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序 |
<峠の所在> |
(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです) |
<水系> |
<峠名> |
境橋付近 |
<境橋> |
![]() 大塩峠から下って来たところ (撮影 2016. 6.13) この直ぐ先に境橋が架かっていたようだ |
![]() 小塩川右岸沿い (撮影 2016. 6.13) |
<峠道の境> |
<高曽根林道> |
![]() 対岸に古い道 (撮影 2016. 6.13) |
<道の変遷> |
![]() 右手に橋が見える (撮影 2016. 6.13) |
<車道の戻りの橋> |
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中ノ七里 |
<中ノ七里の一里塚> |
![]() 待避所に並んで一里塚がある (撮影 2016. 6.13) |
![]() 左手に一里塚 (撮影 2016. 6.13) |
<一里塚> |
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![]() 集落跡 (撮影 2016. 6.13) |
<集落跡の様子> |
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<集落の位置(余談)> |
<道の変遷> |
<村道大塩桧原線の全線開通> |
<墓石> |
![]() 集落の外れに墓石が残る (撮影 2016. 6.13) |
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![]() 小塩川沿いの道 (撮影 2016. 6.13) |
<中ノ七里以降> |
<物見岩> |
![]() 左手に「史蹟 物見ノ岩古戦場」の標柱 (撮影 2016. 6.13) |
小塩川左岸へ |
![]() 小塩川を渡る (撮影 2016. 6.13) |
<小塩川を渡る> |
<道の様子> |
![]() 道の様子 (撮影 2016. 6.13) |
![]() 小塩川林道分岐 (撮影 2016. 6.13) |
<小塩川林道> |
![]() 林道のゲート (撮影 2016. 6.13) |
![]() 一般車両通行禁止の看板 (撮影 2016. 6.13) |
<道の様子> |
![]() 道の様子 (撮影 2016. 6.13) しっかりしたよう擁壁が築かれている |
![]() 小塩川の谷を下流方向に望む (撮影 2016. 6.13) |
大塩峠は車の離合も苦労する狭い道であったのに対し、こちらの蘭峠の道はあまりにも立派で、格段の違いを思える。
古いツーリングマップにあった「江戸時代の米沢街道の名残」など、今はもう微塵も感じない。
大規模な車道改修により、旧街道の痕跡など全く消え失せてしまっているようだった。道は数回の屈曲を繰り返す内、あれよあれよという間に峠に着いてしまった。 |
![]() 道の様子 (撮影 2016. 6.13) |
![]() 道の様子 (撮影 2016. 6.13) 屈曲を繰り返す |
![]() 道の様子 (撮影 2016. 6.13) 峠直前 |
峠 |
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<峠の様子> |
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![]() 中ノ七里側より峠を見る (撮影 2016. 6.13) |
峠は非常になだらかな鞍部に位置し、切通しの両側も緩傾斜の擁壁などが築かれ、路肩の草木の伐採も行き届いている。峠の上空がとても広い。ただ、中ノ七里方向、桧原集落方向共にあまり遠望はない。 |
<旧峠の痕跡> |
![]() 桧原集落側より峠を見る (撮影 2016. 6.13) |
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この峠は中ノ七里の住民にとって集落と桧原の中心地とを結ぶ生命線であった。比較的早い時期(村道全通前)に車道が通じたことと思う。
しかし、当初からこのように大規模な峠道が通じたとは考えられない。以前はもう少し旧会津・米沢街道の面影を残す林道のような道だったのではないだろうか。
その後に改修が進み、現在のような姿になったことと思う。 |
![]() 峠より桧原集落方向を見る (撮影 2016. 6.13) |
<峠の標高> |
この963mという数値は、現在のような広い車道が開削される前の、古い峠の標高かと思った。しかし、今の地形図を眺める限り、それでも950mを遥かに越えていたとようには見えない。963mは測定した年代が古い数値であろうか。 |
![]() 大塩集落近くに立つ会津・米沢街道の看板 (撮影 2016. 6.13) |
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<標高差(余談)> |
峠より桧原集落側へ |
<道の様子> |
![]() 焦げ茶色のガードレール (撮影 2016. 6.13) |
![]() 道路脇より峠方向を見る (撮影 2016. 6.13) |
<旧道?> |
<会津川左岸沿い> |
![]() 会津川左岸沿い (撮影 2016. 6.13) |
![]() 道の様子 (撮影 2016. 6.13) |
<道の様子> |
<左岸へ> |
![]() 会津川右岸へ渡る (撮影 2016. 6.13) |
桧原集落へ |
![]() 桧原集落手前 (撮影 2016. 6.13) |
<桧原集落へ> |
<集落の様子> |
![]() 集落内へ (撮影 2016. 6.13) |
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![]() 左に旧道? (撮影 2016. 6.13) |
<旧街道の道筋> |
<集落内を行く> |
![]() 五輪塔が並ぶ (撮影 2016. 6.13) |
![]() この先県道に出る (撮影 2016. 6.13) この先右手に郵便局が出て来る |
![]() 県道に出る直前 (撮影 2016. 6.13) 右手にクラシックな建物 |
<県道64号に接続> |
![]() 県道に接続 (撮影 2016. 6.13) 左手にバス停 |
![]() バス停 (撮影 2016. 6.13) |
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![]() 県道より上流方向を見る (撮影 2016. 6.13) 左に峠道が分岐 |
<分岐の様子> |
<湖岸への道> |
![]() 桧原湖岸へ進む道 (撮影 2016. 6.13) |
![]() 県道脇の案内看板 (撮影 2016. 6.13) |
<案内看板> |
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桧原ふれあい広場へ |
<会津川橋> |
![]() 県道が会津川を渡る (撮影 2016. 6.13) |
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![]() 案内看板 (撮影 2016. 6.13) |
<桧原ふれあい広場へ> |
道に入ると、この付近一帯を治めていた穴沢氏関係の史蹟や、墓石が点在する。五輪塔なども並ぶ。 |
![]() 穴沢氏関係の史蹟 (撮影 2016. 6.13) |
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![]() ふれあい広場 (撮影 2016. 6.13) 桧原湖方向に見る |
<桧原ふれあい広場> |
<大衆浴場> |
![]() 大衆浴場 (撮影 2016. 6.13) |
![]() 桧原宿跡の看板 (撮影 2016. 6.13) |
<看板> |
![]() 看板の地図 (撮影 2016. 6.13) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
<旧街道> |
<桧原宿> |
![]() 看板の説明文 (撮影 2016. 6.13) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
![]() 桟橋 (撮影 2016. 6.13) |
<湖底への旧街道> |
桧原歴史館(余談) |
<金山の桧原歴史館へ> |
![]() 県道64号を金山へ (撮影 2016. 6.13) 寂しい道が続く 県道標識には 早稲沢 3km とある 北岸付近には桧原、金山、早稲沢の3集落が点在する |
![]() 県道標識 (撮影 2016. 6.13) |
<桧原歴史館前> |
![]() 桧原歴史館前 (撮影 2016. 6.13) 桧原集落方向を望む |
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![]() 湖越しに桧原集落を望む (撮影 2016. 6.13) |
<桧原集落遠望> |
現在の静かな湖面を望んでいると、この下に集落があったことなどなかなか想像できない。会津・米沢街道がまだまだ使われるような時期に湖底に沈んだので、さぞかし旧宿場町の様子を留めていたことだろう。 |
![]() 長井川河口方向を望む (撮影 2016. 6.13) |
![]() 桧原歴史館 (撮影 2016. 6.13) |
<桧原歴史館> |
桧原歴史館は確か協力金100円を払って入った。館内は写真撮影禁止で、いろいろ見たり読んだりしたが全て忘れてしまった。結局、店の前に立つ看板を写しただけのことだった。 |
![]() 桧原歴史館前に立つ案内看板 (撮影 2016. 6.13) |
![]() 看板の説明文 (撮影 2016. 6.13) |
![]() 看板の説明文 (撮影 2016. 6.13) |
![]() 桧原宿の地図 (撮影 2016. 6.13) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
往時の桧原宿の地図があったが、やや損傷していて、文字があまり読めなかった。西の蘭峠から下って来た道は、宿場町の中を通り、東の外れで北に折れ、桧原峠に向かったようだ。 |
バス停に路線バスが止まったが、乗客は一人も居なかった。それでも、桧原湖北岸にあって、この桧原歴史館付近だけは、やや観光地の雰囲気が漂っていた。
賑やかな観光地より、この程度の方が落ち着けていい。次は金山集落に寄り、かつての桧原峠への登り口の様子でも見て来ようと思う。
そちらも一般の観光客とは全く縁がない場所だ。 |
![]() 桧原歴史館前の様子 (撮影 2016. 6.13) |
![]() 桧原歴史館の玄関の様子 (撮影 2016. 6.13) ラーメン店は午後3時が閉店で 若い女性店員は片付けを始めたらしい |
![]() 桧原歴史館入口 (撮影 2016. 6.13) 開館中と貼り紙があるが、ちょっと入り難い雰囲気 |
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大塩峠に比べると、旧遭いぢ・米沢街道の道筋はほとんど残らず、快適なばかりの峠道だった。それでも中ノ七里の一里塚や集落跡の史蹟を目にし、高曽根林道の痕跡なども眺め、それなりに道の歴史を感じさせる、蘭峠であった。 |
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<走行日> <1997〜2016 Copyright 蓑上誠一>
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