|
山口県鹿野町側の峠道の入口 手前の国道315号から県道3号が北へ分岐する 停めた車の脇には石碑が立つ |
ホームページ「峠と旅」では、「峠マップ」と呼んでいるものを掲載している。峠を「あいうえお」順に並べた「峠リスト」に対し、視覚的に峠が選べるように、日本地図上に峠の所在地を赤いマークで記し、クリッカブルマップとしているのだ。日本地図は自作の品であり、我ながらいい出来栄えだと自負している。
今現在、ほぼ100の峠を掲載したその地図を、改めてしげしげと眺めてみた。一応、北海道から九州まで、赤いマークが点在していて、自分で言うのもなんだが、なかなか壮観である。峠マップは、これまで日本のあちこちを旅してきた一つの証しとなっている。 しかしよく見れば、赤いマークの偏りも案外多い。北海道はその広さに比べて峠の掲載数が少ない。千葉県や茨城県など幾つかの府県では、一つの峠の掲載もないところがある。
|
それで選んだのが、この小峰峠である。
小峰峠というと、どちらかと言えば、東京都の八王子市とあきる野市の境にある方を思い出す。そっちの小峰峠の方が身近なのだ。 しかし、今回のこの小峰峠は、仮にも島根県と山口県の県境の峠である。東京都にある市境の峠と比較しては、失礼なのであった。県境の方の小峰峠の道は、山口県の鹿野町の国道315号から、やや鋭角に北に向かって始まっている。
石碑には「県道開通記念碑」とあった。正確には「縣道」と書いてある。これは、なかなか古めかしい。石碑に刻まれた日付はと見ると、何と私と同い年の生まれではないか(2ヶ月私の方が若いが)。
|
立派な県道開通記念碑 石碑の日付は昭和32年6月1日 |
県道を峠へ向けて進む |
開通記念碑より始まる県道は、谷間の平坦地を直線的に進んでいく。道の左側には峠より流れ下ってきた倉谷川が通っている筈だが、道から少し離れていて川面は見えない。
今日は1999年12月29日。年末という時期も時期だからか、道を通りかかる車も、周辺の人家の人影も、全く見られない。でも、寂しいというより、のどかな雰囲気がうかがえる。生憎、天気は薄曇りで、周囲には雪が積もっているが、これが春になれば、思わず「田舎道」と呼びたくなる様な道だろう。 峠道の特徴でもあるように、だんだん道の周囲から人家が消えてゆき、代わって両側より山が迫ってくる。 |
ほぼ真っ直ぐ北に向かっていた道が、クネッた登り坂へと変わった。路面凍結がやや心配だ。でも、除雪は行われていて、車の走行路面の積雪はない。
ガードレールが山吹色(濃い黄色)だが、錆びているのとは違う。山口県などのガードレールは、これで普通である。確か「自然」と調和する色として選んだと聞いた覚えがある。今は雪の白色と区別がつくのがいい。 道路脇に立つ県道標識に書かれた地名は、鹿野町開作とある。道はセンターラインのない1.5車線の幅員となった。道の両側には雪が掃き溜められているので、尚更狭く感じる。 峠の直前より、走行路面にも雪が目立つ様になった。道の勾配も急になってきたので、慎重に車を進める。間もなく木立に囲まれた小峰峠に着いた。 |
峠への登り |
小峰峠 手前が山口県、奥が島根県 |
どういう訳だか、それまで路面に雪はなかったのに、肝心な峠の部分だけ、路面に雪が積もっているということが、峠道にはよくある。小峰峠も如何にも滑りやすそうな圧雪路となっていた。
峠は切り通しであることが多く、両側の斜面に積もった雪が、道になだれ込んでくるのだろう。また除雪しようにも、雪の持って行き様がない。峠は風の通り道でもあり、寒く凍りやすいのも原因かもしれない。 それにしても、峠の僅かな距離に積もった雪だけの為に、その峠を越えられず、引き返したこともある。全く冬の峠道は、峠を越えるまで全然油断できない。 小峰峠の標高は約720m。峠に続く稜線上の東方に、小峰山929.8mがそびえる。峠名はその山からきているのだろう。
|
峠からは島根県柿木村側の展望が広がる。峠から流れ下る小峯谷川に沿って、比較的幅の広い道が続いている。その先、柿木村の中心地までは、なかなかの距離だ。途中、津和野へ抜ける杉ヶ峠の道が左に分岐する。10年ほど前にそこを越えた覚えがある。
こうして、小峰峠をホームページに掲載し、峠マップの空白地帯だった中国地方の西方にも、くっきり赤いマークが付けられて、まずは満足である。
<制作
2001. 4. 5>
|
峠より島根県柿木村側を望む |