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大木屋小石川峠 後編
 
大木屋小石川峠 前編

掲載 2000. 6.26

 
 小石川谷の水の流れもいつしか見えなくなり、峠の峰を前にして谷は複雑に屈曲を始めた。
 それに伴って道も大きく蛇行する。あれほど直線的だった道が、今はうそのようだ。きついヘアピンさえも現れた。崖も鋭く切れ落ちている。
 道の様相が険しいと、路面までも荒れてきた。ガレた感じだ。勾配もあるので、タイヤのグリップが悪い。轍もやや深くなっているところがあり、路面上でのコースを選ぶようになる。

 しかし4WDのジムニーをのんびり走らせている限りでは、全く問題ないレベルではある。ちょっとした緊張感が、かえって心地よいほどだ。これが峠越えの一番楽しい時でもある。それなりの険しさがなければ、峠を越えるという実感が持てない。険しさの先にある峠ほど、そこに到達した時のうれしさが増すというものだ。

峠への急登
峠への急登
振り返ると道の様相は険しい
 
九十九折
前方に九十九折(つづらおり)
 また一つのカーブを曲がった先に、ちょっとした九十九折(つづらおれ)が現れた。その九十九折の途中では、小さな橋で谷を跨いでいる箇所もある。下から見上げると、何とも危なっかしく見える橋だ。
 ここが高知県側の峠道のクライマックスらしい。こういうのを見ると、うきうきしてしまう。

 ただし峠のありかははっきりしない。峰の鞍部を越える峠なら、直接鞍部が眺められなくとも、大体の峠の所在は見当がつく。しかし峰の中腹に開けられたトンネルでは、どこら当りにそのトンネルの入り口があるのかは、なかなか分からないものだ。

 とにかく九十九折をじっくり堪能させていただいた。下から見上げた時は危うげに見えた橋も、実際に渡る時には怖さを感じなかった。

 
 下から眺めた九十九折の最後のカーブを右に曲がると、峠のトンネルはあっけなく現れてしまった。少し物足りないのは否めない。これがトンネルではなく、峰の頂上を越える本当の峠だったら、もっと楽しめたのだろうと思う。
 トンネル内は照明など皆無だが、直線的なので徳島県側の出口の明かりが、ぽっかり白く見える。トンネルの前に立つと、徳島県からの風が吹き抜けて来た。2000年新春の風である。少し冷たいが、気持ちがいい。
 トンネル入口の左脇には、次の様に記してある。
 
広域基幹林道大木屋小石川線
大木屋小石川トンネル
竣功 1978年 3月
延長 346m(高知県203m) 巾員 4.5m
発注 高知県
施工 株式会社 竹内建設
 
 施工者が記されているのは、珍しいのではないだろうか。
 トンネルにより両県の間を車道が通じたのは、高々22年前ということになる。トンネル以前の時代には、高知県の小石川と徳島県の大木屋との間に、両集落の人や物資の交流を担う峠道はあったのだろうか。あったとしても、交流はそれ程盛んなものではなかったように思う。地形的に県境の峰を越えるより、それぞれの県の中心地に向かう道の方が、ずっと安易である。
大木屋小石川トンネルの高知県側
大木屋小石川トンネルの高知県側
トンネルの先に徳島県側の明かりがぽっかり見える
 
徳島県側の景色
峠より徳島県側を眺める
 トンネルを抜けて徳島県側に出た。時刻は11時45分。多分私が今年この峠を越えた最初の者だろう。
 峠からは高知県側とは異なり、大きな谷間に大きく広がる眺望が得られる。心配した雪など全くなく、寒さも感じない。

 徳島県側の道の状態はよく、峠を下ると途中にチョット舗装してある区間も2箇所あった。しかし概ね安定したダートである。高知県側に比べると谷の高所を通る山岳道路風で、峠を挟んで道の様相は随分違うものだと改めて思う。

 
 道を下りながら、もう昼時なので、どこかで食事にすることにする。このまま道を下っても、暫く食堂などないだろうから。
 峠を1km程も下ったろうか、左に舗装の通行止林道が分岐する。その手前に見晴らしがいい空地が道路脇にあった。道より一段高くなったその空地に車を乗り上げ、昼食とする。今回は食料は豊富である。豊富といってもレトルトや即席物ばかりであるが・・・。定番のカレーを選び、ポケットコンロでお湯を沸かし温めた。日は暖かく、ジャンバーも要らないくらいだ。ところがその暖かさが禍してか、食事を始めると蜂が寄ってきて煩い。この季節に蜂に悩まされるとは思わなかった。あまりしつこいので、仕方なく車の中に逃げ込んだ。折角景色を楽しみながら食事ができると思ったのに、とんだ邪魔が入ってしまった。
徳島県側の道
徳島県側の峠道
山岳道路の様相
 
林道分岐
名も知らぬ林道の分岐
橋を渡って左が大木屋へ、手前が国道193号へ
 大きな谷間を下り、大木屋谷の川に沿うようになると、ポツリと1軒の人家が現れた。大木屋集落であろうか。道はその人家の直ぐ軒先を通る。日溜りの中に暖かそうな落ち着いた佇まいであった。道はその附近で舗装路となる。

 以後は川に並行して走るクネクネ道だ。これからが長い。展望がないので尚更長く感じる。

 途中で左に名も知らぬ未舗装林道が分岐。大木屋谷の支流に沿う道だ。徳島県側から峠に向かう場合、「高知県」とかかれた標識もあるので、道を間違えることはない。

 
 ただ一度、分かりにくい逆Y字型の分岐に出た。左に鋭角に舗装路が分岐している。周囲には人家もあるちょっとした集落だが、分岐には何の標識もなく、迷って立ち止まっていた。するとその左より車がやって来て、大木屋方面へと走り去った。それではと、その車が来た方に入ってみると、見事にやられてしまった。途中から未舗装林道になり、明らかに枝道であることが分かった。分岐のタイヤ跡を見ても、どちらが本道でどちらが枝道だか、明確ではない。こんなところこそ標識を立てるべきだと、少々腹立たしかった。

 道は川又への分岐を過ぎ、以後は海部川に沿う。川又分岐には標識完備だ。

川又分岐
川又分岐
直進が川又へ 右に橋を渡って国道193号方面へ
 
県道合流
県道に合流
前方左に橋を渡ると大木屋へ 右は轟公園へ 
 道は県道148号中部山峡轟公園線に合流する。国道193号の方から来ると、大きな道路標識が掲げられてあり、迷うことはない。
 ところで、写真に写ったその道路標識を見ると、大木屋に「Ogoya」と付記されていた。「おごや」と呼ぶのか「おおごや」なのかは分からない。少なくとも「おおきや」ではなかった。地名は本当に難しい。小石川も「こいしかわ」ではないかもしれない。

 県道に出たついでに、滝があるようなので轟公園へ行ってみることにした。そこには朱塗りの神社があり、ちょっと観光地っぽい雰囲気。駐車場に車を停めようかと思ったが、丁度居合わせたアベックに一瞥され、どうも場違いな気がしてきた。車を停めることもなく、引き返した。

 
 県道は走り易く、すぐに国道193号へ出た。
 国道からの分岐点には「轟の滝」と大きな看板が出ていて、迷いようがない。それに海南町から来た国道のタイヤ跡は、県道に分岐する方が濃く、まるで県道の方が本線のように見える。国道を霧越峠を越えて上伊那町へ向かう方が、ずっと寂しい道なのだ。事実、分岐点の直ぐ先で皆ノ瀬集落内を抜ける国道は、異常に狭くて到底国道とは思えない有様だ。そして霧越峠に登る道も険しく、通る車をとんと見掛けない。
 轟の公園や神社、滝は、人を県道の方に引き付ける威力が大きいようである。
国道193号
国道193号からの分岐点
左は県道を轟公園へ 右は国道を霧越峠へ
タイヤ跡はほとんど左へ
 
平井林道記念碑
平井林道記念碑
 国道からの分岐点でうろうろしていたら、「平井林道記念碑」と書かれた石碑を見掛けた。現在の道路地図に平井林道というのはないが、多分この県道の元の道のことだろう。県道沿いに平井という地名がある。

 平井林道と呼ばれる頃なら、まだ轟の滝へ向かう観光客も少なかったことだろう。その頃なら私も場違いな思いをすることなく、滝見物ができたろうに。
 

 大木屋小石川峠を最初に越えたのは、もう7年ほども前のことで、今年また訪れてみると、峠道自体にはあまり覚えがないことが分かった。しかし、魚梁瀬ダム近くの展望所から眺めた魚梁瀬のあの景色だけは、イメージとして強く印象に残っている。それにイメージとしての記憶はないかもしてないが、まだ寂しい未舗装林道を走るだけでも懸命になっていた頃の心持ちは、淡く蘇ってくる。
 今の私にとって大木屋小石川峠は、険しくなどないが、じっくり越えればそれなりに味わいのある峠道であった。

 
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