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大望峠
  だいぼうとうげ  (峠と旅 No.288)
  伝説の里・鬼無里へと続く峠道
  (掲載 2018. 2.28  最終峠走行 2003. 8.13)
   
   
   
大望峠の展望台 (撮影 2003. 8.13)
長野県長野市鬼無里方向を望む
手前は同市戸隠方面
道は県道36号(主要地方道)・信濃信州新線(戸隠街道)
峠の標高は1,055m (峠に立つ標柱より)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
この展望台は旧道沿いにある
大きな標柱には「伝説の谷 大望峠 1055」と書かれている
青いややレトロ感のあるプラスチック製ベンチは、
開けた展望とは反対方向に向いていた(なかなかシュール)
もう15年も前の様子なので、今は少し変わってしまっただろう
 
 
 
   

<掲載動機>
 ちょっと前のこと、テレビを点けてみると電動バイクで旅をする番組を放送していて、大望峠が登場して来た。旧道の峠にある展望台からは雄大な眺めが広がる。あ〜こんな峠もあったなと懐かしく思い出された。
 
 調べてみると、この峠を最初に訪れたのはもう四半世紀近く前の1993年10月のことだった。この時の峠に関する記憶は全くない。 鬼無里側から戸隠へと越えたのだが、多分、旧道に寄らず、そのまま新道の深い切通しを通り過ぎたようだ。 沿道をよくよく見れば、旧道にある展望台への案内看板が立っていたのだろうが、鬼無里側から来ると旧道の存在に気付き難い道の繋がりになっている。それで峠からの眺望も見ず、何の印象も残らなかったらしい。
 
 その10年後の2003年8月、今度は戸隠側から峠に向かった。この時は看板の案内に従い、旧道に入って展望台からの眺めを堪能したのだった。それからもう随分と長い年月が経つ。峠の様子も変わったろうが、当時のことを少し思い出してみようと思った。

   

<所在>
 峠は長野県長野市鬼無里(きなさ)にあり、同じく長野市の戸隠(とがくし)とを結ぶ主要地方道・信濃信州新線上の峠となる。
 
 現在は峠道全体が長野市であるが、それ以前もこの峠は自治体の境界上にはなかった。 同じ上水内郡(かみみのちぐん)の旧戸隠村(とがくしむら)と旧鬼無里村(きなさむら)を繋いだ峠道だったが、村境は峠より戸隠方向に600m程下った所に通じていた。 こうした事情についてはよく分からない。峠付近にある集落がどちら側の村との結び付きが強いかなどが関係するのではないかと想像する。 また、この峠部分が関わるかどうか分からないが、古くから戸隠村と鬼無里村の間には、村境を巡って争いが多かったそうだ。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<水系>
 人が描いた人工的な境界線とは違って、自然の分水界は正直である。峠はしっかり楠川(くすがわ)と小川との分水界上に立地する。どちらも裾花川(すそばながわ)の支流である。裾花川は下って犀川(さいがわ)に注ぎ、犀川は千曲川に注ぐ。結果的に信濃川水系である。
 
 楠川は戸隠方面でその水域を広げ、峠はその支流の掛札川の更に名も分からない支流の上流部に位置する。 一方、鬼無里側の水域となる小川は、楠川より裾花川上流側の支流であり、峠は概ね小川本流の上流部に位置する。

   

<峠名>
 「大望峠」という名は、何となく新しそうな感じがするが、確かに昔は名もない峠だったようだ。 それが比較的近年になって一般人が「大望峠」と名付け、やがて市民権を得るようになったらしい。峠からの展望を象徴したなかなかいいネーミングだと思う。今では地形図にもその名が記されている。
 
 ただ、歴史が浅い為か、「大望峠」の文字は角川日本地名大辞典では全く登場して来ない。やはり名前がないと存在そのものも希薄になるのか、この峠に関した歴史的情報はほとんど得られなかった。

   

<立地>
 戸隠・鬼無里というと、長野県の中でも新潟県との県境に接した非常に奥まった山間部というイメージがある。しかし、改めて地図を眺めてみると、長野市街にも程近いのに驚く。市街南西で犀川に注ぐ裾花川をずっと遡れば戸隠・鬼無里へと通じる。
 
 しかし、裾花川は裾花渓谷(一部は小鍋峡谷)と呼ばれるようにそのほとんどが険しい峡谷を成している。 その為、長野市街と戸隠・鬼無里とを結ぶ川沿いの道はなかなか開けなかったようだ。長野市街に出るには、古くは峠越えをしたらしい。こうした点が、戸隠・鬼無里の地を遠くに感じさせているのかもしれない。
 
 明治30年代になって川沿いの道が開かれ、現在は立派な国道406号が幾つものトンネルをくぐりながら裾花川に並んで延びる。走って見ても、今はそれ程険しいという印象は残らなかった。

   
   
   
戸隠より峠へ 
   

戸隠神社奥社への参道 (撮影 2003. 8.13)

<戸隠(余談)>
 子供の頃、忍者ごっこが流行った。例えば缶切りで開けた缶詰の蓋を、金槌で叩いて蓋の周辺のギザギザを鋭くとがらせる。すると、立派な手裏剣が出来上がるのだ。 うまく投げると、木材などに突き刺さる程の威力である。今から思うと、かなり危険な遊びをしていた。 竹製の刀を振り回し、誤って自分の右目を差して、それが元で生涯片方の視力をほとんど失うこととなった。それもやや乱暴な忍者ごっこやチャンバラごっこの結果である。今はこれも一つの人生と諦めてはいるが。
 
 「戸隠」と聞くと、その忍者ごっこを思い出す。戸隠流忍術がどのようなものかなど全く知らないが、戸隠は忍者が住む地だという様な漠然としたイメージが子供の頃に植え付けられた。
 
 しかし、今回は御朱印が趣味の妻(当時はまだ結婚前)と同行である。忍者屋敷ではなく、戸隠神社を訪れることとなった。奥社への長い参道を歩かされたが、なかなか荘厳な神社であった。  
 
 戸隠を冬場に訪れたとこはないが、テレビ番組などでは雪深い地として紹介されている。冬期の戸隠はスキーなども観光資源となるようだ。

   

<戸隠街道>
 戸隠にはほぼ南北に県道36号(主要地方道)・信濃信州新線が縦断し、それが戸隠に於ける幹線路となっている。この道筋は「戸隠街道」とも呼ばれるようだ。 どのような意味合いの街道かは分からない。多分、古くから霊験所として知られる戸隠へと多くの修験者たちが目指した信仰の道であろう。
 
 戸隠街道の道筋は、戸隠から南に下り、大望峠を越えて鬼無里の中心地を過ぎ、小川村との境を大洞峠で越えて小川村大字稲丘(いなおか)に到り、犀川支流・土尻川沿いの小川村中心地へと通じていたようだ。ほぼ現在の主要地方道・信濃信州新線と一致する。
 
 戸隠より信濃信州新線で大望峠方向に進むと、戸隠側の最終集落は上楠川(かみくすがわ)となる。楠川(くすがわ)上流部に立地する集落だが、信濃信州新線と楠川はほとんど交差するような関係で、本流にはほとんど沿うことなく、直ぐに支流の掛札川沿いに移って峠を目指す。

   

<新道の峠>
 大望峠の戸隠方面の地形は比較的緩やかだ。旧戸隠・鬼無里の村境を越え、ちょっとしたつづら折りを過ぎた峠直前は、一段と広やかで畑や人家が点在する。
 
 今の大望峠は、旧峠の100m程手前から地面を掘り下げ、地下に潜るようにして深い切通しの中を下って行く。 その切通しの入り口部分が道の最高所となるようで、それが新道の峠となろうか。側らに「ふるさと 鬼無里」と看板が立つ程度で、ここを峠と認識するにはやや寂しい状況だ。

   
新道の峠 (撮影 2003. 8.13)
ここが道の最高所で、ここを過ぎると深い切通しへと下って行く
右に旧道沿いにある展望台へと道が分かれる
   

<旧峠へ>
 県道の最高所から右手に細い道が登って行く。元の大望峠にある展望台へと続く道だ。旧道と言う訳ではなく、新道建設に伴い旧峠へのアクセス路として新しく通じた道と思う。
 
 道は直ぐに陸橋で新道の切通しの上を越え、反対側の道に出る。そこから戸隠に戻る方向には通行止の標識が立ち、「この先通り抜け出来ません」と書かれている。多分、こちらが旧道であろう。新道開削により、車の通行が不可能になったもののようだ。


県道の南側の道は通行止 (撮影 2003. 8.13)
   

旧道沿いより峠方向を見る (撮影 2003. 8.13)
右手が陸橋
手前が戸隠方面へ下る旧道(通行止)

<旧峠>
 陸橋を渡り終った付近が旧道の最高所となる。ここが本来の大望峠だったのだろう。
 
<新道開削>
 新道の開通年などは調べきれなかったが、1988年5月発行のツーリングマップ(昭文社)では、まだ旧道のままである。一方、1993年10月に訪れた時は、展望台を見過ごしているところからすると、既に新道が開通していたものと思う。
 
 大望峠の名の元となる展望台を残す為もあってか、新道開通後も旧道の道筋が色濃く残る峠である。ぼんやりとだが昔の峠道の様子が感じられるのがいい。

   
新旧の道の様子 (撮影 2003. 8.13)
奥が戸隠方面、手前が鬼無里方面
橋の下が新道
手前に旧道沿いの展望台
   

<展望台>
 楠川水域と小川水域の分水界となる峰を、西側(小川水域側)にちょっと顔を出した所に展望台がある。側らには車を停められるスペースも設けられている。 丁度2台の車が立ちり去って行った。 展望台からは西に展望が広がる。正面やや右に目立った三角の山は一夜山のようだ。左手には砂鉢山などが至近に見える。その間を小川の谷が下る。 峠直下は険しく、道がつづら折りを成して下る様子がうかがえる。

   
展望台からの眺め (撮影 2003. 8.13)
   

<峠の標高>
 展望台に立つ標柱には「伝説の谷 大望峠 1055」とあり、この峠の標高が1,055mあることを示す。地形図上からも妥当な数値だ。 1988年5月発行のツーリングマップでは「1,080m」と出ていたのだが、新道開削で旧峠の標高が変わった形跡はなく、これは古い数値であろう。
 
<戸隠連峰>
 一夜山から北東へと延びる稜線上に西岳があるが、展望台には「西岳連峰」というやや古い看板が立つ。何やら漢詩の様な文字が書かれていたが、判読は諦めた。 西岳から先は戸隠山へと戸隠連峰が続くが、西岳も含んで戸隠連峰と呼ぶのかもしれない。


上信越国立公園「西岳連峰」の看板 (撮影 2003. 8.13)
   

「大望峠パノラマ図」の看板 (撮影 2003. 8.13)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<パノラマ図>
 展望台に立つもう一つの看板「大望峠パノラマ図」によると、遠く立山などの飛騨山脈まで望めるようだが、天候に恵まれないとなかなかはっきりとは見えない。
 
 少し手前には、飯縄(いいづな)山の肩に大洞峠があることになっているが、これもなかなかはっきり特定できなかった。
 
 面白いのは、小川の谷間に点在する山角・出し・原・小牧・山中・長峰・市野瀬・財又・中田・長畑という多くの集落名が記されていることだった。地形図上には更に無数の小さな集落が点在する。

   

<鬼無里方向に下る>
 展望台から屈曲した旧道を300mも下ると新道に合する。その後も小川沿いに至るまで、山岳道路らしい道が続く。途中、小川上流部に点在する集落を望む。霧で霞むような随分高い位置にも人家が見える。

   
鬼無里に下る途中の展望 (撮影 2003. 8.13)
右手上部の高台にに見えるのは財門集落だろうか
   

<小川沿い>
 小川沿いになると道も安定する。沿道には人家が絶えなくなる。道は空いているのでのんびり走っていると、道路脇の庭先に女の子2人がしゃがんで遊んでいた。 おままごとでもしていたのだろう。すると、こちらに気が付いて立ち上がり、手を振るのだ。いくら交通量が少ないと言えども、れっきとした主要地方道である。 車が通るたびに手を振っていては切りがない。私達はピンク色のキャミに乗り、運転も妻がしていたので、たまたま女の子たちの目を引いたのかもしれない。思わず私達も手を振り返す。鬼無里はまだこうした素朴な里であった。


沿道から人家を望む (撮影 2003. 8.13)
   

<鬼無里>
 文献(角川日本地名大辞典)によると、「鬼無里」という一風変わった地名は、小字小鬼無里(小川沿いの下流部に位置)が発祥地で、由来は「木流し里」の略かもしれないということだそうだ。
 
<伝説>
 一方、峠の展望台に立つ標柱には「伝説の谷」とあった。多分これは「鬼無里」という地名の由来となった伝説のことだと思う。 平安期に根上という所に内裏屋敷があり、紅葉(くれは、呉葉)と呼ばれる鬼女が住んでいたとのこと。「根上」という集落は現在でも裾花川の上流部に見える。 その鬼女を平維盛(たいらのこれもり)が誅し、それ以後「鬼の無い里」という意味から「鬼無里」と改称したとするものだ。 ただ、内裏屋敷の存在などについて確実な文献が残る訳ではないとのこと。それでも「鬼無里」という地名はどこか神秘性を感じる。
 
<鬼無里>
 道は鬼無里の中心地に入り、間もなく裾花川沿いに通じる国道406号に合する。小川もその近くで本流の裾花川に注ぎ、これで大望峠の峠道は終了だ。 この付近は裾花川の中流部に当たる。全流路に渡って険しい峡谷である裾花川であるが、この付近だけは小盆地を成し、穏やかな雰囲気である。

   

鬼無里にある「いろは堂」 (撮影 2003. 8.13)

<おやき(余談)>
 折角鬼無里に来て、ただただ通り過ぎては勿体ないと、どこかに立ち寄ることとした。しかし、なかなかいい場所が見当たらない。 結局名物の「おやき」でも食べようかと、ツーリングマップルに載っていた「いろは堂」に寄った。普段は旅先でこうした買い食いは滅多にしない。 妻は謙虚なことに一個を半分にしようかなどと話していたが、店に入るとさすがに体裁もあってそれぞれ一個ずつ選ぶこととした。私はポピュラーなつぶあん120円(税別)。 支払は2個で240円と少しだと思っていたら、ちょっと計算が合わない。妻は値の高い150円の野沢菜を選んでいた。一個を二人で分けようかとも言っていた張本人が、どういうことか。

   
   
   

 もう、15年も前のことなので、旅のことはあまり詳しくは覚えていない。少女たちが手を振ったこととか、おやきを食べたことなど、ちょっとした断片の記憶が残るばかりだ。それでも懐かしい旅の一コマだと思う、大望峠であった。

   
   
   

<走行日>
・1993.10.10 鬼無里→戸隠 ジムニーにて
・2003. 8.13 戸隠→鬼無里 キャミにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 20 長野県 平成 3年 9月 1日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・中部 2輪車 ツーリングマップ 1988年5月発行 昭文社
・ツーリングマップル 4 中部 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 4 中部北陸  2003年4月3版 1刷発行 昭文社
・県別マップル道路地図 20 長野県 2010年 2版21刷発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
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<1997〜2018 Copyright 蓑上誠一>
   
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