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富士の北方を東西に甲府盆地との境を成して御坂(みさか)山地がそびえる。そのほぼ中央部を右左口峠は越えている。この道は甲斐の古道のひとつで中道往還と呼ばれ、甲駿(現在の甲府と静岡県)を結ぶ最短路として利用された。
現在は峠の下を国道358号・甲府精進湖道路が右左口トンネルで抜け、険しい峠越えは回避されている。しかし、東に国道137号が御坂トンネル(近年無料になった)でつながり、西には富士川沿いを国道52号が走っている。甲府と静岡を結ぶ道としての役割は、今ではこの甲府精進湖道路にはあまりないように思える。 |
![]() 左は国道、右へ右左口峠道が分岐する |
右左口峠へは峠の南側に位置する上九一色村の古関から目指した。右左口峠道を除くと、無料で古関に入る為には、東の芦川村からか、または西の三珠町からの県道を利用することになる。選べる道は非常に限られている。
今回は遥々東方の御坂町より日向坂峠を越え、芦川村のほぼ全長を東西に横断してやって来た。県道は甲府精進湖道路のA区間とB区間とをつなぐ無料区間に出る。 芦川を左に見ながら暫し国道無料区間をほぼ北へと進む。その途中、右への分岐に注意していると、間もなくY字に分かれた道が、緩やかに山の中腹へと上るのが見付かる。そこが右左口峠道の始まりである。 |
道は芦川を見下ろす様に山の中腹に形成された集落へと上り、集落内の道と合流して更に進む。だが、小さな集落は直ぐに途切れ、川も国道も見えなくなる。左手には山の景色が広がりだす。
道も間もなく未舗装となった。しかし、地図によっては恥ずかしげもなく国道と標記されているだけはある道である。路面状態はまあまあだ。特に4WD車でなければというような道とは全然違う。 その内、峠道からは遂に見えるものは山ばかりとなった。道もか細くなり、車道というより山道といった趣である。入り口に立っていた「通行止」の看板が思い出されて気になったが、特に崖崩れの跡や路肩が弱い個所などは無く、路面自体は依然しっかりしたものだった。
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![]() 峠に近付くにつれ、やや狭い道となる でも、ゆっくり走れば、楽しい山道である |
![]() 上九一色村側より峠を見る 左に「右左口峠観測局」が無愛想に建つ |
道筋も急な上り坂やヘアピンカーブの連続といったつづら折りなどはなく、比較的穏やかな峠道だ。終始左側を谷に見ている。ただ、峠の在り処がはっきりしない。前方を眺めていても、峠があるであろう鞍部がいつまでも特定できないでいる。
それでも、いつかは峠に着く。平らな開けたところに出たなと思ったらそこが峠だった。
右左口峠は何となく殺風景に思えた。側らに「右左口峠観測局」と書かれた小さな小屋と、それに並んでコンクリートの柱が、金網に囲われて無愛想に立つ。道路脇には焚き火の跡らしい焼け焦げた枯れ木が寄せ集めてある。お世辞にも味のある峠とは言えない。 |
現在車が通れる峠道は、昭和43年に自衛隊の手により新たに開削されたものだ。しかし間もなく、昭和45年から48年に掛けて、県営甲府精進湖有料道路が完成してしまった。よって右左口峠を越える車道は、一般の車の通行としてはあまり活躍する機会がなかったのではないだろうか。
その後は捨て去られる訳でもなく、かといって舗装化などの必要性があるでもなく、あるがままに現在まで至ったという感じの峠道である。 峠の中道町側を眺めると、甲府盆地の一端がのぞいていた。それが峠としての救いだった。 |
![]() 峠の中道町側の風景 |
峠を中道町に下ると、眼下に眺めが広がってくる。甲府盆地が壮観である。
急に立派な道路に接近遭遇した。甲府精進湖有料道路だった。こちらの貧相な道とは比べ物にならない道である。双方の道路はガードレール一本で仕切られ、車の行き来を阻んでいた。
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![]() 甲府精進湖道路に接近遭遇 |
![]() 9.4Kmが峠道の長さ? |
![]() 車の脇の林の中に、開削記念碑がある |
新旧の道は立体に交差し、新道は右左口の集落を東に避けるように進み、旧道は集落へと向かっていく。旧道もこのあたりではセンターラインのある道となるが、集落前ではまだ人通りはなく閑散としている。
その閑散とした道沿いに、ほとんど誰にも気付かれることなく、「甲府精進線右左口峠」の開削記念碑がひっそり立っている。陸上自衛隊の労を讃美したものだ。日付は昭和43年中秋とある。
道は右左口集落のど真ん中へと入った。集落内の人工的に真っ直ぐ伸びる道が暫く続く。その道の両側には人家が軒を連ね、まるで右左口宿の面影を残しているのではないかとも思われた。 <制作
2002. 1. 2>
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