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浦の谷線の峠
  うらのたにせんのとうげ  (峠と旅 No.266)
  徳島県最西端で高知県へとひっそり越える峠道
  (掲載 2016.10.26  最終峠走行 2015. 5.29)
   
   
   

林道浦の谷線の峠 (撮影 2015. 5.29)
手前は高知県長岡郡大豊町立川下名(たじかわしもみょう)
奥は徳島県三好市山城町粟山(しろやまちょうあわやま)
道は林道浦の谷線(旧浦の谷平線)
峠の標高は約820m (地理院地図の等高線より読む)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

峠は寂しい切通しで、徳島・高知の県境と言えども何の看板も立っていない
峠前後の道筋に小刻みな起伏があり、肝心な県境の峠がどこなのか非常に分かり難い
後でいろいろ調べてみると、どうやらここが県境のようである

 
 
 
   

<峠名>
 林道開通以前の昔から、この付近の阿波(徳島県)・土佐(高知県)の国境を越え、しばしば通行があったようだ。しかし、どうにも峠の名前が分からない。元々ないのかもしれない。そこで、現在県境を越えている林道の名を借り、「浦の谷線の峠」と題してみた。

   

<所在>
 名前が知られていないのも、ある意味仕方がないことだ。ここは徳島県でも最も西の端で県境を越える峠道となる。 徳島・愛媛・高知の三県が接する近くに三傍示山(さんぼうじやま、1,158m)がそびえるが、峠はその南1km余りに位置し、四国山地の只中とういう立地だ。 古くは、三傍示山を越えて阿波・伊予・土佐の3国に往き来があったと伝わるが、現在、この近くにまともな車道は通じていない。 徳島・高知間を吉野川沿いに国道32号、徳島・愛媛間を銅山川(吉野川支流)沿いに国道319号があるが、三傍示山からは遥かに遠い存在だ。 そんな中、三傍示山の南に続く稜線上を人知れずこっそり越えているのが今回の峠だ。
 
 峠の東に当たる徳島県側は三好市の山城町粟山(しろやまちょうあわやま)となる。旧三好郡山城町の大字粟山だ。 西は高知県長岡郡大豊町(おおとよちょう)立川下名(たじかわしもみょう)となる。旧山城町は徳島県最西端、大豊町は高知県最北端の町で、四国内でもこれだけ寂しい立地の峠道は他に少ないだろう。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   
   
   
粟山より峠へ 
   

<美馬峠の続き>
 峠を越える林道浦の谷線は、三好市側で美馬峠という小さな峠を1つ越えている。 その峠を粟山側に下って来ると、間もなく大きな分岐に出る。ほぼ道なりに左折が浦の谷線の続きで、鋭角に右折はひびの谷線という林道が始まっている。

   
美馬峠を粟山側に下って来た所にある分岐 (撮影 2015. 5.29)
左は浦の谷線の続きを峠へ、右はひびの谷線を県道271号方面へ
手前は浦の谷線を美馬峠を経て県道272号方面へ
   

浦の谷線沿いに立つ看板 (撮影 2015. 5.29)

<分岐の様子>
 比較的大きな分岐の割には案内看板は少ない。ふるさと創生事業による古い看板の文字はほとんどが欠けていて、峠方向にどうにか「立川」とだけ読める。県境を越えた先の高知県大豊町の立川(だじかわ)を指すようだ。
 
 浦の谷線を美馬峠方向には、大きく「国道32号線」とある。ひびの谷線方向には「粟山」とあり、この栗山経由でも国道32号に出られるが、道はやや険しく、距離も長い。

   
分岐の先の浦の谷線を峠方向に見る (撮影 2015. 5.29)
   

<野鹿池>
 浦の谷線を峠方向には、「野鹿池」(のかのいけ)と案内看板があり、「シャクナゲ」とも書かれている。 峠から南東に続く県境上に野鹿池山(1,294m)がそびえ、その近くにシャクナゲの群生で知られる野鹿池があるそうだ。 この付近の山中ではほぼ唯一の観光スポットとも言える。 道筋は、県境を越える前に浦の谷線から林道下名粟山線(粟山下名線とも)が分岐し、それを行くと野鹿池へと至るようだ。しかし、野鹿池山の北麓に通じる県道272号から林道沢谷線が登っていて、そちらの方が野鹿池や野鹿池山登山には容易なルートになっている。


野鹿池の案内看板 (撮影 2015. 5.29)
   
   
   
ひびの線経由のルート(半分余談) 
   

<高知県側に抜けられず>
 今回の旅では、残念ながら浦の谷線に続く高知県側の道が通行止で、県境を少し越えた先で引き返しとなった。行きは美馬坂峠越え、帰りはひびの線経由のルートで国道32号との間を往復となった。前者は美馬坂峠に記したので、ここで簡単に後者のルートを見てみる。

   

<白川谷川>
 県境にある浦の谷線の峠は、ほぼ白川谷川(しらかわだにがわ)本流の源頭部に位置する。 三傍示山から南へと続く稜線上、峠を過ぎて藤川谷川との分水界までがその源流域となる。 延長約13kmを北東方向に流れ下り、景勝地・小歩危(こぼけ)の下流で吉野川に注ぐ。白川谷川は単に「白川谷」とか更に簡略化して「白川」と呼ばれたりする。
 
<ひびの谷>
 林道ひびの谷線は白川谷川本流ではなく、その南側の支流沿いに通じる。川の名は地形図などでは記載がなくて分からない。 しかし、川沿いに通じる林道が「ひびの谷線」となれば、その川は「ひびの谷」とか「ひびの谷川」と呼ばれるものと思う。 この付近の地域では「谷」は「だに」と発音することが多いので、ひびの谷も「ひびのだに」ではないだろうか。ただ、高知県側の「浦の谷」は「うらのたに」となるようだ。
 
<ひびの谷左岸>
 浦の谷線から分かれたひびの谷線は、最初ひびの谷川右岸に通じるが、分岐から間もなく左岸へと渡る。その後はずっと左岸沿いだ。視界の広がらない狭い谷筋をクネクネと走る。

   

ひびの谷川を左岸へと渡る (撮影 2015. 5.29)

左岸沿いのひびの谷線の様子 (撮影 2015. 5.29)
   

白川谷川本流を渡る (撮影 2015. 5.29)

<白川谷川沿いへ>
 分岐から2km弱で本流の白川谷川を渡り、その後は白川谷川左岸沿いになる。ただ、支流も本流も大差なく、道の様子も変わりない。
 
 
<粟山線に接続>
 白川谷川を更に700m程下ると、林道粟山線に接続する(下の写真)。接続するというより、左に粟山線の上流部分が分岐するような格好だ。ひびの谷線の方が本線のように見える。

   

粟山線との接続部 (撮影 2015. 5.29)
左に粟山線の上流部が分岐する

粟山線を上流方向に見る (撮影 2015. 5.29)
やや荒れた道
   

分岐近くに立つ看板 (撮影 2015. 5.29)
ふるさと創生事業による道案内の看板(左)と
水源かん養保安林の看板(右)

<分岐近くの看板>
 分岐より少しひびの谷線に入った所に幾つか看板が立つ。ふるさと創生事業による道案内の看板は、粟山線の下流方向に「国道32号」、上流方向に「粟山分収育林地」とだけあり、他は文字が欠けている。右に並んで水源かん養保安林の看板が立つが、こちらはもっと傷んでいて、内容は全く読めない。

   

<栗山県有林の看板>
 更にその右隣に「栗山県有林」と書かれた看板があったが、こちらは非常に役立った。林道ひびの谷線の名を知ったのも、この看板のお陰である。
 
 粟山線はこの分岐より白川谷の左岸を上流方向へと延びている。途中で粟山支線という林道が分岐しているのも分かる。地図にはないが、粟山線の進む方向に今回の峠が位置する。ただ、県境手前で車道は尽きている。


粟山県有林の看板 (撮影 2015. 5.29)
地図は左下が北
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<三傍示山への登山コース(余談)>
 文献(角川日本地名大辞典)では、「小歩危(こぼけ)の手前から右の白川谷をさかのぼり、バス終点外口で橋を渡り、林道を南西に走る。 分岐を2回とも西方にとって行くと林道は終わる。谷をさかのぼり、スギの植林をぬって登ると県境の尾根に出る。 スズタケを分けて北向すれば山頂である」と記している。「林道を南西に走る」とは栗山林道であろう。 2回ある分岐の最初はひびの谷林道との分岐で、この場合は右の粟山林道を行くものと思う。次の分岐は粟山支線との分岐で、そこは右の粟山支線を行くようだ。 地図を見ると粟山支線の先に三傍示山がそびえている。ただ、現在の地形図には粟山支線が途切れた先に登山道は示されていないが。

   

<林道起点>
 ひびの谷線に代わって粟山線が寂しく白川谷川の左岸に沿って下る。沿道に建物などは皆無だ。走ること2.7kmでやっと物置小屋などが現れ、直ぐに広い場所に出る。一本の橋が架かるが、そこが林道粟山線起点となる。

 
広い場所に出た (撮影 2015. 5.29)
アキン谷を渡る
   

「アキン谷」の看板 (撮影 2015. 5.29)

<アキン谷>
 道が渡る川はアキン谷(だに)川と呼び、白川谷川の大きな支流の一つで、愛媛との県境の峰を水源とし、東流して白川谷川に注ぐ。そこに架かる橋の名は「仲船橋」とあったようだ。

   

<林道看板>
 橋の手前に「林道 粟山線」と書かれた黄色い林道看板が立ち、ここが粟山線の起点となることを示している。国道32号から白川谷川沿いをこの地点まで遡って来た県道271号・粟山殿野線の終点でもある。


林道看板 (撮影 2015. 5.29)
   

「アキン谷川」とある (撮影 2015. 5.29)

<林道小川平線(余談)>
 仲船橋の下流側の袂より、アキン谷川の左岸沿いに道が分岐していて、林道看板には「林道 小川平線(外口工区)」とあった。前出の粟山県有林の看板では林道外口線とある道だ。
 
 小川平線は藤川谷川沿い区間の浦の谷線から平工区が分かれ、藤川谷川と白川谷川との分水界を越えて通じている。全体では非常に大規模な林道のようだ。

   

<粟山バス停>
 林道看板などと共にバス停が立っている。「粟山」とあるが、「山城町スクールバス」ともある。一般の路線バスとは異なるようだ。 文献の三傍示山登山コースで、「バス終点外口で橋を渡り」とあったが、この場所を指しているようだ。「外口」とはこの付近の地名だろうが、以前のバス停の名前でもあったのか。
 
<粟山>
 粟山、正確には三好市の山城町粟山は、この粟山バス停付近を中心地とし、白川谷川の中・上流域の広い範囲を占める。 三傍示山を頂点に、徳島・愛媛、徳島・高知との県境まで粟山の地だ。当然ながら峠も栗山に属す。山城町上名(美馬峠の東側の地区)には津屋(つや)とか平(たいら)といった集落が幾つかあったが、粟山は広い割にはそうした集落名が地図には見られない。


粟山バス停 (撮影 2015. 5.29)
   

<山城(余談)>
 三好市に統合される前の旧山城町は、昭和31年(1956年)に山城谷(やましろだに)村と三名村(さんみょうそん)が合併して成立している。 三名村を構成した上名(かみみょう、かんみょう)・下名(しもみょう)・西宇(にしう)の三か村は、山城町時代の大字を経て、現在は三好市の山城町上名、山城町下名、山城町西宇へと至っている。
 
 一方、山城谷村は大字を編成せず、山城町時代は大字なしの通称「山城」と呼ばれていた。 尚、山城町の町名は旧山城谷の「谷」が「村」を意味するものであった為、「山城」のみを採用したとのこと。この付近は平野から遠い山間部である。 山を幾つにも刻む谷ごとに集落が形成されたので、「谷」がそのまま「村」を意味したのであろう。
 
 旧山城町の山城には35地区もあったそうで、栗山もその一つとなる。「外口」は地区名に見当たらず、多分粟山内の地名だろう。 現在、三好市の住所名で「山城町何々」という形でほぼ旧城山の地区名が残るようだ(数えたら36あったが)。三好市は山城町以外に池田町や井川町、西祖谷山村などが合併している。その住所名の数は物凄い。 それでも、つい60年前にはあった山城谷村とか三名村という村名は残っていなのは残念だ。

   

県道を進む (撮影 2015. 5.29)
右手に小川平線分岐
その沖に奥小歩危温泉

<県道沿い>
 粟山林道から引き継いだ県道271号に入ると、直ぐに白川谷川を渡って林道小川平線(工区未確認)が右に分かれて行く。その道の先に大きな建物が見える。 地図には奥小歩危温泉とある。この温泉と山城町仏子(ぶつし)にある景勝地「とびのす峡」が白川谷川沿いで知られている数少ない立寄りスポットだ。
 
 国道に出るまで約8.5kmの県道区間は長い。藤川谷川沿いの県道272号では、「妖怪の里」としていろいろな妖怪モニュメントなどが楽しませてくれたが、こちらの県道271号では、なかなかいい観光資源がなかったようだ。

   
   
   
峠へ 
   

<ひびの谷右岸>
 話を戻して、峠に向かう。ひびの谷線に代わって浦の谷線がひびの谷川右岸沿いを登って行く。
 
 最初、道は真南に進む。地形図では途中で徒歩道が、更に南の県境方向へと分かれて行くが、それらしい登山道は見当たらなかった。
 
 その後、林道は概ね西へと方向を変える。


ひびの谷川右岸を行く浦の谷線 (撮影 2015. 5.29)
地形図ではこの先のカーブ辺りで徒歩道が始まっているが
   

左に分岐 (撮影 2015. 5.29)
右に「通り抜け不可」の看板が立つ

<下名粟山線分岐>
 ひびの谷線分岐から1km弱で左鋭角に分岐がある。分岐の角に立派な石碑が立ち、こんな山の中に一体何の記念碑かと思わせるが、単に分岐する林道の開通記念だった。

   
立派な石碑等が立つ分岐 (撮影 2015. 5.29)
左が浦の谷線を美馬峠方向
右は下名粟山線
手前は峠方向
   

<開通記念碑>  記念碑には以下の様にある。
 起工 平成六年八月
 林道粟山下名線
 開通記念
 竣工
 
 起工が1994年(平成6年)とあるが、1989年7月発行のツーリングマップ(中国四国 2輪車 昭文社)には、既に2km程の道が描かれている。 竣工年月が記されていないのは、未開通の区間がまだ残る為か。

   

開通記念碑 (撮影 2015. 5.29)

林道看板 (撮影 2015. 5.29)
この時は通行止
   

<林道看板>
 記念碑に並ぶ黄色い林道看板には、「林道 下名粟山線 粟山工区(起点)」とある。記念碑にある林道名とは、「下名」と「粟山」が逆になっている。小川平線と同様に林道の再編成が行われているのだろう。
 
<下名粟山線>
 その名からして、この粟山から国道32号線沿いの下名まで抜ける道のようだ。 しかし、地形図や三好市の観光マップでは、上名の野鹿池山近くを通った先、下名の地区内に少し入った所で車道は止まっている。 下名工区がまだできてないのだろう。ただ、県道272号から上って来る林道沢谷線とは接続していて、大きな周遊コースを形成している。


分岐を峠を背にして見る (撮影 2015. 5.29)
   

「通り抜け不可」の看板 (撮影 2015. 5.29)

<通行止>
 この時は、下名粟山線の入口に「通行止」の看板が立っていた。野鹿池へは沢谷線を使うしかない。それより何より、浦の谷線の峠方向にも看板が立っていた。
 
 この先 高知県側
 県道5号線への通り抜け不可
 復旧については未定です
 
 県道5号線とは、三傍示山の西で愛媛と高知の県境を笹ヶ峰トンネルで越える、主要地方道・川之江大豊線のことだ。その道に抜けられない限り、県境を越えて高知県側に入ってもどうしようもない。

   

<愛媛・高知の県境通行止(余談)>
 ちなみに、翌日、県道5号線を越えようとすると、そもそもその道自体が通行止だった。県境となる笹ヶ峰トンネル前後が崩落の為、全面通行止となっていたのだ(下の写真)。 ただ、ここには高知自動車道が通じるので、有料ながら県境越えには支障ない。更にその数日後、今度は白髪山林道の白髪トンネルで高知から愛媛に越えようとすると、そちらも通行止だった。この旅の年(2015年)は災害が多かったのだろうか。付近の県境越えは全滅という感じだった。

   

愛媛県側の県道5号起点の分岐 (撮影 2015. 5.29)

分岐に立つ通行止の看板 (撮影 2015. 5.29)
   

県道5号線 (撮影 2015. 5.30)
「辺地床〜大豊 全面通行止」の看板が立つ
高知自動車道の新宮IC近く

全面通行止の看板 (撮影 2015. 5.30)
   
   
   
県境まで 
   

<峠まで>
 高知県側に越える浦の谷線が抜けられず、野鹿池に続く下名粟山線も通行止となると、もうこんな山の中まで入り込んで来る車など、ほとんどないのではないだろうか。 ただでさえ寂しい峠道が、尚更寂しく思えて来る。しかし、県境の峠までもう目と鼻の先である。峠だけには辿り着こうと思う。
 
<白川谷川本流域へ>
 峠は白川谷川本流の上部に位置する。当面、道は支流のひびの谷川と本流との分水界へと登って行く。下名粟山線の分岐から400m程で、それらしいピークを越えた。 標高で830mくらいだ。今になって気付いたが、県境の峠の標高は約820mで、このピークの方が若干ながら高いようだ。


白川谷川本流と支流の分水界付近 (撮影 2015. 5.29)
   

分水界を越え、道は下りだした (撮影 2015. 5.29)

<白川谷川本流右岸>
 白川谷川本流域に入った道は、概ね下っているようだが、小刻みなアップダウンがある。この辺りから、迷い始める。県境の峠がどこにあるのか定かでないのだ。もう、越えてしまったのかと不安になってもくる。

   

<地図にない分岐>
 遂には地図にない道の分岐が現れる(下の写真)。案内看板もない。ほぼY字の分岐で、車の轍の跡などから若干右が本線の様に見えるのだが、左の道にも車が通行している様子がうかがえる。感を頼りにここは右にルートを取る。

   

地図にない道の分岐 (撮影 2015. 5.29)
右が本線

峠方面を背に分岐を見る (撮影 2015. 5.29)
手前が峠方向
   

<峠への最終の登り>
 怪しい分岐を過ぎると、道はしっかり登り始める。この時は気付かなかったが、これが県境の峠へのラストスパートであった。空が広くなり、峠が近いことを示していた。


峠への登り道 (撮影 2015. 5.29)
   
峠直前の様子 (撮影 2015. 5.29)
この先の左カーブがほぼ県境
   

<徳島県側の眺め>
 水平方向の視界はそれ程広がらないが、それでも遠くの峰が望める箇所があった(下の写真)。

   
峠直前の徳島県側の眺め (撮影 2015. 5.29)
   
   
   
 
   
浦の谷線の峠 (撮影 2015. 5.29)
徳島県側から見る
   

<峠>
 とにかく、徳島・高知の県境の筈なのだが、県境を示す看板など一切ないので、峠の場所を特定するのに苦労する。 謎の分岐より100m少しの坂を一気に登り切ると、道は左にカーブしながらコンクリートブロック擁壁の狭い切通しを抜ける。その付近が道のピークであり、どうやらそこが県境の峠と思われる。

   

高知県側から見る峠 (撮影 2015. 5.29)

峠より徳島県側を見る (撮影 2015. 5.29)
   

路肩に広場がある (撮影 2015. 5.29)

<峠の広場>
 切通しを抜け、カーブを曲がり切った先で路肩にちょっとした草地が広がる。車を停めるには手頃な場所だ。眺めも広い。

   
路肩の広場 (撮影 2015. 5.29)
峠方向に見る
   

<峠付近の様子>
 峠は狭い切通しの形態だったが、県境の峰としては、それ程深い鞍部にはなっていない。あまり高い稜線を越えたという実感がないのだ。それでも峠を挟んでどことなく雰囲気が変わったような気がする。やはり徳島県から高知県へと県が変わったせいだろうか。


広場より峠の切通し方向を見る (撮影 2015. 5.29)
   

広場の下をのぞく (撮影 2015. 5.29)
右下に道の分岐がある

<分岐>
 峠の広場より高知県側の直ぐ下をのぞくと、分岐があるのが見える。本線が真っ直ぐ下るのに対し、そこより北に延びる支線の林道が、山腹を横切って通じているのが望める。

   
この下に分岐より北に延びる林道が通じる (撮影 2015. 5.29)
その向こうには高知県側の景色が望める
   

<以前の様子>
 この林道浦の谷線の峠は、1993年5月に高知県側から徳島県側へと越えたことがある。その頃はあまり写真を撮らなかったが、県境前にある分岐を写した写真が一枚残っている(次の写真)。

   
以前の高知県側にある分岐の様子 (撮影 1993. 5. 4)
峠方向に見る
左の山の陰から道が合流して来ている
左手に「林道浦の谷平線」の林道看板が立つ
ジムニーの直ぐ先にY字の分岐を示す看板もある
   

<高知県側にも道の起伏>
 実はこの時、既に県境を越えたものと思っていた。分岐直前に僅かな道のピークがあり、そこが峠だと勘違いしていたのだ。この峠道は県境以外に道の起伏が複数あり、峠を見誤り易い。
 
<以前の林道看板>
 写真に写っている林道看板には次のようにある。
 
 林道浦の谷平線
 幅員   3.6m 
 全延長 8,675m 徳島県高知県境
 平成 3年 11月
 管理者 徳島県三好郡山城町
 
<林道浦の谷平線>
 元々「浦の谷平線」と呼ばれたこの林道は、高知県長岡郡大豊町立川下名(たじかわしもみょう)の浦の谷集落と、県境を越えて徳島県三好市山城町上名の平集落とを結んでいた。 その後、徳島県側の県道272号・上名西宇線が延長された関係で、その分林道の区間は短くなり、徳島県側起点も平集落ではなくなっている。 その為か、最近の林道名は「浦の谷線」となっている。
 
 1993年現在の峠道は、浦の谷集落を過ぎた峠側が未舗装となり、林道看板の先で林道浦の谷平線に入ると、真新しい舗装路が現れた。 林道看板に示された年月は平成3年(1991年)11月だが、丁度その頃に舗装化が行われたものと思う。 林道そのものはもっと古くからあったようで、1989年7月発行のツーリングマップでは浦の谷集落から平上集落付近まで未舗装路の道として記されている。

   

<別の峠>
 ところで、林道浦の谷線の高知県側起点から分岐する道は、少し北に遡って、また徳島県側へと県境を越えているようだ。 その付近は白川谷川本流の源頭部に当り、地形図には林道粟山線の上流部に続いて徒歩道が峠を越えている。標高は浦の谷線の峠(約810m)より低い約770mで、三傍示山から南に続く稜線上の最初のはっきりした鞍部に位置する。如何にも峠らしい立地だ。
 
 白川谷川水域から見れば、そちらが本来の峠道と言えそうだ。しかし、林道浦の谷線は支流のひびの谷川を経由して美馬峠を越え、藤川谷川に沿って吉野川を目指した。その為には、現在の峠の方が位置的に有利だったのだろう。
 
 古く、土佐国と阿波国の間に交流があった時代、どのような峠道が通じていたか分からないが、藤川谷方面からは現在の浦の谷線の峠、白川谷方面からはその本流上流部の峠を適宜使い分けていたのではないだろうか。 通行止で抜けられない寂しい林道が越えるばかりの現代の峠からは、もうどのような行き来があったのか、想像すらできないが。

   
   
   
高知県側 
   

<高知県側>
 今回の旅では、高知県側が抜けられないとのことで、峠の広場から徳島県側へと引き返しとなった。 県道5号も愛媛・高知の県境前後が通行止で、ここでは峠の高知県側については何の情報もない。高知自動車道の刈屋トンネル北側坑口近くから、浦の谷集落へと登る道がちらりと見えただけだった。
 
<高知県側の眺め>
 ただ、初めて峠を訪れた時に高知県側の景色を撮った写真が一枚だけ残る(下の写真)。浦の谷集落と峠との中間で写したものだ。 笹ヶ峰トンネルを抜けて愛媛・高知の県境を越える高知自動車道や県道5号が深い谷底に通じているのが望める。 当時使っていた1989年7月発行のツーリングマップには県境区間の高知自動車道はまだ描かれていなかった。訪れた前年(1992年)に開通したばかりだったようで、真新しい高速道路の出現に驚いた覚えがある。
 
 浦の谷線の峠道が下る先は、愛媛・高知の県境の峰を水源とする立川川の本流沿いだ。 峠の徳島県側は地形が比較的穏やかで、白川谷川や藤川谷川の水域ではあまりいい眺めがなかったが、高知県側に流れる立川川の谷はやや険しい様相で、その分眺めが良かったようだ。ただ、通行止になってしまっては元も子もない。

   
高知県側の眺め (撮影 1993. 5. 4)
立川川沿いに県道5号と高知自動車道が通じる
   

 大豊町に流れる立川川も白川谷川などと同じ吉野川の支流だ。峠の東で国道32号が吉野川沿いに徳島県から高知県へと通じる所を、林道浦の谷線の峠は深い山中で県境の峰を越えている。 また、西に通じる高知自動車も四国山地を縦断する大幹線路となっている。険しい林道浦の谷線で県境を越える車などある訳ない。どこまでも寂しい峠道であった。

   
   
   

 20年以上前にたった一度だけ越えた峠を、もう一度越えてみようかと思った旅であったが、あえなく通行止に遭ってしまった。しかし、それは険しい峠道の宿命で、諦めざるを得ない。 他にも白髪トンネル(白髪山林道)や笹ヶ峰トンネル(県道5号)などと、最近大きな災害でもあったのか、この付近の県境は軒並み不通になっていた。
 
 せめて、この峠にだけは辿り着けたかと思ったが、旅から帰って来ても半信半疑であった。浦の谷線の峠はツーリングマップルなど普通の道路地図ではなかなかその位置が正確に分からない。 不明な分岐が出て来たり、県境前後で道のアップダウンが繰り返されたり、道の最高所が県境以外にあったりで、峠がどこなのか容易には確信が持てないのだ。
 
 しかし、20年前と違って今は便利な世の中だ。1/25,000の地形図(地理院地図)がインターネットで容易に閲覧できるし、車にはドラレコ(ドライブレコーダー)が搭載してある。 ドラレコ画像を再生しながら地形図を丹念に辿ると、徳島・高知県境の峠の場所がピタリと特定できた。 しかし、間違いなく峠に至ったと確信したのは、今回このページを書き始めた時で、旅から戻って既に1年以上の月日が過ぎていた。私の峠の旅も随分悠長な話だと思う、浦の谷線の峠であった。

   
   
   

<走行日>
・1993. 5. 4 高知県 → 徳島県 ジムニーにて
・2015. 5.29 徳島県側より峠まで往復 パジェロ・ミニにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 36 徳島県 昭和61年12月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典 39 高知県 昭和61年 3月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・中国四国 2輪車 ツーリングマップ 1989年7月発行 昭文社
・ツーリングマップル 6 中国四国 1997年9月発行 昭文社
・マックスマップル 中国・四国道路地図 2011年2版13刷発行 昭文社
・その他、一般の道路地図や観光ガイドなど
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

<1997〜2016 Copyright 蓑上誠一>
   
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