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駄吉峠  (仮称)
  だよしとうげ  (峠と旅 No.286)
  小八賀川中流域より谷間を抜け出る峠道
  (掲載 2017.12.31  最終峠走行 2016.10. 7)
   
   
   
駄吉林道の峠 (撮影 2016.10. 7)
手前は岐阜県高山市岩井町
奥は同市丹生川町駄吉
道は駄吉林道 (広域基幹林道 駄吉・青屋線の一部)
峠の標高は約1,400m (地形図の等高線より読む)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
21年振りに再訪した峠であった
現在は全線舗装の比較的走り易い林道が通じている
 
 
 
   

<峠名>
 「駄吉峠」というのは全くの仮称になる。現地に立つ看板か観光パンフレットの類で「駄吉峠」という文字をどこかで見たような覚えがあり、それ以降個人的にこの峠を駄吉峠と呼んでいた。 今回、その出所がどこだったか調べてみたのだが、皆目分からない。どうやら何かの勘違いだったようだ。
 
 今回の峠には一般に知られた峠名はなさそうだ。少なくとも、道路地図や地形図に名前の掲載は見当たらない。駄吉林道という道が通じるので「駄吉林道の峠」とでも呼ぶのが妥当だろう。 それを縮めて「駄吉峠」ということにもなる。勘違いしたのをいいことに、仮称で使わせてもらった次第だ。
 
 尚、「駄吉」(だよし)とは高山市丹生川町側にある駄吉という集落名から来ている。ちょっと変わった地名で、日本の中では他には見られない名ではないだろうか。

   

<所在>
 峠は岐阜県高山市丹生川町駄吉(にゅうかわちょうだよし)と同市岩井町(いわいまち)との境にある。
 
 丹生川町側は少し前までは旧大野郡(おおのぐん)丹生川村(にゅうかわむら、にうかわむら)の大字駄吉(だよし)であった。
 
 一方、岩井町側は旧大野郡大八賀村(おおはちがむら、だいはちがむら)の大字岩井であったが、高山市に合併したのはずっと昔の昭和30年のことである。 丹生川町のようないわゆる「平成の大合併」によるものではない。バイクや車で旅を始めた30年程前に眺めていた道路地図でも、既に高山市の一部になっていた。 ただ、ツーリマグップルなどには「岩井」とだけあり、「町」が付いていなかった。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<立地>
 長野県と岐阜県飛騨地方との境となる飛騨山脈(ひださんみゃく、北アルプスとも)にも程近く、安房峠や乗鞍岳の西に位置する。近くに平湯峠があるが、最近その峠を掲載し、その折にこの峠も思い出したのが今回の掲載の動機となった。

   

<水系>
 峠の北、丹生川町側には概ね小八賀川(こはちががわ)が西流する。峠はその左岸の支流・駄吉谷の上流部に位置する。
 
 峠の南、岩井町側では峠近くより岩井谷(岩井川とも)が流れ下る。岩井谷は大八賀川(おおはちががわ、だいはちががわ)の源流の川となる。ただ、峠道は岩井谷沿いには下らず、一旦大八賀川支流の生井川(なまい)沿いに移り、麓に降りてからで大八賀川沿いに戻って来る。
 
 小八賀川も大八賀川も宮川(みやがわ)の支流で、宮川は北流して富山県との境界で高原川(たかはらがわ)と合流、神通川(じんづうがわ)となって日本海に注いでいる。峠道全体は神通川水系にあり、峠そのものは小八賀川と大八賀川の分水界に位置する。

   
   
   
丹生川町より峠へ 
   

<国道158号>
 丹生川町から峠へ向かう道は国道158号から分かれて始まる。
 
 国道158号は長野県松本市街と遠く北陸の福井とを結ぶ長大な道路だ。安房峠(トンネル)で長野・岐阜の県境を越え、続いて平湯峠(トンネル)で小八賀川水域に入る。 その後、飛騨高山市街に入るまでほぼ小八賀川沿いに下るが、この間、道は快適でその分単調だ。 松本とかつての飛騨国の中心地・飛騨高山を結ぶ幹線路とあって利用頻度は高く、幾度か往来したが、どうしても飽きが来る。しかし、小八賀川の谷からは容易には抜け出せない。ほぼ唯一の道筋が今回の峠道となる。

   

<駄吉の分岐>
 安房峠と飛騨高山市街との中間くらいにその分岐はある。しかし、国道上には何の案内もない。「地釜作り豆腐 製造直売」とか「味の宿 川瀬」という店の看板が分岐の角に立っているばかりだ。また、分岐の少し安房峠寄りに比較的広い駐車スペースが国道脇に設けられている。それらが目印となる。
 
 この地は高山市丹生川町駄吉になるが、国道沿いに人家は見られない。また、国道の北側は地名としては丹生川町塩屋(しおや)となるようだ。


国道158号を高山方向に見る (撮影 2016.10. 7)
左に峠道が分かれる
   

「魚の宿」の看板 (撮影 2016.10. 7)

<小八賀川左岸へ>
 分岐した道は直ぐに橋を渡る。橋の袂に「魚の宿」と看板があった。これも何か店の案内かと思っていたが、後で写真を確認すると、高山市による小八賀川(こはちががわ)に関する案内であった。丹生川村が高山市と合併した後に立てられた、比較的新しい看板ということになる。
 
 看板には小八賀川に生息する魚たちの保護などを目的に「魚の宿」を設け、川と地域の人々をはじめ、訪れた方々がふれあう場とする旨が書かれている。 ただ、その「魚の宿」というのが一体どんな物なのかは分からない。また、小八賀川は乗鞍岳を源とし、いくつもの谷川を合流し小八賀川となって流れ下り、宮川と合流する一級河川であり、付近にはイワナやマスが生息するとも説明されていた。

   

<駄吉集落>
 小八賀川を渡った左岸に国道に並行するように道が通じ、まずその沿道に看板で案内されていた商店などが立つ。
 
 ここより上流側の左岸一帯が駄吉集落となる。旧丹生川村の中ではほぼ中央に位置する。江戸期の駄吉村で、明治8年(1875年)に周辺の村々と合併して丹生川村が誕生、旧村域はその一部となった。
 
 尚、村内を流れる小八賀川の古名が「丹生(の)川」であったことにより、この「丹生川村」という名になったそうだ。小八賀川の源流を含め、ほとんどの小八賀川水域は旧丹生川村に属す。


小八賀川を渡る (撮影 2016.10. 7)
対岸は駄吉の集落
   

 わざわざ快適な国道から分かれて駄吉集落に通じる橋を渡るのは、集落の住民と店などに訪れる客がほとんどである。 国道には松本市街や平湯温泉・乗鞍岳への観光客の車が数多く通行するが、対岸にひっそり佇む駄吉集落に関心を寄せることはまずない。ましてや駄吉林道の峠を越えようとやって来る者は稀であろう。
 
<上流方向へ進む>
 峠へは川を渡った先のT字路を左折し、小八賀川の上流方向に進む。まだ沿道に人家は少ない。駄吉集落の中心は500mくらい行った先にあるようだ。
 
 丹生川村になった最初は駄吉組と称され、明治22年の市制・町村制施行からは同村の大字駄吉となっている。 このちょっと面白い地名の由来について、文献(角川日本地名大辞典)では次のようにあった。
 「後風土記」は、「だよし」とは手寄(たよせ)のなまりで、地内にまつる天照大御神を手寄に拝む意か、としている。

   
左岸沿いの道を上流方向に進む (撮影 2016.10. 7)
道より少し下の川寄りに駄吉集落の人家が点在する
   

<林道分岐>
 左岸を300m程を遡ると、右手に分岐が出て来る。ここが峠道の丹生川町側起点となる。入口には林道看板などが立ち並ぶ。入口の反対側には鳥居が立っていたが、地名の由来となった天照大御神を祀る神社であろうか。


右手に駄吉林道が分岐 (撮影 2016.10. 7)
左手に鳥居が見える
   

広域基幹林道の看板 (撮影 2016.10. 7)

<広域基幹林道>
 林道入口の左には広域基幹林道の看板が立つ。今回の峠を越える道は、部分的には駄吉林道であるが、広くは広域基幹林道・駄吉青屋線と呼ばれるようだ。
 
 看板の説明によると、広域基幹林道はここを起点に高山市生井(なまい)地内を経て、朝日村青屋(あおや)に通じる全長20.304mの林道とある。 朝日村も既に高山市に合併され、今は高山市朝日町(あさひちょう)青屋である。
 
<生井>
 尚、「生井地内」を経るとあるが、峠を越えた先は高山市岩井町(いわいまち)の地だ。「生井」(なまい)は峠道の続きとなる県道462号を下った途中にある一集落となる。広域基幹林道はそこを通らない。「生井地区」とかこの後に「生井町」という名が出て来るのだが、どうも実体が分からない。

   

<道程>
 全長約20Kmの広域基幹林道の内、峠の丹生川町側は8Km弱となる。また、峠の岩井町側は直ぐに県道462号・岩井高山停車場線に接続してしまい、峠道としては合計でも8Kmくらいしかその林道を走らない。
 
 それにしても、年間通行利用者が4万人を超えるというのは驚きだ。ちょっと信じられない数値である。毎年それ程の車が今回の峠を越えているとは思えない。あるいは、広域基幹林道・駄吉青屋線の内、峠道とは違う区間での利用が多いのだろうか。

   

広域基幹林道の看板 (撮影 2016.10. 7)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

看板の案内図 (撮影 2016.10. 7)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<駄吉林道>
 入口の右手には駄吉林道の林道標柱や注意看板が立つ。林道標柱には次のようにある。
 駄吉林道
 巾長 5.0m
 延長 7,772m
 平成7年度竣工
 丹生川村

 
 峠にも同じような林道看板があるので、駄吉林道と呼んだ場合、ここから峠までの区間を指すようだ。7,772mはその距離となるのだろう。
 
<峠の開通>
 林道竣工の平成7年(1995年)度が峠の開通年であろうか。それ以前にも人が歩いて越えるような峠道が通じていた可能性はあるが、少なくとも車道の峠の開通は駄吉林道の開通と同時と考えられる。
 
 ところが、その年の5月5日に偶然にもこの峠を越えているのだ。 当時使っていた1988年5月発行のツーリングマップ(中部 2輪車 昭文社)には、地図上の林道は途中で切れているものの、ガイドのコースとしてこの道が紹介されていたのだ。それを頼りに当時の高山市側から丹生川村へと峠を越えている。少なくともツーリングマップの発行1988年以前に林道は既に通じていたのだ。駄吉林道の竣工1995年との相違は謎である。

   
駄吉林道入口 (撮影 2016.10. 7)
右手に林道標柱などが立つ
   
   
   
駄吉林道を峠へ 
   

<駄吉林道を行く>
 林道は、最初小八賀川の下流方向へ少し戻るように進み、続いて上流方向へと転じながら左岸の山を登る。高度を上げ小八賀川の谷を広く望むようになる。


道の様子 (撮影 2016.10. 7)
一旦下流方向へ
   

道の様子 (撮影 2016.10. 7)
上流方向に向く

<道の様子>
 林道に入ってからは人家はもうない。道の下の方に駄吉の集落があるのだろうが、路上からははっきりとは見えない。

   

<支線林道分岐>
 直ぐに支線の林道が右手の山の中へと分岐していた。ゲートはあるが開いている。林道看板も立っていたのだが、林道名は読み落としてしまった。
 
 
 <小八賀川の谷の様子>
 道沿いに人家はないが畑などの耕作地が僅かながら見える。下の川岸近くには水田もあるようだ。黄金色の稲穂を付けている。対岸には国道158号が一筋通じる。


右に支線林道分岐 (撮影 2016.10. 7)
   
丁度、林道起点付近を見下ろす (撮影 2016.10. 7)
右手隅に鳥居が見える
対岸に通じる国道沿いにある駐車スペースも確認できる
   
小八賀川の谷の様子 (撮影 2016.10. 7)
   

電波塔 (撮影 2016.10. 7)

<沿道の様子>
 沿道には一基の電波塔が目立って立っているが、他にはビニールハウスや農作業小屋の類がちらほら見られるばかりだ。「土石流危険渓流」の看板も立ち、道の右手には険しい崖がそそり立っている。
 
 その内、駄吉集落の中心地の上部を通り過ぎるが、沿道からは人家などの様子はうかがえなかった。
 
 対岸の国道158号には乗用車に混じって大型の観光バスも走っている。丹生川町(旧丹生川村)は人口流出が多かったが、乗鞍岳を擁する地として観光化が強く進められてきた。 それに伴い、国道158号も快適になって行ったようだ。乗鞍岳の登山基地となる畳平と飛騨高山市街とを結んだ観光路線の役割を担う。

   
小八賀川の谷の様子 (撮影 2016.10. 7)
この下に駄吉集落があるようだが、よく見えない
   
小八賀川の谷の様子 (撮影 2016.10. 7)
観光バスが国道158号を飛騨高山方面へと走っている
   

<ゲート箇所>
 道がまだ小八賀川の谷沿いにある内にゲート箇所に至る。集落の田畑ももう通り過ぎた。ゲートから先は冬期間などに通行止となるのだろう。
 
 ゲートは錆びて古い物だが、その支柱に真新しい目立つ看板が立っていた。「全日本ラリー」とある。詳しいことは知らないが、駄吉林道を利用した催しのようだ。年間通行利用者4万人超えとも関係するのだろうか。


ゲート箇所 (撮影 2016.10. 7)
   

ゲート箇所に全日本ラリーの看板が立つ (撮影 2016.10. 7)

全日本ラリーの看板 (撮影 2016.10. 7)
   
   
   
駄吉谷沿い 
   

駄吉谷左岸の道 (撮影 2016.10. 7)

<駄吉谷左岸>
 ゲート箇所を過ぎると直ぐに、道は山の中へと分け入って行く。駄吉集落の東端に小八賀川の支流となる駄吉谷が流れ下って来ているが、道はその左岸沿いに登りだす。 広い小八賀川の谷間ともお別れだ。狭く暗くジメジメした川筋を行く。崖から流れ落ちて来た脇水が路面を浸している箇所もあった。それでも路面の舗装状態は比較的良好で、道幅も1.5車線以上は確保されている。見た目ほど走り難いことはない。

   

<右岸へ>
 左岸を600m程遡ると、連続する2つの橋で駄吉谷の右岸へと渡る。ちょっと変則的で、道は一旦右岸沿いを下る方向に進む。


2つの橋で駄吉谷の右岸へ (撮影 2016.10. 7)
   

墓地 (撮影 2016.10. 7)

<墓地(余談)>
 すると左手の川沿いに墓石の一群が見られた。駄吉谷右岸に広がる僅かな平坦地に築かれた墓地である。集落からはやや離れた寂しい山の中で、意外な感じがしないでもない。 ゲート箇所も過ぎた後でもある。それでも墓地周辺はきれいに草が刈られ、車でも訪れることができるようだ。墓は比較的新しいが、古そうな墓石も多く混じる。駄吉集落に代々住んで来られえた方々が眠るのであろう。

   

<右岸沿い>
 墓地の脇を過ぎて、やっと道は右岸沿いを遡り始める。杉の木が林立し、川面などは望めない。視界も広がらない。路面に落葉が堆積して寂れた雰囲気の箇所もある。

   

道の様子 (撮影 2016.10. 7)

道の様子 (撮影 2016.10. 7)
   

<駄吉谷上流部>
 右岸沿いを1.4km、駄吉谷沿い合計2kmで道は上流部を横切る。右岸沿いを更に遡る方向に荒れた道が分かれていた。入口には「山菜取り禁止」の看板が立つ。
 
 一方、本線は左岸へと橋を渡る。ここは峠までの山腹のほぼ中間地点だが、これから道は川筋を離れ、山腹を蛇行しながら峠を目指すこととなる。この先の道程はここまでの3倍近い。

   

駄吉谷の上流部 (撮影 2016.10. 7)
右岸沿いに道が分かれる
それが峠道の古道かもしれない

駄吉谷の左岸へ (撮影 2016.10. 7)
これから山腹の蛇行が始まる
   

<古い峠道>
 駄吉林道より以前に徒歩による峠道が通じていたとしたら、駄吉谷沿いにもっと上まで登っていたことと思う。地形図では川筋に沿って駄吉谷の源頭部まで道が描かれている。林道の方も、後にその道と交差している。

   
   
   
山腹の蛇行 
   

<山腹の蛇行>
 川筋を離れてからの道は、迷走するかのように山腹を蛇行して登る。視界が広がらず、方向感覚も失いがちだ。沿道からは構造物の姿も消える。一度だけ、大きな倉庫の様な小屋が見られただけである。
 
 植生も徐々に変わっていくように思う。白い幹の木が多くなった。 今回の峠道の規模はあまり大きくないが、それでも駄吉集落で標高は既に800m前後、駄吉谷の川筋を離れてからは1,000mを超えている。そして頂上の峠が約1,400mとなる。小さな峠道の割に、標高は全般に高い。


小屋が見られた (撮影 2016.10. 7)
   

道の様子 (撮影 2016.10. 7)

道の様子 (撮影 2016.10. 7)
白い幹の木が目立って来た
   

<流水>
 地形はそれなりに険しいのだが、道は依然として安定していて、切り立つ断崖をよじ登るような危険はない。 ただ、駄吉谷左岸から流れ落ちる沢からの流水が見られ、場所によって路面が水浸しになっている。水と一緒に僅かながら土砂が流れ出ている箇所もあった。見た目にはちょっと険しい感じである。

 
流水の様子 (撮影 2016.10. 7)
やや険しい様相
   

<積雪時の様子>
 初めてこの峠を訪れたのはゴールデンウィーク中の5月5日だったが、まだ積雪が見られた(下の写真)。この日、一旦冬期閉鎖が解除となった安房峠が遅い降雪の為に通行止となっている。 まだ、安房トンネル開通前のことである。駄吉林道で見られた積雪も、この不意の降雪による一時的なものだったのかもしれない。さすがに標高1,790mの安房峠は不通となったが、駄吉林道は問題なく通ることができた。

   
峠より駄吉集落へと下る途中 (撮影 1995. 5. 5)
路面は未舗装の様にも見えるが、はっきりしない
   

<かつてはダート>
 当時使っていたツーリングマップ(1988年5月発行)には、「ダート」と記載があった。はっきりした記憶がある訳ではないが、未舗装区間が残っていたような気がする。 思わぬ雪景色に驚きはしたが、道は意外と走り易かった。ちょっとした積雪時では、アスファルト舗装などより土や砂利の路面の方がタイヤのグリップが良く、かえって安全に走れる。 しかし、こんな寂しい冬の山道を、よくもまあたった一人で走ったものだと思う。そんな気力も体力も、今はもう完全に失ってしまった。

   
沿道からの景色 (撮影 1995. 5. 5)
やや霧に霞む
   

<景色>
 峠の丹生川町側は小八賀川左岸の急傾斜地で、景色が広がりそうなものだが、そうでもない。入り組んだ谷の中を道が右往左往するばかりで、なかなか眺望が得られない。 それでも樹間から僅かに小八賀川の谷を望める箇所があった。直線的な駄吉谷を通して小八賀川右岸の山々の景色が遠望できた。

   
樹間から望む景色 (撮影 2016.10. 7)
   

 高い稜線がほぼ水平に走る。その標高1,600m内外の峰の向こうは、宮川と対を成す神通川のもう一つの源流・高原川(たかはらがわ)の水域となる。 尚、小八賀川右岸の麓付近に僅かながら集落が見えるが、丹生川町旗鉾(はたほこ)と思う。駄吉集落は谷の底深くにあり、姿は現さない。

   

<駄吉谷源頭部>
 山腹をよじ登る道は、後半は絶えず左手に駄吉谷を見て進む。急な崖に沿う道だが、途中、地形がちょっと穏やかな部分を過ぎる。そこが駄吉谷の源頭部である。 はっきりした川筋が確認できる訳ではないが、その直ぐ西に大八賀川との分水界となる鞍部があり、地形図では標高「1361」mと記載がある。そこが駄吉谷の源で、反対側は大八賀川の支流・生井(なまい)川の源ともなる。
 
 地形図では駄吉谷沿いに登り、1361mの鞍部に至る徒歩道が描かれている。また反対側の生井川沿いにも、鞍部の数100m手前まで軽車道が登って来ていた。 仮に古くから丹生川村駄吉と高山市岩井町方面とを結ぶ峠道があったとすれば、その1361mの鞍部こ峠があったのではないかと思えて仕方がない。


この付近が駄吉谷源頭部 (撮影 2016.10. 7)
しかし、崖側にはガードレールがあり、
川筋に通じる徒歩道が交差しているような様子はなかった
古道があったとしても、既に草木に埋もれてしまっているようだ
   

道の様子 (撮影 2016.10. 7)
切通しの様な部分を過ぎる

<駄吉谷右岸>
 道は駄吉谷源頭部を横切り、右岸側の山腹を伝い始める。ちょっとした切通しのような箇所を過ぎると、また山の斜面の勾配はきつくなった。右手は小八賀川と大八賀川との分水界の峰が続く。 急斜面に道を切り開いたことにより、右手に擁壁が続くことが多くなった。一方、左手は谷が切れ落ちるように下る。それでも道幅が十分確保されているので、ガードレールがない箇所でも、それ程危険な感じはしない。

   

道の様子 (撮影 2016.10. 7)
斜面は急で、右手は擁壁、左手は崖が切れ落ちる

道の様子 (撮影 2016.10. 7)
やや寂れた感じ
   
   
   
 
   

前方が峠 (撮影 2016.10. 7)

<峠>
 道が登るのと同時に右手の峰が下って来て、その接点が峠となる。峠が通じる箇所はあまり明確な鞍部にはなっていないが、道の最高所であるのは確かであり、それなりに峠らしい雰囲気を感じる。

   
丹生川町側から見る峠 (撮影 2016.10. 7)
   

<市村境の看板>
 現在は峠のどちら側も高山市になっているが、まだ丹生川村が高山市に合併する前の看板が残っていた(2016年10月現在)。看板の片側には「ここより 高山市 岩井町」、その反対側には「ここより 丹生川村 駄吉」とある。
 
 尚、岩井町には「Iwaicho」(いわいちょう)とローマ字表記がされていたが、文献その他の資料ではほとんど「いわいまち」となっていた。「まち」と「ちょう」、どちらが正しいのであろうか。正式名と地元などでの呼称が異なることもままあることだが。

   

高山市岩井町の看板 (撮影 2016.10. 7)

丹生川村駄吉の看板 (撮影 2016.10. 7)
   

<峠の様子>
 丹生川町側からだとやや険しい峠に見えるが、岩井町側から見る峠は穏やかな雰囲気だ。地形の違いに大きく関係するのだろう。峠の部分で道はS字カーブを描いていて、峠の前後を一度で見通すことはできない。

   
岩井町側から見た峠 (撮影 2016.10. 7)
林道看板などは、やや丹生川町寄りに立つ
   

乗鞍高原遊歩道の入口 (撮影 2016.10. 7)

<乗鞍高原遊歩道>
 峠から稜線上を西へ道が分かれる。ちょっと覗いた限りは、やや荒れた感じがする林道だ。入口に「乗鞍高原遊歩道」と小さな立札が立つ。他に林道看板などはなく、林道名は分からない。
 
 駄吉林道がまだ駄吉谷沿いの部分しか描かれていなかったツーリングマップ(1988年5月発行)でも、既にこの道の記載はあった。 稜線沿いに暫く進み、例の1361mの鞍部も通り、その後下って生井川沿いに近い根方(ごんぼう)という集落へ至っている。後のツーリングマップルでは約11.5kmでダートがあると記されていた。

   

<林道看板など>
 峠から丹生川町側に向く方向に林道看板などが立ち並ぶ。林道走行上の注意事項や山火事注意、山菜・山野草などの収集禁止などの看板が大半だ。

   
林道看板などが並ぶ (撮影 2016.10. 7)
   

<駄吉林道起点>
 ここに駄吉林道の林道看板が立つということは、この峠が駄吉林道の一方の起点となるようだ。峠から岩井町側に下ると直ぐに県道に接続するが、その間は含まれないことになる。 駄吉側起点にあった林道標柱に延長7,772mとあったが、やはりその距離はこの峠までのものと思う。
 
 最初にこの峠を訪れた時には、初代と思われる林道看板が立っていた(下の写真)。「林道 駄吉線」とある。既に赤錆びて、古さを感じさせていた。やはり、初めて峠に車道が通じたのは、駄吉林道の標柱にあった竣工年(1995年)ではなく、もっとずっと古いようだ。


林道看板 (撮影 2016.10. 7)
   
以前の林道看板 (撮影 1995. 5. 5)
この時、既に古ぼけていた
   

駄吉・青屋林道の看板 (撮影 2016.10. 7)
広域基幹林道とはうたっていない

<駄吉・青屋林道>
 現在、駄吉林道(林道駄吉線)は広域基幹林道・駄吉青屋線の一部になっているが、それ以前に「駄吉・青屋林道」という呼称があったようだ。青い新しい林道看板の後に、今もその名を書いた看板が倒れている。ただ、文字はいたる所消えて、ほとんど意味を成さない。

   
峠を丹生川町方向に見る (撮影 2016.10. 7)
   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 1995. 5. 5)
現在より開けた峠であった
   

<以前の峠>
 上の写真が最初に訪れた時に峠を写したものとなる。今より峠周辺の木々が少なく、旧丹生川村側は開けた感じがする。駄吉・青屋林道の看板はまだしっかり立っていた(写真の左端)。
 
 右側に立つ「ここより 駄吉」と書かれた看板はまだ新しかった。 どうも、この看板を「ここは 駄吉峠」と勘違いしたような気がする。それで峠名を誤ってしまったようだ。

   
   
   
峠の岩井町側へ 
   

<岩井>
 峠の南側は大八賀川水域であることに変わりないが、地名の変遷は多い。戦国期・江戸期に掛けては岩井村であった。明治8年に大名田(おおなだ)村の一部となる。最初、大名田村岩井組と呼ばれ、明治22年の市制・町村制施行から大字岩井となる。
 
 明治25年に大名田村が大八賀村、灘(なだ)村、大名田村の3か村に分村、岩井は大八賀村の10大字の一つとなる。そして昭和30年に大八賀村が高山市に合併すると、高山市岩井町となった。
 
 結局、明治以降に岩井村→大名田村→大八賀村→高山市と変遷しているようだ。
 
 岩井の地は大八賀川の上流・岩井谷沿岸に位置する。文献では地名の由来を次の様に記していた。
 当村の用水は岩石の間から引いて用いたこと、または大八賀郷の村々を潤す大八賀川の源であるため、これを崇拝して「斎いの村」といったことによるという。
 
 大八賀郷とは室町期から見える郷名で、江戸期には三福寺(さんふくじ)・松本・松之木・五名(ごみよう)・漆垣内(うるしがいと)・大洞(おおぼら)・塩屋・山口・大島(おおじま)・岩井・滝の11か村を総称する広域地名であった。大八賀郷の内、岩井村は最上流域に位置しているようだ。

   

<岩井町側へ>
 峠から引き続き岩井町側へと寂しい道が下る。岩井谷右岸の山腹をやや上流方向に向かって進んでいる。南斜面に位置するので明るい雰囲気だ。ただ、木々が多く、遠望には恵まれない。


峠より岩井町側に下る道 (撮影 2016.10. 7)
   

岩井町側のゲート箇所 (撮影 2016.10. 7)

<ゲート箇所>
 下り始めて直ぐにゲート箇所を過ぎる。ゲートのすり抜けを防止する為にか、なだらかな稜線上にある峠付近を避け、道が斜面を下る途中に設けたのだろう。錆びたゲートがある以外、何の変哲もない場所だ。

   

<保安林内作業許可標識>
 更に下ると、何か新しそうな看板がポツリと立っていた。「保安林内作業許可標識」とある。ただ、作業期間は平成22年までとあり、工事はとっくに終わっているようだ。
 
 林道名などの参考になるかと思ったが、「駄吉林道」以外の記述はなかった。所在地は「高山市岩井町」で間違いない。


保安林内作業許可標識の看板 (撮影 2016.10. 7)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<県道に接続>
 峠から200mも下ると広い道に突き当たる。県道462号・岩井高山停車場線になる。

   
県道に接続 (撮影 2016.10. 7)
手前が峠方向
   

<林道入口の様子>
 岩井町側から県道を来ると、峠へはこの分岐を入ることとなる。入口右手に「森林基幹道 駄吉線」の看板が立つが、県道沿いには何の案内もない。

   
県道側より分岐を見る (撮影 2016.10. 7)
   

<「近道」の看板>
 初めてこの分岐に立った時は、赤字で「近道」とかかれた小さな看板が峠方向を指していた。「国道158号線への」近道で、「悪路通行注意」とも書かれていた。 そこまでの県道に比べれば、確かに険しい道ではある。今の様に道の行先について何の案内もないより、そんな小さな看板でも、立っているだけましであった。

   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 1995. 5. 5)
右手に「近道」の看板が立っていた
   

<森林基幹道の看板>
 一方、当時にはまだ「森林基幹道 駄吉線」の看板はなかった。
 
 峠にかつてあった古い林道看板では「林道 駄吉線」で、その後に竣工平成7年の「駄吉林道」があり、更に「森林基幹道 駄吉線」という呼称もあることになる。看板には「高山市役所 丹生川支所」とあるので、丹生川村が高山市に合併した後の比較的最近の名称のようだ。

   

「森林基幹道 駄吉線」の看板 (撮影 2016.10. 7)
右手に「乗鞍高原遊歩道」の立札も見える

「森林基幹道 駄吉線」の看板 (撮影 2016.10. 7)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

分岐を麓方向に見る (撮影 2016.10. 7)

 林道駄吉線あるいは駄吉林道は、峠を起点に旧丹生川村側の区間のみを指すと思うのだが、「森林基幹道 駄吉線」の看板は岩井町側に少し下った県道からの分岐に立つ。もしかすると、この分岐を林道の起点に改められているのかもしれない。
 
 林道の区間がどうあれ、駄吉集落と岩井町とを結ぶ車道のコースは、地形的な要因もあるだろうが、岩井町側に通じる既存の県道とつなげることを目的に開削されたような気がする。県道の支線といった位置付けだ。

   

<日影平>
 長野県との県境にそびえたつ乗鞍岳の主座・剣ヶ峰より、西に連なる峰の先に日影平山(ひかげだいらやま、1,596m)がある。かつては丹生川村・朝日村・高山市の境界となる山だった。 日影平山から更に西へ小八賀川と大八賀川との分水嶺が連なるが、その地は日影平と呼ばれるなだらかな丘陵性の地形を成している。文献ではその地形を利用して「日影平牧場」が営まれているとあったが、どこなのかは分からない。
 
 峠道はその西端に降り立っている。県道462号を東へ100m程も登ると、道は再び小八賀川水域側にちょこっと顔を出す。残念ながら木々が多く、小八賀川の谷間の景色は広がらなかった。


日影平の稜線上 (撮影 2016.10. 7)
少し小八賀川水域側に出ている
ハスラーは「国立乗鞍青年の家」方向を向く
   
小八賀川の谷間を望むが、木々が多くて視界はなかった (撮影 2016.10. 7)
   

<岩井高山停車場線>
 県道462号は更にその平坦な日影平を日影平山の西斜面近くまで行き、その道の終点に「国立乗鞍青少年交流の家」(単に「国立乗鞍青年の家」とも)があるそうだ。 岩井高山停車場線の名の「岩井」はその「青少年交流の家」がある地である。また、「高山停車場線」とあるので高山駅が起点となるようだ。

   
   
   
県道462号を下る 
   

<大八賀川水域の峠>
 大八賀川は日影平山西面に源を発し、県道462号もその付近で尽きる。しかし、地形図では県道に続いて軽車道が小八賀川水域側に下り、駄吉谷上流部へと繋がっている。 本来なら、その道が大八賀川を代表とする峠道となるだろうが、果して容易に通れるような道かどうか分からない。また、駄吉林道の峠道とも近い関係にあるので、ここでは県道462号の区間も今回の峠道に含めてしまう。
 
<県道を下る>
 駄吉林道に続いて県道を462号を下る。県道看板に「3Km」と出て来た。「国立乗鞍青年の家」側を起点とした道程を示しているようだ。

   

県道462号を下る (撮影 2016.10. 7)
左手に県道の看板

県道の看板 (撮影 2016.10. 7)
   

飛騨高山スキー/キャンプ場の看板 (撮影 2016.10. 7)

<飛騨高山スキー/キャンプ場>
 駄吉林道への分岐からなら僅か1Kmで飛騨高山スキー/キャンプ場の分岐に出る。大きな看板が立つ所を左に道が分かれる。日影平の下部に続く平坦地を小梨平と呼ぶようで、そこに高山市市営の飛騨高山スキー場・飛騨高山キャンプ場があるようだ。

   
県道よりスキー場方面を見るが、何も見えない (撮影 2016.10. 7)
   

<スキー場方面の眺め>
 以前は県道脇より下を覗くと、整地された広場が広がっているのが望めた(下の写真)。グランドとのこと。スキーゲレンデはもっと奥にあるものと思う。標高1,300mを超える土地にこうした平坦地が見られるのが、日影平・小梨平の特徴であろう。

   
スキー場方面を見る (撮影 1995. 5. 5)
県道の下にグランドが広がるようだ
この時はまだ見通しが良かった
   

<分岐の様子>
 スキー場入口の分岐は、よくよく見ると、3本の道が分かれて行く。左がスキー場・キャンプ場へ、真ん中が広域基幹林道・駄吉青屋線の続き、右が「岐阜大学 流域圏科学研究センター 高山試験地」の施設へとなる。
 
<駄吉青屋線(余談)>
 広域基幹林道・駄吉青屋線は、この分岐から岩井谷沿いへ下って岩井谷左岸へと渡り、更に峰を越えて高山市朝日町(旧朝日村)青屋へと入って飛騨川(ひだがわ)の支流・二又川沿いに至る。 飛騨川は木曽川最大の支流であり、すなわち太平洋側の水系だ。これまで気付かなかった、岩井町と朝日町の境は本州を太平洋側と日本海側に分かつ中央分水嶺(大分水界)であった。 ただ、そこを越える駄吉青屋線の峠にはやはり名はないようだ。駄吉林道と同様、こうした新しく開削された林道の峠には名前が付けられないことが多く、残念だ。


スキー場方面以外の道 (撮影 2016.10. 7)
左が駄吉青屋線、右が岐阜大学の施設へ
   
分岐付近の様子 (撮影 2016.10. 7)
右手に岐阜大学の施設を案内する看板が立つ
   
岐阜大学の施設を示す看板 (撮影 2016.10. 7)
   

<ゲート箇所>
 駄吉林道にはゲート区間があったが、県道462号にもゲート区間がある。スキー場入口分岐の直ぐ先にしっかりしたゲート箇所が待っている。側らに道路情報の電光掲示板が立ち、雨量による通行規制も行っている。

   
ゲート箇所 (撮影 2016.10. 7)
麓方向に見る
   

<県道のゲート区間>
 ゲート箇所の先は、日影平・小梨平といった穏やかな平坦地から分かれ、一転して険しい地形となる。 道は岩井谷右岸の幾つかの短い支流の上流部を巻くように進み、大八賀川の支流・生井川沿いに降り立つ。最終的には生井川沿いに立地する生井集落でゲート区間が終わることになるが、その距離7Km余り。 駄吉林道を越えて来て、またゲート区間に入るというのが何となく変な感じがする。

   
ゲート箇所を峠方向に見る (撮影 1995. 5. 5)
右に飛騨高山スキー場などへの道が分かれる
   

 県道のゲート区間は地形的に険しい為、落石や大雨で通行止になるのだろう。基本的に積雪による冬期通行止を目的としたのではないと思われる。 冬期通行止なら麓側に一箇所ゲートがあるだけでよく、山側にある必要はない。そもそもこの県道462号はスキー場へのアクセス路であり、冬期も除雪されて通行を維持する筈だ。
 
 ただ、この区間が通行止になると、「国立乗鞍青少年交流の家」などがある日影平・小梨平へは広域基幹林道・駄吉青屋線がほぼ唯一のアクセス路となる。緊急脱出的な利用はされるだろうが、代替路としてはちょっと道が悪い。

   
   
   
ゲート区間 
   

道路標識などが並ぶ (撮影 2016.10. 7)

<ゲート区間へ>
 道路沿いには「エンジンブレーキ(ローギヤー使用)」、「雪崩注意」、「急勾配10%」などの注意看板・道路標識が並ぶ。多くは冬場にスキー場を訪れたスキー客に対しての注意と思う。普段、こうした山岳道路には慣れていないドライバーもやって来ることだろう。
 
<みかえり坂>
 写真には撮れず、ドラレコ(ドライブレコーダー)の画像に写っていただけだが、「自然を大切に みかえり坂」という看板が一つあった。このゲート区間の急坂を指すようだ。「みかえり坂」とは古くからあった名称だろうか。あるいはスキー場ができてから、注意喚起も兼ねて名付けたのだろうか。

   

<大型トラック(余談)>
 この時は、大型トラックが時折通行していた。上の方で何か工事を行っているようだ。スキー場の整備だろうか。路肩などで停まって写真を撮っていると、急にトラックが現れて慌てさせられることがあった。一般車の通行より多いように思われた。
 
<景色>
 道は岩井谷本流の谷から外れている為か、沿道にはほとんど景色は広がらない。それでもゲート区間に入った当初は、岩井谷が通じる南方の眺めがあった。逆光で写真はうまく撮れなかったが、中央分水嶺の峰々も望めていたのだろう。


大型トラックとすれ違う (撮影 2016.10. 7)
   
沿道から見る景色 (撮影 2016.10. 7)
   

<つづら折り>
 道は屈曲は多いものの、つづら折りの様なヘアピンの連続はない。ただ、途中一箇所、S字に蛇行する所があり、「つづら折りあり」等の道路標識が並んでいた。

   

串だんご状態の道路標識 (撮影 2016.10. 7)
この先につづら折りが待っている

道路標識 (撮影 2016.10. 7)
一番下は「つづら折りあり」
   

<尾根沿いに>
 それまで概ね左手に岩井谷本流の谷が下っていたが、そのつづら折りからは岩井谷と生井川との分水界となる尾根上に乗る。道の右側にも谷を望むようになり、視界も幾分広く、雰囲気も変わった。

   
つづら折りの途中 (撮影 2016.10. 7)
尾根沿いとなり、やや視界が広くなった
   

<右に分岐>
 つづら折りを過ぎた直ぐ先で、右に細い道の分岐がある。この時は通行止だったが、生井川沿いにショートカットで下る道のようだ。


右に分岐 (撮影 2016.10. 7)
   

尾根沿いの道 (撮影 2016.10. 7)

<県道のルート>
 一方、県道462号の方は、直ぐには生井川沿いに下ることなく、相変わらず生井川左岸の尾根上を進む。2車線路の道は安定していて、遠望はないにしろ、空が広い感じだ。 ただ、安定した地形のルートを選択した為、分岐していた林道で生井川沿いに下るより、道程は倍近く長い。
 
<生井川沿いに下る>
 それでも、いつまでも尾根沿いに進む訳にはいかない。やがて生井川左岸の斜面を目まぐるしく蛇行しながら下りだした。道の勾配も急だ。

   

<生井川沿いに>
 最後の左急カーブで生井川を右岸へと渡り、それ以後はずっと生井川沿いとなる。飛騨高山スキー場分岐から約4.6Kmである。
 
<川沿いの道>
 右岸へ出た所を、右に道が分岐する。舗装された様子はあるが、かなり傷んだ道だ。道幅も狭く、ほとんど一車線分しかない。 その道が生井川沿いに遡り、道は途中で途切れるが、その先で駄吉谷と向かい合う1361mの鞍部に至っている。現在の県道のルートが開削される前は、多分、その道筋に古道が通じていたのではないかと想像する。


生井川沿いに出た (撮影 2016.10. 7)
右に分岐
かつての古道か?
   

建造物が出て来る (撮影 2016.10. 7)
浄水設備だろうか

<生井川沿い>
 生井川沿いは、まだ少し屈曲は残るものの、さすがに川沿いとあってヘアピンカーブは影を潜めた。岩井谷から大八賀川へと続く本流は、南の方を大きく迂回して流れている。一方、この生井川は1361mの鞍部からほぼ真っ直ぐ西流する。その川に沿う道も直線的だ。
 
 やがて沿道に建造物が見られ始める。集落は近いようだ。生井川の狭く鋭い谷は続いているが、それでも僅かに広がりだし、谷底に通じる道もだんだんゆったりして来た。人家らしい建物が見られたが、もう使われている様子はない。ここはまだゲート区間内である。

   

擁壁が連なる (撮影 2016.10. 7)
道は立派だ

人家の様な建物 (撮影 2016.10. 7)
もう使われていないようだ
   
沿道の様子 (撮影 2016.10. 7)
倉庫などがある
   

<ゲート箇所>
 県道462号の麓側のゲート箇所に至る。ゲート区間は8Km余りだった。
 
 ゲートを過ぎると直ぐにチェーン着脱場がある。側らには「気をつけてお帰り下さいませ」と飛騨高山スキー場の看板が立つ。このゲートから上の県道は、やはりスキー場のアクセス路の意味合いが強い。


ゲート箇所 (撮影 2016.10. 7)
   

ゲート箇所を峠方向に見る (撮影 2016.10. 7)

沿道にチェーン着脱場がある (撮影 2016.10. 7)
峠方向に見る
   
   
   
集落以降 
   

<生井集落>
 チェーン着脱場に続いて本格的な集落が沿道に広がり始める。生井川の両岸共に人家が点在する。生井(なまい)の集落と思う。 ただ、生井川の上流部は全て岩井町になるが、県道が通じる途中より、左岸は岩井町、右岸は滝町(たきまち)と変わる。生井集落は両町に属すのだろうか。古く生井村は滝村の支村だったと文献にあったが。
 
 県道はその集落内で一時左岸を通る。「生井神社前」というバス停を見掛けた。ゲートより市街地側では、ここが最終のバス停のようだ。

   
生井神社前のバス停 (撮影 2016.10. 7)
   

分岐 (撮影 2016.10. 7)
右手奥が峠方向、左に滝川沿いの道が分かれる

<滝川との合流点>
 グッと下って、生井川と滝川が合流する地点に至る。生井川の方が流長が長く、本流とする資料があるが、文献には滝川の支流とする文章も見られた。地形図では判然としない。
 
<岩滝>
 県道から滝川沿いの道が北へ分かれる。その角に、「岩滝」に関する案内看板が立っている。ここが「岩滝」という地名だとばかり思っていたが、調べてみると高山市に「岩滝町」という住所はない。 「岩滝」と呼ぶ小学校もあるようだが、岩井小学校と滝小学校が合併してそういう名になったとのこと。どうやら岩井町の「岩」と滝町の「滝」を取って、便宜上この周辺を「岩滝」と呼んでいるようだ。分岐そのものは滝町内にある。

   

分岐に立つ看板 (撮影 2016.10. 7)
「ここは滝町です」とあった
滝川沿いは「滝町」
県道を東に進む方向は「岩井町」、「生井町」?とある

分岐に立つ看板など (撮影 2016.10. 7)
滝町方向には「御堂の後 ささゆり群生地」とある
   

<生井町> 
 分岐の看板に「生井町」と出ていたのが気になった。現在の高山市に「生井町」はないようだ。以前の道路地図でも「生井」という集落はあっても、町は見当たらない。 しかし、駄吉集落にあった広域基幹林道・駄吉青屋線の看板では「高山市生井地内」を通るとあった。現在、生井川の上流部は岩井町(一部は滝町)だが、古くは生井町として分かれていたのかもしれない。あるいは「岩滝」ではないが、便宜上の呼称かもしれない。
 
<岩滝の案内>
 駄吉林道にも県道462号にもあまり地域の案内看板がないので、この「岩滝」の案内図は貴重な存在である。地図の中にも「生井町」があった。

 

岩滝の案内看板 (撮影 2016.10. 7)
「自然はええが?ー」と思う岩滝
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

以前の岩滝の案内看板 (撮影 1995. 5. 5)
「歴史と自然の図書館」と題していた
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<高山市街へ(余談)>
 県道462号は高山駅前を目指す。生井川(滝川?)も本流の大八賀川に合流し、次いで高山駅の数キロ北で宮川に注いで終わる。 ただ、高山市街は飛騨地方最大の高山盆地にあり、市の周辺にはもう峠道の様相はない。また、市街地の混雑は苦手なので、途中から県道をそれてしまった。

   
県道を高山市街方向に見る (撮影 2016.10. 7)
道祖看板に「高山市街 6Km」とある
この後、県道と分かれた
   

 飛騨高山は年間400万人以上の観光客を迎えるそうだ。特に春と秋の高山祭は人気とのこと。高山市内は何度か観光したことがあるので、今回は市街の雑踏を避けた郊外に宿を取った。その夜は8階建てのホテルの上層階から、市街の夜景などを眺めて過ごした。

   
   
   

 22年前にこの峠を越えたのは、どこかに面白い峠道はないかと思ってやって来たのだった。そんな目的でも持たなければ、一般にはなかなか訪れることはない峠であろう。 当時は野宿旅で最近はしっかりした宿に泊まるようになったが、またフラフラとこの峠を再訪することとなった。旅のスタイルは変わっても、旅の本質はあまり変わっていないようだと思う、駄吉林道の峠であった。

   
   
   

<走行日>
・1995. 5. 5 高山市岩井町→旧丹生川村 ジムニーにて
・2016.10. 7 高山市丹生川町→高山市岩井町 ハスラーにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 21 岐阜県 昭和55年 9月20日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・県別マップル道路地図 21 岐阜県 2001年 1月 発行 昭文社
・中部 2輪車 ツーリングマップ 1988年5月発行 昭文社
・ツーリングマップル 4 中部 1997年3月発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

<1997〜2017 Copyright 蓑上誠一>
   
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