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安房峠
 
あぼうとうげ No.181
 
信州松本と飛騨高山を結ぶ壮大な峠道
 
(初掲載 2011. 8.20  最終峠走行 2003 .8.13)
 
  
 
安房峠 (撮影 2003. 8.16)
手前が長野県松本市(旧安曇村)
奥が岐阜県高山市(旧上宝村)平湯
峠の標高は1,790m(峠にあった石碑より)
道は国道158号・安房峠道
県境を示す看板には、「長野県 上宝村」とある
この時はまだ、高山市になっていない
 
 
 
 これは正しく長大な峠道だ。飛騨山脈(通称北アルプス)の只中を越えている。北の穂高岳と南の乗鞍岳の間を1,790mで豪快に跨ぎ越しているのだ。
 
 飛騨山脈に絡む峠道としては、乗鞍岳の南に野麦峠(1,672.2m)があるが、それ以外に車道の峠は見当たらない。特殊な例として、黒部立山アルペンルートの関電トロリーバスが、長野県と富山県の境を赤沢岳下のトンネルで抜け、黒部ダムまで通じている。勿論一般車が通れる訳ではなく、これはあくまで特殊なケースであろう。
 
 また、乗鞍スカイラインが乗鞍岳の北の肩を、2,700mを超える高所で長野・岐阜の県境を越えている。これは果して峠なのだろうか。県境に峠の名前などは付いていない。安房峠より1,000m近く高い所を越えるなど、ルール違反である。それに、2002年だったか、一般車の通行が禁止されたこともあり、除外するものとする。よって、安房峠は飛騨山脈を越える最も高い峠と認定するのであった。
 
 安房峠を大きく見ると、信州松本と飛騨高山を結ぶ、長い峠道と取れる。現に、安房峠を通る国道158号は、松本を起点として高山市街を通過し、その先へと延びている。野麦峠も同じような役目の峠だったが、現在では国道が通る安房峠の方が、主要道路になっている。
 
 信州と飛騨地方、更には北陸地方を結ぶ峠として、安房峠は古い歴史を持っているそうだが、現在でもその役割は大きい。わたし自身も、岐阜県や富山県、石川県方面に旅をする時、あるいはその方面から帰って来る時、この安房峠を時々使った。
 
 余談だが、以前勤めていた会社の本社が神奈川県の相模原市にあり、その子会社が石川県の旧松任市(まっとうし)、今の白山市にあった。旧松任市は金沢市の少し西側に位置する。子会社から本社に出向している方が多く居たのだが、聞くところによると、週末の金曜日の午後から車で帰省すると言う。その時、安房峠を越えるのだそうだ。飛騨山脈の北を日本海沿いにぐるりと迂回するより、安房峠越えの方が早いとのこと。旅行でのんびりドライブするのとは訳が違う。途中で仮眠しながら家路を急ぐそうだが、全くご苦労なことだと思った。
 
 ところで、安房峠とはなかなか良い名前だ。「あぼう」の音の響きが良い。峠の南東方向に安房山(あぼうやま、2,219.4m)と呼ぶ山もあるが、これらの「安房」の由来はちょっと分からない。
 
 同じような峠の名前で天生峠(あもうとうげ)がある。岐阜県内の河合村と白川村の境にある。天生峠は泉鏡花(いずみきょうか)の小説・高野聖(こうやひじり)の舞台になっている。しかし、その小説では、天生峠を「飛騨から信州へ越える深山(みやま)の間道」とか「飛騨越」とうたっている。信飛国境の峠とするなら、その峠は安房峠のことではないかと疑問を持たれているのだ。「あもう」と「あぼう」。取り違える可能性があるかもしれない。あるいは筆者は、それを知っていてわざと架空の峠を設定したのだろうか。
 
 安房峠は大きな峠道だが、どう言う訳かあまり印象に残っていない。途中から安房トンネルが開通したことで、通過するだけならどうしてもトンネルを使ってしまい、本来の峠には足が向かなくなる。そこで2003年8月には、わざわざ峠に登ってみたのだが、今になってみるとやっぱりどんな峠道だったか、記憶がはっきりしない。そこで、いろいろ写真を並べながら、改めて安房峠がどんな峠だったか、ここで検証しようと思うのであった。
 

安房峠道路周辺の案内図 (撮影 2001.11.10)
安房トンネルの岐阜県側の平湯料金所近くに立つ
(画像をクリックすると拡大画像がご覧頂けます。参考まで)
 
 
飛騨側から峠へ
 

国道471号を峠に向かう (撮影 2008. 8.15)
旧上宝村の長倉付近
右手に高原川が流れる
前方右に、川を渡って県道89号が分岐している
 安房峠を通る国道158号は、信州松本と飛騨高山を結んでいるが、安房峠の岐阜県側に流れ下る川は、高原川(たかはらがわ)となって神岡町に入り、神通川(じんづうがわ)に注いで日本海へと流れ下る。高原川沿いは国道471号になっている。
 
 一方、国道158号は安房峠を岐阜県側に越えた後、麓の平湯で北方向に国道471号を分けた後、本線は西方向に進んで平湯峠で旧丹生川村(にゅうかわむら)に入り、一路高山市街を目指す。
 
 どちらが正しい安房峠の峠道と言うことはないのだが、ここは自然の川の流れを尊重し、高原川の国道471号に沿って安房峠を目指すこととする。
 
 国道471号を安房峠に向けて車を走らせている時は、大抵長旅を終え、帰路に就いている時が多い。北陸地方、特に石川県の能登半島などは、旅をするのに好んで出掛ける土地だ。能登半島先端に位置する禄剛崎(ろっこうざき)の最果てムードなどを堪能した後、旅の最終日に東京の自宅へと急ぐ。この先、安房峠を越え、松本に出て松本ICより長野自動車道に乗り、中央自動車道と走りつなげば、一日で十分自宅まで帰れる距離だ。旅の余韻や、やや疲れも感じながら、国道471号を東へと流す。道は良く、旧上宝村内に入れば、交通量もぐっと少なくなり、ストレス無く走れる。
 
 道の右手には常に高原川が寄り添う。岐阜と長野の県境にそびえる乗鞍岳の北部、四ツ岳と硫黄岳の間から岐阜側に流れ下る大滝川を源流とする川だ。神通川水系に属す。流れはそれ程広いものではないが、河原いっぱいに大きな石がゴロゴロしていて、荒々しさを感じる。さすがに北アルプスから流れ下って来た川だと思う。
 
 道沿いにはあまり人家はなく、やや閑散としている。旧上宝村の市街地はこの国道沿いにはなく、川の対岸の県道沿いにあるようだ。代わって、いつの頃からか、この国道沿いに道の駅ができた。「奥飛騨温泉郷上宝」と呼ぶ。夏の観光季節ともなると、なかなか賑わっている。安房峠越えを前に、一休みするのには打って付けの場所だ。

道の駅・奥飛騨温泉郷 上宝 (撮影 2003. 8.16)
多くの車が来て賑わう
 
 
栃尾付近
 

栃尾の交差点手前 (撮影 2008. 8.15)
前方の交差点を右に入ると宝橋(赤色の欄干の橋)を渡る
その方向が国道471号の続き
直進は県道475号で、新穂高へ
この付近は奥飛騨温泉郷の一つ、栃尾温泉
左手に中本館が建つ
 道の駅がある付近から先は、奥飛騨温泉郷(おくひだおんせんごう)と呼ばれ、テレビでも時折紹介される名の知れた温泉地だ。奥飛騨温泉郷は一箇所ではなく、栃尾、平湯、新平湯、福地(ふくじ)、新穂高などの温泉の総称で、この国道471号線沿いやその周辺に点在する。
 
 「奥飛騨」などと呼ぶので、山深い谷間のひなびた温泉地を想像するかもしれないが、高原川やその支流の川は周囲が開けており、その沿線に広がるそれらの温泉地は、暗い感じはほとんど無い。逆に、狭い路地の温泉情緒あふれる温泉街を、浴衣に下駄を突っかけて、そぞろ歩きたいと言う向きには、あまり適さないかもしれない。
 
 道の駅を過ぎると、間もなく右手に赤い欄干の橋が見えてくる。この付近は栃尾と呼ばれ、周辺に奥飛騨温泉郷の一つ、栃尾温泉が広がる。道路標識が出てきて、国道471は右に曲がる。ここは栃尾の交差点だ。直進は高原川の支流・蒲田川(がまだがわ)沿いを新穂高温泉方向に伸びる、県道475号・槍ヶ岳公園線だ。県道終点より新穂高ロープウェイが出ている。一度乗ったが、登山をする訳ではないので、終点の駅で何もすることがなく、所在無げな思いをした。
 
 栃尾の交差点を右折すると、直ぐに赤い欄干の宝橋で蒲田川を渡る。この橋の近辺は何となく華やいだ感じがする。以前、橋の下流の蒲田川左岸の河原でキャンプした覚えがある。無料のキャンプサイトで、なかなか賑わっていた。対岸の栃尾温泉とも相まって、如何にも北アルプスの観光地らしい雰囲気がした。
 
 無料のキャンプなら良いが、奥飛騨温泉郷の宿に泊まるとなると、やや敷居が高い気がしていた。有名なので混んでいるし、宿の値段が高い気がする。ただ、いつも格安のビジネスホテルや国民宿舎などに泊まってばかりいるので、普通の旅館でも高いと感じるのだが。
 
 2008年8月の旅では、旅行の日程にまだ2日を残していた。後一泊できる。ここはひとつ、この奥飛騨温泉郷に泊まってみようかと言う話になった。しかし、宿泊する当日になって、空き部屋が容易に見つかるとは思えない。まあ駄目元でいいからと、ガイドブックから適当に選んだ一軒の宿に電話した。するとやっぱり満員とのことで断られた。この時期、付近の栃尾温泉ではどこでも満室だろうとのこと。しかし、その中本館という宿の女将が親切で、知り合いの別の旅館を紹介してくれた。そちらへ電話し、紹介された旨を話すと、宿泊の予約が取れたのだった。

道の左手に宿泊した宿 (撮影 2008. 8.16)
国道471号上を峠とは反対方向に見る
 
 宝橋からは国道は尚も本流の高原川の右岸沿いを行く。蒲田川との合流点から上流側の高原川を平湯川とも呼ぶようだ(毛受母川とも)。その国道脇に予約した宿、旅館いちふじはあった。新平湯温泉の一宝水の湯(いっぽうすいのゆ)と呼ばれる温泉地内であった。これにて、奥飛騨温泉郷での宿泊を達成したのであった。
 
 
クマ牧場など
 

安房峠通行止の看板が出ていた (撮影 1995. 5. 5)
国道158号線上の朴の木平スキー場近く
峠方向を向く
 仮に奥飛騨温泉郷に泊まれなくても、一泊できる時間的余裕があれば、例えば安房トンネルを抜けた松本市側のどこかで宿を見付つけても良かった訳だ。しかし、大抵はそんな余裕がある旅はしていない。
 
 1995年5月には、高山の方から国道158号を安房峠へ向けて帰路に就いていた。今日中には家に帰らないといけない。ゴールデンウィークが明ける明日からは、またいつもの会社勤めが始まるのだ。すると、防災無線か何かで、急な降雪により安房峠が通行止になったことを知った。まだ、安房トンネルが開通する前のことである。安房峠は毎年5月初旬頃まで、長い冬期通行止がある。事前に確認し、峠が通れると思ってやって来た筈だったが、見事に目論見が外れた。
 
 通行止の看板が立つ道路脇に車を寄せ、暫く様子を窺っていたが、まだ携帯電話など無い時代のこと、何の情報も入らない。国道の周囲には積雪などほとんど見られず、どうにか峠が開通しないものかと期待した。暫くして業を煮やし、平湯トンネルを抜けて峠直下の平湯まで行ってみたが、やはり峠は通行止。
 
 こうなると大変である。安房峠の迂回路なんて、そうたやすいものではない。国道158号をまた元の高山市街近くまで戻り、国道361号に乗り換えて木曽福島に出、次は国道19号・中仙道を北上して長野自動車道が通る塩尻に至ったのである。今考えても恐ろしい程の迂回路であった。安房トンネルが開通した現在では、通年通行可能な峠となった。
 
 国道471号に戻って、新平湯温泉や福地温泉を過ぎると、左手にクマ牧場と言うのがある。ここはちょっと気になる存在だ。これまで野生のクマに何度か出くわしているので、護身の為にもクマの生態などが分かれば良いなと思う。以前の会社の同僚で、松任市の子会社から出向してきた者も、行き帰りにそのクマ牧場の看板を見ては、何だろうかと思ったそうだ。しかし、入ったことがある者は居ないらしい。一体何が見られるのか気になるが、それに値段がちょっと高いのが難点だ(確か大人1,000円)。クマ牧場をしきりに気にしているわたしを見て、妻が入ったらいいのにと言ってはくれたが、やはり値段で躊躇し、いまだクマ牧場の正体を知らない。

左手にクマ牧場 (撮影 2008. 8.16)
 
 
安房峠への入口
 

左に安房峠の道が分岐 (撮影 2008. 8.16)
正面は国道158号を高山方面へ
 以前は、国道471号をそのまま行けば、平湯の温泉街に入り、左に国道158号の安房峠への道が分岐していた。直進は国道158号になって高山方面へと進む。単純で分かり易かった。
 
 ところが、トンネルが開通した今では、平湯温泉の西をバイパスする様に国道471号が付け替えられ、うかつにそちらへ進むと、平湯を通り越して正面に安房トンネルの平湯料金所が現れてしまう。安房トンネルが開通した直後は、手持ちの道路地図が古いこともあって、なかなか事情が飲み込めず、迷ったことがあった。
 
 安房峠に直接行くなら、道路標識に従って途中から国道471号を離れて左手に進む。そちらが旧国道471号で、直ぐに川を一つ渡る。高原川(または平湯川)の支流の安房川(安房谷)である。安房峠の方から流れ下って来た川だ。
 
 間もなく左手に安房峠への入口が出て来る。旧471号とその反対から来た国道158号とが正面に向かい合った地点から、東にそびえる県境の峰へと安房峠への峠道が始まる。この峠への入口には下記のような看板が立っている(下の写真)。
 
 3.2m
 釜トンネル 上高地へ 通行される方 この先15m 高さ制限
 道路情報 通行注意 落石・崩土
  
 これからいよいよ安房峠だと言うのに、この入口ではちょっと寂しい。「熱烈歓迎 安房峠」とでも横断幕が架かっていると、嬉しいのだが。尚、看板に高さ制限とあるが、峠越え前後にトンネルは無い。峠を越えて長野県に下り、上高地への釜トンネルの分岐を過ぎた後に、幾つものトンネルが出てくるので、そのことだろうと思う。
 
安房峠への入口 (撮影 2008. 8.16)
あっさりしている
 
 2003年に来た時は、トンネルではなくわざわざ安房峠を越える積りだった。国道471号を来たのだが、うっかりそのまま進んでトンネルの料金所の方に出てしまい。突き当たった国道158号を平湯温泉へと引き返して来たのだった(右の写真)。
 
 平湯温泉は奥飛騨温泉郷の中でも奥まった地にあり、安房峠直下の登り口に当たる。辺ぴな地かと思えば、これがなかなか賑わっている。旅館や人家も多く、大型の観光バスが来ていたりもする。
 
 出て来た道路標識には次のようにある。
 
右折方向:国道158号 松本 安房峠
直進方向:神岡 新穂高
 

国道158号方向から峠の入口へ向かう (撮影 2003. 8.16)
周辺は平湯温泉で、賑わっている
 
 
安房トンネルの入口
 

平湯方向から国道158号を南に進む (撮影 2008. 8.16)
 安房峠に登る前に安房トンネルの入口を一応確認しておく。平湯温泉街からなら国道158号を南に向かう(左の写真)。森林帯の中の快適な道が続く。平湯から500〜600mで十字路に出る。直進が国道158号を高山市街へ。右折は新しくできた国道471号が始まり、平湯温泉をバイパスして神岡、更に富山へと延びる。そして左折方向が安房トンネルである。
 
 道路標識には下記の様にある。
 
左折:R158 中部縦貫道(安房峠道路) 安房トンネル
直進:R158 高山市街 丹生川 
右折:R471 富山 新穂高・栃尾・新平湯・福地温泉
 
 下の写真は、国道158号を高山方面から来た時のものだ。安房トンネルへは十字路を右折する。
 
 安房トンネルができて、何と言ってもすごいのが、冬期でも長野県と岐阜県の間を車で通行できることである。安房峠を越えていた時代には、想像もできなかったことだ。トンネルの威力は絶大である。また、古い安房峠の道は狭い九十九折れも多く、観光バスなどでは、なかなか越え難い峠であった。安房トンネルが開通した今では、夏の観光シーズンに大型の観光バスが目に付く。長野県側から奥飛騨温泉郷への観光バスツアーが容易になったのだ。
 

高山方向から国道158号を来た (撮影 2003. 2. 3)
右に安房トンネルへの道が分岐
季節は2月の真冬

左とほぼ同じ場所 (撮影 2001. 7.30)
夏の時期で、行楽客のマイカーや観光バスも多い
 
 国道から分かれてトンネル方向に進むと、平湯料金所がある(下の写真)。トンネルの料金所は岐阜県側にしかなく、上りでも下りでも、どちらもここで料金を払う。軽自動車なら600円だ。これで冬でも簡単に県境越えができるのだから、安いものだ。
 
 この料金所は無人の料金所で、小銭の投入口に迷っていたら、大きく口を開けた袋の穴の様な所に、小銭をまとめて投げ込めば良い様になっていた。アメリカでこの様な方式を経験した覚えがあるが、日本では珍しいのではないか。
 
 現金での支払いは、誰しも手間取るようで、料金所は混雑しがちだ。しかも、たまの行楽にやって来るだけなので、勝手が分からない者も多い。折角、快適に安房トンネルを抜けて来ても、この料金所で足止めである。ETCが普及してきた昨今、安房トンネルの料金所も改善されただろうか。
 

平湯料金所 (撮影 2003. 2. 3)
料金所を抜け、料金所方向を振り返る
冬場はさすがにすいている

平湯料金所 (撮影 2001.11.10)
安房トンネルを抜けて来たところ
やや渋滞気味
 
 料金所も無事にクリアし、それではいよいよ安房トンネルかと言うと、その前に短いトンネルがある。湯の平トンネルと呼ぶ(下の写真)。「平湯」ではなく「湯の平」である。ちょっと紛らわしい。道は上下線が隣り合う対面交通なので、注意が必要だ。この先の安房トンネル内もそうで、対向車があるとやや怖い気がする。スピードの出し過ぎに注意だ。
 
湯の平トンネル (撮影 2003. 2. 3)
真冬
 
湯の平トンネル (撮影 2008. 8.16)
真夏
 
 湯の平トンネルを抜けた先で谷を渡る。安房川の谷だ。左手に山並が広がる(右の写真)。これが岐阜県側最後の眺めとなる。
 
 直ぐにトンネルに入る。今度こそ安房トンネルだ(下の写真)。入口には「安房トンネル 長さ4370m」とある。僅か5分余りの走行で、北アルプスの岐阜・長野の県境を越えてしまうのだから、驚きである。

湯の平トンネルと安房トンネルの間の区間 (撮影 2008. 8.16)
 

安房トンネルの岐阜側坑口 (撮影 2001. 7.30)
真夏

左とほぼ同じ場所 (撮影 2003. 2. 3)
真冬
 
 
安房峠への登り
 
 話は戻って、平湯温泉より安房峠を目指す。国道158号は峠に向かってしっかり登りだす。道はさすがにセンターラインは無いが、それなりに道幅は確保されている。何しろ安房トンネルが開通するまで、現役の国道だったのだ。
 
 安房峠を挟んだ、長野県側の中の湯温泉から岐阜県側の平湯温泉までの区間が開通したのは、昭和13年(西暦1938年)とのこと。それから安房トンネルが開通するまで、およそ60年間、この安房峠道が長野・岐阜の両県をつなぐ貴重な車道を担ってきたのだ。
 
 峠道を少し登ると、やや視界が広がる。山の間から麓の集落が望める(右の写真)。平湯温泉だろうか。木々の中に埋もれそうに家々が寄り添っている。

登りの途中から麓を見下ろす (撮影 2003. 8.16)
 

道の様子 (撮影 2003. 8.16)
 道は淡々と登る。岐阜県側はあまり険しさを感じない。北アルプスの只中を越える峠道ではあるが、それほど山岳道路的な雰囲気は無い。
 
 2003年8月は、既にトンネルが開通していたが、もう一度安房峠を見ておこうと思って、峠道を登って行った。長野と岐阜の間を越えるのに、わざわざ峠を使う者は少ないかと思ったら、案外車が走っているのに驚いた。乗用車で750円の交通料金を節約し、安房峠越えを敢行するとは思えないが、中にはそういう方もおられるかもしれない。安房峠を見ようと言う峠マニアは、更に少ないことだろう。大抵は登山を目的としているのだろうか。
 
 ただ、暗いトンネルの中を走るより、青空の元、景色を眺めながらのんびり峠越えをするのは、峠マニアではなくとも、楽しいものだ。その上、節約ができるとなれば、申し分なしである。時間に余裕があれば、まだまだ捨てたものではない、峠道である。
 
 道は安房川の上流部から大きく左に回り込みながら、峠の鞍部を目指す。左手に谷を挟んでV字の鞍部が見えてくる。そこが安房峠だ。道もやや険しさを感じる様になる。
 

峠を望む (撮影 2003. 8.16)

峠を望む (撮影 1994. 9.26)
峠への道筋がやや険しく見える
 
 
安房峠手前の展望所?
 

展望所 (撮影 2003. 8.16)
 もうそろそろ峠だろうと思った頃に、道路の左手に駐車スペースが出てくる。思わず立寄らずにはおられない。ここが峠だろうかと思わせるが、そうではない。この先、ここよりもう少し標高が高い所に鞍部が見える。あちらが本当の峠だろう。ここは、岐阜県側に眺めが広がる展望所の様である。
 
 
展望所から峠を見る (撮影 1996. 8.12)
 
展望所から峠を見る (撮影 1996. 8.12)
 
 その展望所の片隅に看板が立っている(下の写真)。それには次の様にある。
 
 美しい自然を明日に
 安房峠 ここは標高1,780mです
 森林は水を保ち 山崩れを防ぎ
 空気をきれいにします 神岡営林署
 
 これに惑わされる。「安房峠 ここは標高1,780mです」とあるのだ。旅の後で写真を見ていると、峠にこの看板があったのだろうかと、勘違いしたりする。看板に「安房峠」とあっても、正確にはまだここは県境の手前である。まあ、大雑把に見れば、この付近一帯が安房峠の内と言うこともできないではないのだが。
 
 尚、看板に「標高1,780m」とあるが、本来の安房峠は1,790mで、やはりここは10mほど低い位置にある。
 

展望所にある看板 (撮影 1996. 8.12)

展望所にある看板 (撮影 2003. 8.16)
 
 この展望所からは、岐阜県側に眺めが広がる(下の写真)。峠まで登ってしまうと、やや視界が狭まるので、やはりここで立ち止まり、岐阜県側の眺めを堪能すると良い。
 
展望所からの眺め (撮影 2003. 8.16)
 
 
安房峠に到着
 
岐阜県側から峠を見る (撮影 2003. 8.16)
 
 さて、安房峠である(上の写真)。左側に「安曇村」とあり、その奥に「長野県」とある。まだ松本市になる前のことである。上に大きく掲げられた看板には下記の様にある。
 
 この道路の安房峠〜沢渡間は
 時間雨量20ミリまたは
 連続雨量80ミリで
     「通行止」になります
 ここは「安房峠」です
 
 「ここは安房峠です」と書かれているのが嬉しい。ここは正しく長野・岐阜県境の安房峠、その地点である。平湯からさほどの時間も費やしていない。休み無く淡々と走れば、20分ほどだ。
 
 この県境を長野県側から見たのが、このページのトップに掲載した写真と下の写真である。下の写真はもう17年も前の安房峠を写している。雨量制限を記した看板はまだ無い。また、当然ながら、岐阜県側は「上宝村」と記されている。峠の岐阜県側は、今は高山市である。
 
長野県側から峠を見る (撮影 1994. 9.26)
17年前の安房峠
 
上の写真の峠部分を拡大したもの (撮影 1994. 9.26)
県境を示す看板には、「岐阜県 上宝村」とある
何やら峠の岐阜県側で工事を行っている
 
 17年前の安房峠を写真に残せたのは、人のお陰であった。その日、岐阜県河合村の楢峠を、河合村の中心地方向へと下っていると、目の前に雲海が広がった。河合村は深い霧の中に埋もれていたのだ。思わず写真を撮ったが、それでフィルムのストックが切れた。でも、その頃はさして写真に頓着していなかったので、それ程気にはしなかった。フィルムはいつも近所のカメラ専門店で、安物をまとめて買ったのを旅に持って来る。それに比べると旅先で買うフィルムは非常に高い。また、旅の最中にフィルムを売っている所を探すのも面倒だ。それで、もうこの旅では写真を撮るのはよそうと思っていた。
 
 するとそこに、男性一人を乗せた車がやって来て、雲海をカメラで撮り始めた。こちらはいわゆる普及型のコンパクトカメラだが、その男性は本格的なカメラを構えていた。どちらとも無く、すばらしい雲海ですねと話す内に、わたしがフィルムがなくなったことを知ると、その男性は手持ちのフィルムを一本くれると言う。最初の内、わたしは遠慮したが、こちらは困らないからと36枚撮りのフィルムを手渡してくれた。
 
 しかし、それはわたしが見たこともないポジフィルムだった。普通のネガフィルムしか使ったことがないので、どの様に使えば良いかと聞くと、そのまま使えば良いとのこと。はたして写るものだろうかと思いながらも、その後の旅で使わせてもらった。これにより、17年前の安房峠が、わたしのアルバムに残ることとなったのだ。
 
 尚、フィルムは勿論ただで頂いた。前日、富山県側の水無谷沿いで野宿をした翌朝の出来事で、わたしの身なりは、到底お金を貰おうとは思われない格好をしていたのは言うまでもない。
 
 そう言えば、前日の野宿の晩には、近くで魚を釣っていた人が、河原で野宿をしていたわたしを見掛け、これを食べなさいと、イワナだろうか、その人が釣った川魚を数匹分けてくれたのだった。その時は、ありがたく頂いて、他には格段、何とも思わなかったのだが、今にして思えば、余程みすぼらしい格好で旅をしていたのだろう。人から見ると哀れに思われ、何か物でもあげたくなったのだろうか。
 
 しかも、その日はそのままの格好で、観光客で賑わう新穂高ロープウェイも乗っていた。人で混雑する中に入るのは、さすがにやや抵抗を感じたものの、気の利いた着替えを持っているでもなく、控えめにロープウェイに乗り込むのだった。その時も、人から声を掛けられた覚えがある。終点駅でぼんやり山を眺めていると、あれが槍ヶ岳ですよと、女性の方が指を差して教えてくれた。当時、野宿旅に明け暮れていたわたしは、一体どんな風に見られていたのだろうか。
 
 ただ、わたしの妻よりはまだましである。岬や灯台を訪ねるのが趣味の彼女は、独身時代、一人で車に乗って、日本のあちこちの岬を訪れていた。ある時、ひと気の無い岬の突端の断崖の上で、ぼんやり海の景色を眺めて佇んでいると、一人の中年の女性が近付いて来た。そしていろいろ話し掛けてくる。何だか分からないまま、話し相手になっていたが、最後にその女性が言うには、身投げでもするのではないかと思って、止めに来たのだそうだ。彼女はそれになかなか気付かなかったらしい。
 
 結婚後、彼女に付き合って一緒に灯台や岬を訪れることがある。わたしがあちこち歩き回って灯台の立ち姿や海の景色を写真に撮っている時、ふと見ると彼女が崖の上の欄干に持たれて、ぼんやり景色を眺めている。どこか視点が定まっていない。その姿は、事情を知る夫でさえも不安を感じさせる。ましてや他人が見たら、身投げすると勘違いされても仕方ない。それでも彼女曰く、景色を眺めて自分ではリラックスしていたのだそうだ。全く、人騒がせである。
 
 
安房峠の様子
 
 峠の岐阜県側は、まあまあ視界が広い。それ程の遠望がある訳ではないが、清々しく山並を望む。道路脇にはカーブミラーに並んで注意看板が立っていた。
 
 ここから岐阜県
 急坂・カーブ多し
 エンジンブレーキで
 ゆっくり下ろう
 
 峠を長野県側に入って直ぐ右側に「安房峠の茶屋」が建つ(下の写真)。茶屋の前は少し広い路肩があり、車が何台か停められるスペースになっている。しかし、安房トンネルが完成した後は、茶屋は営業していないようだ。2003月8月、真夏の観光シーズンに訪れても、茶屋の扉は板で打ち付けられ、硬く閉ざされていた。雪に備えた冬支度のまま、ひっそりと佇んでいるのだった。

峠から岐阜県側を見る (撮影 2003. 8.16)
 

安房峠の茶屋 (撮影 2003. 8.16)

安房峠の茶屋 (撮影 2003. 8.16)
 

峠の碑 (撮影 2003. 8.16)
海抜1790米とある
 岐阜県側から峠に登って来ると、県境の部分の左手に、コンクリート製の碑の様な物が建っている。やや朽ち掛けているが、そこには「海抜一七九〇米」の文字が読める。
 
 峠の標高については、文献などには1,812mとか1,811mとも出ていた。最近の2万5千分1地形図で読むと、1,790mの方が現状に一致する様だ。約20mの差がある。文献側の誤植か、あるいは、安房峠道の開通当時は、今より高い位置を峠道が通過していたのかもしれない。
 
 尚、昭和13年にこの安房峠に車道が開通した時、当時では日本で一番高い自動車道だったそうだ。しかし、今ではここより標高が高い車道はいくらもできている。峠道としては大弛峠が2,360mもある。ただ、乗鞍スカイラインの2,700m超えは、やはり突出している。
 
 車道開通前の時代からも、この安房峠は古い歴史があるそうだ。この峠の長野県側の旧安曇村では、位沢遺跡より縄文早期の東海系土器が多量に出土された。峠を通して高山方面との物流があったことを物語っているそうだ。
 
 また、そんな古い時代でなくとも、戦国時代で武田信玄にまつわる歴史上の記述が残っているそうだ。甲斐の国の国主であった信玄が、遥々飛騨の国まで侵攻した。その時、乗鞍岳の北側を越えたと言うので、多分この安房峠だろうと思われているらしい。
 
 現在の安房峠はと言うと、どこか印象に薄い気がする。こうして過去に撮った写真をいろいろ眺めてみても、これと言って特徴的なことが無いように思えるのだ。峠全体のイメージも、あまりはっきりしない。峠のどこかに地蔵が祀られていたのだが、それがどこだったか、今ではトンと思い出せない。
 
 一つには、峠の岐阜側はくねりながらしっかり下っているのだが、長野側は暫く直線的な道が、あまり下らずほとんど水平移動している。それで、峠のピークの部分が強調されず、峠らしく感じられないのではないかと思うのだ。
 
 安房峠は、峠そのものより、やはり峠道全体で考えるのが良さそうだ。平湯と中の湯、更には飛騨高山と信州松本をつなぐ、壮大な峠道には変わりないのだから。8月の夏の真っ盛りでも、峠に立つとそこを吹き抜ける風は涼しく、冷たい程だ。これが安房峠の壮大さを感じさせてくれる。

峠の片隅に佇む地蔵 (撮影 2003. 8.16)
凛々しい姿だ
 

峠より長野県側を見る (撮影 1994. 9.26)
奥に見えるのは、焼岳(やけだけ)だろうか?

長野県側の眺め (撮影 2003. 8.16)
 
 
長野県側に下る
 
 確か、1994年9月に上宝村から安曇村にジムニーで越えたのが、安房峠を越えた最初だったかと思うが、その時、安房峠道の恐ろしさの洗礼を受けたのだった。まだ、安房トンネルが無い時代、ここは観光道路として大渋滞を引き起す峠道だったのだ。峠から安曇村側に少し進むと、急な斜面を小刻みな九十九折りで梓川沿いまで一気に下りだす。道は舗装されていても、林道のように狭い道だ。そこに観光帰りのマイカーが、松本目指して一斉に集中する。あっという間に車の数珠繋ぎの中に巻き込まれる。一旦その中に入れば、もう逃げ場は全く無い。周囲を見渡せば山深い森林の中。そこに異様な車の列が出来上がる。
 
 山道のヘアピンカーブが苦手でもたつく運転手がいる。車の中には大きな観光バスも混じっている。そこに対向車でもやって来たものなら、これはもう地獄であった。いつ果てるとも分からないヘアピンカーブを、ただ淡々とこなすだけである。
 
 しかし、個人的にはそれ程苦にならなかった。ジムニーは小さな軽自動車で、他の大型ワンボックスカーなどを運転するのに比べれば、狭いヘアピンカーブも余裕である。マニュアル車なので、なるべく止まらずに済む様、前の車との間隔を調整しながら走る。次々にやって来るヘアピンカーブも、如何にスムーズに曲がれるか、コース取りやハンドルさばきを工夫する。それがなかなか楽しいのだ。無駄な動きやストレス無くカーブをクリアすると、ちょっとした達成感さえ味わえる。時間は要したろうが、それに比べてあまり疲れることもなく、九十九折りをやり過ごすことができたのだった。
 
長野県側の途中の景色 (撮影 2003. 8.16)
 

中の湯温泉 (撮影 2003. 8.16)
 安房トンネルが開通してからは、安房峠名物の九十九折りでの車の列は見られなくなったことだろう。2003年に下った時は、かえって詰まらなく感じたくらいだ。
 
 九十九折りの途中に、ポツンと中の湯温泉がある。安房峠の信州側は、昭和4年に梓川沿いの自動車道が開通し、この中の湯温泉辺りまで通じていたそうだ。それが後の安房峠道につながる。
 
 聞きしに勝る安房峠の九十九折りだが、肝心な写真はない。渋滞中はカメラなど構えている暇は無いし、逆に何の渋滞も無いと、ただの狭いカーブである。写真を撮る気にもならない。できたらあの渋滞中の惨状をカメラに収めておけばよかった。もう二度と見られない安房峠の風物詩である。
 
 
安房トンネルの長野県側
 
 九十九折りを過ぎた先で、広い道に突き当たる。安房トンネルを抜ける道だ。トンネル開通以前は、こちらが本線であったのが、トンネル開通後は、分岐する支線の身分となった。
 
 出た所を右に見ると、もうそこに安房トンネルの長野県側坑口が見える。速度が出ている車との合流点なので、ちょっと気を付ける必要がある。左へ進むのが国道158号の松本方面だ。

安房峠を下って来た所 (撮影 2003. 8.16)
右方向に安房トンネルの長野県側坑口が見える
 

トンネルを抜けて来たところ (撮影 2008. 8.16)
この先左に安房峠への道が分岐する
 安房トンネルは全長約4kmあまりで、速度制限は60kmとある。普通に走っても4、5分で通過してしまう。方や峠からこの合流点まで20分ほどだ。平湯からだと合計40分。
 
 さて、今後この県境を越える時は、トンネルにしようか、それとも峠越えをしようか。時間が許すなら、やっぱり峠越えをしたい気がする。今度行った時は、地蔵がどこに立っていたか、調べてみようと思う。
 
 それに、トンネルを使わなければ僅かながらも節約になる。旅の途中の昼食などは、夫婦でカップ麺をすすることが多い。近くのスーパーで一個89円で買って来たラーメンなら、二人分で200円にもならない。それに比べると、トンネルの通行料600円は高いのだ。しかし、夫婦そろってあんまりそんなことばかりしていると、人からどんな目で見られるか分かったものではない。元々二人とも、人から変に見られるたちなのだから。
 
 
上高地への分岐
 
 安房トンネルからの道に合流し、松本方面に下りだすと、梓川を渡った先に信号がある。左折が県道24号で、行き先は上高地とある。右折は国道158号を松本方面だ。
 
 上高地と言えば、憧れの観光地だ。マイカーは全面通行止。なかなか寄り付き難い地である。その県道24号を行くと、直ぐに釜トンネルに入る。つい最近、大雨か何かでこのトンネル付近が通行不能になり、上高地に多くの観光客などが取り残されたと報じられていた。上高地に続く車道はこれ一本であり、生命線ともなっている。
 
 その釜トンネルを一度だけ往復して上高地を訪れたことがある。勿論路線バスに乗ってであるが。最近は観光地化され、俗化されたと言う向きもある上高地だが、神秘的な大正池や荒々しい活火山の焼岳(やけだけ)の姿は、見て来て良かったと思う。

この先で左に上高地への分岐 (撮影 2008. 8.16)
左:県道24号 上高地
右:国道158号 松本
 

上高地への分岐 (撮影 2008. 8.16)
左の白い車は、車線を間違えた
 上高地への分岐で信号待ちをしていると、大型の観光バスが釜トンネルの方から降りて来た。上高地や穂高岳、乗鞍岳など、この付近はアルプス観光のメッカである。信号待ちの乗用車も多く、安房峠の道は大繁盛だ。
 
 ふと見ると、左折車線に乗用車が居た。一般車両通行止の上高地方面行きである。おかしいなと思ったら、右折車線に戻ろうとしてきた。対面交通でやや狭さを感じる安房トンネルを抜け、2車線路になったのかと勘違いしたのだろうか。この先、梓湖に出るまで、まだまだ片側一車線の狭い国道が続くのだ。
 
 上高地への分岐を過ぎると、道は梓川に沿って下るようになる。深い渓谷沿いである。上高地はその梓川の上流域に位置する。名だたる観光地ではあるが、改めて周囲を見渡せば、険しい山岳地帯である。釜トンネルが通行止になったのもうなずける。大雨など降れば、恐ろしい形相をみぜることだろう。
 
 あの九十九折りより、これから道の方が、わたしは苦手である。10箇所以上ものトンネルが連続するのだ。乗用車同士なら問題なくすれ違えるのだが、対向車に大型の観光バスが来ると、とても狭く感じる。また、いつ来てもじめじめと暗いイメージのトンネルばかりで、それこそ雨の日などは、水滴が上から滴り落ちて来るわ、路面は水浸しだわで、あまり良い気がしない。早く無事に通り過ぎたいと思うばかりの道である。
 
 ただ、上高地に行った時は別であった。下の沢渡(さわんど)と呼ばれる所からバスで上高地に向かうのだが、この時ばかりは、鼻歌気分で梓川の渓谷を眺める。自分が運転しないと、いい気なものである。

上高地への便器を過ぎた直後 (撮影 2008. 7. 7)
右上に安房トンネル方向の道が登る
 

白骨温泉に通じる県道300号の分岐 (撮影 2008. 8.16)
峠から降りて来ると右折できず、
この先を左折して、立体交差で南へ向かう
 峠の長野県側には、上高地への県道以外に、幾つかの道が分岐している。どれも南の乗鞍高原方面へと続く。九十九折りに下る手前で上高地乗鞍林道がまず分岐する。トンネルが連続する途中から県道300号が白骨温泉へと通じる。以前はこれらの道は未舗装が多かった様だ。どちらにしろ、この乗鞍高原近辺の道は、隅々まで走ってみたいと思わせる。
 
 しかし、肝心な乗鞍スカイラインが一般車通行止になったのは残念だ。通行止直前の2002年9月に出掛けたら、長野・岐阜の県境付近は大混雑で、結局どこにも立寄らずに帰って来てしまった。今度行く時は、バスを使うことになる。
 
 乗鞍高原近辺は面白い地であるが、安房峠の峠道からすると、ちょっと余計な存在に思える。折角、飛騨山脈を越える貴重な峠なのに、その脇で2,700mの長野・岐阜県境を通過しているのでは、面目が立たないではないか。峠道からそちら方向に道が分岐しているのも気に入らない。できたら迂回路が無い一本道の峠道だったら、より貴重に思えたのに。
 
 
梓湖
 
 梓川沿いのトンネルが連続する区間を過ぎ、最後に奈川渡トンネルを抜けると、奈川渡ダムの堰堤に出る。右手に梓湖が広がる。暗いトンネルから抜け、パッと開けた感じで、一安心と言ったところだ。安房峠の峠道も、ここで一区切りである。
 
 尚、「奈川渡」は「ながわど」と読むらしい。梓川やその支流の奈川沿いには、沢渡、黒川渡、寄合渡など、「渡」の字を書いて「ど」と読む地名が幾つか見られる。
 
 堰堤を渡り切ると、右に県道26号・木曽路が分岐する。安房峠と並び、信州松本と飛騨高山を結ぶ峠・野麦峠がそちらにある。現代では、トンネルもできた安房峠の道が、松本市と高山市を結ぶ実用的な峠道である。一方、野麦峠は、女工哀史などに関心を持って訪れる、趣味的な峠道である。
 

ダム堰堤を過ぎこの先に入山トンネル (撮影 2001. 7.30)

左とほぼ同じ場所 (撮影 2008. 7. 7)
道路標識には次のようにある
直進方向:国道158号 松本
右折方向:県道26号 木祖 奈川 (木曽路)
 

県道26号方向を見る (撮影 2003. 8.16)
湖沿いに駐車場がある
 堰堤を渡った左手には、電力会社による展示館・テプコ館がある。また、右の県道方向に曲がれば、直ぐの右手に無料の駐車場がある。その向かいにドライブインがあって、土産物などを売っている。この周辺はちょっとした観光地となっている。峠から走って来た時の休憩にも良いので、県道に曲がって車を停めると良い。 
 
 しかし、ちょっと困った事がある。このT字路には信号機が無い(2008年8月現在)。県道の方から国道の松本方向に右折して戻ろうとすると、なかなか国道の車列に入れないのだ。夏の観光シーズンともなると、マイカーがひっきりなしに通る。快適な堰堤上の道を走って来るので、スピードも出ている。何かと車の混雑に悩まされる峠道である。
 
 また、歩いて展示館に行くにも、この国道を渡らなければならない。しかし、歩行者には国道の下に通路が設けられているので、それを使えば安心だ。資料館は無料で、お茶などが飲める。高みからダムや湖を眺められる。
 

奈川渡ダム (撮影 2003. 8.16)

奈川渡ダム (撮影 2003. 8.16)
 
梓湖 (撮影 2003. 8.16)
 
 堰堤を渡った先、国道158号は入山トンネルに入る。この近辺には入山の地名がある。現在の安房峠の道筋は、この入山から梓川沿いを湯の中温泉まで登っているが、その車道が通じる昭和初年までは、別のルートを通っていたとのこと。旧奈川村入山を奈川沿いに遡って角ヶ平まで行き、奈川を渡って旧安曇村に入り、祠峠(神祠峠、ほこらとうげ)を越えて梓川の支流・前川沿いの大野川、檜峠を越えて白骨温泉、そして安房峠へと登ったそうだ。
 
 野麦峠が、正月用の魚を飛騨高山から松本盆地へ運び、「飛騨ブリ」と呼ばれたので知られるが、安房峠もこのルートで魚を信州に移入するのに使われたそうだ。正しく交易路だった訳だ。
 
 現在の国道が通る梓川沿いのルートは、トンネルが多く存在するが、それ程険しい道だったのだろう。それで、昔のルートは梓川の谷沿いを避け、南を迂回する道筋を選んだのではないだろうか。

堰堤を峠方向に見る (撮影 2003. 8.16)
左が県道方向
 
 
梓湖以降
 

梓湖より下流の道 (撮影 2008. 8.16)
比較的良い道が続く
 梓湖まで来れば、もうそれ以降の国道158号は、安房峠の峠道に限ったものではない。野麦峠の峠道にも重なる。国道の呼び名も「野麦街道」とある。ただ、飛騨高山と信州松本を結ぶ壮大な道として安房峠を見れば、まだまだ松本市街まで長い峠道が続いている。入山トンネルの入口には、松本まで29kmとある。
 
 入山トンネルを抜け梓川の下流に続く国道は、それまでより幾分良い様に思う。これで空いていたら、松本ICまでそれ程の苦労は無いのだが、下手をするとここでも渋滞に悩まされることがある。松本市街まで一本道だから、車が集中してしまうのだ。渋滞が始まってしまえば、いつ長野自動車道に乗れるか、分かったもではない。特に、長野電鉄の終点駅・新島々(しんしましま)辺りからは、沿道に人家や商店が多くなる。松本市街に近付くに従って、渋滞はその酷さを増してくる。観光で来た者なら、その時だけ我慢すれば良いが、沿道の方たちは、休日のたびにこんな渋滞に遭われては、たまったものじゃないだろうと思う。ご愁傷様である。
 
 
結び
 
 安房峠は峠そのものより、飛騨高山と信州松本を結ぶ峠道として長大であり、周辺に奥飛騨温泉郷や上高地、白骨温泉、乗鞍高原と多くの観光地を有し、そのテリトリーは広大だ。ここでも書き尽くせないことが多く残った気がする。
 
 更に今後の旅の目的地としても、上高地にはまた訪れたいし、白骨温泉にはまだ入ったことは無いし、長野と岐阜の県境を2,700m超で越える乗鞍スカイラインにもまた行ってみたいしで、まだまだ多くを残している地だ。それらのついでに安房峠もまた訪れてみてもよい。しかし、あの酷い車の渋滞だけは、もう二度とご免だと思う安房峠であった。
 
  
 
<走行日>
・1994. 9.26 岐阜県→長野県(ジムニー)
(1995. 5. 5 岐阜県側で通行止 ジムニー)
・1996. 8.12 長野県→岐阜県(ジムニー)
・2001. 7.30 岐阜県→長野県 安房トンネル(ジムニー)
・2001.11.10 長野県→岐阜県 安房トンネル(ジムニー)
・2003. 2. 3 岐阜県→長野県 安房トンネル(キャミ)
・2003. 8.16 岐阜県→長野県 (キャミ)
(2008. 7. 6 上高地へ行き、宿泊、路線バス)
(2008. 7. 7 上高地から帰る、路線バス)
・2008. 8.16 岐阜県→長野県 安房トンネル(パジェロ・ミニ)
 
<参考資料>
・昭文社 中部 ツーリングマップ 1988年5月発行
・昭文社 ツーリングマップル 4 中部 1997年3月発行
・昭文社 ツーリングマップル 4 中部北陸 2003年4月発行
・昭文社 県別マップル道路地図 岐阜県 2001年1月発行
・昭文社 県別マップル道路地図 長野県 2004年4月発行
・角川書店 角川日本地名大辞典 20 長野県 平成3年9月1日発行
・角川書店 角川日本地名大辞典 21 岐阜県 昭和55年9月20日発行
・国土地理院 地図閲覧サービス 2万5千分1地形図
・その他(インターネットでの検索など)
 
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