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石名越
  いしなごえ  (峠と旅 No.308)
  大佐渡石名天然杉を訪ねる峠道
  (掲載 2019. 3.11  最終峠走行 2019.10.30)
   
前編(石名側)
   
中編(峠部)へ    後編(和木側)へ
   
   
   
石名越 (撮影 2019.10.30)
手前は新潟県佐渡市和木
奥は同県同市石名
道は森林基幹道・石名和木線
峠の標高は838m (観光パンフレットより)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
峠には整備された駐車場が広がり、明るく開けた雰囲気だ
これも大佐渡石名天然杉を観光資源とした結果である
 
 

   

<大佐渡山地の峠>
 前回、ドンデン線の峠を掲載したので、ついでに佐渡島にある峠、特に大佐渡山地を越える峠として、今回の峠を選んでみた。 ドンデン線の峠は峠道としては佐渡随一の標高で、特に両津エリア(両津湾、内海府)側の展望が抜群である。また、相川エリア(外海府)側は島とは思えないよな山深い谷が通じる。 全体的に変化に富んだ楽しい峠道であった。ただ、ドンデン高原への観光道路であり、ある程度俗化されている点は否めない。
 
 その点、今回の峠は寂れた林道の峠道で、個人的にはこちらの方が好みである。標高もドンデン線の峠に次ぐ高さだ。佐渡島の中で一つ峠を挙げるとすると、断然この峠になる。 ところが近年、峠付近に分布する天然杉が「大佐渡石名天然杉」として注目され、俄かに峠道が賑わってきている。ただ、このお陰で道は整備され、維持されていることも確かだ。 大佐渡山地の更に北に通じる黒姫越などが通行止の憂き目に遭っていることを思うと、この状況は歓迎すべきこととも思う。

   

<所在>
 前回、大佐渡山地を越える主な峠を列記したが、その中の一つになる。峠道は大佐渡山地南東側の内海府(うちかいふ)海岸と北西側の外海府(そおかいふ)海岸を繋ぐ。
 
 内海府側は佐渡市和木(わき)で、旧両津市大字和木であった。また和木の直ぐ北隣の佐渡市馬首(うまくび)も、今回の峠に近い関係だ。こちらも旧両津市の大字馬首であった。
 
 現在、佐渡全島が佐渡市になり、旧両津市の範囲は「両津エリア」とも呼ばれる。また、佐渡の表玄関・両津港にある両津湾は、馬首辺りまでがその湾岸とするようだ。
 
 外海府側は佐渡市石名(いしな)で、 旧佐渡郡相川町大字石名であった。旧相川町の町域を「相川エリア」とも呼ぶ。
 
 今回の峠道は、狭くは和木集落と石名集落の間に通じ、広くは内海府海岸(両津湾岸)と外海府海岸を結び、あるいは両津エリアと相川エリアを繋ぐとも言える。 また、大佐渡山地と小佐渡山地に挟まれた国中平野は、佐渡の人口の80%が住むとも言われるが、その国中平野方面と外海府を繋ぐ峠道でもある。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<水系>
 和木側は和木川水系になる。峠は和木川の源流部に位置する。
 
 石名側はやや複雑だ。概ね石名川水系になるが、途中で道は北隣の大倉(おおくら)川水系に入って行く。よって、峠が通じる大佐渡山地の稜線は、和木川と大倉川の分水界となっている。尚、大倉川の下流域は佐渡市大倉であるが、その上流部の一部が石名になっているので、峠は和木と石名の境ということになる。

   

<道>
 峠に通じる林道はシンプルには「林道石名和木線」と呼ばれる。ツーリングマップル(1997年3月発行)では「石名和木林道」で出ていた。元々、和木側・石名側それぞれに少しは道が通じていたのが、1993年に全通したもので、開通当初は「広域基幹林道・石名和木線」と呼んだ。延長約17.522Kmである。ただ、最近の林道看板では「森林基幹道・石名和木線」としていて、その延長もちょっと長く17.626Kmとなっている。
 
 尚、内海府海岸沿いから外海府海岸沿いまでの峠道の総延長は約20Km。不足する部分は佐渡市の市道が繋ぐ。和木側だけ名前が分かり、「市道和木1号線」と呼ぶようだ。

   

<峠名>
 ここまで「石名越」 (いしなごえ)という名は意図的に避けて来た。実は今回の林道の峠と元々あった石名越という峠が同一かどうか、確信がない。
 
 「石名越」という峠名は、道路地図、地形図、観光パンフレットなどでも全く見られない。 唯一、文献(角川日本地名大辞典)の大佐渡山地の項で、「大倉越・石名越・アオネバ越」と並んで登場する。これらの峠は「国中平野と北部沿岸の海府方面を結ぶ重要な交通路であった」と記している。大倉越とアオネバ越は所在がはっきりている。その間にあり「石名」の名が付くことからしても、今回の林道の峠と同一か、少なくとも非常に近い関係にあることは間違いない。
 
 可能性として、車道が石名川水域から大倉川水域へと移って行ったのに対し、旧道は石名川沿いをそのまま遡ったのではないかと想像できる。到達する地点(地形図)は車道の峠とは直線距離で300mと離れていない。但し、単なる憶測である。
 
 以上を踏まえた上で、今回の峠も広い意味で、「石名越」と呼ばせてもらおうと思う。実際のことは地元の方の話が伺えれば、それが一番確かなのだが。
 
<越>
 尚、佐渡では、山居越・黒姫越・大倉越・石名越・アオネバ越などと、峠自身のことを「越」(こえ)と呼ぶようだ。本来「越」は峠道を表す場合が多い。 同じ佐渡でも椿越峠・北五十里越峠など、「越」にわざわざ「峠」をプラスして峠を指すこともある。しかし、石名越などの場合はそれ自身で峠そのものを表していると思っていいようだ。

   
   
   

石名から峠へ

   

<外海府海岸>
 日本海に面した外海府は、旧相川町市街の北部(下相川)から外海府北端の弾崎(はじきざき)まで、約50Kmの海岸線を連ねる。特に景勝地とされる場所 でなくとも、各所で見応えのある景観が得られ、走っていて楽しい道だ。
 
 外海府海岸には25の集落が点在するそうだ。石名(いしな)もその一つで、外海府海岸の中では少し北寄りに位置する。 江戸期からの石名村、明治22年に高千村(たかちむら)の大字石名になっている。
 
 尚、石名の直ぐ北隣の小田(こだ)村以北は外海府村となった。石名は丁度その境であったようだ。しかし、高千村も外海府村も昭和31年には相川町と合併し、外海府全ては相川町が吸収した。ただ、翌年に北部の一部が両津市に編入され、外海府は分断された。

   

石名集落内 (撮影 2019.10.30)
右手の大木がある所は石名清水寺

<石名集落>
 外海府海岸沿いには新潟県道45号(主要地方道)・佐渡一周線が通じる。その道を相川市街方面から弾崎方向へと進む。大小の集落が現れては消え、やがて石名の集落に入る。県道沿いに細長く人家が軒を連ねている。古い資料だが、昭和55年の世帯数58、人口210とのこと。それ程大きな集落ではない。
 
 集落の終りの方で大きな木が目を引く。石名清水寺(せいすいじ)のようだ。現在では大佐渡石名天然杉が大きく宣伝されるが、かつての旅行ガイドではこの清水寺が僅かに紹介される程度だった。境内にはイチョウの巨木が2本あるとのこと。

   

<分岐>
 集落を過ぎると石名川を石名川橋で渡る。目的の峠道はその右岸側に通じる。石名川右岸側もまだ佐渡市石名であるが、もう人家はほとんどない。


石名川を渡る (撮影 2019.10.30)
県道45号を弾崎方向に見る
   

石名川河口を見る (撮影 2019.10.30)

<石名川>
 石名川橋の直ぐ下流で石名川は日本海に注いでいる。一水系を成す川だが、それ程大きそうには見えない。山間部では深い谷を形成するものの、河口部分で広い平坦地の三角州を持たない。 この付近の平坦地と言えば海岸段丘ばかりだ。石名川は石名の中心的な存在だが、その川沿いに大きな集落が成立するような平地は少ないようだ。
 
<檀特山>
 石名川は大佐渡山地稜線近くの檀特山(だんとくせん、906m)の北麓辺りに源を発する。 この山は古くから佐渡修験の山として知られ、佐渡最高峰の金北山(きんぽくさん、1,272m)、金剛山(こんごうせん、962m)と合わせ、「大佐渡の三山」と言われるそうだ。 麓にある石名清水寺は修験道の里寺だったとのこと。

   

<分岐の様子>
 県道から分かれた道には直ぐに林道看板が立つ。最近の観光パンフレットなどにもある「森林基幹道・石名和木線」という名で出ている。林道管理者が「佐渡市」とある点も新しい。この石名側が終点となる。延長は17.626Km。

   

県道からの分岐を峠方向に見る (撮影 2019.10.30)
林道看板が立つ

林道看板 (撮影 2019.10.30)
   

<大佐渡石名天然杉>
 この分岐で一番目を引くのは、「大佐渡石名天然杉」の看板である。15年前に訪れた時には、まだなかったと思う。峠の遊歩道などの整備が進んだのは、つい最近のことだろう。
 
 今回は、両津港の観光案内所でいろいろ情報を仕入れてきた。トレッキングマップも各種もらい、その中には「大佐渡石名天然杉 ガイドマップ」というのがあった。峠道に関係したパンフレットは珍しいので、大切に持っている。
 
 看板に「10Km」とあるのは、遊歩道が始まる峠までの距離であろう。林道延長からすると、和木側の林道は8Km弱ということになる。


道 (撮影 2019.10.30)
   

<林道を行く>
 石名集落の中心からはやや離れた石名川右岸沿いだが、僅かに建物が見える。ただ、もう人が住んでいるような様子はない。出だしから寂しい峠道である。

   
石名川沿い (撮影 2019.10.30)
峠方向に見る
   

<「地すべり防止区域」の看板(余談)>
 県道分岐から100m程進むと左に分岐があり、その角に「北石名地すべり防止区域」という看板が立つ。「北石名」とは、石名川右岸の少し高台になる海岸段丘上に耕地が広がるようで、その付近を指すようだ。現県道佐渡一周線を「県道両津・鷲崎・佐和田線」としている点は古い。1990年代初め頃の道路地図に見られる。

   

左に分岐 (撮影 2019.10.30)
「地すべり防止区域」の看板が立つ

「地すべり防止区域」の看板 (撮影 2019.10.30)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   
県道45号方向に見る (撮影 2019.10.30)
右手の道は海岸段丘上の耕作地へ
   

<「土石流危険渓流」の看板>
 石名川右岸の少し登った所に広い耕作地が広がるようだが、沿道にも少しは水田が見られる。暫く行くと、石名川沿いに土石流危険渓流の看板が立つ。
 土石流危険渓流
 石名川水系 石名川
 土石流が発生する恐れがありますので
 大雨の時は十分注意して下さい。
   新潟県 相川町
 
 
 「相川町」とあるが、現在は佐渡市だ。この看板を過ぎると谷は急に狭まった。県道の分岐から僅か500m程で、もう人里の気配はなくなる。


右手に土石流危険渓流の看板 (撮影 2019.10.30)
   
土石流危険渓流の看板を県道方向に見る (撮影 2019.10.30)
沿道に少し水田が広がる
 
   
   

石名川右岸

   

<石名川右岸>
 道は狭い谷に通じる。視界は狭く、暗い林に囲まれる区間も多い。こうした谷の風景は、しばしば峠道を旅している者にとって、一見当たり前に思える。 しかし、ここが島であるという点を考えると、なかなか興味深い。佐渡以外にも幾つか島の旅はしたことがあるが、深い谷間に峠道が通じるというケースは稀だ。前回のドンデン線の峠で紹介した入川渓谷などは、本州の山岳地帯にも引けを取らない。こうしたところが佐渡島の特徴でもあろう。

   

道の様子 (撮影 2019.10.30)
暗い林の中

石名川に沿う道 (撮影 2019.10.30)
   

<沿道の様子>
 道はほぼ石名川に沿って通じる。その後も時々見られたが、「山野草を守ろう!」という佐渡市の看板が随所に立っている。大佐渡石名天然杉をPRするようになったこともあってか、訪れる者への注意事項が示されていた。
 
 暫く行くと、沿道に建物が何棟か見られた。人家ではなく、何かの倉庫か作業小屋といった佇まいだ。周囲に何もない寂しい所で、木々に埋まりそうに建っている。あまり使われている様子もない。

   

右手に大きな建物 (撮影 2019.10.30)

左右に建物 (撮影 2019.10.30)
   
建物箇所を麓方向に見る (撮影 2019.10.30)
   

道は左岸へ (撮影 2019.10.30)
手前左に分岐

<左岸へ>
 県道の分岐から1.5Km程で、道は一旦左岸へと渡る。石名川沿いの区間のほぼ半分の地点だ。
 
 橋の手前を左手の山側へと道が分かれるが、地形図などには載っていない。枯枝が路面に散乱していて、険しそうな道だ。

   

<地すべり防止区域の看板>
 橋を渡った先に、また地すべり防止区域の看板が立っていた。今度は「石名北山」とある。右岸の支流一帯を指すようだ。


地すべり防止区域の看板 (撮影 2019.10.30)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   
橋を麓方向に見る (撮影 2019.10.30)
右に道が分かれる
   

<石名川左岸>
 道は左岸に入っても、石名川にぴったり沿う。沿道をよくよく見ていると、左に一軒、右に一軒と、ポツポツ建物が確認できる。地形図ではこの周辺に田んぼがあるようだ。その為の作業小屋などであろうか。

   
左右に建物 (撮影 2019.10.30)
麓方向に見る
   

<耕作地>
 沿道にも耕地が見えた。ただ、あまり耕作が行われている様子はなく、休耕地になっているのだろうか。

   

左手奥に耕作地 (撮影 2019.10.30)

沿道脇にも耕作地 (撮影 2019.10.30)
麓方向に見る
   

<分岐>
 途中、分岐がある。道から離れた耕作地へと続くようだ。こうした山中にも農地を切り開き、石名の住民による耕作が続けられてきた。しかし、過疎化・高齢化によって耕作放棄される所もあるのだろう。分岐する道は石名川左岸の広い範囲に通じているようで、林業用にも利用されて来たようだ。

   

右に分岐 (撮影 2019.10.30)

分岐を麓方向に見る (撮影 2019.10.30)
農業や林業の作業道らしい
   

<分岐以降>
 分岐以降はさすがにもう田畑などはないようだ。それでも沿道には小さな倉庫の様な建物が散見された。道は荒れているという程ではないが、枯葉や小さな枯枝が散乱している箇所も多くなった。天然杉へのアクセス路ではあるが、観光道路には程遠い。
 
 途中、何かの作業でやって来た車が3台ほど停まっていた。しかし、周囲に人影はない。側らから寂しい山道が始まっていたので、そちらに出掛けているのだろう。

   

作業車両 (撮影 2019.10.30)

側らから山道が始まっている (撮影 2019.10.30)
麓方向に見る
   

<落石注意>
 その直ぐ先では落石止めの土嚢が積まれていた。この上の方で何か作業しているのかもしれない。

   

落石注意箇所 (撮影 2019.10.30)

落石注意箇所を麓方向に見る (撮影 2019.10.30)
   

<石名川沿い>
 この石名川本流沿いは約3Km続く。大きな蛇行はなく、道もほぼ真っ直ぐ延びる。峠道としてロスが少なく、かつての石名越もこの林道とほぼ同じ様に通じていたと考えてよさそうだ。一部は田畑の耕作用として用いたろうが、遠く国中平野からの物資を石名集落などへと運んだ道であったろう。

   
石名川沿い (撮影 2019.10.30)
   

この先、右岸へ戻る (撮影 2019.10.30)

<官場笠橋>
 林道はまた右岸側へ戻る。橋の名は「官場笠橋」とあったようだ。「官場笠」とは何を意味しているのだろうか。江戸時代の佐渡は幕府領だったので、幕府の役人に関係した言葉かもしれない。石名越は大きく大佐渡山地を横断する峠である。役人による取締も行われたかもしれない。
 
 橋の銘板に「広域基幹林道 石名和木線」と書かれてあった。峠にある林道開通記念碑でも同じ呼称を使っている。すると、この橋も林道開通(1993年)とほぼ同時期に架けられたのかもしれない。

   

官場笠橋とある (撮影 2019.10.30)

広域基幹林道とある (撮影 2019.10.30)
   

<天然杉の案内看板>
 道は右岸に入ると川沿いから大きく外れ、右岸の高所へと登り始める。官場笠橋を渡った先に「大佐渡石名天然杉」の看板が立ち、その道の方向を示している。天然杉に関し、これ程しっかりした案内看板は少ない。
 
 「ここから7kmで駐車場有ります」ともある。駐車場は峠とその手前数100mにも2箇所あるが、7Kmは概ね峠までの距離と考えてよい。ここまでの石名川沿いが3Km、ここから山腹を登って7Km、合計10Kmである。

   

官場笠橋を渡る (撮影 2019.10.30)

天然杉の案内看板 (撮影 2019.10.30)
   

<管理道路>
 尚、看板横から石名川右岸沿いに尚も上流方向へと遡る道が分かれて行く。天然杉の案内看板では何かの「管理道路」(雨水管理道路?)とあったようだ。地形図にも、石名川上流の途中まで軽車道が描かれている。

   
石名川右岸沿いの道を上流方向に見る (撮影 2019.10.30)
手前が林道を峠方向
   

<旧道?>
 石名集落から石名川沿いにこの地点までの道筋は、かつての石名越とほぼ同じと考えてまず間違いないと思う。 ここから先、林道の方は川筋を大きく離れて行くが、旧道はこのまま石名川沿いに進んだように思う。わざわざ川筋を外れる理由がない。現在、右岸沿いに延びる管理道路こそが、かつての石名越の旧道ではないか。ただ、何の根拠もない。また、いつまでも川沿いを遡ったとも考えられない(後述)。

   
   
   

右岸の山腹

   

<道の様子>
 道は石名川沿いを離れ、右岸の山腹を登りだす。勾配が急で、蛇行も繰り返す。周囲の様子も一変する。川沿いのジメジメした暗い雰囲気から、開けた明るい道となる。やや遠くの景色も目に入る。南西方向に連なる大佐渡山地の主稜も視界に入るのではないか。
 
 道は部分的にはきれいに補修されている。これも大佐渡石名天然杉の効果かと思った。


右岸の山腹を登る (撮影 2019.10.30)
   
周辺の様子 (撮影 2019.10.30)
麓方向に見る
   

道の様子 (撮影 2019.10.30)

<道の様子>
 道は峠に近付くよりは、まず北隣の大倉川との分水界となる尾根方面へと登って行く。全般には古いアスファルト道路である。蛇行が多いが、概ね道の右手に石名川本流の谷を望む。

   

<林道大倉線分岐>
 川沿いから1.5Km程登ると、左手に分岐がある。この峠道の中では、最も有力な林道の分岐だ。入口に林道標柱が立ち、「林道大倉線(終点) 延長七・・・」とある。ツーリングマップル(1997年3月発行)では「大沢林道、ダート約7Km、一部舗装」と出ていた。
 
 地図を見ると、大倉線は行く行くは分水界を越えて大倉川に下り、川沿いに海岸沿いの大倉(おおくら)や小田(こだ)の集落へと至る。


前方左に分岐 (撮影 2019.10.30)
   

<迂回路>
 大倉線方向を指して「迂回路」と看板が出ていたようだが、天然杉見学に訪れた時、本線の石名和木線が何らかの事情で通行止になった場合に、大倉線を使えということだろうか。 一方、佐渡市小田地内で復旧治山工事をしている旨の工事看板も出ていて、大倉線の迂回路として石名和木線を使えというようにも取れる。

   

林道大倉線入口 (撮影 2019.10.30)

林道大倉線方向を見る (撮影 2019.10.30)
   

林道標柱と工事看板 (撮影 2019.10.30)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

迂回路の看板 (撮影 2019.10.30)
どちらが迂回路なのかよく分からない
   

<大倉越>
 現在林道大倉線が通じる大倉川沿いは、かつての大倉越(地形図)の峠道でもある。 内海府海岸沿いの北松ヶ崎・馬首と外海府海岸沿いの大倉・小田間を結ぶ。石名越とは位置的に非常に近い関係にある。
 
 その為、どちらの峠も同程度に使われたということは考え難いように思う。海岸伝えに行けば、和木と北松ヶ崎、石名と大倉は、ほぼ隣同士の関係だ。 どちらか道のいい峠道の方がより頻繁に利用されたことと思う。大倉越の名は地形図などにも残り、一方石名越はほとんど見られない。そのことを思うと、石名越は大倉越えの補助的な峠道ではなかったかと想像する。ただ、今は石名越の方に林道が通じ、一方大倉越の北松ヶ崎側は車道未開通のようだ。

   

<尾根>
 林道大倉線付近ではもう石名川・大倉川の分水界となる尾根にほぼ達している。大佐渡山地主脈より派生し、檀特山(だんとくせん)を通って北へと延びる支尾根である。道はその尾根の石名川側の高みに通じ、明るい感じで視界も時折開ける。
 
 
<5km地点>
 急な左カーブの所で、「大佐渡石名天然杉 ←5km」と看板にあった(地形図)。峠まで残り5kmと考えてよい。この後、3Kmと1kmの地点がある。同じように和木側でも峠から1km、3km、5kmの地点に看板が立つ。いい目安になるのだが、何しろ看板が小さいので見落とすことも多い。


天然杉まで5kmの看板 (撮影 2019.10.30)
   
天然杉まで5kmの地点 (撮影 2019.10.30)
カーブミラーの支柱に看板が掛かる
   
   
   

尾根沿い

   

<尾根沿い>
 5km地点からはほぼ石名川の谷に並行に進む。尾根沿いとなったこともあって、やや周囲の状況も変わった。比較的安定した地形ともなり、ちょっとした平坦地が見られる。
 
<大倉川水域へ>
 道は尾根沿いを進むだけでなく、その尾根を越えてしまう。ちょっとした林の中を抜けたかと思うと、それまで右手にあった谷が、左手に移ってしまった。そちらは大倉川本流の谷間である。


平坦地を過ぎる (撮影 2019.10.30)
   
大倉川水域に入った (撮影 2019.10.30)
左手に大倉川の谷を望む
   

<視界>
 視界はそれまでと全く異なり、北東方向に広がる。大佐渡山地の北端・弾崎方面である。もこもこと山並みが連なり、島とは思えない景観だ。

   
北東方向に視界が広がる (撮影 2019.10.30)
   

<石名水域へ戻る>
 しかし、道は数100mも行くと、挙動がおかしくなる。また尾根を跨いでしまっているようだ。開けた尾根なので、上空は明るいままで過ぎる。間もなく、谷は右手に移った。再び石名川水域に戻ってしまったようである。目指す大佐渡山地主脈方向の視界も広くなった。

   
再び石名水域側を進む (撮影 2019.10.30)
   

<3km地点>
 石名川水域側で3km地点を迎える。左急カーブで、そこより少しの間コンクリート舗装となる。振り返ると、石名川の谷を広く見渡す。石名川側の景色は、これが見納めである。

   

3km地点 (撮影 2019.10.30)

3km地点の看板 (撮影 2019.10.30)
   
3km地点より石名川下流方向を望む (撮影 2019.10.30)
   
   
   

再び大倉川水域へ

   

<尾根を横断>
 道は三角点のある665.6mのピークの北西麓を回り込むようにして尾根を横断する。広々とした尾根で、麓方向にも視界が広がる。霞んでいてはっきりしないが、日本海までが見えている筈である。

   
尾根を横断する (撮影 2019.10.30)
麓方向に視界が広がる
   

<檀特山の登山道>
 道は再度大倉川水域へと入って行く。この先、檀特山(だんとくせん)の直ぐ脇を通過するが、その山へのかつての登山道は大倉集落から大倉川に沿って山頂まで通じていたそうだ。 林道石名和木線が通じる以前の観光ガイドブックの地図にその登山道が記されていた。勿論、林道大倉線もない時代で、その林道ルートとも異なるようだ。
 
 現在の地形図やトレッキングマップなどにはその登山道らしき道の掲載はなく、もう幻の山道である。 古い観光ガイドブックの地図も大まかなもので、あまりはっきりしないが、林道石名和木線が再び大倉川水域に入った辺りで、大倉川沿いから登って来た登山道が合流して来ていたように思われる。 登山道はここよりほぼ尾根伝いに檀特山へと登って行ったようだ。
 
 現在は林道が幅を利かし、かつての登山道を掻き消してしまったかと思える。どこにも登山道らしき痕跡は見つからない。

   
ほぼ大倉川水域へ入った頃 (撮影 2019.10.30)
この付近に檀特山の登山道が合流して来ていたのではないか
   

<665.6mピーク正面>
 道は僅かに大倉川水域に入り、665.6mのピークを正面(真南)にして進む。やがてS字カーブで北麓を登るが、その最初の左カーブの正面に「森林を大切にしましょう」の看板が立つ。林道石名和木線に関する注意事項で、管理者は「相川町」となっていた。古い看板である。


この正面が665.6mのピーク (撮影 2019.10.30)
   

665.6mピーク正面 (撮影 2019.10.30)
「森林を大切にしましょう」の看板が立つ

看板には林道石名和木線とある (撮影 2019.10.30)
   

<分岐?>
 看板の前から右手が少し広くなっている。ちょっとした道にも見える。地形図にはなく、奥に長く続いていそうにはない。ただ、もしかしたら、かつての檀特山登山道の痕跡かとも思った。尾根に沿ってこの地点に至っていたのではないかと想像したりもする。


右手に分岐? (撮影 2019.10.30)
   

尾根上の道 (撮影 2019.10.30)
正面の山がほぼ檀特山

<尾根上>
 道は665.6mのピークを東側で巻くと、その後500m位の間、ほとんど尾根の真上を通過する。木々が多く、あまり遠望は利かないが、なかなか爽快な道だ。道の両側が切れ落ちた細い尾根を通過する所もあり、スリルがある。その尾根の正面に檀特山が位置する。

   
尾根上の道 (撮影 2019.10.30)
左右が切れ落ちている
麓方向に見る
   

<檀特山石名登山口>
 尾根上の道が突き当った地点から檀特山への登山道が始まっている。車道の方はここより檀特山の東(左)に回り込むが、登山道はこのまま尾根の上を山頂へと登って行く。
 
 現在の林道石名和木線は天然杉を売りにしているが、開通当初はまだ天然杉は観光資源化されていない。代わって、この檀特山登山口へのアクセス路として活用されたのではないか。

   

檀特山石名登山口 (撮影 2019.10.30)
手前に広場がある

檀特山石名登山口 (撮影 2019.10.30)
正面の急な尾根を登って行く
   

<登山口の様子>
 尾根への登り口には「檀特山石名登山口」と書かれた標柱が立つ。大倉集落から始まっていたかつての登山道も、ここを登って行ったことは間違いないだろう。更に、ここより数100m手前に通じる尾根上も、車道と同様に登山道が通じていたと推測できる。
 
<信仰の山・檀特山>
 登山口の標柱に「奥ノ院まで約1時間」ともある。檀特山は天正〜慶長年間頃、木喰弾誓上人の修行地であったと伝えられるそうだ。石名集落内にある石名清水寺(せいすいじ)の奥ノ院が檀特山頂にある。木喰上人が刻んだ地蔵菩薩・薬師如来などが、奥ノ院から清水寺に移され安置されているとのこと。

   
檀特山石名登山口の様子 (撮影 2019.10.30)
   

<石名越の道>
 近代の檀特山への登山道は大倉から登っていたようだ。しかし、石名清水寺の奥ノ院が檀特山にあったことを思うと、木喰上人の時代は石名から登っていたように想像される。 同時期にはその山の至近を通過する石名越の峠道も存在していただろう。すると木喰上人も石名越の道の一部を利用した可能性が高い。大筋はやはり石名集落から石名川沿いに遡ったと推測するのが妥当だ。
 
 しかし、石名川中流域から上流側はやはり謎として残る。現在の林道のように大倉川水系との分水界の尾根伝いに登った可能性も捨てられない。 むしろそうだとすれば、後の登山道がそれを踏襲したと言える。また、和木側から登って石名越を越えた道は、石名側に入ってから石名方面と大倉方面へと分かれていた可能性も考えられる。

   
   
   

登山口以降

   

<大倉川源流部>
 道は檀特山の東の斜面を横断して進む。完全に大倉川水域である。道の左手に広がるのは大倉川源流の谷である。道はこのまま大倉川源頭部を目指す。そこが峠である。檀特山登山口から峠まで約1.3km。
 
<1km地点>
 間もなく「大佐渡石名天然杉 1km」と書かれた看板地点を過ぎる(地形図)。

   

1km地点 (撮影 2019.10.30)

1km地点を麓方向に見る (撮影 2019.10.30)
   

檀特山東麓を行く (撮影 2019.10.30)

<景色>
 あまり遠望はないが、それでも北へと延びる大佐渡山地の主脈を望むようになる。空は開け明るい雰囲気が続く。この峠道の中では最も気分がいい区間であろう。

   
大佐渡山地の北を望む (撮影 2019.10.30)
麓方向に見る
   

<第3駐車場>
 峠に第1、峠の130m手前に第2、240m手前に第3と、3か所に駐車場が設けられている。どこもしっかりアスファルト舗装されていた。こうした施設の充実も、大佐渡石名天然杉の観光資源化によるものであろう。


第3駐車場 (撮影 2019.10.30)
道の左右に駐車スペースがある
   

第3駐車場の左側 (撮影 2019.10.30)
看板が立つ

第3駐車場の看板 (撮影 2019.10.30)
第2駐車場まで110m
   

第2駐車場 (撮影 2019.10.30)

<第2駐車場>
 第2駐車場も通過。林道の路面は峠に近付くに従いコンクリート舗装が多くなったが、駐車場近辺だけは新しそうなアスファルト舗装である。

   

第2駐車場の様子 (撮影 2019.10.30)

第2駐車場の看板 (撮影 2019.10.30)
   

<峠直前>
 駐車スペースが設けられるくらいなので、第3駐車場付近からは周囲の地形は安定して来ている。大佐渡山地主脈と檀特山方面へと延びる支尾根に挟まれた緩斜面が続く。 それだからこそ、いつ頃峠に着くのか見当がつかない。カーブを一つ曲がるたびにまた道が続く。やっと一筋延びたコンクリート路面の先に何か見えて来た。後で分かったが峠に設置されたトイレだった。峠にはあっけなく乗り上げ、遥々辿り着いたというような感慨はあまり湧いてこない。

   

峠直前 (撮影 2019.10.30)

前方のトイレがある所が峠 (撮影 2019.10.30)
   
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