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石名越
   
後編(和木側)
   
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峠から和木側へ下る

   

道の様子 (撮影 2019.10.30)
ここだけ僅かにアスファルト舗装

<コンクリート舗装>
 峠から和木側に下る道は、コンクリート舗装が基本である。ほんの一部の補修箇所で、新しそうなアスファルトが見られるだけだ。それでも全線舗装ということに変わりない。
 
 コンクリート舗装というのは、どこか寂れた味わいがある。ひび割れた様子など、嫌いではない。急斜面では滑り難いという実用面もあるだろう。街中では見られない道だ。

   

<和木川源流>
 道は和木川源流部の谷を下る。断崖絶壁という険しさは全くないが、車道ともなるとあっちへ行ったりこっちに来たりと、蛇行が激しい。かつての石名越の道はもっと素直に谷沿いを下って行ったものと思う。今ではその痕跡など微塵も見られない。
 
 和木川上流部はどこが本流だか分からな程、谷は深くは刻まれていない。その為、道の周辺は概ね開けている。しかし、視界となるともう一歩だ。やはり木々が多い。


道の様子 (撮影 2019.10.30)
   

<1km地点>
 和木側にも大佐渡石名天然杉(実質は峠)までの距離を示す看板が立つ。確か3か所ある。まず1km地点(地形図)が出て来て、その後3km、5kmと続く。

   

1km地点 (撮影 2019.10.30)

1km地点を峠方向に見る (撮影 2019.10.30)
左手のカーブミラーに看板がある
   

落葉が堆積している (撮影 2019.10.30)

<秋(余談)>
 路面一杯に落ち葉が堆積している箇所がある。ススキが穂をなびかせ、落葉樹は色を付けている。これで天気が良ければいいのだが、時々雨粒がフロントガラスに落ちて来る。
 
 ここももう少しで冬が訪れる。佐渡の冬は厳しく、峠道には長い冬期閉鎖が待っている。15年前に来た時は、5月初旬でも峠は越せなかった。最近は石名天然杉の関係で除雪が適切に行なわれれば、もっと早くに開通するかもしれない。

   
道の様子 (撮影 2019.10.30)
ススキがなびく
   

<道の様子>
 道は大きな蛇行を何度か繰り返す。比較的長い直線路があったと思うと、次の瞬間、急カーブを曲がり、反対方向へとまた下って行く。

   

道の様子 (撮影 2019.10.30)

道の様子 (撮影 2019.10.30)
紅葉も見られる
   
道の様子 (撮影 2019.10.30)
   

<3km地点>
 丁度、北の端の急カーブで3Km地点を過ぎる(地形図)。
 
 道程を調べる場合、グーグルマップを使うことが多いが、やや短めに出るように思う。この3Km地点もグーグルマップでは2.7km前後だ。約1割程度短いと考えている。


3km地点 (撮影 2019.10.30)
峠方向に見る
   
   
   

15年前の旅

   

以前通行不能となった箇所 (撮影 2019.10.30)

<積雪で通行不能>
 石名越は2005年5月に和木側から登ったことがある。通行止の看板などはなく、何の気構えもないまま林道石名和木線を進んだ。 途中、路面に僅かに積雪が見られたが、それ程ひどい状況ではない。周囲の山肌にもほとんど雪はなかった。大佐渡山地の南東側なので日当たりがよく、積雪の心配は少ないと思った。
 
 ところが、日影のカーブで路面一杯に雪が積もっていた。カチカチに凍っている。車が通った形跡はない。崖側に傾斜しているので、滑ると谷に落ちてしまう。残念ながら引き返せざるを得なかった。

   

前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2005. 5. 3)
積雪で通行不能


積雪の様子 (撮影 2005. 5. 3)
左の写真の更に手前の部分
   

<引き返し地点(余談)>
 当時はカーナビもまだ普及していない時代だったので、どこで引き返したかはっきりしない。しかし、かなり峠に肉薄している積りだった。今回、ドラレコ画像で調べてみると3Km地点より更に手前、4kmくらいの所だった(地形図)。
 
 それにしてもこの15年でカーナビやらドラレコやら随分進歩した。デジカメも当時はまだ画素数が少なく、保存しておくメモリも高価だった。 それが今では高精細の画像をふんだんに撮れるし、動画で全ての峠道の様子を保存できる時代となった。それにより今回引き返した場所も特定できた訳だ。ただ、他人にとってはほとんど関心のないことである。全く個人的な趣味でしかないのであった。


以前の引き返し地点 (撮影 2019.10.30)
麓方向に見る
   
上の写真とほぼ同じ場所道 (撮影 2005. 5. 3)
ここで引き返し
   

<リアのドラレコ(余談)>
 15年前は和木側から登り、今回は石名側から登って和木側に下った。方向が逆である。しかし、リアドアにもドラレコを付けているので、前回と同じ方向の映像が得られる。下の画像は同じ場所の比較である。

   

道の様子 (撮影 2019.10.30)
リアのドラレコ画像
木々が多い

15年前の道の様子 (撮影 2005. 5. 4)
左の画像とほぼ同じ場所
デジカメの写真
   

<眺め>
 林道石名和木線の開通は1993年で、私が初めて訪れたのは2005年だから、12年後ということになる。林道開削に伴う周辺の伐採はまだまだ新しく、沿道からの視界は広かったようだ。上記の場所では下記の様な景色が眺められた。現在はもうほとんど眺めは得られない。

   
和木川の谷を見下ろす (撮影 2005. 5. 3)
右手奥には小佐渡山地の姫崎辺りが見えている
この景色も、もうなかなか見られない
   

<和木川源流>
 道は和木川上流部の谷を右に左にと蛇行していたが、やっと源流の川を渡る。ほんの小さな流れで、橋らしき物も架かっていないが、この後は概ねこの流れに沿うように下る。

   

和木川源流部を過ぎる (撮影 2019.10.30)

和木川源流部 (撮影 2019.10.30)
峠方向に見る
   
   
   

和木川右岸側

   

<5km地点>
 道は右岸の谷に沿う。まだ川は十分な大きさになっていないので、道は右岸の斜面上部にてまだ少し小さな蛇行を繰り返す。間もなく5km地点を過ぎる(地形図)。
 
 
<山腹の水田>
 和木川右岸の中腹、標高270m辺りに比較的広い平坦地があり、そこでは水田耕作が行われていた。以前は蛇行する道の途中からその様子が望めた(下の写真)。今ではそのような展望箇所はない。


5km地点 (撮影 2019.10.30)
峠方向に見る
   
右岸の中腹に水田が見える (撮影 2005. 5. 3)
   

<川に接近>
 道はまだ川筋に沿うことはないが、一度かなりまで接近して行く。その途中、コンクリートの何かの構造物があったり、配水管のバルブのような物も見掛けた。この下にある水田の灌漑用水などの施設かもしれない。

   

右手にコンクリートの物体 (撮影 2019.10.30)
その先で左に道が分岐

中には何もない (撮影 2019.10.30)
   

<分岐>
 川沿い方向へと曲がる所(地形図)で、川の上流側へ寂しい道が分岐していた。 辛うじて車の轍も見られる。こういう道を見付けると、直ぐに旧道の詮索をしたくなる。この地点より峠方向は、林道の方は如何にも車道らしい大きな蛇行が繰り返されている。 石名越の旧道なら川沿いをもっと素直に登って行った筈だ。しかし、林道開削で旧道の痕跡など微塵もない。この分岐以外、何の手掛かりもなかった。

   

左に分岐 (撮影 2019.10.30)

分岐する道を見る (撮影 2019.10.30)
旧峠道?
   

<道の様子>
 以前訪れた時の写真と今回を見比べていると、今は確かに沿道の木々が多くなり、視界が得られなかった。今回は景色を写した写真が全くと言っていいほどないのだ。 一方、道は少しづつ良くなっている。以前はコンクリート舗装だった箇所もアスファルトに変わった。大佐渡石名天然杉のお陰で、今後も道の補修が続けられるといいのだが。

   

道の様子 (撮影 2019.10.30)
峠方向に見る
きれいなアスファルト舗装

左の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2005. 5. 4)
以前はコンクリート舗装だった
   

視界が開ける (撮影 2019.10.30)

<視界が開ける>
 やっと林が途切れ、視界が広がる箇所に降りて来た。側らには農作業用の小屋なども立つ。すると、暫く道の両側に水田が広がった。

   
峠方向に見る (撮影 2019.10.30)
作業小屋などが立つ
左は水田の奥へ、右の道が峠へ
   

<水田>
 ここは標高がまだ270m以上あり、海岸沿いからも林道を4km程入った中腹である。この周辺だけ広い平坦地が広がり、それを利用して棚田が造成されている。

   
棚田の様子 (撮影 2019.10.30)
今は休耕田?
   
水田の様子 (撮影 2019.10.30)
10月だが水が張られているのは何故(後述)
   

<峠道>
 この地での稲作は古くから行われていたものと思う。海岸沿いの和木集落からここまでの道も早くに整備されていただろう。かつての石名越も、この棚田の近くに通じていたかもしれない。 和木川沿いからは少し離れ、峠道として少し迂回する形だが、可能性はあるように思う。石名越から下って来た旅人は、この棚田を見てもう人里が近いことを感じたかもしれない。さてどうであろうか。

   
棚田の中を行く道を峠方向に見る (撮影 2019.10.30)
ここもかつての石名越の峠道だったかもしれない
峠はこの右手奥
   

<休耕田?>
 その棚田だが、今回訪れてみると周辺にはススキが茂り、10月というのに水が張られている田もある。以前訪れた時は、清々しい水田が広がっていた(下の写真)。この10数年でいろいろな変化があったようだ。

   
以前の棚田の様子 (撮影 2005. 5. 3)
   
以前の棚田の様子 (撮影 2005. 5. 3)
   

<キャンプ場>
 棚田の終りの方で右手に道が分かれ、そこに古い看板が立っている。文字はもうはっきりしないが、「一晩一組限定 星ふるキャンプ場」とあったようだ。稲作を止め、敷地の一部をキャンプ場としたのであろうか。

   

右手に分岐 (撮影 2019.10.30)

キャンプ場の看板 (撮影 2019.10.30)
   

<再び林の中>
 キャンプ場脇を過ぎると道は再び暗い林の中だ。和木集落はまだまだ遠い。道は和木川右岸の斜面を和木川沿いへと蛇行して下って行く。完全に車道開削によりできた道筋だ。

   

道の様子 (撮影 2019.10.30)

道の様子 (撮影 2019.10.30)
再び暗い林の中
   

<和木川沿い>
 林道は棚田より1km余り下って初めて和木川本流沿いに出る。そこに橋が架かっている。

   
和木川を渡る (撮影 2019.10.30)
左手には「山野草を守ろう」の看板
   

和木川上流を見る (撮影 2019.10.30)

<和木川>
 林道が辿り着いた地点は、和木川の中流域である。橋から上流側を望むと、砂防ダムからちょっとした滝となって流れ下って来ている。大きな川ではない。
 
 和木川は大佐渡山地主脈を水源とし、一つの水系を成す。しかし、谷は細長く、大きな支流を持たない。大佐渡山地の分水嶺がやや内海府側に寄っているので、流長も短い。その分、外海府側の石名など川に比べ谷が急と言えるだろう。峠からこの川沿いに至るまでの林道の大きな蛇行の繰り返しがそれを物語っている。

   

橋の銘板など (撮影 2019.10.30)
黄色い看板は両津市による「ごみ捨て禁止!」

林道の銘板 (撮影 2019.10.30)
   

<橋の銘板>
 「広域基幹林道 石名和木線」とある。石名川に架かる官場笠橋にあった物と、縦書・横書の違いはあるが、よく似ている。橋の竣工年は分からないが、やはり林道竣工と同じ1993年頃に架けらてたのだろうか。ただ、この上の棚田への車道が早くに通じていた筈で、架け替えの橋かもしれない。
 
<松山橋>
 橋の名ははっきりしている。銘板に「松山橋」とある。「松山」とは大字和木にあるこの地の字名ではないかと思う。小さな字は沢山あり、なかなか調べられない。

   

橋の銘板 (撮影 2019.10.30)
峠方向に見る

「松山橋」とある (撮影 2019.10.30)
   

<左岸沿いの道>
 お決まりの旧道探しである。松山橋左岸の袂より、やはり上流方向に道が延びる。地形図などにはない。ちょっと見は、車でも入れそうである。石名越の旧道である可能性は大だ。ここからずっと川沿いに遡ったか、あるいは一旦棚田方面に出て、そこから再び峠を目指したかもしれない。

   
松山橋を峠方向に見る道 (撮影 2019.10.30)
右手に道が分岐する
多分、峠の旧道だろう
   
   
   

和木川左岸

   

<和木川左岸>
 松山橋から下流側は、ずっと川筋に沿う。これはもう旧石名越と同じ道筋だろう。相変わらず、コンクリート路面が多い。枯葉や枯枝の堆積も目立ち、しっかり寂れている。 ここは棚田への作業道でもあるが、棚田が寂れれば、この道を通る車も減ることだろう。これまでの「大佐渡石名天然杉」の看板の代わりに、「農耕者 優先」の看板が見られた。

   

石名川沿いの道 (撮影 2019.10.30)

石名川を見る (撮影 2019.10.30)
峠方向に見る
   

左に林道標柱 (撮影 2019.10.30)

<林道起点>
 左岸沿いの途中に林道起点がある(地形図)。峠から下って来ると唐突に思えるが、ここより下流側には耕作地があるので、集落からここまでは早くから両津市の市道として整備されていたのかもしれない。
 
 今の林道標柱は、「森林基幹道 石名和木線(起点)」となっている。一方、林道看板は15年前に来た時と同じで、「林道石名和木線(起点)」と出ている。柱の所には、「延長17,522m、巾員4.0m、平成5年度竣工」とあり、峠にある林道記念碑が示す林道竣工年と一致する。

   

林道標柱 (撮影 2019.10.30)

林道看板 (撮影 2019.10.30)
   

<以前の林道起点の様子>
 15年前に来た時は、林道看板はまだ新しかった(下の写真)。右手に林道標柱が並び、左手には古そうな道路情報看板が立っていた。そこにも「石名和木線」の文字が見える。まだ峠が開通する前の物だと思うのだが、ある程度は双方から林道開削が進んでいたことをうかがわせる。

   
以前の林道看板 (撮影 2005. 5. 3)
林道標柱は右側に立つ
   

<林道の距離>
 初期の広域基幹林道(単に林道とも)の延長は「17.522Km」で、森林基幹道になっていからは「17.626Km」で、約100m違う。しかし、起点・終点の場所は変わらないようだ。距離の再測定や道の改修なので、僅かな違いが生じたのだろう。
 
 峠より石名側終点(県道45号接続)まではほぼ10Km(10.5Kmとする看板もある)、峠より和木側起点までは残りの約7.6Kmとの計算になる。しかし、途中の5Km地点などからすると、8Km近くあるようにも思う。

   
林道起点を峠方向に見る (撮影 2019.10.30)
   

林道起点以降 (撮影 2019.10.30)

<林道起点以降>
 林道起点以降、海岸沿いで県道45号に接続するまでは、「市道和木1号線」となるようだ。道程は2Km以上ある。林道区間と合わせた峠道全体では、約20Kmとなる。
 
 林道起点からちょっと林の中を抜けると、心持ち周辺が広がる。和木川の谷が広まったようだ。

   

<田んぼ>
 地形図では僅かながらも川沿いに田んぼがあることになっている。このまま海岸沿いまで分布するようだ。確かに作業小屋のような物も立つ。しかし、沿道の草が高く、周辺の様子が分からない。


峠方向に見る (撮影 2019.10.30)
小屋が立つ
   
沿道の様子 (撮影 2019.10.30)
周辺には田んぼがある筈なのだが
   

林の中でシイタケ栽培? (撮影 2019.10.30)
峠方向に見る

<シイタケ栽培>
 馬首や北松ケ崎の集落に関して、多くの農家がシイタケ栽培に取り組んでいるというような記述を文献に見掛ける。林の中に黒いネットで覆われている所があった。シイタケは日光を嫌うそうで、多分シートの中ではシイタケ栽培が行われているのだろう。他にもシイタケの原木らしい木が並んでいる所も見掛けた。

   

<右に分岐>
 和木川に鉄製の橋が架かっている。地形図にはない。対岸の耕作地へと渡る作業用の橋のようだ。ただ、対岸は草に覆われている。

   

右に分岐 (撮影 2019.10.30)

鉄製の橋が掛かる (撮影 2019.10.30)
   

<和木川の様子>
 草が多くて直ぐ横を流れる和木川の川面もなかなか見えない。どうやら川底に幾段にも段差が設けられ、急流を抑えているようだ。振り返ると、谷筋を通して遠く大佐渡山地の主脈が望めるようになった(下の写真)。正面に高く見えるのは和木山(998m)だろうか。

   
峠方向を眺める (撮影 2019.10.30)
和木川は段になって流れ下る
   

別の橋が架かる (撮影 2019.10.30)

<橋が続く>
 その後、地図にはない橋が幾つか続く。鉄製の簡易的な物で、それぞれの田んぼへと渡るように、便宜的に架けられたのだろう。今は橋の袂は草に覆われている。
 
 以前の写真(下)を見ると、和木川の沿道は草が刈られてすっきりし、対岸の田んぼも見渡せていた。

   

和木川の様子 (撮影 2019.10.30)
峠方向に見る

左の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2005. 5. 3)
橋が何本か架かり、対岸には水田がある
   

<左岸の耕作地>
 途中、地形図にある橋も架かっていたようだが、ほとんど気付かないまま過ぎてしまっている。次にはしっかりしたコンクリート路面の橋が出て来た(下の写真)。この付近は道の通る左岸沿いにも耕作地があるようだ。ただ、荒れ地となっている箇所も見られる。

   

左岸にも耕地があるようだ (撮影 2019.10.30)
ただし、草で覆われている

右手に橋 (撮影 2019.10.30)
   

<トキビオトープ>
 橋を過ぎた先には、一段と広い耕作地が見られた。しかし、もう水田としては使っていないらしい。片隅に「トキビオトープ 和木集落」と書かれた小さな看板が立っていた。トキ育成の一環として、トキの餌場(トキビオトープ)となる場所を佐渡の各地に設けているそうだ。その為、水田のように水を張っているらしい。ここまでの間にも水を溜めた休耕田を見掛けたが、それらもこのトキビオトープの為のようだ。

   

左岸側の休耕地 (撮影 2019.10.30)
トキビオトープ(餌場)として活用しているようだ

トキビオトープの看板 (撮影 2019.10.30)
   
トキビオトープの様子 (撮影 2019.10.30)
元は水田だったのだろう
   

橋の部分を峠方向を見る (撮影 2019.10.30)
この右手がトキビオトープ

左と同じ場所 (撮影 2005. 5. 3)
この時はまだ現役の水田だったろうか
   

<周囲の様子>
 谷はますます広がり、内海府海岸に面した河口に広がる三角州の様相を呈して来る。それ程広くはないが、もう周辺に高い崖はない。

   
前方にまた一つ橋が架かる (撮影 2019.10.30)
   

<峠方向を望む>
 峠方向を振り返ると、広く大佐渡山地の山並みを望む。正面の一番高いのが和木山、左側が金剛山、和木山の右手の鞍部が峠だと思うのだが、どうだろうか。あまり自信はない。

   
橋の袂より峠方向を見る (撮影 2019.10.30)
広域林道以外立入禁止の看板が立て掛けてあった
   
   
   

里へ

   

作業小屋 (撮影 2019.10.30)

<里へ>
 沿道に農作業用らしい小屋も出て来て、やっと里の雰囲気である。

   

小屋の付近を峠方向に見る (撮影 2019.10.30)

左と同じ場所 (撮影 2005. 5. 4)
軽トラが停まる
   

<和木と馬首>
 畑なども見られ、人の生活の様子がうかがえる。ただ、人家はほとんど見られない。
 
 和木川はほぼ佐渡市和木と佐渡市馬首の境となるようだ。するとこの左岸沿いは住所としては馬首かと思うのだが、看板などには「和木」と書かれていることが多い。沿道に見られた田畑も和木集落の所有かもしれない。
 
 やっと前方に海が見えて来て、峠道の終りが近いことが分かる。


畑などが出て来る (撮影 2019.10.30)
   
前方に海が見えて来た (撮影 2019.10.30)
   

馬首小学校 (撮影 2019.10.30)

<馬首小学校>
 大きな建物が現れるが、馬首小学校である。その名からすれば、やっぱりここは馬首だろうか。
 
 対岸には僅かに人家も見られる。ただ、あまり人気が感じられない。以前は家の前に軽トラが停まっていたようだが(下の写真)。

   
前の写真と同じ場所 (撮影 2005. 5. 3)
積雪の通行不能で引き返して来たところ
   

 道は峠からここまでほとんどコンクリート舗装であった。石名側より幾分寂れ渡合が多い。

   
峠方向を見る (撮影 2019.10.30)
ここまでほとんどコンクリート舗装
   
   
   

和木側起点

   

<和木橋の袂>
 道は小学校の横を通り過ぎ、小さな十字路に出る。交差する道は馬首の集落内を通る旧道で、新道となる県道45号はその直ぐ先に通じる。旧道側には和木橋が架かるが、新道側の橋も同じ名のようだ。この和木橋左岸袂が今回の峠道の和木側起点である。
 
 かつての石名越の起点については、現在の和木橋が昭和30年代に架け替えられた物なので(橋の銘板より)、正確な地点は分からない。しかし、ほぼこの場所で間違いはないのではないか。

   

小学校の脇を通る (撮影 2019.10.30)
向こうに架かるのは旧道の和木橋

旧道との十字路に出る (撮影 2019.10.30)
正面の短い坂を登ると現県道45号
   

<起点の和木>
 尚、この峠道起点に和木の人家はない。和木橋を渡った和木川右岸側にあり、和木の中心地は更に現県道45号を進んだ先にある。しかし、この和木橋左岸袂の周辺は、僅かな範囲ではあるが、住所として佐渡市和木となるようだ。
 
 峠は石名と和木の境にあり、峠道の両側の起点もそれぞれ石名と和木である。石名越は名実ともに石名と和木を結ぶ峠道と言える。(以下は余談)
 
<看板類>
 十字路正面に左に「鷲崎」、右に「両津港」と看板がある。手前方向は「大佐渡石名天然杉」となる。


十字路に立つ看板 (撮影 2019.10.30)
   

和木橋の袂より峠方向を見る (撮影 2019.10.30)
右手が小学校

左とほぼ同じ場所 (撮影 2005. 5. 3)
   

<小学校沿いの看板>
 小学校の校庭に面したフェンスに、以前はいろいろ看板が掛かっていた。「林道石名和木線 入口 ←」、「御滝 入口」などなど。「立入禁止 和木総代」の看板はどこかで見たことがあったと思ったら、少し手前に架かる橋の袂に立て掛けてあったものと同一だろう。そちらに移設したようだ。

   

看板が並ぶ以前の学校のフェンス (撮影 2005. 5. 4)

山火事防止などの看板 (撮影 2005. 5. 4)
立入禁止の看板は、今はこの先の橋の袂に移された
   

和木橋の袂 (撮影 2019.10.30)
峠方向に見る
ここから石名越の峠道は始まる

左と同じ場所 (撮影 2005. 5. 4)
学校のフェンスにいろいろと看板が掛かる
   

 学校のフェンスは今は草で覆われていて、以前の看板はない。代わりに「石名・天然杉」と書かれた大きな看板が峠方向を指している。

   
「石名・天然杉」の看板 (撮影 2019.10.30)
   

<内海府>
 梅津(ドンデン線の峠の起点でもある)から北の鷲崎までの14Kmの海岸線が内海府(うちかうふ)となる。和木は内海府の中では両津湾寄りに位置する。内海府は外海府に比べ海岸段丘が少なく、よって耕地などの平坦地に乏しいようだ。
 
<和木集落>
 和木集落においても、山が海岸近くまで迫り、平地が少なそうだ。文献(角川日本地名大辞典)では「集落後方の台地城ケ平に城跡がある」とのこと。和木川沿いからもそちらに登る道が分かれていたようだ(分岐を見落とした道))。また、「明治中期から大正末期にかけ台地上の大平平・大平などが広く開墾され」たとある。「大平平・大平」とは、峠を下る途中にあったあの棚田のことを指しているのかもしれない。すると、あの地は近代以降の開発で、近世以前の石名越とは無関係だったことになる。


十字路角にお堂 (撮影 2019.10.30)
これも和木集落の所有だと思う
   

和木橋を見る (撮影 2019.10.30)
この先の県道からの分岐に「大佐渡石名天然杉」の看板が立つ

<青い看板(余談)>
 石名側には、県道沿いに青い縦長の大きな「大佐渡石名天然杉」という看板が立っていた。しかし、こちらは旧道沿いなので、それはない。和木橋を両津湾方向に進んだ県道分岐に立っていたようだ。両津港からやって来るとその看板が目に付く。

   
和木川上流を眺める (撮影 2019.10.30)
   

<和木川河口>
 和木川は県道の下をくぐると直ぐに海に注ぐ。今回の峠道は石名川河口から和木川河口まで、見事に一本で通じていた。 他の峠の多くも2つの川の分水界に位置し、峠道をそれぞれの川沿いに下れば、いつかは海へと至る。しかし、石名越ほど端的にそれを示している峠道は滅多にない。黒姫越なども同様で、これも大佐渡山地を横断する峠道の特徴だろうか。


和木川河口 (撮影 2019.10.30)
橋の直ぐ向こうは海
   

和木橋より馬首集落方向を見る (撮影 2019.10.30)

<馬首集落へ(余談)>
 ついでに馬首集落を訪れてみる。和木の直ぐお隣の集落だ。和木橋から旧道を北に見ると、右手に佐渡市立馬首保育園があり、その敷地の角に、「ここは馬首(UMAKUBI)です 佐渡市」と看板がある。地方に行くと、よくこうした看板を目にする。地元愛が感じられ、何となく微笑ましく思う。

   
「ここは馬首です」の看板が立つ (撮影 2019.10.30)
右奥は佐渡市立馬首保育園
左手は馬首小学校
   

<馬首>
 牛首峠など「牛首」という地名はよく目にするが、「馬首」は珍しいと思う。「地名は出崎が馬の首に似る地形であることに由来するといわれる」と文献にある。「出崎」が何だか分からない。馬首近辺には海に突き出た岬は見られない。


馬首の看板 (撮影 2019.10.30)
   

馬首小学校 (撮影 2019.10.30)

<小学校>
 幼稚園の対面が小学校で、表札には「佐渡市立馬首小学校」とある。ただ、手元の観光パンフレットでは「馬首小学校跡」で載っている。校舎に掛かる時計は止まっていた。15年前に来た時は、まだ閉校していなかったと思うが。

   

<馬首集落内>
 現県道からは少し山側に入った旧道沿いに、馬首集落の人家が並ぶ。現在は幹線路から外れ、静かな佇まいだ。馬首川の河口に広がる小さな三角州が馬首集落の中心地となる。和木よりは平坦地が多く、その分、人家の数も多そうだ。
 
 暫く行くと、村の中心を馬首川が流れ下って来ていた。その川沿いにも人家が並ぶ。上流の方には水田があるようだ。


馬首集落 (撮影 2019.10.30)
旧道を北へ進む
   

馬首川を上流方向に見る (撮影 2019.10.30)
この川を遡ると、大倉越に通じる

<大倉越>
 馬首川の源流部には大倉越が通じる。但し、大倉越の起点は北松ヶ崎だと思う。北松ケ崎から尾根沿いに峠まで道が延びている。一方、馬首川沿い途中からもその尾根筋へと道が繋がっているようだ。 どちらにしろ、馬首も大倉越の内海府側起点の一つであったと考えてよいのではないか。
 
 和木川と馬首川は河口部分で僅かに160mしか離れていない。和木川沿いを遡ると石名越、馬首川沿いを遡ると大倉越。この2つの峠道は非常に近い存在だ。お互いに補完する関係ではなかったろうか。

   

<県道からの入口>
 北松ヶ崎方面からの旧道入口には、「大佐渡石名天然杉」の案内看板はなかった。やはり、和木方面から入った方が峠道に近い為か。「石名天然杉」ということもあり、石名の方が宣伝に積極的かもしれない。

   

馬首集落内の旧道が県道に接続する (撮影 2019.10.30)

県道側から旧道を見る (撮影 2019.10.30)
右が馬首集落へ
   
   
   

 15年前に越えられなかった峠が、今回無事に越えられたのは良かった。最近は石名天然杉で注目されている峠道である。出来ればそれ以前の、何でもない林道の頃の峠と比較出来たらもっと良かったと思う、石名越であった。

   
   
   

<走行日>
・2005. 5. 3 和木川より峠道の途中まで キャミにて
・2019.10.30 石名→和木 ハスラーにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 15 新潟県 1989年10月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・大きな字の地図 新潟県 2001年4月発行 人文社社
・ツーリングマップル 3 関東 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 3 関東甲信越 2003年4月3版 1刷発行 昭文社
・WideMap 関東甲信越 (1991年頃の発行) エスコート
・ブルーガイドブックス 17 佐渡・越後路 昭和62年発行 実業之日本
・佐渡島の観光パンフレット各種
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

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