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鳥居峠  有名でない車道の方の峠    
とりい とうげ

この峠については 新しいページ があります


<初掲載 1999.10.24>  「今月の峠 1999年10月」  として

鳥居峠
鳥居峠
手前が木祖村 奥が楢川村
右に有名な方の鳥居峠へ遊歩道が続く
 

 長野県の楢川村奈良井と木祖村藪原を結ぶ鳥居峠といえば、ここで取り上げるまでもなく、あまりにも有名な峠である。 中山道屈指の難所であり、数々の歴史の舞台として登場する。
 ところがである。歴史には全く疎い(うとい)のだ。 「木曽義元が峠に鳥居を建てて以来、鳥居峠と呼ばれるようになった」などと言われても、木曽の義元っていったい誰?という有様だ。 どの時代の人物か、歴史上どの様な役割を担ったのか、全く見当もつかない。
 
 元来、理科系の人間なのである。自分に関わりがあり、自分から何らかの能動的な作用が加えられ、その反応を確かめられない事物に対しては、ほとんど関心が持てないのだ。 遠い過去の出来事に思いを馳せ、いろいろ想像を膨らませるというのも、それなりに面白いこととは思うのだが、やはり今現在の自分に直接訴え掛けてくれる物の方がいい。
 
 そういう訳で、ここで取り上げる鳥居峠は、有名な方の峠ではない。車やオートバイで越えられる車道の方の峠である。
 
 その峠道を自分の車で自分で運転して走り、路面状態を車の振動を通して感じ、自分の目で景色を眺め、自分なりにこの峠道を理解してきたのである。
(車道の峠も鳥居峠と言って問題ないようだ。新しいページを参照のこと)

   
木祖村側鳥居隧道入口
鳥居隧道 木祖村側坑口
入口の上部には右から左に「鳥居隧道」の文字
高さ注意 4.2M」ともある

 現在の中山道、国道19号はこの峠を新鳥居トンネルで簡単に抜けている。トンネルの前後でほとんど登り下りがない。 新鳥居トンネルは昭和53年にできたもので、「新」いうからには「旧」があった。峠に行く前に「旧」の「鳥居隧道」の痕跡を訪ねてみる。
 
 鳥居隧道に向かう旧国道は、木祖村側の新鳥居トンネルに入る直前を左に分岐している。 僅かな距離を新国道と並走した後、新鳥居トンネルの上を跨いで北(南の間違い)へ向かう。 新国道の明るい雰囲気から一変して、木々に囲まれ薄暗く、朽ち果てようとしている旧国道の佇まいを目にする。 枯草が取り払われることもない路面に残るセンターラインや、道路脇で草木に隠れそうに立つ錆びた標識などが、ここが元、国道であったことを感じさせる。 それが尚更寂しい。
 
 間もなく路上に鉄骨などが取り散らかされていて、車の通行を阻む。町工場の作業場代わりにでも使われているようだ。 その先に鳥居隧道の坑口があった。 入口はコンクリートで塞がれ、周囲の草木で埋もれた坑口の様子からは、その奥で全長1,111mものトンネルが貫通しているとは想像もできない。
 この隧道完成は昭和30年である。新鳥居トンネルに取って代わられるまでの、23年間の命であった。

 隧道から戻り、国道に出る前を集落の方へ曲がる。直ぐに右側に小さな消防署があり、その脇を狭い道が分岐する。 道の入口には鳥居峠自然遊歩道の看板が立つ。ここが車道の峠道の入口でもあるのだ。車ではちょっと入るのをためらいたくなるような道である。 ちょうど消防所員が外で整列していて尚更入りずらかった。
 
 そろそろと車を進めると、入口から直ぐのところで、車道は右に、遊歩道は左に分かれる。遊歩道は昭和46年に旧中山道を整備したもので、有名な鳥居峠に続いている。 車道の方は未舗装の林道といった雰囲気だ。遊歩道と分かれたので、これで少しは気が楽になった。
 
 道幅は終始狭く、車が離合できる待避所も少なくて、走っていても狭苦しい感じを受ける。この車道の原型は明治23年に馬車が通れる新道として開発されたものだ。 車道の峠道としては一番古い。また新鳥居トンネルや鳥居隧道よりも主役を演じた期間はずっと長いことになる。 しかも鳥居隧道と違って、今でもこうして通れるのが嬉しい。

自然歩道との分岐
木祖村藪原の峠道
入口から直ぐのところ
左に自然歩道が分かれる

峠からの木祖村側の眺め
峠より木祖村側を眺める
いい景色だ

 旧中山道を探訪する遊歩道の方は、有名な鳥居峠の名と共に、いろいろ観光ガイドなどでも紹介されているだろうが、車道の峠道が紹介されることはまずない。 一般的な道路地図などに載っていることも稀で、車やオートバイで鳥居峠の峠越えが出来るのを知る者は少ないのではないか。 ましてや遠くからわざわざ訪ねて来る者もない。路面は未舗装ながら比較的整備されているが、地元の車が林業などの作業用に使うのがせいぜいであろう。
 
 車道は途中で先に分かれた遊歩道と交差し、峠には旧中山道より西側から登る。峠の直前からは木祖村側の眺めが広がる。 山腹途中で何やら工事をしている様子であった。

 着いた車道の峠はそっけない。
 勿論、鳥居もなければ芭蕉の句碑なども建っていない。そんな有名な鳥居峠へは車道の峠より遊歩道が延びている。 車一台が通れる道幅があるが、車は乗り入れ禁止だ。峠まで自分の足で歩くしかない。
 
 車を車道脇に停めて、少し歩いてみる。遊歩道入口にクマに関する注意の看板が立っていたので、ラーメン鍋とナタを持ち、ナタで鍋の底を叩きながら歩いた。 クマよけの積もりである。またクマが襲ってきたら、ナタで立ち向かう覚悟だ。これまで何度かクマに遭遇しているので、クマと聞くと過剰反応してしまうのだ。 自分でもかなり異様な格好であることは分かっている。暫く歩いたが鳥居峠はいっこうに現れそうもないし、ひとりの山道はやっぱり怖い。 それに人に出会ったら、クマに出会うよりびっくりされるかもしれない。 この野宿旅も3日目になるので、無精ひげは伸び、着ている服は汗と土ぼこりで汚れてよれよれで、そんな男がナタを持って現れたら、驚かない訳がない。 人騒がせになる前に車に引き返した。
 
 車道の峠にもひとつだけ、峠らしいものがある。遊歩道との分岐にある石の道標だ。それは「左 明治道路 右 旧国道」と読める。 この未舗装の林道のような道が旧国道であったことを示している。

峠の道標
車道の峠にある石の道標
「左 明治道路  右 旧国道」

奈良井側の道
奈良井側に降りてきたところ
右の登りは峠へ 左はJR中央本線奈良井駅へ
手前は元の旧道だが行止り

 峠を奈良井側に入る。道の脇に小屋が建っていて、水場もある。ちょうど一人の男性が歩いて登ってきたらしく、そこで汗で濡れた体を拭いていた。 ズボンもずり下げ、ステテコがのぞいている。ナタを持っているよりはましか。かまわず鳥居峠のことを聞いてみた。 残念ながらその方もこれから峠に向かうそうで、峠のありかについてはご存じなかった。
 
 奈良井側の道に展望はない。ただただ暗い谷間を下って行く。
 
 さほどの距離もなく舗装路になり、間もなく人家が現れた。ちょうどそこのご主人が庭で作業をしていた。車を停めて中から少し話しを聞く。
 
 昭和20年代は、まだこの道を4トン車が走っていたと言う。冬場もチェーンを巻いて走ったらしい。ここを越えなければ名古屋には出られなかったんだと、しきりに話す。 当時、建設省の役人がこの峠道を越え、その険しさに驚いた。それが昭和30年の鳥居隧道の完成に繋がったのか。
 
 ジムニーとそのご主人の軽トラで道を塞ぎ、のんびり立ち話をしているこの道が、終戦直後まではこの地方の主要幹線道路だったのだ。 その家の前をいろいろな車が行き来したに違いない。今は、南斜面に面してポカポカと日当たりがいい、のんびりした田舎道である。
 
 ご主人は鳥居峠には多くの学者も訪れたと、やや自慢気で、車を引き返してでも是非峠に行けと薦める。 クマはどうかと聞くと、昼間は大丈夫そうな返事だったが、断定しなかったのを私は聞き逃さなかった。
 
 道は人家の前を過ぎ、左に浄水場への道、その先でヘアピンを曲がる。元はそのまま直進していたらしいが、今では草で覆われている。

 ヘアピンで坂を下ると、ひょっこりJR中央線奈良井駅の前の道に出る。そこの分岐には道路標識もなく、知らないと峠道を探すのに苦労する。 以前訪れた時は遊歩道の方に車で迷い込にで冷や汗をかいた。多分、車で越えられる道はないのだと思い込んで、その時は諦めてしまった覚えがある。
 
 平日だが、駅の附近は旧奈良井の宿場とあって観光客の姿が目立つ。駅前の道を通って踏切を渡り、暫く線路と並走すると現在の国道に突き当たる。 その少し手前に鉄道のトンネルがある。昔の国道はその附近で線路を渡り、峠に通じていた。そこの踏切では事故が多かったんだと先の主人が話していた。 見ると、線路を挟んで反対側に草で覆われた平らな土手が続いている。それが道の名残のようだ。

奈良井側の道
線路沿いを国道19号へ
線路を挟んで反対側に旧国道があったとのこと

楢川村側の旧道
楢川村側の2代目国道の跡

 楢川村側の2代目国道、鳥居隧道の道は奈良井集落よりずっと北にある。 一度国道19号に乗り、新鳥居トンネルの方へ戻る。トンネル手前を権兵衛峠への道に入り、さらに途中で右への分岐に入る(こんな説明でわかるだろうか?)。 直ぐにゲートで通行止だが、鍵が掛かっていない(いつもかどうかは知りません)。ちょっと失礼してゲートを開けて進むと、暫くの間、2代目の旧国道が楽しめる。 日当たりが良く、道路脇には枯草が吹き溜まっているが、それがまた落ち着いた雰囲気である。小さなトンネルをひとつ抜け、鳥居隧道に着く。

 入口はやはりコンクリートで塞がれている。見るからに小さなトンネルで、これでは軽自動車どうしでもすれ違いは苦しそうだ。 それでも積雪時にはしばしば通行が途絶した初代の国道に比べれば、ずっと人々の暮らしには役立ったのであろう。
 
 鉄道も含めると鳥居峠には幾筋もの道やトンネルが通されてきた。その痕跡の一部を実際に訪れてみると、時代の流れを感じない訳にはいかない。 今度機会があれば、本物の鳥居峠にも行ってみようと思うのであった。 その前に、鍋の代わりの鈴や、ナタの代わりのクマ避けスプレーを買わなければならないのであった。

楢川村側の鳥居隧道坑口
楢川村側の鳥居隧道坑口


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