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序 |
<金
精峠トンネル> 毎度の様に、「金精峠」と題しているものの、車道が通じるトンネルの方の峠道に関したページである。稜線の上には本来の金精峠があり、その下に車が通れ るトンネルが開通した。名を「金精トンネル」とか「金精峠ト ンネル」などと呼ぶ。一般に「金精トンネル」の方で充分に通じるのだが、国土地理院の地形図には「金精峠トンネル」と記載され、「金精トンネル」では検索 がヒットしない。勿論「金精峠」なら峠の方でヒットする。一般の道路地図などでは、金精トンネルと金精峠トンネルで半々であろうか。 金精峠トンネルと呼ぶとちょっと冗長的な気がして、金精トンネルで充分ではないかと思ったりもする。このようにトンネルの前に「峠」が付く場合が他のト ン ネル名にも見られるが、何か違いや意図があるのだろうか。 金精トンネルと呼んだ場合、金精峠と並列的なニュアンスがある。峠があって、他にトンネルもある。 金精峠トンネルと呼んだ場合、トンネルは峠に従属したニュアンスがある。峠を正に稜線を越える部分の一地点とはせず、大きく峰を越える存在と捉え、トン ネルもその大きな峠の一部と見なす。 まあ、屁理屈はどうあれ、トンネルの方も「峠」であると寛大に解釈されれば、このページの名として「金精峠」と題したことの言い訳になる。その意味で 「金精峠トンネル」と呼ばれる方がより都合は良さそうだ。 |
<国
道第三位の峠> 金精峠(トンネル)は、この「峠と旅」で掲載するには、ちょっと不似合いな峠道である。どちらかと言うと、もっと辺ぴで険しい峠道を好む。今回掲載した 理由は唯一、この峠道が国道で3番目に標高が高いかどうかであった。以前、標高三大峠で標高が高い峠(国道に限らず)を探してみた。その時、国道の峠に限ってみた ら、この金精トンネルが3番目ではないかと、ふと思ったのだ。 今回調べた結果は、その通りのようだ。国道で標高が高い峠は、一位から順に渋峠、麦草峠、金精峠(トンネル)となる。詳細は後述に。 |
<峠
の所在> 峠は栃木県日光市と群馬県片品村との境に位置する。峠のほぼ真下にトンネルが通じる。道は国道120号。利根川が流れる沼田市方面から、最初利根川の支 流・片品川沿い、ついでその支流の大滝川に沿い、県境を越え、金精沢・湯川と下って、中禅寺湖に至る峠道だ。 |
<奥
日光への3コース> 関東平野から中禅寺湖や男体山のある奥日光へと入り込むには、主に3ルート考えられる。日光の手前(東側)、旧今市市(いまいちし)を通って行くのが本 道で、小学校 のバス旅行で日光を訪れた時は、多分このコースであったろう。観光向けだ。自分でもバイクや車で走ったことがあるが、一般的過ぎてあまり好まないコースで ある。 一方、南の旧足尾町から日足トンネルを越えて行くのは面白い。渡良瀬渓谷沿いを遡るのが特に良い。旧道の細尾峠もある。ちょっと工夫して、粕尾峠を越えて横から足尾に下り、続いて日足トンネルへと進む手もある。しかし、中 禅寺湖に至るには、前のコースと同様、最後に「日光いろは坂」を通らなければならない。ここは渋滞のメッカで、うかつには近寄れない場所だ。 最後に西から直接奥日光に至るコース、これが金精峠の道である。いろは坂の渋滞もどこ吹く風、一気に中禅寺湖だ。更に、観光客で賑わう日光東照宮へは向 かわず、山王峠の道を選べば旧栗山村方面へと旅は続けられる。ただ、金精峠は冬期閉鎖(12 月上 旬〜4月下旬)で、常用は できない。 |
片品村側から峠へ |
<片
品村より> 峠の栃木県側では、栗山村、足尾町、今市市などは皆、日光市になってしまった。でも、群馬県側では、片品村はまだ「村」のままで存在している。片品村を 峠に向かう国道120号は、快適そのものだ。片品村では、片品川沿いを遡る国道401号・沼田街道を分け、国道120号の方は支流の大滝川沿いに峠を目指 す。 道路看板に「日光 47km、金精峠 21km」と出てきた(下の写真)。この場合の「金精峠」とは金精峠トンネルのことだと取れる。誰も本来の金精峠を目指してなどいない。金精峠トンネルを 抜け るだけである。 |
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国道から分かれて少し入った場所 リゾート地の雰囲気 |
<湖沼> 金精峠を越える国道120号沿いには湖や沼が多い。片品村側に大尻沼、丸沼、菅沼、日光市側に湯ノ湖そして中善寺湖。平地が広がる岸辺は観光スポットに なっている。 |
由来など |
<峠
名の由来> 金精峠の名は、古くから峠に「金精様」をご神体とする金精神社が祀られていたことに由来するそうだ。この「金精様」とは性信仰に関わる男女のシンボルの ことである。よって、あまり「コンセイ」、「コンセイ」と人前で連呼するのは、憚られることなのであった。井出孫六氏編さんの「日本百名峠」の金精峠の項 では、その著者が峠に登った折、20人程のうら若い女性の登山者たちが訪れ、金精神社にお参りしていったそうだ。ご神体の金精様が何であるか分っていたの であろうか。特に若い女性が「コンセイ」、「コンセイ」と、あまり口にしない方がいいのかもしれないのであった。 |
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<峠
道の始まり> 金精峠の道は日光の修験道の道として開かれたのが始まりだそうだ。近世以降、明治期まで上州(群馬県)と日光方面を結ぶ唯一の生活道路だった。片品村側 の菅沼(地名?)から日光市側の湯元までの間は、幅員1m前後の登山道に過ぎず、車輌の通行は不可能だったそうだ。現在の国道120号からは当時の様子は 想 像できない。 |
日本ロマンチック街道 |
<日
本ロマンチック街道> この金精峠を越える国道120号は、日本ロマンチック街道の一部に指定されている。信州上田から日光市を経て宇都宮まで、約350kmの道が日本ロマ ンチック街道である(詳しくは下の写真で)。この街道には金精峠以外にも幾つかの峠道が含まれている。「峠と旅」で掲載した中では、暮坂峠もその一つだ。 |
日本ロマンチック街道の看板 (撮影 2005.10.30) 高山村のわらび荘にあった物 (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
看板の説明文 (撮影 2005.10.30) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
金精道路 |
<金
精道路> 金精峠の道は、「日本ロマンチック街道」以外にもう一つの名前を持っていた。「金精道路」といった。片品村側の菅沼(地名ではなく沼のこと)を過ぎた先 から、日光市 側に下った湯元(湯ノ湖の東岸)までの区間、距離で8.1km。ここは以前は有料道路で、それを金精(有料)道路と呼んでいた。1992年、1994年と この金精道路を走ったが、ジムニー(軽自動車)で620円であった。当時は消費税が3%の時代で、消費税が課せられる前は600円だったようだ。ただ、 1995年からは無料になっている。「金精道路」の名はそのまま残っているようだ。 |
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<金
精峠トンネルの開通> 金精道路の開通は、金精峠トンネルの完成でもある。昭和40年(1965年)のことだったそうだ。その時初めて金精峠に車が通れる道が切り開かれた。そ れ程古いことではないのに驚く。トンネルの延長755m、幅6.5m。近代的な自動車道に生まれ変わった金精峠の道は、観光に産業にと期待された。現在、 国道 120号を行き交う車は多いが、ほとんどが乗用車だ。観光には随分役立っていそうだが、産業の方はどうであろうか。 |
<金精峠トンネル直前> 金精峠トンネルの片品村側は東小川(ひがしおがわ)という地名である。大滝川流域に位置する。尚、同じ片品村内に菅沼という地名がある。東小川にある 沼の方の菅沼と混同し易い。 道は終始快適で、しかも急な登りや急カーブはほとんどない。金精峠の群馬県側は比較的穏やかな地形である。そのままトンネルの坑口が近付いた。 |
交通量が意外と多い |
峠に着く |
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<ト
ンネルの片品村側> 金精峠トンネルの片品村側は、残念なことに路肩に車を停めるスペースがない。車の往来も多いので、不用意に車を駐車する訳にはいかない。ただただ通り過 ぎるばかりである。 |
日光市側 |
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金精峠トンネルを日光市側に抜けると、パッと視界が広がる。道路に面して比
較的広い駐車スペースがあり、これならゆっくり車を停められる。 トンネル坑口に掛かる看板には「金精トンネル 長さ755m」とある。金精峠トンネルではなかった。 |
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金精峠は、南の金精山(2,244m)と北の湯泉ヶ岳(ゆせんがたけ、2,333m)との間の鞍部に位置する。トンネルの上方を望むと、峰の頂上までそれ
程の高さはない。一際尖がった山が望めた(下の写真)。湯泉ヶ岳かと思ったが、確信はない。 |
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峠からは北へ栃木・群馬の県境が連なる。坑口近くからもそそり立つ険しい山並みが望めた(下の写真)。 |
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峠の標高 |
文献(角川日本地名大辞典)によると、金精峠の標高は2,024mだそう
だ。また、金精峠トンネルの標高は「1,848m」とか、「1,850m付近」との記述が見られる。一方、現地には「海抜 一、八四三
米」と書かれた標柱が車道脇に立っている(右の写真)。 地形図の等高線で見ると、日光市側のトンネル坑口の標高は、1,840mと1,850mの間にあって、1,850mに近い。これからすると文献にあった 1,848mの 信憑性が高い。 尚、トンネルの坑口は、片品村側の方が標高がやや高い。地形図で1,860mと1,870mの中間にある。地形図がどれ程正確かは分からないが、これが 正しいとすると、金精峠トンネルの最高所は少なくとも1,860m以上となる。 |
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<国
道の標高三大峠> 国土交通省のホームページで「日本で一番標高の高い国道」 というのが掲載されていて、そこに1位から3位までが示されていた。それが下の表である(左側から3列)。峠道とは限っていなかったのだが、結果的に全て 峠道であった。これであっさり、金精峠(トンネル)が第3位であると断定である。 |
順
位 |
路線名 |
日本で一番 標高の高い国道 (国土交通省) |
峠の標高 (トンネル坑口の標高) |
道の 最高所 |
峠名 |
1位 | 292号 | 2,172m | 2,152m | 2,172m | 渋峠 |
2位 | 299号 | 2,120m | 2,120m | 2,127m | 麦草峠 |
3位 | 120号 | 1,840m | 栃木県側:1,843m、1,848mなど 群馬県側:1,860m以上? |
(同左) | 金精峠 (トンネル) |
<第
1
位 渋峠> 国土交通省のデータ 2,172m は、峠の標高でなく、道の最高所を示しているようだ。峠は 2,152m で、峠の群馬県側に道の最高所 2,172m の地点がある。ただ、地形図ではその最高所に 2,170.6m と記述されているのだが。 <第2位 麦草峠> こちらの 2,120m は峠の標高である。峠とは別に道の最高所があり、2,127m とその場所に看板も立っている。渋峠と同様、道の最高所で比較するなら、2,127m とすべきだろう。 <第3位 金精峠(トンネル))> 1,840m の値は低い気がする。群馬県側ならもっと高そうだ(1,860m以上)。しかし、第2位の麦草峠とはかなり水をあけられているので、順位に影響はない。 個人で全ての国道の標高を調べて第3位を確定するのは、至難の業である。そこを、お役所の国土交通省から、金精峠(トンネル)が第3位だとのお墨付き が出されているのだから、これは間違いなさそうである。 結果として、1位と2位は僅差、2位と3位は意外と開きが大きかった。国道以外では、3位の金精峠(トンネル)より高い峠道(車道に限る)として、大河原峠(2,093m)や南アルプスの北沢峠(2,030m)など、2,000mを 超える峠はある。また、笠ヶ岳峠は1,900m台の高さだ。 <山田峠について> 尚、渋峠と同じ国道292号上に山田峠(2,048m)がある。この峠の扱いがいつも厄介だ。山田峠も渋峠と同様、群馬県と長野県を結ぶ峠だと判断する のだが、長野県側には車道が通じていない。よって「車道の峠」とは言い難く、同じく「国道の峠」でもないと考えてみたのだが・・・。 国土交通省では路線名別に標高を比較しているので、山田峠も渋峠と同類であり、路線名別の標高の順位に問題はない。しかし、もし山田峠も「国道の峠」の 一つとするなら、山田峠が標高で第3位の国道の峠となり、「国道の標高三大峠」は大番狂わせとなってしまうのであった。 |
トンネル付近の様子 |
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<登山道> 駐車場の脇から峠の峰へと登る登山道が始まっている。看板には次のような行先が書かれている。 奥鬼怒温泉郷・鬼怒沼 金精峠・奥白根山 菅沼・丸沼 登山案内の地図が描かれた看板もあり(下の写真)、それによると、このトンネル坑口から金精峠まで約30分の道程である。時間と体力が許せば、その金精 様とやらを一度拝んでみたいのだが。 |
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登山案内の地図 (撮影 2005.10.30) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
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<眺め> それ程広い眺めはないが、男体山が正面に望める。その麓に戦場ヶ原が広がり、手前に湯ノ湖がちらりと見える。まあまあ楽しめる眺めだ。 |
男体山が見える |
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日光市側に下る |
<日
光市側の道> トンネル直下は豪快な道である。大きく道が蛇行し、一気に湯元へと下って行く。 |
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峠に連なる山並みを見る |
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走っていて素直に楽しい道である。時折、男体山や湯ノ湖を見て進む。観光道路の気分満点である。 |
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高い擁壁を望む |
展望所 |
<展
望所> 途中一箇所、展望所がある。湯ノ湖がはっきり望める。この道が有料道路だった頃は、少しは元を取ろうと、そこに立ち寄って眺めを堪能したものだ(下の写 真)。海抜1,628mを示す標柱が立っていた。しかし、その頃はあまり写真を撮らなかったので、金精峠に関する写真はたったこの2枚だけである。今から 思うと、トンネルなども撮っておけばよかった。 |
湯ノ湖を望む |
海抜 一、六二八 米 と標柱にある |
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湯元へ |
豪快な山岳道路も、下れば段々と林の中になる。間もなく湯元の温泉街の近くを過ぎ、湯ノ湖の東岸を通る。湯滝などの観光スポットもあるが、これまでこの付
近に立寄ったことがない。どうも人が多い観光地は苦手である。さっさと山王峠への寂しい峠道へと向かってしまう。 |
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<終
わりに(余談)> 金精峠が国道の中では3番目に標高が高い峠であることが分って、これで気になっていたことがすっきりした。考えてみると、この峠道や日足トンネル(細尾 峠)などを走って日光には何度も足を運んでいるが、最も肝心な日光東照宮を訪れたことがない。過去に一度だけ、小学校の旅行で見学した筈ではあるが、全く 記 憶にないのだ。ただ、土産物屋のジュークボックスから、当時流行っていた由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」が流れていたのをはっきり覚えている。随 分と過去の話である。泊まった宿が昔からの木造の旅館で、トイレなどの設備は古く、今思うと何だかわびしい気がする。日光は古くからの日本有数の観光地。 あの頃の懐かしい感傷に触れる為、またこの峠を 越えて観光地日光にどっぷりつかってみようかと思う、金精峠であった。 |
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<走行日> ・1992. 9.15 日光市 → 片品村 ジムニーにて ・1994. 8.12 片品村 → 日光市 ジムニーにて ・2005.10.30 片品村 → 日光市 パジェロ・ミニにて <参考資料> ・角川日本地名大辞典 9 栃木県 昭和59年12月 8日発行 角川書店 ・角川日本地名大辞典 10 群馬県 平成 3年 2月15日再発行 (初版 昭和63年 7月 8日) 角川書店 ・その他、一般の道路地図など (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒ 資料) <1997〜2014 Copyright 蓑上誠一>
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