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四十八ヵ所越
  しじゅうはっかしょごえ?  (峠と旅 No.312)
  小佐渡山地を越え、赤玉と両津湾を結ぶ峠道
  (掲載 2020. 5.25  最終峠走行 2019.10.31)
   
   
   
四十八ヵ所越 (撮影 2005. 5. 2)
手前は新潟県佐渡市赤玉
奥は同市東立島・新穂瓜生屋など(久知河内方面)
道は新潟県道319号・赤玉両津港線
峠の標高は約380m (地形図の等高線より)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
上の写真は今から15年前の峠の様子
切通しの先が見通せるすっきりした峠だった
最近は草木が多く、やや暗い雰囲気になっている
 
 

   

<小佐渡山地の峠>
 前回の小倉峠に続き、小佐渡山地を横断する峠になる。比較的北部に位置する。この山地は低山ばかりなので、道が丘陵内を縦横に走り、峠道も単純ではない。現在の県道としては素直に一本通じるだけだが、かつては色々な道筋が通じていたようだ。こうした状況は小倉峠とも同様である。

   

<所在>
 住所も相変わらず複雑だ。峠の南(佐渡海峡に面する前浜方面)側は概ね佐渡市赤玉(あかだま)になる。こちら側を赤玉方面などと呼ぶこととする。
 
 峠の切通しは赤玉と佐渡市東立島(ひがしたつしま)との境になるようだ。
 
 峠を北(国中平野・両津湾)側に下ると、東立島、佐渡市新穂瓜生屋(にいぼうりゅうや)、佐渡市新穂正明寺(にいぼしょうみょうじ)、佐渡市東強清水(ひがしこわしみず)などの境を下って行き、 佐渡市久知河内(くじがわち、くじかわち)を経由、最終的に佐渡市下久知(しもくじ)に入って両津湾沿いに至る。
 
 峠道途中の東立島・新穂瓜生屋・新穂正明寺・東強清水に於いては人家などはなく、峠を北に下って最初に出て来る集落は久知河内になる。そこで、峠の北側は久知河内方面などと呼ぶこととする。
 
 尚、地名の「久知」について、最近では「くぢ」とルビを振ることもあるようだが、ここでは文献(角川日本地名大辞典)などに倣って「くじ」とした。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<水系>
 峠の赤玉方面側には、赤玉集落へと流れ下る赤玉北川(赤玉北川水系)と、東立島集落へと流れ下る東立島川の支流(東立島川水系)が見られる。峠はそのどちらかの源流部になるのだろうが、地形図ではなかなか読み取れない。
 
 峠の久知河内方面には久知川(久知川水系)が流れ下り、峠はほぼ久知川本流の源流部と言っていいような位置にある。

   

<峠名>
 地形図や一部の道路地図には「四十八ヵ所越」と出ていて、今回はこの表記に準じた。ツーリングマップルなどの一般の道路地図では「四十八ヶ所越」が多いようだ。 文献(角川日本地名大辞典)では「四十八か所越」と記している。「カ、ヵ、ケ、ヶ、か、ゕ、箇」などいろいろな書き方があり、ネット検索などではどれを使っていいか迷うところだ。
 
 尚、読み方は普通に「しじゅうはっかしょごえ」だと思うが、何の証拠もない。

   

<峠道について>
 四十八ヵ所越について文献の小佐渡山地の項に、赤泊街道・松ケ崎街道・清水寺越などと並び、「前浜(南佐渡海岸線部の総称)と国中平野を結ぶ道」と記されている。しかし、現在の峠に通じる県道319号は、前浜(まえばま)と両津湾を結んでおり、あまり国中平野方面を結ぶ道とは言い難い。
 
 また、文献では道の途中に「杉池とひょうたん池」があるともしているが、これらの池は四十八ヵ所越から分かれる林道を1.3Km程行った所(杉池園地)にある。どうもこうした点がしっくり来ない。

   

<郷坂越>
 ところで赤玉集落の背後、小佐渡山地主脈上に国見山(くにみやま、629m)がある。文献ではこの山の項で、「赤玉から国見山を越え黒滝山を経て佐渡郡新穂村瓜生屋に通じる道を郷坂越といい、かつては前浜と国中平野を結ぶ重要な交通路の1つであった。近くにミズバショウの群生する杉池がある」と記す。前の四十八ヵ所越に関する記述も、どうもこの「郷坂越」のことを言っているように思える。また、ある古地図の複製では国見山を「クニミ峠」と記していて、この山を経て小佐渡山地を越える峠道が存在したことをうかがわせる。
 
 現在、県道の通じる四十八ヵ所越の前身が郷坂越
なのかもしれない。前浜側の赤玉を起点とすることは共通のようだ。 ただ、向かった先が大きく異なる。郷坂越は国見山を越えた後、多分北西方向に延びる支尾根上を進み、現在の佐渡市新穂瓜生屋(にいぼうりゅうや)へ向かったと想像する。 黒滝山とはその支尾根上にある山ではないだろうか。佐渡の中心地は、かつては国府が置かれた国中平野のやや南側で、現在の市役所がある佐渡市千種近辺になる。 郷坂越の峠道もそちら方面を目指したものだろう。

   

<峠道の役割>
 一方、現在の四十八ヵ所越を越える県道319号は、国中平野北端の両津湾沿いへと直接下る。新潟港との間に大型フェリーが就航する両津港にも近い。 かつては本州側に面した小木(おぎ)港などが佐渡島への表玄関であったようだが、近代以降は大型船も着岸できる両津港が物流・観光の主要港になっている。 土産物屋なども並ぶ両津港フェリーターミナルの賑わいは、市役所周辺に広がる市街地などと比べても、やはり佐渡随一に思える。今の四十八ヵ所越は、前浜海岸沿いの赤岩やその周辺の集落と、賑やかな両津港方面を結ぶ峠道としての役割を担うものと思う。

   
   
   

赤玉より峠へ

   

<前浜海岸沿い(余談)>
 前浜(まえばま)海岸のほぼ中央に位置する松ヶ崎から北端の姫崎方面へと県道45号(主要地方道)・佐渡一周線を進む。前浜は全般的に島や岩礁が乏しく、出入りの少ない単調な海岸となる。 その中で、松ヶ崎の鴻ノ瀬鼻(こうのせばな)灯台が立つ鴻ノ瀬鼻は、本州とを隔てる佐渡海峡に最も突出している。古くは本州に最も近い港として栄えたそうだが、入り江のない海岸線は大型の船には適さず、今は港としての機能は持たないようだ。
 
 佐渡島では、広々とした国中平野を走るより、やはり大佐渡・小佐渡山地の海岸線を走った方が面白い。 島の輪郭をなぞるように通じる佐渡一周線は改修が進み、多くはセンターラインもある快適な道へと変わって来た。 しかし、松ヶ崎から先は昔ながらの1.5車線幅の道が暫く続く。岩首(いわくび)、東鵜島(ひがしうしま)といった小さな集落を過ぎる。
 
 小佐渡山地の山裾が海岸線ギリギリまで迫り、海岸沿いに平地は少ない。小佐渡山地を水源とする小河川が佐渡海峡に流れ込み、その河口に小さな三角州が形成されている。その三角州上に肩を寄せるようにして集落の人家が並ぶ。
 
 現在、こうした前浜沿いの集落と国中平野方面とを結ぶ道は、前回の小倉峠(県道181号)や今回の四十八ヵ所越(県道319号)などに集約され、本数は少ない。 しかし、かつては各集落の背後の山を直接越えて峠道が通じ、それらも活用されたものと思う。東鵜島の背後に通じる清水寺越などがその一例だろう。
 
 東鵜島から先は快適な2車線路に戻った。柿野浦、豊岡、立間の集落を過ぎる。

   

県道45号沿いの赤玉集落内 (撮影 2019.10.31)
姫崎方向を向く
左手に「ここは赤岩です」の看板が立つ

<赤玉>
 前浜海岸はおよそ36km、その間に25の集落が点在するそうだ。赤玉(あかだま)もその一つとなる。 赤玉北川、赤玉中川、少し離れて赤玉南川の3つの河川が流れ下っていて、それらの三角州が連なる800m程の海岸線に沿って人家が分布する。集落内には三階建ての農協事務所や郵便局も見られ、比較的大きな集落である。
 
<赤玉村>
 江戸期からの赤玉村。明治22年に赤玉村他・岩首村・東鵜島村・柿野浦村・豊岡村・立間村・蚫(あわび)村の計7か村が合併して岩首村が成立、旧赤玉村は岩首村大字赤玉となる。昭和29年からは両津市の大字と続き、現在は佐渡市赤玉である。

   

<県道319号分岐>
 細長い赤玉集落のほぼ真ん中ぐらいから四十八ヵ所越に通じる県道319号が分岐する。赤玉郵便局の近くである。青い道路看板には、「杉池 Sugiike」、「久知川ダム Kujigawa Dam」と案内がある。

   

赤玉郵便局前 (撮影 2019.10.31)

県道319号の分岐を示す看板 (撮影 2019.10.31)
   

<迂回路>
 赤玉などの前浜沿いの集落から両津港方面に出るには、このまま県道45号を姫崎経由で進むのが一般的のようだ。 道路地図を見ると、四十八ヵ所越の2倍もの距離があるように思えるが、やはり道が快適なのだろう。実際にも、四十八ヵ所越の峠近辺では一台の車ともすれ違わなかった。小佐渡山地の北側半分では、実質的に小倉峠しか実用的な峠道はないということになる。
 
 ただ、県道45号が何かの都合で不通となった場合の迂回路の役目が四十八ヵ所越にあるようだ。 分岐の角に「両津港方面 迂回路」という立て看板が県道319号方向を指している。 普段は「解除中」と札が貼られているが、県道45号が工事などによる通行止の場合、迂回路として示されるのだろう。実際にも2019年に訪れた時、この先の東立島から野浦の間で時間通行止となる旨、両津港の観光案内所に掲示されていた。

   
県道319号分岐の様子 (撮影 2019.10.31)
速度制限50の標識の下に、「両津港方面 迂回路」の看板
   

県道319号へ (撮影 2019.10.31)
この先のカーブミラーにはカーブ番号はまだない

<県道319号へ>
 分岐からは直ぐに狭い急な坂道が始まる。県道45号の路面上以外、集落内にほとんど平坦地がないのではないかと思われる程だ。
 
 集落内はほぼ赤玉中川沿いの急坂に沿って人家が奥へと立ち並ぶ。赤玉中川や赤玉南川は土石流危険渓流に指定されている。一方、県道319号は赤玉北川方面へ迂回してS坂を登る。

   
県道319号側より分岐を見る (撮影 2019.10.31)
県道45号の向こうに佐渡海峡が横たわる
   

<集落上部へ>
 道は赤玉北川方面から赤玉中川側に戻って来る。そこはもう集落の上部で人家はなく、代わって農作業小屋や倉庫の様な建物が散見されるばかりだ。
 
<15年前>
 2005年5月にやはり赤玉側から四十八ヵ所越を目指したことがある。春の穏やかな陽気の日だった。今回(2019年10月)の峠の旅はそれに続く2回目となる。どんな変化があったか、写真を見比べてみようと思う。


集落上部へ (撮影 2019.10.31)
   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2005. 5. 2)
以前の方が沿道に並ぶ稲木(いなぎ、刈り取った稲を天日干しする時に使う)が多かったようだ
今はそれだけ稲作の量が減ったのかもしれない
   

<小佐渡山地を望む>
 集落が途切れ、周囲に遮る物が無くなったので、山の上方に小佐渡山地が望めるようになった。峠が通じる鞍部は右手の山陰になり、見えて来ないようだ。

   
小佐渡山地を望む (撮影 2019.10.31)
   

<集落真上の棚田>
 集落から更に上へと続く山の斜面には棚田が築かれている。赤玉北川と赤玉中川とに挟まれた尾根が比較的緩やかな傾斜になっていて、そこを中心とした一帯に棚田が広がる。道はその只中を小佐渡山地を眺めながら登り始める。


棚田の中を登る (撮影 2019.10.31)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   
小佐渡山地を望む (撮影 2019.10.31)
   
   
   

集落真上の棚田内

   

<改田の碑など>
 登り始めて間もなく、棚田の中の赤玉集落を眼下に望む地に石碑や看板が立つ。

   
改田の碑など (撮影 2019.10.31)
   

赤玉保全会の看板 (撮影 2019.10.31)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<赤玉保全会の看板>
 この「多面的機能支払事業」と題した看板は以前にはなかったと思う。赤玉地区は赤玉石の原産地として知られ、地名もその赤玉石に由来するそうだ。 「赤玉保全会」とあったので、その赤玉石の保全かと思ったが、そうではなかった。地区全体の保全のようだ。看板の写真は集落の人々、集落上部の棚田、赤玉中川源流部にあるひょうたん池だと思う。

   

<赤玉石>
 気になるのは看板横の石碑である。上に大きな赤い石が鎮座している。赤玉石というのが実際どんな物か知らないが、多分その石が赤玉石なのだろう。なかなか珍しい石に見える。佐渡の観光ガイドなどでは、「日本三大名石の一つ 佐渡赤玉石」と紹介されている。大きな物は庭石などに、またペンダントやブローチなどの加工品も作られたそうだ。ただ、乱掘が続き、現在ではもうほとんど産出されていないようだ。

   
小佐渡山地の峰をバックにした改田の碑 (撮影 2005. 5. 2)
赤い石碑は青空に映えていた
   

<改田の碑>
 しかし、表面には「改田」と刻まれ、新潟県知事の書であることが記されているだけだ。これが赤玉石かどうかは定かでない。

   

改田の碑 (撮影 2019.10.31)

これは赤玉石なのか? (撮影 2019.10.31)
   

<碑文>
 この石碑は棚田の改修事業に関するものらしい。碑文を詳しく読んだ訳ではないが、赤玉石については触れられていないようだ。碑文の最後に「昭和59年10月吉日 建之」とある。


碑文 (撮影 2019.10.31)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<水田>
 15年前に訪れた時は、田に水が張られ、苗が植えられたばかりの頃だった。棚田はこうした水田の時期か、秋の黄金色の稲穂が実っている時期が見栄えがする。

   
水田の様子 (撮影 2005. 5. 2)
   

<改田の碑以降>
 道は赤玉石らしき石碑を過ぎると、赤玉北川を渡ってその左岸へと移って行く。棚田の中央部から外れて行く方向だ。一方、赤玉北川と赤玉中川の間のなだらかな尾根上をそのまま登って行く道もあるようだ。多分そちらが峠道の旧道であろう。現在の県道は斜面の直登を避け、赤玉北川左岸を蛇行して登る。

   
棚田途中より集落方向を見下ろす (撮影 2019.10.31)
   
棚田の様子 (撮影 2019.10.31)
赤玉北川左岸側から望む
   

<赤玉北川左岸沿い>
 尾根筋をそのまま登ると赤玉北川・南川が接近し、尾根が細る。道はその区間を避け、赤玉北川左岸の上部へと登って行く。棚田の代わりに傾斜地には果樹園が造られていた。オレンジ色した柑橘系の実がなっていた。道はその間を縫って登る。

   

果樹園 (撮影 2019.10.31)

果樹園の中を登る (撮影 2019.10.31)
   

<小佐渡山地を望む>
 果樹園を過ぎると道はほぼ峠方向に向かって進む。谷の底の棚田は見えない。以前は小佐渡山地の稜線が望めたが、今は木々が多くて視界は広がらない。

   
小佐渡山地を望む (撮影 2005. 5. 2)
最近は視界は広がらない
   

<上部の棚田を望む>
 赤玉の棚田は集落の直ぐ上から始まるが、一旦尾根が細り、棚田も狭まる。しかし、標高150m位からまた赤玉北川・南川に挟まった尾根がなだらかに広がり、棚田も大規模な広がりを見せる。以前はその様子もうかがえた。

   
上部の棚田を望む (撮影 2005. 5. 2)
その中を道が蛇行して通じる
   

<工事個所>
 今は林の中の視界が広がらない道が続く。途中、工事個所があった。工事看板には「道路の拡幅をしています」とある。法面も新しくなるようだ。小倉峠はトンネルが通じたて快適になって行くが、こちらの峠道も県道45号の非常時の迂回路として、補修は欠かせない。

   

工事看板 (撮影 2019.10.31)
カーブミラーのカーブ番号は9
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

工事の様子 (撮影 2019.10.31)
   
   
   

上部の棚田

   

<尾根上へ>
 道はまた赤玉北川の川筋に戻り、川を渡って右岸へと入る。すると赤玉北川上流方向へと棚田が登って行く。更に進むと、赤玉北川・中川の分水界となる尾根の上へと道は躍り出る。 県道標識がポツンと立っていた。県道45号から分かれて以降これまで県道標識はなかったと思う。「県道 319 新潟 一般県道 赤玉両津港線」とある。

   

再び沿道に棚田が現れた (撮影 2019.10.31)
麓方向に見る

尾根上に躍り出る (撮影 2019.10.31)
ポツンと県道標識が立つ
   

<上部の棚田>
 ここより下流の赤玉北川・中川は近い距離でほぼ並行に下り、その分水界の尾根は細い。しかし、ここより上流側では、赤玉北川は四十八ヵ所越を源流とし、一方、赤玉中川はひょうたん池を源流としているので、尾根はどんどん広がって行く。そこに大規模な棚田が築かれている。

   
上部の棚田の様子 (撮影 2005. 5. 2)
対岸に僅かに県道が見える
   

<棚田の中の道>
 棚田の中には大きなS字を描いて県道が通じる。視界を遮る林がないので、パノラマのように景色が展開する。


棚田の様子 (撮影 2019.10.31)
   
棚田の上方を望む (撮影 2019.10.31)
   

<展望>
 峠の久知河内側は川筋に道が通じ、狭い谷間を行くことが多いので、ほとんど展望がない。その点、赤玉側の上部棚田の区間は展望が広がる。尾根上をクネクネと登る坂道は走っていて楽しい。四十八ヵ所越の峠道の中で最も印象に残った場所だ。

   
棚田の下方を望む (撮影 2019.10.31)
   

<棚田の様子>
 一般に棚田の中に通じる道は大抵が作業道で、狭くて走り辛いことが多い。時には見学者の車が事故を起こすこともあると聞く。 しかし、赤玉の棚田では県道になっているので、道幅は十分あり、勾配や屈曲も適切だ。その点でも安心して楽しく走れる。所々に農作業用の小屋がアクセントの様にして立つ。その中を道がゆったり登って行く。上部棚田の区間は2Km以上も続く。

   

道の様子 (撮影 2019.10.31)
麓方向に見る

道の様子 (撮影 2019.10.31)
麓方向に見る
   
棚田の様子 (撮影 2019.10.31)
麓方向に見る
この後、左奥の林の中へと道は入って行く
   
   
   

山間部

   

<山間部へ>
 棚田が尽きると、道は赤玉北川の上流部方向へと林の中に入って行く。それまでの展望は失せ、視界のない山間部の道となる。県道45号から分かれて4Km余りである。峠までは残り700m程だ。

   
山間部の道 (撮影 2019.10.31)
麓方向に見る
   

<郷坂越>
 一方、ひょうたん池を源流とする赤玉中川沿いには、かつて郷坂越と呼ばれる峠道が通じていた筈だ。但し、現在はそのような道筋は地形図には見られない。 僅かに、ひょうたん池から国見山まで登山道が延びている程度である。四十八ヵ所越から分かれた林道小佐渡線がひょうたん池方面にも通じている為、棚田から直接ひょうたん池へと登る道は使われず、もう廃道となってしまったのかもしれない。

   

<赤玉北川源流>
 林に入ってから何度かカーブを曲がった所で、道は赤玉北川源流を横切る。今は林の中に隠れて見付け難いが、右カーブの山側に地すべり防止区域の看板が立っている。上を見上げると、もう直ぐそこが小佐渡山地の稜線で、標高差で60mくらいしかない。

   

赤玉北川上流部へ (撮影 2019.10.31)

左手に地すべり防止区域の看板が立つ (撮影 2019.10.31)
   

地すべり防止区域の看板 (撮影 2005. 5. 2)

<赤玉山ノ越>
 その地すべり防止区域の看板にちょっと気になる地名が載っていた。「赤玉山ノ越」という。「山ノ越」などというのは如何にも峠道の様である。 実際にも看板の裏手から赤玉北川の川筋に沿って登れば、ほぼ稜線沿いに通じる林道小佐渡線を横切り、赤玉北川の源頭部となる主脈上の鞍部に至る(地形図)。その鞍部から更に久知河内方面に下ると、直下に通じる県道に出る。四十八ヵ所越を越えるより、ずっと短距離の峠越えだ。
 
 現在、そうした道があったような痕跡は全く見られないが、四十八ヵ所越に車道が通じる前の旧道である可能性は高いと思う。赤玉集落の住民が両津湾方面へと歩いて越えた峠道だったかもしれない。

   
地すべり防止区域の看板 (撮影 2005. 5. 2)
現在地は地図のほぼ中央
(当時のデジカメはまだ解像度が低く、地図は不鮮明)
   

<杉池県民休養地の看板>
 赤玉北川源流を横切ってからまた数100m進むと、正面に「杉池県民休養地」という看板が出て来る。

   

杉池県民休養地の看板fが現れる (撮影 2019.10.31)

杉池県民休養地の看板 (撮影 2019.10.31)
   

<小佐渡線分岐>
 看板の左手を見ると、やや鋭角に道が分岐している。入口に林道看板などが立ち、小佐渡線という名であることが分かる。以前は広域基幹林道・小佐渡線と呼んだが、最近は森林基幹道・(林道)小佐渡線となるようだ。この四十八ヵ所越側を起点とし、小倉峠側を終点とする。幅員5.0M、延長14.560KM。ほぼ小佐渡山地の稜線沿いに通じる。
 
 2019年に訪れた時は通行止の看板が立っていた。「この先土砂崩れ」ともあった。期限などは不明。

   

小佐渡線分岐 (撮影 2019.10.31)
この時は通行止

小佐渡線分岐を峠方向に見る (撮影 2019.10.31)
左が小佐渡線
   

<杉池入口>
 小佐渡線を1.3km程行くと、ひょうたん池などを有する杉池県民休養地がある。赤玉地区に於ける最大でほぼ唯一の観光スポットと言える。赤玉の観光案内図では、そのアクセス路となる林道小佐渡線を「杉池観光道」とし、この林道分岐は「杉池入口」とも呼んでいる。

   
以前の小佐渡線分岐 (撮影 2005. 5. 2)
杉池への案内看板が目立っていた
   

<以前の様子>
 以前来た時は「ようこそ赤玉杉池へ」とカラフルな看板が立ち、林道小佐渡線もよく整備されている様子だった。最近は看板の色もあせ、道も草木が煩そうである。あまり杉池県民休養地を宣伝しているようには見えなかった。

   
林道小佐渡線方向を見る (撮影 2005. 5. 2)
林道看板や林道標柱が立つ
   

<杉池園地>
 どうも最近の地図では杉池県民休養地とは記載していないようだ。「杉池園地」と書いていることが多い。地形図では単に「ひょうたん池」とあるばかりだ。

   
小佐渡線分岐を麓方向に見る (撮影 2019.10.31)
右が小佐渡線
右手の青い道路看板には、県道方向に「赤玉」、林道方向に「小倉、杉池」とある
杉池県民休養地の看板は隠れて見えない
   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2005. 5. 2)
   
   
   

杉池園地(余談)

   

<杉池園地へ>
 2005年に訪れた時は林道小佐渡線を走り、途中杉池園地(旧杉池県民休養地)にも立ち寄った。その前に、四十八ヵ所越の峠だけは見て来ようと思い、峠まで往復している。ここでは余談と知りつつ、杉池園地について少し触れたい。

   

 私達が立ち寄った時には園地の入口にまだ杉池県民休養地の看板が立っていた。どんな所かも知らず、気まぐれに散策することとした。奥の杉池大明神の所まで歩いて回ったが、30分以上かかってしまった。なかなか広い園地だった。
 
<杉池>
 杉池県民休養地の看板では、ひょうたん型の「ひょうたん池」と四角い「ため池」、それに杉池大明神の境内に小さな「杉池」が描かれている。「ため池」は赤玉の観光案内図では「赤玉池」となっていた。
 
 また園内の別の看板では、「杉池は杉池とひょうたん池の二つからなる」としている。ため池は人工的な池なので、それを除いた他の二つを指すのだろう。更に杉池大明神の境内の池を「元池」とも呼ぶようだ。佐渡の観光ガイドなどでは「原生林に囲まれた神秘的な池」と紹介されている。


杉池県民休養地の看板 (撮影 2005. 5. 2)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

 これらの池は小佐渡山地の分水嶺の頂上直下、標高450m近い所に位置する。赤玉中川の水源となるようだ。人工的なため池(赤玉池)は、赤玉地区の棚田の灌漑用として造られたのではないだろうか。

   

<水芭蕉>
 園地内には池や神社などを巡る散策路が通じる。ひょうたん池の北側の流水地には水芭蕉の群生が見られた。丁度白い花を咲かせている。妻は初めて水芭蕉を見たと言っていた。 私もこの時が初めてだったかもしれない。思いもかけず、いい経験をした。四十八ヵ所越を越える折りは、杉池園地に立ち寄るのがお勧めだ。

   

水芭蕉の群生 (撮影 2005. 5. 2)

水芭蕉 (撮影 2005. 5. 2)
   

整備の行き届いたため池(赤玉池) (撮影 2005. 5. 2)

 杉池大明神の境内の杉池(元池)の周りには杉の大木が林立している。しめ縄が巡らされ、御神木ともなっているようだ。これが「杉池」と呼ばれる由縁であろう。
 
 ひょうたん池も林に囲まれ、比較的自然な池に見えた。
 
 その一方、ため池(赤玉池)は護岸が整備され、その周囲には桜の木が植えられていた。池の背後には小佐渡山地の峰が望める。

   

<棚田遠望>
 園地から戻り、林道小佐渡線を少し小倉峠方向に進むと、赤玉中川の下流方向を見通せる箇所がある。斜面の中腹に棚田が見える。郷坂越の道はほぼこの方向に登って来たのだろう。

   
林道小佐渡線より赤玉の棚f田を望む (撮影 2005. 5. 2)
   
   
   

小佐渡2号線分岐

   

<蚫からの道>
 林道小佐渡線分岐から更に200m程登ると、今度は右に林道小佐渡2号線が分岐する。
 
 その数10m手前にも同じ方向に寂しい道が分岐していた。地形図では赤玉の 北隣の蚫(あわび)集落との間に軽車道が通じる。前浜海岸沿いから赤玉北川・東立島川(東立島川水系)の分水界の尾根上をこの地まで登って来ている。 道路地図によってはしっかりした車道が描かれているものも見掛ける。
 
 また、東立島川沿いに蚫の更に北隣の東立島(ひがしたつしま)や東強清水(ひがしこわしみず)方面とも繋がっていた形跡が見られる。

   

右に蚫へ通じる道が分かれる (撮影 2019.10.31)
林道小佐渡線分岐の少し手前

蚫への道の分岐を麓方向に見る (撮影 2019.10.31)
車が通れるのかもしれない
   

<別の峠道ルート>
 現在、四十八ヵ所越の車道は赤玉を起点とした県道319号だが、以前は蚫や東立島・東強清水の各集落との間にも直接峠道が通じていたようだ。自動車を用いない徒歩などで峠を越える場合、なるべく距離が短い方が有利である。
 
 しかし、現代の車社会では道の距離より道の程度が問題だ。四十八ヵ所越は県道319号の一本に集約された。 更にその峠越えの県道より、今は海岸沿いに遥か姫崎を経由する県道45号が使われる時代である。蚫や東立島、東強清水から登っていた峠道は、寂れる一方だろう。

   

前方が小佐渡2号線分岐 (撮影 2019.10.31)

<小佐渡2号線分岐>
 道はほぼ三叉路の様になっている。左がやや鋭く曲がって峠へ、右が林道の分岐である。どちらかというと、本線より分岐する林道の方が先に目に入って来るので、一瞬戸惑ってしまう。

   
小佐渡2号線分岐の様子 (撮影 2019.10.31)
カーブミラーのカーブ番号は27
   

林道看板など (撮影 2019.10.31)

<林道看板など>
 この道も森林基幹道の一つで森林基幹道・小佐渡2号線と呼ぶようだ。比較的最近開削された道なのか、手持ちの道路地図にはどれにも全く載っていなかった。地形図を見ると、姫崎方面とを繋ぐようで、やはり小佐渡山地主脈j沿いに通じる。
 
 林道看板を見ると、平成26年度(2014年度)竣工とあり、やはり新しい。しかし、2005年に訪れた時にも既に道は分かれていた。しかし、林道看板などはなく、正体不明の道であった。

   

林道標柱 (撮影 2019.10.31)

林道看板 (撮影 2019.10.31)
   

以前の小佐渡2号線 (撮影 2005. 5. 2)
開削直後なのか、草木が少なくすっきりしていた

以前の分岐の様子 (撮影 2005. 5. 2)
小佐渡2号線側から分岐を見る
林道看板などはなかった
  
以前の分岐の様子 (撮影 2005. 5. 2)
カーブミラーと小さな「両津港、久知川ダム」の看板しかなかった
  

<案内看板>
 また、今は県道方向に「赤玉」とか「両津港」と大きな青看板が立っているが、以前はカーブミラーの脇に小さく「← 両津港、久知川ダム」と案内があっただけだった。今もその小さな看板は残っているが、支柱が短くなって草に埋もれそうである。

   

以前からある看板 (撮影 2019.10.31)

新しい看板 (撮影 2019.10.31)
   

<分水界>
 小佐渡2号線分岐付近より県道の麓方向を望むと、赤玉北川沿いへとしっかり下っている。一方、蚫・東立島集落方面への道も概ね下って行くようだ。よって、小佐渡2号線分岐付近は赤玉北川と東立島川との分水界上にあると言ってよさそうである。

   

小佐渡2号線分岐より県道の麓方向を見る (撮影 2019.10.31)
県道脇の看板は山火事注意

山火事注意の看板 (撮影 2019.10.31)
   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2005. 5. 2)
左に蚫集落への道が分かれる
右側の裏側が見える看板は落石注意の標識
県道もまだまだ新しそうだった
   

<住所>
 また、この付近の住所も複雑になっている。県道沿線は赤玉、蚫・東立島集落方面への道を境に南側が蚫、北側が東立島となるようだ。小佐渡2号線は東立島へと進んで行く。 こうした住所になっているのも、赤玉・蚫・東立島の各集落から四十八ヵ所越へとそれぞれに道が通じていたからではないだろうか。

   

<峠へ>
 小佐渡2号線を背にして県道の先を望むと、直線路が延びて行く。見た目にはあまり峠の様ではないが、この先の切通しが四十八ヵ所越の峠になる。分岐に気を取られるので、不意に峠が現れたという感じだ。尚、どちらかと言えば、峠は赤玉北川水域になるように見える。

   

分岐より峠方向を見る (撮影 2019.10.31)

峠側より分岐を見る (撮影 2019.10.31)
   
以前の分岐の様子 (撮影 2005. 5. 2)
峠側より見る
開けた三叉路だった
   
   
   

   

<峠の様子>
 峠道は概ね南北方向に延びるが、峠部分は東西方向に通じる100m程の直線路となる。そのほとんどがやや深い切通しになっている。道のピークは少し西(久知河内方面)寄りにあるようだ。

   
赤玉方面側から見た峠 (撮影 2019.10.31)
   

<以前の峠>
 2005年に訪れた時は、林道小佐渡線を進む前に、峠だけは見ておこうと思ってここまで登って来た。現在と比べると、切通しの法面の草木が切り払われ、すっきりした峠であった。 県道の様子も新しそうに見え、補修が行われたばかりだったかもしれない。形の良いV字の切通しの向こうに西方の景色が見通せた。正面の山はひょうたん池背後にそびえる571mの山だと思う。

   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2005. 5. 2)
左が赤玉、右が東立島
   

<住所>
 小佐渡2号線に続く東立島が県道の北側、南側が赤玉になる。道は小佐渡山地の分水嶺を越えているが、その稜線は住所の境界になっていない。赤玉・東立島共にそのまま峰を越える。

   
峠より久知河内方面を見る (撮影 2019.10.31)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

峠より赤玉方面を見る (撮影 2019.10.31)

<標高>
 ツーリングマップルには小佐渡2号線分岐に370mと記載があった。峠の標高は地形図からは384mと出て来るが、それ程の標高差があるようには見えない。 峰が鋭く切り下げられているので、路面の高さは地形図が示すより低いかもしれない。約380mといったところだろう。
 
 
<峠の久知河内方面側>
 切通しを抜けた直線路は左に急カーブして下って行く。そのカーブ付近は頭上まで木々に覆われ、視界が全く広がらない。景色が眺められないのは峠として残念だ。

   

峠の久知河内方面側 (撮影 2019.10.31)

峠の久知河内方面側 (撮影 2019.10.31)
この先左に急カーブする
   
久知河内方面側より見る峠 (撮影 2019.10.31)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2005. 5. 2)
今より空が開けていた
   

 峠前後の直線路上はやや道幅が広がっているものの、車を停められるスペースに乏しい。遠慮がちに路肩に寄せて停めるしかない。


久知河内方面側より峠を見る (撮影 2019.10.31)
   
久知河内方面側より峠を見る (撮影 2019.10.31)
   

久知河内方面に下る道 (撮影 2019.10.31)
カーブミラーの番号は28番

<久知河内方面側の様子>
 峠の久知河内方面側は崖が鋭く切り落ちていて落差が大きい。木々がなければ見晴らしがよさそうだが、やはり何も見えて来ない。
 
 
<道の様子>
 下を覗くと樹間からアスファルト道が見えた(下の写真)。一旦、南へと下った県道が峠直下へと引き返して来ているようだった。

   

<峠名>
 ところで、四十八ヵ所越という名の由来について、文献や道路地図などからは何の手掛かりも得られない。「四十八ヵ所」などという地名は存在しないだろう。 カーブミラーにカーブ番号が書かれていたが、まさか48箇所のカーブがあるからなどという理由とも思えない。四国霊場八十八ヶ所に因み、佐渡にも八十八ヶ所の霊場があるようだ。 小倉峠の時に立ち寄った長谷寺(ちょくこうじ)にもその案内があった。しかし、こちらの四十八ヶ所とは何の関わりも見当たらない。
 
 また、四十八ヵ所越と関係の深そうな郷坂越の「郷坂」についても、その名の由来などは分からない。多分、小佐渡山地上の国見山より西の新穂瓜生屋(にいぼうりゅうや)地区内にある地名か坂の名と想像するばかりだ。


下に道が見える (撮影 2019.10.31)
   

<カーブ番号>
 カーブが多い峠道にはカーブミラーなどにカーブ番号が示されていることがままある。佐渡島に於いてもそれは珍しいことではない。 ちなみにこの四十八ヵ所越では、赤玉集落を抜けて最初に赤玉北川の左岸に入った所の左カーブに立つカーブミラーに1番と出ている。 その後もほとんど全てのカーブミラーに番号が書かれていて、峠の前後が27番と28番となる。久知河内側については、途中までしか走っていないので分からないが、44番までは確認している。
 
 すると、48という数値に俄然信ぴょう性が出て来る。車道開削や改修によりカーブの数には増減があるから、現在実際に48のカーブがあるとは限らないだろう。 そもそも48というのも正確な数値ではなく、「屈曲が多い」ということを表現したまでのことかもしれない。四十八ヵ所越は48箇所もの多くの屈曲があるのでそう名付けられたと想像するのは、あながち的外れでないような気がしてきた。
 
 長野県に四十八曲峠(千曲市・筑北村)という名の峠がある。ここは正にカーブが多いということに由来する。 佐渡の長谷寺(ちょうこくじ)や清水寺(せいすいじ)などは、奈良の長谷寺(はせでら)、京都の清水寺(きよみずでら)を模したとも伝わる。 もしかすると信濃の四十八曲峠を知っている者が、それに因んで四十八ヵ所越と呼んだのではないか、と思ったりするのであった。

   
   
   

久知河内方面へ

   

一旦南に下った道がここでUターンする (撮影 2019.10.31)
カーブミラーの番号は29

<久知河内方面へ>
 峠から久知河内方面に下る道は、最初は勾配がきつい。100m余り下るとUターンして北を目指すようになる。 そこまでの県道の左側は赤玉で、カーブを過ぎると新穂瓜生屋(にいぼうりゅうや)と変わるようだ。右側はもう暫く東立島が続く。
 
<旧峠?>
 そのカーブミラーが立つカーブを山側に望むと、もう直ぐそこに小佐渡山地の稜線が通る。標高差で10m余りしかない。 その鞍部は赤玉北川の源頭部に当たり、反対側に下れば地すべり防止区域の看板が立つ箇所に至る。やはり道らしい痕跡は見られないが、如何にも峠道が通じておかしくないように思える。赤玉側の傾斜が厳しく、車道は通せなかったのだろうか。また、蚫・東立島方面からの道としては、現在の四十八ヵ所越の方が都合がよかったのかもしれない。

   
カーブを稜線方向に見る (撮影 2019.10.31)
直ぐそこが稜線上の鞍部
   

<川沿い>
 旧道が通っていたかもしれない稜線の鞍部は、久知河内方面に下る川の源頭部でもある。久知川源流は大きく2本の流れに分かれるが、その片方だ。久知川本流と見ても良さそうである。
 
 道はその川に沿うようになる。暫く稜線に並行する形だ。2005年に訪れた時は、道が川沿いになったことで峠越えを確認し、ここより林道小佐渡線へと引き返したのだった。


川沿いの道 (撮影 2019.10.31)
   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2005. 5. 2)
この時はここまで来て引き返した
   

<峠直下>
 川筋を100m余り進むと、峠直下を通過する。見上げると、四十八ヵ所越の鞍部が直ぐそこにある。さっき、下を覗いた場所だ。

   
川沿いの道を峠方向に見る (撮影 2019.10.31)
左上が峠
   

<道の様子>
 久知河内方面の道は早くも川筋に通じ、暫くは細く暗い谷間を行く。視界は広がらず、頭上まで木々が覆う。
 
 それに比べると、赤玉側は川筋に沿う区間は少なく、開けた尾根上を行くことが多かった。棚田があったり果樹園があったりと変化に富んでいた。次に何が出て来るだろうか、どんな所を通るのだろうかと、ワクワクさせる峠道だった。
 
 しかし、久知河内側の谷に通じる道では、もう何も期待できそうにない。目に入るのは草木ばかりで、他に何か特別な物がある訳はない。ひたすら車を進めるばかりだ。


道の様子 (撮影 2019.10.31)
  

<柵>
 途中、木製の板による柵が設けられていた。土砂崩れ防止の為らしい。板には1から18の番号が書かれている。沿道で目に付く物といったら、この程度である。この後も数ヵ所で同様の柵が見られた。中には看板が設置されている柵があり、次のようにあった。
 
 落石注意
 この柵は石や土砂が道路に落ちてくるのを
 防ぐために設置しています。
 ご迷惑をおかけします。

  

道の様子 (撮影 2019.10.31)
1から18の番号が書かれた板の柵が設置されている

道の様子 (撮影 2019.10.31)
板の柵を峠方向に見る
   

対岸に看板 (撮影 2019.10.31)

<鬼太鼓の森>
 何もないと諦めていると、対岸の岸辺に看板を見掛けた。側に「鬼太鼓の森入口」と書かれた標柱も立つ。「朱鷺営巣木等保全整備実施概要図」と題された看板には、県道より南側の小佐渡山地北麓一帯の地図が描かれていた。
 
 この付近は自然の朱鷺が最後まで生息していた地域だそうだ。地図にある清水平池の湖畔には旧トキ保護センターがあったとのこと。図中のビオトープとは朱鷺の餌場となる水辺を確保している場所だ。また、鬼太鼓の森づくりと称して、木の文化を支える為の育樹を推進しているとのこと。
 
 ただ、車道側から鬼太鼓の森入口へと渡る橋は架かっておらず、付近に駐車スペースもないところを見ると、あまり一般人が入り込む場所ではなさそうだった。

   

「鬼太鼓の森入口」の様子 (撮影 2019.10.31)

看板 (撮影 2019.10.31)
地図は左がほぼ北
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<久知川本流沿いへ>
 峠直後の川筋を1Km余りも走ると、それまで概ね北に向いていた道が、真西へと方向転換する。そのカーブで合流して来る川を渡る。それ以降は紛れもなく久知川本流右岸沿いとなる。
 
 そこまで道が沿っていた川に比べると、合流して来る川の方が細い流れに見える。その様子からすると、やはりこれまで道が沿っていた川の方が本流だったように思える。


支流を渡る (撮影 2019.10.31)
   
支流を渡るカーブを峠方向に見る (撮影 2019.10.31)
   
   
   

久知川本流沿い

   

<道の様子>
 本流沿いになってからは久知川の右岸は東強清水、左岸は引き続き。新穂瓜生屋となるようだ。道は終始川の右岸にぴったり沿い、川の蛇行と一緒に細かい屈曲を繰り返す。 山の斜面とガードレールに挟まれ、約1.5車線幅の道は狭く感じる。待避所も少なく、対向車との離合は少々厄介だろうが、何となく対向車などやって来ないような気がしていた。 それ程、寂しい道に思えていたようだ。実際にも、このまま暫く一台の車も見掛けなかった。

   

道の様子 (撮影 2019.10.31)

道の様子 (撮影 2019.10.31)
峠方向に見る
   

<のぼり旗>
 寂しい道が一箇所だけちょっと賑やかになっていた。沿道にのぼり旗が何本もたなびいている。旗には次のようにあった。
 祝トキひな誕生
 トキのふるさと生椿 ただ今活動中
 トキふらあいプラザ トキまで2センチ!?

   
のぼり旗 (撮影 2019.10.31)
   

生椿への林道 (撮影 2019.10.31)
この脇に立つカーブミラーで「38−2」という番号になっていた
カーブの数を48に合わせる為の調整かとも思った

<生椿への道>
 のぼり旗の脇から対岸へと未舗装の車道が渡り、尾根沿いへと登って行く。道の側らには何の目印か、トーテムポールが立っていた。
 
 この道は地形図にも記載がある。新穂瓜生屋内のビオトープがある生椿(はえつばき)という所に通じ、その先清水平池方面へと山道が延びて行く。それにしても生椿という地は辺ぴな所にある。 国中平野側からは車道が通じていない様子だ。車では県道経由でこの入口から向かわねばならない。それだからこそ、朱鷺の保護などには適した場所なのかもしれない。

   

<耕地>
 生椿への道を分けてからは、県道はやや北寄りに方向を変える。これでほぼ両津港方面に向いたことになる。
 
 相変わらず見栄えのしない道が続く。木板の擁壁が並んでいたり、山側から水が路面へと染み出たりしているだけだ。それでも少しづつ川幅は広くなり、谷も広がっているようだ。途中、耕地さえ見られた。ただ、規模は小さく、やや荒れた様子だ。もう使われていないのかもしれない。


右手に耕地 (撮影 2019.10.31)
   

<工事個所>
 川面もしっかり望めるようになった頃、路肩に重機が停められていた。嫌な予感がする。

   

重機が停められていた (撮影 2019.10.31)

この先で工事中 (撮影 2019.10.31)
   

 案の定、カーブを曲がった先、道幅一杯にトラックが停まっているのが前方に見えた。クレーンを使って何かの工事を行っている。手前の路肩に停まるが、こちらに気付いてくれるだろうか。 すると、ちょうど反対側からも2台の乗用車がやって来た。私達だけの為に工事を中断してもらうのは気が引けるが、これなら都合がいい。

   

この先で工事中 (撮影 2019.10.31)
この場で待機

工事の様子 (撮影 2019.10.31)
   

先に2台の対向車が通過 (撮影 2019.10.31)

 暫く様子を窺っていると、4分程して2台の乗用車が工事箇所をすり抜けてやって来た。それを待ってこちらも車を進める。

   

 トラックは路肩一杯に寄せられていたが、残りのスペースは狭い。軽自動車でもすり抜けるのがやっとだ。しかし、作業員の方たちが丁寧に誘導してくれ、無事に通り過ぎるのを見届けてくれた。


工事箇所を通過 (撮影 2019.10.31)
   
工事箇所を峠方向に見る (撮影 2019.10.31)
側らに落石注意の看板が立つ
   

<峡谷部を抜ける>
 工事箇所付近はやや峡谷の様相を呈する区間だった。崖が切り立ち険しい雰囲気である。落石注意などの看板も立つ。工事は護岸の補修でも行っていたようだ。

   
道の様子 (撮影 2019.10.31)
峠方向に見る
峡谷部を抜け、この後は川筋から離れて行く
   

 工事箇所を過ぎて間もなく、カーブ42番のカーブミラーが立つカーブを曲がる。そこから先、道は川筋を離れて行く。久知川の谷も峡谷箇所を抜け、広がりを見せ始める。

   
   
   

久知川ダム近辺

   

2車線路へ (撮影 2019.10.31)

<2車線路>
 道もセンターラインがある2車線路となって広がる。赤玉側から走って来て、これが初めての2車線路ではなかったか。この約1Km下流に久知川ダムがあり、その建設に伴い新しく開削されたルートに思える。旧道があったとすれば、そのまま川沿いに下って行ったのではないか。

   
2車線路を峠方向に見る (撮影 2019.10.31)
   

<久知河内>
 2車線路になって程なくすると、久知河内に入る。当面は久知川の右岸側だけが久知河内だ。対岸は新穂田野沢(にいぼたのさわ)となるようだ。
 江戸期からの久知河内村で、明治22年に明治村の大字となり、明治35年に河崎村、昭和29年からは両津市の大字と変遷する。
 
<ダム湖>
 道は緩やかに登り始めた。川底がどんどん下になり、遂にダム湖の様相となる。

   
久知川ダム湖を望む (撮影 2019.10.31)
   

<ダムの展望所?>
 道はダム堰堤脇から大きく外れて通じるようだ。沿道からはダムの様子はほとんど見えて来ない。
 
 ダムやダム湖が望めるポイントはないかと探していると、路肩にちょっとした駐車スペースが設けられていた。湖畔側に張り出した右カーブの箇所だ。崖沿いに柵が巡らされている。 多分、以前は格好の展望所だったのではないだろうか。しかし、今は木が生い茂り、眺望は全く失われていた。


左手奥がダム (撮影 2019.10.31)
   

左に展望所? (撮影 2019.10.31)

展望所らしき箇所を峠方向に見る (撮影 2019.10.31)
   

左にダムへの分岐 (撮影 2019.10.31)

<ダム堰堤への道>
 ダム堰堤の脇辺りを過ぎると、道はまた緩やかな下りに戻る。すると、左にダム堰堤へと通じる道が分かれて行く。ダムを見学するのにはその道を行けば良さそうなのだが、道の終点に一般の駐車場があるか分からず、やや入りずらい道だった。

   

ダムへの分岐を峠方向に見る (撮影 2019.10.31)
左手の看板は「下久知共有山一覧」

ダムへの分岐を示す看板 (撮影 2019.10.31)
峠方向に見る
峠方向に「赤玉、杉池」、分岐方向は「久知川ダム」
   

<尾根筋>
 県道はダム湖下流側に入っても川沿いには戻らず、久知川と河崎川(河崎川水系)との分水界となる尾根上を進む。 一方、ダム湖下流の久知川沿いにも道が通じているようで、四十八ヵ所越の本来の峠道はそっちではないかと思う。久知河内集落の中心地もその久知川沿いに立地している。
 
<狭路>
 折角2車線路となった県道だが、数100mに渡り再び狭くなる区間があった。何とも変則的だ。その狭路区間中で2か所カーブミラーが立ち、43と44のカーブ番号が示されていた。 しかし、ここは既に古くからの四十八ヵ所越の道ではないのではないかと思えている。もうカーブ番号をカウントアップしても、あまり意味がないのではないか。

   

この先、幅員減少 (撮影 2019.10.31)

狭路区間 (撮影 2019.10.31)
   

<建物>
 狭路区間を過ぎると、そこに久知河内側で初めての建物らしい建物が現れた。ただ、人家などではなく、企業の倉庫の様な建物だった。

   
沿道に建物 (撮影 2019.10.31)
   

 また暫く行くと、比較的広い敷地に何棟かの大きな建物があったが、やはり何かの会社らしい。
 
<下久知へ>
 その後、遂に人家も見られるようになる。しかし、道は久知河内から下久知(しもくじ)に入っていたようで、沿道に現れた集落は下久知であった。久知川沿いに立地する久知河内集落は既に後方に過ぎている。

   

また建物 (撮影 2019.10.31)
企業のようだ

人家も出てきた (撮影 2019.10.31)
下久知の集落
   

この先の分岐を左へ (撮影 2019.10.31)

<峠道中断>
 今回は下久知集落に入って直ぐの分岐を久知河内方面へと向かった。県道319号は最後まで走っていないので、悪しからず。 もしかしたら、48のカーブ番号があるカーブミラーがあったかもしれないが、未確認である。
 
 目的はトキテラス(トキのテラス)に寄る為だった。この施設はテレビで紹介されているのを見て知った。野生のトキを見られる・・・かもしれないという展望塔だ。この一帯は絶滅前の最後のトキが生息していた地であり、それに相応しい場所のようだ。

   
分岐の様子 (撮影 2019.10.31)
峠方向に「赤玉、杉池」、分岐方向に「久知河内 ホタルの里」とある
背後には六地蔵などが並ぶ
   

<久知河内集落>
 トキテラスに向かう為、県道から分かれて久知川のやや上流方向へと下る。川沿いに出ると道はそのまま久知川を心経橋で渡った。その橋より上流側の川沿いに久知河内集落の人家が集まる。川は清らかな小川で、集落は素朴な佇まいだ。ゲンジボタルが見られる里とのこと。

   
久知川沿いの久知河内集落 (撮影 2019.10.31)
心経橋方向を振り返る
右手が久知川上流方向
   

<心経橋下流>
 心経橋から下流側は久知川の岸辺が広がり、一面の田んぼとなっている。その先、川沿いに大きな集落はないまま、久知川は両津湾へと注ぐ。一方、下久知の集落は現在の尾根上を行く県道沿いに点在する。
 
<旧道のコース>
 久知川ダムができる以前の四十八ヵ所越の道は、川沿いに久知河内集落へ通じていたと考えるのは妥当と思える。しかし、そんまま川沿いに下っては下久知集落は通らない。 また、心経橋下流沿いに現在は畦道の様な道しか見られない。すると、かつての峠道は久知河内集落以降、現在の県道のコースである尾根筋の道に登り、下久知集落を経て両津湾沿いに出ていたのかもしれない。 今回、トキテラスに寄る為に県道を外れたが、その道があるいは元の峠道だったとも考えられる。

   
   
   

 佐渡の峠ばかり6つも掲載してしまった。島は地域が限られるので、全体象が把握し易い。大佐渡・小佐渡の両山地が国中平野を挟んだ佐渡島独特の地形も面白い。 観光スポットに事欠くこともなく、それに何しろ峠が豊富だ。思いのままに旅が楽しめる地である。佐渡は30年以上前に一人旅したのが最初だった。 観光バスに乗り、相川金山などを見学したことをかすかに記憶するる。今回、佐渡の峠についていろいろ調べながら、この地を再び机上にて旅をした。これにて佐渡島ともお別れしようと思う、四十八ヵ所越であった。

   
   
   

<走行日>
・2019.10.31 赤玉から峠まで、その後林道小佐渡線へ キャミにて
・2019.10.31 赤玉→久知河内 ハスラーにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 15 新潟県 1989年10月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・大きな字の地図 新潟県 2001年4月発行 人文社社
・ツーリングマップル 3 関東 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 3 関東甲信越 2003年4月3版 1刷発行 昭文社
・WideMap 関東甲信越 (1991年頃の発行) エスコート
・ブルーガイドブックス 17 佐渡・越後路 昭和62年発行 実業之日本
・佐渡の観光パンフレット各種
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

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