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女沢峠
おなざわとうげ   (峠と旅 No.210)
  伊那山地を越える小さな林道の峠道
  (初掲載 2013. 6.30  最終峠走行 2013. 5.19)
  
  
  
女沢峠 (撮影 2013. 5.19)
手前は長野県駒ヶ根市中沢
奥は同県伊那市(旧上伊那郡長谷村)長谷黒河内
道は林道女沢線
峠の標高は1,290m
(国土地理院の1/25,000地形図やツーリングマップルより)
ご覧の通り駒ヶ根市側は舗装路だが、伊那市側は一転、未舗装である
  
  
峠の所在など
  
  赤石山脈(南アルプス)と伊那山地に挟まれた中央構造線の谷、「赤石裂線谷」とも呼ばれるそうだが、そこを国道152号が南北に貫いている。その付近に関 係した峠を幾つか掲載してきた。分杭峠(ぶん ぐい)や地蔵峠(じぞ う)、しらびそ峠赤石峠(あかいし)、青崩峠(あおくずれ)、兵越峠(ひょうごし)などである。この内、赤石峠は中央構造線の谷から伊那山地を越 え、西の伊那谷へと通じる峠道だ。
 
 通常、伊那谷へは川沿いの道が発達している。赤石山脈に源を発する三峰川(みぶ)、小渋川、遠山川がそれぞれ本流の天竜川へと注いでいるが、それらの川 沿いに国道や県道が通じ、それらを下れば自然と広大な伊那谷へと出られる。わざわざ伊那山地の高みを越える峠道は少ない。赤石峠(峠は赤石トンネル)の前 身とも言える小川路峠は、別名「辞職峠」とも呼ばれた険しい峠であった。近年、この近くに矢筈トンネルが開通し、通行は格段と便利になった。
 
 赤石峠以外には、三峰川流域から伊那山地を越える中沢峠と今回の女沢峠がある。中沢峠は分杭峠に登る途中、ひょっこりと伊那谷側に抜けている。寂しい峠 道ながら、生活路としてそれなりに使われているようだ。一方、女沢峠は未舗装林道の峠道で、そもそもこんな所に峠道があるとは、なかなか気付かれないよ うな存在である。
  
  女沢峠は、旧上伊那郡長谷村(はせむら)黒河内(くろごうち)、現在の伊那市長谷黒河内(はせくろごうち)と、駒ヶ根市中沢(かなざわ)との境に位置す る。この「中沢」は中沢峠の中沢で、女沢峠と中沢峠は同じ市境にある。
 
 中沢峠の中沢は、古くは中沢郷という地があり、明治期には中沢村と呼ぶ村があったことに起因するようだ(
分杭峠のペー ジで少し記載)。一 方、同じ「沢」でも女沢峠の方は、三峰川の支流に女沢という川があり、そこからきているものと思われる。
  
  
伊那市側から峠を目指す
  
 美和ダムによって三峰川を堰 き止めて造られた美和湖を右に見ながら、国道152号を南下する。道は快適で、整備された湖畔は広々としているが、どことなく荒涼とした雰囲気が漂う。こ の先、国道は中沢峠をかすめ、分杭峠を越えて行くのだ。険しい峠越えを前に、嵐の前の静けさといった感じがする。
 
 美和湖も後半になると、美和ダムとは別の堰堤が川を横断して架かっているのが見える。なんでも「分派堰」といって、ダム湖に流れ込んだ土などをバイパス させる仕組みだそうだ。

美和湖の湖畔を行く (撮影 2013. 5.19)
右手に分派堰が見えてきた
  

対岸に道路が通っている (撮影 2013. 5.19)
 分派堰を過ぎると、対岸の斜面に道路が通じているのが見られる。あんな何も ない険しい崖沿いに、どうして道があるのだろうかと思わせる。いつも気に なっているが、まだ走ったことはない。高架が続いた怖そうな道だが、湖の眺めはきっと良いことだろう。国道から右折して分派堰の堰堤を渡ると、その道に通 じ ているらしい。その道はこれから入る女沢峠の道に接続しているのだ。
  
 美和湖の尻尾に近付き、三峰川の川幅も狭くなってくると、右手の対岸に狭い 谷間が 見えてくる。左右から山が迫った、本当に狭そうな谷だ。そんな所に道が通じていようとは思われない程だ。

右手に女沢の谷が見えてきた (撮影 2011. 5. 6)
  
  
戸台口
  
  国道は美和湖上流で赤い鉄骨製の三峰川橋に差し掛かる。三峰川橋は三峰川本流に架かる橋で、これで国道は三峰川の右岸から左岸へ移る。ここは戸台口(とだ いぐち)と呼ぶ。その名を持つバス停が近くに立つ。
  
戸台口 (撮影 2013. 5.19)
三峰川橋の直前
  
  橋の手間を左に分岐がある。ここよりちょっと上流で支流の黒川が三峰川に注いでいるが、その黒川沿いに戸台の集落へと続く道だ。戸台への入口であることか ら「戸台口」と呼ぶものと思う。
 
 この分岐には幾つかの看板がある。分岐する道の方向を指して「南アルプス林道」とか「保養センター 仙流荘」とかある。特に仙流荘(せんりゅうそう)の 看板が多いようだ。一度泊まったことがある。宿の前がバス停になっていて、南アルプス林道を登って北沢峠に至るバスが発着する。北沢峠には山梨県側から一 度だけバスで行ったことがあるが、今度は是非こちら側からも行きたいと思っている。
 
 戸台へと通じる道は、その先黒河内林道(くろごうちりんどう)となり、入笠山(にゅうがさやま、にゅうかさやま)方面へと続いている。こちらの林道の方 が関心がある。な かなか険しく長く、しかも国道20号にまで抜けていて、これが峠道ならとっくに掲載したい道だ。いろいろ思い出があるが、トラブルもあった(
路肩に注意)。
  
  国道を直進する方向には、分杭峠に関した看板が少しある。これはゼロ磁場で話題になった為だ。単純に峠を旅することが好きな者には、最近の分杭峠はちょっ と近寄り難い存在になった。
  
<入野谷とは?>
 また、「南アルプス生涯学習センター 入野谷 直進3.5km」と看板がある。「入野谷」(いりのや)という地名が気になっていた。その生涯学習セン ターがあるのは長谷市野瀬(はせいちのせ)で、付近に「入野谷」という地名は見当たらない。調べてみると、古くは江戸期の高遠藩領に高遠村と長谷村に渡る 入野谷郷(いりのやごう)という行政区名があったそうだ。三峰川上流及びその支流の山室川沿いの村々に当たるとのこと。山室川は茅野市との境の芝平峠(し びらとうげ)方面から流れ下り、旧高遠町にある高遠湖の直ぐ上流側で三峰川に注いでいる。こう見ると、入野谷とはかなり広い範囲を指す地名だったようだ。 生涯学習センターがなぜ入野谷と名付けられたのかは不明だ。
  
  
峠道の入口
  

三峰川橋を渡る (撮影 2011. 5. 6)
渡った先、今度は右に分岐
 この戸台口は、黒川沿いの道を分けるだけではない。三峰川橋を渡ると、何の 標識も出てないが、今度は右に分岐がある。それが女沢峠への入口だ。
  
 分岐付近は比較的広い。しかし、その道の行き先など、何の案内もないのだ。 知る人ぞ知るといった感じである。

国道から女沢峠への道に入る (撮影 2013. 5.19)
道は右へ曲がって行く
  

分岐より三峰川橋を見る (撮影 2013. 5.19)

左とほぼ同じ場所 (撮影 2000. 5. 2)
脇に古い三峰川橋と思われる橋の名残がある
  

分岐を見る (撮影 2000. 5. 2)
国道が前を横切る
国道沿いに石碑があるが、何だろうか?

国道を分杭峠方向に見る (撮影 2013. 5.19)
国道に沿って何やら工事中
美和ダム再開発工事用道路を延長するのか?
  

ちょっとした園地 (撮影 2007. 8.13)
<園地と再開発の看板>
 道に入って直ぐの右手、三峰 川の左岸に沿って、小さな園地が造られている。バックに三峰川橋の赤い欄干を望み、ちょとした休憩場所だ。ポツンと置かれたテーブルと椅子の脇に、美和ダ ム再開発の看板が立つ(下の写真)。
 
 それにはなかなか興味深い地図が載っている。分派堰などの説明もあり、参考になる。美和湖左岸に見えた道路は、「美和ダム再開発工事用道路」と呼ぶらしい。看板の説明文には、 「分派堰や洪水バイパストンネルを建設するための道路です。将来は 分派堰を通って国道152号につながります」とある。現在はもう繋がっているものと思う。
  

橋をバックに美和ダム再開発の看板が立つ (撮影 2000. 5. 2)

美和ダム再開発の看板 (撮影 2013. 5.19)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
  
  またその看板には、この地を起点に、
 ・国道を旧高遠町方向に「高遠町・諏訪・上伊那への玄関口」
 ・戸台方向に「南アルプスへの玄関口」
 ・国道を分杭峠方向に「大鹿村・下伊那への玄関口」
 ・女沢峠方向に「駒ケ岳市・中央アルプスへの玄関口」
と謳っているのだ。
 
 その通りである。この戸台口には過去、10回前後訪れているが、この地を通り、ある時は旧高遠町を抜けて杖突峠を越え、ある時は分杭峠を目指し、またあ る 時は黒河内林道を走ったのだ。女沢峠も然り。ただ、一般向けには、「駒ケ岳市・中央アルプスへの玄関口」はいかがな物かと思うのであった。女沢林道はそん な甘い代物ではないのである。
  
  
国道を離れて峠を目指す
  
 道は、園地に続いた三峰川の左岸沿いを暫く進む。まだ女沢沿いではない。女 沢はここより200m程下流で三峰川に合している。
 
 この道の区間は、美和ダム再開発工事用道路の延長として整備されたのではないだろうか。初めて女沢峠を 目指したのは2000年のことだが、その時はもう今の姿になっていたと記憶する。
 
 道の側に「ミツ樽設置お断り」の看板。ミツ樽とは養蜂に用いる道具のことか?

少し三峰川の左岸沿いを下る (撮影 2013. 5.19)
右脇に「ミツ樽設置お断り」の看板
  

自主規制の道路標識 (撮影 2013. 5.19)
<道路標識>
 道路標識はこの先で分岐があ ることを示している。直進が美和ダム再開発工事用道路、左折が女沢林道である。
 
 その下に速度制限30kmの標識だが、更にその下に「自主規制」とある。公安委員会による正規の標識ではないらしい。道路の建設者などによる自主規制で 設けられた物だと思う。ドライバーに対して自主的に制限速度を守りましょうと言っている訳ではないらしい。法的な違反行為にはならないが、速度は守った方 が良いのである。ただ、この先の女沢林道は、それこそ自主規制が必要だ。進退は自己責任で。
  
  
美和ダム再開発工事用道路の分岐
  
 左に下る狭い道が現れる。それが峠に続く女沢林道だ。直進はそのまま三峰川 左岸を進む美和ダム再開発工事用道路で、直ぐ橋を渡る。三峰川に注ぐ女沢を高い位置で渡っている。その道路は、2000年に来た時はまだ工事中だったが、 今は橋を渡って先へ進めるようになっている。
 
<長谷湖橋>
 ところで、美和ダム再開発工事用道路に続くその橋の名は長谷湖橋という。美和ダムに堰き止められてできた湖は美和湖であり、それでは長谷湖とはどこのこ とだろうか。多分、分派堰やその直ぐ上流側に貯砂ダムがあるが、それより下流側を美和ダム、それより上流側を長谷湖と呼ぶのではないだろうか。地図上で眺 めるとほとんど一つの湖で、区別があるようには見えない。それに、橋が渡っているのは、橋の遥か下でチョロチョロ流れる女沢なのであって、三峰川ではない のだが。

女沢林道の入口 (撮影 2013. 5.19)
この時は通行止の看板が立つ
  

美和ダム再開発工事用道路 (撮影 2013. 5.19)

長谷湖橋 (撮影 2013. 5.19)
  

林道入口に並ぶ工事看板 (撮影 2013. 5.19)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
<工事看板>
 さて、女沢峠へと続く女沢林道であるが、2013年の5月に来た時は工事中で あった。林道入口に工事看板が並んでいた。通行止の看板も立つ。しまったと思ったが、通行止の期間は「6月〜10月の間」とあり、訪れたのは5月で、辛う じてセーフだった。

  
  
女沢林道へ
  
 女沢林道に初めて入り込んだ 時から、その林道はどういう訳か怖くて仕方なかった。何の根拠もない先入観なのだが、道に入る前から緊張していた。多分、女沢の谷が非常に狭く、また、通 行が可能な林道かどうかも分らなかったからだ。案の定、川沿いに進む林道はじめじめと暗い。詳しい地図を持たなかったので、行き止りの道に迷い込み、結局 峠 に通じる道も通行止で、あえなく引き返したのだった。その後、2回峠を越えているが、今もって好きになれない。
 
 まず、長谷湖橋の手前から別れた道は、沢沿いへと下る。長谷湖橋が高い位置に架けられているので、何だか暗い谷底に落ちるようだ。側に「夜間点灯」など と看板があるが、夜間になんか走ってたまるものか。

女沢林道へ下る (撮影 2013. 5.19)
夜間点灯の看板
  
  道は女沢の小さな流れの右岸に降り立つ。左手に林道標識が立つ(下の写真)。
  
女沢林道 (撮影 2000. 5. 2)
左脇に林道標識が立つ
この時は峠を越えられなかった
  

林道標識 (撮影 2013. 5.19)
女沢線の前が消されている
<林道標識>
 この標識を見て、改めてこれが女沢峠に続く道であることを確認する。よく見 ると、「女沢線」と書かれた前が消されている。以前からだ。何と書いてあったのかは不明である。
 
<小さな分岐>
 林道標識の反対側で、女沢を渡って分岐がある(下の写真)。地図では長谷湖橋の先で美和ダム再開発工事用道路に繋がっているようだ。今ではあまり利用価 値のない道だ。昔からある道が残されたという感じである。美和ダムの出現でここより下流の景色は一変した旧長谷村だが、そのダム湖ができる以前よりある道 か もしれない。
  

女沢林道 (撮影 2013. 5.19)
右に分岐

女沢を渡る分岐 (撮影 2013. 5.19)
通ったことはない
  
  
女沢沿いを進む
  
  女沢林道は暫しその沢の右岸を行く。道はピッタリと沢に沿う。ガードレールもなく、直ぐそこに川面を見る。沢に沿ってから道はずっと未舗装だ。今年 (2013年)に来た時は、工事の関係だろうか、路面には新しく砂利がひかれ、平らに整備されていた。今回の工事でこの林道も舗装化されるのかもしれな い。
  

女沢右岸を行く (撮影 2013. 5.19)
工事の為か、路面が整備されている
「夜間点灯」は工事車輌に対してのものか

女沢右岸を行く (撮影 2007. 8.13)
  
 路面が良くなっているばかりでなく、途中に幾つかの待避所が設けられてい た。@から順番に待避所番号も付けられている。大きな工事車輌が通るのであろうか。また一つ、女沢林道が嫌いになる要因が増えた。

工事車輌用の待避所 (撮影 2013. 5.19)
  
  
左岸へ
  
  300m程も右岸を行くと、小さな橋で左岸に渡る(下の写真)。川沿いの僅かな平地を拾って道が通じている。谷は益々狭い。木々は頭上までも覆い尽くさん ばかりだ。薄気味悪い程の閉塞感。
 
 ツーリングマップル(3 関東甲信越 2003年4月発行 昭文社)のコメントには、「東側入口近くの渓流沿いの道が清涼感があり気持ちいい」などと ある。バイクと車の違いがあるのかもしれないが、感じるのは狭苦しさと先の見えない不安ばかりである。こんな所を大型のトラックでもやって来られたら、目 も当てられない。
  
ここで左岸に渡る (撮影 2013. 5.19)
この道を気持ちいいとは思えないのであった
  

<黒 河内と中尾>
 この付近、女沢は長谷黒河内と長谷中尾の境になっている。黒河内も中尾も、それぞれ旧長谷村の大字で、古くはそれぞれの名を持つ村があった。黒河内は黒 川の河口にある村から黒河内村になったと思われ、中尾は三峰川・黒川の間の尾根にある村からそのように呼ばれたと思われるそうだ。
 
<女沢集落?>
 文献の「黒河内」の項に、「女沢」に武田信玄発掘の金坑(金鉱)があったとの記述を見た。この「女沢」は沢の名前だと思っていた。沢沿いに金鉱が発見さ れたのだろうと思っていたのだが、後で考えると、この「女沢」とは地名・集落名を言っているのではないだろうか。
 
 勿論、現在の女沢の河川沿いに、集落や人家などの痕跡は全く見られない。地図などにも女沢という集落名の記載はほとんどない。Mapionの地図に「女 沢」と集落名があったが、河川名との記載間違いの可能性が高かった。
 
 ただ、集落はなかたっと断定できないことも確かである。発見された金鉱を中心に鉱山集落ができたのかもしれない。もし、女沢集落があったのなら、女沢峠 も河川名から来たのではなく、集落名からそう呼ばれたのかもしれない。伊那盆地から伊那山地を越えて女沢集落へと続く峠道であったのかも。
  


工事区間へ (撮影 2013. 5.19)
 道は間もなく本格的な工事箇所に差し掛かった。その入口に立つ工事看板には 「平成24年度 天竜川水系 女沢川砂防堰堤付替道路工事」 とあ る。この先で林道が付替えられるらしい。
  
  
工事区間を抜ける
  
 工事区間に入って直ぐに、女 沢林道はまた一時的に右岸に戻る。その手間を右手に登る新道が建設中であった。右岸に通じる旧道から対岸を見ると、真新しいコンクリート護岸の上にガード レールが走っているのが見える。
 
 ちなみに、Mapionの地図で「女沢」と地名が書かれていたのは、この右岸に渡る直前の位置で、丁度新道が始まる辺りである。この付近は特に今回の工 事で沿道が大幅に改修されている。もし、僅かにでも集落跡などが残っていたとしても、今はもう跡形もないだろう。ただ、繰り返すようだが、Mapionの 地図 は誤植ではないだろうか。
  
  

また右岸に戻る (撮影 2013. 5.19)

対岸に新道建設中 (撮影 2013. 5.19)
  
  旧道は川沿いに曲がりくねり、また左岸に渡る(右の写真)。その後も暫く新道が右手の頭上を通じているのが見える。その新道か開通したら、今度はあの上か ら旧道跡を見下ろすことになるのだろう。旧道が沢を右に左にと行く所を、新道はずっと左岸を通して開削されるようだ。

旧道はまた左岸へ (撮影 2013. 5.19)
その頭上で新道建設中
  
  そ の内、擁壁がまだ完成していない箇所に達し、その上を通るであろう新道もまだ影も形もない(下の写真)。路面はダートのまま、いつしか昔の道に戻っていっ た。
  

擁壁の工事中 (撮影 2013. 5.19)

工事区間の終りの方 (撮影 2013. 5.19)
  
  
女沢採取場への分岐
  

前方左に分岐あり (撮影 2013. 5.19)
 初めて女沢峠を目指した時、手持ちのツーリングマップル(3 関東  1997年3月発行 昭文社)には、女沢峠を越える道がただ一本描かれているだけで、途中の分岐の存在など全く分らなかった。それでいろいろ迷ったので、 2回目からは分岐には神経を使った。
 
 道の左手に流れる女沢の流れも細くなった頃、沢を渡って
左手に道が分岐する(左の写真)。こ の分岐は間違いようがない。以前からゲートで塞がれ、関係者以外立入禁止と看板にある。石産会社の名前と「女沢採取場」と書かれた看板も立つ。この道の先 に採石場があるようだ。
  
 以前に比べると、その道はきれいに改修されていた。女沢林道の改修と一緒にこ こも工 事が行われたのだろうか。
  

女沢採取場への道 (撮影 2013. 5.19)

左とほぼ同じ場所 (撮影 2007. 8.13)
  

女沢採取場への分岐以降 (撮影 2013. 5.19)
 女沢採取場への分岐の後は、工事区間も過ぎ、道は落ち着きを取り戻す。暗い 谷底の雰囲気も改善され、楽しい林道走行だ。締まった土の路面の状態は良く、走り易い道である。既に女沢を1km程も遡って来たので、頭上の空も幾分開 け、明るさが出てきた。尚、この付近から女沢の上流域は長谷黒河内となる。女沢峠は黒河内村にある。
  
 最終的に道は女沢沿いを1.5km程遡る。最後に左カーブで女沢を渡ると、 道は沢 沿いから離れて行き、それ以後、二度と沢筋には戻らない。
 
 女沢林道がその名の元となる女沢に沿うのは、峠までの道程の前半の約1/3である。後半の2/3は、沢筋とは無縁な山腹を登ることとなる。
 
 私にとって女沢林道のイメージを悪くしたのは、女沢沿いの、しかも最初の方の一部区間である。それが決定的で、実はそれ以外の林道のことはほとん ど覚えていないのであった。

女沢を右岸に渡り、沢筋を離れて行く (撮影 2013. 5.19)
  
  
問題の分岐へ
  

 女沢沿いを離れると、道の勾配がやや増す。そして2、3回カーブを曲がると、 大きな分岐に行き当たる(下の写真)。左に登る道と、右に下る道。感じとして本線は左で、確かにそれが峠へ続く道なのだが、詳しい地図でも持っていなけれ ば、この分岐は迷う。何にも看板がないのだ。何か立て札があるなと近付いてみるが、「ゴミの 投げ捨て禁止」とか「入山禁止」などと書かれているばかりである。
  


分岐 (撮影 2013. 5.19)
左が峠への本線
右はまた女沢沿いに戻る道
右の立て看板は女沢林道の工事に関する物

左とほぼ同じ場所 (撮影 2007. 8.13)
正面の看板は「入山禁止」
  

分岐から峠方向の道を見る (撮影 2013. 5.19)
砂利がひかれていて、如何にも本線の雰囲気
 最近は本線に沿って真新しい砂利がひかれ、一方、右に分岐する道は直ぐにも 土の路面になり、雑草も目立つ。これなら間違う危険は少なそうだ。
  

右への道を見る (撮影 2013. 5.19)
直ぐに土が露出した道となる
右に立つ看板は「ゴミの投げ捨て禁止」

女沢に戻る道を見る (撮影 2013. 5.19)
周辺に道案内の看板などはない
  

  
道を誤る
  

 2000年に初めて訪れた時、この分岐を右に入り込んでしまった。そちらの 方 が、道がほぼ真っ直ぐに続いており、一方左の道は、如何にもそこで左に分かれる枝道のように感じた。
 
 分岐を右に進む内、道が良くなって行った。本線だから道が良いというのではなく、造られて間もないような新しい道なのだ。道幅はたっぷり、路面も良好 で、真っ白なガードレールも完備である。嫌な予感がする。
 
 道は女沢の上流部を越え、谷の上部に出て視界が広がった。樹間から雪を頂いた高い山並みが望める。南アルプスだろうか。

見えるのは南アルプス? (撮影 2000. 5. 2)
  
道の様子 (撮影 2000. 5. 2)
開けた谷の上を行く
女沢の上流部だと思う
  


行止り (撮影 2000. 5. 2)
 案の定、林道の開削工事箇所に達し、道はそこで行き止まった(左の写真)。 山 肌を切り開いて延びて来た道が、寂しい山中でぷっつり終っている。
 
 こういう光景は今までにも何度か経験している。今回のように間違って入った道だとか、あるいは始めから新しい道が完成していないかと、興味本位で走った こともある。しかし、女沢林道は始めから何となく気が進まない道だった。道を誤ったことで、尚更嫌な気分となったのであった。
  
 それでも分岐まで戻り、もう 一つの左の道を試そうとした。すると、直ぐにも看板が立っている(右の写真)。見ると、単に「通行止」とだけある。脇に「県営林道 現場入口」と書かれた 看板が並ぶ。何かの工事による通行止だろうか。ゲートなどないが、もうこれ以上先に進む気にはなれず、そこから引き返したのだった。女沢林道のイメージは 更に 悪くなる一方であった。
 
 あれから10数年経つが、あの開削中の林道は開通したろうか。どこかに抜けられるようになったら、それなりに面白い道である。

峠への道に修正 (撮影 2000. 5. 2)
しかし通行止の看板
  


分岐から先の道 (撮影 2013. 5.19)
 2回目に女沢峠を目指した時は、強い味方があった。県別マップルを購入した のだ。ツーリングマップルの縮尺が14万分の1に対し、県別マップルでは6万分の1と詳細だ。そして3回目にはカーナビを装着した上に、国土地理院の詳し い地形 図をわざわざコピーして持参する始末。余程、女沢林道に対しては苦手意識があるらしい。
 
 女沢上流部への分岐を分けた後、道は暫し穏やかな山中を進む。それ程のカーブも勾配もない。
  
  
第二の分岐
  
 300m程進むとまた分岐が出て来る。しかし、こちらにはしっかり看板が 立っている。時には草に埋もれそうな看板だが、しっかり「女沢峠 至 駒ヶ根市」と書かれている(下の写真)。

前方に分岐 (撮影 2013. 5.19)
  

女沢峠方向を示す看板 (撮影 2013. 5.19)

女沢峠を示す看板 (撮影 2007. 8.13)
草に埋もれている
  

分岐 (撮影 2013. 5.19)
左は通行止、右は峠へ
 分岐は右カーブの途中で道が 2本に分かれている。左 の一本はやや下り気味、右の一本はグイグイと山肌を登って行く。「女沢峠」の看板はその登りの道を指している。
 
 今年(2013年)に来た時、左の道には通行止の看板が立っていた。「通り抜け 出来ません」ともある。こちらでも林道の開設を行っているらしい。将 来、どこか に通じる道になるのだろうか。
  

この時、左の道は通行止 (撮影 2013. 5.19)

右は峠へ登る道 (撮影 2007. 8.13)
  
  
峠への登り
  
 分岐より、道はいよいよ伊那山地の高みを目指し、本格的に登り出す。三峰川沿 いから始まった女沢林道だが、峠まではまだ半分以上を残している。路面は依然としてダートだ。砂利や締まった土の道が続く。
  

林道の様子 (撮影 2007. 8.13)

林道の様子 (撮影 2013. 5.19)
  
<余 談>
 
妙な話だが、今年(2013年)に女沢林道を走った時、初めて女沢峠を越えた と思っていた。女沢峠は、過去2回とも失敗していたと、記憶違いしていたのだ。今回、写真などの記録を調べていると、2回目にちゃんと峠を越えているでは ない か。この時は妻も一緒だったが、旅行の行先などに関して抜群に記憶力の良い妻も、全く覚えていなかった。
 
 その日、前日泊まった渋御殿湯を発った後、入笠山に登り、黒河内林道を走り下って旧長谷村に入り、美和湖を見学し、女沢峠を越えて駒ヶ根市に出て、天竜 川を眺め、市内に予約したホテルに泊まった。かなり の強行軍であった。慌ただしい一日の中、女沢峠を初めて越えたことをすっかり忘れてしまったらしい。それにしても、女沢林道の苦手意識が、とんだ記憶違い を招いたものだ。峠を越えたことを忘れてしまうとは、峠マニアにあるまじきことである。
 
 尚、入笠山はその時、妻と登ったのが最初だと思っていたが、女沢峠を初めて目指した日のアルバムの中に、入笠山山頂を写した写真があるではないか。その 日も旅の途中で入笠山に登り、黒河内林道を下って戸台口に至り、続いて女沢峠に臨んだのであった。旅に関して些細なことは忘れても、峠を越えたかどうか、 山に登ったかどうかぐらいは覚えていてよさそうなものだ。それがこの有様では、旅をする価値があるのだろうかと考えてしまう。
  

林道の様子 (撮影 2013. 5.19)

林道の様子 (撮影 2013. 5.19)
  

  そんな訳で、すっかり忘れていた女沢林道は新鮮な気持ちで走れたのだった。峠に着くまでの間、ダートの林道らしい林道である。ただ、これと言って目立った 特徴がない。沿道に 目を引く物もない。視界が広がらないのも難点か。女沢沿いを離れて以来、峠に着くまでの大半の道程に関し、何らコメントがないのだ。これで迷い易い分岐で もあれば、それなりに緊張するのだが、県別マップルも、カーナビも、地形図のコピーも、全く必要ない。完全な一本道である。後で写真を眺めても、なかなか 良さそうな林道なのだが、これではまた直ぐに、ここを走ったことを忘れそうである。
  


林道の様子 (撮影 2013. 5.19)

林道の様子 (撮影 2013. 5.19)
なかなか良い林道なのだが
  
  
視界がやや開ける
  

  それでも峠が近付いた辺りでやや視界が良くなる。まだ伊那山地の東側に居るので、遠くに山並みを望めば、それは南アルプスである。まだ残雪のある高山を眺 められた。ただ、どの山かは分らない。
  


送電線の鉄塔が見える (撮影 2013. 5.19)

やや視界が良くなる (撮影 2013. 5.19)
「不法投棄禁止!」の看板横から南アルプスを望む
  
南アルプスを眺める (撮影 2013. 5.19)
どの山だかは分らない
  

伊那山地を送電線が通る (撮影 2007. 8.13)
美和ダム近くへと続いているようだ
 丁度、女沢峠辺りで送電線が伊那山地を越えている。駒ヶ根市の中沢から登っ て女沢峠を過ぎ、美和ダム近くへと、斜めに伊那山地を越えているようだ。女沢峠が近くなると、その送電線を垣間見るようになる。これが峠に近付いた印でも ある。
  
  
峠間近
  
 峠の数100m手前では、道 はほぼ伊那山地の稜線に沿って登る。伊那富士とも呼ばれる戸倉山(1680.7m)より北へと延びて来た稜線の峰が、道の右手に連なる。
 
 相変わらず走り易い未舗装路が続く。苦手意識がある女沢林道だが、結局峠まで、良く整備された林道であった。
 
 前方に曲がり角が見えてくる(下の写真)。直ぐにそこが峠だと分かるが、あまり峠に辿り着いたという感動が湧かない。あっけない峠への到着である。

右手の伊那山地の稜線に沿って行く (撮影 2013. 5.19)
  

前方が峠 (撮影 2013. 5.19)

左とほぼ同じ場所 (撮影 2007. 8.13)
  
  
峠に到着
  
伊那市側から見る女沢峠 (撮影 2013. 5.19)
  
上とほぼ同じ場所 (撮影 2007. 8.13)
どうしても車が写真に入るようだ
  
  女沢峠は狭い。車の停め場所にも困る。駒ヶ根市側に入った路肩がやや広くなっていて、そこに辛うじて車一台が停められる程度だ。まあ、やって来る車は ほとんどないのだが。
  
車を停める前の峠 (撮影 2007. 8.13)
  
  峠を境に駒ヶ根市側の路面は舗装されている。伊那市側は少し前までは長谷村であり、市と村の財力の違いだろうか。
 
<峠の印象>
 道と同様、峠もあまり印象に残らない。こじんまりした平凡な峠である。小さな村と村を繋ぐちょっとした尾根を越える村道などにあるような峠だ。浅い切通 しに駒ヶ根市側のみ法面はコンクリート擁壁となっている。警笛鳴らせやカーブを示す道路標識、カーブミラー、不法投棄禁止の看板がある程度で、市境を示す 看板などはない。中央構造線が貫通 する赤石裂線谷と広大は伊那谷を繋ぐ、伊那山地越えの峠で、標高も1,290mとなかなかのものだが、そうした迫力はこの峠にはない。道が穏やかだったこ とも関係するかもしれない。これで、峠の東側の南アルプスや、西側の中央アルプスでも望めたら、グッと印象は違うのだが、残念ながら峠からの展望は、どち ら側にも乏しい。
  
  
峠の伊那市側の様子
  
 峠の伊那市側には林道の分岐がある。峠の手前左へ未舗装の道が分かれている が、一般車通行禁止の看板が立っている。造林用作業道とある。地図で見る限り、稜線の東側を稜線に沿って、南の戸倉山方面に進むが、途中で道は尽きて いる。

伊那市側より峠を見る (撮影 2013. 5.19)
峠手前を左に分岐有り
  

峠より伊那市側を見る (撮影 2007. 8.13)
 峠から伊那市側を見ると、目 の前で道が二手に分かれる。左が峠道の本線で、右が通行禁止の造林作業道となる。その二股の間から僅かに山並みが望める。方角からして南アルプスの一部で ある。樹木がもう少し少なければ、良い眺めが得られるのかもしれない。
  
峠の伊那市側で分岐がある (撮影 2013. 5.19)
左が峠道本線の女沢林道、右が分岐する林道
  

峠から伊那市側に下る女沢林道 (撮影 2013. 5.19)

左とほぼ同じ場所 (撮影 2007. 8.13)
  

分岐する林道 (撮影 2013. 5.19)
一般車通行禁止

左とほぼ同じ場所 (撮影 2007. 8.13)
この時は入口に綱が張ってあった
  
  
峠の駒ヶ根市側の様子
  
  峠の駒ヶ根市側は、こぎれいな舗装路だが狭い道が、林の中へと下って行っている。こちらも眺望にはほとんど恵まれない。
  


峠の駒ヶ根市側 (撮影 2013. 5.19)

左とほぼ同じ場所 (撮影 2007. 8.13)
  
  側の擁壁を登る梯子が掛かっている(下の写真)。伊那山地の稜線上を北の三界山や、あるいは伊那市と駒ヶ根市との境を新山峠を経て高烏谷山(たかずやさ ん)方面へと続 く登山道があるらしい。
  


稜線上に登る登山道 (撮影 2013. 5.19)

左とほぼ同じ場所 (撮影 2007. 8.13)
稜線上を北に進む登山道の入口
  

駒ヶ根市側から見る峠 (撮影 2013. 5.19)
カーブミラーが一本立つ

左とほぼ同じ場所 (撮影 2007. 8.13)
停めた車の脇より登山道が登る
  

カーブミラーのホストに「女沢峠」 (撮影 2007. 8.13)
 この峠に市境を示す物も、峠名を示す物もない。ただ、駒ヶ根市側にポツンと 立つカーブミラーのポストを見ると、手書きで「女沢峠」とあった。これでは女沢峠も寂しいものだ。
 
 車を停めた直ぐ脇から、稜線上へ登山道が登っている。小さな看板に「龍東遊歩道」とある。戸倉山から高烏谷山まで続くなだらかな稜線沿いの道をそう呼ぶ ようだ。「竜東遊歩道」とも書く。「竜の東」とは何だろうかと考えたら、「天竜川の東」の意ではないかと思い当たった。
 
 峠の東側には赤石裂線谷を北流する三峰川が流れ、西側には暴れ天竜と呼ばれた天竜川の大河が南流し、それぞれの谷の向こうには南と中央のアルプスがそび える。頭の中の想像では、大パノラマが広がるロケーションなのだが、目の前の女沢峠は、それには何も応えてくれないのであった。
  

南へ通じる登山道 (撮影 2013. 5.19)

駒ヶ根市側から峠を見る (撮影 2013. 5.19)
  
駒ヶ根市側から見る峠 (撮影 2007. 8.13)
  
  
駒ヶ根市側に下る
  
<大曽倉>
 女沢峠を後に駒ヶ根市側に下る。地名は中沢である。しかし、中沢の範囲は広く、天竜川沿いから東で、旧長谷村との境全てと、一部に旧伊那市と大鹿村とに 接する。その中沢にあって、女沢峠は大曽倉(おおそぐら)と呼ばれる地区に当たる。戸倉山から高烏谷山(たかずやさん)に至る稜線に囲まれた山間の地域 だ。江戸期から明治8年まで大曽倉村と呼ばれる村があった。
 
 「大」(おお)は「奥」の転訛だそうだ。また「そぐら」の「くら」は急峻な地形を意味するとの こと。
矢久峠(やきゅう)のページで「藤倉」という地名の「くら」が岩、断崖、岩場の意だ と書いたが、ほぼ同じことのようだ。女沢峠を下る道はその大曽倉集落へと向かっている。

大曽倉に下る道 (撮影 2013. 5.19)
整った舗装路である
  
<駒ヶ根市側の水系>
 女沢峠は大曽倉川の上流部に位置する。天竜川水系の新宮川(しぐがわ)の支流に当たる。新宮川の最源流部がどこだか分らないが、その支流の中でも、女沢 峠はかなり深い位置にある。中沢峠も新宮川の源流の一つだが、河川の長さからは、女沢峠の方が長いように思う。
  


こちら側にも鉄塔が見える (撮影 2013. 5.19)
 道は峠からほぼ真西へと下る。道の左手(南)に戸倉山方面へと続く峰が望め る。女沢峠を越えて来た送電線の連なりも見える。大きく展望が広がる訳ではないが、伊那市側より開けて明るい感じである。
   

 道は、女沢峠から西へ下る大曽倉川の支流(名前は不明)の谷を左手に見て、 少し高みを進む。その支流の川が大曽倉川の本流に注ぐ所が大曽倉地区の最上流部の集落だ。道はそこを目指す。
 
 少し進むと左手前方の麓に人家らしき建物が樹間から僅かに覗いた。

山裾に集落らしきものが見えた (撮影 2013. 5.19)
  
  
新山峠への分岐
  

  駒ヶ根市側では大きな分岐が一つある。峠から1km少し下った所で右に登る道がある。伊那市との境にある新山峠へ続く道だ。古い道路地図にはその道は描か れていないので、女沢峠より後に開削された峠道だと思う。
  


右手に新山峠への分岐 (撮影 2013. 5.19)
左に下るのが本線

左とほぼ同じ場所 (撮影 2007. 8.13)
  
  新山峠の道を指して、「高烏谷山頂」と小さな看板が立つ。新山峠から稜線上を西の高烏谷山へと道が延びている。新山峠の道は、入ると直ぐにゲート箇所があ る。
  


新山峠へ登る道 (撮影 2013. 5.19)
「←高烏谷山頂」と書かれた小さな看板が立つ

左 とほぼ同じ場所 (撮影 2007. 8.13)
林道標識が立つが、一体どちらを向いているのか?
  
<林道標識>
 ここで頭を悩ますことがある。大曽倉集落の方から登って来ると、その二股の間に林道標識が立っている。「林道 新山線」と書いてある。その標識が新山峠 方向を向いていれば何でもないのだが、見ようによっては女沢峠方向を向いているようにも取れるのだ。それを裏付けるようにツーリングマップル(3 関東甲 信越 2003年4月発行 昭文社)には、女沢峠の道に「林道新山線」とある。

大曽倉集落側から分岐を見る (撮影 2013. 5.19)
左が新山峠、右が女沢峠
  

  新山(にいやま)とは新山峠を北の伊那市側へと越えた先にある地名である。それで峠の名前も新山峠だ。それなのに、女沢峠の方を新山林道ではおかしな話で ある。これは やはり新山峠を越える道が新山林道だと考えた方が良さそうに思う。
 
 後になって新山峠に登ったら、そこに新山線開通記念の石碑がしっかり建っていた。これでまず間違いなさそうだ。それにしても分岐に立つ林道標識がお騒が せな存在であった。
  

  
分岐から先
  
 新山峠の道を分けると、道は一転、南東方向に向きを変え、女沢峠から流れ下 る川の源頭部へと下って行く。一瞬、南へ延びる伊那山地の主脈を望む(右の写真)。送電線が伊那山地の西側を延びて行く。

前方に伊那山地の主脈を望む (撮影 2013. 5.19)
  
<ど ちらの峠道?>
 ところで、新山峠への分岐から下は、一体どっちの峠道だろうか。新山峠も大曽倉川の深い源流の一つである。
 
 しかし、車道の峠道は女沢峠が先に開通している。また、女沢峠は伊那山地の主脈を越える峠だが、新山峠は伊那山地の西側同士の旧伊那市と駒ヶ根市との境 に位置する。標高はどちらもほぼ1,290mと高さでは同格だが、やはり伊那山地を越えるかどうかは大きな違いである。
 
 それに分岐から先、道は女沢峠から流れ下って来た川沿いを目指して下る。一方、新山峠の旧道は、新山峠から流れ下る川沿いにあったようだ。現在の新山 林道の経路とは全く異なる。
 
 以上から、やはりこの道は女沢峠の峠道である。新山峠を越える現在の車道は、既にあった女沢峠の道の一部を借用し、それに途中 から付け足したような形だと思うのであった。
  


川沿いに向かって下る (撮影 2013. 5.19)

川沿いに向かって下る (撮影 2013. 5.19)
左上に雪の山が見える
  
  女沢峠から流れ下る川の谷へと降りて行くに従い、視界は狭くなる。木々に囲われたような道を過ぎる。左手前方に雪を頂いた山が僅かに見えたが、南アルプス だろうか。伊那山地を越えて、南アルプスが望めるのだろうか。
  

  
川沿いに出る
  


川の右岸を行くようになる (撮影 2013. 5.19)
 「大曽倉簡易水道」と書かれた看板がある水道施設が出て来て、そこで急カー ブし、道は川沿いとなる。女沢峠から流れ下る川の上流部に取り付いた訳だ。新山峠分岐から700m程だ。ここからは西に向かって比較的真っ直ぐで穏やか道 になる。
 
 川側の沿道が開けている。田畑となっている土地もあるようだ。人家が近いことをうかがわせる。
  

  左手前方に平地が広がってくる(下の写真)。水田や人家もポツポツ見られるようだ。大曽倉集落は近い。
  
集落が近い (撮影 2013. 5.19)
    
  
県道終点に
 
  大曽倉川沿いを大曽倉集落までは県道210号・西伊那線が延びて来ている。女沢峠を下って来た道はその県道の終点に合流する。
  


県道の終点へ (撮影 2013. 5.19)
左が県道、右が新山峠への旧道

左とほぼ同じ場所 (撮影 2007. 8.13)
  
 そこは小さな三叉路になっている。左に下るのは県道で、右に登るのは新山峠 へと続く旧峠道である。そこから始まる県道沿線には大曽倉の集落が広がる。人家が密集した大きな集落とはいかないが、田畑が耕作された中に、ポツポツと人 家が建っている。
 
 ここまで来れば女沢峠の峠越えも一安心である。峠の伊那市側が約4km、駒ヶ根市側が約3km、合計7km程の峠越えであった。

峠方向の道を見る (撮影 2013. 5.19)
  

<県 道終点の看板>
  道路地図によっては、三叉路より更に新山峠方向に少し登った所までを県道表記にしているものもある。しかし、三叉路より400m程も行けば、もう車では走 れそうにない道になっている。また、三叉路近くのガードレール脇から立ち上がった白いポストに、「県道終点」と書かれた看板がある(下の写真)。好んで道 の終点などにはよく行くが、こうしてしっかり終点を示した看板などないことが多い。ここは、この看板に敬意を表し、この地が県道の終点と思っておくことに す る。
  

三叉路より県道方向を見る (撮影 2013. 5.19)
ガードレールの上に県道終点の看板がある

県道終点の看板 (撮影 2013. 5.19)
  

以前立っていた工事看板 (撮影 2007. 8.13)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
<道の名前>
 2007年にここを訪れた時、三叉路の女沢峠の道に向かって工事看板が立っていた。大曽倉線改良工事とあった。そこに描かれた地図をしげしげ見ると、 また林道名で頭を悩ますこととなる。
 
 その地図では、現在地である三叉路を起点に、新山峠を経て稜線沿いを高烏谷山へと進む道全てを「大曽倉線」と呼んでいるのだ。林道とも市道とも書いてな い。また、新山峠から伊那市側のみを林道新山線としている。それでは女沢峠との分岐に立つ新山線の林道標識はどうなるのだ。
 
 新山峠から高烏谷山までの区間のみを大曽倉林道だと考えると、比較的納得が行く。新山峠にもその道を指して大曽倉林道の林道標柱がある。すると、女沢 峠・新山峠の分岐からこの県道終点までの区間は、何という名前の道かということになる。
  
<想 像>
 
女沢林道は元々「女沢」の前に何か地名があったよ うだ。例えば「大曽倉女沢線」とでも呼んだのではないだろうか。すなわち、伊那市側の女沢沿いから駒ヶ根市側の大曽倉の県道終点に至るまでの全線を、一つの林道としていたのではないか。後に女沢林道の途中から新 山峠を越える新山林 道が開通する。新山峠と高烏谷山を結ぶ大曽倉林道も繋がる。その内、県道終点から新山峠を経て高烏谷山へ続く道を、一本の大曽倉線とする計画ができたので はないか。
 
 すると、女沢峠・新山峠分岐から県道終点までは、現在は大曽倉線と呼ぶのは正しいのかもししれない。大曽倉線の発案で、古くからの女沢林道も、後にでき た新山林道も、その一部が改名されてしまったことになる。
  

  
県道210号を行く
  
 三叉路から県道210号を南下する。左脇に新山峠から流れ下って来たか細い川 がチョロチョロ流れている。その直ぐ下流で今度は女沢峠からの川が合流する。どこから大曽倉川と呼ぶか分らないが、少なくとも女沢峠の川を合した以降は、 大曽倉川本流であろう。
 
 県道は直ぐにもセンターラインがある二車線路となり、快適な道となる。暫し大曽倉川の右岸を行く。最初は左手の川沿いに水田が広がる。

県道210号 (撮影 2007. 8.13)
  

県道脇に広がる水田 (撮影 2007. 8.13)
 県道はほぼ南を指して進む。左手の伊那山地側を眺めても、手前に小高い山が あって、高い山並みは望めない。穏やかに流れる大曽倉川の両岸には、稲穂が実った田んぼが広がる。のどかな雰囲気である。伊那山地一つ越えた三峰川沿いの 厳しい地形に比べると、雲泥の差がある。
  
 県道は、この先で中沢峠から下って来た県道(主要地方道)49号・駒ヶ根長 谷線に接続するが、そこまでの中間地点くらいで、大曽倉川の左岸に渡る。どちらかと言うと、道の方は真っ直ぐで、川の方が蛇行して道を横切っているといっ た感じだ。県道があまりにも快適であることからしても、かなり改修された後だと思う。

大曽倉川の左岸に渡る頃 (撮影 2007. 8.13)
  


大曽倉川の右岸に渡るところ (撮影 2007. 8.13)
 県道210号は県道49号に合流する直前、大曽倉川を渡って再び右岸に戻 る。その直ぐ先で新宮川本流を渡って県道49号に接続している。
  

  
県道49号に接続
  

 県道210号が新宮川を渡る橋は、以前は今より少し下流側に架かっていた。 私が中沢峠などを越えるようになった頃には、既に今の新しい橋に付け替えられていた。その橋の近くで大曽倉川は新宮川に注ぎ、終っている。これで女沢峠の 道も終わりである。県道49号は、中沢峠の峠道となろう。
 
 尚、県道分岐の角に立つ電柱に、「山塩館」と看板が掛かる。それは多分、大鹿村の鹿塩温泉(かしおおんせん)のことだと思う。中沢峠から分杭峠を越え、 大鹿村の鹿塩に下った所にある。随分と遠くにある温泉の案内であった。

県道49号を中沢峠方向に見る (撮影 2007. 8.13)
電柱に「山塩館」とある
  
     
  
  短い峠道ながら伊那山地の主脈を越え、中央構造線の険しい谷と穏やかな伊那盆地側との対比を感じる女沢峠であった。それにしても、一度越えたことをすっか り忘れ、初めて登る気分で再び女沢峠を訪れていたとは、何だか複雑な気持ちである。峠を見ても、全く気が付かなかった。
 
 月日が経つと、否が応でも記憶はどんどん薄れていってしまう。旅や峠のことだけならまだしも、自分の生きた証まで、忘れていくような気がする。せめてこ うしてホームページに旅の足跡を記し、記憶の保存に努めようと思う、女沢峠であった。
  
     
  
<走行日>
・2000. 5. 2 旧長谷村より登るが途中で通行止、引き返し ジムニー
・2007. 8.13 伊那市→駒ヶ根市 パジェロ・ミニ
・2013. 5.19 伊那市→駒ヶ根市 パジェロ・ミニ
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典  20 長野県 平成 3年 9月 1日発行 角川書店
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒ 資料
  
<1997〜2013 Copyright 蓑上誠一>
  
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