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県道熊谷味取線の峠
  くまだにみどりせんのとうげ  (峠と旅 No.252)
  県道というにはあまりに険しい峠道
  (掲載 2016. 3. 1  最終峠走行 2015.11.16)
   
   
   
兵庫県道550号・熊谷味取線の峠 (撮影 2015.11.16)
峠は兵庫県美方郡新温泉町桧尾(ひのきお)内にある
手前は同町熊谷(くまだに)方面
奥は兵庫県美方郡香美町村岡区味取(みどり)方面
道は兵庫県道550号・熊谷味取線
峠の標高は約370m (地形図の等高線より)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
峠は何の変哲もない切通し
しかし、この少し先に険しい道が待ち受ける
   
   
<峠名>
 困ったことに、この峠の名前が分からない。元からないのかもしれない。名前がないと、このページの表題が書けないし、あいうえお順になっている峠リストにも載せられない。妻は、名なしの峠など掲載しなければいいじゃないかというが、そういう訳にもいかない。
 
 峠は兵庫県新温泉町(しんおんせんちょう)の大字桧尾(檜尾、ひのきお)にある。峠の近くには桧尾集落も存在する。そこで「桧尾峠」などと仮称で呼ぼうとも思ったが、実際に「桧尾峠」とか「桧尾越」という名の峠が別に存在する(例えば冠山峠古和峠)。これでは仮称として使い難い。それに、たとえ仮称でも勝手に名前を付けるなと、目くじら立てる者が居る。ネット社会は恐ろしい。
 
 そこで道の名を示すこととした。この峠を越えるのは兵庫県道550号・熊谷味取線(くまだにみどりせん)という。そこで「県道熊谷味取線の峠」としてみた。峠リストには「熊谷味取線の峠」として、「か行」に加えることとする。それにしても、何と味気ないことか。
   
<所在>
 新温泉町(しんおんせんちょう)は兵庫県の北西端に位置する。西隣はもう鳥取県だ。旧温泉町は日本海に面していなかったが、新温泉町は沿岸部も持つこととなった。 峠は旧温泉町の大字桧尾にあり、どことの境にもなっていない。ただ、峠を東へ下れば旧村岡町、今の香美町(かみちょう)に通じる。峠から少しずれた所に町境があるのだ。
   
<水域>
 峠の西側は岸田川(岸田川水系)の支流・熊谷川(くまだにがわ)の水域となる。一方、峠の東側は矢田川(矢田川水系)の支流・島井川の水域だ。岸田川も矢田川も当然ながら日本海に注ぐ。
 
 岸田川・矢田川両水系の分水界は、国道9号の春来(はるき)トンネル方面から北に続き、峠はその分水嶺にある。付近はそれ程高くない標高400m前後の尾根になり、山と言えば峠の西に大空山(575.6m)がある程度だ。
   
<地形図(参考)>
 国土地理院地形図にリンクします。

(上の地図は、マウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   
<険しい道(余談)>
 前回、杖立権現越を掲載してみた。この峠道がなかなか険しいのだ。道は主要地方道で、ただ正確には主要地方道は峠前後が未完成、その区間を繋いでいる林道が険しいのだ。今回の峠は、「険しい道」繋がりである。
 
 以前、ジムニーで走り回っていた頃は、随分と険しい道に遭遇した。 路肩が道幅の半分も切れ落ちているとか、土砂崩れで道がほとんど埋まっているとか、路面に大きな水溜りや亀裂があるとか、路面が見えない程草が茂っているとか、他にも落石・倒木などなど、ジムニーが通れるかどうかと悩み、時には引き返すこともままあった。しかし、こうした険しさは道の一部について、しかも一時的なものだ。復旧工事が施され、保守がきちっと行われれば、何ということはない。
 
 また、全線に渡って未舗装の山岳林道なども、見た目の荒々しさに比べ、実際に走ってみるとそれ程険しい訳ではない。未舗装林道などと言っても、そもそも車が走るべく開削されたれっきとした道である。
 
 その点、山林の作業道や廃道は別だ。道を誤りブルドーザーが登る急坂にジムニーを乗り入れると、もう生きた心地はしない。 また、道としての機能を放棄してしまっている廃道は、半分はもう自然に帰っているので、そこを普通の自動車で走ろうとするのは、そもそも無理があるのだ。
 
 今回の峠道は、地図を見る限り何の変哲もない普通の県道だ。現在(2015年11月)、災害復旧途上ということでもない。 やや保守は不十分で、時折、路面に枯れ枝が落ちていて、それをどけながら進まなければならないが、交通量が極めて少ないのでこれは仕方ないところだろう。 路面も完全舗装で、剥がれや亀裂も全く問題ない。普段のあるがままの県道だが、それ自体が怖い存在なのである。道幅が極端に狭く、法面は壁のようにそそり立ち、路肩は崖へと垂直に切れ落ち、カーブは急なブラインドカーブだ。 曲がった先に対向車が居たらどうするのだ。容易にバックもできない。その状態が長々と続く。精神的なダメージは計り知れない。この険しさを前もって分かっていて、その上で走るならまだいいが、普通の道路地図上では単なる短い県道でしかない。知らずにやって来ると、この怖さは倍増する。
   
   
   
熊谷より峠へ
   
<大熊集落へ>
 県道549号・久斗山今岡線を久斗山(くとやま)から小さな峠を一つ越え、熊谷(くまだに)へと降りて来た。この県道549号の峠の名も分からない。
 
 峠道を下り切ると、大字熊谷内の大熊集落に入って行く。熊野山・善住寺という大きな寺の前を過ぎる。やった人里に出てきた感じだ。
   
善住寺 (撮影 2015.11.16)
なかなか立派な峠
山門の前に「こうやくん」が立つ
   

大熊集落内 (撮影 2015.11.16)
<集落内>
 善住寺から続く大熊集落の町並みは、熊谷川とその支流との間の三角州に形成されている。狭い範囲に人家が密集して立つ。
   
<T字路>
 集落内の狭い道を抜けると、別世界のような広い2車線路にT字路で突き当たる。ここに至るまで、もう1時間以上もセンターラインなどない狭い道をうろうろしていたので、道路とはこんな広いものだったのかと、改めて驚いてしまった訳だ。
 
 実は、久斗山から久斗川沿いに県道257号・山田浜坂線を遡り、新温泉町から香美町へと越えるのが当初の目的だった。 しかし、峠より香美町側の道が見るからに廃道に近い状態だ。これでは到底通り抜けできないと判断し、こちらへ迂回して来たのだった。県道257号の峠直前は未舗装のかなり寂れた道で、ニホンジカまで闊歩する始末。それに比べ、目の前に広がる2車線路は、同じ車道だろうかと見まごうばかりだ。

熊谷川沿いに出る (撮影 2015.11.16)
   

県道看板 (撮影 2015.11.16)
<県道549号と550号>
 センターラインのある道は、熊谷川の右岸沿いに真っ直ぐ通じている。しかし、T字路より下流側は県道549号で、上流側が550号となる。
 
 県道549号・久斗山今岡線は岸田川沿いの今岡から始まり、ここで北へ折れて久斗山へと向かう。
 一方、県道550号・熊谷味取線はここを起点とし、熊谷川を遡り、峠を越え、町境を過ぎ、矢田川沿いの味取(みどり)に至る。県道550号が今回の峠道となる。
 
<峠道の範囲>
 熊谷川沿いに遡る今回の峠道としては、明らかに今岡が起点となる。ただ、その間の県道549号を走っていないので、今回は省略ということになった訳だ。ご了承を。
   
<看板など>
 分岐より北の県道549号方向には「善住寺 50m (県指定/重文・彫刻) 木造阿弥陀如来坐像」と寺の案内看板が立つ。 また、「冬期間 この先 通行止」とある。熊谷と久斗山の境の峠が通行止となるらしい。冬期は県道257号だけが久斗山集落に至る唯一の生命線となるようだ。
 
<大字名>
 看板では、熊谷川沿いの県道549号を下流方向には「金屋」(かなや)とある。熊谷、金屋、今岡と大字が続く。
 
 県道550号の上流方向には「伊角」(いすみ)とある。熊谷、伊角、桧尾と大字がある。

分岐に立つ看板など (撮影 2015.11.16)
左が県道549号を久斗山方面へ、右が県道550号を峠へ
「飛び出し君」も立つ
   

県道看板など (撮影 2015.11.16)

県道看板など (撮影 2015.11.16)
ここよりまずは伊角(いすみ)を目指す
   
<県道550号を行く>
 県道549号と別れ、熊谷川沿いに県道550号を行く。直ぐにセンターラインが掻き消されてしまった。 残念ながら立派な道は今岡から大熊集落の分岐までだったようだ。それでも暫くは幅の広い道路が続く。道が険しいのは峠を越え、桧尾集落も過ぎた先である。ただ、この時点ではまだ何も知らないでいる。
 
 沿道には300m程細長く人家が点在する。ここも大熊集落の一部であろう。道は熊谷川の右岸をゆったり遡って行く。
   

大熊集落 (撮影 2015.11.16)

大熊集落 (撮影 2015.11.16)
大きな人家である
   

大熊集落以降 (撮影 2015.11.16)
一時期、人家が途切れる
<大熊集落以降>
 大熊集落を過ぎると、一時期県道沿いからは建物が消え、寂しくなる。峠からほぼ真北へと熊谷川の谷が下って来ていて、その中に道が通る。 谷は狭いが、深い峡谷などではなく、比較的空は広い。路面には時折かすれたセンターラインが見え隠れし、2車線路幅はまだ維持されている。
   
   
   
伊角付近
   
<伊角に>
 熊谷の県道起点から1km弱で大字伊角に入り、間もなく沿道に人家が現れる。この伊角(いすみ)集落は県道沿いの意外と長い範囲に渡って人家が並び、大熊集落より大きそうに思われた。
 
<バス停(余談)>
 集落の上部で新温泉町民バスの「伊角上」バス停が立つ(下の写真)。湯村温泉より伊角線というバス路線が当地まで来ているようだ。 昨日は湯村温泉の寿荘に宿泊したが、その並びが起点となるバスセンターであった。そして伊角上が終点で、これより峠方向にはバスは通じていない。

伊角集落 (撮影 2015.11.16)
   
伊角上のバス停 (撮影 2015.11.16)
   
<湯村温泉(全くの余談)>
 伊角などは旧温泉町の東の外れにある集落だが、その町の中心地は町役場もあった湯村温泉である。温泉町という町名はこの温泉から来ているのではないだろうか。新温泉町になってからは浜坂市街も町域に含まれ、町の中心はそちらに移ってしまったのかもしれない。
 
 湯村温泉はNHKのドラマ「夢千代日記」で一躍有名になった。その小説では「湯里温泉」という名で登場する。 今回、湯村温泉に初めて宿泊し、ドラマの撮影場所の荒湯とか夢千代の像、夢千代館を訪れた。 旅から帰ってからは、段ボール箱にしまっておいたビデオテープで夢千代日記を見てみた。何年振りかで動かすビデオデッキは巻き戻しが動作しなくなっていた。
 
 ドラマは山陰の日本海に近い寂れた温泉地を舞台にする。余部(あまるべ)鉄橋が寂しさの象徴として登場する。 現在、この山陰線の鉄橋は新しいものに架け替えられている。 ドラマの最後の方に、楠トシエ演じる末期がんで苦しむ芸者が、ケーシー高峰演じる親切だが医師免許を持たず警察に追われるニセ医者と、死出の旅に出る。 その哀れさは何とも胸を打つ。劇中では既に亡くなった俳優(中条静夫さんなど)や女優(加藤治子さんなど)の懐かしい顔も見られる。 自分もいい年になり、そのビデオテープにはもう溺れそうである。ドラマは更に「続」、「新」と続き、合計3部・20話全てを録画してあった。 こうした懐かしいドラマや映画のビデオテープは300本近く段ボール箱にあった。しかし、このまま見続けていては、私の生活はままならない。断腸の思いで捨ててしまうのであった。(余談でした)
   
<左岸へ>
 バス停の数10m先で道は熊谷川を左岸へと渡る。すると一挙に狭い道になった。再び「狭い道暮らし」に戻ることとなった訳だ。ただ、この程度の道は慣れっこである。特に何とも思わず、先へと進む。この先に恐ろしい道が待ち受けているとも知らず。
   

左岸の細い道に (撮影 2015.11.16)
左手に薬師堂が立つ

対岸の集落の様子 (撮影 2015.11.16)
柿の実がなる
   

人家が少なくなる (撮影 2015.11.16)
<集落の様子>
 川沿いにまだ伊角集落の家屋が続く。季節は晩秋で、土手沿いに立つ柿の木に赤い実がなっている。落ち着いた山里の風情だ。
 
 道は左岸のやや高みを行くようになる。集落の外れでおばあさんが一人、リヤカーを引いて坂道を登って行く。その先、沿道には人家も人影も見られなくなっていった。
   
おばあさんが一人、リヤカーを曳いて行く (撮影 2015.11.16)
   
   
   
伊角集落以降
   
<右岸沿い>
 熊谷起点から左岸沿いに約2km、伊角で右岸に移ってから峠まで残り約2.5km、合計4.5kmと道程は短い。標高も、地形図では熊谷起点に104mとあり、途中の伊角集落内で172m、峠は約370mだ。車で走れば何てこともない峠道である。
 
 概ね熊谷川の谷間は南北に真っ直ぐ通じる。道からの眺めは良い。暫く登ると川沿いの傾斜地に棚田が広がった。なかなか趣きのある景観だ。如何にも日本的である。

左岸沿いの道 (撮影 2015.11.16)
   
沿道の様子 (撮影 2015.11.16)
谷の奥に棚田を望む
道路沿いには電気柵が張り巡らされていた
   
 そうした田畑を守るために、道路沿いにも電気柵が設けられていた。注意看板も立っている。シカなどの害があるのだろう。
   
沿道の様子 (撮影 2015.11.16)
   

麓方向を振り返る (撮影 2015.11.16)
<つづら折り>
 棚田の付近を過ぎると、屈曲が始まる。ちょっとしたつづら折りだが、険しさはない。周囲は平坦地が多く、依然として開けていて見通しが良い。非常に穏やかな峠道である。つづら折りに差し掛かる付近からは、伊角から桧尾へと入って行く。
   
<峠直前>
 道は終始、熊谷川の左岸を登り、峠の直前まで道の左手に川筋を望む。峠は正しく熊谷川の源頭部に位置する。

峠直前 (撮影 2015.11.16)
   
   
   
   
県道550号の峠 (撮影 2015.11.16)
手前が熊谷方向、奥が桧尾集落方向
この右手、電信柱の少し先に小さなお堂がある
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   
<峠>
 熊谷川を詰めた先がもう峠である。こうした地形からも、この峠が穏やかであることがうかがえる。峠の手前を右岸方向へと車道が分岐していたが、地図を見る限り、直ぐに行止りのようだ。
 
 峠はささやかな切通しだ。熊谷側からは200mくらいの直線路で登って行く。
 
<峠の地蔵>
 この峠は、地形的には矢田川水系と岸田川水系との分水界であるが、行政区画としては何の境にもなっていない。 その為もあってか、峠の部分には何の看板もない。一見すると、全く寂しい峠である。しかし、よくよく見ると峠の頂上の路傍に小さなお堂が佇む。 中に峠の地蔵が祀られていた。これが唯一、この峠の救いとなっている。
   

側らに小さなお堂 (撮影 2015.11.16)

五輪塔と地蔵菩薩 (撮影 2015.11.16)
   
<五輪塔と地蔵菩薩>
 お堂の中には一体の地蔵の脇に五輪塔も並ぶ。どちらも古そうなものだ。多分、自動車などまだない時代から、この峠を見守って来たものではないだろうか。 ちなみに、県道257号・山田浜坂線の峠にも地蔵が佇む。そちらには文化15年(1818年)と刻まれていた。場所が近く、同時代のものとも考えられる。
 
 尚、五輪塔と言えば宮沢賢治所縁(ゆかり)の五輪峠を思い出す。そこには大きな立派な五輪塔がある。五輪塔は供養塔や供養墓として建てられるそうで、重なった5つの石は上から空輪、風輪、火輪、水輪、地輪を表すとのこと。
 
 また、石仏の方は錫杖(しゃくじょう)と呼ばれる杖を持つ地蔵菩薩のようである。地蔵菩薩は仏教の六道輪廻(りんね)の思想に基づき、六地蔵あるそうだ。六地蔵越という峠もある。
 
 峠の地蔵も五輪塔も、今となっては粗末な物だが、この峠の歴史の貴重な伝承者であろう。
   

峠を桧尾集落方向から見る (撮影 2015.11.16)
<峠の桧尾集落側>
 峠の地蔵を過ぎると道は左にカーブし、桧尾集落方面へと下って行く。100m程の間、道の両側は擁壁などに囲まれ、この部分は暗い感じだ。
 
 擁壁を抜けた先で右手に分岐があったが、こちらも車が通れそうな状態ではなかった。地図では、峠の西に位置する大空山の近くまで続いているようだった。
   
   
   
峠の桧尾集落側
   
<桧尾の展望>
 峠から150mも下ると、もう目の前に谷間の景色が広がる。峠前後に急峻な傾斜地は少なく、この峠周辺は全く穏やかな地形だ。
   
峠の桧尾集落側に広がる景色 (撮影 2015.11.16)
   
<谷山川左岸>
 道は島井川の上流部の支流、多分谷山川という川の左岸沿いに下る。少し進むと沿道からもその谷間にある桧尾集落の建物が少し見えて来る。

沿道に建物が見える (撮影 2015.11.16)
   

右に分岐 (撮影 2015.11.16)
<桧尾分岐>
 直ぐに右への分岐点に差し掛かる。その道は一旦谷に下り、桧尾集落内を通り、その後、大空山から春来トンネル方向へと続く矢田川・岸田川の分水界となる尾根伝いに進み、春来(はるき)へと至る。
 
 古いツーリングマップ(関西 2輪車 1989年7月発行 昭文社)では、この道は全く記されていない。近年になって開削された道のようだ。 県道でも何でもない。また、これから進む味取への県道も険しい。やはり桧尾は今回の峠を越えて、熊谷との結び付きが強い集落だったようだ。
   
<県道の続き>
 県道550号の続きはその分岐を直進する。分岐の角には古そうな道路標識が幅1.9mを示していた。標識の支柱には案内看板が掛かり、現在地は「桧尾」、直進が「味取」、手前方向が「熊谷」、分岐する道の方には「春来」と記されている。
 
<桧尾>
 県道沿いからは、下の谷間に位置する桧尾集落は草木に埋もれてほとんど見えない。しかし、地形図ではこの周辺に10軒前後の家屋が示されている。
 
 文献(角川日本地名大辞典)によると、「桧尾」という地名は山頂部に位置することに因むのではないかとのこと。 「尾」というのが、「尾根」などとも通じる文字なのかもしれない。 熊谷川上流部に位置したとあり、確かに大字としてはその範囲も含むが、現在人家が見られるのは、峠を矢田川水系側に越えた所である。
 
 当地を通り、旧村岡町の味取に通じる道が古来より通じていたそうだ。現在の県道550号の前身の道には、古い歴史がある。やはり峠の地蔵も古い物だろう。
 
 江戸期から明治22年まで桧尾村が存在した。特産物は但馬牛、鎮守は春日神社、檀那寺は大熊集落にあった善住寺だそうだ。
 
 明治22年からは温泉村の大字となり、次いで昭和2年からは温泉町の大字、そして今は新温泉町の大字である。明治期からは住民が漸減し、昭和30年(1955年)の時点では、世帯数14、人口82だったとのこと。

県道脇に立つ看板 (撮影 2015.11.16)
現在地は桧尾
   

桧尾集落へ下る道 (撮影 2015.11.16)
ここからは人家は見られない

分岐より峠方向に見る (撮影 2015.11.16)
   
<桧尾の現状(余談)>
 桧尾集落についてちょっとweb検索してみると、HEYANEKOさんのブログに見付かった。 調べてみると、廃村を扱った「HEYANEKOのホームページ」とは相互リンクさせて頂いてたのだった。「峠と旅」とほとんど同時期の1997年7月の開設である。「峠と旅」では単なる物見遊山の旅の対象として「峠」を扱っている程度だが、HEYANEKOさんは書籍も出し、「廃村」に対する取組は深い。
 
 HEYANEKOさんのブログによると、平成22年(2010年)6月現在、住民は少ないながらもまだ居られた様子だ。一人のおばあさんと出会っている。 私が訪れたのはそれから更に5年以上の月日が経つ。集落内には降りて行かなかったが、県道沿いからうかがう限り、何となく寂れた雰囲気が漂っていた。 桧尾が無住の地となるのもそう遠いことではないように思われた。

  
県道途中から僅かに見えた桧尾集落の建物 (撮影 2015.11.16)
  
<峠集落(余談)>
 当峠を通過する岸田川・矢田川の分水界は、峠の1km程北から先の日本海まで、ほぼ香美町と新温泉町との町境となっている。 しかし、当峠付近から南の春来トンネル近辺までは、新温泉町の町域である。町境はやや矢田川水域側にずれて通る。現在、この区間の分水界には桧尾から春来に至る車道も通じている。
 
 これは想像だが、この近辺の分水嶺は比較的地形が穏やかで、分水界を挟んで一つの集落が形成され易かったのではないだろうか。 桧尾集落はその典型であろう。現在、熊谷川上流域に人家は見られないが、かつてはそちらにも桧尾集落の住民が居たかも知れない。 あるいはそこにあった田畑は桧尾集落の者が耕す田畑であった可能性もある。 単に分水界をもって行政区画割をしてしまうと、当地周辺に住む者にとって不都合であった。地形的には矢田川水系側にあっても、人と人との結び付きは熊谷川流域との間の方が強かった訳だ。
 
 峠の切通し部分にはさすがに人家は建てられないだろうが、峠を挟んだ両地域は一つの村として形成されていった。桧尾はやはり「峠集落」と言ってよいと思う。
  
この先が険しい県道 (撮影 2015.11.16)
右は桧尾集落へ
   
<不吉な予感(余談)>
 桧尾集落への分岐点に立ち、県道550号の味取方向を眺めていると、何となく不吉な予感がするのだった。 元々、県道257号で峠を越えるところ、通行不能の為、予定外にこの地までやって来てしまった。 改めてツーリングマップルを確認すると、一応、県道550号はこの先の味取へと通じることになっている。しかし、どうもいやな雰囲気だ。
 
 入口には車幅制限やら「冬期間 この先 通行止」の看板が立つ。道の様子も見るからに寂れている。桧尾集落へと下る道の方が、まだましなような気がする。 妻などははなから右折するものと思っている始末。しかし、そちらの道も怪しいものだ。集落がありそうで、それでいて人気が全く感じられないのだ。 集落全体が谷間の中で草木に埋もれ、静まり返っている。峠を越え、何だか異次元の地に降り立ってしまった感じである。
   
   
   
桧尾集落以降
   

春日神社付近 (撮影 2015.11.16)
<分岐以降>
 早くこの地を脱したいという焦りに駆られ、県道550号を分岐点の先へと進む。直ぐ左手に建屋を見る。地図ではこの奥の林の中に村の鎮守の春日神社があることになっているが、樹木が生い茂り沿道からはほとんど見えない。
 
<古道?(余談)>
 峠道の場合、古道は付き物だ。峠の北の熊谷川上流部では、一部のつづら折りを除き、ほとんど川筋を真っ直ぐ峠へと登っていた。現在の車道と古い道とはほとんど重なるであろう。
   
 一方、南の島井川水域側ではどうであろうか。県道は鳥居川の支流沿いから鳥居川本流沿いへと下り、矢田川沿いの味取へと至る。 それ程変則的なルートではない。
 
 ところが、地形図では春日神社付近から谷筋を離れ、北の赤谷川水域との境を成す尾根伝いに、味取まで下る徒歩道が描かれている。県道のルートより距離は短い。比較的起伏の単調な尾根を下るので、険しさもなさそうだ。これが元の峠道であった可能性を否定できない。
 
 県道沿いに建屋を目撃した少し先で、逆Y字に集落方向に下る道が右手に分かれる。それとは反対側に、尾根へと登る山道があった。後から思うと、それらが桧尾集落から味取へと至る元の峠道ではなかったか。
   
<道の様子>
 道は谷山川と思われる川の谷の左岸に通じる。道の右手が谷となる。谷は大きなものではなく、険しい山岳道路という様子はない。こじんまりしたものだ。樹木が多く、視界も広がらない。
 
 ただ、道ばかりがやたらと狭い。急な斜面に車が通れるだけの最低な平坦部を削り出したという感じだ。 左手の壁は目の前に迫り、右手の谷底はどこにあるか分からない。 道路標識では車の最大幅1.9mとあった。幅1.9mを越える車は通行禁止、逆に言えば1.9m以内の車は通れるということだろう。しかし、軽自動車は車幅が約1.4mだが、それでも一杯一杯だ。

道の様子 (撮影 2015.11.16)
   

道の様子 (撮影 2015.11.16)
車道としては非常に狭い

道の様子 (撮影 2015.11.16)
これでも舗装路だ
   
 それにガードレールが皆無だ。ガードレールを設置する場所のゆとりもないようである。それでも見通しが良い道なら、路肩を外さずゆっくり進めばいい。ところが急なブラインドカーブが多いのだ。カーブの先が全く読めない。毎回、恐る恐るカーブを曲がる。
 
 こういう道での一番の問題は対向車だ。狭い急カーブのある道では、車をバックさせるのは容易なことではない。それに、待避所として利用できるような広い路肩をほとんど見掛けない。こうなると、対向車が来ないことを祈るばかりだ。
   

道の様子 (撮影 2015.11.16)

道の様子 (撮影 2015.11.16)
ブラインドカーブ
   

道の様子 (撮影 2015.11.16)
 路面は一部に簡易なコンクリート舗装もあるが、全般にアスファルトによる舗装が行き届いている。 路面に落ち葉が堆積し、見た目は未舗装林道のような所もあるが、その点は何ら問題ない。ただ、枯れ枝は注意だ。目立つ物は車を停めてどけたが、結局引っ掛けてしまったのが後で分かった。
 
 今回の運転はさすがに私が担当した。妻は助手席に座りながらも、やたらと緊張している。それが私にも伝染して来た。今は支流の谷の上部を行く。 こうした峠道の場合、島井川本流沿いになれば、道はグッと安定する筈だ。そこまでの辛抱と妻に語り掛けながらも、自分自身にも納得させるのであった。
   
   
   
町境
   
<町境>
 桧尾分岐より1.5km程で町境に達する。何の変哲もない山の中に、ポツリと町境を示す看板が立つ。建物どころか道路標識の一つもないこの沿道に、少しは彩を添えている。

向こうに町境の看板が見える (撮影 2015.11.16)
   
町境 (撮影 2015.11.16)
「香美町」とある
ここもブラインドカーブ
   

「新温泉町」の看板 (撮影 2015.11.16)
<県境看板>
 峠方向には「新温泉町」、麓方向には「香美町」と、どちらも新しい町名になっている。看板も新しそうだ。道の状況とは対照的である。
 
<村岡区味取>
 峠の香美町側は旧村岡町で、その大字味取(みどり)であった。現在は村岡区味取という住所名になっているようだ。この町境から村岡区味取で矢田川沿いに通じる主要地方道4号に合するまで、残り約3kmとなる。
   
   
   
町境以降
   
<谷が広がる>
 町境から少し下ると、谷底がやや広がる。沿道にもちょっとした草地が見える。峠方向を振り返ると、空が開けた谷間が広がった(下の写真)。険しさが緩み、少しホッとさせられる。
 
 その後もまた狭い谷に戻るのだが、谷が随分浅くなった。川面が見える程ではないが、川筋に近い所に道が通じる。恐怖感はずっと薄らいできた。それに、僅かながらもガードレールが出て来た。ガードレールが設けられる程、道幅に余裕があるということだ。

やや穏やかな谷間に (撮影 2015.11.16)
   
峠方向を望む (撮影 2015.11.16)
やや広い谷が広がる
   

島井川沿い (撮影 2015.11.16)
川面が近い
<島井川沿い>
 沿道から川面が見えるようになると、そこは島井川本流である。ここはもう、ちょっと険しい峠道という程度だ。 道幅は依然として狭いが、先程までの恐怖感はない。本流の谷ということもあり、勾配も屈曲も穏やかだ。 こうしたしっかりした流れに沿うようになると、峠道も後半戦である。道は島井川左岸にぴったり沿って下る。
   
<穏やかな道に>
 川沿いに下れば下る程、その分目に見えて道は良くなっていく。高い擁壁などで、十分の道幅か確保されていく。

道幅が増す (撮影 2015.11.16)
   

採石場か (撮影 2015.11.16)
<採石場>
 谷が広がり、周辺の見通しも良くなる。対岸に岩肌が露出した山腹が望めた。採石場だろうか。
   
 谷はV字に広がり、空が広くなる。沿道には花壇も見られ、人里は近い。

道の様子 (撮影 2015.11.16)
   

採石場への入口 (撮影 2015.11.16)
<味取採石場>
 右手の島井川を渡って道が延びる。入口に「味取採石場」と看板があった。その奥で重機が作業していた。
   
<採石場以降>
 採石場と県道4号との間を大型トラックが行き交う筈だ。その為もあってか、道幅は一段と広くなる。やや埃っぽい路面が続く。

道の様子 (撮影 2015.11.16)
   
   
   
味取集落から県道4号へ
   

集落へ (撮影 2015.11.16)
<味取集落>
 道が島井川の谷を抜けると同時に、味取の集落に入る。味取は矢田川の中流域に広がるこじんまりした集落で、主に左岸に人家が集まる。周辺には矢田川の広い谷間が広がる。
 
 ところで、先程から軽い異音がする。何か車に異常があるようだ。集落内に入り、ひと安心したところで、路肩にパジェロ・ミニを停める。 車の底を覗いてみると、枯れ枝が引っか掛っていた。外すのに少し手こずる。幸い車にダメージはなさそうだ。 寂れた県道だったので、こうした枯れ枝程度は仕方がない。パンクなどのトラブルに遭わなかっただけ、ましだったと思う。
   
<矢田川を渡る>
 道は数100m、集落内を走る。その先で矢田川を味取橋で右岸へと渡る。矢田川沿いに通じる県道(主要地方道)4号・香住村岡線は右岸沿いに通じるのだ。

味取の集落内 (撮影 2015.11.16)
   
味取橋で矢田川を渡る (撮影 2015.11.16)
   

味取の俵石 (撮影 2015.11.16)
飛び出し君も居る
<味取の俵石(余談)>
 橋の袂に「味取の俵石」と標柱が立ち、傍らに石が幾つか並ぶ。文献にも味取の地は玄武岩の柱状節理で知られていることが記されている。 ただ、味取橋の袂にあるのは、岩でちょっとした庭園のような趣を出しているだけである。道路地図では、県道4号沿いに柱状節理があることが示されている。 この後、県道4号沿いを走ったが、それらしき物がどうしても見当たらず、見学は諦めたのだった。
 
 味取橋の上からは矢田川が広く眺められた(下の写真)。
   

矢田川を下流方向に見る (撮影 2015.11.16)

矢田川を上流方向に見る (撮影 2015.11.16)
   
<県道4号へ>
 矢田川右岸に出ると、一旦集落内に通じる県道4号の旧道に突き当たる。そこをどちらに行ってもバイパスを通って来た県道4号に出る。これにて県道550号の峠道は終着である。

左ルートから県道4号へ (撮影 2015.11.16)
   

道の駅にあった看板 (撮影 2015.11.16)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
<道の駅(余談)>
 県道4号を矢田川下流方向に少し向かうと、道の駅「あゆの里矢田川」がある。険しい峠道で疲れたので、ここで一休み。付近の観光案内看板があり、ここでも「味取の俵石」が紹介されていたが、結局行き方が分からずじまいだった。
   
   
   
 当峠を訪れる直前、県道257号を峠まで往復して来たのだが、峠直前は未舗装路となり、それこそ山の中にうずもれそうな道であった。 正確には峠前後は林道扱いで、特に峠の香美町側が通行止となれば険しいのは当たり前だ。それでも、こちらの県道550号の方が怖さを感じた。 道路地図を見る限り普通に通れそうな県道で、それでいてあの寂れよう、あの狭さである。峠道慣れした我々夫婦でも、久しぶりに味わう恐怖であった。 何も知らずにやって来た一般人には、あまりにも酷ではないかと思う、熊谷味取線の峠であった。
   
   
   
<走行日>
・2015.11.16 熊谷 → 味取 パジェロ・ミニにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、 こちらを参照 ⇒  資料
 
<参考動画(youtube)>
熊谷味取線の峠/熊谷側
熊谷味取線の峠/味取側
 
<1997〜2016 Copyright 蓑上誠一>
   
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