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序 |
このところ行者還峠(峠名は仮称、行者還トンネルの峠)や黒河越と大きな峠が続いたので、ここは小さな峠を一つ。 この「峠と旅」のホームページは見てくれる方がいらっしゃるかどうかも分からず、ただ単に自己満足で継続しているような状態だ。 それでも大きな峠についてはついつい入れ込んでしまい、写真を100枚とか150枚とか載せた大きなページになってしまう。とてもくたびれる。 そこで小さな峠で一息付こうと思う。なるべくあっさりと扱いたい。 |
<峠名> 一般の道路地図にこの峠名が載ることはあるのだろうか。少なくとも手持ちのツーリングマップルには全く見当たらない。地形図にも記載がない。 しかし、現地には看板があり、「大彦谷峠」とある。とても小さな峠道なので、峠を訪れるまでてっきり名無しの峠だろうと諦めていたのだが、うれしい誤算だった。 もし名前がなければ、ここに掲載することもなかっただろう。 <大彦谷> ただ、道の名は「大彦谷林道」とツーリングマップルにも書かれている。 また文献(角川日本地名大辞典)には、「大彦谷」(おおひこだに)としての掲載が見られる。 「大彦谷」は俗に「オオシコダニ」とか「オシコダニ」とも呼ばれるとのこと。江戸っ子ではないが、発音が「ヒ」ではなく「シ」となっている。 |
<所在> 小さな峠なのでどこの市町村境ともなっていない。滋賀県高島市内にあり、大字である朽木古川と朽木雲洞谷の大字境ではある。 以前の朽木村(くつきむら)の大字で古川(ふるかわ)と雲洞谷との境となる。雲洞谷の発音は難しく、「うとだに」または「うとうだに」と読むようだ。 |
<地形図(参考)> 国土地理院の 地形図にリンクします。 (上の地図は、マウスによる拡大・縮小、移動ができるようです) |
<水域> 大彦谷は琵琶湖に注ぐ安曇川(あどがわ、淀川水系)の小さな支流で峠より古川側に流れ下る。安曇川沿いには国道367号が通じる。 一方、雲洞谷側はやはり安曇川の支流の北川の水域となる。峠からは北川の支流の東谷川が下る。北川沿いには県道781号・麻生古屋梅ノ木線が通じる。 よって大彦谷峠は大彦谷と東谷川との分水界にあり、大きくは安曇川とその支流の北川とを分かつ山稜に位置する。 <林道大彦谷線> 峠を越えるのは林道大彦谷線で、これが安曇川沿いの国道367号と北川沿いの県道781号とを繋いでいる。 県道781号は、そのまま北川沿いを下れば最終的に道は国道367号に出るので、大彦谷林道はそこをショートカットした格好だ。 ある意味近道なのだが、わざわざ寂れた峠越えの林道を使う者は誰もない。 しかも、この林道には「動物除けゲート」が閉まっているのだ。 |
朽木村雲洞谷 |
<おにゅう峠(余談)> 小浜市から福井・滋賀の県境を「おにゅう峠」で越えて旧朽木村に入って来た。 この「おにゅう峠」は平成15年(2003年)に開通した比較的新しい林道の峠だ。 <朽木村(余談)> 滋賀県高島郡の旧朽木村は、滋賀県でも最も西の端に位置し、村の境界の西半分には福井県と京都府との境となる山稜がそびえる。 しかも、その大部分は中央分水界となる。豪雪地帯でもあり冬期はしばしば孤立することもあるとのこと。正に辺境の地と言える。村と外界を繋ぐ車道は数える程だ。 京都府との境には地蔵峠が通じているが、京都府側が京大の演習林となっていて通行できない。 一方、福井県との境にはこれまで一本の車道も通じていなかったと思う。それがおにゅう峠で初めて福井県と朽木村が繋がった。 <県道781号> おにゅう峠を朽木村に下って来ると、県道781号に接続する。 この県道は北川沿いに登って小入谷峠(おにゅうだに)を越え、今度は針畑川(はりはたがわ)沿いに下る。針畑川は安曇川の支流である。 よって県道781号は安曇川の2つの長い支流を遡り、朽木村の奥深い地を周遊する道だ。「朽木村内循環道路」との名称も持つ。 以前はほとんどどこにも抜けられなかった県道だが、おにゅう峠でその最奥に扉が開いたことになる。 |
![]() 県道781号を下る (撮影 2015.11.13) 右手に林道大彦谷線が分かれる 付近に案内看板など全くない |
<雲洞谷> おにゅう峠から続いて小入谷峠と越え、県道781号を北川沿いに下る。狭い谷に延々と狭い道が続く。視界はほとんど広がらない。 時折、思い出したように僅かな人家が沿線に現れる。大字で能家(のうげ)から雲洞谷(うとだに、うとうだに)へと続く。 旧朽木村が高島市となった今では、朽木能家とか朽木雲洞谷という住所になったようだが、ここでは「朽木」を省略して古い大字名にさせて頂く。 <上村> 雲洞谷では上村(かみむら)がその最も上流に位置する集落となるようだ。その1km程手前に目的の峠道の入口がある。 |
<峠道入口> ] 県道より南に分かれて寂しい道が始まっている。入口付近には何の案内看板も何の道路標識もない。知る人ぞ知るといった感じの道である。 この様子から見ても、この道を国道367号への近道として使う者など居るようには思われない。道は直ぐに北川を渡る。 その橋の手前に林道標柱がポツンと一つ立っていて「林道 大彦谷線」とある。これでやっとこの道が大彦谷峠を越える峠道であることが判明する。 |
![]() 北川を渡る橋 (撮影 2015.11.13) 橋の袂に林道標柱が一つ、ポツンと立つ これがこの道の案内の全て |
![]() 県道標識 (撮影 2015.11.13) |
<大彦谷林道> 地図を眺めると、北川は林道分岐点より下流で大きく北に迂回し、その川沿いに通じる県道781号は長そうに見える。 一方、大彦谷林道は峰を一つ越えてショートカットで国道に接続し、とても短そうに見える。 しかし実際は、県道経由で国道に至るまで約11km、一方、林道の総延長は約8.5km程だ。林道がくねくね曲がっているので、あまり差はない。 ちなみにグーグルマップで所要時間を調べると、県道の方は31分、一方林道は1時間45分とのこと。唖然とするばかりだ。そんな道、誰が好んで通るものか。 いくら峠マニアでも、こんな小さな峠までいちいち訪れていては、いくら時間があっても足りない。この程度の峠なら、日本中に数限りなく存在するのだ。 <峠越えの訳(余談)> しかし、今回はちょっと訳があった。 本当は、おにゅう峠の後は佐々里峠(ささりとうげ、中央分水界)で日本海側に戻り、 その後幾つかの峠を経て今夜の宿の東舞鶴まで行く予定だった。しかし、おにゅう峠でいろいろ道草を食い、朽木村に降りた立った時は既に午後の2時である。 あの石室が立つ寂しい佐々里峠を越えることを思うだけでも、暗然たる気持ちだ。 そこでカーナビにお伺いを立てると、一旦小浜市に戻り、舞鶴若狭自動車道を使えとのこと。 全く詰らないコースであるが、それならどうにか暗くなる前に宿に着きそうだ。それで今回のコース取りとなった。しかし、ただでは済まさない。 どこか手近な峠道を一本やろうと考え、大彦谷林道に目を付けたのだ。 それでも直前までこんな悪あがきは良くないと迷ったが、最後に妻が賛同してくれたので、大彦谷林道へと足を踏み入れることとなったのであった。 |
<雲洞谷側のコース> 峠より雲洞谷側には上村集落へと東谷川が流れ下るが、林道はその川筋とは全く違うコースを採る。 東谷川より1kmも上流で北川を渡り、山稜から流れ下る支流を幾つも横切りながら東谷川の源頭部である峠を目指す。 山腹を斜めに登るので、川や谷に沿うことがない。峠道としてはやや変則的だ。それだけ雲洞谷側の地形が険しいことを物語っている。 <林道看板> 北川を渡ると黄色い林道看板が出て来る。林道を走る上での注意事項は書かれているが、道の延長や行先などの案内はない。 最後に「朽木村」とある。まだ高島市になっていなかった。 |
![]() 橋を渡ると右手に林道看板 (撮影 2015.11.13) |
![]() 支流の川を渡る (撮影 2015.11.13) 手前右に分岐 |
<支流を横切る>
道は北川と並ぶように舵を切り、下流方向へと進む。早くも支流の川を渡る。その支流の左岸沿いに遡る道が分岐していた。 橋を渡るとそこでも左右に分岐があった。右は支流の右岸沿いに遡る道だが、地図を見る限りこれら支流沿いの道は直ぐに行止りだ。 一方、左に入る道は本流の北川右岸沿いに下って、上村の少し手前で元の県道に接続するらしい。 上村方面からなら峠へのアクセス路ともなるが、道の良い県道を走った方がましだろう。 |
分岐の角にはこれから始まる峠方向の道について注意看板が立ち、「スピード、カーブ、路肩、落石」と簡潔にある。宿へと急ぐ道だが、注意して行こう。 |
![]() 支流を渡った先 (撮影 2015.11.13) 左と右に分岐あり 右は行止りらしい 左は上村方面へと続くようだ |
![]() 注意看板 (撮影 2015.11.13) |
<道の様子> 今のところ通行止の看板などは見掛けないが、この先無事に峠が越えられるかは全く保証がない。 こうした林道は一般には滅多に使われることがないだろうから、何か不具合が生じても直ぐに補修が行われていないこともある。 注意看板以降、路面には落葉の堆積が目立ち、所によっては路面全体が落葉の絨毯と化している。 これはこれで味わいがあるのだが、車両が通行した形跡に乏しく、益々通れるのか不安にさせられる。 |
![]() 落葉が敷き詰められた道 (撮影 2015.11.13) |
![]() 倒木 (撮影 2015.11.13) |
<倒木など> 灌木が路面に倒れ掛けていた。車1台がやっと通れる幅しか残っていない。それでも、これで車が通ったらしいことが分かる。 前方で何か小動物が道を横切った。ほとんど人が訪れない山中である。1日の内、全く車が通行しない日もあることだろう。 <林道の情報> ツーリングマップルにはこの寂しい林道に関しても情報が記載されている。さすがである。「舗装林道 入口に動物除けゲート」と書かれていた。 「入口」とは国道367号が通じる古川側(正確には岩瀬側)であろう。 |
<動物除けゲート(余談)> 動物除けゲートはこれまでも何度か経験していて、大体の予想はついていた。全く偶然ながら、この前日にも1つのゲートを抜けていたのだ(右の写真)。 小浜市の県道219号・本保平野線の終点付近で、若狭幹線林道へと登る林道入口にあった。突然出て来て、最初は通行止かと思った。 「獣害防止柵」とあり、注意書きを読んでみると、ストッパーを外して開閉可能とのこと。 ただ、こうしたゲートも夜間は通行止となることがあるので注意が必要だ。 |
![]() 小浜市の県道219号にあったゲート (撮影 2015.11.12) |
<周辺の様子> 道は山腹の起伏をなぞって屈曲しながらよじ登って行く。常に左手に北川の谷を望む。右手は安曇川と北川を隔てる峰だ。 遠望はないが比較的空が開け、明るい雰囲気だ。それにして、クネクネ・クネクネ曲がるばかりでほとんど変化がない。 道はツーリングマップルの情報通り、完全舗装でアスファルト路面はかなり良好だ。ただ、落葉が多いのと、時折倒木が転がっている。大きな丸太状の物も見られる。 |
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これで紅葉でも楽しめればよいのだが、色付きは今一つだった。
道は北川の支流を幾つも横切る筈だが、ほとんどが源頭部近いこともあり、最初の支流を除くと、橋はどこにも架かっていなかった。
ただ、峰側に小さな滝のようにして沢水が流れ落ちていたり、砂防ダムが築かれていたりした。 |
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<峠直前> 道は単調に登って行く。ほとんど勾配に変化がない。右手にそびえる峰も、順調に低くなってきた。峠までの間合いが測れる。 峠は峰の浅い切通しを斜めに横切るように通じていた。峠直前は空が一段と広がる。 |
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峠 |
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![]() 峠より古川側を見る (撮影 2015.11.13) テントが設営されていた |
<峠の様子> 雲洞谷側は斜面が急で険しいこともあり、峠の手前には広場のような敷地はなかった。 一方、峠を古川側に抜けると、その先には緩斜面が下り、なかなか広い草地が広がった。 峠近くにはテントが設営されていて、中には椅子やテーブル、石油ストーブなどが並んでいる。脇には赤いコーンが重ねられてあった。 広場を使って何か行事が催されるのかもしれない。あるいは、峠より稜線方向に登山道が延びるが、それを使ったトレイル競技でも行われるのだろうか。 それまでの寂しい道からすると、峠の広場は別世界の感があった。 |
<登山道> 峠付近、稜線はほぼ南北に通じ、稜線上を登山道が走る。入口はやや古川側に寄ってあり、標識が完備されている。 |
![]() 古川側より峠を見る (撮影 2015.11.13) 登山口はこれよりやや手前 |
![]() 南へ続くに登山道 (撮影 2015.11.13) |
<白倉岳へ> まず、南へは「白倉岳へ」と標識が立つ。1/25,000地形図程度では、この山は示されていない。 <林道標柱> 脇には林道標柱も立つ。ちょっと古い物で「大彦谷林道」とあり、多分「峯越林道 朽木村」とも書かれているようだ。 文献の「大彦谷」の項にも「現在、大彦谷を幅員4mの峯越林道が通じる」とある。 <大彦峠> 林道標柱に差し込まれるようにして道標があり、「彦峠」とだけ読める。多分、「大彦峠」とあるようだ。 「大彦谷」の「谷」を省略して、このように簡潔に峠を呼ぶこともあるらしい。 |
![]() 南へ続く登山道の標識 (撮影 2015.11.13) |
![]() 大彦谷林道の標柱など (撮影 2015.11.13) |
<明護峠へ> 一方、北へは「明護峠へ」とある。地形図を北に追っていくと、「明護坂」という峠道が見える。「明護」は「みよう」と読むようだ。この峠のことだろう。 <BIWAICHI> 南北どちら側の登山道の標識にも、「BIWAICHI」とある。「琵琶湖」に関係するようだ。 この大彦谷峠を横切る登山道が何かのコースに指定されているのかもしれない。 |
![]() 北へ続く登山道 (撮影 2015.11.13) |
![]() 北へ続く登山道の標識 (撮影 2015.11.13) |
<大彦谷越> 文献によると、古川側に下る大彦谷に沿う東西3kmあまりの山道を、「大彦谷越」と名付けられていたそうだ。大彦谷越は俗に「オシコゴエ」とも呼ばれた。 「越」が付くので、峠越えの道全体を指したものとみても良いだろう。あるいは峠そのものを指し示しているとも取れる。 「オシコゴエ」と「ダニ」を省略したあたり、「大彦谷峠」の代わりに「大彦峠」と呼ぶのに似ている。 大彦谷越は雲洞谷の上村と旧穴が瀬(あながせ、現上岩瀬)との間を結ぶ間道の役割を担ったそうだ。岩瀬は大彦谷下流で北岸に位置する大字である。 上岩瀬の地名は見られないが、多分、大字岩瀬の中の一集落であろう。 「朽木村志」によると、「針畑、能家、雲洞谷の人たちが、牛の背に炭を積み、ここを追って、岩瀬や市場の木炭問屋に運んだのは、みなここを利用した」とのこと。市場(いちば)とは岩瀬より更に安曇川下流に位置する。市場の国道367号沿いに道の駅「くつき新本陣」がある。参考まで、その道の駅にあった看板を下に掲載する。市場はかつて朽木地域の物資の集散地であったようだ。 |
![]() 道の駅にあった看板 (撮影 2015.11.13) 市場町に関して |
![]() 道の駅にあった看板 (撮影 2015.11.13) くつきの観光案内 |
<針畑、能郷、雲洞谷> 現在、針畑(はりはた)の地名が地図に見当たらない。多分、針畑川上流部の集落であろうか。かつて鯖街道の峠道として針畑越が通じていた。 おにゅう峠は現在の針畑越とも言える存在だ。 針畑からはそのまま針畑川沿いに下るより、一旦小入谷峠を越えて北川沿いに下った方が市場には近い。その途中の能郷や雲洞谷も北川沿いに下る。 その後、大彦谷峠を越えると、更に市場へは近道だったのであろう。 尚、明護峠(明護坂)も北川沿いと市場集落を結ぶ道で、ここも北川上流域の物資を市場へと運ぶ交通路として使われたのではないだろうか。 |
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ただ、現在峠を越える大彦谷林道は、雲洞谷側に通じる道筋がやや変則的だ。車道を通す為だろうか、急な谷筋を避けて延々と山腹を横切っている。
距離も約3.5kmと長い。一方、峠近くからは上村集落へ東谷川とか西谷川などの川が流れ下る。この川筋なら距離も短く、登り口が上村集落に近い。
ただ、この川筋に牛が越えられたかどうか。地形図には西谷川沿いに上村から登る軽車道が描かれているが、峠には達していない。
この道筋などが往時の大彦谷越かとも想像されるが、何の確証もない。 |
<塚> 広場とは道を挟んで反対側に、土が盛り上がった塚のような物が築かれていた。中央が窪んでいる。現在、何かの用途に使われているようには見えない。 何か往時の峠道の遺構であろうか。炭を背にした牛に水を飲ませる為に、沢水でも溜めておいたのだろうかなどと思ったが、これも想像の域を出ない。 |
![]() 峠の一角に塚のような物 (撮影 2015.11.13) |
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峠より古川側に下る |
<古川側の道> 峠の東の直下には大彦谷の本流が流れるが、道は一旦北方面の支流の源頭部へと下る。林道がこうして支流を迂回する区間は、昔の峠道ではない可能性が残る。 道は暫く大彦谷の谷を右手に見て下る。 |
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![]() 右手に大彦谷を望む (撮影 2015.11.13) |
<道の様子> 谷筋と違い、空は開けて明るい感じではあるが、あまり遠望はない。路面の落葉は少なく、走り良い舗装路だ。林道としては立派な道の部類に入る。 多分、人が多く住む安曇川沿いからのアクセスが多く、道の整備も古川側が行き届いているのでだろう。 |
<眺望> 谷沿いに下り切る前に、眺望がないかと探した。大彦谷を抜け、本流の安曇川沿いと思われる辺りに平坦地が僅かに望めた。市場近辺であろうか。 かつてこの峠を越えた者だちは、自分が住む村を出発し、その市場を目指して荷を運んだ。峠道から望む市場は、遥か遠くに見えたことだろう。 |
![]() 谷の向こうに平坦地が見える (撮影 2015.11.13) |
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![]() 前方の峰に鉄塔 (撮影 2015.11.13) |
峠付近の稜線沿いには鉄塔が並ぶ。それを垣間見る。麓方向には視界がない。 |
更に下ると、もう大彦谷しか望めない。ほぼ道が向かう前方に谷が延びる。道はクネクネ同じようなカーブを曲がるばかりで、雲洞谷側と同じような感じである。 |
![]() 大彦谷を望む (撮影 2015.11.13) |
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<支流の源頭部を過ぎる> やっと支流の源頭部を過ぎ、道はその支流の左岸沿いを下る。この付近、幾分険しい。路肩が切れ落ちている割には、ガードレールがなかったりする。大彦谷本流に降り立つ直前は、ちょっとしたつづら折りもあり、谷が道の右手から左手へと移る。 |
![]() 道の様子 (撮影 2015.11.13) 支流の源頭部に下る |
![]() 道の様子 (撮影 2015.11.13) 谷は左手に |
<大彦谷本流沿い> 再び谷が右手になると、そこは大彦谷本流である。道の勾配は一挙に緩くなり、谷は直線的でもある。左手に擁壁を望む。 |
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<大彦谷> 大彦谷はほとんど直線的に流れ下り、地形の険しさは少ない。この川筋に早くから道が通じたことがうかがえる。 道は本流に取り付いてからは、終始川にぴったり沿って下る。まだ川の水の流れは僅かだ。途中、砂防ダムの脇を通る。 その部分は少し谷が開けていたが、全般的には狭く暗い谷間が続く。 |
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![]() やや寂れた道 (撮影 2015.11.13) |
<道の様子> 川沿いになって路面の落葉が多くなった。その分、寂れた道に見えるが、道自体は安定している。 <右岸へ> 道は左岸沿いから右岸へと渡る。この付近では川の流れもはっきりしてきて、道からも川面が眺められる。川床は狭く、広い河原などは見られない。 |
![]() 右岸に渡る (撮影 2015.11.13)
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![]() 川面を眺める (撮影 2015.11.13) |
![]() 2番目の橋 (撮影 2015.11.13) この後、3、4と続く |
<渡河を繰り返す> 大彦谷の川には全部で4つの橋が架かっていた。右に左にと渡河を繰り返す。道から望む大彦谷の川は、いつまでも細い流れのままだった。 |
ゲート |
<ゲート> 道は最後に左岸沿いの林の中を抜けて行く。作業道程度の枝道が分かれるが、基本的に一本道だ。その先の林が途切れた所にゲートが立ちはだかる。 しかし、我々夫婦は手慣れたものだ。助手席から妻がさっさと降り、手早くゲートを片側だけ開く。軽自動車ならゲートの半分の幅で十分だ。 車をゲート外に出すと、また元通りゲートを締める。 |
![]() ゲート (撮影 2015.11.13) |
![]() 林道看板 (撮影 2015.11.13) 森の方に向いている |
<林道看板> どういう訳か、林道看板はゲートの内側に、森の方を向いて置かれている。ゲートの外からは読めない。 |
<林道標識> 林道標柱も同様にゲートの内に立っている。一応、ゲートの外からも「林道 大彦谷線」とは読める。延長などの記載はないようだ。 周囲にこれ以外、この道を案内する看板はない。 |
![]() 林道標柱 (撮影 2015.11.13) |
![]() ゲートを背に林道を見る (撮影 2015.11.13) |
![]() 林道の奥の森 (撮影 2015.11.13) 大彦谷の獣たちが住む領域だ |
![]() ゲートの外からゲートを見る (撮影 2015.11.13) |
<結界> この動物除けゲートは、大彦谷の森と安曇川沿いの平坦地との丁度境に設けられている。ゲートの内側は薄暗い林だ。 一方、ゲートの外は田畑もある明るい集落となっている。このゲートは大彦谷の深い森に生息する獣たちと人間界との結界の様である。 |
<ゲートの看板> ゲートを外側から見ると、以前は注意書きが書かれていたようだが、今はその看板は全く読めない状態だ。 地元の人には分かるだろうが、通りすがりの者には、このゲートを開けてしまっていいものかどうか迷うところである。 雲洞谷側から林道に入った場合は、このゲートを開けて出ざるを得ないが、これから大彦谷峠へと向かう者には、ここが一つの結界となる。 |
![]() ゲートの看板 (撮影 2015.11.13) 何も読めない |
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<岩瀬> 林道が最後に大彦谷の川を左岸に渡ってからは、そこは大字岩瀬である。川筋が右岸の古川と左岸の岩瀬との境となっている。 ゲートを人間界側に入った道は、一つの集落内を抜ける。岩瀬の中では安曇川の上流側に位置するので、この辺りが上岩瀬の集落となるのではないだろうか。 |
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![]() 国道367号に接続 (撮影 2015.11.13) |
<国道367号に接続> 人家の軒先をかすめながら集落内を200m程進むと、交通量の多い2車線路に突き当たる。何の看板もないが、それが安曇川左岸に通じる国道367号だ。 国道側にも、大彦谷峠方面を案内する看板は皆無である。これと言って目印になる建物もない。 国道から分岐して林道へと接続する道は、単なる集落内に通じる路地の一つでしかない。 多くの車が行き交う国道を走りながら、この分岐を発見するのはなかなか難しいだろう。国道側から大彦谷峠を目指すには、ここもまた一つの結界なのであった。 |
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いくら自己満足と言っても、この大彦谷峠を掲載したところで何の関心も得られないのではないだろうか。
グーグルマップの予想とは随分異なり、大彦谷峠は実際には30分程で越えることができる峠だ。こんな小さい峠道など、自分でもその内忘れてしまう。 ただ、こうして僅かでも記録に残せば、後になってこんな旅もしたのかと思い出す機会があるかもしれない。 それに、かつては朽木の山奥で焼いた炭を牛の背に乗せ、市場の集散地へと運んだ峠である。この峠道に深く関わった村人たちが居た筈だ。 小さな峠と言えども、誰かの記憶の片隅には残しておきたいと思う、大彦谷峠であった。 |
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<参考動画> 大彦谷峠/朽木雲洞谷側 大彦谷峠/朽木古川側 <走行日> ・2015.11.13 朽木雲洞谷 → 朽木古川 パジェロ・ミニにて <参考資料> ・角川日本地名大辞典 25 滋賀県 昭和54年 4月 8日発行 角川書店 ・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos) ・その他、一般の道路地図など (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、 こちらを参照 ⇒ 資料) <1997〜2015 Copyright 蓑上誠一>
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