おまた とうげ
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「埋もれた峠」などと言っても、本当に「土砂に埋もれて廃道寸前の峠」と言う意味ではない。「目立たない峠」とでもいう意味合いの積もりである。事実、この私もこの峠の名前を時々忘れてしまったりする。確か宮崎県のどこかの村に、とっても寂しい峠があったなと、地図であちこち調べて、「あっそうか、尾股峠だ」とやっと思い出す。それほど寂しい峠なのだ。
そのどこかの村とは、西米良村である。余談だが九州では「村」を「そん」と読むケースがほとんどで、この西米良村も「にしめらそん」と読む。一方この村の中心地は村所で、こちらはどういう訳か「むらしょ」と読むらしい。日本の地名は全く訳が分からん。
西米良村には国道219号米良街道がほぼ東西に走り、これが村の幹線道路となっている。村所近辺の国道沿いには、比較的最近にできたらしいキャンプ場もあり、何だか分からないが似つかわしくない真新しい近代的な建物も丘の上にそびえている。しかしこの村所附近を除けば、後は道があるばかりで、峠と同じく寂しい村である。寂しい寂しいと連発すると、村の人に悪いようだが、私の場合「寂しい」は誉め言葉でもあるのだ。
国道219号に対して、椎葉村から南下して来た国道265号が、村所でほぼ直角に合流する。そして西の横谷峠の方へ5kmほど行ったところより、再び国道265号が分岐して、更に南下を続ける。そこに今回の尾股峠はある。
![]() 国道219号より分岐した国道265号 右上に運転注意の看板が出ている |
未改良のため幅員が狭く カーブが多いので注意 して運転して下さい
宮崎県 ・ 宮崎県警察本部 |
国道219号を村所の方からやって来て、道路標識に従って左折して国道265号に入る。直ぐに上に示した運転注意の看板が出ている。このような看板はあまり見掛けたことがない。こんな看板が出ていると、すごく厳しい山岳道路を期待して、かえって喜んでしまうのだが、実はそれほどでもないので、ガッカリなのである。
国道265号は、尾股峠の先でダムの工事をしていたりする関係もあり、よく工事や通行止の看板も出ている。去年の5月に訪れた時も、熊本県多良木町での「時間通行止」やら、「田代八重で崩土の恐れ」などと看板が立っていて、やきもきさせられるのだ。 暫くは2車線の国道としての面目が保てる道が続く。しかし沿線に大きな集落などは、ほとんど見られないのだ。その内「日向折戸」というバス停があり、そこよりセンターラインが消え、1.5車線以下の道になる。この状況は、6年ほど前に来た時から、全く変わっていない。一向に改良される気配はないということである。ただ以前のバス停には「JR九州バス」と書かれていたが、今では「西米良村営バス」と書かれているのを見逃さなかった。バス停の周囲には民家もなく、はたして利用されているのかと危ぶむのであった。 |
![]() 「日向折戸」バス停 以前は「JR九州バス」だったが、今は「西米良村営バス」 周囲に民家が見当たらない |
![]() やっと展望が開け、峠方面が望めた |
道幅が狭くなってから峠道らしい登りも始まる。林の中を抜ける暗い道で、展望が全くない。沿線には見るべきものもなく、ただただ狭いクネクネ道に車を走らせる。
半分ほども登ってきたろうか、やっと峠方向に展望が開けた。峠のこちら側は比較的なだらかな斜面が広がっている。そこに造られた道は、それほど険しそうには見えない。 |
暫く展望がいい区間が続く。眼下の眺めもある。峠の旅ではこうした景色を楽しむのが本道である。しかしこの峠道ではここが唯一開けたところとなるのだ。
道は、峠直下で東に向かって折れると、また林の中に入ってしまう。せめて峠では眺望が欲しいと思うのだが、林の中に入ったまま峠に着いてしまうのだ。 |
![]() 峠の村所側の道 この附近だけ展望がいい この後また林の中に入ってしまう |
![]() 村所側より峠に着く 左脇に異様に大きな柱が立っている そこには「九州中央山地国定公園 西米良村」とある 大したことが書かれている訳ではないのだ (国定公園は大したことではあるが) |
峠前後は木立の中に隠れて薄暗く、峠のどちら側にも展望は全くない。峠は同じ村中にあるので、境を示す標識などもなく、峠としては寂しいかぎりだ。カーブミラー1本と、何かの注意書きが書かれた看板、それに異様に大きな柱が立つ。何が書かれているかとのぞけば、国定公園を示す標柱であった。
尾股峠は、その直ぐ西には熊本県との県境をなす山並が連なり、その県境にある千本山より東に派生する稜線上に位置する。標高は約770m。ここより南の須木村(すきそん)にある輝嶺(きれい)峠とともに、国道265号南部の難所であった。 国道265号と言えば、ずっと北に遡るとあの国見峠がある。大変な難所だ。しかし国見トンネルができてしまった今では、尾股峠が国道265号一番の難所なのかもしれない。 |
実は峠より西方に分岐する林道がある。そこをちょっと進めば、何とすばらしい展望が開けるのだ。村所側が一望で、まったくはればれする。尾股峠を訪れたら、ここに寄らない手はない。あんな暗い峠をただ通り過ぎるだけでは悲し過ぎる。
できたら景色を肴に一休みするのがいい。それはこの尾股峠の尾股側が、また長くて暗いのだ。
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![]() 峠から分岐する林道にて 村所側が一望に見渡せるのだ |
![]() 峠から尾股側に下り始める 暗い道だ |
峠から尾股側に下ると、村所側よりもっと暗い道である。まるでトンネルのようだ。狭い谷間を縫うように走る。遠望など全く望むべくもない。
道の脇には尾股川が流れる。川沿いの道はカーブが多く、どことなくジメっとした感じがある。 |
眺めもないし、道に変化もない。よそ見をしようにも、見るものがないので、全く詰まらない。ただ時々ひょっこり家屋が建っていたりする。しかしどうも使われている様子がない。以前来た時には、明らかに廃屋となっているものもあった。
国道とは言えないような道だが、国道標識だけは時々顔を出す。例のあの逆おにぎり型の標識である。しかしそこに書かれている地名は、どこまで行っても「尾俣」なのだ。 |
![]() 尾股の廃屋? |
![]() 国道標識 国道にしては狭い道なくせに、こうして時々現れるのだ |
![]() 国道標識 どこまでいっても書かれた地名は「尾股」 |
![]() 須木村(すきそん)に入る |
この尾股峠の峠道では、これまで一台の車ともすれ違ったことがない。特に尾股側の道はとても長く感じられて、怖いくらい寂しい道である。
途中で道がセンターラインもある2車線路になり、そこにはぽつりと人家もある。やっと狭苦しい道から開放され、このままいい道が続くのかと思ったら、人家を過ぎるとまたしても狭く、暗い道になってしまった。 それでも須木村との境を過ぎるころには、道にかぶっさていた木々も少なくなり、徐々に道に明るさがでてくる。 |
須木村との境界には「紅葉街道 西米良村」と書かれた木の柱が立っている。西米良村の国道219号から峠道が分岐した入口にも同じものが立っていた。この尾股峠の峠道を「紅葉街道」と名付けているようだ。西米良村ではこのように道に名前を付けている。他には「花街道」などというのがあった。最初見たときは何か特別ないわれでもあるのかと、きょろきょろしてしまったが、どうもただ名前を付けているだけのようだ。それでも「紅葉街道」というからには、それなりに紅葉が美しい道なのかもしれない。残念ながら訪れたのはいつも春なので、真偽の程は分からない。この道も木々が紅葉でもしていれば、少しは寂しくなくなるのだろうか。
まもなく道は比較的新しい立派な道になる。今度こそは間違いなく、あの狭苦しさから開放されたのだ。空は開け、前方にダムが見えてくる。 |
![]() 須木村との境界の西米良村側を見る 西米良村では「紅葉街道」と呼ばせている |
![]() やっと狭い道から開放された 前方に田代(ヶ)八重(たしろがはえ)ダムが見える 谷には旧道の跡のようなものも |
須木村の田代八重(たしろがはえ)に着いた。
ここは田代八重ダムの大規模な工事が行われている。道が途中から立派になったのは、このダム建設に伴い、新道が建設されたからだ。 初めてここに訪れた時には、もう既に工事はかなり進んでおり、道の状態はほぼ現在と同じであった。
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ダムの綾北川のすぐ上流には田代八重大橋が架けられている。その橋の手前左には、ダムをまっ正面に望む展望所が作られている。ダムを正面に、左より峠道と一緒に流れてきた支流の尾股川が流れ込む。まだダム工事は完成していないのか、水は溜まっておらず、湖底には川が蛇行して流れていた。
橋を渡ると直進の国道は工事中で、仮設の信号でやたらに長く待たされた。その間に工事車両さえも通らない。勿論後続車が後ろにつくこともなく、退屈なので車を降りて写真など撮る。 国道を進み、更に県道144号槻木田代八重線へとダムの上流に向かう。依然として湖底には建設機械が見うけられ、工事は進行中である。 |
![]() 前方に田代八重大橋、左にダムの展望所 橋の手前の道路標識には 橋を渡って直進が国道265号で小林へ 左折が県道360号で綾へ |
![]() ダム工事中(1994年5月) |
1994年の5月に訪れた時は、もっと盛んに工事が行われていた。工事用に仮設の道路が縦横無尽に作られ、どこかに旧道はないかと探したが、残っていたとしてもそれらと区別がつかなかった。
ダム工事が行われる前の、田代八重という村はどの様な所だったのだろうか。訪れたのが遅過ぎて、今では想像することもできない。尾股川の旧道跡らしきものが、せめてもの昔の姿の断片なのだろうか。峠から来る途中の尾股には、辛うじて人家が残るが、ここ田代八重に人家を見ることはできなかった。ダムに沈んだのであろう。須木村は早くから過疎化が進む村として、県内でも代表的な存在であったようだ。田代八重もその象徴のひとつなのであろうか。 ダムができ、大きな橋が架かり、道も立派で、展望所なども造られた。風光明媚とも言えるだろうが、人の住まない土地はどこか寂しげである。工事中ということも手伝って、殺伐とした感じを受けてしまった。 峠を越えてはるばるやってきたが、そこはもう人里ではなかった。峠道は人里から人里へ通じていて欲しいものだ。 |