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峠の変貌 |
<姥
石峠に異変> 新旧2つのツーリングマップ(ル)(1989年5月発行と1997年3月発行)を見比べていたら、姥石峠付近の道の様子が一変していたのに気付いた。一 目見ただけでは、 何がどう変わったのかさっぱり分らない程の変わりようだ。 <以前の峠道> 元々、江刺市(現奥州市)と住田町の境には、南北に2km程離れて2本の峠道が東西方向に通じていた。北側の一本は主要地方道・水沢人首(ひとかべ)住 田 線 で、南側の一本は国道397でがある。主要地方道の方が姥石峠を越え、国道の方の峠には名はないようであった。姥石峠を越える主要地方道は、住田町側に 入って3、 4kmで国道に接続していた。 1994年8月のこと、水沢市街方面から国道397号を走って来て、一旦名もない峠で江刺市から住田町に入り、直ぐに主要地方道・水沢人首住田線に入っ て姥石峠を越えて江刺 市に戻り、更に人首(ひとかべ)から主要地方道27号・江刺東和線方向に曲がって田瀬湖に至り、「いこいの森キャンプ場」に泊まった経験がある。残念なが ら その当時の姥石峠などは写真に撮ってなく、今になると惜しいことをしたと思う。 |
<姥
石峠の変化> 姥石峠の変貌は概ね次の通りである。国道の方が姥石峠の方にずれてきて、姥石峠の真下をトンネルで越えてしまった。元の主要地方道は、姥石峠を越える手 前の江刺市側で新しい国道に接続したので、峠越えはなくなってしまった。 これにより、古くからの姥石峠の道は現役を退くこととなり、同時に国道が元々越えていた方の峠も幹線路から外れ、衰退の憂き目に遭っている。一つのトン ネルの出現が、同時に二つの峠の運命を変えたのであった。 なかなか複雑な変化であり、これは一度、現地に行って確認しなければならない。姥石峠や国道の旧峠の運命や如何に。ずっとそんなことを思っていた が、やっと2012年に訪れることができのだった。 |
<盛
街道> 現在の道路地図では姥石峠には盛街道が通じている。この場合の「盛」は「もり」ではなく「さかり」と読む。最初、盛岡の「盛」だろうかなどと思っていた ら、とんでもない見当違 いであった。 <古い盛街道> 古くからの盛街道とは、北上川沿いの水沢から太平洋沿岸の大船渡市の市街地・盛町(さかりちょう)までを結んだ街道であった。正確には水沢大船渡盛街 道となる。 水沢宿で奥州街道と別れ、北上川の右岸に渡り、北上川の支流・人首川(ひとかべがわ)沿いに岩谷堂宿、人首宿(ひとかべじゅく)と通過、種山高原物見山 (種山とも)の南麓(姥石峠近く?)を越え、世田米宿(せたまいじゅく) を通 り、白石峠を越え、盛宿へと至っていた。岩手県を南北に連なる北上山地の南端に於いて、内陸地方と大西洋岸を結ぶ脇往還という存在である。 <今の盛街道> この盛街道を現在の車道で言うと、奥州市側(旧水沢市と旧江刺市の領域)では主要地方道8号・水沢米里線及び旧水沢人首住田線の姥石峠区間、住田町側で は国道397号及び 国道107号と乗り継いで、白石トンネルを抜け、大船渡市街に至る道になる。旧水沢人首住田線は姥石峠を越えていたので、現在の道路地図などでは盛街道は 姥石峠に通じている。 文献によっては、姥石峠を盛街道の峠としていたりするが、元々の盛街道は、厳密には姥石峠は越えていなかったようだ。物見山の南麓ではあるが、姥石峠よ りもう少し北側だったらしい。ただ、道の変遷はいろいろあるので、正確なことは分からない。 |
<国
道397号と伊手川> ところで、国道397号も水沢市街を通っている。こちらは人首川の支流・伊手川(いでがわ)に概ね沿って住田町の境まで通じている。伊手川は北上川に合 流する直前で人首川に注いでいるので、人首川とはほとんど別の川と思ってよい。この2筋の川は、どちらも姥石峠の西麓付近に源頭を持つ。 現在の道路地図では、水沢市街と姥石峠とを結ぶには、国道397号の方が最短路であり、一方主要地方道8号は北を大きく迂回している。しかし、古くから の盛街道は、なぜかこの迂回ルートで発達した。人首川の流れが穏やかで、その岸辺に道が通し易かったのであろうか。途中の人首集落が要衝の地であったのだ ろうか。 何にしろ、現在は伊手川筋となる国道397号の方が幹線路であり、水沢市街から住田町へと向かうには、当選ながらこの国道を使う。わざわざ人首川筋の主 要地方道8号を使う者はいないだろう。古くからの盛街道の宿場であった人首集落も、もう通過することはなくなった。 |
奥州市側から旧国道の峠へ |
今回は、姥石峠の峠道全体ではなく、峠近辺の話に終始する。盛街道全線を取り上げていては大変である。 |
![]() 越路峠を奥州市側に下って来た所 右が旧国道の峠へ 左は水沢方面 |
<旧国道分岐> 旅の都合上、南の一関市(旧大東町)の方から主要地方道10号・江刺室根線(旧住田室根線)で越路峠を越え、奥州市江刺区(旧江刺市)伊手に入った。 峠 を少し下るとT字路に突き当たる(左の写真)。青看板は左に「水沢 24Km」とある。右方向には何の案内もない。主要地方道10号はここで水沢方面の左に折れ、行く行くは国道397号に接続する。 以前は突き当たった道が既に国道397号であった。ここを右に折れると、住田町との境の峠がある筈である。勇んでその峠へと向かう。 |
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![]() 直ぐにセンターラインがなくなっている |
<旧
国道を峠方向へ> 峠への旧国道は、分岐から直ぐにセンターラインがなくなり、やや道幅が細る。一方、現在の主要地方道10号は、越路峠から下って来た快適な2車線路のま ま水沢方面へと続いている。 主要地方道10号の道筋は立派に改修されたが、旧国道の部分は昔のまま取り残されたといった感じである。 |
![]() 左折が越路峠、直進が水沢方面 水沢方向の道は良い |
![]() 快適な二車線路が続く |
峠への登り |
現在、奥州市側の主要地方道10号と、住田町側の新国道397号とを結ぶ、旧国道の峠道区間は、道路地図によっては黄色い県道表記になっている。ただ、県
道番号などは不明。 主要地方道10号から別れ、市町境の峠までは3、4kmの距離である。元々は国道であった道だから、それ程苦もなく越えられるだろうと予想する。鉄塔が 見える辺りから屈曲が多くなり、登り坂も勾配を増す(下の写真)。 |
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鉄塔の手前の箇所は、片側の斜面は伐採されて見通しが良く、晴れ晴れとした感じであったが、そこを過ぎると道は林の中で見通しがない。 |
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林の中に入ると、路面に枯葉が目立ち、やはりやや寂れた感じは否めない。こ の付近はまだ伊手川の上流部、源頭部近くを行く。その内、姥石峠のある人首川の源頭部寄りへと少し北に移動して行く筈である。 |
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倒木 |
![]() 向こうに走り去る車が一台 |
さて、旧国道の峠はどんな
だったろうかと、期待しながら車を進めていると、前方に何やら道をふさいでいる物体がある。 近付くと倒木であった。一本の木が見事に道を遮断している。人はその下をくぐれるが、車はどうにも無理である。どかせられないものかと、倒木をつかんで 少しゆすってみ たが、一人や二人の人力では到底不可能であった。倒木の先を見ると、今しも一台の車が遠ざかって行く。同じく通行止に遭った被害者らしい。 |
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![]() ここで引き返し |
以前はいっぱしの国道も、旧道の身になると、こうも哀れであろうか。これが今現在の国道397号であったら、倒木などあっと言う間に撤去されることだろ
う。そもそも、倒木が発生しないように日頃から整備されていることと思う。現在の国道397号の往来はなかなか頻繁なのだ。恨めしく倒木を眺めていても仕
方ないので、
旧国道の探索は一旦中止とし、ここから引き返しである。 |
現国道へ |
主要地方道10号に戻り、水沢方向に進む。改修された立派な道が続く(下の写真)。 |
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<集
落> 沿道に僅かばかりだが人家が並び、集落が見られた(下の写真)。江刺区伊手の「種山」と呼ぶ集落であろうか。主要地方道10号を越路峠から下って来て最 初の人家 となる。元々は幹線路となる国道397号沿いにあった訳で、道は改修されて良くなったが、家の前を通過する車の往来は減ったことだろう。静かになって良い かもしれ ないが。 |
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<右に分岐> 集落を過ぎるた後、細い道が右に分かれている。以前は、こちらの旧国道397号と姥石峠を越えている主要地方道とを、江刺市側で繋ぐ道であった。現在 は、主要地方道 が直接新しい国道に接続しているので、この道の利用価値は半減したことだろう。 |
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新国道を行く |
<新
国道に接続> 前方にT字路を示す青看板が出て来る。看板には、左折は「水沢」、右折は「大船渡」とある。これが新しい国道397号であった。 |
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![]() 主要地方道10号側から見る |
<余談> この日は生憎の雨模様で、時々強く降ってくる。しかもいろいろな峠を越える予定の日だったので、うまく写真が撮れるか心配である。明るさ不足で画像は流 れるし、フロン トガラスの水滴も邪魔になる。姥石峠の後は荷沢峠から五輪峠へと峠道の梯子をしたが、やや 残念な一日 であった。 |
<分岐に旧道を残す> この新国道に接続する分岐は、よくよく見る と、主要地方道10号の直進方向に道が延びている。古い国道の名残であるようだった。 <新国道を峠へ> 新しい国道397号を峠方向に進むと、直ぐにもトンネルが見えてくる(下の写真)。しかし、まだ峠のトンネルではない。「赤金トンネル」とある。トンネ ル上部の直ぐ奥にガードレールが見え、道が横切っていることが分かる。先程分かれた、国道と主要地方道を結んでいた道である。 |
![]() 右手奥に国道の旧道あり |
![]() 坑口上部の少し奥に、道が横断している |
![]() 奥州市側一つ目のトンネル |
主要地方道分岐 |
<主
要地方道8号の分岐> 赤金トンネルを過ぎると、直ぐ左に分岐がある。これが主要地方道8号だ。行き先は「人首」(ひとかべ)とある。 <人首と米里> 人首は古くは盛街道の宿場であったことは前述した。人首宿は五輪峠の奥州市側の起点でもあり、道が交差する要衝となる。 江戸期まではこの地に人首村(人こうべ村)があった。名の由来は坂上田村麻呂が「人首丸」と呼ぶ人物を討ったことにちなむとか。明治期、「人首」の名を 忌み嫌って改称した。この地の古名「米の郷」に復して「米里(よねさと)村」としたそうだ。その後、江刺市の地区名になっている。 |
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![]() 「人首」は「ひとかべ」と読む |
<主
要地方道の名> 主要地方道8号が新しくここで国道に接続してしまったので、姥石峠を越えなくなってしまった訳だ。元々は「水沢人首住田線」という名であったが、今は 「水沢米里線」と変わっているようだ。住田町まで通じていないので「住田」が取れ、代わりに姥石峠の江刺区側の地区名、米里が入った。ついでに 米里地区内の地名である「人首」も取れてしまったのは寂しい。折角、往時の盛街道の宿場であったのに。尚、赤金トンネルを抜けた時に、国道は伊手から米里 の地に入って来ている。 |
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<国道の様子> 新しい国道は人首川の左岸に通じている。一方、姥石峠を越えていた旧主要地方道・水沢人首住田線は、人首川右岸の比較的高い所に通じていた。今の国道か らその様子 はうかがいようもない。 |
新しい国道には橋が多い。扇
沼橋やら葡萄沢橋やら次々に現れる。これらは人首川の支流の川に架かるものだ。また、古歌葉(こがよう)などと名の付くトンネルも抜ける。橋とトンネルの
連続で、蛇行する狭い
谷の間に快適な車道を通している。 <古歌葉> 尚、トンネル名にもなっている古歌葉(こがよう)というちょっと面白い名は、姥石峠の奥州市側にある集落名である。文献では姥石峠の旧江刺市側は「米里 字 古歌葉」であるとなっていた。地図では赤金トンネル出口近くで、人首川沿いにその集落名が見える。 |
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![]() 奥州市側2つ目のトンネルとなる |
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<舘
沢> ところで、古歌葉より上流側で、より姥石峠に近い所に「舘沢」(たてさわ)という集落名も見える。こちらが姥石峠の江刺市側最初の集落になるのではない だろうか。ど ちらにしろ、新しい国道はそうした古くからの集落とは無縁である。道は快適だが、沿道に人家は皆無で、どことなく寂しい。 |
新国道の峠(種山トンネル) |
![]() 奥州市側3つ目のトンネルは峠のトンネル 左手に立つ青看板は、トンネル通過後、 左に「星座の森」などへの分岐があることを示す |
<種山トンネル> 3つ目のトンネルが現れた。これが奥州市と住田町の境を越える種山トンネルだ。ほぼ姥石峠の真下に通じている。入口付近はスノーシェッドともなってい る。 姥石峠の下にあるのだが「姥石トンネル」という名ではな い。姥石峠は人首へと続く盛街道の峠だったので、伊手川流域を水沢市街へと直接下る国道の峠ではないとの解釈か。あるいは姥石峠の周辺は、物見山(種山と も)を頂点とする種山高原が広がり、今は観光地化されている。その観光地に至る国道のトンネルなので、「種山トンネル」の方が観光地としての統一性がある とのことか。まあ、「姥石」などというのは、今ではちょっと古めかしい名で、明るいイメージの高原観光地にはふさわしくないかもしれない。 |
<トンネルの標高> 種山トンネルの坑口付近は、どちら側もスノーシェッドの様になっている。大きな土管のような代物だ。奥州市側の坑口の標高は、地形図で 560m〜570m の間である。一方、住田町側は600m〜610mの間で、どこかで「603m」という数値を見たような気がする。種山トンネルは住田町に向かってやや登っ ていることになる。 姥石峠の標高は文献で626mだが、トンネルとの標高差は意外と小さい。 |
![]() まだスノーシェッド部分で、側面に窓がある |
種山トンネルの住田町側 |
![]() 出口直後に道の最高所があるようだ |
<道の駅> 種山トンネルを住田町に抜け ると、そこは観光地である。出口の直ぐ右手に「道の駅 種山ヶ原」が隣接する。道の駅の前辺りが、道の最高所の様に見える。地形図では読み取れない。 道の駅は意外と多くの車で賑わっていた。観光目的の客もあるだろうが、国道397号上にあっては、格好の休憩地である。 |
![]() 国道の方を見る |
![]() 国道から離れた奥を見る 右手に大きな石碑 |
<種山ヶ原と宮沢賢治> 種山高原は種山ヶ原とも呼ばれるようだ。宮沢賢治ゆかりの地であることが、道の駅にある案内看板などで分かる。賢治の詩碑などもある。 <余談> 30歳代の頃、宮沢賢治に関心を持ち、童話や伝記などをよく読んだ。初めて出掛けた東北ツーリングでは、「賢治先生の家」とか「イギリス海岸」などを訪 れた。童話の舞台として山野が描かれることが多いが、この種山ヶ原もそれらの童話製作時にイメージとしてあったのだろう。 |
![]() 奥に並んだ建屋を見る |
![]() 道の駅の案内 (撮影 2012.11. 3) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
![]() (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
![]() 宮沢賢治の詩碑が刻まれる |
![]() 詩碑 (撮影 2012.11. 3) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
姥石峠へ |
![]() 道の駅周辺の案内図 (撮影 2012.11. 3) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
<周辺案内図> 物見山の南麓、住田町と奥州市に跨って種山高原の観光施設・観光スポットが 点在する。道の駅にあった看板(左の写真)が役に立つ。ただ、種山トンネルの真上辺りに姥石峠があってもよさそうなのだが、峠そのものの記述はない。これ は実地検分しかない。 |
<旧道へ> とにかく、姥石峠は旧主要地方道・水沢人首住田線にあったのだから、その旧道に向かわなければならない。現在の国道397号は、種山トンネルを住田町に 出た後は、ほぼ大股川の左岸に沿って下る。そこは既に旧主要地方道の道筋に一致する。道の駅を背に、正面出入口方向を見ると、目の前に走る国道397号の 先に、並 行してもう一本道が通じる。その道は種山高原への入口でもあり、いろいろな看板が立ち並ぶ。その道を西の奥州市方面へと進んでみる。 |
![]() 国道の向こうに道が通じる |
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道は種山トンネルのスノーシェッドを左に見て、その真横をなだらかな坂道で 登って行く。 |
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姥石集落 |
<集落が現れる> 道はスノーシェッドの直ぐ脇を通り、種山トンネルの上に広がる林の中に入って行こうとする。間近に見ると異様な姿のスノーシェッドが途切れ、道がこれか ら林に入ろうとする辺りで、沿道に人家が出てきた。現在の種山トンネル前後の新しい国道397号沿いには、全く人家は見られないが、トンネル入口の直ぐ肩 の上に、ひっそりと小さいな集落が佇んでいたのだった。道に沿って古い人家があるからには、これは正に旧水沢人首住田線であろう。 |
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種山トンネルに続くスノーシェッドや、坑口付近に広がる道の駅の出現で、この辺りの景色は一変したことだろう。道の駅の正面出入口付近では、既に旧道の面
影は残されていないものと思う。集落があるこの付近は、どうにか往時のままで踏みとどまった。集落に住む人たちは、直ぐ下に通じた新しい国道の開
通や道の駅の建設を、この地からどの様な思いで見詰めていたのであろうか。 |
![]() ここが姥石集落 |
<姥石集落> 地形図や一般の道路地図などでは、この集落がある 箇所に「姥石」と記載がある。峠の名にもなった姥石集落となろう。ただ、現在の住所としては「姥石」の名はないようで、この付近の地は、住田町の世田米 (せた まい)字子飼沢(こがいさわ)となるようだ。姥石は子飼沢内の一集落か。 この「姥石」という名の由来などは、文献などからは分らなかった。集落自身は小さなもので、はっきりした由来などは残っていないのかもしれない。また、 現在は盛街道の峠となっているが、古い盛街道の道筋は、厳密には姥石峠とは少し違うようであり、歴史的にも姥石はそれ程重要な地ではなかったのかもしれな い。 |
<姥石集落後> 沿道から覗く姥石集落の家屋は僅かである。道が少し左に折れ、種山トンネルの真上に向かいだすと、直ぐにも人家は途切れた。 <畜産研究所への分岐> 少し景色が開け、左手に道が分岐する。入口に看板が立つ。「岩手 県農業研究センター・畜産研究所種山畜産研究室」とある。古いツーリングマップでは、こ の旧主要地方道と旧国道397号とを、種山牧場を経由して繋ぐ道として描かれていた。現在は家畜伝染病予防の為立入禁止の道となっている。その分岐を過ぎ ると、本線の道はまた視界のない林の中に入る。 |
![]() また林の中 |
峠直前 |
<右
カーブ> 伝説はさておき、看板の前を数100m程道が進むと、ほぼ直角に右にカーブする。そこを左に道が分岐する。入口にはロープが張られ、進入禁止だが、先の 畜産研究所へと続いているようだ。あまり使われた形跡がなく、荒れた道である。 |
![]() この手前で左に分岐あり |
![]() 左に曲がって国道397号方面 正面奥に道が通じている |
<星
座の森> この旧主要地方道と思われる道は、寂しい道なのだが、その道沿いに点々とピンク色の旗が立っていたり、看板があったりする。種山高原の一画にある「種山 高原 星座の森」や「種山キャンプ場」 の案内である。 またまた道の上にその案内看板が掲げてあると思ったら、どうも様子がおかしい(下の写真)。どうやらそこが峠らしい様相なのだ。 |
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姥石峠 |
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<姥
石峠> 路上に掲げられた「種山高原星座の森 ⇒」の大き な 看板に目を奪われがちだが、よくよく見ると道の左手に「江刺市」 という看板もある(上の写真)。その場を反対側から眺めてみると、「住 田町」と書かれた看 板も立つ(下の写真)。明らかに市町境を示している。正しくここが姥石峠である。 |
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<峠
の標高> 国土地理院の地形図では、630mと640mの等高線の間にあるように見える。しかし、文献(角川日本地名大辞典)には626mとあった。また、高校時 代の新詳高等地図(昭和48年3月25日発行 帝国書院)、いわゆる「地図帳」を眺めていたら、姥石峠に同じく「626」の文字を見付けた。以前から 626mが公称値であったらしい。 ただ、標高の定義や測定技術も変遷し、つい最近も山の高さが改定されたそうだ。山梨・静岡の境にある間ノ岳(あいのだけ)が3190mで、全国第3位タ イとのこと。これで私が住み始めた山梨には富士山、北岳、間ノ岳と、上位三山が存在することとなった。姥石峠の標高626mも、現在の測定方法では、違う 値になるのかもしれない。 <東 北自然歩道の看板> 峠の旧江刺市側に「新奥の細道」と題された東北自然歩道の木製の看板が立つ。そこに示された地図に姥石峠の文字を見付けた。 |
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![]() 東北自然歩道の看板 (撮影 2012.11. 3) 新奥の細道と表題にある (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
![]() 看板の地図 (撮影 2012.11. 3) 赤い線が自然歩道 (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
<看
板のコース案内図> 看板の右側に示された地図には、道の駅を起点とする全長10kmの自然歩道・種山高原の道が、赤い線で刻まれている。その終点が赤い丸で示された現在地 であり、そこに 「姥石峠」と書かれているのだ。これもまた、ここが姥石峠である証左であった。 ただ、ちょっと困るのは、種山トンネル抜けた国道397号と思われる道が、この峠で繋がっているように見えることだ。種山トンネルはもっと長く、勿論峠 の下を貫通している。それに姥石峠を旧江刺市側に下るべき道が、看板の地図ではどうもはっきりしないのである。国道と重なりあってしまっている。 <峠の旧江刺市側> しつこくここが姥石峠であることを確認したかったのには、訳があった。住田町側からこの峠へと登って来た道は、右に星座の森へと続く道を分けた後、尚も 直進方向に進もうとしているのだが、その道が廃道状態だったのだ(下の写真)。 |
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<バ
リケード> 道は峠を過ぎた直ぐ先でバリケードによる通行止となり、そのゲートの先を眺めると、惨たんたるものだ。どう見ても、これが元の主要地方道・水沢人首住田線 だとは思えない有様である。 倒木に雑草、枯葉が覆いかぶさり、路面が全く見えない。かつて一度ここを走り抜けたことが、幻のようである。 <峠の印象> 峠自身は、周囲に眺めがなく、暗い林の中で物見山方面(星座の森)への道が一本分岐するだけの、単なる道の最高所という寂しい存在である。ここがまだ主 要地方道の峠として現役だった頃でも、わざわざ足を止める程の場所ではなかった様に思う。初めてここを訪れた時も、多分峠で立ち止まることなく、そのまま 通り過ぎたことだろう。勿論、写真の一枚も撮っていない。 ただ、峠道の旧江刺市側が廃道状態になった今では、この姥石峠が哀れに思えてくる。古風な「姥石」という名も、尚更その思いを強くさせる。峠の住田町側 は種山高原への道として使われ、これからも存続していくだろう。しかし旧江刺市側は、国道の種山トンネルが峠道の役目を担い、姥石峠の道はこのま ま廃道化の一途を進んでいくと危惧される。道に横たわるバリケードには単に「通行止」とだけあり、復帰の見込みがうかがえない。峠から旧江刺市側の道を眺 めていると、何だか取り返しがつかないことになってしまったという気持ちにさせられ る。 |
種山高原へ寄り道 |
<舘沢> 峠から奥州市側には抜けられないので、少し宮沢賢治ゆかりの種山ヶ原を見に行くことにした。峠から北へ分かれる道に入る。道はほぼ奥州市と住田町との境 を進む。左手(奥州市側)に牧場の施設らしき建屋が見えた(右の写真)。地図によってはそこは舘沢(たてさわ)の地になっている。ただし、そこに人家は見 られない。 |
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![]() 直進が「星座の森」へ |
<大森林道分岐> 姥石峠から500m程行くと、左に分岐がある。東北自然歩道「新奥の細道」の看板の地図では、「大森林道」とあった道だ。そちらに宮沢賢治詩碑があるこ とになっている。大森林道を進む。 林道は直ぐに未舗装路となった。住田町との境に沿った奥州市側に砂利道が続いている。生憎の天候で、ガスってきた。晴れていれば周囲に種山高原が広がっ ていたのかもしれない。暫く走ったが、賢治の詩碑は出て来ない。何かの建物が沿道にあったが、付近に詩碑の案内はない。ただ、元来た方向を指して「姥石峠 2.8km」と東北自然歩道の道案内があるだけだった(下の写真)。諦めて引き返す。 |
![]() これでは詩碑は見付からない |
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星座の森へ寄り道 |
<星座の森へ> 大森林道を戻って、「星座の森」への道を進む。こちらはずっと舗装路だ。 <詩碑への入口> 途中、キャンプ場の近くに詩碑への入口があった。歩いてならこちらからも行けるようだが、雨の中の草むらを進む訳にいかず、またしても断念。 |
![]() 種山高原案内図 (撮影 2012.11. 3) 賢治詩碑への入口にあった物 (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
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旧国道397号の峠へ |
<国
道397号の住田町側> 道の駅の正面に戻り、国道397号を住田町側に下る。気になるのは、昔の国道が越えていた峠である。その名もない峠がどんなものであったか、やはり見た くて堪らない。一応、妻に了解を得て、分岐を探す。 |
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<旧道分岐> 種山トンネルから住田町側に続く現在の国道397号の部分は、元は主要地方道・水沢人首住田線の道筋に当たる。道は今も大股川の左岸沿いに通じている。 センターラインがある立派な二車線路となっている。 種山トンネルから2km程下ると、右手に逆Y字で細い舗装路が分岐する。これが旧国道である。 |
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<旧
主要地方道の終点> 逆Y字の旧国道分岐からそのまま国道を更に300m程下ると、トンネル手前をまた右に分岐がある。これもまた旧国道である。姥石峠を住田町側に下って来 ていた旧主要地 方道・水沢人首住田線は、現在の新国道にあるトンネル坑口上部を通過し、その先で旧国道397号に接続していた。そこが主要地方道の終点であった訳だ。か つ て、国道を住田町側に下って来て、その分岐から主要地方道に入り、姥石峠を越えたのであった。 |
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![]() トンネル上部に旧水沢人首住田線が通じ、 旧国道に接続していた |
<住
田町側の旧国道へ> 戻って、旧国道を峠に向かう。大股川の左岸を少し遡り、新道をかすめた後、左にカーブして大股川を渡る。 |
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![]() この先、左にカーブして大股川を渡る |
![]() 左手に新道が隣接する |
<旧主要地方道を眺める> 大股川を渡る橋の辺りから北の新道方向を眺めると、山の斜面に白いガードレールが一筋通じているのが眺められる(下の写真)。それは旧主要地方道・水沢 人首住田線だと思う。新国道に消さ れることなく、この辺りで僅かに旧主要地方道が残っているらしい。 |
![]() 手前が大股川に架かる橋 前方上部に白く見えるのはガードレール それは旧主要地方道と思われる |
![]() 大股川を渡る所 |
<旧
国道の様子> 旧国道を峠に向かう。最初は狭そうに見えたが、辛うじてセンターラインの跡が残っている。旧道となる前に既に二車線路であったようだ。 |
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道は林に囲まれ、視界は利かない。大股川を渡った後、その支流沿いに西方向へ遡る。 |
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<分岐一つ> 途中、右手に分岐があった。畜産研究所へ と続いているようだ。 |
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旧国道の峠 |
<峠> 旧道に入ってから2.5km程、空が幾分開けてきて、沿道もちょっと明るい雰囲気の箇所に到達した。工事看板などが立つが、同時に看板がないポールだけ が残る所 があった。道はまだその先登り で、向こうにスノーシェッドも見えるが、どうやらここが住田町と旧江刺市の境になる峠のようだった。ポールだけの看板跡は、多分市町境を示していたものだ ろう。「江刺市」とか「住田町」と書かれていたものと思う。 |
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<峠
の標高など> 地形図では、この市町境の峠は660m付近にある。ただ、そこより旧江刺市方向に向かって更に登り、500m程行った所に道の最高所があり、その標高が 695mくらいである。 |
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旧国道の旧江刺市側 |
<ス
ノーシェッド> 市町境の峠を過ぎ、旧江刺市側に入ると直ぐにもスノーシェッドが出て来る。その手前に「水沢 29km」と看板が立つ。このスノーシェッドを含め、旧江刺市側には合計3つのスノーシェッドが連続する。そういえば、新しい国道にも、峠部分の種山トン ネルを含め、奥州市(旧江刺市)側に古歌葉、赤金と合計3つのトンネルがあった。今も昔もそれだけ険しい峠道だということである。 |
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![]() 何となく薄気味悪い |
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![]() まだ道は登る |
ぽっかり口を空けたスノーシェッドは、何となく気味が悪い。しかし、中は明
り採りがあって意外と明るい。風雨に晒されない為か、路面の痛みは少なく、センターラインも認識できる。スノーシェッドは長さで200m程
だ。
旧江刺市側最初のスノーシェッドを抜けても、道はまだ登っている。霧が立ち込めていて、視界が利かないが、空は開けていそうだ。 |
旧国道の最高所 |
<道
の最高所> 間もなくこの峠道の最高所付近に達する。工事用のトラックが一台停まり、その奥に比較的大きな家屋が見える。 |
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市町境よりもこちらの方が峠らしく見える。大きな家屋は峠の茶屋かドライブインの様な物だったのではないだろうか。今は朽ちかけて使われている様子は全く
ない。以前はその案内看板が掲げてあっただろう、錆びた大きな鉄枠のみが路肩に起立する。かつてこの地は国道397号の休憩場所として、往来する車で賑
わったこともあった筈だ。今は霧に包まれているせいもあり、寂しい佇まいである。 |
![]() 市町境方向に見る この部分の道幅は広い 側に大きな建物も立つ |
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道の最高所を過ぎると、道幅はやや狭くなり、緩やかに下りだす。
<2番目のスノーシェッド> 間もなくまたスノーシェッドが現れる。こうしたスノーシェッドの連続で、この旧国道は冬期間の通行を確保しようとしてきたのだった。今は100m程も低 い位置に種山トンネルが開通し、積雪時での通行がより容易になったことだろう。 2番目のスノーシェッドを過ぎた先は、旧江刺市側に視界が広がりそうであった。天候が悪くて実際には眺めはなかったが、晴れていれば山並みが望めそうで ある。 |
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![]() 左手に「トンネル内 スリップ注意」とある |
![]() 少し遠望がありそうだ 左端に鉄塔が見える |
![]() かなりピンボケ |
訪れた時はちょうど倒木があり、通り抜けができない状況にあったが、それでも路肩に人影を見掛けた。風体の悪そうな男達が退屈そうにたむろしている。道が
寂れ、同時に治安も悪くなったのだろうか。君子、危うきに近寄らず。3番目のスノーシェッドを確認すると、直ぐに引き返すことにした。
姥石峠の奥州市側、古歌葉集落付近なども、どうなっているのか確かめたかったが、それにはまた種山トンネルを戻らなければならない。あまり妻に無理を言 う こともできないので、国道397号を東へと進むこととし、姥石峠に別れを告げたのだった。 |
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1994年8月に越えた筈の姥石峠であったが、その当時のことはほとんど覚えていない。それでも姥石峠がまだ現役時代に一度でも越えられたというのは嬉し
いことである。現在の峠の様子を見る限り、二度と車では越えられない峠だと思う、姥石峠であった。 |
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<走行日> ・1994. 8.14 住田町 → 旧江刺市 ジムニーにて ・2012.11. 3 住田町側から峠まで往復 パジェロ・ミニにて <参考資料> ・角川日本地名大辞典 3 岩手県 2010年3版 1刷発行 昭文社 ・その他、一般の道路地図など (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒ 資料) <1997〜2014 Copyright 蓑上誠一>
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