ホームページ★ 峠と旅
床尾峠 (仮称)
  とこのおとうげ  (峠と旅 No.278)
  豪快な峠を未舗装林道で越える峠道
  (掲載 2017. 7. 1  最終峠走行 2017. 5.18)
   
   
   
仮称:床尾峠 (撮影 2017. 5.18)
手前は兵庫県朝来市(あさごし)和田山町(わだやまちょう)竹ノ内(たけのうち)
奥は同県豊岡市(とよおかし)但東町(たんとうちょう)西谷(にしだに)
道は林道床尾線(とこのおせん)
峠の標高は約640m (地形図の等高線より)
峠の切通しより豊岡市方向を望むと、大きなV字に切り取られた景色が覗く
峠も景色も壮大だ(そこでいつもよりちょっと大きめの写真を掲載)
この峠は一目見て気に入った
 
 
 
   

<峠名>
 この峠は比較的最近に開削された林道の峠で、名前は持たないようだ。峠に通じる道は林道床尾線という。「床尾線の峠」を縮めて「床尾峠」といことで、仮称の使用をご勘弁願う。

   

<所在>
 峠の部分はほぼ東西に通っているが、峠道全体は概ね南北に通じる。
 
 峠の北側は兵庫県の豊岡市(とよおかし)但東町(たんとうちょう)で、直前は出石郡(いずしぐん)但東町であった。峠は大字の西谷(にしだに)にある。
 
 峠の南側は同県朝来市(あさごし)和田山町(わだやまちょう)で、直前は朝来郡(あさごぐん)和田山町であった。大字では竹ノ内(たけのうち)になる。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<床尾>
 峠は京都府とも接する床尾山(とこのおさん)にある。 正確には床尾山という山はなく、京都・兵庫の府県境にそびえる鉄鈷山(かなとこ、775m)を始めとして、西へ東床尾山(838.9m)・西床尾山(843m)と続く3つの峰を持つ山域を指す。 「床尾山系」などとも称すようだ。この3峰を結ぶ稜線付近には平坦部が広がり、古くは「鉄鈷(かなとこ)の尾」と呼ばれ、江戸期から「床尾山」という名称が使われたそうだ。
 
 峠は床尾山系の内、鉄鈷山と東床尾山を結ぶ稜線を越えている。そこを通る林道は、この「床尾」を取って床尾線(とこのおせん)と呼ばれている。

   

<水系>
 峠道は全て日本海側の円山川(まるやまがわ)水系に含まれる。
 
 峠の北側は、概ね円山川支流の出石川(いずしがわ)水域にある。更に細かくはその支流の河本(こうもと)川の、更に支流の西谷(にしだに)川源流部に峠は位置する。
 
 一方、南側は円山川本流が床尾山系を西より回り込んで遡って来ている。峠は円山川の一次支流・糸井川(いといがわ)の源流域に当たる。

   
   
   
豊岡市側より峠へ 
   

<日殿>
 峠の豊岡市側は但東町西谷(にしだに)の地になるが、峠道の始まりは大字では日殿(ひどの)からとなる。

   

日殿集落付近 (撮影 2017. 5.18)
県道56号上を北に見る
前方の斜面に大きな採石場が見える

<県道56号>
 京都府福知山との境にある天谷峠(あまだにとうげ)から続く県道56号(主要地方道)・但東夜久野線が、ほぼ河本川沿いに北上して来る。 その沿道に天谷(あまだに)、途中の支流西谷川沿いに西谷(にしだに)、再び本流沿いに河本(こうもと)、そして日殿(ひどの)と集落が点在する。 日殿は河本川流域ではかなり下流側に位置する。
 
<本線の峠道>
 河本川の上流部は天谷川と呼ばれ、天谷峠が源流となる。よって、天谷峠を通る県道56号が本線の峠道となり、今回の峠はそこから分岐する支線の峠道という位置付けと考える。
 
<付近の様子>
 日殿の人家のほとんどは県道56号沿いにあるようだ。日殿近辺では河本川右岸にある採石場が目に付く。県道には発破(はっぱ)に関する注意看板が立っていた。

   

<峠道分岐>
 峠に至る峠道は、採石場近くで県道56号が河本川を渡る橋の袂より分岐する。今回の旅では天谷峠より下って来たのだが、一見して余りにみすぼらしい道なので、思わず通り過ぎてしまった。 県道から分かれると直ぐに埃っぽそうな未舗装路である。勿論、県道沿いに何の案内看板も立っていない。ここが本当に峠道の始まりだろうかと、改めて地図で確認することとなる。

   
県道56号からの峠道分岐 (撮影 2017. 5.18)
左は天谷峠へ、右が今回の峠へ
道は直ぐにも未舗装路
   

<林道床尾線>
 アーチ状の水管橋が架かる河本川の左岸沿いを道は行く。50mも進むと二手に分かれた(下の写真)。左はゲートを通って私有地に入り、そして右は峠に通じる林道床尾線となる。ここから長い未舗装の峠道が開始される。
 
<林道看板>
 林道の右脇に林道看板があって、「林道 床尾線 (終点」とある。草に隠れてはっきり見えなかったが、ほぼ同じ看板が朝来市側の林道起点にも立っている。それらを参考にすると、
 ・林道起点:朝来市和田山町竹ノ内
 ・林道終点:豊岡市但東町出合市場
 である。


林道看板 (撮影 2017. 5.18)
   

<出合市場>
 林道終点の「出合市場」(であいいちば)がちょっと気になった。地図上ではこの林道看板が立つ付近は日殿と読める。近くの県道沿いに見える人家も日殿集落のものだ。 ただ、日殿より下流側直ぐが出合市場で、その境は近い。県道からの峠道入口とは反対側に見える採石場はもう出合市場となるようだ。
 
<出合(余談)>
 「出合」の名が付くことからも分かるように、河本川が本流の出石川に注ぐ地点の周辺が出合市場となる。道で言えば県道56号が出石川沿いに通じる国道426号に接続する。 ただ、県道沿いに出合市場の人家はほとんどなく、もっぱら国道沿いに集中している。

   
林道床尾線終点となる分岐 (撮影 2017. 5.18)
左は私有地へ、右が峠に至る林道床尾線
   

<峠を望む>
 後で気付いたことだが、上の写真の左手奥の山並みに峠が望めていたようだ。ここから林道を走り始めると、ほとんど峠は見えなくなる。この林道入口付近の一瞬だけ、峠が覗く。
 
 
<1年半前(余談)>
 ところで、1年半前のことだが、朝来市側から峠まで行ったことがある。峠に着いた時はもう時間がなく、そのまま引き返してその日の宿へと向かった。 その時、豊岡市側へと未舗装林道が続いているのを確認している。如何にも面白そうな道で、とても残念な思いをした。 今回、豊岡市側の入口に立ち、その林道を目の前にしているのだが、何となく不安な面持ちだ。峠まで続いているとは思うが、どんな林道が待っているのかと気掛かりである。 ジムニーに乗っていた頃は、この程度の林道なら何のためらいもなく、突進していたのだが。
 
<林道標柱>
 分岐を林道側に少し入ると、道の左手に古そうな林道標柱が傾いて立っている。「民有林林道開設事業 林道床尾線」とある。 この林道は最初から峠を越えていた訳ではない。旧但東町と旧和田山町のそれぞれから徐々に延長されたようだ。現在の地形図でも、豊岡市側の峠寄り1/3の範囲で道が描かれていない。 ただ、床尾線という林道名は当初からあって、こうして古い林道標柱が残っているのではないだろうか。

   

林道標柱が立つ (撮影 2017. 5.18)

林道標柱 (撮影 2017. 5.18)
   

<「告」の立札>
 林道標柱に続いて「告」と書かれた立札が立つ。山菜採りや入山を禁止したものだ。「河本区長」とある。この林道入口付近はまだ大字日殿だと思うが、この先、道は大字河本(こうもと)に入って行く。更に峠の手前では大字西谷(にしだに)へと続く。

   

「告」の立札が立つ (撮影 2017. 5.18)

「告」の立札 (撮影 2017. 5.18)
   

日殿集落を望む (撮影 2017. 5.18)
手前の大きな建物は農業施設のようだ

<今回の旅(余談)>
 ややためらいながらも林道を走りだした。今回の旅は兵庫県より西の鳥取・島根を中心に回る予定だった。特に宍道湖畔の松江付近を重点に旅したい。 しかし、自宅から松江まで約750kmの道程がある。また、途中の名神高速道路が丁度集中工事ともあって、一日では到底辿り着けそうにない。 そこで、渋滞を避けて琵琶湖の北を回り、昨日は京都府の福知山に宿泊した。本当は、こんな所で林道走行などやっている暇はないのだが、一年半前の雪辱戦ということもある。 どうにか無事に峠越えを果たしたい。
 
 林道は河本川左岸の峰を登りだす。河本川右岸沿いに佇む日殿の小さな集落が望めた。この峠道は朝来市側に下った竹ノ内集落まで人家は皆無で、寂しく長い道が続く。

   
   
   
林道床尾線 
   

<林道の様子>
 峠までずっと未舗装であることは覚悟しているが、どんな道だかが心配だ。当面は土をならした比較的幅の広い道が続く。車の走行も多いらしく、路面は締まっていて走り易い。
 
 沿道にも人が訪れている痕跡が多く見られる。峠道全体を通り抜ける車は少ないかもしれないが、途中までは林業関係などで使われていそうだ。未舗装路ながら道は良いが、反面、対向車には注意が必要である。 


林道の様子 (撮影 2017. 5.18)
   
林道沿線の様子 (撮影 2017. 5.18)
車の轍が多くある
向こうに採石場が見える
   

<沿道の様子>
 地形図上では、途中で河本川沿いに下る道や一山越えて出石川沿いの但東町畑(はた)へと抜ける道が描かれているが、林業用の作業道を除けば、一般車が入れそうな道の分岐は見られなかった。朝来市側の最初の集落となる竹ノ内まで基本的に一本道である。
 
 結果的に竹ノ内まで一台の対向車もなかったが、時折路肩に車が停められているのを見掛けた。まずはジムニーが一台(下の写真)。近くに何かの看板(もう内容は読めない)が倒れ掛けていて、登山道でもありそうな様子だった。ジムニーの所有者は山歩きの最中であろうか。

   

ジムニーが停まる (撮影 2017. 5.18)

何かの看板 (撮影 2017. 5.18)
   

<木材搬出(余談)>
 近くには木材搬出用の作業道が見られ、その先には軽トラックなど2台が停まる。更には道路脇に切り出した木材に並んで小型重機が置かれていた。 付近に人影は全く見られなかったが、山中で伐採作業でも行っている模様だ。当面は大型トラックなどの作業車に注意が必要である。

   

軽トラなど2台の車が停まっている (撮影 2017. 5.18)

小型重機が置かれている (撮影 2017. 5.18)
木材の搬出用のようだが、近くに作業者は見られない
   

<林道の状態>
 林業に使われることからか、道は比較的整備され、道幅も十分確保されている。

   
道の様子 (撮影 2017. 5.18)
倒木が見られる
   
道の様子 (撮影 2017. 5.18)
路面は悪くない
   

 しかし、林道であることに変わりなく、所々で小規模な落石や倒木が見られる。つい最近崩れたり、倒れたりしたのではないかと思われる箇所も多かった。ただ、軽自動車がらくらく通れる幅は残っている。

   

ちょっと落石 (撮影 2017. 5.18)

ちょっと倒木 (撮影 2017. 5.18)
   
   
   
畑川水域へ 
   

峠の様な箇所を過ぎる (撮影 2017. 5.18)

<畑川水域>
 床尾線は楽しい林道だが、峠道としては残念な点がある。河本川左岸の峰をどんどん登って行くのはいいが、遂には峰を越して河本川水域から外れてしまうのだ。 林道を走り始めて2km程、ちょっと峠っぽい箇所を過ぎる。これは怪しいなと後で地形図を見ると、確かに河本川とその西の畑川(どちらも出石川の支流)とを隔てる尾根を少し越えてしまっている。 正確には畑川の支流・寺外川の上流部に出ている。
 
 この後、床尾線は河本川・畑川の分水界となるこの尾根近くを進む。いわゆるスカイラインであり、眺めがいい道だ。半面、峠のある河本川水域から出たり入ったりを繰り返し、峠道らしさが感じられない。

   

<畑川の谷>
 分水界を過ぎると、それまで道の左手に広がっていた谷が、今度は右手に広がる。畑川の谷である。この川の源流は東床尾山北麓の様だ。 尚、地形図では道が分水界を越える前後で、河本川沿いの河本集落へ下る道と、寺外川沿いへと下る道が分かれていることになっている。 しかし、日田が歩くだけの山道は別として、それらしい車道が分かれていた様子はない。

   
道の右手(西側)に谷が広がる (撮影 2017. 5.18)
   

<谷の眺め>
 沿道からは、河本川の谷に代わって、畑川の谷の眺めが広がる。今後も右に左にと視界が移動することとなる。

   
畑川の谷の眺め (撮影 2017. 5.18)
   

<道の状態>
 河本地区から外れたこともあってか、もうこの辺りでは林業の作業はあまり行われている様子が見られない。一方、道の状態はやや悪くなった。 倒木などは相変わらずで、それに加え、路面の状態が悪い箇所が出て来た。路面が掘れていたり水溜りになっていたり、枯れ枝などが散在していたりする。 時々、コース取りを気にしながら進まなければならない。
 
 大きな石も転がっていた。落石によるものだろうが、重機がなければ取り除けない大きさだ。路肩に除けて、そのまま一つポツンと置かれている。


少し掘れた道 (撮影 2017. 5.18)
   

石が転がる (撮影 2017. 5.18)

相変わらず倒木も多い (撮影 2017. 5.18)
   

<集落を望む>
 畑川の谷の木々は深いが、遠望がある箇所があった。

   
遠くに集落が見える (撮影 2017. 5.18)
   

 麓に集落が見える。但東町畑(はた)か、あるいはその近辺の集落だ。出石川流域に位置している。

   
集落を遠望する (撮影 2017. 5.18)
   

大きな石が転がる (撮影 2017. 5.18)

<大石(余談)>
 また大石が転がっていた。旧東海道の中山峠・「小夜の中山」の夜泣石(よなきいし)を思い出す。あの有名な石も落石によって山中から転がり出て、撤去できずにそのまま路上に放置されたのではなかったか。峠道ではときたまあることなのだろう。

   
   
   
ゲート箇所 
   

<ゲート箇所>
 道がまだ畑地区側を進んでいる途中、ゲート箇所を過ぎた。古そうな錆びたゲートで、もうあまり使われている様子はない。また、何の境でもなく、唐突に現れた感じである。


ゲート箇所道 (撮影 2017. 5.18)
   

コンクリート舗装が始まる (撮影 2017. 5.18)

<コンクリート舗装>
 ゲート箇所を過ぎると、その先直ぐにコンクリート舗装が始まった。距離にして200mくらいだ。その間、道の勾配・屈曲がきつい。ちょっとしたつづら折りの様相である。直前のゲート箇所は、この険しい区間を前にして設けられたのではないか。
 
 ただ、今はコンクリート舗装で十分に整備され、車の走行に何ら支障はない。林道床尾線の豊岡市側では、地形的に険しい箇所はあまりないが、その中ではやや険しい箇所となっている。

   

つづら折りの途中 (撮影 2017. 5.18)

つづら折りの途中 (撮影 2017. 5.18)
   

 つづら折り途中では、また畑方面に視界が広がる。国道426号線沿いに人家が立ち並ぶ様子も遠望できる。

   
つづら折り途中での畑側の眺め (撮影 2017. 5.18)
   

<つづら折りの先>
 つづら折り区間の終了と共にコンクリート舗装も終わり、元の土の道に戻る。一気に高度を稼いだ様子だ。見通しが良くなった。
 
<看板(余談)>
 すると、道の側らに看板が立っていた。「治山事業施工地」とある。平成12年3月、融雪により地すべりが発生し、その復旧工事を行ったとのこと。


コンクリート舗装終了 (撮影 2017. 5.18)
右手に看板
   

治山事業施工地の看板 (撮影 2017. 5.18)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<畑(余談)>
 工事個所の住所は「出石郡但東町畑」となっていた。まだ、豊岡市になる前の但東町の頃の看板と分かる。
 
 畑は現在の県道56号沿いに点在する天谷(あまだに)・西谷(にしだに)・河本(こうもと)・日殿(ひどの)・出合市場(であいいちば)等と同様、江戸期から続いた村であった。 明治22年にそれらの村を含め総勢16か村が合併し、合橋村(あいはしむら)が誕生、旧村名を継承した16大字を編成する。畑村も大字畑となる。昭和31年には合橋・高橋・資母の3か村が合併して但東町となった。そして今は豊岡市である。

   

<疑似峠>
 畑川水系から河本川水系に戻る時が来た。前方の様子が、如何にも峠っぽく見える。林道床尾線の豊岡市側はこうした疑似峠を何度か通過し、それがかえって峠道としての味わいを損なうこととなっている。

   
前方が峠っぽく見える (撮影 2017. 5.18)
   

 疑似峠直前、また畑方面の麓まで見通せた。

   
畑方面の景色 (撮影 2017. 5.18)
   
   
   
再び西谷川の谷間 
   

<西谷川沿い>
 疑似峠を過ぎると、谷は道の左手に移る。この頃から河本川からその支流の西谷(にしだに)川沿いになっている。西谷川は鉄鈷山(かなとこ)の北麓一体を水源とし、今回の峠はその源頭部に当たる。道は西谷川左岸の上部を進む。

   

疑似峠を過ぎる (撮影 2017. 5.18)

道は少し下り気味 (撮影 2017. 5.18)
谷は道の左手に移った
   

<谷間の眺め>
 今後は沿道からの眺めがぐっと良くなる。西谷川から河本川本流に掛けての谷が見渡せ、更にその先に連なる峰も見通せるようになる。

   
沿道からの眺めが広がる (撮影 2017. 5.18)
   

<道の様子>
 道はいよいよ稜線上を行くスカイラインの様相だ。西谷川と畑川との分水界となる尾根近くに通じる。眺めはいいし、空は広いし、爽快な道である。砂利や石の多い未舗装路面が如何にも豪快に通じる。


道の様子 (撮影 2017. 5.18)
   
沿道からの眺め (撮影 2017. 5.18)
   

 一方、その山深さに少々不安を感じ始める頃でもある。遥かな先まで峰が延び、一体そのどこに峠が通じているのかさっぱり分からないのだ。どこまで行っても先が見えて来ないという不安である。

   
この右手奥の峰のどこかに峠がある筈 (撮影 2017. 5.18)
   
   
   
再び畑側へ 
   

3度目の疑似峠 (撮影 2017. 5.18)

<再び畑側>
 3度目の疑似峠を過ぎ、道は畑川上流域に出る。畑川の谷も細り、あまり景色は広がらなくなった。

   

<林道標柱>
 現在の地形図では畑地区側に入って200〜300mの所で道は途切れている。ちょうどその辺りに新しそうな林道標柱が立っていた(下の写真)。
 普通林道 床尾線 但東工区
 施工主体 兵庫県
 管理主体 但東町
 とある。
 
 道の延長は読み取れなかったが、この後もこうした標柱が所々に立っていた。林道床尾線は尺取り虫のように徐々に延長されていったようだ。ここでは「但東町」とあったので、この区間は豊岡市になる前に開削されたのだろう。


道の様子 (撮影 2017. 5.18)
もうあまり景色は広がらない
   

林道標柱 (撮影 2017. 5.18)

林道標柱 (撮影 2017. 5.18)
   

ガードレールがある (撮影 2017. 5.18)
沿道に黄色い花が咲く

<ガードレール>
 考えてみると、ここまでの床尾線にはガードレールという代物が全くなかった。僅かにワイヤーを張った簡易的な車止めが見られただけだ。
 
 ところが、新しい林道標柱が立っていた箇所からは通常のガードレールが設けられている。新規に開削された道なので、ガードレールもしっかり施工されたようだ。 しかし、急カーブなどの最低限の箇所にしかない。それでも道幅が十分なので、危険を感じる程のことはなかった。

   
   
   
西谷川上流部へ 
   

<西谷川上流部へ>
 4回目の疑似峠を抜ける。やや目まぐるしい。これでやっと西谷川上流部へ出て、この後は峠までこの谷沿いに登る。
 
 また新しそうな林道標柱が立っていた。先程の物から400mくらいしか進んでいない。


4回目の疑似峠 (撮影 2017. 5.18)
   

3つ目の林道標柱 (撮影 2017. 5.18)

<林道標柱>
 どうもこまごまと数100mおきに林道標柱が立っている。3つ目は以下の様にあった。
 平成17年度 森林管理道開設事業
 施工主体 兵庫県 延長420.0米 幅員4.0米
 管理主体 豊岡市 延長420.0米 幅員4.0米

 
 2つ目の林道標柱から道の名が「林道床尾線」から「森林管理道」となり、この3つ目から管理主体が「但東町」から「豊岡市」に変わった。また、平成17年以前に但東町が豊岡市に合併したことをうかがわせる。 

   

3つ目の林道標柱 (撮影 2017. 5.18)

3つ目の林道標柱 (撮影 2017. 5.18)
管理主体が豊岡市に変わった
   

沿道の様子 (撮影 2017. 5.18)

沿道の景色 (撮影 2017. 5.18)
   

<沿道の様子>
 ここから峠までの区間は比較的最近に開削された道らしく、山の斜面に伐採された様子を色濃く残し、道路脇の法面などもまだ土が露出している箇所がある。 立ち枯れた樹木なども目立つ。これまでになく道の屈曲も多くなり、ちょっとした山岳道路の雰囲気だ。斜面の崩落箇所も見られ、荒々しさを醸し出している。

   

道の様子 (撮影 2017. 5.18)

小規模な崩落箇所 (撮影 2017. 5.18)
   

<水源林造成事業の看板>
 黄色い水源林造成事業の看板が立つ。看板の内容にはほとんど興味はないが、ただ所在が「豊岡市但東町西谷字瀧ノ谷118−13(他2筆)」とあるのに着目する。 「瀧ノ谷」という小さな字名などは、こうした現地に立つ看板以外、なかなか知る機会がないのだ。 ここより山腹を下った西谷川沿いに西谷の集落があるが、そのちょっと上流側に「清流の滝」という滝が架かる。その滝(瀧)とも関係する地名かと思ったりする。

   

水源林造成事業の看板が立つ (撮影 2017. 5.18)

水源林造成事業の看板 (撮影 2017. 5.18)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

道の様子 (撮影 2017. 5.18)

<道の様子>
 いよいよ西谷川の谷を詰め、鉄鈷山から東床尾山に連なる床尾山系の主脈に近付いている。道もその周りの景色も雄大さが増して来た。1年半前に訪れた時は、夕暮れも迫り、暗い感じであったが、今回は晴天の青空の元、爽快な気分である。
 
 それにしても峠は一体どこにあるのかと思いたくなる。最後に西谷川沿いになってから峠まで、およそ3kmの道程だが、その区間がとても長く感じられる。 本来の峠道なら西谷川沿いから峠の鞍部へと急登し、登るに従い鞍部に近付くのが分かるのだろうが、床尾線は尾根沿いにぐるりと遠回りしている。 道の右手に続く峰をどこかで突き抜けるのだが、それがいつやって来るかさっぱり見当が付かない。 こうした道筋は、一つは西谷川上部が険しい地形で、車道が開削しがたかったことによるのだろう。 また、「森林管理道」とも呼ばれるように、単に峠を越える為だけでなく、森林管理の目的で、あえてぐるぐると山中を回り道して来たのかもしれない。

   
道の様子 (撮影 2017. 5.18)
麓方向を望む
林道入口近くにあった採石場が正面に見える
   

道の様子 (撮影 2017. 5.18)
コンクリート擁壁

また水源林造成事業の看板 (撮影 2017. 5.18)
所在は「但東町西谷瀧ノ谷117−1」
「瀧ノ谷」の前に「字」が付いていない
   

<主脈沿いに>
 道は河本川・畑川の分水界となる尾根沿いから、鉄鈷山から東床尾山に続く床尾山系の主脈沿いへと移って行く。主脈北面に下る西谷川の大小の支流の谷を横切る形になる。 それに伴い、道は谷に入ったり出たりと大きな屈曲が多い。周辺の地形もやや険しい様相となる。 法面をコンクリートでべたべた固めた擁壁がそびえたり、一部の急傾斜区間にはコンクリート舗装も見られる。 そのコンクリート上に僅かながらも落石による石がゴロゴロ転がり、かえって険しい感じを受ける。 ただ、道自身は比較的新しく、路面にはきれいに砂利が敷き詰められていることが多く、ガードレールも十分に設けられていた。

   

道の様子 (撮影 2017. 5.18)

道の様子 (撮影 2017. 5.18)
   

<峠直前>
 路傍の標柱には「森林管理道 床尾線 和田山工区」(延長188m)と出て来た。 「和田山」とは峠の南側の朝来市和田山町のこととなる。もう峠は近そうだ。それでも峠の所在は相変わらずさっぱり分からな い。
 
 一つの右カーブを曲がると、何となく覚えがある場所に出た(下の写真)。コンクリート舗装が始まっている。やっと峠の豊岡市側にある広場に出たようだ。

   
峠直前 (撮影 2017. 5.18)
この先、右にカーブした所が峠
道の左手が広場
   
   
   
豊岡市側の広場 
   

<豊岡市側の広場>
 この峠の特徴の一つは、峠からの眺めがいいことだ。その為ということもないが、峠の両側に展望所ともなる広場が設けられている。豊岡市側の眺めがより雄大だ。その眺めを望むようにして広場の一角に石碑が立つ。

   
峠の豊岡市側 (撮影 2017. 5.18)
   

1年半前に訪れた時の様子 (撮影 2015.11.16)

<1年半前のこと(余談)>
 1年半前にこの峠を訪れた時は、朝来町側から登って来た。峠を豊岡市側に越えると広場があった。峠の切通しはほぼ東西方向に通じる。 時刻は午後4時で、西の空に傾きかけた陽の光が、切通しを抜けて広場の一角を照らしていた。何だか荘厳な雰囲気である。いっぺんでこの峠が気に入ってしまった。

   

<広場の様子>
 広場の道路沿いに僅かながら植樹されている。標柱には「林道 床尾線開通記念植樹」、「平成二十年十一月一九日」とある。

   

豊岡市側に下る道 (撮影 2017. 5.18)

記念植樹 (撮影 2017. 5.18)
   

 広場の敷地は一面、深砂利になっていて、雑草が生えないようになっている。基本的には駐車場として使われることを想定しているものと思う。

   

広場の様子 (撮影 2017. 5.18)

広場の様子 (撮影 2017. 5.18)
   

<登山道>
 駐車場は眺めを見る為にも利用できるだろうが、やはり登山用が主であろう。広場の南東角に「鉄鈷山 登山口 →」の看板が立つ。その先の斜面に登山道が登り、「鉄鈷山→」と書かれた札が転がっていた。

   

鉄鈷山登山口 (撮影 2017. 5.18)

鉄鈷山登山道 (撮影 2017. 5.18)
   

広場の様子 (撮影 2017. 5.18)
切通し方向に見る

広場の様子 (撮影 2017. 5.18)
石碑と切通し
   

<開通記念碑>
 広場の一角に立つ記念碑は峠の風景の一部として溶け込んでいる。碑の表には「林道床尾線開通 峰遙 谷 洋一 書」とある。「峰遙」は「ほうよう」とでも音読みするのだろうか。西谷川から河本川本流に掛けての谷を囲む「峰を遙かに」望む地に碑は立つ。
 
 この峠には名前がないので、適当な仮称を付けてやろうと考えた。最初、この碑の題字を取って「峰遙峠」(ほうようとうげ)としようと思ったのだが、妻がそれは少しやり過ぎだと言う。そこで仕方なく道の名を使って「床尾峠」で落ち着いたのだった。


広場の様子 (撮影 2015.11.16)
   

開通記念碑(表) (撮影 2017. 5.18)

開通記念碑(裏) (撮影 2017. 5.18)
   

<床尾線の概要>
 石碑の裏には銘板がはめ込まれていて、林道床尾線の概要が記されている。起点・終点は林道看板の記述と同じである。延長は14,253mとある。概ね、豊岡市側が7.5km、朝来市側が6.7kmである。
 
 道の完成は平成19年度(2007年度)とある。「年度」という場合、翌年の3月までを含むことがある。記念植樹の建之は平成20年(2008年)であった。どちらにしろ、開通からまだ10年程の若い林道である。
 
 事業者は「朝来市」となっているが、これは事業者の所在地だろうか。豊岡市側の林道途中に立っていた標柱では、道の管理者としては豊岡市(旧但東町)であった。

   
銘板 (撮影 2017. 5.18)
   

<豊岡市側の眺め>
 北東に向かって展望が広がる。大まかに言って、出石川上流域の山々だ。

   
豊岡市側の眺め (撮影 2017. 5.18)
   

出合市場の採石場 (撮影 2017. 5.18)

<採石場>
 風景の一部で山肌が大きく土を露出しているが、出合市場の採石場だ。河本川右岸になる。

   

<県道からの分岐点>
 採石場の手前を拡大すると、県道56号からの分岐点が写っていた。峠道の途中からは全く峠が窺い知れなかったが、実は県道から分かれて林道終点に至る数10mの間だけ、峠が見えていたことになる。


林道入口付近 (撮影 2017. 5.18)
左右方向に県道56号が通じる
   

<西谷川>
 眺めの中央辺りに川沿いの平坦地が見える。西谷川が流れ下り、河本川に注ぎ込む箇所だ。西谷川沿いに道が通じ、その沿道に人家が立つのが辛うじて見える。西谷集落であろう。

   
西谷川を望む (撮影 2017. 5.18)
   

豊岡市側の眺め (撮影 2015.11.16)

 最初にこの峠を訪れた時もこの眺めを堪能した。しかし、西谷川の谷は既に日影に入ってしまっていた。広場の周辺には秋の風にススキが揺れている。 豊岡市側に下る林道はと見れば、険しそうな未舗装路が待ち構えている。遥かに広がる峰々を前にして峠にポツリと佇むと、心細い限りだった。 この山中から抜け出すのは容易なことではないと感じた。
 
 峠道は走り通したいが、豊岡市側にどんな道が待っているか分からない。しかも、本日予定している宿とは全く方向違いに出てしまう。今考えると、峠で引き返したのは正解だった。 床尾線はそれ程険しい林道ではないが、時間を気にしながら急ぐ道でもない。やはり峠道では楽しむ余裕が欲しい。

   

豊岡市側の眺め (撮影 2015.11.16)

豊岡市側の眺め (撮影 2015.11.16)
西谷川の谷間はもう日影になっている
   
   
   
峠の切通し 
   

豊岡市側から見る切通し (撮影 2017. 5.18)

<峠の切通し>
 豊岡市側からだと、峠は急な登り坂になっている。それにしても大きく深い切通しだ。一般の車道ではこれ程鋭い切通しは珍しい。また、車道以前の古い峠の形態では、まだ土木技術が発達していないこともあり、尚更峠の鞍部を人工的にこれ程深く削り込むことはなかった。
 
 切通しの両側の斜面はまだ草木が生えそろわず、露出した土が今にも崩れそうで、実際にも路面には石がゴロゴロしている。こうした峠は険しい林道の峠ならではである。

   
豊岡町側から見る切通し (撮影 2017. 5.18)
   

<峠の様子>
 峠の頂上より豊岡市側は、一応はコンクリート舗装になっている。しかし、薄っすらと土が被り、未舗装にしか見えない。道幅も狭く、そこに車の轍の跡が一台分通じる。

   

豊岡町側から見る切通し (撮影 2017. 5.18)

豊岡町側から見る切通し (撮影 2017. 5.18)
ポツリと道標が立つ
   

<道標>
 道の頂上よりやや豊岡市側に、木製の道標が立つ。豊岡市方面に見て「豊岡市」と書かれている。
 
 元は道の反対側にも「朝来市」と書かれた道標が立っていたようだが、1年半前に来た時は、既に支柱はなくなり、「朝来市」と書かれた札だけが地面に転がっていた。 今回、その札がないなと思ったら、「豊岡市」の道標の足元に何やら木片が転がっている。ひっくりかえしたら、「朝来市」の文字が現れた。
 
 荒々しいV字の切通しに、素朴な木製の道標はなかなか様になっているが、片方だけというのはやや残念だ。


道標 (撮影 2017. 5.18)
   

峠より豊岡市方面を見る (撮影 2017. 5.18)

峠より豊岡市方面を見る (撮影 2017. 5.18)
道標には「豊岡市」とある
   

<頂上部分>
 コンクリート舗装と真新しそうなアスファルト舗装の境目がほぼ道の最高所、峠の頂上である。地形図では640mの等高線を超えているようだが、これ程鋭い切通しが地形図に書き表せるとは思えない。多分、実際の標高は640mを切っているかもしれない。

   
峠の頂上部分 (撮影 2017. 5.18)
   
   
   
峠の朝来市側 
   
朝来市側から見る峠 (撮影 2017. 5.18)
   

<峠の朝来市側>
 荒々しい豊岡市側に比べると、峠の朝来市側はグッと穏やかだ。峠の頂上に至る坂の勾配も緩やかで、路面はきれいなアスファルト敷きになっている。

   

峠の朝来市側 (撮影 2017. 5.18)
アスファルトの広い敷地がある

峠の朝来市側 (撮影 2017. 5.18)
   

上の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2015.11.16)

<広場>
 路面と一続きにアスファルトの広場が広がる。こうした安定感が険しさを感じさせない。この広場も駐車スペースだと思うが、豊岡市側の物と合わせ、登山用としてこれ程の広さが必要だろうかとも思う。
 
 場合によってはハンググライダーやパラグライダーなどの滑走場所として使われるのかとも考えたが、妻は吹き流しがないという。 妻はパラグライダー、私はマイクロライト機を少し習った経験がある。二人が知り合う以前のことで、どちらもモノにはならなかったが、どこか趣味が一致しているようだ。

   

朝来市側から見る峠 (撮影 2017. 5.18)

<峠の開通時期>
 地形図で豊岡市側がまだ未開通であることからも、最初に峠まで林道が通じたのは旧和田山町(現朝来市)からではなかったか。 1997年発行のツーリングマップルではまだ峠に達していないものの、和田山町側の峠直下までは道が延びて来ている。一方、旧但東町(現豊岡市)側には全く道が描かれていなかった。
 
 地形図で未開通の区間で開削工事が行われたのが平成17年(2005年)頃だから、1997年〜2005年の間、すなわち2000年前後には旧和田山町側だけは峠まで林道が届いていたのではないだろうか。
 
 今の朝来市側の路面は新しそうなアスファルトで、比較的最近の改修に見える。林道床尾線の全線開通(2007年〜2008年)を機に行われたのではないかと思ったりする。切通しの斜面などは既に緑の草木が覆い、道としてはある程度の年月を経ている様子である。

   

<豊岡市側の景色>
 峠の広場から眺める豊岡市側の景色も悪くはないが、あまり広がりがない。峠からは南西方向にほぼ真っ直ぐ糸井川水域の谷が下り、視界は大体その谷間の範囲に限られてしまっている。

   
豊岡市側の景色 (撮影 2017. 5.18)
   

<西床尾山(余談)>
 糸井川の水源域は、鉄鈷山から東床尾山・西床尾山と続く稜線が半円を描くようにして囲んでいる。峠から鉄鈷山と東床尾山は近い関係にあり、かえって見え難い。 一方、西床尾山は糸井川右岸を少し下った所にあり、峠からも見えそうな位置関係だ。豊岡市側に広がる景色のやや右手に一番高く見える山が西床尾山ではなかと思う。


左の山が西床尾山? (撮影 2017. 5.18)
   

峠よりこれから下る道を眺める (撮影 2017. 5.18)

<古い峠道(余談)>
 峠からは糸井川沿いへと急降下して行く道の一部が見える(左の写真)。豊岡市側の尾根沿いに通じる林道に比べると、如何にも峠道らしい。
 
 この峠に林道が開通する以前、果たして峠道が通じていたのだろうか。 鉄鈷山から西床尾山に至る床尾山系の主脈上では、この峠が通じる鞍部は最も標高が低く、その意味で古くから峠が通じていても不思議ではない。 ただ、豊岡市側は現在の林道の様なコースではなく、もし道が通じていたとしたら、峠直下の旧西谷村を通り、西谷川沿いに遡って峠に至っていたものと思う。しかし、地形図にはそのような道筋は描かれていない。

   

 出石川上流域にある旧但東町は、京都府との府県境の峰を控えた山地にある。一方、旧和田山町は円山川本流沿いにあり、京都方面より福知山を経由し、豊岡を経て日本海沿いに至る経路上となる。 現在は国道9号(山陰道)やJR山陰本線が通じる。旧但東町に比べると交通の便がいい。今回の峠は山間部の旧但東町と山陰道の幹線路を結ぶ峠道となる。
 
 ただ、その意味では天谷峠が存在する。今回の峠の1.5km程東に、現在の県道56号として通じている。地形図では西谷集落から天谷峠へと通じる道も描かれている。
 
 やはり、今回の峠に古くから峠道が通じていた可能性は低いのではないかと思う。 仮にあったとしても狩猟や山仕事、あるいは鉄鈷山などへの登山道程度で、広域に渡って重要性がある峠道ではなかったと思う。 前回の山毛欅峠などは、現在では同じように寂しい林道が通じる峠だが、かつて出羽三山への信仰の道としての歴史があった。今回の峠はそうした歴史の深さとは無縁かもしれない。

   
豊岡市側の景色 (撮影 2017. 5.18)
最初に訪れた時の写真
日が暮れる前にこの谷を下らなければならない
   
   
   
朝来市側に下る 
   

<朝来市側へ>
 朝来市側は以前に峠まで往復したことがあるので、道の様子は大体分かっている。全く未知の峠道を進む時は、それなりに不安を感じるものだ。 特に豊岡市側のような険しい未舗装林道では、どんな道が待っているかのとヒヤヒヤしながら車を運転している。楽しさ半分、不安半分といったところだ。 その点、一度経験した道なら、崩落などの突発的な事態を除けば、心配事は少ない。しかも、この峠の朝来市側は、道は狭いながらも完全舗装されている。 ガードレールも完備され、危険は少ない道だ。

   

<他にも広場>
 峠を後に朝来市側に下ると、直ぐにも道路脇に広場が2か所続く。道と山際の間にできた三角形のスペースをアスファルト舗装してある。これらも駐車場の積りだろうか。ただ、車道の舗装化の時に、雑草防止の為に脇の空き地もついでに舗装した、とうい感じでもある。
 
 峠の豊岡町側では、主脈上を南東の鉄鈷山へと登山道が始まっていた。一方、北西には東床尾山がそびえる。しかし、その方面への登山道や案内看板などは見当たらなかった。 朝来市側にある小さな広場の奥を登れば、直ぐにも東床尾山へと続く稜線上に出られそうだった。そこに道があったかもしれない。


右手に広場 (撮影 2017. 5.18)
   
谷間の景色 (撮影 2017. 5.18)
中央の三角の山が鉄鈷山か?
   
峠方向を望む (撮影 2017. 5.18)
中央やや左寄り辺りが峠
   

道の様子 (撮影 2017. 5.18)
僅かに土砂崩れの跡が見られる

<道の様子>
 道は暫く稜線直下を稜線にほぼ並行して進む。山の斜面はある程度草木が茂っているが、伐採の痕跡を強く残し、道としてはまだまだ若々しい感じを受ける。 路面のアスファルトや白線、脇に通じるガードレール、それらはほとんど新品に近く、そこだけ見ると開通したばかりの道かとも思える。 しかし、この朝来市側は2000年前後には既に峠まで道が至っていたと思われるので、やはりその後に舗装化などの改修工事が行われたのではないか。 軽微なものだが、既に一部に崩落個所も見られる。

   

<糸井川支流の上部へ>
 道は一路、東床尾山から南へ流れ下る糸井川の支流(名前不明)の上流部へと下って行く。糸井川の谷の最奥と言ってよく、峠のある位置より奥まった地点を目指している。 ただ、東床尾山から下る川は糸井川の本流ではなさそうだ。ある資料では、鉄鈷山より南に続く稜線上が源流となっていた。
 
 豊岡市側に比べると、朝来市側の道は如何にも峠道らしい。最初に峠を訪れた時は、この道を登るのが楽しかった。峠に近付いて行くのをヒシヒシと感じられる道だった。 逆に、下りはあっという間に視界が狭くなる。谷の広がりは失せ、峠の鞍部を振り返って眺めようとするが、ついに見られなかった。

   
谷間の景色 (撮影 2017. 5.18)
   

<蛇(全くの余談)>
 峠道では時々動物に出合う。カモシカなどに遭遇すると嬉しくなるが、困ったこともある。大抵の動物は、こちらが避けなくても向こうで逃げてくれる。逃げる前に写真を撮ろうとしても、間に合わないくらいだ。
 
 その点、蛇も一応逃げようと努力してくれるのだが、蛇の方が間に合わない時がある。急に車の前に現れると、そのままタイヤの下敷きになってしまうことがままある。 轢かれる前に鎌首を上げ、恨めしそうにこちらを向いたりするが、ハンドルやブレーキが間に合わない。ああ、やってしまったと思ったことが何回かある。 車へのダメージはさしたるものはないが、それでも気味が悪い。山中の道は、路面の落石以外に蛇に注意を払わなければならない。


蛇 (撮影 2017. 5.18)
ほとんど動かなかったので、死んでいたのかもしれない
   

分岐 (撮影 2017. 5.18)

<分岐>
 道は細かい蛇行を繰り返しながら北西方向に下る。中頃に分岐が一つあった。道の左手、南へと分かれる未舗装路だ。一般車通行禁止の看板とチェーンで通行止となっていた。
 
 
 道は東床尾山の南麓直下を目指す。右手の頭上にその山頂がある筈だが、近付くほどにかえって見えない。

   

道の様子 (撮影 2017. 5.18)

道の様子 (撮影 2017. 5.18)
右手奥に東床尾山がある筈
   

<北端部>
 峠から始まった急な下りは1.6kmほど続いて、谷の北端部に至る。小さな砂防ダムがある所で180度回転してからは、南に向かって東床尾山を水源とする川の左岸沿いになる。
 
 峠の位置より更に北へと大きく迂回したこのようなコース取りは、車道ならではである。仮に林道開通以前に峠道が通じていたとしたら、全く別の道筋を辿った筈だ。何か旧道の痕跡でもないかと探してみたが、やはり見当たらない。


この先カーブして川沿いに (撮影 2017. 5.18)
   
   
   
川沿い 
   

川の左岸沿い (撮影 2017. 5.18)

<川沿い>
 川沿いになると道は安定する。川沿いと言っても、川から100m前後離れた高みに通じ、比較的視界は広い。谷底を走るような暗い感じはしない。

   

 道が通じる谷間は、東床尾山の南麓直下から始まって、当面は真南へとほぼ真っ直ぐ刻まれている。道も細かな屈曲を除けば、ほぼ真っ直ぐに伸びる。峠直下にあって、この区間はとても穏やかな雰囲気だ。


道の様子 (撮影 2017. 5.18)
   

道の様子 (撮影 2017. 5.18)

道の様子 (撮影 2017. 5.18)
   

 1年半前に来た時は、11月中旬の晩秋から初冬にかけての時期で、アスファルト路面には落葉が多かった。今回訪れてみると、路面はきれいに清掃されている。この林道がよく整備されていることを物語っていた。
 
 峠へと進む方向は、丁度正面に東床尾山を見る方向だ。写真のどこかにその山が写っていたかもしれない。


以前の道の様子 (撮影 2015.11.16)
峠方向に見る
   

以前の道の様子 (撮影 2015.11.16)
正面の山は東床尾山?

以前の道の様子 (撮影 2015.11.16)
路面に落葉が多かった
   

この先に十字路がある (撮影 2017. 5.18)

<支流を迂回>
 道は一旦峠方向から流れ下る支流上部を迂回する。その後はやや西寄りに方向を転じ、再び元の川沿いへと戻って来る。
 
 
<小さな十字路>
 元の川の近くで小さな十字路がある。北へは「糸井の大カツラ」への道、南へは植栽用の作業道が分岐する。

   

<糸井の大カツラ>
 豊岡市側の道は尾根沿いに新しく開削された林道で、しかも森林管理が主目的であり、景色はいいが、沿道に古くからの名所など見るべき物はない。 一方、この朝来市側は「糸井渓谷」と「糸井の大カツラ」という2大名所を有する。「糸井の大カツラ」は早くから国指定の天然記念物ともなっている。
 
 十字路を北へ分かれる道の入口にその「糸井の大カツラ」の看板が立つ。道の入口周辺は小広くなっていて、屋根のあるベンチなども設けられていた。

   

糸井の大カツラへの道 (撮影 2017. 5.18)

糸井の大カツラの看板 (撮影 2017. 5.18)
   

<大カツラへの道(余談)>
 大カツラへは東床尾山方面から南流する川沿いに600m程遡る。車道が通じている様子だが、案内看板には車はご遠慮くださいとある。 一方、その看板の反対側には、クマに関する注意看板も立つ。笛、鈴等を携帯するようにとあるが、最近のクマは鈴などで音を出しても逃げない場合があると聞く。 迷った末、大カツラには寄らずに済ませることとした。
 
 余談だが、クマへの対抗策として以前よりクマよけ(撃退)スプレーが有効だろうと思っていた。しかし、一本1万円前後の高額である。 そこで、相変わらず鈴を頼りにしてきたのだが、昨今の事情を鑑み、試しに一本買ってみることにした。比較的安価な「UDAP 熊撃退スプレーホルスター付」に目を付けた。 ネットショップの広告には噴射時間の記述が全く見当たらず、やや不安だったが、他製品とほぼ同等の10秒前後だろうと期待した。 しかし、送られて来た現物を手にしてみると、「約4秒」との記述があり、唖然とした。襲って来るクマに対し、的確な時期に噴射しなければならない。慌てたあまり、クマに吹き掛ける前に、スプレーが空になるような気がする。


クマ注意の看板 (撮影 2017. 5.18)
   

植栽用の作業道 (撮影 2017. 5.18)

<作業道>
 大カツラ方面とは反対側に未舗装の作業道が始まる。ただ、入口はロープで通行止になっていた。側らに看板が立ち、付近で植栽が行われていて、その作業道となるらしい。

   

<字床尾>
 相変わらず看板の趣旨より、そこに書かれている住所に関心が向く。「朝来市和田山町竹ノ内字床尾(今霧)地内」とある。峠の朝来市側は広く大字竹ノ内であるが、その中に字床尾があることが分かる。尚、この「床尾」は「とて」と読むのかもしれない(後述)。


植栽の看板 (撮影 2017. 5.18)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

十字路を峠方向に見る (撮影 2017. 5.18)
手前は古いコンクリート舗装、先は新しいアスファルト舗装
左が大カツラへの道、右は植栽作業道

<舗装の区切り>
 この小さな十字路で注目したいのは、この地点で路面の舗装状態がくっきり分かれることだ。 麓方面からここまでは古いコンクリート舗装、ここから先の峠までは新しいアスファルト舗装となっている。 多分、国指定の天然記念物となる大カツラまでは、早くから車道が通じていたのではないだろうか。本流の川沿いに通じている点などは、如何にも昔の道筋である。
 
 一方、ここから峠方面へは後の開削で、林道床尾線の本線ととしてアスファルト舗装も行われたのだろう。ただ、この支流沿いに真っ直ぐ登ると、丁度今回の峠に行き着く。車道開通前にも、細々とした山道が続いていたかもしれない。

   
   
   
十字路以降 
   

<糸井川本流沿い>
 ある資料だと、十字路から200m程下ると道は糸井川の本流沿いとなることになっている。それまでは支流沿いだ。しかし、川の状態はずっと本流っぽい。糸井川本流の源流は、やはり東床尾山方面ではないかと思われてしょうがない。
 
 古そうなコンクリート舗装の道が、川の流れにぴったり沿って通じる。川の流れが屈曲すれば、それに伴って道も屈曲する。谷は狭まり、視界は広がらなくなった。


十字路以降の道 (撮影 2017. 5.18)
   
左岸沿い (撮影 2017. 5.18)
視界は狭くなった
   

<糸井川右岸へ>
 その内、道は右岸沿いになる。この付近になると間違いなく糸井川本流である。今後、暫くは糸井川の左岸と右岸を何度か渡り返しながら道は下る。

   

ここで右岸へ渡る (撮影 2017. 5.18)

右岸沿いの道 (撮影 2017. 5.18)
   

<西床尾山登山口>
 右岸沿いの途中、右手に西床尾山の登山口がある。その登山道は支流の渓谷沿いに北へ登っている。入口に道標や看板が立つ。道標は近畿自然歩道の物で、地点間の距離が記されている。この後、道沿いの所々にこの道標が見られた。

   

西床尾山登山口 (撮影 2017. 5.18)
看板の下の箱は登山届を入れるようだ

近畿自然歩道の道標 (撮影 2017. 5.18)
「不動の滝 0.2km」、「糸井の大カツラ1.3km」
「西床尾山登山道 羅漢の谷」
   

西床尾山登山口の看板 (撮影 2017. 5.18)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<西床尾山(余談)>
 この登山口は「らかん口」と呼ばれる。登山道が沿う渓流は「羅漢の谷」と呼ばれ、途中に「ダイゼンの滝」というのがあるようだ。この時は登山道途中で伐採作業が行われているとのことで、注意看板も立っていた。
 
 西床尾山(843m)へは、この「らかん口」から登るコース(約2時間)と、東床尾山から床尾山系の主脈上を辿るコースが一般的なようだ。

   

<出石糸井県立自然公園の看板>
 「出石糸井県立自然公園」の看板はこの近辺の地図が載っていて参考になる。床尾山系はこの県立自然公園の中核となる存在だ。
 
 今回は見に行かなかった糸井の大カツラの写真が載っていた。なかなか立派なもので、これなら見ておけばよかったと思った。
 
 「峰越林道より」という写真は峠から豊岡市側を眺めた景色だ。雲海が広がっている。ところで、「林道床尾線」とは言わず「峰越林道」としているのはどういうことだろうか。まだ床尾線全線が開通する前の部分的開通で、林道名称が定まっていなかったのかもしれない。


県立自然公園の案内図 (撮影 2017. 5.18)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

車が停まる (撮影 2017. 5.18)

<駐車場>
 「らかん口」の少し川下の左岸沿いに僅かばかりの路肩があり、ここが登山用の駐車スペースとなっているようだった。折しも5台の車が停められていて、ほぼ満車状態だ。 全て軽自動車で、ワンボックスが3台、トラックが1台、乗用車タイプが1台だ。登山者の物としては何だかおかしい。 多分、登山口の奥で伐採作業が行われているらしいが、その作業員の車ではなかったか。平日からこんなに賑わう程、西床尾山への登山者が多いのではないようだ。

   

<糸井渓谷>
 「らかん口」以降、道は糸井川を何度かせわしなく渡り返す。谷はそれだけ狭小だ。
 
 「らかん口」から下ること200m、道が右岸から左岸へ渡った所に小さな東屋が立つ。この付近の糸井川は「糸井渓谷」と称され、東屋はその渓谷に架かる「不動の滝」を眺める位置に立つ。 東屋から川の上流方向に目を向けると、その滝が望める。ただ、糸井川本流と言ってもこの付近はまだか細い小川でしかない。「不動の滝」も「糸井の大カツラ」程見栄えがするものではなかった。


東屋 (撮影 2017. 5.18)
(麓方向に見る)
   

東屋の隣に「不動の滝」の看板 (撮影 2017. 5.18)
看板の奥に「不動の滝」がある
(峠方向に見る)

不動の滝 (撮影 2017. 5.18)
   

 古いツーリングマップ(関西 2輪車 1989年7月発行 昭文社)では、現在の林道床尾線の豊岡市側は全く道が描かれておらず、朝来市側も途中までだ。 それも一本線の細々とした道で、地形図で言う「軽車道」である。その道の終点がほぼ「不動の滝」近辺であった。この付近、糸井渓谷は特に狭く、4つの橋が連続する。 道の開削も困難な箇所だったのだろう。
 
 
<近畿自然歩道の道標>
 「不動の滝」近くにも近畿自然歩道の道標が立ち、以下の様にある。
・峠方向:「糸井の大カツラ 1.5km」
・麓方向:「竹ノ内隕石落下の地 2.5km」
 
 「隕石落下の地」は前回訪れた時に寄ったことがある(後述)。


近畿自然歩道の道標 (撮影 2017. 5.18)
   
   
   
糸井川右岸 
   

<糸井川右岸へ>
 「不動の滝」の東屋を過ぎた次に道が右岸へ渡ると、その後暫く右岸沿いが続く。依然として糸井渓谷が側らを流れる。時々大岩がゴロゴロする川底が見られ、どうにか渓谷らしい風情が感じられるが、規模は小さい。

   

この先、右岸へ渡る (撮影 2017. 5.18)

暫く右岸沿いの道が続く (撮影 2017. 5.18)
   

保健保安林の看板 (撮影 2017. 5.18)

<保健保安林の看板>
 途中の何でもない路傍に「保健保安林」と題した看板が立っていた。内容はよくある水源かん養保安林の範囲を示している。左岸の広い範囲で、その境は「京都府天田郡(あまだぐん)夜久野町(やくのちょう)」まで及ぶ。現福知山市夜久野町である。
 
 朝来市側の住所は、「朝来郡和田山町竹ノ内字床尾」となっている。また字床尾の下流側に字新所と字南炭山谷という字名もあるようだ。ただ、地図上ではこの地域に集落などは見られない。
 
 道は淡々としたコンクリート舗装が通じる。幾分、谷間が広くなったようだ。

   

道の様子 (撮影 2017. 5.18)
やや谷が開けて来た

道の様子 (撮影 2017. 5.18)
   

<休憩地>
 この峠道には一箇所だけトイレが設けられた休憩地がある。峠から下って5km、朝来市側林道起点から遡って1.6kmの地点だ。 林道床尾線とそれ以外の部分を足すと総延長約22kmともなる峠道にあって、ここは貴重な存在だ。橋を渡った左岸に広い草地の駐車場と、それに隣接してトイレがある管理棟が立っている。

   

対岸に渡った所に駐車場がある (撮影 2017. 5.18)

トイレのある管理棟 (撮影 2017. 5.18)
   

<森林総合施設>
 敷地内に立つ案内看板によると、そこは「森林総合施設」と呼ばれる所だそうだ。
 
 トイレのある管理棟とは駐車場を挟んで反対側に、平屋の建物が立つ。フェンスで囲われていて近付くことはできず、またあまり使われている様子でもなかった。比較的大きな建屋で、何かの行事の時にでも使われる宿泊施設ではないかと思った。
 
 1年半前に訪れた時は、トイレを済ませて暫し考えた。日は西に傾き掛け、施設の所だけは辛うじて日が差し込んでいたが、パジェロ・ミニの影はもう長く伸びている。 狭い糸井渓谷などは全く日の光が届かず、暗い道が続くようだ。ここから引き返そうかとも思ったが、意を決して先に進むこととした。結局、峠には辿り着いたが、引き返しとなったのだった。


駐車場より峠方向を見る (撮影 2015.11.16)
前の建物は何であるか不明
   

施設の案内図 (撮影 2015.11.16)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<施設の様子>
 川沿いに立つ施設の案合図(左の写真)には、まだ宿泊棟らしき建物は描かれていない。後から増設されたようだ。
 
 この森林総合施設は第2次林業構造改善事業により建設された旨が示されていた。右岸側には「桜広場」なる物があることになっているが、林道からはそれらしき広場は確認できなかった。多分、少し山の中に入った所にあるのだろう。
 
 施設の前を流れる糸井川は川底が平らで広く、もうあまり渓谷の様相はない。案内図には川の部分に「アマゴ」と書かれていて、駐車場脇から川床に降りる階段も設けられていた。子供たちが魚捕りなどの川遊びをするには、打ってつけの川であった。

   

<床尾の三滝>
 トイレ兼管理棟の裏手に回ると、南から流れ下る支流沿いに遊歩道が設けられているようだ。その渓流沿いに「大穴」(おおけつ)や「床尾の三滝」が見られるらしい。大穴とは甌穴(おうけつ)のことだろうか。
 
 鉄鈷山から東床尾山、西床尾山と続く床尾山系の主脈にぐるりと囲まれたこの糸井川源流域は、急峻な斜面のV字谷が多く、文献(角川日本地名大辞典)にも「床尾の三滝、不動の滝と多くの滝がみられる」と記されていた。

   

<床尾(とて)>
 尚、案内図の「床尾の三滝」の「床尾」には「とて」とルビが降ってあった。また、西床尾山登山口の「らかん口」と同様の県立自然公園案内図が、管理棟辺りに掛かっていたが(右の写真)、そこにも「床尾(とて)の三滝」とか、また遊歩道の登り口を「床尾(とて)口」としていた。
 
 この付近の住所は「字床尾」であったが、この場合も「とて」と読むのかもしれない。その可能性が高い。 「床尾」は床尾山系の山の名称だったが、その山々に囲まれた糸井川上流域の地名でもあるようだ。ただ、地名としては「とて」と呼ぶらしい。どのような経緯でそのようになったのだろうか。


自然公園の看板 (撮影 2015.11.16)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<砂防ダム>
 森林総合施設の前を過ぎると、糸井川の川幅が増々広がった。それもその筈で、150m程下ると砂防ダムが架かっていた。

   

森林総合施設以降 (撮影 2017. 5.18)
川幅が広がる

砂防ダム (撮影 2017. 5.18)
   

<糸井渓谷>
 糸井渓谷と呼ばれる区間は2kmあまりということになっている。大カツラへの分岐より少し下流辺りから糸井川は渓谷の様相だった。その付近が上流側の端だろうか。 一方、砂防ダムの位置は大カツラ分岐より1.6km程で、その意味ではまだ糸井渓谷の中ということになる。しかし、ダムの直ぐ上流側は渓谷の様相ではない。 ダム直下はまた渓谷に戻るが、林道からは川底は遥か下で、林が視界を遮り、渓谷は望めない。実質的に、糸井渓谷は砂防ダムより上流側で楽しむこととなる。

   
砂防ダム付近より上流方向を望む (撮影 2017. 5.18)
この部分は渓谷の様相はない
   
   
   
峡谷を抜ける 
   

<峡谷を抜ける>
 砂防ダム付近から300m程続く暗い林を抜けると、パッと視界が広がる。川岸には草地が広がり、もう谷を鋭く刻む峡谷の様相はない。少なくともこれで「糸井渓谷」は終了だ。

   
広い草地が出て来た (撮影 2017. 5.18)
   

小屋が立つ (撮影 2017. 5.18)

<小屋>
 川沿いにポツンと一軒小屋が立つ。農作業小屋のような物ではなく、エアコンの室外機が見え、周囲には物置やブランコ、物干しなどが並ぶ。高床式で、小さいながらも住居のようだ。 ただ、定住している様子はなく、多分別荘のような使い方をされているのだろう。この麓の集落からは1km以上離れていて、静かな自然の中でのんびり一時を過ごそうということだろう。

   

<棚田>
 小屋より下流側では、広くなった川岸を使って棚田が築かれていた。きれいな石積みの段差が続く。ただ、残念ながらもう利用されている形跡がない。 休耕地となっているようだ。春には苗を植えた水田が、秋には黄金の稲穂がたなびく姿が、かつてはこの地でも見られたのだろうが、今ではやや寂しい姿だ。


棚田 (撮影 2017. 5.18)
峠方向に見る
   

標柱 (撮影 2017. 5.18)

<謎の標柱(余談)>
 棚田以外の路肩に続く草地も、かつては畑など何かに使われていたのかもしれないが、今は草木がはびこっているばかりだ。 その中に、こちらに一本、あちらに一本と、木製のj標柱が立っていた。ここに園地か何かあった痕跡だろうか。 標柱には看板のような物が取り付けられていたが、もう何が書かれていたかさっぱり分からない。
 
 豊岡市側は殺伐した林道で、それはそれなりに面白いのだが、沿道に見るべきものはなく、人の暮らしや歴史などの温もりは全く感じられない。 その点、朝来市側の糸井川沿いでは路傍にいろいろと目に留まるものがある。朽ち掛けた標柱も、何かの歴史を物語るようで、ほのかな味わいが感じられる。

   

標柱 (撮影 2017. 5.18)

標柱の看板 (撮影 2017. 5.18)
全く読めない
   

<左岸へ>
 棚田や草地が続く中を糸井川が蛇行して下る。谷はこの先少し狭まり、その手前で道は左岸へ渡る。
 
 橋上からは、糸井川本流沿いだけでなく、そこに流れ込む小さな支流の上方にも棚田が延びているのが見渡せる。しかし、もう人の手はあまり入っていない様子だ。


前方の橋で左岸へ渡る (撮影 2017. 5.18)
   
橋上より糸井川上流方向を見る (撮影 2017. 5.18)
右手は支流の上流部へ延びる棚田
   

この先少し谷が狭まる (撮影 2017. 5.18)

<旧道?(余談)>
 ちょっと古い1989年7月発行のツーリングマップ(関西 2輪車 昭文社)では、林道はこの辺りもずっと右岸沿いに通じていたことになっている。 ただ、先程の橋は比較的古い物で、元からあったようだ。それでも、この先の竹ノ内集落から右岸沿いに道が途中まで延びて来ている。そちらが旧道であろう。 どこかにもう一つ橋があり、ちょっと左岸に渡ってまた右岸に戻って行ったのではないだろうかと勝手に想像する。

   
左岸沿いの道 (撮影 2017. 5.18)
崖が迫り、平坦地は少ない
一方、右岸は広くなっていて、下の竹ノ内集落より道が延びて来ているようだ
   

<集落直前>
 谷がちょっと狭まった区間を過ぎ、糸井川の谷はいよいよ本格的に広がりを見せ始める。

   
道の様子 (撮影 2017. 5.18)
   

 側らを穏やかに流れる糸井川も、この先は水面を間近に見ることがない、遠い存在となって行く。

   
以前の道の様子 (撮影 2015.11.16)
(峠方向に見る)
山があり、川があり、その中に道が一本通じる
この穏やかな情景の中を行くのは楽しい
   
   
   
朝来市側の林道起点 
   

前方に人家が見えて来た (撮影 2017. 5.18)

<人家>
 ここまでは農業用の作業小屋や物置程度の建物がポツリポツリと沿道に見える程度だったが、やっと人が常住する民家が現れて来た。豊岡市側の日殿(ひどの)集落を後にしてからずっと無住の地帯を通り、再び人里へと降り立って来た訳だ。

   

<林道起点>
 集落に入る手前に橋が架かっていて、その橋の袂が小広くなっている。側らに林道看板などが並び、ここが林道床尾線の朝来市側起点となる。集落側から峠に向かって来ると、いよいよここから林道の峠道だなと、覚悟を決めることとなる。
 
<林道標柱>
 林道看板は豊岡市側にあった物とほとんど同じだが、左端に立つ林道標柱は、豊岡市側が古ボケていたのに対し、こちらは真新しい。「森林管理道 床尾線 起点」とある。 「森林管理道」と記しているあたりは、豊岡市側で最後に開通した区間と同じである。多分、床尾線全線開通とほぼ同時期に立てられた林道標柱ではないだろうか。


この先が林道起点 (撮影 2017. 5.18)
路肩に林道看板などが立つ
   

林道起点の様子 (撮影 2017. 5.18)
近畿自然歩道の案内看板などが並ぶ

林道起点の様子 (撮影 2015.11.16)
(峠方向に見る)
この時はまだクマの注意看板は立っていなかったようだ
   

クマの注意看板と林道標柱 (撮影 2017. 5.18)

<クマの注意看板(余談)>
 最初にここを訪れた時も、一旦ここで立ち止まり、林道看板などを確認してから峠へと向かったのだった。 僅か1年半前のことで、何も変わりはないだろうと思ったが、ちょっとした変化が見られた。林道標柱の更に左側に、新しくクマの注意看板が立っていた。 糸井の大カツラへの入口にあった物と同じだ。ここ数年、クマの被害が急増している。そんな世情を反映してのことだろう。
 
<看板の内容>
 当地域はツキノワグマの
 生息域です。
 入山に際しては
 十分ご注意ください。
 ※不要な遭遇を避けるため、
 笛、鈴等を携帯してください。
 和田山町観光協会

   

<林道看板(余談)>
 林道看板をよくよく見ると、起点の住所の「朝来市」が書き変えられている。誤植でもあったのだろうか。豊岡市側の林道看板は正しく「朝来市」と印刷してあった。
 
 もしかして、林道開通後に朝来市の合併があったのかと調べてみると、朝来市も豊岡市も2005年(平成17年)4月1日の合併だそうだ。峠にあった開通記念碑によると林道床尾線の全線開通は2007年度なので、やはり朝来市や豊岡市の合併以降のこととなる。


林道(起点)の看板 (撮影 2017. 5.18)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<近畿自然歩道>
 林道看板の右横には近畿自然歩道の看板が立つ。色あせてしまっているが、まだどうにか読める状態だ。今回の峠道に関わるコースは「東床尾山 但馬眺望のみち」と題されていて、「竹ノ内バス停〜下寺坂バス停 11.1km」とある。糸井川沿いに峠道を遡り、途中で「糸井の大カツラ」へ向かい、東床尾山の南の肩を越えて旧出石町(現豊岡市)へと下るコースだ。

   
近畿自然歩道の看板の一部 (撮影 2017. 5.18)
地図は概ね左が北
コースはかすれていて見難い
   

<看板の元の位置>
 ただ、地図の現在地が「竹ノ内バス停」となっていて、徳林寺よりも更に西の位置だ。この林道起点より600m程下流側である。 どうやら、林道の全線開通に伴ってこの地に林道看板が立てられた折り、竹ノ内バス停に以前からあった近畿自然歩道の看板が、この林道起点に移設されたようだ。それで、林道看板より古く、色あせているのだろう。
 
<精錬所跡>
 コースの中、糸井の大カツラより更に東床尾山方向へ遡った所に「精錬所跡」とある。文献では「床尾の西麓出石町奥山に金山跡がある。慶長17年より80年間採掘されていたという記録がある。」と出ている。これは旧出石町側のことだが、交通の便利は旧和田山町側に運んで精錬したのかもしれない。床尾山系では金鉱以外も鉄鉱や白粘土を産したそうだ。

   

<コースの見どころ3件>
 「東床尾山 但馬眺望のみち」コースの見どころとして、以下の3件が案内されていた。

   
東床尾山の案内看板 (撮影 2017. 5.18)
   
糸井の大カツラの案内看板 (撮影 2017. 5.18)
   

 写真を見ただけの判断だが、「糸井の大カツラ」はなかなか立派そうだ。やはり、一目現物を見ておきたかった。

   
糸井渓谷の案内看板 (撮影 2017. 5.18)
   
   
   
竹ノ内集落以降 
   

奥村橋(おくむらばし)を渡る (撮影 2017. 5.18)

<竹ノ内集落>
 ここまでずっと1〜1.5車線幅の狭い道が、林道起点の看板前からは2車線幅となり、舗装も良くなる。直ぐに奥村橋(おくむらばし)で糸井川右岸へと渡る。糸井川の谷は本格的な広がりを見せ始め、その中に竹ノ内集落の人家が並びだす。
 
<竹ノ内村>
 江戸期より、この円山川支流・糸井川最上流域に竹ノ内村があった。明治22年に9か村が合併して糸井村が誕生、竹ノ内村は大字竹ノ内となる(一部は同村の大字内海となる)。 昭和30年には糸井村と大蔵村とが合併して南但町(なんたんちょう)が成立。更に昭和31年には和田山町の大字竹ノ内となって行く。

   

<大字竹ノ内>
 文献では糸井川両岸2.5kmに渡り竹ノ内集落が散在するとあるが、大字竹ノ内の範囲は奥村橋の下流2km弱までである。かつては現在の奥村橋の位置より上流側にも集落が延びていたのだろうか。
 
 大字竹ノ内に小字は6つあるらしい。字床尾(とて)もその一つかと思ったが、ここよりずっと上流側で、元から集落などはなかったように思える。
 
 
<旧道>
 手持ちのツーリングマップ(1989年7月発行)では奥村橋はまだ存在しない。橋の集落側から右岸方向へ道が分かれて行くが(下の写真)、それが元の道だったようである。

   
竹ノ内集落側から峠方向を見る (撮影 2015.11.16)
前方が奥村橋
左に分かれる道は旧道か?
右は隕石落下之地へ
   

<竹ノ内隕石落下之地>
 「糸井の大カツラ」はクマが怖くて見られなかったが、竹ノ内隕石落下之地は集落の端にあり、安全に見学できる。奥村橋を渡ると左手の路傍に大きな案内の標柱が立っている。 道から入って50mという近さもいい。ただ、大カツラの様な見応えがある物ではない。何でもない空地に石碑が一基建っているだけだ。
 
 竹ノ内隕石は日本国内に落下した隕石のうち、落下日時等が正確に確認された第1号の隕石として価値があるそうだ。


左に隕石落下之地の入口 (撮影 2017. 5.18)
峠方向を背にして見る
   

「竹ノ内隕石落下之地」の標柱 (撮影 2017. 5.18)
ここから入って50m
「隕石落下日本第1号発見」とある

この奥が隕石落下之地 (撮影 2017. 5.18)
   

<石碑>
 碑文には次のようにある。写真から読み取るのに苦労した(-_-;)。
 隕石の由来
明治十三年(一八八〇)二月十八日午前五時三十分頃
大きな火の玉が尾を引きながら南から北に向けて飛び来り
一大音響とともに落下した
この光芒は兵庫大阪京都の三府県でも観測された
落下地点の字名により竹ノ内隕石と命名され
重さは七一八・七グラムあった
国立科学博物館村山定男氏の調査の結果
本邦に於て落下日時場所標本が確認され
化学分析等の科学的研究が行われた最初の隕石である
このことは日本の科学史上貴重な資料であるといえる
ここに落下百年を記念し
現地に碑を建立して後世に伝える
 題字 村山定男博士

   

隕石落下之地 (撮影 2015.11.16)

記念碑 (撮影 2015.11.16)
   

 文献(角川日本地名大辞典)では落下日を「2月8日」としているが、碑文では「二月十八日」と読める。「十」の文字が小さいので、読み違えたか。
 
 この碑の建立は昭和58年(1983年)だそうだ。隕石落下から103年が経っている。尚、隕石の現物は現地にはない。国土地理院と国立科学博物館とに分割保管されているとのこと。

   

<集落内>
 竹ノ内集落以降は快適な2車線路が続く。峠道としては糸井川沿いにその本流である円山川に行き着くまでが範疇と考える。円山川沿いには国道9号が通じるので、その国道に合流するまでだ。林道床尾線起点からだと約7.6kmを残す。ただ、当然ながらもう峠道の風情はない。


竹ノ内集落の様子 (撮影 2017. 5.18)
   
沿道の様子 (撮影 2017. 5.18)
(峠方向に見る)
   
沿道の様子 (撮影 2017. 5.18)
(下流方向に見る)
   

道の様子 (撮影 2017. 5.18)

<沿道の様子>
 沿道にはのどかな水田耕作地が広がる。元の道筋は人家の軒先に通じていたのだろうが、今は人家の密集地を避け、田んぼの只中を突っ切って快適に通じている。以前の近畿自然歩道の起点となる竹ノ内バス停も、現在の本線とは外れた位置に立つようだ。
 
 途中、糸井川を渡った袂に地蔵が佇んでいた。こうした古くからの物がある所は、元の道筋と思われる。

   

糸井川を渡る (撮影 2017. 5.18)
左手に地蔵

地蔵 (撮影 2017. 5.18)
   
   
   
県道10号(これ以降は蛇足) 
   

<県道10号>
 途中、右手から県道10号(主要地方道)・朝来出石線が合流して来る(和田山町和田の地内)。ただ、下る方向には何の看板もなく、信号機もない分岐なので、知らずに通り過ぎ、いつの間にやら県道10号に乗っていることとなる。
 
<幅員狭小幅 3.6m>
 峠方向に来た場合はしっかり道路看板が立つ(下の写真)。「幅員狭小幅 3.6m」と書かれているのが気に掛かる。西床尾山から西に連なる尾根を越え、旧出石町へと越える峠道だ。峠前後が狭そうである。


右手から県道10号が来る (撮影 2017. 5.18)
   

県道10号の分岐を峠方向に見る (撮影 2015.11.16)
左手の看板には直進方向に
「床尾連山 糸井渓谷」と案内されている

分岐の看板 (撮影 2015.11.16)
「幅員狭小幅3.6m」とある
   

<峠を望む>
 初めてこの峠を訪れた時、県道10号を峠方向に進みながら、何とはなしに峠がある鞍部付近を写真に撮って置いた(下の写真)。 まさか峠そのものが写るとは思っていなかったが、後で写真をよくよく見ると、峠の切通しらしきものが撮れているではないか。
 
 今回の峠は、峠に近付くとほとんど見えず、かえって遠く離れた豊岡市側の林道入口付近や朝来市側の国道9号に近い所から、峠が遠望できるのだった。 朝来市側では直線距離で10km近くも離れている。それでいて峠の切通しがはっきり確認できるのだから、切通しの規模の大きさを物語っている。

   

県道10号を峠方向に見る (撮影 2015.11.16)
(県道274号の分岐付近)

峠の切通しが見える (撮影 2015.11.16)
   

観光案内の看板 (撮影 2015.11.16)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<和田山町の案内>
 県道10号沿いにちょっとした観光案内看板が立っている。「和田山町」とあるので朝来市になる前の物だろう。「竹ノ内いん石落下地点」などがイラストで紹介されている。ちょっと昔風で味がある。この看板近くには郷土歴史館があるようだ。
 
 
<県道104号>
 右岸道路と呼ばれる円山川右岸沿いに通じる県道104号と交差すれば、峠道の終点はもう近い。交差点名は糸井橋(いといばし)。

   

県道104号と交差 (撮影 2017. 5.18)

道路看板 (撮影 2017. 5.18)
   

<糸井橋>
 交差点の先は円山川を渡る糸井橋になる。「橋長 108m」とある。
 
 糸井橋という命名は支流の糸井川に関係するのだろうが、糸井川が円山川に注ぐ地点は、この糸井橋より400m程も上流の地点だ。以前は別の糸井橋が糸井川合流点近くに架かっていたのかもしれない。


糸井橋 (撮影 2017. 5.18)
国道9号方向に見る
   

糸井橋 (撮影 2015.11.16)
峠方向に見る

<円山川>
 円山川(まるやまがわ)は但馬(兵庫県北部)の中央部を北流する「但馬の大河」と呼ばれる川となる。中国山地の分水嶺に源を発し、豊岡市津居山で日本海に注ぐ。
 
 糸井川は円山川の中流域にある一次支流であるが、支流としての規模は出石川などより小さい。糸井川が注ぐ付近の円山川はゆったりした流れで、既に大河の雰囲気を漂わせていた。

   
糸井橋上より円山川を上流方向に望む (撮影 2017. 5.18)
   

<山陰本線)>
 円山川の次は山陰本線を渡る。

   

円山川を渡り終ったところ (撮影 2017. 5.18)

国道の道路看板 (撮影 2017. 5.18)
   

 道路看板の国道9号の行先には「豊岡」とあったが、国道9号は豊岡を通らず、養父市より西に向かってしまう。代わりに豊岡に通じるのは国道312号となる。
 
 山陰本線は単線。余部(あまるべ)鉄橋など、日本海側を通るイメージがあるが、この付近は内陸を走っていた。


山陰本線の踏切 (撮影 2017. 5.18)
国道9号方向に見る
   

山陰本線の踏切 (撮影 2015.11.16)
峠方向に見る

道路看板 (撮影 2015.11.16)
県道10号の行先は旧出石町の奥山
   

宮田交差点 (撮影 2017. 5.18)

<国道9号(余談)>
 国道9号からの分岐は宮田交差点。国道沿いには僅かに「糸井渓谷」の案内看板が立つ。
 
<和田山>
 付近はかつての和田山町の中心地だが、生野町・和田山町・山東町・朝来町が合併して出来た朝来市の中心地ともなったようだ。 和田山は古くから交通の要衝として開け、京都方面と山陰地方を結ぶ山陰道が通じていた。現在は円山川沿いに国道9号(312号との併用区間)やJR山陰本線が通る。

   

国道9号の宮田交差点 (撮影 2015.11.16)
(京都方面に見る)

糸井渓谷の看板が立つ (撮影 2015.11.16)
   

この先、左に県道10号が分岐 (撮影 2015.11.16)
(京都方面に見る)

県道10号の分岐を示す看板 (撮影 2015.11.16)
峠へは県道10号を行く
   
   
   

 今回の峠は、峠そのものが魅力的で、それが掲載の動機となった。車で走ってみて面白い道でもあった。たた、峠の歴史は極めて浅く、古くからの人の営みが感じられるような味わいはない。 それでも、かつて床尾山からは金などの鉱山資源が採掘され、それに関わる道も古くから通じていたことだろう。 朝来市側には糸井渓谷や天然記念物ともなる大カツラがあり、今は登山者などが活用する峠道である。峠には何の関係もないが、137年前の隕石落下の地が側らに佇む。そんなことも取り混ぜて、まあまあ楽しめたと思う、床尾峠(仮称)であった。

   
   
   

<走行日>
・2015.11.16 朝来市側から峠までを往復 パジェロ・ミニにて
・2017. 5.18 豊岡市→朝来市 ハスラーにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 28 兵庫県 昭和63年10月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・関西 2輪車 ツーリングマップ 1989年7月発行 昭文社
・ツーリングマップル 5 関西 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 関西 2015年8版1刷発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

<1997〜2017 Copyright 蓑上誠一>
   
峠と旅         峠リスト