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序 |
<峠名> |
<所在> |
(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです) |
<内ヶ谷の立地> |
内ヶ谷より峠へ |
<宮ヶ洞橋以降> |
<内ヶ谷集落への旧道分岐> |
右に旧道 (撮影 2016.10. 9) かつて黒田峠を越えて内ヶ谷集落に通じていた道筋 |
宮前橋の手前 (撮影 2016.10. 9) この左手に黒田林道の峠への道が分かれる |
<黒田峠旧道分岐> |
黒田峠への旧道入口 (撮影 2016.10. 9) 1994年9月に訪れた時は、この道を登って行った |
分岐近くにある橋には「宮前橋」とある (撮影 2016.10. 9) |
<内ヶ谷トンネルへ> |
<トンネル直前> |
道の様子 (撮影 2016.10. 9) |
地蔵橋を渡る (撮影 2016.10. 9) 地蔵谷に架かる橋 |
<旧道からの眺め> |
内ヶ谷トンネル直前 (撮影 2016.10. 9) |
<内ヶ谷トンネル> |
<坑口の様子など> |
内ヶ谷側の扁額 (撮影 2016.10. 9) |
落部側へ |
内ヶ谷トンネル内 (撮影 2016.10. 9) |
<内ヶ谷トンネル内> |
<坑口の様子> |
落部側の扁額 (撮影 2016.10. 9) |
銘板 (撮影 2016.10. 9) 「1990年12月完成」とあるが、 実際に一般車が通れたのは数年の後 |
<旧道の様子> |
峠方向の旧道 (撮影 2016.10. 9) 流水が激しい |
麓方向の旧道 (撮影 2016.10. 9) |
<黒田峠> |
<黒田亀尾島林道> |
落部側に下る |
<落部側に下る> |
<道の様子> |
道の様子 (撮影 2016.10. 9) あまり視界は広がらない |
距離の看板 (撮影 2016.10. 9) 「74」は7.4kmの意味 |
左に分岐 (撮影 2016.10. 9) |
<黒田集落> |
左に分岐 (撮影 2016.10. 9) この奥に黒田集落があったのか |
左に分岐 (撮影 2016.10. 9) |
<展望> |
<林道相生〜落部線> |
右に林道相生〜落部線分岐 (撮影 2016.10. 9) |
林道関係の看板 (撮影 2016.10. 9) |
<樹魂(余談)> |
樹魂の碑 (撮影 2016.10. 9) |
ゲート箇所 (撮影 2016.10. 9) |
<ゲート箇所> |
道路情報看板など (撮影 2016.10. 9) |
通行規制看板 (撮影 2016.10. 9) |
ゲート箇所以降 |
<支流の川を渡る> |
「この先 一般車両に注意」の看板 (撮影 2016.10. 9) |
<家屋や耕作地> |
造成地 (撮影 2016.10. 9) |
耕作地など (撮影 2016.10. 9) |
<宮前集落へ> |
集落内へ (撮影 2016.10. 9) |
2車線路 (撮影 2016.10. 9) 右手の下に人家 |
<道の様子> |
<T字路> |
落部谷川沿いに出る (撮影 2016.10. 9) |
分岐に立つ看板 (撮影 2016.10. 9) 県道52号はT字路を右折 |
分岐に立つ看板 (撮影 2016.10. 9) 左折が県道52号、直進は「行き止り」とある |
落部谷川沿いの道に出た (撮影 2016.10. 9) |
<穏やかな地形> |
落部公民館付近 (撮影 2016.10. 9) バス停が立つ |
<落部谷川沿いに下る> |
<ぎふ大和ICへの分岐> |
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これまで「黒田林道の峠」と記憶していた峠の名を知ることになり、少しすっきりした気分だ。名前があるかないかでは、峠に関するイメージもちょっと変わって来る。
ただ、22年振りの峠の再訪ができなかったのは、後から考えるととても残念だ。峠に立つ開通記念碑などもしっかり写真に撮りたかった。
以前乗り回していたジムニーやパジェロ・ミニに比べ、まだハスラーに対する信頼感が持てない気もする。それより何より、険しい道を走る自分自身の精神力が欠如してしまったようだ。
かつては、誰も住まない内ヶ谷の地で、激しい雷雨の夜、一人で野宿した経験もあるというのに・・・。最近はとにかく明るい内に宿に入って体を休めることばかり考える。
年は取りたくないものだと思う、黒田峠であった。 |
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<走行日> <1997〜2016 Copyright 蓑上誠一>
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