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大杉峠 (仮称)
 
おおすぎ とうげ  峠は大杉隧道(大杉トンネル)
 
広い”無住居地域”を行く峠道
 
大杉峠 (撮影 2000. 1. 3)
見えているのが大杉隧道(大杉トンネル)の和歌山県大塔(おおとう)村 下川上(しもかわかみ)側の坑口
トンネルの反対側は同県本宮(ほんぐう)
道は広域基幹林道 安川大塔川線
 
 どうもはっきりと場所が思い出せないが、確か紀伊半島の南の方、いわゆる「南紀」と呼ばれる辺りで、やたらに寂しい林道を通った覚えがある。深く切れ落ちた谷沿いを行く道で、くねった狭い未舗装路が延々と続いていた。周囲にひと気は全くなく、走っていてもどこか殺伐とした感じを受けたのが強く印象に残る道だった。
 「この先一体どうなってしまうのだろう」と、心細く思いながらも車を進めて行くと、ぽっかり峠の隧道に出た。峠まで来れれば、どうにか抜けられる可能性が高い。やっと一安心して隧道を抜け、その反対側の道をまたトコトコと下って行った。
 
 ふとそんなことを思い出し、あそこは一体どこだったかと古いツーリングマップを調べてみると、それは大杉隧道の峠道であった。和歌山県の本宮町と大塔村の境に峠は位置する。あの時は本宮町から大塔村へと越えたのだった。林道は安川大塔川線。また是非走ってみたいと思っていた。
 
 その峠道を久しぶりに訪れることができたのは、2000年(平成12年)の初頭であった。
 

大塔村で国道371号から県道219号に分岐
 大杉峠に向かった日の前日は、太平洋に面した日置川(ひきがわ)町にある国民宿舎「ふるさと」に泊まった。宿泊代は正月料金ということだそうで、通常より1、000円程高く、消費税を含めて9,450円を払った。公共の宿としては、ちょっと高目だ。そういえば昨日のチェックインの際、二十歳代の男が一人、飛び込みで入ってきたが、フロントでその値段を聞いて、そそくさと出て行った。もう日も暮れて、これから今夜の宿はどうするのだろうと、他人事ながら心配に思った。
 
 今朝は日置川町よりほぼ日置川に沿って県道を走りつなぎ、大塔村で国道371号へと入った。国道を中辺路町方面へ北上しながら、大杉峠への分岐に注意する。すると県道219号の分岐が大きく出ていた。峠へはこの県道を行くことになる。
 
 左の写真は国道を北の「本宮 近露(ちかつゆ)」方向に見る。前方の橋を渡る県道方向には「下川上(しもかわかみ)」とある。道路標識と一緒に「安川(やすかわ)渓谷→」の案内看板も見える。
 
 右折した県道は、まず日置川を渡り、更にその支流である安川の右岸に沿って進む。沿線には集落が並ぶ。しかしそれも一時で、間もなく右手に素朴な田園が広がりだし、人家はまばらとなる。里中に白い蒸気のようなものが昇っているのがかすかに見えたが、冨里温泉の湯煙だろうか。
 
 道の周囲から集落が見えなくなると、道幅は約1.5車線となる。でも路面は綺麗なアスファルト舗装が続く。出てきた県道標識には次の様にあった。
 
県道
219
和歌山

下川上牟婁線
大塔村
下川上(安)

 
 県道の名前が「下川上牟婁(むろ)線」で、ここは「下川上」ということである。そろそろ県道の終点という訳だ。

冨里温泉附近を過ぎる
 

県道はここまで
この先は安川大塔川林道
 次に出てきた道路標識には次の様に書いてあった。
 
  川湯温泉 30Km
↑ 法師登山口 9Km
  安川渓谷  4Km
 
 法師山は峠よりこちら側の大塔村にあり、道のほぼ南方に位置する。標識が指す登山口がどこだかはっきりしないが、そこまで9Kmなら、峠まではそれと同等かそれ以上の距離だろう。
 川湯温泉はもう本宮町の中心地近くに位置する。比較的素朴な温泉地で、以前そこの公衆浴場に入った覚えがある。一風呂浴び、そばの食堂で昼食をとり、その後に大杉峠を越えたのだった。その湯川温泉まで30Kmの峠の旅である。
 
 道路標識の下には木製の林道標柱が、傾いて立っていた。「林道安川大塔川線起点」とある。ここまでが県道で、ここからは林道だ。道も心持ち狭くなる。
 
 林道は右手に流れる安川に沿いながら、ほぼ直線的に進む。間もなく左手に鋭角に道が分岐する。分岐した道は一見コンクリート敷きの駐車場の様に見えるが、夫婦滝の方へ延びる支線林道であった。
 
 安川大塔川林道起点に立っていた看板には、キャンプに関する注意事項が書かれていた。いわく、地元区長に申し出ろとか、焚き火をするには届出が必要とか、いろいろうるさい。環境保護、美化運動、ゴミの持ち帰りなど当たり前のことで、いちいちこうして注意を促されなければならないのは情けない。しかし、少なくとも一方的にキャンプすることを禁止していないのは評価できる。こうして走っている林道沿いにも、キャンプできそうなところがあった。時間が合うなら野宿で一晩この地で過ごすのもよさそうだ。
 
 夫婦滝への分岐で車を停めていると、支線林道の方から数台の車がやって来た。分岐に停車すると、猟銃を持った男たちがぞろぞろ下りて来て、何やら相談を始めた。暫くして話しがまとまったらしく、また車に乗り込み峠方向へ走り去った。野宿もいいが、獲物と間違われない様にしないと、危なくていけない。
 

安川渓谷附近で小さなトンネルを抜けた
 夫婦滝分岐過ぎるとその直ぐ先で小さなトンネルを抜ける。この附近が安川渓谷ということになっているらしい。トンネルを出た右手に、安川渓谷入口と書かれた小さな看板が立っていた。ここは車道から川まで少し離れているので、渓谷を見るには少し歩かなければいけないようだ。
 行ってみようかとも思ったが、近くに充分な車の駐車スペースもないので、今回はパスということにした。
 
 トンネルを過ぎてから、安川はくねくねといつまでも長かった。道は緩やかなアップダウンを繰り返した。なかなか本格的な峠への登りにならない。視界が広がらないのは詰まらないが、安川やそれに流れ込む支流が、いろいろな水の様相を見せてくれて面白い。
 
 道は相変わらずのアスファルト路面で、以前来た時もこんなだったろうかと、ちょっとガッカリである。もっと険しい未舗装林道だったんじゃないだろうか。
 
 やや退屈しかかった一本道に転機が訪れる。道に比べると立派な橋を渡り、その先で左右二手に道が別れていた。そのT字路の正面に独特な字体で標識がある。左が「川湯温泉」、右がどうもはっきりしないが「牛鬼峠」と書いてある様だ。「峠」となると気になるが、地図を調べてもそれがどこだか分からない。標識にその道は「行き止り」とも書いてあるので、おとなしく左の本線を進む。

宗小屋谷橋を渡る
 

左に大杉谷?を望む
もう直ぐ峠
 橋を後にすると間もなく宗小屋谷に掛かる「修験の滝」を右に見る。ここからはやっと真剣な登りとなる。道の進む方向は概ね北へと変わり、進行方向左手に谷を見下ろす。
 
 夫婦滝への分岐点にあった地図では、この谷は「大杉谷」とあった。峠にある大杉隧道の名前の元になった谷だろうか。しかし後日、国土地理院の2万5千分の1の地形図を調べると、本宮町側に大杉谷があった。どちらにしろこの附近の谷の名前が、隧道に付けられたもののようだ。
 
 道からの遠望がきくようになり、峠に向かっているという気分になる。左に見える谷が徐々に浅くなっていく。そして遂に谷が詰まったかと思うと、道は右に大きくカーブし、そこに大杉隧道が口を開けていた。
 

 隧道そのものは狭いが、その少し手前に広場があり、開けた峠である。傍らの谷には砂防ダムが築かれていて、その上流は護岸工事をしたばかりか、水のない川底に土の露出が新しかった。更に上流、隧道とはちょうど反対方向に橋が架けられていた。橋の上には1台のトラックか停めてあり、周囲には工事資材が置かれている。橋の先を見ると新しく林道の開削が行われているようだが、橋が通行止となっていて通れない。
 
 この和歌山県の本宮町と大塔村の境には大塔山地が連なり、東牟婁(むろ)郡と西牟婁郡の郡境ともなっている。角川地名大辞典を調べてみると、大塔山地一帯は「広い無住居地域」であり、「紀州のチベット」とも称され、「深山幽谷の秘境」なんだそうだ。これでもかといった言われようである。特に「無住居地域」という言葉には如何にも寂しい響きがある。
 
 確かに安川大塔川林道を走っていると、寂しい道が延々と続く。峠道としての上り下りの標高差は少ないのだが、代わりに何もない渓谷に沿ってクネッた道筋を長々と走ることになる。特にこれから下る本宮町側は、イヤでも「広い無住居地域」を実感することになる。

隧道の本宮町側
 
 大杉隧道を本宮町側に抜けたところに、2、3の看板が立つ。それらには、この先落石が多く車の破損事故が発生しているとか、付近の登山や沢登りで転落事故や行方不明の事例が発生しているとかある。なかなか恐ろしい。
 また一つには「ここは大塔林道です」とあった。大塔川林道の「川」を省略して「大塔林道」と呼んでもいいようだ。
 
 ところで、大塔村側が大塔林道ではなくて、本宮町側が大塔林道というのがちょっと混乱させられる。峠に連なる稜線上に大塔山という山があるが、その腹山より本宮町側に流れ下る川が大塔川という名前だ。よって、それに沿う林道も大塔(川)林道と名付けられたものらしい。一方、大塔村に流れる川は安川で、林道名も安川林道である。そしてそれらの総称が、「広域基幹林道安川大塔川線」となる。
 我々愛用のツーリングマップルにも「大塔林道」との記載があったが、大塔村側に書かれていたのが気に掛かる。昭文社の編集者も幻惑されたらしい。

本宮町側の隧道直後
この先直ぐに未舗装となる
 
 大塔村側の道は峠まで完全舗装となっていたが、本宮町側はいまだに長い未舗装区間を残していた。隧道直後にまだちょっと舗装路が続くが、直ぐにアスファルトは消えてなくなる。それから再びアスファルト路面が現れるまで長い長い。
 
 道は当初峠からの下りがきつい。途中右手に道が2本一度に分岐する。どちらも行き止りの支線林道らしい。以前本宮町側から登って来た時に、その分岐点に古ぼけた木の標柱を見かけた。それには「 中小屋林道を経て大塔山へ、 弘法杉を経て大塔谷へ、右 大杉隧道を経て田邊市へ」とあった。
 

素掘りのトンネルを抜ける
 更に下ると小さなトンネルが現れた。ほとんど素掘である。その後も何度かこうしたトンネルが出て来るが、なかなか荒々しい趣があっていい。
 
 坂道らしい坂道はそれほど長くは続かず、ある程度下ると、もう道は大塔川に沿うようになる。大塔村側にある安川もそうだったが、こちらの大塔川やそれに流れ込む支流が、いろいろと水のある風景を見せてくれる。大杉滝、逢合(おいあい)滝、鮎返しの滝、黒蔵滝、カンタロウ滝などと、周辺に滝が多いのもその表れだ。それだけ水が豊富な土地なのだろう。
 
 ただ、滝の多くは大塔川の支流奥深くに掛かるものなので、単に大塔川沿いに林道を走っているだけでは見られない。かといって、わざわざ枝道に入り、山歩きしてまで見るほどの価値があるかどうかは定かでない。結局滝は全然見て来なかった。
 

長い林道が続く
 大塔川の谷が深まると、道の様相がグッと険しくなる。川面は谷底深くもう見えず、目の前の崖を削って造られたような道は、細々と頼りない。
 
 左手に広がる大きな谷を挟んで反対側にも林道が通っているのが見えた。随分寂しそうな支線だと思ったら、何てことはない。谷を詰めて橋を渡り、結局その道を引き返すことになっていた。これではウンザリする程道が長く感じられる。
 
 この附近がこの峠道の最大の難所である。見ると、前方の道の下ががらんどうだ。まるで垂直に切り立つ崖より板が張り出しているみたいで、その下を所々僅かな梁が支えているだけだ。そこをこれから車で通るとは、気持ちがいいものじゃない。そして時たま例の素掘りトンネルである。
 最初に訪れた時も、こうした道の険しさが印象に残ったのだった。それが大杉峠の道であることは忘れても、林道を走って実感した寂しさは脳裏に焼き付いた。
 
 大きな谷沿いの険しい道が終る頃、右にホイホイ坂林道の分岐が出る。以前は未舗装だったが、入口を見る限りでは立派に舗装されていた。ただ、分岐点にある「林道 ホイホイ坂線 工事中」と書かれた看板は昔のまま残っており、いつまで経っても「工事中」ということになっている。
 
 道の左手を下る大塔川も川面が近く、穏やかな流れを見せ始める。安川渓谷に対抗するかの様に、「大塔渓谷」と書かれた看板が出てきた。「大塔山を源とする大塔渓谷は約8Kmにわたって、起伏に富んだ岩が川の両岸にそそり立つ、すばらしい大パノラマを展開しています」とある。しかし、その看板がある附近は、もうおとなしい大塔川であった。
 
 道も穏やかになり、間もなく舗装路となる。すると、ポッカリ小さな集落が現れた。その中の一軒の民家から女性が一人出て来て、集落内をとことこ歩いて行った。人の暮しの営みがある、のどかな雰囲気である。「無住居地域」と言われる大塔林道を走り終えた者にとっては、尚更ホッとさせられる光景だ。

本宮町側の集落が現れた
 
 その後は川湯温泉の前を素通りし、どこぞへと向かった筈だが、もうそれも2年以上も前のことになる。今となってはよく覚えていない。ただ、川湯温泉が意外と賑わっていて、何だか近寄り難い気がしたようだった。
 
 一言で「険しい」という印象は、2度目の旅でも変わらぬ大杉峠であったが、時が経つとやはり記憶が薄れてくる。今回、アルバムの写真を見ながらやっと思い出すことも多かった。人の記憶は断片的で、繋がりも順序も当てにならないとつくづく思った。スポット的に印象に残った光景がいくつかあった筈だが、それも写真の様にはいつまでも鮮明ではない。いざ言葉で表現しようとすると、ぼやけてしまう。
 前日泊まった国民宿舎「ふるさと」のチェックインで、目の前に立つ若者が宿泊料金をフロント係に尋ねている。外はもう日が暮れて、小さなロビーは何となく薄暗く寂しい。順番を待ちながらその若者の背中を見ていた。でも、確かなことは思い出せない。本当に小さなロビーだったか、本当に薄暗かったか自信がない。でも、正月というのに一人旅の自分が何となくわびしかった。料金を聞いてそのまま出て行く若者が何となく哀れだった。それらが「薄暗く寂しい」という印象として残ったのかもしれない。
 
 旅をしても記憶に残らなければ意味がないのだろうか。それともただ漠然と「険しい」が残れば、それで充分なのかとも思う大杉峠であった。
 
<制作 2002. 4.21>
 
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