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知床峠
 
しれとことうげ No.183
 
霧に隠れた峠道
 
(初掲載 2011. 9.17  最終峠走行 2011 .8.19)
 
  
 
知床峠 (撮影 2011. 8.19)
手前が網走地方・斜里町宇登呂
奥が根室地方・羅臼町
峠の標高は738m(文献や観光パンフレットより)
道は国道334号・通称:知床横断道路
生憎の凄い霧で何も見えず
 
 
 
 北海道の峠に関しては、これまで次のものを掲載してきた。
 
 厚雲峠    雲石峠    オロフレ峠   加須美峠   金八峠 
 
 勝北峠    津別峠    美幌峠     姫待峠     三国峠 
 
 合計で丁度10の峠たちである。今になって思い返せば、どれもこれも旅の思い出がいっぱい詰まり、捨てがたい峠ばかりである。しかし、どういう訳か、今一つ峠道のイメージがはっきり湧いてこない。
 
 北海道は大陸的な地形で、車やオートバイで走り回ると分るが、本州にはちょっとない広大さが魅力である。丘陵地に果てしなく広がる田園風景は、どこぞの外国の様で、日本離れしたところがある。
 
 そうした地形が北海道の特色だが、こと峠に関しては、それがあだとなってか、あまり魅力的なものがないのだ。大らかな起伏のある道は、上って行くのか、下って行くのか、はっきりしない。着いた峠は、だだっ広い丘のようであったりもする。本州にある、あのちまちました九十九折れが連続し、暗い林の中やじめじめした渓谷沿いを行く、暗くて陰湿的で、時折眺める景色は峰が幾重にも重なった山また山で、峠は狭い切り通しの、あの様な峠道が北海道には少ないのだ。言ってみれば味わい深い峠道がない。
 
 それで、北海道の旅は何度でも行きたいと思うが、こと峠に関しては、また是非越えたいという程のものがない。たった一つの峠を除いて。その峠が知床峠である。
 
 初めて知床峠を越えたのは、1989年9月27日のことだった。その前年、31歳になっても車の免許さえ持ってない身で、一念発起でバイクの中型免許を取得。ホンダのAX−1を購入して通勤や近場のツーリングで腕を磨き、ここは一つ北海道ソロツーリングだと、遥々やってき来た時のことだった。
 
 初めて経験する長距離フェリー(☆長距離フェリー)で酷い船酔いに罹り、他にもいろいろトラブルに見舞われながらも、北海道の苫小牧を起点に海岸沿いを右回りで、襟裳岬、根室、網走、宗谷岬、小樽と9日間のツーリングを敢行した。その時に知床峠も越えたのだった。
 
 知床峠は、オホーツク海に突出した知床半島の中央部を越えている。知床半島は、その付け根の幅が約26kmで、延長約65km。先端の知床岬に向けて長細いくさびの形をしている。半島の背稜部は千島火山帯の峰々が連なる。知床峠は半島のほぼ半分、幅約10kmの所でその峰を越えている。
 
 峠の位置が半島の中と言うことで、北海道にある他の峠とは異なった趣がある。その地形から、峠道は単純に上って峰のピークに着き、また単純に下って反対側に降りる。峠の東側には根室海峡に面した羅臼(らうす)の港があり、西側にはオホーツク海に面した宇登呂(うとろ)の港がある。その2つの港を繋ぐ峠道でもある。とても分り易い。峠道全体をイメージし易いのだ。大きく蛇行する坂道があり、渓谷を望み、峠からの景色も抜群ときている。峠道らしい峠道と言える。
 
 ただでさえ是非もう一度訪れたいと思う、そんな知床峠だが、何と言うことか、最初のオートバイツーリングでは、写真を撮らなかった。そもそも、カメラを持って行かなかったのだ。今では考え難いことだが、その頃の旅では、記念写真など全く撮る気が無かった。あちこち旅したのだが、一枚も写真が残っていない。
 
 後になって知床峠のことを思い出しても、やはりおぼろげである。近くにそびえる羅臼岳が絶景だった様な、広い峠は観光客で賑わっていた様な、路肩に屋台が出ていてトウモロコシを売っていた様な、そんな気がするだけである。
 
 ここはもう一度知床峠を越えて、しっかり目に焼き付け、ついでに写真も沢山撮ろうと思う。しかし如何せん、北海道は遠い。しかも広くてなかなか道東には手が回らない。妻も道東には行ったことが無いと言う。家の中はいろいろごたごたしていて、なかなか旅行どころではないが、やっと会社の夏休み1週間前になって、急きょ道東旅行を計画し、決行したのだった。
 
 
羅臼町を俯瞰
 
 知床峠の東側の起点は羅臼町(らうすちょう)である。羅臼港を中心に発展した町だ。羅臼町はその全てが知床半島の中にある。半島の東岸の付け根は標津町(しべつちょう)で、そこから海岸沿いを国道335号・国後国道(くなしりこくどう)が羅臼町の中心地まで延びている。
 
 羅臼の港と市街を見渡す絶好の場所がある。羅臼国後展望塔だ。標津町の方から国道335号をやって来て、羅臼市街の1km程手前で左に分岐する道に入る。入口には「展望台」と大きく看板も出ている。その先狭くて分り難い道だが、とにかく丘の頂上に出るように進む。終点には駐車場が完備されている。
 
 展望塔からは羅臼の町が一望だ。手に取るように分る。峠の方から流れ下って来た羅臼川が、町の中央を流れて根室海峡に注ぐ。その右岸に沿って国道334号・知床横断道路が走る。町の向こうの海岸沿いを眺めれば、断崖に立つ赤と白の縞模様の羅臼灯台も望める。そこは「クジラの見える丘」として、ホエールウォッチングの好適地となっている。
 

羅臼国後展望塔 (撮影 2011. 8.19)
駐車場の奥に展望塔がある

展望塔からの眺め (撮影 2011. 8.19)
入り江があるのが羅臼魚港
その周辺に市街地が広がる
 
 展望塔から望む羅臼市街は、町役場がある町の中心地だが、やはりこじんまりした感がある。道の駅「知床らうす」もでき、周辺には観光の見所も多いが、町にはどこか寂しげな雰囲気が漂う。ここは北海道の中でも交通不便な地にあり、「知床」とか「羅臼」という地名からは、秘境的な響きがする。そこが魅力である。峠の反対側の宇登呂港も同じような立地だが、あちらの方はより観光地化が進んで賑やかである。
 
 展望塔が立つ丘は「望郷の森」と呼ばれる。北方領土の一つ国後島が目の前に望める地だ。
 
 案内板(国後島方向指示板)によると(右の写真)、この展望塔から知床峠の側らにそびえる羅臼岳も望めることになっているが、そちらを眺めると、山の上は深い霧に包まれて、稜線が全く隠れていた。嫌な予感がするのだった。

展望塔にあった案内看板 (撮影 2011. 8.19)
(画像をクリックすると、拡大画像がご覧頂けます)
 

展望塔より峠道を望む (撮影 2011. 8.19)
林の中を峠道が通る
 市街から羅臼川の上流へ目をやると、川沿いに道が通る(左の写真)。知床峠を越える国道である。果してどんな峠が待っていてくれるだろうか。
 
 帰り掛け、展望塔内のトイレを借りて出て来ると、妻が、展望塔に一人居た案内係の女性と話をしている。妻は他人と話しをするのが苦手だが、そのくせ人に話し掛けられ易いという、困った体質をしている。トイレから出て来て暫くしても、話はなかなか尽きそうにない。さっきまで見えなかった国後島が、今は良く見えるようになったとか、ついには町外れにあるヒカリゴケの観察の仕方まで教わっている。何でも懐中電灯に照らしてみるのが良いそうだ。このままほおって置いたら、峠を越える前に日が暮れてしまう。わたしが助け舟を出し、そそくさと展望塔を後にした。妻曰く、地元の方と話して、いろいろ情報を得ようと積極的に勤めたとのこと。しかし、一旦話が始まると、妻の場合は適当なところで切り上げるというすべを知らず、相手のペースでいつまでも引きずられるのが落ちである。
 
 羅臼は古くはラウシと言い、「羅牛」とか「良牛」と書いたそうだ。昭和4年から標津との間にバスが運行されたが、冬期は積雪の為に通行できず、昭和38年頃まで冬はもっぱら船に頼った。昭和40年頃まで沿岸の漁村を結ぶ定期航路が存在したそうだ。
 
 なかなか進まなかった道路整備だが、昭和39年に知床半島が国立公園に指定されるのと時を同じくして、陸上輸送網が整っていった。
 
 冬は雪で陸路を閉ざされる、小さな漁港町であった頃の羅臼を想像してみる。その生活の厳しさは、如何ばかりであったろうか。広い北海道の中でも更に東の果ての知床半島である。この大自然を前に、よく人の営みが行えたものだと関心する。
 
羅臼灯台の立つ丘から羅臼の町を望む (撮影 2011. 8.19)
知床半島の付け根は、遥かにかすんでいる
妻は灯台が趣味なので、他の観光客が全員、クジラが居る海の方を見ている側ら、
わたし達夫婦は、海とは反対の灯台が立つ山の方ばかり見ていた
 
 
羅臼町周辺
 
 知床峠を越えているのは国道334号で、標津町からここまでは国道335号で、それならどこがその切り替え地点かと思ったら、道道87号・知床公園羅臼線とそれらの国道が交わる地点があった。展望塔から降りて来ると、国道に出る前に道道87号に入る。そこを半島の先端・知床岬方向に進むと、比較的大きな交差点に出る。交差する道が国道で、そこより左(峠)方向が国道334号、右(海)方向が国道335号であった。
 
 ここは羅臼本町(ほんちょう)と言う所である。羅臼町の中にあっては道の中心地中の中心地であるが、比較的閑散としている。大きな建物はほとんど無く、せいぜい3階建てで、見通しが良い。この交差点が知床峠への羅臼側起点と言える。
 
 国道もあまり立派ではなく、うっかり道道をそのまま進んでしまうと、それ程広くない羅臼川を羅臼橋で渡り、知床公園羅臼線は終点の相泊(あいどまり)へと続く。
 
 知床半島には先端の知床岬を一周する車道は無い。東岸の羅臼町側は相泊まで、西岸の斜里町側は道道93号・知床公園線(旧知床林道)がカムイワッカ湯の滝の少し先、ルシャ川の河口まで通じている。半島を横断する車道は、知床峠の道が唯一の存在だ。 

県道87号を知床岬方向に見る (撮影 2011. 8.19)
目の前で国道が交差する
左方向が峠、右に行けば標津町へ
 
 峠が趣味だが、旅ではそれに限ったことは無い。道の終点も魅力的な場所である。今回の旅でも勿論、知床峠を越える前に相泊まで足を伸ばした。1989年のツーリングでも相泊まで行き、そこにあったラーメン屋、多分、「熊の穴」と呼ばれる店に入り、熊肉が入ったラーメンをすすった覚えがある。もう22年前のことだ。今回も立寄ろうとしたが店は生憎閉まっていた。
 

相泊から戻って来た所 (撮影 2011. 8.19)
この先で国道と交わる
これからお待ちかねの峠越えだ

県道上にあった道路標識 (撮影 2011. 8.19)
 
 羅臼より以北は人工希薄地帯で、道路の開通は遅れたそうだ。大正5年にサシルイまで、昭和15年に知円別。マッカウスと飛仁帯の間にトンネルが貫通したのが昭和26年とのこと。現在の道道知床公園羅臼線が完成したのは昭和45年となる。今では快適な道が終点の相泊漁港まで続いている。

県道87号を半島の付け根方向に見る (撮影 2011. 8.19)
県道が国道と交わる地点
左が国道335号、右が334号で知床峠へ
 
 
羅臼町から峠道へ
 
 羅臼の町を後にして国道334号を行く。羅臼町と斜里町宇登呂の間を結ぶこの知床峠の区間は、通称知床横断道路と呼ばれ、昭和55年の完成だそうだ。それまで知床半島を横断する車道はなかった。ただ、半島の根元には国道244号(斜里峠または根北峠)が通る。
 
 国道上に掲げられた道路標識には、知床峠まで16km、宇登呂まで32kmとある。丁度道の中間地点に峠がある計算だ。
 

国道334号を行く (撮影 2011. 8.19)

道路標識 (撮影 2011. 8.19)
 

この先で熊越橋を渡る (撮影 2011. 8.19)
 国道起点の本町交差点から暫くは羅臼の町並みが続く。側らを流れる羅臼川を熊越橋で渡って左岸に出る。その頃から町は細り、両側に森林が迫って来る。
 
 町中を外れて道の沿線には洒落た観光ホテルが立っていた。その日は宇登呂にある公共の宿に泊ったが、そことは雲泥の差であった。
 
 道は川沿いから離れ、いよいよ峠への登りが始まる。沿道には羅臼温泉が湧いていて、それらしい湯煙が立ち昇っているのが見える(右の写真)。しかし、その湯煙も包み込みそうな霧が、前方に立ちはだかっているのだ。不吉な予感である。
 
 右手に「羅臼温泉野営場」と書かれた看板が立つ。
 
 ゲート箇所を過ぎる。知床峠の道は冬期閉鎖になる。
 
 この近くに間欠泉があるらしいのだが、その場所を確認できぬまま、通り過ぎてしまった。一度見てみたいと思っていたが、次に来ることができるのはいつの日か。

羅臼温泉付近 (撮影 2011. 8.19)
左手に湯煙が立ち昇る
前方の山には霧が掛かる
 

峠道の様子 (撮影 2011. 8.19)

 峠道の様子 (撮影 2011. 8.19)
 
 どこまでも快適な二車線路が続く。この峠道には合目の番号が書かれた標識が立つ。カーブ番号が付けられた峠道は時折あるが、山と同じ合目が付けられているのは珍しい。初めて越えた時も、これに覚えがある様な気がする。多分10合目が峠の頂上で、これはカーブ番号より実用的である。どの程度まで走って来たかが分る。
 
 合目の標識には標高も記されている。1合目が280m、2合目が380m、3合目が450m、4合目が526m、5合目が580m、6合目が640m(標高には誤記があるかもしれません)と撮られた写真に写っていた。
 
 わざわざこれらの標識を全て写真に撮る積りはなかった様だが、わたしの峠趣味を考慮し、カメラを握る妻が峠道の写真を撮らなくてはと思ったらしい。動体視力が良いのを発揮して、迫って来る標識を次々に写したのだ。合目の標識以外にも国道標識や道路緊急ダイヤルの標識やカーブの曲率半径の標識やバス停の看板などなどが写っている。しかし、それらの写真を一体どうすれば良いと言うのか。

合目番号 (撮影 2011. 8.19)
1合目 標高280m」とある
 
豪快な峠道 (撮影 2011. 8.19)
 
 道は林の中を行ったかと思うと、谷へ張り出すような豪快な道もある。これで霧が晴れていたら、さぞかし眺めが良いのだろうが、峠が近付くに連れ、霧は益々深くなるばかりである。
 
 もうヘッドライトを点灯しないと対向車が確認できない程となる。わたしがあまり速度を落とさず運転しているので、側らの妻が緊張し、カーブの曲率半径を読み上げ始めた。少しでも運転の助けにしようという積りのようだ。その代わり、カメラのことはおろそかになり、7合目以降の標識の写真はない。
 
 知床峠の前に見返り峠という場所があることになっている。ナビ役でもある妻にそのことを聞いても、もう取り合ってくれない。曲率半径を読み上げるばかりである。

羅臼登山口のバス停 (撮影 2011. 8.19)
 
 
 

前方が峠 (撮影 2011. 8.19)
 霧で視界は悪いが、それでも峠に近付いたらしいと感じたら、そこが峠だった。道路の左手に広い駐車場があった。そこに乗り入れる。
 
 もう数10m先もはっきりしない濃い霧である。羅臼岳の絶景どころか、峠の様子さえも掴めない。
 
 駐車場の片隅に小屋があり、そこはトイレだった。他に売店などはなさそうだ。
 
 駐車場とは道の反対側に石畳の歩道があった。それには何となく覚えがある。本来はここから羅臼岳を望む、展望台の役割があった。初めてバイクで訪れた時、わたしもそこに立って羅臼岳を望んだと思う。
 
 そしてそこにトウモロコシの屋台が出ていた様な気がするのだが、それはあやふやだ。好物なトウモロコシを食べようかとチラリと頭をよぎったが、周囲にうごめく沢山の観光客に辟易し、さっさとバイクに跨り、その日の宿の網走へと走り去ったような気がするのだが、今となってはこの霧のように漠然としている。何にしろ、羅臼岳の絶景よりトウモロコシ屋の方が記憶に残るとは、どういう神経をしていたのだろうか。

駐車場の片隅にトイレ (撮影 2011. 8.19)
太陽がぼんやり霞んで見える
 

石畳の歩道 (撮影 2011. 8.19)

石畳の歩道 (撮影 2011. 8.19)
 
 石畳の歩道沿いには、いろいろ看板や記念碑のようなものがポツンポツンとある。本当は、そんな物より、周囲の景色を眺めたいのだが、今は足元に目をやるしかない。歩道の外れには「知床峠」と書かれた木製の看板があった。今は、それが峠の証である。
 

ハイマツ (撮影 2011. 8.19)
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羅臼岳 (撮影 2011. 8.19)
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北方領土方向指示板 (撮影 2011. 8.19)
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知床峠園地 (撮影 2011. 8.19)
(画像をクリックすると、拡大画像がご覧頂けます)
 
知床峠の看板 (撮影 2011. 8.19)
看板の背後にはハイマツの針葉樹林が広がる筈が、全く霧で見えない
 
 石畳の歩道が一箇所狭くなっている所があるが、その場所に羅臼町と斜里町との町境がある。ここが厳密には知床峠である。
 
 駐車場は斜里町側にも広がり、大型の観光バスも出入りしていた。しかし、この霧は、バスガイドさん泣かせである。観光客の落胆は否めない。
 
 しかし、人のことなど心配していられない。22年ぶりのわたしの知床峠も、残念な結果となった。この地に来る機会を得るだけでも大変なのに、天候に合わせて訪れることなど難しい。知床半島を横断すると言う独特な地形が、こうして霧を生み易くしているのだろう。まあ、自然現象として、羅臼岳は諦めるしかない。

町境の峠 (撮影 2011. 8.19)
 
 
斜里町宇登呂側に下る
 
 運転を妻に代わってもらい、峠を斜里町宇登呂側に下りだす。2度ほどカーブを曲がると、急激に霧が晴れてきた。青空が覗く。すると、一つの大きな山塊が目に飛び込んできた。
 
羅臼岳 (撮影 2011. 8.19)
 

後部窓から見る羅臼岳 (撮影 2011. 8.19)
 車がどちらに向いているのかも分らずに、とにかくその山を逃さまいとカメラのレンズを向けてシャッターを切る。霧が急に晴れたのか、それとも元々斜里町側は霧が少ないのか分らないが、頂上に雲を頂いた山がはっきり見えてきた。羅臼岳である。霧に包まれた知床峠ではあったが、こうして羅臼岳が間近で見られたのは幸運であった。やや気も晴れる思いである。
 
羅臼岳 (撮影 2011. 8.19)
 
羅臼岳 (撮影 2011. 8.19)
 
 
宇登呂側の中腹
 
 峠道の斜里町側は、全般的に林の中を通ることも無く、終始開けた道である。振り返ると羅臼岳はいつまでも見えていた。
 

斜里町側の下り (撮影 2011. 8.19)

斜里町側の下り (撮影 2011. 8.19)
 

後部窓から見る羅臼岳 (撮影 2011. 8.19)

斜里町側の下り (撮影 2011. 8.19)
 

斜里町側の下り (撮影 2011. 8.19)
自転車のツーリング
 道は快適に下り、爽快だが羅臼岳以外にこれと言って関心を引く物は沿道に見当たらない。ただただ清々しい気分を味わえば良い峠道だ。
 
 自転車のツーリングが一人登って来た。この旅ではしばしばこうして北海道をツーリングしている自転車を見掛けた。これから知床峠を越える積りなのだろうか。車なら爽快だが、自転車では大変な峠越えだ。それに、もう夕方の5時半である。人事ながら心配になる。こちらも宿へと急がなければ。
 
 
道道93号・知床公園線の分岐
 
 国道には途中で右に知床五湖への分岐がある(右の写真)。道道93号・知床公園線だ。今はその道は、知床五湖まで一般車で行ける。
 
 知床峠を越えた翌日、知床五湖を見に知床公園線を進んだ。すると、山の中腹に霧が多いものの、羅臼岳を先頭に、岬方向に連なる峰々が望める場所があった(下の写真)。
 
 羅臼岳は標高1,660.7mで半島部最高峰である。それに連なり硫黄山、知床岳の主要な峰が続く。多分見えているのは、羅臼岳からせいぜい硫黄山程度までだと思う。
 
 知床峠では全く山の景色を望めなかったが、これで少しは挽回した思いであった。その後、知床五湖の散策路などからも、時折知床半島にそびえる山々を眺めた。

右に知床五湖への分岐 (撮影 2011. 8.19)
 
羅臼岳とそれに続く峰々を望む (撮影 2011. 8.20)
国道から分岐し知床五湖へ向かう途中
 
 知床五湖の先にもまだ道は続いているが、一般車通行止である。カムイワッカ湯の滝の見学は、定期路線バスの利用になる。未舗装路の狭い道を大型バスが行くのは、これまたスリル満点である。
 
 カムイワッカ湯の滝の先、知床大橋の付近は崩落の為、橋は渡れず、道はその手前で通行止とのこと。
 
 初めてバイクツーリングで来た時は、知床五湖までは来た様に思うが、その先の知床林道には、行かなかったか行けなかった様に思う。カムイワッカ湯の滝に向かうバスの車内に流れるガイドでは、当時多くの車が訪れ、大混雑したそうだ。それで、現在のように限られた車しか通さなくなったとのこと。
 
 バスの終点は、カムイワッカ川に架かるカムイワッカ橋の袂で、そこから少し歩けば湯の滝が見られる。しかし、その先の道は直ぐにゲートで通行止だ。硫黄川に架かる知床大橋が眺められるかとも期待したが、無理だった。
 
 通行止のゲートの先、道はルシャ川の河口まで続いていると言う。現在の陸路では、知床大橋もルシャの河口にも行けない。ましてや道の通わぬ半島の先端にある知床岬は、簡単には見ることはできない。
 

知床五湖から先の未舗装路 (撮影 2011. 8.20)
ゲートに係員が立つ

道道の通行止ゲート箇所 (撮影 2011. 8.20)
ここまではバスで来れる
 
 
ルサ乗り越え
 
 それならばと、知床峠を越えた翌々日に、奮発して観光船で知床岬と灯台を見て来た。船は宇登呂の港から出て、半島の西岸沿いに行き、岬で折り返して来る。その船の中に流れる観光ガイドに、気になる箇所があった。何でも、現在の国道の知床横断道路が開通する前、半島を横断する唯一の道があったそうな。それは、ルシャ川の河口付近から半島の峰を越えていたそうだ。
 
 文献によると、知床半島の東岸のルサ川と、こちらのルシャ川との間を、夏季には突風が突き抜け、それを「ルシャおろし」と呼んだとのこと。半島の中央を成す峰のその付近は、特に低くなっているので、風が通り抜け易くなっているのだろう。確かに観光船がその付近に達した時、にわかに風が強くなり、それまで凪いでいた海面に白波が立ち始めた。

観光船から望む知床岬 (撮影 2011. 8.21)
肉眼で初めて見る知床半島の先端だ
崖の上には知床岬灯台が立つ
 

観光船から知床半島を望む (撮影 2011. 8.21)
この付近で白波が立ち始めた
海岸沿いに番屋が望める
ルシャ川の河口付近か?
 丁度その場所で、海岸に比較的大きな番屋が建っているのが望めた。もしかしたら、車道の終点、ルシャ川の河口付近にある番屋かとも思った。
 
 国土地理院の1/25,000地形図を見ると、ルサ川の上流域に「ルサ乗り越え」という峠が見られる。標高は270m。その前後に山道は描かれていないが、これこそが観光船のガイドが言うところの、国道334号以前に知床を横断していた道だろう。
 
 ルサ川の河口は相泊より手前にある。知床橋が架かるその河口から左岸に沿って僅かに道が描かれている。相泊に行った時は、そんなこととはつゆ知らず、そのルサ川とやらを確認して来なかった。これは残念である。
 
 知床峠ができる前の時代に、ルサ乗り越えと呼ばれる峠道が存在した。そのことをもっと知りたいものだ。ヒグマが多く存在し、そんな過酷な環境にも関わらず番屋が点在する知床半島。人はどの様な思いでそのルサ乗り越しを越えたのだろうか。
 
 話を知床峠に戻して、道道93号を右に分けた直後、国道の右手に「知床自然センター」がある。知床観光の拠点となり、大きな駐車場が完備され、観光バスの出入りも多い。知床五湖への定期バスもここから乗れる。裏手から少し歩くとフレペの滝も見学できる。
 
 
プユニ岬
 
 知床自然センターを過ぎると、暫く道は林の中で遠望が無い。それを少し我慢すると、パッと視界が広がる箇所に出る。プユニ岬の展望所だ。
 
知床自然センターを過ぎた後、暫くして急に視界が広がる (撮影 2011. 8.19)
前方に知床連山を望む
 
 地図で見ると、実際のプユニ岬は国道から少し離れ、もっと北の外海に面した所にある。しかし、観光名所の案内で示されているプユニ岬とは、国道沿いの展望場所だ。その名も「見晴橋」と呼ばれる橋の手前で、車道沿いの歩道から、オホーツク海に面した宇登呂の港や市街が望める。そこに立つ案内看板によると、夕日や冬期には流氷原を望むビーポイントだそうだ。
 

プユニ岬の看板が立つ (撮影 2011. 8.20)
しかし、ここは本来のプユニ岬ではないと思われる

展望所からの眺め (撮影 2011. 8.20)
前方の入り江が宇登呂の港
その岸辺に宇登呂市街が広がる
 
 展望所とは反対側の、道の左手に僅かばかりだが駐車場所がある。プユニ岬の展望所は、国道走行のついでに極めて安楽に見学できる観光スポットだ。何でも、知床にまつわる観光スポットを選んだ「知床八景」というのがあるそうだ。このプユニ岬もその一つに入っている。八景の中で、比較的簡単に訪れることができるスポットの一つが、このプユニ岬だろう。
 
 プユニ岬付近からは、オホーツク海側の眺めだけでなく、知床連山の眺めもなかなか良い。羅臼岳より半島の付け根側に連なる峰々が望める。遠音別岳(おんねべつだけ)などが主峰となる。更に国道を少し下ると、僅かながら羅臼岳も望めるようだ。
 
 この付近の国道は走っていても気分が良い。もう一走りで宇登呂に到着である。

見晴橋の袂 (撮影 2011. 8.20)
左手に駐車区画がある
多分、見晴橋ができる前の旧道箇所ではないだろうか
 

国道上からプユニ岬展望所を望む (撮影 2011. 8.20)
峠方向に見る
走っていて気分が良い道だ

プユニ岬展望所から少し下った所 (撮影 2011. 8.19)
左手前方に見えるのは雲が掛かる羅臼岳か
 
 
宇登呂市街へ
 

海岸沿いに降りて来た (撮影 2011. 8.19)
 道は一旦、ホロベツ川の上流部へと下り、そこから引き返して幌別橋を渡り、やっとオホーツク海に沿った道となる。道の直ぐ右手に広い海が広がる。知床峠の道は、正しく半島の東岸から西岸へと、海と海を繋ぐ道であった。
 
 前方の海沿いを望むと、半島のように岩が突出した部分が見える。そこが宇登呂港である(左の写真)。
 
 峠方向に振り返ると、プユニ岬展望所の付近が見通せる(左下の写真)。なかなか豪快な道がつけられているのが分る。
 
 海岸沿いを更に進むと、宇登呂港がはっきり見えてくる(下の写真)。その中に大きな岩がそそり立つのがオロンコ岩だ。これも知床八景の一つとのこと。
 

海岸沿いから峠方向を見る (撮影 2011. 8.20)
岬の上部に国道が通じているのが分る

宇登呂港を望む (撮影 2011. 8.20)
中央の一段と大きな岩山はオロンコ岩
 
 
宇登呂市街
 
 知床峠を越えた日は、宇登呂市街に入る少し手前にある国民宿舎に泊った。到着がやや遅れたが、部屋に入ると間もなく、オホーツク海に沈む夕にが眺められた。
 
 翌日は宇登呂市街を観光した。羅臼町と比べると、遥かに大きく都会風である。しかし、この宇登呂も昔は交通不便な地であったそうだ。陸路の整備が遅れ、それまでは漁船に便乗する他は近付けない陸の孤島とも言われた。
 
 斜里と宇登呂間の道の開削は大正12年が最初とのこと。しかし、大変な悪路だったそうだ。それがやっと昭和33年に、現在の国道334号の前身・道道ウトロ線が開通、斜里町市街と宇登呂との間にバスの運行が開始された。また、昭和39年に知床半島が国立公園に指定されると、最果ての地として人気が上がり、観光客が増大した。漁港だった宇登呂港は、観光船運行の為に整備されていった。

夕陽台から見る宇登呂港 (撮影 2011. 8.20)
 
 知床峠を越えた翌々日には、宇登呂港から知床半島の観光船に乗ったが、満員状態だった。観光船乗り場の駐車場には何台もの大型の観光バスがやって来た。最近、知床半島が世界遺産にもなり、ますますパワーアップしたのだろうか。
 
 乗客を観光船に案内していたバスガイドが、居合わせた同僚たちと会話していた。その一人が知床峠はまたも霧の中だったと残念がっている。この時期、知床峠の霧は頻繁に発生するようで、羅臼岳の絶景はなかなか見られないものらしい。
 
 初めてオートバイで知床峠を訪れた時は、霧の記憶は全く無い。真夏ではなく9月も下旬だったので、霧の発生が少なかったのかもしれない。もし、もう一度知床峠を訪れるチャンスがあるなら、真夏は絶対外そうと思うのであった。
 
オロンコ岩の頂上から見る観光船乗り場 (撮影 2011. 8.21)
 
  
 
 ところで、この北海道旅行の後、考えてみると知床八景を全て訪れていたのに気付いた。その八景とは、知床五湖、フレペの滝、オシンコシンの滝、カムイワッカ湯の滝、夕陽台、オロンコ岩、プユニ岬、そして知床峠である。別に意識した訳ではなく、全くの偶然であった。オロンコ岩などは、真夏の暑い最中、汗びっしょりになって頂上まで登り、景色を見てきた。
 
 それまでの北海道の旅は、フェリーに30時間以上乗ったり、東京から陸路を本州最北端の地・大間まで走って大間港からフェリーで北海道に渡ったり、それはそれは大変なものばかりだった。それが今回は、飛行機で安楽に北海道へ飛び、レンタカーで快適な舗装道ばかり走り、船やバスを利用して楽をしてきた。全くの観光をしてきてしまったのだ。このページも、峠道の険しさなど、どこにも無く、まるで観光案内の様だと思う、知床峠であった。
 
  
 
<走行日>
・1989. 9.27 羅臼町→宇登呂(AX−1))
・2011. 8.19 羅臼町→宇登呂(トヨタのビッツ)
 
<参考資料>
・昭文社 北海道 ツーリングマップ 1989年5月発行
・昭文社 ツーリングマップル 1 北海道 2000年4月2版10刷発行
・角川地名大辞典 1 北海道 上巻 昭和62年10月8日発行 (知床峠の項、その他)
・国土地理院 地図閲覧サービス 2万5千分1地形図
・観光パンフレット 「世界自然遺産 知床」、その他
・その他(インターネットでの検索など)
 
<Copyright 蓑上誠一>
  
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