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小入谷峠
  おにゅうだにとうげ  (峠と旅 No.250)
  旧朽木村最奥に越える峠道
  (掲載 2016. 2. 8  最終峠走行 2015.11.13)
   
   
   
小入谷峠 (撮影 2015.11.13)
峠は滋賀県高島市朽木小入谷(おにゅうだに)にある
手前は小入谷集落方向
奥は能家(のうげ)集落方向
道は県道781号(783号とも)
峠の標高は501m (地形図の記載より)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

 

   
   
<小入谷峠>
 前回、おにゅう峠を取り上げたので、場所も名前も近いこの小入谷峠を、ついでと言っては何だが、簡単に掲載しようと思う。
 
 ツーリングマップルなど一般の道路地図や地形図にはこの峠名はほとんど見られず、世間一般にはあまり知られていないのではないだろうか。 しかし、私の古いツーリングマップ(関西 2輪車 1989年7月発行 昭文社)には、その名をボールペンで記してある。 最初にこの峠を訪れたのは1997年4月28日のことで、峠に立つ標柱によってこの名を知り、早速ツーリングマップに書き止めたのだった。
   
<所在>
 峠は滋賀県高島市朽木小入谷(くつきおにゅうだに)にある。高島市朽木とは旧朽木村である。「小入谷」などは旧朽木村の大字で、高島市になってからは、その大字名の前に「朽木」を付けて呼ばれるようだ。ここでは時々それを省略させてもらう。
 
 峠はどことの境にもなっていない。峠の西側には小入谷集落があり、峠を東に下ると、途中、朽木中牧(くつきなかまき)の一部を通って、朽木能家(くつきのうげ)へと入って行く。中牧内には集落は見られず、実質的には小入谷と能家の2つの集落を結ぶ峠となる。
   
<地形図(参考)>
 国土地理院地形図にリンクします。

(上の地図は、マウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   
<道>
 現在、峠に通じるのは県道781号・麻生古屋梅ノ木線だ。地図によっては783号となっている。正確には京都府道として781号で、滋賀県道としては783号となるらしい。ただ、2015年現在、現地に立つ県道標識では781号となっていた。
 
 旧朽木村には安曇川(あどがわ、淀川水系)沿いに国道367号が通じ、これが村を縦断する大幹線路である。村の主要施設はほとんどこの国道沿いに集まっていた。
 
 次に重要となるのが県道781号だ。その名の通り村の北東部の麻生(あそう)から始まって安曇川支流・北川を遡り、途中地子原(じしはら)、 雲洞谷(うとだに)、能家(のうげ)と経由して小入谷峠を越え、今度は針畑川(はりはたがわ、安曇川支流)沿いに下って古屋などを通過、最後に少し京都市に入って、 終点は大津市の梅ノ木で国道367号に接続する。 また、起点の麻生で主要地方道23号に接続していて、23号を少し行けば国道367号沿いの朽木市場(くつきいちば)に至る。 市場は村役場などもあった朽木村の中心地である。こうして県道781号は旧村域の北西部一帯をぐるりと巡るように通じている。 「朽木村内循環道路」という呼称が文献(角川日本地名大辞典)に見られたが、全くその通りである。小入谷峠はその循環道路の最も奥に位置する。
   
<針畑の地>
 小入谷峠の周辺は京都府や福井県との境の峰が連なる山間部であるが、この地はかつて針畑荘(はりはたのしょう)と呼ばれる平安期以来の荘園であった。 能家、桑原、古屋、中牧、庄屋(荘域)、生杉(おいすぎ)、小入谷、小林の八か村がその荘園域に当たったそうだ。現行では、針畑川水域の小入谷、生杉、中牧、古屋、桑原と北川水域の能家の範囲となるらしい。小入谷峠は針畑荘の中にあって、能家とその他の村を繋いだ峠であったようだ。
 
 現在、「針畑」の名は「針畑川」として残る程度である。 かつて若狭国(わかさのくに、現福井県)小浜から国境を越え、この近江国(おうみのくに、現滋賀県)の針畑の地に下る峠があり、それを針畑峠とか針畑越と呼んだ。 この峠道は小浜に陸揚げされた鯖(さば)を京都に運んだ鯖街道の一つとされる。しかし、この針畑峠の名も一般の道路地図や地形図には見られない。
   
<峠道の範囲>
 小入谷峠は北川と針畑川(共に安曇川支流)の分水界に位置する。北川の源流はほぼ小入谷峠が位置する尾根になり、北川沿いに通じる県道781号はこの小入谷峠の峠道と言ってもよさそうだ。峠から市場で国道に接続するまで、およそ20kmの長い道程となる。
 
 一方、針畑川の源は福井・滋賀との県境にあり、そこには針畑峠があった。また、最近は林道のおにゅう峠が近くで越えている。 よって、針畑川沿いの道は針畑峠やおにゅう峠の峠道となってしまうだろうか。すると、小入谷峠の針畑川水域側は、針畑川沿いから峠までの短い区間だけになってしまう。 僅かに1km程度である。
   
   
   
小入谷集落より峠
   

小入谷集落内に架かる橋 (撮影 2015.11.13)
針畑川の下流方向に見る
<小入谷集落>
 針畑川最奥、あるいは旧朽木村最奥と呼んでもよさそうな小入谷集落は、県道781号から分かれ、更に上流側へ600m程遡った所に位置する。針畑峠を近江に下って来た最初の集落となる。人家は針畑川の両岸に点在し、それらを繋ぐ橋が集落内に一本架かる。
 
<古道?>
 地形図を見ると、その橋の袂に小入谷峠から流れ下って来た名もない小さな支流が針畑川本流に注いでいる。その川沿いに途中まで車道が通じるようだが、その先峠までは徒歩道となっている。
   
 現在、峠に通じる県道は全く別ルートで峠に向かうが、この小さな支流沿いに通じる道が、小入谷峠の元の峠道ではなかったかと想像する。まずは川筋を登るのが峠道の常とう手段である。距離も短い。
 
<峠道の役割>
 針畑峠を越えた鯖街道のルートは、ほぼ針畑川沿いにそのまま下って行ったが、針畑峠は必ずしも小浜・京都の交易だけに使われた訳ではない。 朽木の市場は周辺地域で採れた産物の集散地で、その市場と針畑の地は北川沿いに結ばれ、物資の交易や人の交流も少なくなかったと想像する。 更にそうした交易・交流は針畑峠を越えて小浜市との間でも行われていったであろう。 また、針畑の住人にとって、市場へ行くより針畑峠を越えてより栄えた小浜へと出た方が、日用品などの調達にも便利だったようだ。 針畑の村々で行われる盆や正月、冠婚葬祭に必要な用品も、この針畑峠を越えたという。小入谷峠はこうした針畑峠の補助的な役割を果たしたのではないだろうか。
 
 針畑峠と北川沿いの地域を結ぶには小入谷峠が必要になる。現在の県道は峠より下って小入谷集落より下流側で針畑川沿いに出る。それに対し古道と思われる道は、小入谷集落の中心地に降り立ち、針畑峠にもより近い。その意味からも古道である可能性は高いと思う。
   
<県道の分岐点>
 現在の小入谷峠の針畑水域側の起点は、県道781号から小入谷集落への道が分かれる分岐点と言える。県道はここで「く」の字に曲がる。これでも県道だろうかと思われる寂しい道だ。分岐周辺には、何もない。
 
 おにゅう峠を下って来てこの場所に出た時、暫く迷ってしまった。何の看板もなく、小入谷峠へと登る道の分岐かどうか確信が持てなかったのだ。 車を運転する妻も、単なる枝道の分岐かと思ったらしい。車を停めさせ、地図を調べたり、カーナビを確認したりして、やっと県道に出たことを認識する始末。

県道の分岐点 (撮影 2015.11.13)
手前方向が小入谷集落
左は県道を小入谷峠へ
直進は県道を古屋・梅ノ木方面へ
   

県道を小入谷峠方向に進む (撮影 2015.11.13)
<峠へ>
 県道とは思えない細い道を峠に向けて進む。県道上には分岐を示す看板があったようだ。
   
<針畑川を渡る>
 分岐より150m程進むと針畑川を渡り、左岸に入る。直ぐに人家らしい建物が一軒あったようだが、後は建物らしい建物は全く見ない。そのまま峠への細い坂道を登って行く。

針畑川を渡る (撮影 2015.11.13)
   
小入谷峠の小入谷集落側 (撮影 2015.11.13)
   
<峠の小入谷集落側>
 小入谷峠は緩くS字にカーブした細長い切通しだ。小入谷集落側から登って来ると、切通しに入る手前の左側にちょっとした広場がある。 地形図では切通しに差し掛かる辺りに標高「501」mと記されている。そこが車道としても最高所となるようだ。これをもって小入谷峠の標高とした。
   
小入谷峠の小入谷集落側 (撮影 1997. 4.28)
百里ヶ岳への登山道ははっきり見える
   

小入谷集落へ下る古道の入口? (撮影 2015.11.13)
 2015年に訪れた時は、広場に残土が盛り上げてあった。その脇辺りから小入谷集落の中心地へと直接下る山道がある筈だ。面倒なので車から降りずに写真だけ撮ってみたが、後で見ても何のことだか分からない。
   
<登山口>
 切通しの手前から北側の切通しの上へと登る登山道がある。近くに登山届のポストが立っている。また草に埋もれているが「百里ヶ岳登山口」と書かれた標柱もある。 百里ヶ岳(ひゃくりがたけ、931.4m)は福井・滋賀県境にある山で、小入谷峠のある尾根を北へ進み、県境の稜線に出てから更に北へ進んだ所に位置する。

百里新道登山口 (撮影 2015.11.13)
草に埋もれて標柱が2本
左が新しい
   

以前の登山口の看板 (撮影 1997. 4.28)
<百里新道の標柱>
 もう一つ、「百里新道 登山口」と書かれた古い標柱も残っている。この標柱の一面に「縣道小入谷峠 平成八年五月」と書かれているのだ。 私が訪れる丁度1年前の建立となる。多分、これを見てこの峠の名を知ったものと思う。これ以外、この峠を小入谷峠と呼ぶ根拠を知らない。
 
 以前は標柱の隣に「百里ヶ岳登山口」と書かれた案内看板もあった。朽木西小児童会によるものだ。支柱に「ようこそ西へ」とある。「西」とは西小学校のことだろう。針畑川沿いに見られる学校だ。
   
 以前の旅ではあまり写真を撮らなかったが、小入谷峠を訪れた頃からは、峠だけは写すようになっていたようだ。その年にホームページ「峠と旅」もオープンしている。小入谷峠だけでも6枚の写真が残る。こうやってホームページ作りに使い、少しは日の目を見た。

峠より小入谷集落側を見る (撮影 1997. 4.28)
   
峠から小入谷集落方向の眺め (撮影 1997. 4.28)
目の前の谷底に古道が通じていたのでは?
麓の方に白い建物らしき物が見えるが、小入谷集落の人家だろうか
   

峠の能家集落側 (撮影 2015.11.13)
石碑はこの右手
<能家集落側>
 カーブする切通しを能家集落方向に抜けると、また路肩に空地がある。その側らに大きな石碑が立つ。
   
能家集落方向から峠を見る (撮影 1997. 4.28)
側らに大きな石碑が立つ
   
<石碑など>
 「県道麻生古屋梅木線 道路改良工事 竣工記念之碑」とある。残念ながら峠の石碑ではなかった。
 
 石碑の脇には白い標柱が立ち、こちらには「地球に平和と喜びを ありがとうございます」とあり、これも峠とは全く関係なかった。

記念碑 (撮影 1997. 4.28)
   

能家へと下る道(撮影 2015.11.13)
<県道標識>
 峠を能家方向に下り、北川沿いになった頃、やっと一つの県道標識が出て来る。番号は「781」とある。地名は「高島市 朽木能家」であった。人家は今のところ全く見ない。
 
 この先、更に進むとやっと能家集落に入る。その後も北川沿いの細い道が麻生まで延々と続く。ここでは省略させて頂く。
 
 (参考動画:YouTube
   
   
   
 小入谷峠は峠自身はそれ程面白いものではない。道は細いばかりで峠道らしい険しさもない。峠の上り下りは僅かに2km程度だ。 後は川沿いに県道781号が延々と続く。ただ、この総延長約35kmの道は、途中で素朴な佇まいの能家の集落などを見て通り、朽木村を旅するには欠かせない存在だ。 峠道はそのちょっとした付け足しといった感じの、小入谷峠ではあった。
   
   
   
<走行日>
・1997. 4.28 能家側 → 小入谷側 ジムニーにて
・2015.11.13 小入谷側 → 能家側 パジェロ・ミニにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 25 滋賀県 昭和54年 4月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、 こちらを参照 ⇒  資料
 
<1997〜2015 Copyright 蓑上誠一>
   
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