった。県道12号は真っ暗である。闇の中でも見覚えのあるこの分岐に到着した時は、ホッとする思いであった。しかしここから馬路までが、また怖い夜道であった。
 分岐にある道路標識には、さらに魚梁瀬まで7kmとある。
 
 県道魚梁瀬公園線を行くと、間もなく右手に魚梁瀬ダムが見下ろせる。形式はロックフィルのようだ。

 奈半利川の上流に位置する魚梁瀬は、元はこのダムによって湖底に沈んだ集落だ。昭和40年の6月に完成したこのダムは、それ程大きく見えないが、ダムにより水没した範囲は広い。昔のこの谷間の様子を知る由もないが、きっと隔世の間があるのだろう。現在目の前に見える景色からは、想像することもできない。

 現在の魚梁瀬の集落は、ダム湖の湖畔に築かれた丸山台地にある。水没した集落の移転先と決められた土地だ。住民は毎日、故郷が沈む湖面を目の前にして、どの様な気持ちであろうか。

魚梁瀬ダム
県道より魚梁瀬ダムを見下ろす
 
東屋
村境附近の東屋 背後にダム湖の眺めが広がる
ここでラーメンを作って食べた
 魚梁瀬公園線は更に北川村から馬路村への境であるちょっとした高みを越える。右手にはダム上流の谷間が広がる。
 その附近だと思うが、道路脇が展望所となっていて東屋がぽつりと建っていてる。

 最初に魚梁瀬を訪れたのは、徳島県側から峠を越えて来た時だった。生憎の雨で、車からあまり出られず、それに途中で昼食をとれる店など皆無で、車を走らせながらも、ちょっと困ったと思っていた。そんな時、この東屋を見つけた。好都合だとばかりに車の後部を東屋に突っ込み、荷台よりポケットコンロや片手鍋などを取り出し、即席ラーメンを作って食べた記憶がある。他に気のきいた食料の手持ちが全くなく、乗せる具も何もないただのラーメンだった。それでも雨を避けて、のんびり景色を見ながら食事をすると、やっと人心地ついた。それでまた旅が続けられた。

 
 あれから約7年。今年の元旦にまた魚梁瀬を訪れる機会ができた。今回は高知県側からである。展望所はどことなく新しくなっていて、パンフレットも置かれてあった。観光案内かと思ったら、電源開発(株)のピーアールだった。奈半利川沿線の発電所などについて書かれてある。記念に一枚もらっておいた。
 東屋を過ぎると、湖畔への下り坂となる。ガソリンスタンドがポツリと1軒あり、店の人が道路に凍結防止剤の白い粉をまいていた。これから先の峠道の状況が気になる。雪がなければいいが。
 ガソリンスタンドの背後には、魚梁瀬ダム貯水池が大きく広がっていた。これ程、眺めのいいガソリンスタンドも珍しいだろう。ただし、その眺めが店の営業にプラスとなるわけではない。この交通量が少ない道で、商売が成り立つのであろうか。

 太平洋沿岸から遥々ここまでやってきて、その貯水池を眺めると、その地はまさに山奥にひっそり佇む桃源郷のように思える。谷間にぽっかり開けたその空間は、確かに別世界である。湖底に沈んだ集落の元住民の気持ちはどのようであるか分からないが、通りすがりの旅人にとっては、ただただいい眺めである。

魚梁瀬ダム貯水池
魚梁瀬ダム貯水池(2000年 1月 1日撮影)
この空間は別世界だ
 
丸山台地を望む
魚梁瀬大橋より丸山台地を望む
 湖岸に下り暫し湖沿いに道を行くと、魚梁瀬大橋に差し掛かる。湖のほぼ中央に架かる、赤い大きな吊り橋で、県道魚梁瀬公園線と共に建設が進められ、昭和38年3月の架橋だ。その橋の袂には「やなせにようこそ」と、魚梁瀬の案内板が立っている。
 案内板によると、温泉やらキャンプ場やら、テニスコートに、ダム湖での釣、千本山の登山などなど、いろいろ楽しめそうである。
 その案内板の中で、一番注目したのは魚梁瀬案内図だ。徳島県へ続く道の部分を見ると、「徳島県海南町へ この道以外はだめ!」と、感嘆符付きで記されていた。逆に言えば、その道を行けば徳島県に出られるのである。何となくホッとした。少なくとも「冬期閉鎖」の文字はない。
 橋からは湖面を挟んで集落が望める。丸山台地である。そこには森林公園があるので、峠道に入る前にちょっと寄ってみた。
 
 元旦とあっては、さすがに遊びに来ている者はいないらしく、公園はひっそりしていた。おばあちゃんが一人、ゆっくりゆっくり歩いているだけだった。戻ろうかと思っていると、大きな汽笛の音がして、ディーゼルの野太いエンジン音が辺りに響き渡った。客車一両を連結した森林鉄道がやってきた。乗客はと見ると、おじいさん一人に小さな孫が二人だけである。かわいらしい鉄道は、その外見に似合わない大きな音をさせながら通り過ぎて行った。

 魚梁瀬は良質な杉がとれる森林資源の宝庫である。そしてかつては木材の運搬として森林軌道が活躍した。しかしそれも昭和35年には廃止されたそうだ。今ではこうして観光用に残るばかりである。

森林鉄道
森林公園の森林鉄道
 
東川林道分岐
県道より東川林道が分岐する
左は丸山へ
(カーブミラーは潰れて傾き、役立たない)
 徳島県への峠道は、魚梁瀬大橋から丸山へ行く途中より右に分岐する。舗装はされているが、寂しい道で、思わず車を止めて確認したくなるような分岐点である。
 分岐点には分かり易い道路標識などは建っていないが、代わりに小さな標識がごちゃごちゃと並んでいる。立っているというより、立て掛けてあると言った方が正確な標識である。じっくり読まないと、よく分かったものではない。ひとまず車を安全な場所に止め、歩いて戻ってきて、一つ一つ確認した。

 まず、丸山方面を指す標識には、「森林保養センター」とか「森林鉄道」、「千本山」などとある。「千本山」の文字はよく見掛けるが、登山に向いた山なのであろうか。その周囲にはもっと高い山はいくらでもあるのに。

 
 肝心な峠方面には、「東川」、「徳島県(海南町)」とあった。これで道に間違いのないことが分かる。しかしここの標識では、「徳島県」と例えば「森林保養センター」が同一レベルなのである。県境を越えるというのに、「徳島」の標識はほとんど目立たない存在だ。
 徳島への道は、湖に注ぐ幾つかある川の中の、東川という川に沿うことになっている。道の名前は東川林道である。分岐点の標識の中に、東川林道標識も混じっている。昭和47年度併用とある。

 分岐点には他にも「東川林道通行規制」やら「火の用心」やら「釣人への注意」やら、いろいろな標識があるが、みな古いものばかりである。カーブミラーもミラー部分がつぶれ、全く役立たない状態で、傾いて立っていた。

東川林道分岐の看板
分岐点に並ぶ標識
(林道標識の標柱は朽ちて、立て掛けてあった)
 
東川
東川
前方に東川橋
 随分前置きが長くなったが、今回の峠道の起点は、この東川林道からと言うのがふさわしいだろう。いよいよ大木屋小石川峠に向けて進む。

 東川林道に入ると、右手に川幅の広い東川が広がる。まだ、湖の続きのようで、流れは感じない。
 直ぐに前方に東川橋が見えるようになる。車のタイヤの跡は、東川橋を渡る方が多そうに感じる。でもそれにつられて橋を渡っては、徳島へは出られない。橋の袂にある標識に注意する。橋を渡らず直進する方に向いて、「東川」、「小石川」と混ざって「徳島県」と書かれた標識がちゃんとある。

 
 間もなく、左手より東川に注ぐ小さな支流に架かる小さな橋を渡ると、道は未舗装となった。比較的整備された林道で走り易い。その先、地図には「東川」と書かれた集落があるが、実際にはそれらしい痕跡は見られなかった。

 県道からの分岐より数kmも来たろうか、右に小石川橋が架かる。橋を渡らず進めば東川に沿う道で(林道東川線の続き?)、峠方面には橋を渡る。橋の袂には林道標識があり、「大木屋小石川線」とある。
 橋を渡った先は、東川から別れ、こんどは小石川谷に沿うダートとなる。
 林道や峠にあるトンネルの名前にも使われる「小石川」とは、この附近にあった集落の名前であろうが、「東川」と同様、現在集落はありそうにない。
 小石川谷は浅く直線的で、明るく開けた感じである。道も幅員は十分だし、勾配もほとんどなく、走っていて何の不安もない。

小石川橋
小石川橋  峠へはここを渡る
橋の袂に白い林道標識の標柱が立つ
 
大木屋小石川林道
大木屋小石川林道  峠方面を望む
明るく開けた感じの谷間を行く
 谷は直線的なのだが、前方にあるだろう峠のありかは、なかなか確認できない。その内、道の状態が悪くなってきた。悪いと言っても適度な荒れで、単調だった道に若干の変化を与えてくれ、かえって嬉しいくらいだ。

 峠はただでさえトンネルで抜けているので、このまますんなり走れては、峠を越える張り合いがないというもの。もっと険しい道にならないかなと思っていると、何やら谷の様子が変わってきた。前方に山が立ちふさがり、谷が複雑に曲がってきたのだ。道の勾配はきつくなり、カーブも多くなってきた。いよいよ峠への直登の始まりだ。

 
大木屋小石川峠 後編
 


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