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ドンデン線の峠
    どんでんせんのとうげ  (峠と旅 No.307)
  大佐渡山地を縦貫する峠道
  (掲載 2019. 2.29  最終峠走行 2019.10.28)
   
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ドンデン線の峠 (撮影 2005. 5. 4)
ドンデン山荘の敷地内より撮影
山荘への道が分岐する付近が道の最高所
この一帯は新潟県佐渡市椿、右奥が佐渡市高千方面
道は新潟県道81号(主)・佐渡縦貫線
峠の標高は約875m (地形図より読む)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

奥には佐渡の最高峰・金北山がそびえる
ここは峠としての名はないが、大佐渡山地を越える縦貫線の最高所である
   
   
   
 
   

<島の峠(余談)>
 以前から「島」に面白い峠はないかと思っていた。多くはないが、島を旅したことは何度かある。 比較的大きな島では伊豆大島、八丈島、淡路島、小豆島、隠岐の島、沖縄島、宮古島、石垣島などである。 車で島内を走り回ったが、これと言った峠は見付からなかった。面積の限られた島では高い山が稜線を長く連ねるということが少なく、そもそも高い山を持たない。 屋久島では2,000m近い宮之浦岳がそびえるが、島その物が一つの山の様相である。連なる峰を越えるという峠道が成立しない。
 
 井出孫六編・日本百名峠では、島にある峠として唯一沖縄島の多幸山・フェーレー岩(地形図)を挙げている。それなりに歴史ある峠のようだが、標高60m程の僅かな土地の起伏を越えるだけである。長野県などの山岳地帯に通じる峠道などとは全く異質である。各都道府県より少なくとも1峠を選んだ為、沖縄県からはこの峠を選ばざるを得なかったという感じである。
 
<佐渡島>
 しかし、例外がある。新潟県の佐渡島である。以前は「佐渡ヶ島」とも呼んだり書いたりしたような気がするが、最近は佐渡島とするようだ。 面積では沖縄島に次ぎ、奄美大島や淡路島よりも広い。特徴的な形をしていて、国中平野と呼ばれる広い平坦地を小佐渡山地と大佐渡山地という2つの大きな峰が挟んでいる。 特に大佐渡山地は1,000m前後の山が連なり、そこを越えて幾つもの峠道が通じる。15年前に佐渡を訪れ、面白そうな峠がありそうだと思った。 しかし、もう5月の連休だというのに、積雪による通行止に遭ってしまった。その後、再び訪れる機会を待っていたが、やっと去年(2019年)に佐渡を再訪し、前回越えられなかった幾つかの峠を越えて来たのだった。

   

<所在>
 新潟県道81号(主要地方道)・佐渡縦貫線の峠である。この道は大佐渡山地の脊梁を越えているので、全体的には峠道と考えてよいと思う。 国中平野に続く内海府(うちかいふ)海岸と北部の外海府(そとかいふ)海岸を繋ぐ。南側を両津エリア(旧両津市に相当)、北側を相川エリア(旧相川町に相当)などと呼ぶ区分けもあるようだ。
 
 但し、道の最高所は大佐渡山地の稜線上にない。少し外海府側に入った所にある。稜線上とは別の所が最高所となるのは、車道の峠道ではままあることだ。 直ぐに思い出すのは権兵衛峠の例である。本来国道361号が通じるべき峠だったが、伊那谷側が長らく未開通のままだった。その区間を代わりとして経ヶ岳林道が繋いだ。その林道は本来の峠道の道筋から大きく外れて迂回し、その途中に峠より高い箇所があった。
 
 今回の峠道では仮に道の最高所を峠の様に扱ったが、稜線を跨ぐ箇所を峠と考えてもいい訳だ。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<所在>
 かつては両津市(りょうつし)と相川町(あいかわまち)を繋ぐ峠道であった。現在、佐渡島全体が佐渡市になり、かつての大字に相当する細かな住所区分になった。 峠道は旧両津市の大字であった佐渡市梅津(うめづ)から始まり、同羽吉(はよし)、同椿(つばき)と登り、稜線を越えてからは旧相川町の大字であった佐渡市高千(たかち)、同入川(にゅうがわ)と下って行く。

   

<水系>
 水系は住所ほど複雑にはならないようだ。両津エリア側は概ね梅津川水系である。一部に羽黒川(羽吉内)や椿川(椿内)の水域をかすめているようだが、あまり影響はない。
 
 相川エリア側は完全に入川(にゅうがわ)水系に入っている。入川はほぼ佐渡市高千と佐渡市入川の境界を流れ下っている。 尚、地名と混同しないように川の名を「入川川」と記す場合もあるようだ。

   

<峠名>
 県道81号は佐渡縦貫線などと名が付いていても、峠道としてほとんど認識されない。そもそもどこが峠かもはっきりしないのでは、到底峠の名など持ち合わせていない。
 
 これまで通り、道の名を使って「佐渡縦貫線の峠」とすべきところだが、佐渡縦貫線がどこなのか分かり難いし、あまり面白くもない。 ところで、県道81号は別名「ドンデン線」とも呼ばれるようだ。それなら「ドンデン線の峠」としてみてはどうかと思った。これなら分かり易い。

   

<ドンデンとは>
 今回の峠道が通じる大佐渡山地の稜線付近に、ドンデン山とかドンデン高原と呼ばれ、佐渡では最も知られている一帯がある。正式にはドンデンという山はなく、地形図にもその名は見られない。尻立山(しりたてやま、940m)付近に広がる高原状の一帯を指し、「タダラ峰」というのが正式名称とする資料を見掛ける。
 
 「ドンデン」の名は緩やかな山頂を表す「鈍嶺(どんでん)」から来ているというのが有力な説だそうだ。由来はどうあれ、現在「ドンデン」は地元の通り名、愛称の様なものとして定着している。それならいっそ、峠の名も「ドンデン峠」と呼びたいところだが、こればかりは控えておこうと思うのであった。

   

<アオネバ越>
 峠の名を持たない県道81号ではあるが、その大元となる峠道は存在した。車道が稜線を越える地点より西に300mの所に峠があった(地形図)。名を「アオバネ越」という。「越」は峠そのものより峠道全体を指すことが多いが、大佐渡山地に於いては峠とほぼ同じように使われることもあるようだ。資料によっては「アオネバ峠」とか「青ネバ峠」などとも記される。この峠に於いて大佐渡山地の縦走路が交差しているので、登山地図などでは「アオネバ十字路」などと記されることも多い。
 
<アオネバとは>
 「ドンデン」に引き続き意味不明の片仮名「アオネバ」の登場である。これについては文献(角川日本地名大辞典)や佐渡の観光パンフレットなどでは説明されていない。 やっと現地に立つ登山案内の看板(後述)に見付けた。峠が通じる尾根付近に青い粘土質の土が見られたことから、「青粘」(アオネバ)と呼んだととのことである

   

<大佐渡山地の峠>
 アオネバ越やその後継となる県道81号の位置付けなどを知る上でも、大佐渡山地主脈を越える峠をリストアップしようと思う。北側から順に並べると、概ね次のようになる。
 
・山居越:佐渡市北小浦・佐渡市真更川(地形図)、約420m
・黒姫越:佐渡市黒姫・佐渡市岩谷口(地形図)、約550m
・大倉越:佐渡市馬首・佐渡市小田(地形図)、約705m
・石名越:佐渡市馬首・佐渡市石名(地形図)、約835m
・アオネバ越:佐渡市梅津・佐渡市入川(地形図)、767m
・小仏峠:佐渡市山田・佐渡市達者(地形図)、約600m
・青野峠:佐渡市沢根五十里・佐渡市相川銀山町(地形図)、約420m
・中山峠:佐渡市沢根(地位図)、約140m
(住所や地形図の位置はやや曖昧な点があるのはご容赦ください)
 これらの峠の中で、アオネバ越は大佐渡山地のほぼ中央を横断し、標高も石名越に次いで高い。
 
 文献では大倉越・石名越・アオネバ越の3峠について、「国中平野と北部沿岸の海府方面を結ぶ重要な交通路」と記す。 この中でアオネバ越は最も国中平野寄りである。外海府海岸沿いの集落にとって、アオネバ越は人や物資の往来に使う、重要な峠道だったと思われる。
 
 現在、アオネバ越に代わる県道が通じたと言えども、外海府側は毎年6月中頃まで冬期閉鎖となる。また、輸送トラックなどが通れるような道でもない。 国中平野や近代の佐渡の玄関口である両津港との往来は、大佐渡山地を大きく迂回することとなる。その意味で、外海府海岸沿いの集落は、佐渡の中でも最も交通不便な地と言えるかもしれない。

   
   
   
梅津より峠へ 
   

<両津港から北へ>
 賑やかな両津港を後に国道350号で一路北に向かう。アーケードもある商店街を進むと、国道は西へと折れて行く。外海府方面へはその道を進み、行く行くは中山峠に通じた中山トンネルを抜けるのが常套手段だ。道は快適だが、かなりの大回りとなる。
 
 国道に引き続いて新潟県道45号(主要地方道)・佐渡一周線で北進を続ける。商店街も過ぎ、普通の家並みが続く頃、県道81号の分岐を示す案内標識が出て来る。


県道45号を北へ (撮影 2019.10.28)
   

県道81号分岐の案内標識 (撮影 2019.10.28)

<県道81号分岐>
 標識が示す行先は「入川、ドンデン」とある。「入川」(にゅうがわ)は外海府海岸沿いにある集落名と分かるが、「ドンデン」とはやや曖昧である。山のことを指すのか、登山基地となるドンデン山荘などのことだろうか。ただ、これで迷うことはない。
 
 「ドンデン」の部分だけ書き変えたような跡が見られる。ドンデン山荘の前には、かつて公営国民宿舎・大佐渡ロッジがあった。古い観光ガイドなどに載っている。 案内標識には「大佐渡ロッジ」などと書かれていた可能性もある。「大佐渡」より今の「ドンデン」の方が場所が特定でき、名の通りも良さそうだ。

   

<15年前のこと(余談)>
 2005年春のゴールデン・ウィークを使い、3泊4日で佐渡を旅行したことがある。その時もこの分岐より県道81号に入った。 ドンデン山には何の関心もなく、ただただ大佐渡山地を越えてみたいと思っていた。しかし、残念ながら外海府側が冬期通行止で、ドンデン山荘までの往復となった。雪を頂いた大佐渡山地を眺められたのはよかったが、佐渡の山の険しさを思い知った旅だった。
 
<分岐の様子>
 分岐に立つ道路標識を見ると、県道81号方向は大型貨物などは進入禁止であった(下の写真)。これはこの先の住宅街が狭い為で、そこを過ぎるとまた一時期広くなる。 ただ、最終的に峠越は狭いし冬期閉鎖だし、物資輸送路としては使われない。この県道はもっぱらドンデン山への登山・観光道路としての役割だろう。


県道分岐を両津港方向に見る (撮影 2005. 5. 4)
15年前の様子
この時は反対方向から来た
   
県道分岐の様子 (撮影 2019.10.28)
左が県道81号
大型貨物等は進入禁止
   

集落の先 (撮影 2019.10.28)

<集落を抜ける>
 分岐以降、ちょっと狭い集落内を抜けて1.5Km程も走ると、パッと視界が広がった。周辺一帯はに水田になっているようだ。前方には大佐渡山地の峰がそびえている。 正面の最も高い山は、佐渡最高峰の金北山(きんぽくさん、1172m)となる。早くも山間部の雰囲気だ。こういう点が佐渡という島の特徴だ。

   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2005. 5. 4)
雪を被った大佐渡山地を眺める
   

<梅津川沿い>
 間もなく、左手から梅津川左岸沿いに遡って来た道を合わせ、県道は梅津川右岸沿いになる。川筋を意識した場合、合流して来る道の方が本線の峠道と言える。梅津の集落内を避けた大型車などの利用があるのだろう。
 
 この地点より下流側は梅津川河口の扇状地が広がり、その平坦地に幾筋かの道が通じる。しかし、ここより上流側はほぼ梅津川沿いに一本道だ。 大佐渡山地を越えた外海府海岸沿いに出るまで、一般車の抜け道はほとんどない。


右から道が合流 (撮影 2019.10.28)
この先梅津川右岸沿い
   

梅津川右岸沿いの県道 (撮影 2019.10.28)

<梅津川右岸>
 道は立派な2車線路になっていた。道路情報看板が出て来て、「佐渡縦貫線 落石・急カーブ 走行注意」とある。
 
<沿道の様子>
 この道はもっぱらドンデン山への観光道路かと思いきや、そればかりではないようだ。沿道には時々砂利がうず高く積まれていたり、路面はどことなく埃っぽい。作業道の様な険しい道も分岐する。この山の一帯に採石場が点在するようだ。

   

<羽吉>
 梅津川水域は全て佐渡市梅津かと思うと、そうではなかった。この梅津川右岸沿いの途中で、佐渡市羽吉(はよし)に入って行くようだ。羽吉は両津湾に注ぐ羽黒川河口域に広がり、更に梅津川の中流域をも占める。
 
 江戸期からの羽黒村と吉住村が合併して明治10年羽吉村として誕生、明治22年には椿村も併合。 明治34年に梅津村などと合併して生れた加茂村の大字羽吉となり、昭和29年に両津市の大字となって行く。それが現在は全島が佐渡市である。加茂村も両津市もなく、シンプルに佐渡市羽吉となる。
 
<梅津川左岸へ>
 梅津川沿いを2Kmも行くと県道は左岸へと渡る。橋は大山橋。


大山橋で梅津川左岸へ渡る (撮影 2019.10.28)
   

梅津川左岸沿いの道 (撮影 2019.10.28)

<梅津川左岸沿い>
 道は一挙に寂れた。センターラインはなくなり、路面には流水の跡が多い。山際から流れ出ているのもあれば、濡れた砂利などをトラックで運搬しているのだろう。 洒落た観光道路といった雰囲気はなく、殺伐とした砂利採集道路といった様相だ。観光目的らしい乗用車も見掛けるが、トラックの方が多いかもしれない。 梅津川の谷は増々狭まり、埃っぽい道が続く。

   

<梅津ゲート>
 梅津川左岸を2Kmで左に広い作業道が登って行く。その先は道幅が一段と狭くなり、ゲート箇所が設けられている。「梅津ゲート」である。脇に通行規制の看板が立ち、この梅津ゲートから反対側の「入川ゲート」の間17.1Kmが規制対象となるようだ。
 
 この県道中のゲート箇所は、他に道の最高所近くに「山頂ゲート」があり、入川側のみが通行止の時はそのゲートが閉じられるようだ。梅津ゲートから山頂ゲートまで約7.6Km、山頂ゲートから入川ゲートまで約9.5Kmである。


左に鉱山用道路が分岐 (撮影 2019.10.28)
正面がゲート箇所
   

ゲート箇所の様子 (撮影 2019.10.28)

ゲートに立つ通行規制の看板 (撮影 2019.10.28)
   
ゲートを麓方向に見る (撮影 2019.10.28)
   
   
   
梅津ゲート以降 
   

正面に登山口 (撮影 2019.10.28)

<梅津ゲート以降>
 ゲート以降も梅津川左岸沿いに道が延びる。道幅は狭く勾配もややきつくなる。しかし、路面のアスファルトは意外とよく整備されていた。それに、もう砂利を積んだ大型のトラックも来ないので、その点は安心である。
 
<アオネバ登山口>
 ゲートから僅か数100m直進すると、道は右に急カーブして登って行く。そこを真っ直ぐにと登山道が始まっている。トレッキングのパンフレットなどでは「アオネバ登山口(標高296m)」などと書かれている地点だ。地形図では294mとあるが。

   
アオネバ登山口 (撮影 2019.10.28)
   

<アオネバ渓谷の看板>
 登山道入口にはドンデン山荘による案内看板が立つ。アオネバ峠までの詳細な道順が地図に示されていた。峠の標高が海抜767mであることや、「アオネバ」の由来についても、ここで説明されている。
 
<アオネバ越旧道>
 この地点から上流は、梅津川本流ではあるが、名は水川内沢と呼ぶようだ。アオネバ登山道はその川沿いに峠へと直登して行く。この道筋こそが元のアオネバ越の峠道であろう。 今は大佐渡山地の縦走路へと至る登山道として残るが、かつてはこの道を使って国中平野と外海府方面との間で人や物の行き来が行われたものと思う。


アオネバ渓谷の案内看板 (撮影 2019.10.28)
   

案内看板の地図 (撮影 2019.10.28)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

案内看板の説明 (撮影 2019.10.28)
「アオネバ」の由来などが分かる
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   
アオネバ登山口を見る (撮影 2019.10.28)
左が麓方向、手前が峠方向、右が登山道
トイレとその脇に駐車スペースが設けられている
   
   
   
アオネバ登山口以降 
   

<登山口以降>
 旧道を分けた後、県道はあらぬ方向へと登って行く。峠とは真反対、梅津川左岸の斜面を下流方向へと進む。まずは北隣の羽黒川との分水界となる尾根を目指している。アオネバ越直下の地形が険しいので、そこを避け、比較的傾斜の緩い尾根沿いに山稜へと到ろうとしているのだ。


道の様子 (撮影 2019.10.28)
   

紅葉 (撮影 2019.10.28)

<椿>
 アオネバ登山口以降の県道が羽吉と椿(つばき)との境となるようで、山側が椿である。これより上、アオネバ越に通じる稜線の境までが全て椿となる。 江戸期からの椿村で、明治22年からは大字椿。羽吉村、加茂村、両津市の大字を経て、現在は佐渡市椿となっている。羽吉も椿も両津湾に面した海岸付近に集落が集中し、こうした山中ではどこがどこに属すのか、あまりよく分からない。
 
<道の様子>
 季節は紅葉の盛りではないが、まあまあ色付きを見せている。暗い川筋を離れ、木漏れ日の差し込む明るい道である。

   

<尾根に出る>
 登山口から2Kmで道は尾根に取り付く。ここを南端とし、道はヘアピンカーブを曲がって北に進路を変える。そのカーブがちょっとした展望所になる。県道81号の梅津側は各所で眺めが広がるが、その最初がこの地点だ。


尾根に出る (撮影 2019.10.28)
先客が居た
   
南端からの眺め (撮影 2019.10.28)
両津湾を望む
   

<眺め>
 両津湾越しに姫崎方面を望む。その先には本州の陸地が見える筈だが、やや霞んでいた。
 
 今しも両津港を出発したフェリーが両津湾を滑るように進んで行く。本州−佐渡間には高速船も就航しているが、車の航送は新潟港と両津港を結ぶこのカーフェリーを利用することになる。 佐渡旅行は今回が3度目になり、その内2回は自家用車を連れて来た。広い島内ではやはり車が便利だ。
 
 最初に訪れて来た時は、まだ免許をもっていなかった頃で、島内は定期観光バスなどを利用した。ネットもない時代、頼りはガイドブック一つである。 宿の予約もいちいち公衆電話を探さなければならず、それでもどうにかこうにか一人旅ができていた。何事も体力任せだったようだ。今はフェリーに酔うことにも恐れ、前日に新潟港至近に宿を取って体調を整え、乗船当日は酔い止めの薬をしっかり飲むのであった。


新潟港へ向かうフェリー (撮影 2019.10.28)
   
   
   
尾根上 
   

尾根上の道 (撮影 2019.10.28)
ここはコンクリート舗装

<尾根上を行く>
 道は梅津川と羽黒川の分水界となる尾根上を行く。少しは羽黒川水域に足を踏み入れている箇所もあるが、概ね梅津川水域寄りである。尾根上でも勾配がきついのか、道の蛇行が激しくなった。その分、急激に高度を上げ、眺望も良くなる。景色が右に左にと展開する。
 
 道は終始1.5車線幅のアスファルト舗装だが、勾配のきつい箇所は亀甲模様のコンクリート舗装も現れる。

   
両津湾を望む (撮影 2019.10.28)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<眺め>
 ついには加茂湖やその先に連なる小佐渡山地が眺められるようになる。両津港付近の様子が手に取るように遠望できる。佐渡では大佐渡スカイラインからの眺めが抜群だが、こちらもなかなかの景色だ。尚、この時の旅では大佐渡スカイラインは通行止で、通れなかった。

   
両津港付近を遠望する (撮影 2019.10.28)
   

<大佐渡山地主脈を望む>
 更に高度を上げると、両津湾とは反対側の西方にも視界が広がる。ドンデン高原から南西へと連なる大佐渡山地の主脈を見渡すようになる。主峰の金北山まで一望だ。 その手前に岨巒堂(しょらんどう)山(751m)がそびえるが、その北麓は大きく山肌が削られ、採石用と思われる道がジグザグに登っていた。梅津ゲートの脇から始まっていた作業道である。

   
岨巒堂山越に金北山を眺める (撮影 2019.10.28)
   

大滝山西麓付近を過ぎる (撮影 2019.10.28)

<大滝山西麓通過>
 尾根上には大滝山(786m、一の段とも)というピークがあり、道はその西麓を巻く。大滝山以降は梅津川と椿川との分水界の尾根となるようだ。
 
 大滝山を巻き終わる頃、前方になだらかな山容が姿を現す。ドンデン(鈍嶺)の名に相応しい高原である。ただ、手前の大滝山までドンデン高原に含めることもあるようだ。15年前の5月初旬に訪れた時は、まだ大きな残雪が見られた(下の写真)。

   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2005. 5. 4)
前方の大きな残雪の左にドンデン山荘がある
   

<峠直前>
 道はもう暫く尾根上を蛇行しながら登って行く。コンクリート舗装が多くなる。

   
県道を麓方向に見る (撮影2005. 5. 4)
前方に雪を頂いた金北山を望む
   
ちょっと険しいS字カーブ (撮影 2005. 5. 4)
県道を麓方向に見る
   
雪の大佐渡山地を見渡す (撮影 2005. 5. 4)
県道を麓方向に見る
   

<沿道の様子>
 周辺はなだらかな丘陵地になり、灌木ばかりなので視界が広い。「放牧牛注意」などという看板も見られる。
 
<ガードレール>
 些細なことだが、以前訪れた時は道路脇には普通のガードレールが続いていた。今回訪れてみると、全てワイヤー式に変わっていた。気候が厳しい土地なので、修復が行われたものと思う。


道の様子 (撮影 2019.10.28)
   

上にドンデン山荘を望む (撮影 2019.10.28)
左はドンデン山駐車場

<ドンデン山荘を望む>
 直ぐ上に大きな建物を望む。ドンデン山荘だ。途中の道路脇に広場があるが、ドンデン山駐車場になる。広場の中に「ドンデン山」と書かれた「佐渡弥彦米山国定公園」の看板がポツンと立っていたと思う。ただ、山荘脇にもある程度の駐車スペースを持つ。

   
   
   
峠へ 
   

<県道最高所へ>
 道はドンデン山荘の真下を通過する。すると最大幅2.0mの標識が出て来る。これは入川側方面に下る場合の規制だ。

   

ドンデン山荘直下を過ぎる (撮影 2019.10.28)

最大幅2.0mの標識 (撮影 2019.10.28)
   

<峠>
 直ぐに道路情報看板が出て来る。そこを右の山側へと道が分かれて行く。入口に「とんでん山荘」と案内看板が立つ。ここが県道81号・佐渡縦貫線の最高所である。一応ここを峠としたい。「ドンデン線の峠」という訳だ。

   
道の最高所 (撮影 2019.10.28)
ここを峠とする
   

道路情報看板 (撮影 2019.10.28)

<道路情報>
 道路情報の看板には、「この先入川まで 落石・急カーブ 走行注意」とある。しかし、以前に訪れた時は「積雪のため 通行止」とあり、この先に進むのは断念したのだった(下の写真)。
 
<峠の様子>
 この場所の標高は約875mである。元のアオネバ越の767mより100m以上高い。アオネバ越は純粋に国中平野側と外海府側との交通を目的に切り開かれた峠道であったろう。 しかし、現在県道81号となる車道の方は、ドンデン山観光を目的としたものではなかったか。元はこの地に公営国民宿舎・大佐渡ロッジが立っていたが、その施設へのアクセス路として開削された車道である可能性が高いと思う。

   
この時は積雪のため通行止 (撮影 2005. 5. 4)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<高所の車道>
 その為、峠道としては必要以上に高地まで車道が延びて来ている。しかも、ここはまだ大佐渡山地の稜線を越えていない。まだ、佐渡市椿内にある。 そうした点が、この場所を素直に峠だと言えない状況にしている。

   
峠を入川側方面から見る (撮影 2019.10.28)
左に曲がるとドンデン山荘へ
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

 ともあれ、間違いなく大佐渡山地の只中を越える峠道であり、佐渡縦貫線という名も持ち、かつてのアオネバ越の後継でもあり、その道の最高所がこの地点であることは事実である。
 
 尚、佐渡で高所を通る一般の車道として大佐渡スカイラインが知られているが、その最高点は標高942mである。ドンデン線の峠はそれに次ぐ標高ではないだろうか。 ただ、一般車は通れないが、防衛省管理道路が佐渡最高峰の金北山(1,172m)の頂上まで通じていて、言うまでもなく、これが佐渡の車道最高点だ。

   
   
   
ドンデン山荘(全く余談) 
   

<ドンデン山荘へ>
 ドンデン山を訪れたなら、まずはドンデン山荘に寄らない訳にはいかない。2004年5月1日オープンとのこと。前回の旅では、丁度その1年後に訪れている。 県道から分かれて細い道を登る。途中の路肩まで車が溢れ、なかなかの盛況だった。しかし、車を出ると肌を挿す様な寒さである。山荘の標高は890mとのこと。


ドンデン山荘へと向かう道 (撮影 2005. 5. 4)
   

以前のドンデン山荘 (撮影 2005. 5. 4)

ドンデン山荘 (撮影 2019.10.28)
ちょっと模様替えしたようだ
   

<大佐渡ロッジ>
 現在、ドンデン山荘が立つ地に、以前は公営国民宿舎・大佐渡ロッジがあったそうだ。ガイドブックに記されていた当時の住所は両津市大字椿字蜂ガ尾697だった。 前回訪れた時はドンデン山荘に建て替えられていたことを知らなかったので、その建物がロッジだと勘違いしていた。看板にドンデン山荘とあったのだがロッジの別称か何かかと思った。


ドンデン山荘 (撮影 2019.10.28)
   

以前のドンデン山荘のテラス (撮影 2005. 5. 4)

ドンデン山荘 (撮影 2019.10.28)
   

<ドンデン山荘のこと>
 入口に牛(多分、この近辺で放牧される佐渡牛)をかたどった看板が掛かる。以前は登山や交通情報も書かれていたが、今回は食事などの施設案内が多かった。 昼食がまだったので何か食べようと思ったが、もう3時も過ぎていて、食堂は閉まっていた。トイレを借りただけで出て来た。


ドンデン山荘入口 (撮影 2019.10.28)
   

以前のドンデン山荘の看板 (撮影 2005. 5. 4)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

 以前来た時は、看板に「4/16 今年もオープンしました」とか、「県道両津側(梅津〜山荘)は夜間通行止解除、入川側は全日通行止」などと道路情報も書かれていた。この山荘のテラスから眺める両津市街の夜景がきれいだとのこと。それを目当てに、夜間にここまで登って来るのだろう。この寒い時期に、ご苦労なことだと思った。

   

 山荘は日の当たる南斜面に面しているが、その建物の並びの斜面にも残雪が多く見られた。
 
 建物とほぼ同じ高さの敷地が東に続いていて、何の目的の広場かと思った。今考えてみると、かつての大佐渡ロッジの跡地だろうか。


残雪が見られる (撮影 2005. 5. 4)
手前の広場は何の目的だろうか
   

眺めの説明看板 (撮影 2019.10.28)
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<眺め>
 ドンデン山登山はしなくとも、山荘前のテラスから雄大な眺めが得られる。一見の価値がある。

   
山荘からの眺め (撮影 2019.10.28)
左手に両津湾、右手に真野湾、その間に国中平野が広がる
   
山荘からの眺め (撮影 2005. 5. 4)
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ドンデン山へ(更に余談) 
   

登山道脇に立つ案内看板 (撮影 2019.10.28)
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<ドンデン山登山>
 今回は、ドンデン山やドンデン池などを見て来ようと思う。山荘の駐車場横より、その登山道が始まっている。入口に3つの道標が並び、「金剛山7.4km、ドンデン池1.3km、尻立山0.7km」とある。脇にはトレッキングコースの詳しい案内看板が立つ。
 

   

<金剛縦走路>
 まず、山荘の真後ろがテレビ塔の立つ蜂ガ峰(二の段、934m)で、そこに登れば大佐渡山地の稜線に立ったことになる。ただ、山頂は藪が多く、登山道は頂上をやや迂回して次の尻立山へと向かってしまう。
 
 ガイドブックなどでドンデン山の標高を934mと記すものがあった。確かに蜂ガ峰もドンデン高原の一部だろうが、この高原を代表する山としては相応しくないようだ。


登山道入口 (撮影 2019.10.28)
   

尻立山にて (撮影 2019.10.28)

<尻立山>
 一方、尻立山はこの高原地帯の中で最も高い。山頂も広々していて、見晴らしがよい。頂上に立つ標柱には「ドンデン 尻立山 940m」とも刻まれる。ドンデン山=尻立山と言える存在だ。
 
 山頂からはアオネバ越方面から入川方面側に下る入川の谷間が広く見渡せる(下の写真)。奥には日本海に突き出た千本鼻(せんぼばな)が遠望できる。峠道はその近くに降り立つ。

   
尻立山からの眺望 (撮影 2019.10.28)
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<県道の遠望>
 遠望では、山荘から入川方面へと下る県道の一部が覗く(下の写真)。九十九折りの険しい様相だ。アオネバ越はその九十九折りの奥の鞍部に通じる筈だが、丁度見えて来ない。

   
入川方面側に下る県道の様子 (撮影 2019.10.28)
険しい九十九折りが続く
アオネバ越はその奥の鞍部
   

<入川の谷>
 尻立山から望む入川の谷は鋭く屈曲し、そこに通じる峠道の険しさを予感させる。右手の間峰(まみね、907m)と左手の高(たか)ズコウ山(747m)に挟まれた渓谷である。

   
この谷の底に県道が通じる (撮影 2019.10.28)
   

<千本鼻>
 千本鼻(せんぼばな)は入崎(にゅうざき)とも呼ばれる。その沖に帆掛島や「沖の御子岩」が浮く。


千本鼻遠望 (撮影 2019.10.28)
   
   
   
椿越峠(やや余談) 
   

尻立山方面より三の段方向を望む (撮影 2019.10.28)

<三の段を望む>
 尻立山から更に金剛縦走路を進むと、ドンデンキャンプ場やドンデン池などのある三の段付近を望む。正に高原状で、これこそ「ドンデン」(鈍嶺)である。

   

<三の段の鞍部>
 なだらかな鞍部に下ると、道標にピンク色の看板で「椿 5.0km」と書かれていた。また、次のような案内看板も掛かっていた。
 登山道
 足元注意
 この先急坂です。
 浮石に乗ると大変すべりやすく、
 ころぶと大ケガにつ ながります。
 足元に十分ご注意下さい。
      佐渡市

 
 この鞍部は椿川の源頭部に当たる。その登山道を下ればやがて椿川沿いになり、両津湾沿いの椿集落へと至るようだ。


三の段の鞍部に降りる (撮影 2019.10.28)
   

道標に「椿 5.0km」とある (撮影 2019.10.28)

足元注意の看板 (撮影 2019.10.28)
   

<椿越峠>
 椿方向の登山道の先には、「椿越峠(下山口)」と書かれた標柱が立っていた(下の写真)。車道が通じていないこともあり、前述の大佐渡山地を越える峠の中には挙げなかったが、この椿越峠もその一つとなろう。こうしたあまり知られない峠が、他にもいろいろ通じていたのではないか。

   

椿越峠(下山口)とある (撮影 2019.10.28)
両津湾沿いの椿集落方向に見る

峠の道標の裏 (撮影 2019.10.28)
「この山は 花やみどりの たからばこ」とある
稜線方向に見る
   

<椿越峠について>
 椿越峠は尻立山(940m)から論天山(872.6m)に続く稜線上の非常になだらかな鞍部に位置する(地形図)。標高は約845m。県道最高所(875m)より低いが、アオネバ越(767m)よりはずっと高い。
 
 峠の両津湾側は佐渡市北五十里(きたいかり)となるらしい。椿川沿いになってから佐渡市椿に入るようだ。外海府側は佐渡市高千(たかち)である。尚、論天山付近に北五十里越峠というのがあるそうだ。
 
 水系は両津湾側は椿川水系、外海府側は入川水系になる。よって、外海府側に下った峠道は、アオネバ越と同様、やがては入川沿いに通じていたものと思う。 現在の地形図では椿越峠から外海府側へは県道へと下る徒歩道(破線表記)のみが描かれる。しかし、元の峠道はもっと直接的に入川沿いへと下って行ったものと思う。
 
 椿越峠の外海府側の道の大部分は、アオネバ越の道と共用していた可能性が高い。椿越峠という名は、両津湾側がアオネバ峠の梅津と異なり、椿であることを示すことになり、合理的に思える。仮に入川越などとすると、アオネバ越との区別がつかない。
 
 梅津と椿の集落の立地を比べると、梅津の方がより国中平野寄りで、両津港にも近い。その点、梅津起点のアオネバ越の方が利用価値が高かったのではないかと思える。 峠の標高の点でも椿越峠の方が不利だ。椿越峠は、椿集落やそれより北の内海府海岸の集落と外海府側との交通に使う、補助的な峠道だったように思える。現在、椿越峠という標柱がポツンと立つばかりで、ほとんど忘れ去られた峠道であろう。

   
椿越峠より入川上流部方向を見る (撮影 2019.10.28)
この方向へと峠道は下って行ったと思われる
看板には「県道へ 金北へ」とあり、現在は県道に接続する道が通じる
   

<転倒(全くの余談)>
 「椿 5.0km」の道標にあった「足元注意」の看板ではないが、尻立山から三の段方面へ下る途中、見事に転倒してしまった。 注意して歩いていた筈なのだが、浮石にでも乗ってしまったようだ。幸い軽い打ち身だけ済んだが、完全にバランスを崩し、もんどりを打って転んでしまったのがショックだった。足腰の衰えと同時に、反射神経やバランス感覚の低下を痛感した。
 
 この旅では海岸の波打ち際で、押し寄せて来た波から咄嗟に逃げようとし、足がもつれてまたまた派手に転倒してしまった。砂浜だから怪我はなかったが、我ながら情けない。 テレビ番組の路線バスの旅で、蛭子能収さんが砂浜で転倒する場面に思わず笑ってしまったことがあった。それが今では自分自身のこととなってしまっていたのに愕然とする。
 
 そこで最近は家の近くで標高差100m以上ある散歩コース約6Kmを設定し、1時間以上掛けて歩いている。これで安心して旅ができるようになるとよいのだが。いつになっても旅は体力勝負である。

   
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