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仮称 貝沢峠
  かいざわとうげ  (峠と旅 No.242)
  旧沢内街道の長橋峠を継承する貝沢トンネルの峠道
  (掲載 2015.10.17  最終峠走行 2012.11. 5)
   
   
   
貝沢峠/貝沢トンネル (撮影 2012.11. 5)
写真は岩手県和賀郡西和賀町(にしわがまち)沢内貝沢(さわうちかいざわ)側の坑口
(旧和賀郡沢内村大字川舟/貝沢)
トンネルの反対側は同県岩手郡雫石町(しずくいしちょう)鶯宿(おうしゅく)
道の名は不明、県道172号・盛岡鶯宿温泉線に続く道
トンネルの標高は約450m (地形図の等高線より)
峠には長さ100mの貝沢トンネルが通じる
この近くの峰には旧沢内街道の長橋峠が越えていたものと思われる

   
   
   
<仮称>
 前回、山伏峠を掲載したが、その峠とは深い関わり合いがあるので、 この貝沢トンネルの峠を取り上げようと思う。
 
 ただ、残念ながら峠名がない。勝手ながら、トンネル名をそのまま峠名に置き換えて使わせてもらった。 あくまで「貝沢峠」とは仮称であることにご注意を。
   
<所在>
 峠は岩手県の雫石町(しずくいしちょう)と西和賀町(にしわがまち)の町境に位置する。岩手郡と和賀郡の郡境でもある。 南北に延びる秋田県との県境を成す奥羽山脈の主稜から、東へと派生する山稜にあり、その山稜上には大小屋山(640m)、 貝沢トンネル、山伏峠(山伏トンネル)などが続く。
 
<鶯宿と貝沢>
 峠の雫石町側は大字鶯宿(おうしゅく)の地で、鶯宿ダムや鶯宿温泉がある。 一方、西和賀町側は沢内貝沢で、旧沢内村の大字では川舟(かわふね)となるようだ。 川舟は江戸期から明治22年まで沢内6か村の一つで、その後大字になっている。 貝沢はその川舟の中の一つの集落名だったようだが、沢内村が西和賀町になってからは沢内貝沢という地区名となったようだ。 旧沢内村一帯は沢内盆地となり、沢内三千石と言われた盛岡藩(南部氏)の重要な米どころで、今でも東北らしい水田が広がる穀倉地帯である。
   
<地形図(参考)>
 国土地理院地形図にリンクします。

(上の地図は、マウスによる拡大・縮小、移動ができます)
   
<トンネル名>
 峠に通じるトンネルの名は単純に旧沢内村の「貝沢」の地名から来ているようだ。盛岡市街に近い雫石町側から見ると、確かに沢内の貝沢に至るトンネルである。 古くは盛岡城下を物事の中心と見たであろうから、そうした見方の延長とも言える。
 
<沢内街道と長橋峠>
 貝沢トンネルの南約2kmの近さに並行して山伏峠が越えるが、この峠は沢内街道の峠とされる。 文献(角川日本地名大辞典)の沢内街道の項に気になる記述があった。 寛文9年(1669年、寛文11年とも)までの沢内街道は雫石から「長橋峠」を越えて貝沢に入っていたというのだ。 この長橋峠とは正に今の貝沢トンネルの道筋と重なるではないか。また別の資料ではこの長橋峠の標高は490mであったという。 貝沢トンネルの上部は鞍部になっていて、現在の地形図の等高線で見ると、その標高は約480mと酷似する。 更に、その鞍部より西和賀町側に流れ下る川は長橋川(正確にはその支流)と呼ぶ。 これだけ条件が揃うと、貝沢トンネルの真上かその至近に、かつて長橋峠が越えていたとしか思われない。 今の地形図や一般の道路地図に長橋峠の文字は全く見られないが、貝沢トンネルは長橋峠の生まれ変わり、後継と言えそうだ。
   
   
   
雫石町から峠へ
   
<県道172号>
 雫石町側からの貝沢トンネルへの道は、主要地方道1号・盛岡横手線から分岐する県道172号・盛岡鶯宿温泉線となる。 今回は県道172号と雫石環状線が交差する地点(主要地方道分岐から300m程峠寄り)より峠を目指した。 県道方向には「ようこそ 鶯宿温泉」と看板が出ていた。
 
<川筋>
 峠までを盛岡市街からの川筋で示すと、雫石川(北上川水系)、南川(南畑川とも)、鶯宿川という順に遡ることになる。 主要地方道1号が南川からその本流の南畑川沿いに遡って山伏峠を越えるのに対し、貝沢トンネルは南川の支流である鶯宿川の上流部に位置する。 その意味では山伏峠が格上、貝沢トンネルが格下となろうか。

鶯宿温泉の看板が立つ (撮影 2012.11. 5)
県道172号と雫石環状線(広域農道)との交差点
ここより峠を目指す
   
 県道172号は、その名の通り鶯宿温泉まで通じていて、温泉街までは快適な2車線路が延びる。 一方、その先の貝沢トンネル前後は大型車両通行止の狭い道だ。貝沢トンネルを抜けて西和賀町まで行く車は、地元車を除くと、ほとんどないことだろう。 山伏峠越えの主要地方道1号は最近新しい山伏トンネルが開通し、距離的には少し遠いが、西和賀町を目指す車の流れはそちらに向かってしまう。 県道172号の交通量は少ない。それでも、鶯宿温泉までの区間は時折タクシーや大型の観光バスとすれ違ったりする。 温泉客を運んでいるのだろう。
 
 周囲はまだ雫石盆地の平野が続き、見通しが良い。道の左手に2つの特徴的な山が見える。 右が男助山と左が女助山で、その間を主要地方道1号が通じている筈だ。
   
県道172号の左手を望む (撮影 2012.11. 5)
男助山と女助山が見える
その山の間に主要地方道1号が通じている
   
県道172号の様子 (撮影 2012.11. 5)
峠方向に見る
   

公衆トイレ (撮影 2012.11. 5)
<町営鶯宿運動場(余談)>
 山伏トンネルの主要地方道1号もそうだが、貝沢トンネルの道にも沿線に適当な休憩所がない。 道の駅などがあれば最高だが、そうした施設は皆無だ。いつものことながら妻の小用に困る。 どうしたものかと思っていると、「公衆トイレ」と書かれた看板が立っていた。道の左手に町営鶯宿運動場があり、駐車場の一角に公衆トイレがあった。 こんなタイミングがいいことは滅多にない。そこで一息入れ、また峠を目指す。
   
<県道172号沿線>
 県道の周囲には人家は少なく、大きな建物もなく、のどかなものだ。小学校があったり、ポツポツと旅館などが散見されるばかりだ。 一つ「けんじワールド」という大きな施設を見掛けた。アミューズメントパークとのこと(既に閉館?)。 県道172号沿いには温泉や遊興施設があり、雫石町の奥座敷といったところだろうか。

けんじワールド (撮影 2012.11. 5)
   
県道172号を峠方向に進む (撮影 2012.11. 5)
   
   
   
鶯宿温泉
   

山間に入って行く (撮影 2012.11. 5)
左手に鶯宿温泉の大きな看板が立つ
<山間に>
 主要地方道1号から分かれて2、3q、道は山間に入って行く。「ようこそ 鶯宿温泉へ」と大きな看板が出て来る。 雫石盆地の平野部を自由に蛇行していた鶯宿川も、ここから上流部は狭い谷筋に流れ、車道もそれに並走する。
 
<県道終点>
 道幅が狭まると、直ぐにY字路に出る。分岐する道の間には鶯宿温泉の看板が立つ。 道路地図では、この分岐点までが県道172号となっていて、ここより先は鶯宿温泉の温泉街となるようだ。 二手に分かれる道はどちらも狭いが、右が本線となっている。
   

鶯宿温泉入口 (撮影 2012.11. 5)
道が二手に分かれる
右が本線
ここが県道の終点らしい

Y字路に立つ温泉の看板 (撮影 2012.11. 5)
   
<温泉街>
 鶯宿温泉は鶯宿川に沿って1km程の細長い街並みを形成している、山間の素朴な温泉地だ。 あまり華美な装いもなく、大きな旅館やホテルの建物も少ない。メインストリート上にちょっと洒落た街灯が立ち並ぶばかりだ。
   
温泉街 (撮影 2012.11. 5)
左手に駐車場、その奥に鶯宿温泉の案内看板が立つ
   
<鶯宿川右岸沿い>
 ひとしきり家並みを過ぎると、右手に鶯宿川を臨む。それまでの県道には縁遠かった川面が近くに見える。 途中、鶯宿川を眺める展望所があり、足湯も併設されているようだった。
   

鶯宿川右岸沿い (撮影 2012.11. 5)

展望所と東屋の足湯 (撮影 2012.11. 5)
   
<温泉街の道>
 川沿いの狭い立地に家屋が並び、温泉街道はメインストリートといえども狭苦しい。こうした道はやや気疲れする。脇道は更に狭そうだ。
 
<左岸へ>
 街並みの中間くらいで道は鶯宿川を鶯鳴橋で渡って左岸へ移る。ここより上流側の方に大きな旅館が見られた。

鶯宿温泉の中間付近 (撮影 2012.11. 5)
   

鶯宿川を渡る (撮影 2012.11. 5)

鶯宿川左岸沿い (撮影 2012.11. 5)
   
   
   
鶯宿温泉以降
   
 鶯宿の温泉地を抜けると、建物はほとんど見られなくなる。ここからは静かな峠行きが続く。沿道には田畑が広がるばかりだ。通る車も皆無に近い。
   
鶯宿温泉の先 (撮影 2012.11. 5)
   
 道はほぼ鶯宿川に沿う。一度右岸に渡り、また直ぐ左岸へと戻る。
   
左岸に戻る箇所 (撮影 2012.11. 5)
   
<切留集落>
 鶯宿川の谷は狭くなったり、広がったりを繰り返し、そこに一本の田舎道が続く。 また少し広がったかと思うと、僅かながらも人家が集まる集落に差し掛かった。切留と呼ばれる集落のようだ。 長橋峠の道は鶯宿からこの切留を通って峠に達していたと文献にあったが、その切留集落である。
   
切留集落に差し掛かる (撮影 2012.11. 5)
   

神社の鳥居の前を過ぎる (撮影 2012.11. 5)
 遠く江戸時代初期頃までは沢内街道がこの集落を通り、盛岡と沢内とを結んでいたようで、切留は古くから人の暮らしが営まれていた地なのであろう。 今も水田やビニールハウスなどが見られるが、人家は僅かに数える程だ。
 
 集落途中で神社の鳥居の前を過ぎる。奥に小さな社が佇んでいた。 沢内街道を行く者は、ここで手を合わせ、この先に待つ峠越えの無事を祈ったのであろう。
   
<最終の人家>
 右手に大きな母屋を構える一軒の人家を過ぎる。そこが切留集落の最奥で、峠の雫石町側としても最終の人家となるようだ。 そこを過ぎると建物らしい建物は沿道に見られなくなる。

大きな人家を過ぎる (撮影 2012.11. 5)
   

切留集落以降 (撮影 2012.11. 5)
<集落以降>
 集落を過ぎると鶯宿川の谷は狭まり、田畑が造れるような平地はなくなる。視界も広がらなくなった。
   
   
   
鶯宿ダム付近
   
<鶯宿ダム>
 集落から1km程で鶯宿川に架かる鶯宿ダムの堰堤脇を過ぎる。鶯宿ダムは大きなものではなく、鶯宿川の山間部にひっそりとした湖水をたたえている。 昭和32年(1957年)完成の重力式コンクリートダムとのこと。

鶯宿ダム (撮影 2012.11. 5)
   
鶯宿ダム湖 (撮影 2012.11. 5)
   
 ダム湖の上流側は、流れ込んだ土砂の堆積が進んでいるのか、草木が生い茂り湿地帯のようになっていた。 ちょっと薄気味悪い光景である。道はそのダム湖の左岸沿いを遡る。
   
ダム湖上流部を望む (撮影 2012.11. 5)
   
   
   
ダム湖以降
   
 道の両側は林に閉ざされ、視界が広がらない寂しい道となる。ただ、鶯宿川の谷はそれ程深くない。 ダム湖辺りの標高で300m弱、峠の貝沢トンネルでも450m程度と低く、周囲の山並みも見上げるような高さはない。 南隣で山伏トンネルを抜ける主要地方道1号が下ノ黒沢(南畑川の支流)の深い谷に通じるのに比べると、ずっと穏やかな道である。
   

道の様子 (撮影 2012.11. 5)

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
   
 それにしても不自然な程に直線的な道が続く。それ程鶯宿川に蛇行が少ないのだろうか。
   
道の様子 (撮影 2012.11. 5)
長い直線路
   
   
   
林道分岐
   

右に分岐 (撮影 2012.11. 5)
<岩名目沢林道>
 峠まで残すところ約3kmで、右に林道の分岐がある。入口には林道標柱が立ち、「岩名目沢林道」とある。 鶯宿川の支流に同名の川があり、その川沿いに少し遡るようだが、どこにも抜けられない行止りの林道らしい。
   

岩名目沢林道入口 (撮影 2012.11. 5)

林道標柱 (撮影 2012.11. 5)
   
<大型車輌通行止め>
 岩名目沢林道分岐の後、本線上には「大型車輌通行止め」と書かれた看板が立て掛けてあった。 しかし、別段そこより道が狭くなる訳でもなく、それまでの道と何ら変りがない。この通行止は貝沢トンネルを西和賀町に抜けた所まで続く。 貝沢トンネルがやや狭い為の措置だろうか。
 
 ところで、県道が終わった鶯宿温泉以降の道の名が不明である。これも林道の一つなのかもしれない。

「大型車輌通行止め」の看板 (撮影 2012.11. 5)
   

左に分岐 (撮影 2012.11. 5)
<左沢林道>
 また暫く行くと、今度は左に林道が分岐している。林道標柱には左沢(あてらさわ)林道とある。 やはり鶯宿川の支流・左沢に沿う道で、程なくして行止りのようだ。
 
 切留からは主要地方道1号方向に抜ける道がありそうだが、それ以降は貝沢トンネルを除き、車道としてはどこへも抜けられないようだ。
   
   
   
右岸へ
   
 2つの林道を分けた後、道は鶯宿川を渡って右岸沿いになる。
   

この先、鶯宿川右岸へ (撮影 2012.11. 5)

右岸沿い (撮影 2012.11. 5)
   

保護林の看板 (撮影 2012.11. 5)
<保護林の看板>
 沿道には標識や看板の類はほとんどなく、全く寂しい道だが、途中、一つだけ目立つ看板が立つ。 対岸から大小屋沢の川が注ぐ辺りで、「植物群落保護林」と題した看板がある。この一帯は男助山国有林となっているようだ。 男助山から峠がある町境まで、南畑川と鶯宿川を隔てる山稜が続くが、その付近が国有林となるようだ。 看板の前を横切って川を渡り、大小屋沢沿いに山道が続いているようだった。
 
<待多部沢>
 尚、大小屋沢合流点より上流側は、鶯宿川ではなく待多部沢(まつたべざわ)と呼ぶようだ。 貝沢トンネルは最終的にはこの待多部沢の上流部に位置する。
   
   
   
待多部沢沿い
   
<待多部沢沿い>
 1km程、鶯宿川から待多部沢へと名を変えた川沿いを行く。谷は更に狭まり、両側から山が迫る。最初は右岸沿い、一度渡河して左岸沿いを進む。 やっと峠道らしい様相になってきた。

待多部沢右岸沿い (撮影 2012.11. 5)
   
待多部沢左岸沿い (撮影 2012.11. 5)
   

登りが急になる (撮影 2012.11. 5)
この先にヘアピンあり
<本格的な登り>
 やがて道は川筋を離れ、山腹を巻き出す。勾配もやや増し、本格的な登りとなった。ただ、峠のトンネルまで僅かに1km程を残すばかりだ。
 
 ヘアピンカーブが一箇所あった。こうしたところは如何にも峠道らしい。街中などでは見掛けない鳥が一羽、道路を横断して行った。 決して険しい道ではなく、人家からも数kmと離れていないが、全く人気を感じさせない。山の中で静寂に包まれたかのようだ。
   

路面に鳥 (撮影 2012.11. 5)

鳥 (撮影 2012.11. 5)
   
<峠直前>
 お隣の山伏峠は雫石町側の地形が険しく、かつては山並みに虻(あぶ)が雲霧の如く掛かることもあり、険しい峠だったようだ。 一方、古い長橋峠とも思われるこちらの峠道は、谷は浅く、山は低い。 貝沢トンネルの直前でこそ、車道の左手に臨む待多部沢の谷はやや深く切れ込んでいるが、空は開けていて明るい感じである。 山伏峠の標高は543mで、長橋峠は490mだったそうだが、その標高差以上に険しさに差があるように思えた。

峠直前の沿道の様子 (撮影 2012.11. 5)
   
   
   
   
<貝沢トンネル>
 鶯宿温泉から車でのんびり走っても僅か20分。峠の貝沢トンネルに到着した。全般的に道は良く、あっと言う間であった。
   
貝沢トンネルの手前 (撮影 2012.11. 5)
   
<稜線>
 トンネルの上には雫石町と西和賀町との町境となる稜線が、もう直ぐ手の届きそうな位置にある。路面との標高差は20m〜30mだ。
 
<長橋峠>
 その稜線上にある鞍部が、かつての長橋峠ではないかと思ったのだが、何ら確証はない。
 
 ここより600m程北にも、標高で丁度490mの鞍部が地形図に見られる。 そちらが長橋峠だった可能性も考えられる。 もしそうだとすると、長橋峠は大小屋沢の上流部に位置していたことになり、保護林の看板が立つ場所から峠までは、 現在の貝沢トンネル越の車道とは道筋を異にしていたことになる。どちらにしろ憶測の域を出ない。
   
貝沢トンネル (撮影 2012.11. 5)
雫石町側の坑口の様子
街灯がポツンと立つ
   

貝沢トンネルの銘板 (撮影 2012.11. 5)
<銘板>
 坑口の左側に銘板が埋め込まれている。それによると、貝沢トンネル開通は1992年12月である。 ちなみに山伏隧道(旧山伏トンネル)の開通は1938年で、半世紀以上も前のこととなる。 どちらの峠もこれらのトンネルにより初めて車道が通じたと思われる。 尚、山伏隧道の後継となる新山伏トンネルは1997年10月の開通で、貝沢トンネルに追随するかのように山伏峠は快適な峠道へと改修されている。 新山伏トンネルは2車線路を通していて規模では貝沢トンネルの比較にならず、山伏峠が本道であることを誇示するかのようだ。
   
<扁額>
 あっさりと「貝沢トンネル」と書かれている。このトンネルの上がもし長橋峠なら、「長橋トンネル」と命名しそうなものだが、そうではなかった。 現在「長橋」という名は西和賀町側に流れ下る河川名として残るが、もしかするとかつて長橋という集落があったのかもしれない。 それが今ではなくなったので、長橋の名を使わなかったのかもしれない。いろいろ憶測を呼ぶ。
   
扁額 (撮影 2012.11. 5)
   
   
   
西和賀町側へ
   
<トンネル内>
 長さ100mのトンネル内は照明が灯っていた。通る車もほとんどないのに、ひっそりとした山の中で人知れず照らし続けている。 トンネルの前後にはそれぞれ街灯が一本立っているが、夜間にはそれも灯り、坑口を照らすのであろう。想像するだけで寂しい光景だ。 雫石町側では鶯宿ダムを過ぎたあたりから沿道に電柱が立っていなかったようで、トンネル内の照明やその近くの街灯の電力は、 西和賀町側から供給されているものと思われる。

貝沢トンネル (撮影 2012.11. 5)
   

貝沢トンネルの西和賀町側 (撮影 2012.11. 5)
<西和賀町側>
 貝沢トンネルの西和賀町側は、坑口から直接谷沿いへと続く。深い谷を見下ろすようなことはなく、地形は極めて穏やかだ。
 
<大型車輌通行止め>
 トンネル方向に向かって「大型車輌通行止め」の看板が立つ。貝沢トンネルを含めた雫石町側の岩名目沢林道分岐までがその規制区間となるようだ。 幅6m、高さ4.7mの貝沢トンネルさえ抜けられれば、後の道はそれ程険しそうに思われなかったが。
   

大型車輌通行止めの看板 (撮影 2012.11. 5)
街灯の支柱に立て掛けてある

照明分電盤 (撮影 2012.11. 5)
銘板が取れ掛かっていた
   
<照明分電盤>
 トンネル坑口から少し離れて「照明分電盤」と書かれた電気設備が立つ。 これが西和賀町側から供給されている電気を使ってトンネル内を照らしているようだ。
 
 坑口前には「大型車輌通行止め」の看板と照明分電盤があるだけで、全く寂しい限りだ。後は細々と道が続くだけである。

トンネルに続く道 (撮影 2012.11. 5)
   
   
   
西和賀町側に下る
   

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
<道の様子>
 坑口から300mも進むと、もう周囲に谷底の雰囲気はない。道の両側からは山の斜面が消え、空も開けてきた。 道は支流の谷から本流の谷へと出て来ている。 この谷の上流部に標高490mの鞍部があるのだが、そこが長橋峠の可能性がある。 ただ、そちら方向に車道が分岐するようなことはなかった。
   
 雫石町側もそうだったが、西和賀町側にも直線的な道が多い。それだけ谷底が広く平坦であることがうかがえる。ただ、こちらには電信柱が立ち並んでいた。

直線的な道が続く (撮影 2012.11. 5)
   

長橋川を渡る (撮影 2012.11. 5)
<長橋川>
 峠から2km弱下ると小川を一本渡る。地図を見るとこれが長橋川ということになる。 長橋峠の「長橋」の名を今に留める川だ。大小屋山(640m)の南麓を源とし、谷地川、横川、和賀川と続き、最終的に北上川へと注ぐ。
 
<沿道の様子>
 橋を渡ると、道は長橋川の右岸沿いに下る。既に平野の雰囲気だ。 この付近の標高は約420mで、峠のトンネルから僅かに30m程度しか下って来ていない。ほとんど峠道らしい坂道がなかった。
   

沿道の様子 (撮影 2012.11. 5)

沿道の様子 (撮影 2012.11. 5)
開けて来た
   
<貝沢>
 周辺には耕地が広がりだす。この貝沢の地は、旧沢内村の最北に位置し、標高400mを越える寒冷地帯で、酪農や高冷地野菜の栽培が盛んなようだ。 貝沢の北の端には雫石町との境となる山がこんもりと連なっている。そこに貝沢トンネルや新旧の山伏トンネルが通じている。
   
雫石町との町境の山稜を望む (撮影 2012.11. 5)
   
 貝沢はまた奥羽山脈の奥懐に抱かれた地だ。11月初旬にはもう冠雪を頂いた山並みを見渡す。
   
奥羽山脈を望む (撮影 2012.11. 5)
   
<貝沢野>
 付近には大木原、貝沢、貝沢野(かいざわの)といった集落名が地図に見える。 貝沢野は戦後直ぐに始まった開拓地で、「貝沢開拓」と呼ばれたのが後に「貝沢野」となり、それが新しい集落名ともなったそうだ。 計画的に開発されたことによるのか、周辺には整然と格子状に道が造られている。

沿道の様子 (撮影 2012.11. 5)
   

Y字の分岐 (撮影 2012.11. 5)
左を行く
<Y字の分岐>
 ちょっと迷うY字路が出て来た。見た目には右が本線のように見える。しかし、古い道路地図には左の道しか記載がなく、そちらが元からあった道のようだ。 どちらに進んでも、いずれは西和賀町を縦貫する幹線路の主要地方道1号に行き着くだろう。ここは最短で出られるように、左の道を選んだ。
 
   
   
   
谷地川沿い以降
   
<谷地川沿いの道>
 峠から3.5km程で広い道に出た。ほぼ谷地川沿いに通じる道で、沿道には人家も見られる。分岐の角には珍しく看板が立つ。
 
 15Km 八幡平カントリークラブ
 14Km 鶯宿温泉
 
とある。雫石町市街まで行くなら山伏トンネルを抜けた方が早いが、鶯宿温泉までなら距離の短さで貝沢トンネル越えも考えられる。 それでも微妙なところだろう。この分岐から主要地方道1号まで1kmもなく、時間的には快適な山伏トンネルを抜けた方が早いかもしれない。

この先、広い道に出る (撮影 2012.11. 5)
   

分岐の様子 (撮影 2012.11. 5)

分岐の様子 (撮影 2012.11. 5)
   

分岐に立つ看板 (撮影 2012.11. 5)

分岐に立つ看板 (撮影 2012.11. 5)
   
 分岐を左へと進めば、主要地方道1号への最短路だ。途中、貝沢の集落を過ぎる。
   
貝沢集落の人家の間を行く (撮影 2012.11. 5)
   
 周囲には稲刈りを終わった田んぼが広がった。山の紅葉の盛りも過ぎている。もう直ぐこの一帯が雪の白一色に染まる冬がやって来る。
   
稲刈りを終わった田んぼが広がる (撮影 2012.11. 5)
   

沿道に薪が積まれていた (撮影 2012.11. 5)
 沿道に薪が積まれていた。厳しい冬の暖を取るための冬支度であろうか。
   
   
   
主要地方道1号へ
   
 貝沢トンネルの西和賀町側は最後まで峠道らしくなかった。貝沢集落を過ぎる辺りからはほとんど平坦地だ。 標高で410m前後。貝沢トンネルから僅かに40m下っただけだ。
 
 主要地方道に接続する200m程手前で、道は再び長橋川を左岸へと渡る。長橋川はこの下流約500mで谷地川に注いで終わる。 長橋峠の後継とも言える貝沢トンネルの峠道も終点に近い。
   
主要地方道1号に接続する少し手前 (撮影 2012.11. 5)
この先で長橋川を渡る
   
<主要地方道に接続>
 貝沢トンネルを抜けて来た道は寂しく終わる。 主要地方道1号は幅の広い2車線路であり、一方、そこから分岐する道は1.5車線幅でほとんど目立たない存在だ。
 
 主要地方道1号・盛岡横手線の前身は、大正12年(1923年)に沢内を南北に貫いた沢内縦貫道で、それが県道に編入されている。 昭和12年(1937年、昭和13年とも))に山伏隧道(旧山伏トンネル)が完成し、雫石町との間に車道が通じた。 後に主要地方道1号となり、旧沢内村を縦貫する幹線路の役割を担い続けてきた。

主要地方道1号に接続 (撮影 2012.11. 5)
左へ行けば山伏トンネル
   

分岐付近の様子 (撮影 2012.11. 5)
電話ボックスなどが立つ
<分岐の様子>
 分岐の角には小さな商店が立ち、店先に自販機が僅かに並ぶ。分岐の反対側には「貝沢」バス停や、今時珍しい電話ボックスが立つ。
 
 またその近くに「高下岳登山道 貝沢入口」と標柱があった。 丁度その前の路肩に車が一台停められていて、登山者の物かと思われた。 ただ、高下岳(1320m)というのはここよりもっと西方にある山で、標柱の脇から始まる登山道は、東へと登って行ってしまう。 標柱にある「貝沢入口」とは、車道の方の分岐を示すのだろうか。あるいは他にも高下岳という山があるのかもしれないが、地名図には見られない。
   
 主要地方道上には、例の登山道の標柱を除いては、この分岐を示す案内看板などは全く見られない。 貝沢トンネルへのアクセス路は他に何通りか考えられるが、少なくとも主要地方道から最短で貝沢トンネルに至るこの道の分岐に何も案内がないことになる。 やはり貝沢トンネルは一般にはほとんど使われることのない道なのであろう。
 
 分岐より主要地方道を左(北)に行けば、僅か1kmで新山伏トンネル坑口に至る。 雫石町市街に出るのに、余程の物好きでなければ貝沢トンネルを使う訳がない。 右(南)に行けば、主要地方道は延々と30km以上続いて、やっと国道107号に接続する。 西和賀町は広く、この沢内盆地から抜け出すには、更に長い距離を走らなければならない。

主要地方道より貝沢トンネルへの道を見る (撮影 2012.11. 5)
   
   
   
 貝沢トンネルは1992年(平成4年)の完成と、車道としてはかなり新しい峠道だ。 しかし、その5年後には近くの山伏峠に立派な新山伏トンネルが開通していて、貝沢トンネルの影は薄い。 また、峠道自体も小さなもので、ほんの寄り道程度といったところだ。 それでもいにしえの長橋峠の後継ということを思うと、それなりに重みを感じる貝沢トンネルであった。
   
   
   
<走行日>
・2012.11. 5 雫石町 → 西和賀町 パジェロ・ミニにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典  3 岩手県 昭和60年 3月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、 こちらを参照 ⇒  資料
 
<1997〜2015 Copyright 蓑上誠一>
   
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