ホームページ★峠と旅
梅野木峠
うめ のきとうげ  (峠と旅 No.200)
          

峠の片側通行止後も、徐々に変貌しつつある峠
    
(初掲載 2012. 8.18  最終峠走行 2012. 4.25)
   
  
              
梅野木峠 (撮影 2012. 4.25)
手前は東京都日の出 町大久野(おおぐの)
奥は東京都青梅市(おうめし)柚木町(ゆぎまち)
道は林道大入線

峠の標高は630〜640m (1/25,000地形図より)
峠を青梅市側に越えると、直ぐにゲートで通行止
峠を左右に横切るのは、西の日の 出山から東へと続く尾根沿いの登山道
   
青梅市側
     
 奥多摩は東京都民の奥座敷。都心からもJR青梅線や国道411号・青梅街道 で日帰りできる距離にあり、それでいて豊かな自然にあふれている。奥多摩の山々を歩きに行ったり、休日にふと思い立って車を走らせ、小河内ダムを眺めて息 抜きをして来ることも多い。
 
 奥多摩町の古里(こり)までは、多摩川を挟んで国道の対岸に吉野街道(都道45号・奥多摩青梅線)が併走し、国道より空いていそうな気がして、そちらを 走ることが多い。梅で有名な青梅市の吉野梅郷(よしのばいごう)を過ぎ、次に御岳山(みたけさん)への分岐が左に出て来るまでの間、やや寂しい都道が続 く。その 時、斜め左に分かれる細い道を探してしまう。ずっと以前、梅野木峠を越え、その道からひょっこり出てきたことがあるのだ。そここそが梅野木峠の青梅市側起 点である。
        
 都道沿いには何の看板も出ていない。分岐するその寂しい道が、市町境を越えて 日の出町に抜ける峠道だとは、なかなか分からない。どこかの小さな集落か、あるいは 人家の庭先で行止りとなるような道にも思え、事情を知らなければ入り込む気にはなれないだろう。都道は車の往来が多く、道の入口で立ち止って思案する余裕 もない。

都 道からの分岐 (撮影 2010. 4.24)
   

峠道の青梅市側の出口 (撮影 2004. 7. 3)
下を走るのは都道45号・吉野街道
 
 私は日の出町側から越えてきたので、こんな所に出るのかと、それで初めて知ったのだった。そもそも、峠道が通じているかどうかも分からずにやって来た。 当時の道路地図では、まだ青梅市側で道が接続されていなかったのだ。峠道が通じていることを発見し、都道からの分岐がその細い道であることをつきとめた。 それからは、ちょっとした秘密の道を知っているようで、やや得意であった。
               
 しかし残念ながら、その後間もなくしてその峠道は青梅市側で通行止となり、峠越えはできなく なった。折角の秘密の道も、一度きりの峠越えで、無に帰してしまったのだった。
 
 また、この峠道はある意味、利用価値もあったのだ。休日の奥多摩は混雑する。当然ながら道も渋滞が起きる。そこで、なるべく本道である国道411号や都 道45号を走る距離を短くしたいと思い始める。まずは都道31号・青梅五日市線(秋川街道)の二ツ塚峠を使い、直ぐに西の梅ヶ谷峠(うめがたに)の都道 251号・青梅日の出線に乗り換え、更には鋸山林道の
ヤマビコ峠(大ダワとも)を越えて奥多摩入りするよう にもなる。そんなことをしている時、この峠道を新たに見付けたのだった。

都 道からの分岐直後 (撮影 2004. 7. 3)
峠方向に見る
この先、林道
   

林道手前 (撮影 2004. 7. 3)
都道方向に見る
路肩にちょっとした展回場がある
 通行止となったのを知ったのは、ある休日の奥多摩からの帰りであった。都道 から分かれて入り、暫く行くとゲートで道が閉ざされていた。こんな寂しい林道は、こういう憂き目に遭うのも仕方ないことと直ぐに諦めた。こうして峠の名前も知らぬまま、この峠道か らは縁遠くなっていった。
 
 2004年7月、奥多摩周遊道路経由で奥多摩湖を見学し、その帰り道、久しぶりにその狭い道に入ってみた。奥多摩方向からだと、
右への逆Y字の分岐なので、対向車に注意しながら 曲がる。入って直ぐ左手に建物があるが、人家ではなく、何かの作業所のようだった。間もなく左にその建物に向かう分岐がある。
               
 数10m進むと、車の回転場のようなちょっとした広い路肩があり、その先は 狭い道となる。ひび割れたコンクリート舗装の道が続いている。側に林道立入禁止の看板が立つ。多分、ここから先が林道なのだろう。
     

左 に林道立入禁止の看板 (撮影 2004. 7. 3)
ゲートまでもう少し進める


林 道を行く (撮影 2004. 7. 3)
             
 100mも進んだろうか、やはりゲートが道幅いっぱいに設けられていた(下 の写真)。立入禁止をしつこく謳っている。
     

ゲー ト (撮影 2004. 7. 3)

ゲー トの看板 (撮影 2004. 7. 3)
             
  ゲート前は狭く、車の回転にはやや苦労する。ゲートの少し手前に急坂の分岐がある。その道を使う為の便宜や、ゲートの脇が通れないようにと、この場所に ゲートが設けられたのかと思う。林道の起点は、やはりもっと前ではないだろうか。しかし、ゲートの直ぐ近くに林道看板が立っていて、そこには「林道大入線 (起点)」とある。厳密な起点という訳ではないだ ろうと思うのだが。
 
 ゲートには林道に入り込む不審者がいることが書かれていた。不法投棄だろうか。そんな明らかな犯罪行為だけでなく、単なる遊び半分で通行止の林道に無理 やり入る者もいるかもしれない。残念なことだ。
 
 初めて峠を越えてこの場に降りて来たのは、1992年(平成4年)前後のことだったと思う。ジムニーであった。近場の奥多摩まで行くのに、わざわざカメ ラを持 つことはなく、峠道は写真に残っていない。青梅市側がどんな道だったか、既に全く記憶にもない。もう、二度と通らせてもらえそうもないこの状況では、まこ とに悔やまれる。そういえば、ヤマビコ峠(大ダワ)の鋸山林道も通行止になって久しい。土砂崩れなどの災害による通行止なら仕方ないが、人為的な問題から 林道が通行止とされる事態は、寂しいことだ。


ゲートのお知ら せ (撮影 2004. 7. 3)
あまり無謀なことはしたくないものだ
             

ゲートを背にして見る (撮影 2004. 7. 3)
右手に急坂の道が分岐する


ゲート近くに立 つ林道看板 (撮影 2004. 7. 3)
              
 奥多摩へ向かう抜け道としては早々に諦めた峠道であったが、2005年5月に ふと思い立って、日の出町側から峠を目指した。すると、峠までは車でも行けることが判明した。また、峠名が梅野木峠であることもその時初めて知ったのだっ た。
               
                
日の出町側から 峠へ
  

秋川街道をあきる野市方向に見る (撮影 2012. 4.25)
右に都道184号が分岐
 日の出町側からは、都道31号・青梅五日市線(秋川街道)から北に分岐する 都道184号・奥多摩秋多線に乗る。秋川街道はあきる野市、日の出町、青梅市をつなぐ主要地方道で、奥多摩の行き 帰りや、青梅経由で秩父へ向かう時などもよく使う。「あきる野市」などと言われるとまだピンとこないのだが、以前の五日市町である。
 
 
都道184号が 分かれる交差点は、現在は「つるつる温泉入口」とあ る。つるつる温泉はここから入って6Km程の所にある大きな温泉施設だ。比較的最近できたもので、ここ10年くらいのことであろうか。では、それ以前は何 と呼ぶ交差点だっかと調べてみると、「役場前」と書 かれた道路地図が見付かった。昔はこの交差点角に日の出町役場があった。以前から何度もその前の秋川街道を通っている筈だが、役場があったか全く記憶にな い。
              
 都道184号の名前は「奥 多摩秋多線」というらしいのだが、当然ながら奥多摩に通じてはいない。日の出町と青梅市との境にある日の出山の東麓までは延びているが、日 の出町の町域から出 ることなく行止りとなる。尚、「秋多」の地名が判明しないが、都道184号の東側の起点は、秋川街道より更に東にあるので、その辺りにある地名なのだろ う。
      

秋川街道の交差点 (秋川街道の交差点 (
秋川街道の交差点 (
撮影 2005. 5.28)
都道184号側から見る


左と同じ場所 (撮影 2012. 4.25)
つるつる温泉の大きな看板が右手に立つ
    
 「つるつる温泉入口」と名を変えた交差点の角には、温泉の大きな案内看板が 立つ。つるつる温 泉は日の出町の中 でも一、二を争う大きな観光スポットと思える。現在の都道184号は、この温泉へ通じる道として利用されることが多くなったのではないだろうか。
 
 もう一つ、この都道を利用するのは、日の出山への登山であろう。私もこの道を使っての山歩きを2回経験している。日帰りでちょっと山歩きの気分を楽し もうとすると、それはもう年間250万人が訪れるとも聞く高尾山だが、それ以外に手頃な山はないかと探すと、その一つがこの日の出山となる。車でなるべく 近くまで行き、それでもって片道1時間程度で安楽に登って来られる山となると、そうざらにはない。日の出山はそうした私のお眼鏡に叶った数少ない山の一つ であった。

「つ るつる温泉入口」の交差点を望む (撮影 2005. 5.28)
都道184号上より
前方で秋川街道が横切る
         
都道184号を 行く
  

都道184号を行く (撮影 2012. 4.25)
左手に平井川
前方をパトカーが走る
この日は何度かパトカーに出くわす
 秋川街道は交通量が多く、狭い街中を通る幹線路なので、あまり走りたい道で はない。一方、そこから分かれて入った都道184号は、行止りの道ともあってか、ぐっと交通量が減り、落ち着いて走れる。
 
 道は日の出山に水源を持つ平井川(ひらいがわ)に沿って北進する。最初は右岸で、直ぐに左岸に渡り、左手に平井川を望むようになる。間もなく沿道の人家 も少なくなリ、見通しが良くなる。対岸に砕石場のような建物が見える。セメント工場とのこと。昔は五日市線の武蔵五日市駅近くから枝分かれした貨物線が、 こ こまで通じていたらしい

             
 センターラインがある幅広い走り易い都道が続く。追越禁止のオレンジ色のライ ンがほとんどだ。2012年4月に来た時は、都道184号に入るとちょうどパ トカーが前方を行く。勿論、追い越す訳にはいかない。しかし、こちらはのんびりとしたドライブである。いつの間にやらパトカーは視界から消え去っていった
     

都道184号を行く (撮影  2012. 4.25)

都道184号を行く (撮影 2012. 4.25)
右手に大久野キャンプ場の看板
              
 秋川街道の分岐からつるつる温泉入口の目の前までの6Kmは、概ね良い道が続 く。日の出山の登山やつるつる温泉に入ることを目的とするだけなら、これと言って 特別目を引かれる物もなく、造作もなく走り切ってしまう。それでも、少し沿道に注意していると、キャンプ場らしきものが対岸に見えたり、「ひので 肝要の 里」といった看板を見掛けたりする。「小さな蔵の資料館」と書かれた「肝要の里」には、入ったことはないのだ が、機関車バスなるものが停まっているのを見掛けた。外見を機関車に似せた送迎バスらしい。一度、都道沿いですれ違ったが、突然に現れるとちょっとびっく りする大きさだ。
     

右手に肝要の里 (撮影 2005. 5.28)
赤い機関車バスが停まる
看板には「つるつる温泉 直進あと2Km」とある

機関車バス (撮影 2012. 4.25)
道ですれ違うと、迫力がある
      
三ツ沢の分岐
    

三ツ沢の分岐に 到着 (撮影 2005. 5.28)
前方左に分かれる細い道が都道の続き
道なりに右はつるつる温泉を経て梅野木峠へ
都道入口に女性ばかりの登山者がたむろする
  つるつる温泉まで後少しの所で、センタ^-ラインがない狭い区間を僅かに通り、その先またセンターラインが現れると、道は右にカーブして坂を登って行く。 そのカーブの手前を左に細い道が分岐する。実は、そちらが都道184号の続きである。つるつる温泉の手前、400m程の地点だ。
 
 ここは日の出町大久野(おおぐの)の三ツ沢と呼ばれる集落近辺だ。本来の都道方向には、それを示す大きな看板はなく、注意していないとそのままつるつる 温泉へと導かれてしまう。
                    
  初めてここに訪れた時は、まだつ るつる温泉がなかった頃で、都道もそのまま真っ直ぐ西の日の出山方向へと進んでいた。逆に梅野木峠への道が、その都道より北へ分岐していたのである。ジム ニーでその分岐までやって来ると、はたと迷った。直進しても都道は途中で行止りとなることは分かっていたが、右に分岐する道も狭い急坂の道で、入り込むに はちょっと勇気が要るくらいである。しかし、この行止りのような地点から抜け出すには、その道に進むしかない。思い切って右に進路を取ったのだった。
     
  現在の三ツ沢分岐は、随分と様変わりした。そこまで続いて来た道は、平井川沿いからその支流沿いへと転じるが、センターラインがある一筋の広い道は、そん なことを全く感じさせず、平然と進んで行く。一方、平井川の左岸をそのまま進もうとする都道は、片隅に追いやられた感じである。これは、つるつる温泉の開 設に伴い、道の改修が行われた結果であろう。
 
 ある時、この分岐付近の写真を撮っていると、女性ばかりのグループの登山者が道を尋ねてきた。日の出山へはどの道を行けば良いかとのこと。もちろん都道 を行けば良い。近くに立つ看板にも、都道方向に「日の出山・御岳山」と書かれている。しかし、つるつる温泉へと続く道に比べ、その都道があまりにも寂しい 道なので、確かめずには、いられなかったのだろう。

つ るつる温泉方向の道を見る (撮影 2005. 5.28)
脇を平井川の支流が流れ下る
中央に立つ古い看板には次のようにある
左:「日の出山・御岳山」、右:「松尾バスのりば
               
 三ツ沢の分岐の片隅では、二つの小さな流れが合流している。西の日の出山方向 から流れて来た平井川の本流と、北の梅野木峠方向から流れ下って来た支流で、その名前は分からない。都道はその支流を渡って西へ進む。その橋の下では、二つの川が小さな滝のようになって流れ落 ち、滝壺ができて いる。
    

平井川 (撮影 2005. 5.28)
新旧二つの橋が架かる
左手に三ツ沢薬師堂が建つ
橋を渡った先には林道が続く

平井川とその支流の合流 (撮影 2005. 5.28)
ちょっとした滝のようになっている
                  
 二つの川の合流点の直ぐ下流には、2つの橋が並んで架かっている。上流側は古 そうだ。この三ツ沢の分岐が様変わりするずっと以前からあるのだろう。橋を渡ると直ぐに三ツ沢薬師堂が建つ。二つの橋の先は、一本の未舗装林道となる。林 道看板には「林道 焼岩線」とあった。
         

三ツ沢分岐より日の出町市街方向を見る (撮影 2005. 5.28)
ちょうど路線バスが帰って行く
つるつる温泉からの客を乗せているのだろう


左の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2012. 4.25)
右の橋を渡ると林道が続く
    

峠方向から三ツ沢分岐を見る (撮 影 2012. 4.25)
左が都道を日の出町市街方向へ
右は都道の続きを平井川の源流方向へ
  初めてこの三ツ沢を訪れ、その後無事に梅野木峠を越えた時は、峠越えができたという満足の次に、この三ツ沢の分岐での不安が特に印象に残っている。十分な 路肩もない狭い道に、長くジムニーを止めておく訳にもいかず、迷ったのは僅か数10秒のことだったと思うが、とにかく不安だった。県別マップルなどの詳細 な地図を持たないので、未知の世界に入り込んだような気分である。気持ちはもう目の前に迫った山々に飲まれそうだ。この地から無事に抜け出せるだろ うかとも思った。道が行き止まれば、ただ引き返せば良いだけのことなのだが。
 
 今は、つるつる温泉へと快適な車道が延び、その先道なりに進めば梅野木峠である。三ツ沢の分岐で不安を感じる暇はない。代わりに今度は、日の出山への登 山客が不安に思う番である。
              
都道の先へ寄り道
   
 梅野木峠とは直接には関係ないが、都道184号の先は気になるところであ る。奥多摩に越えることなく、どこかで行止っているのだ。また、そこは平井川源流の地でもある。そこで、ここでちょっと寄り道する。
 
 三ツ沢分岐から、都道は狭い一本道となり、左の平井川に沿って真西へ進む。比較的直線的な道だ。舗装されてはいるが、ひび割れた感じが如何にも古そうで ある。真っ直ぐ伸びた杉の木に左右から挟まれ、狭苦しい感じがする。
 
 日の出山に登る為に車で来ると、駐車場所にやや困る。三ツ沢以前の都道沿いには、なかなか車を停められる所がない。三ツ沢以後の交通量が少ないこの道沿 い に、うまい場所がないかと探すが、これも意外と広い路肩が少ないのだ。やっとどうにか迷惑にならない場所に停めたが、見回り中なのだろうかパトカーがこん な道まで入り込んで来た。何か言われるのではないかと、冷や汗ものだった。

三ツ沢の分岐以降の都道 (撮影  2012. 4.25)
ひび割れの路面が現れる
      

都道の通行止箇所 (撮影  2012. 4.25)
右の尾根へと日の出山ハイキングコースが始まっている

 道の途中には山小屋風の家などがあったが、あまり人の気配はしなかった。途 中で右に林道が一本分岐する。久留見指林道と思われる。平井川の支流の中でも、比較的大きな谷に沿って築かれた林道だ。
 
 その先、三ツ沢分岐から800mほどで人家が現れた。地図に載る集落名では「滝本」とある。大きな敷地の家だが、人家としては一軒だけのよ うだ。その直ぐ先で都道は通行止になっていた。
 
 滑り止めに横溝が切られたコンクリート舗装 に、落ち葉が溜まり、そこにバリケードが置かれ、「この先多数倒木 あり 危険! 通行止」と書かれてあった。
          
 通行止ゲートの手前右に、小さな沢沿いを未舗装の林道不動沢線が分岐してい る。また、斜め右へ「日の出山ハイキングコース」が 登って行く。日の出町側からはこの登山道がメインルートだと思う。私も2度利用している。
 

 ゲートの側
に立 つ看板によると、都道のゲートの先は「日の出山 新道」 とある。また、「都道 この先、平井川源流地まで舗装路が続きます」 ともある。ゲートの先も、一応都道であるらしい。三ツ沢からの都道を指して、「武蔵野の路 日の出山コース」と書かれた看板も途中にあった。

都道通行止箇所に立つ看板 (撮 影 2012. 4.25)
   

平井川の源流地 (撮影  2012. 4.25)
 ゲートを過ぎ、1.5Kmほどでその無骨なコンクリート舗装も尽きる。そこが 平井川の源流地で、石碑などが立つ。
 
 周囲は伐採が行われた広い谷間で、その扇型に広がる谷の根元に、日の出町町長による「ありがとう清流 水は地球の生命」と書かれた石碑が立つ。側を平井 川の源流となる小さな流れが、竹筒らかちょろちょろと流れ出している。
 
 石碑の前で途切れたコンクリート舗装に続き、作業道が峰へと登って行く。それが日の出山へと続く登山道でもあり、「新道」なのだろう。
     

道の終点 (撮影 2012. 4.25)
都道終点から続く作業道から眺める

道の終点 (撮 影 2012. 4.25)
(左の写真の続き)
    
 日の出山へは滝本から始まるハイキングコースが一般的だろうが、同じ所に 戻って来るなら、帰りはこの新道を利用するのも手だ。平井川の源流地や、ゲートの先の都道の様子も、歩きながらじっくり見ることができる。ただ、舗装済の 都道歩きが少し長くなるのを覚悟である。

平井川の源流地を上から眺める (撮影 2012. 4.25)
      
三ツ沢の分岐以降
     

つるつる温泉入口 (撮影 2005. 5.28)
ここを入って左にバスの転回場と建物の玄関
真っ直ぐ奥に進むと右手に駐車場

 都道の探索はこの辺に、三ツ沢より峠を目指す。都道分岐から 300〜400mで左手につるつる温泉がある。平井川の支流をつるつる温泉橋で渡った先に、温泉施設の広い敷地がある。
 
 ここまで立派な二車線路が続き、打って変わってつるつる温泉の目の前からは狭い道になる。明らかにつるつる温泉の為に道が改修された訳だ。ここまでやっ て来る車の大多数は、つるつる温泉へと入って行く。
 
 日の出山を歩いた後、この温泉に入るのが楽しい。ただ、入館料がやや高く、館内は持込みでの飲食が固く禁じられていた。仕方ないので、自販機で缶ジュー スを一本買い、夫婦二人で別け合って飲んだのだった。
    

つるつる温泉の玄関 (撮影 2012. 4.25)
生涯青春の湯 ひので三ツ沢つるつる温泉」とある

つるつる温泉の駐車場 (撮影 2012. 4.25)
この奥の山の中に梅野木峠がある
       
つるつる温泉以降
     
 つるつる温泉前を 過ぎ、1.5車線になった道を登る。対岸には、つるつる温泉より上流側も、僅かに人家が点在する。道は左岸、集落は右岸なので、人家に行くには皆橋を渡る こととなる。道は真っ直ぐ北の峠方向に向かい、勾配もやや急になる。
 
 人家も見えなくなり、右に広い路肩がある先で、道幅が一段と狭くなる。その前に通り抜け不可の看板が立つ。「峠より先青梅側には、当面の間通り抜けできません」と出てい る。
 
 この看板が立ってから、もう久しい。梅野木峠は越えられない峠になってしまった。しかし、考えようには、峠までは行ける訳である。青梅側からではダメで も、こちらの日出町側からは車で登って、峠を見て来ることはできるのである。

広 い路肩がある (撮影 2005. 5.28)
三ツ沢方向に見る
  
 広 い路肩の近くにこの看板を立てたのは、ここで車を転回させる便宜だろう。この先無闇に入り込んでも、登山などの明確な目的がなければ、狭い道が続くばかり である。途中で引き返すのも苦労する。挙句に峠で通行止では、ドライブ気分で来るような所ではない。都道の終点が見たいとか、峠を探訪したいなどといった 酔狂な気持ちがなければ、わざわざ行止りの道に入る者は少ないだろう。
 
 通り抜け不可の看板の後ろには、黄色い道路情報の看板があるが、何も記載されていなければ、峠まで行けるのだろう。ただ、看板の直ぐ後ろの路面には、 ゲートが設けられるようになっているようで、ここで通行止にされる場合もあるのか。
 
 看板の直ぐ横に簡易トイレがある。この先、沿道にトイレなどの施設は皆無なので、その便宜か。通行止ならここで小用を足し、潔く諦めるとする。
          

広い路肩の先に看板 (撮影  2012. 4.25)
その横に簡易トイレ

通り抜け不可の看板 (撮影 2005. 5.28)
その後ろに道路情報の看板
   
林道起点
     
 通り抜け不可の看板箇所を過ぎると直ぐに、今度は林道看板が立っている。平井川支流の川を北 に詰めた所だ。道はこの先、川を渡って西へと方向を転じる。林道看板には「林道大入線(起点)」 とある。確か青梅市側の林道看板にも「起点」とあり、大入林道には終点がない。尚、「大入」の由来が不明である。「おおいり」と読むのかも定かでない。た だ、「大入」とは日の出町側の地名か何かだと思うばかりだ。この先、今は人家はないが、昔は「大入」という集落があっ たのかもしれない。
                 

林道大入線の起点 (撮影  2005. 5.28)
看板の右側に道らしきものが見える

林道大入線の看板 (撮影  2012. 4.25)
こちら側も「起点」とある
     
 林道看板の右側をすり抜け、川の左岸に沿って更に北へ登って行く道が確認で きる。その方向に梅野木峠があるので、大入林道開通前に旧道があったとすれば、その道筋かもしれない。
          

つるつる温泉を見下ろす (撮影  2005. 5.28)
 林道看板を過ぎると、三ツ沢の集落がある谷間は左手方向になる。木々の切れ 間から大きなつるつる温泉の施設や、その上流側に点在する人家が望める。
 
 右手の斜面を階段状に切り開いて、小規模な墓地があった。ご先祖様がこの高みより
三ツ沢の集落を見守っているのだろう。
    
 林道看板から200m程で、また一つの谷を詰める(下の写真)。沢を渡った 先で看板が一つ、ポツンと立っている。「日出町多摩森林整備・林業 振興推進地区 三ツ沢地区林班案内図」とある。都道を中心に、その周辺の林道が記載されている。三ツ沢の分岐から南に向かう林道は麻生山線 とある。2005年に来た時は、焼岩線と書かれた林道看板を見たことがあるのだが。
                  

また一つの谷を詰める (撮影  2012. 4.25)
下り方向に見る
三 ツ沢地区林班案内図 (撮影 2005. 5.28)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
        
「三ツ沢の森」近辺
     
 道は暫く樹木や竹林、玉石の擁壁に囲まれた視界の効かない中を行く。する と、前方が少し開けて来て、間伐が行われた谷の源頭部に出た。林道から分かれて遊歩道も設けられている。以前は「間伐モデル地区」などと書かれた看板が 立っていたが、最近は「三ツ沢の森」と命名されてい るようだ。沿道の二箇所にその案内図の看板が立っていた。
 
 林道から下る歩道を行くと、沢の上流部に出て、その先「水辺の森」を経由して下流に進めば、つるつる温泉に出られるようだ。そう言えば、つるつる温泉の 駐車場に行く道の左脇から歩道が西へ分かれていて、どこへ続く道だろうかと思っていたが、あそこに出るのかもしれない。

遊 歩道が設けられている (撮影 2005. 5.28)
道はこの先、開けた谷の源頭部に出る
             
三ツ沢の森を見下ろす (撮影 2005. 5.28)
   
 「見晴台」と書かれた矢印看板が立ち、その脇の遊歩道を登れば、終点に見晴 台があるようだ。この三ツ沢の森は、つるつる温泉から見晴台まで往復し、その後に温泉に入るという目論見だろうか。
        

三ツ沢の森案内図 (撮影 2012. 4.25)
山側に立つ看板
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)

三ツ沢の森を通過する道 (撮影  2012. 4.25)
三ツ沢方向に見る
谷側に案内看板が立つ
  
「三ツ沢の森」以降
     

林の中をひたすら登る (撮影 2005. 5.28)
左手に平井川の谷を望む
 三ツ沢の森を過ぎると、その後はもうひたすら山の中の道を登るだけだ。峠ま で残り約1.5Km。さほどの距離はない。
 
 平井川の支流を渡る手前から始まった大入林道は、その後やや複雑な経路を辿って峠に向かう。林班案内図があった地点、
三 ツ沢の森を見下ろす地点などと、幾つかの小さな谷の源頭部を横切りながら西へ進み、一度平井川本流の谷沿いに出る。道の左手に比較的大きな谷間が広がる。 林立する木々であまり視界が効かないが、谷の大きさは感じられる。梅野木峠は大入林道が始まった支流の上流部に位置する筈なので、車で走っていてもやや奇 異な感じを受ける。
             
道の左手に大きな谷を見渡す (撮影 2005. 5.28)
平井川本流の谷だと思う(あるいはそれに続く別の支流の谷)
      
  それも間もなく解消される。道は元の北へと方向を転じ、平井川の別の支流の谷(都道から分かれる久留見指林道が通じる谷)沿いを進みだす。暫くして小さな 切 通しのような箇所を過ぎる。そこは、日の出町と青梅市との境を成す稜線から南に派生する尾根の小さな鞍部である。この尾根を越えることで、最初の支流の上 流部へと出るのだ。
 
 切通しの箇所は、左右の法面の勾配が急で、崩れ易くなっている。落石防護ネットが被されているが、崩れてきた土砂が路面に溢れてきている。道は絶えず登 り勾配なので、ここを峠と勘違いすることはない。

ちょっとした切通しを過ぎる (撮 影 2012. 4.25)
     

ちょっとした切通し (撮影  2012. 4.25)
下り方向に見る

左とほぼ同じ場 所 (撮影 2005. 5.28)
  
切通し以降
    

切通し以降の様子 (撮影  2012. 4.25)
右手に谷を見る
 切通しを過ぎれば、今度は道の右側に谷を見下ろすようになる。目で見て確認はできないが、左手には青梅市 との境の稜線が連なっている筈だ。これで生理的にも納得できる。この谷の右岸に沿って登った左手奥に峠があるこ とになる。
    

切通し以降の様子 (撮影  2012. 4.25)
空が近くなってきた

切通し以降の様子 (撮 影 2005. 5.28)
下り方向に見る
     
 空が近くなり、頂上の峠も近いなと感じるようになる頃、前方がやたらと開け てきた。それまで道沿いに立ち並んでいた木々がすっかりないのだ。以前(2005年)に来た時の印象とやや異なる。峠の手前にこんな開けた箇所があっただ ろうか。
 
 間もなく、右手の谷が広く見渡せるようになる。その谷に沿って道が峠へと駆け登って行く。前方に大きな鉄塔が立つ。直ぐそこが峠である。梅野木峠へのア プローチは、こんな印象だっただろうか。 

前方が開けてきた (撮影  2012. 4.25)
          

峠間近 (撮影 2012. 4.25)
右手の谷が開けている

直ぐそこが峠 (撮影  2012. 4.25)
脇に大きな鉄塔が立つ
              
    
梅野木峠 (撮影 2005. 5.28)
日の出町側から見る(7年前)
   
梅野木峠(このページトップの写真の 再掲) (撮影 2012. 4.25)
日の出町側から見る
    

  日の出町側から見た梅野木峠は、2005年と今(2012年)では、さほどの変化はない。上の2枚の写真を見比べてみても、道幅が広くなったり、路面状態 が変わったりはしていない。しかし、青梅市側から眺めた峠は、随分雰囲気が違ってしまった。下の2枚の写真を見ると、現在は随分とさっぱりしているのが分 かる。
          
梅野木峠 (撮影 2005. 5.28)
青梅市側から見る
(7年前)
       
梅野木峠 (撮影 2012. 4.25)
青梅市側から見る
    

 峠の日の出町側に面した谷間が、広く伐採・植林されたのだ。それで一挙に開 けた峠に変貌したのだ。以前は峠からの展望は皆無であった。それが、今では広く谷を望み、その先の山々が見渡せる(下の写真)。
        

梅野木峠から日の出町側の眺め (撮影 2012. 4.25)
左端に見えるのは新しい林道
      

三室山へ続く山 道 (撮影 2005. 5.28)
 また、その谷の左岸沿いに下る新しい林道が開削されていた。以前は峠より東 の稜線上へ、 三室山やその先、吉野梅郷へと続く登山道だけがあった筈だが、その横にコンクリート舗装の車道ができていたのだ。林道看板などはなく、林道名や行き先は不 明である。関係車輌以外の立入は禁止となっている。最新の地図で見ると、都道184号の肝要から東の梅ヶ谷峠付近へと続く道(肝要峠?)の途中に通じてい るようだ。
    

三室山へ続く山 道 (撮影 2012. 4.25)
その横に新しい林道

新しい林道 (撮影 2012. 4.25)
関係者以外立入禁止
     
     
峠の青梅市側
      
 林道大入線の続きを青梅市側に下ると、直ぐにもゲートである(下の写真)。 青梅市側の林道入口近くにあるゲートと、構造が同じである。道は民有林林道だが、管理は東京都森林事務所なので、市町には分かれていない。
        

峠の青梅市側に掛かるゲート (撮 影 2012. 4.25)

左の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2005. 5.28)
7年前
の 様子
       
 ゲートその物は以前と変わりないが、青梅市側からゲート越しに眺める梅野木 峠の様子は、やはり大きく違う(下の写真)。見違えるばかりだ。
        


青梅市側から峠を見る (撮影 2012. 4.25)

左の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2005. 5.28)
7年前の様子
  
 ゲートを歩いて越 し、青梅市側に少し下ると、多摩川を挟んで対岸にそびえる高水三山などの山々が望める。昔はその付近の山もよく歩き回ったものだ。週末に青梅線でやって来 ては、そこらじゅうの山をしらみつぶしに歩いていた。

青梅市側の眺め (撮影  2012. 4.25)
   
青 梅市側の眺め (撮影 2005. 5.28)
          
      
峠の様子
                 

擁壁の上に峠の石碑が立つ (撮 影 2012. 4.25)
左の道は大入林道を三ツ沢へ下る
右の道は稜線上を日の出山へ登る
 この峠が梅野木峠という名であることは、峠の一角に立つ石碑で判明する。峠 より三ツ沢方向に下る大入林道の右側の擁壁の上に、おむすび型のこじんまりとした石碑が立っている。その表に「梅野木峠」と大書されている。裏には「昭和五十六年三月 林道完成記念」とある。
 
 古くから、日の出町と青梅市の双方から道はある程度延びていたと思われるので、「林道完成」とは大入林道の全線開通を意味するものと思う。昭和56年と は1981年のことで、私がジムニーで峠を越えることができたのは1992年前後であり、少なくともその間、梅野木峠は車の往来が可能だったのだろう。そ の後間もなく青梅市側が全面通行止になり、全線開通は10数年の命だった。
    

峠の石碑 (撮影 2012. 4.25)

峠の石碑 (撮影 2005. 5.28)
    
  ところで、梅野木峠という名は、ちょっと安直な名に思える。文献(角川日本地名大辞典)などには登場しない。一方、東に通る梅ヶ谷峠(うめがたに)は、古 鎌倉街道も通じていた歴史ある峠である。果たしてこちらの梅野木峠の名は、車道が通じる以前から存在していたのだろうか。
 
 正確なことは言えないが、峠に林道が開通し、その折、近くに梅で有名な吉野梅郷などがあることから、
新しく梅 野木峠と命名したのではないだろうか。古くから山道が通じていたかもしれないが、はっきりした名前がなかった可能性もある。ふと気が付くと、国土地理院の 地形図でも、その他の道路地図でも、「梅野木峠」の文字を見たことがない。山と高原地図(昭文社)の奥多摩編を新旧2冊持っているが、昭和57年発行のも のには峠に名前が記されていなかったが、2001年発行には梅野木峠とあった。やはり「梅野木峠」とは新しい名前のように思えてならない。
        
 今はもうなくなっ ているようだが、三ツ沢側に下る道の左の角に案内標柱が立っていた(右の写真)。日の出町側を伐採し新しい林道を開削したのに伴い、撤去されたのだろう。 そこには「梅野木峠」と木柱に書かれ、次のような案内が記されていた。
 
 ・林道を青梅市方向:吉野 軍畑駅
 ・林道を日出町方向:肝要 五日市駅
 ・稜線を東へ:三室山 吉野梅郷
 ・稜線を西へ:日ノ出山 御岳山
 
 現在なら「つるつる温泉」の案内があってもよさそうだが、それがないところを見ると、この標柱は古いものかもしれない。場合によっては、峠の石碑と同じ 頃に立てられたものか。

梅野木峠と書かれた案内標柱 (撮 影 2005. 5.28)
この標柱はもうないようだ
       

登山道脇の標柱 (撮影  2012. 4.25)
 ちょっと探すと、峠より三室山方向に延びた登山道の脇に案内標柱が見付かっ た(左の写真)。それには次のようにある。
 

 ・林道を青梅市方向:つるつる温泉
 ・林道を日出町方向:沢井
 ・稜線を東へ:吉野梅郷
 ・稜線を西へ:日の出山
 
峠名は「梅ノ木峠」と書かれている。

 青梅市方向は、以前は軍畑駅(いくさばたえき)となっていたが、ここでは「沢井」になっている。青梅線沢井駅近くの多摩川に掛かる楓橋(かえでばし) が、以前はまだなかった為であろう。
     
 峠より西の日の出山方向へ進む道は、入口 から暫くは舗装路になっている。数10m入ると、道の脇に看板が立っていた(右下の写真)。青梅市側の概略図が載っている。注目されるのは、梅野木峠から 青梅市側に下る道を「そば沢林道」と書いてあること だ。どこかで「岨端沢林道」というのを見たこともあ る。この峠近辺を源流とし、青梅市側に下って多摩川に注ぐ川が岨端川である。梅野木峠を越える林道が全線で開通する以前、岨端川に沿って途中まで開削されていた林道 をそのように呼んだものと想像する。全線が大入林道として開通した今でも、青梅市側では岨端沢林道の名残があるようだ。その意味で「大 入」とは、やはり日の出町側に関係した名前ではないだろうか。

日の出山方向への道 (撮影  2005. 5.28)
  

日の出山からの登山道より峠を見る (撮 影 2012. 4.25)

日の出山への登山道に立つ看板 (撮影 2012. 4.25)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
    
 最初で最後の峠越えの時、三ツ沢で迷って不安を感じたことと、吉野街道に無事 に出られた時の安堵感以外に、この峠でちょっとした出来事があったことを思い 出す。三ツ沢から登る道は終始寂しく、出会う車も人もなかったが、この峠に差し掛かった途端、車の目の前を何人もの人が歩いて横切るではないか。稜線伝い に峠を横断 する登山道を、日の出山方向から三室山方向へと、列を成し て通る。多くが中高年の女性だったと思う。峠に登山道が通じているなどと知らないものだから、こんな寂しい山の中、一体何が起こったのかと思った。
 
 
考えてみれば、 自分自身もこの近辺の山をよく歩いていた訳であり、多くのハイカーが訪れるのも当たり前である。車の前を通り過ぎる登山客の中には、こちらに一瞥をくれる者もいる。車でこんな所まで来 てしまったのが、申し訳ないように思った。人の列が途切れると、そそくさと青梅市側にジムニーを走らせたのだった。
 
 そんなことくらいしか、この峠道を越えた時の記憶はない。青梅市側がどんな道だったか、もう全く思い出せないのは残念だ。

         
      
     
 今の梅野木峠は、登山客は勿論、どう見ても山を歩きそうにない格好をした人も見掛ける。車でやって来て峠近辺をぶら ぶら散策していた。峠の日の出 町側が伐採されて眺めが良く、近くにベンチらしき物も設えてある。以前の暗い峠に比べれば、観光スポットと言わないまでも、一般人が訪れても、少しは面白 い峠になったのだろうか。新しく開削された林道を使ってサイクリング大会も開かれるようだ。
 
 ところで、Google マップを閲覧していたら、誤操作でストリートビューを起動してしまった。すると何と言うことか、日の出町側から梅野木峠までの道で
ストリートビューが見られるではないか。梅野木峠はそこまでメジャーに なったのか。
 
 ちなみに行止り都道184号の方を調べると、ゲート箇所まで
ストリートビューが達していた。侮りがたし、Google マップ。ネット社会はここまで来たのか。個人で細々とこの「峠と旅」を製作し、今回で200峠の記念となるのだが、巨大Googleの前には形無しである。百聞は一見にしかずで、ストリートビューの豊富な画像を眺めれば、あれこれ峠道に関して御託を 並べる必要もない。ただ、辛うじてこの梅野木峠については、7年前の様子を写した写真があったので、現在と比較できるのが救いであろうかと思う、梅野木峠 であった。
          
      
        
<走行日>
・1992年前後:日の出町→青梅市 ジムニー
・日付不明:
青梅市側通行止を知る ジムニー
・ 2004. 7. 3:青梅市側通行止を観察 パジェロ・ミニ 
・2005. 5.28:日の出町側から峠まで往復 キャミ
・2012. 4.25:日の出町側から峠まで往復 
パジェロ・ミニ
  

<参考資料>

・角 川日本地名大辞典 13 東京都 昭和54年 1月10日発行 角川書店
・山と高原地図 24 奥多摩 発行:昭和57年3月 昭文社

・山 と高原地図 23 奥多摩 発行:2001年 昭文社
・ その他、一般の道路地図など
(本ウェブサイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒ 資料
 
<1997〜2012 Copyright 蓑上誠一>
  
峠と旅        峠リスト