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泊陸奥横浜線の峠
  とまりむつよこはませんのとうげ  (峠と旅 No.306)
  下北半島頸部を横断する峠道
  (掲載 2020. 2.17  最終峠走行 2018.10.16)
   
   
   
泊陸奥横浜線の峠 (撮影 2018.10.16)
手前は青森県上北郡六ヶ所村大字泊
奥は同郡横浜町字北川台
道は青森県道179号・泊陸奥横浜停車場線
峠の標高は417m (地形図より)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
峠前後の狭い道に比べ、峠は広々としている
残念ながら峠名がないので、道路名で示さざるを得ない峠である
 
 
 
   

横浜町の道の駅・よこはまにあった看板 (撮影 2018.10.16)
横浜町の紹介というより、下北半島の観光案内になっている
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<下北半島(余談)>
 下北半島ほど最果ての旅情を誘う地はない。 「峠と旅」のトップページでは開設当初より「あなたの旅心がそそられれば幸いです」という文句を掲げて来たが、下北半島には正に旅心をそそられる。 霊場恐山や景勝仏ヶ浦などが殊に有名だが、あの斧の形をした独特の地形だけでも、是非旅をしてみたと思わせる。
 随分昔のテレビドラマで、小林桂樹さんが一人大間崎に佇むシーンが出て来た。下北半島突端にある本州最北端の地として知られる大間崎。 どんなストーリーのドラマだったか全く覚えていないが、北海道とを隔てる津軽海峡の荒波を目の前に、小林桂樹さんが物思いにふけるシーンが印象に残った。大間崎に何があるという訳でもないが、自分自身でもその地に立ってみたいという気にさせる。
 そこで、まだバイクや車の免許を持っていなかった二十歳代に、鉄路やバスを乗り継いで一人大間崎まで旅したことがある。 その後、バイクや車でも度々訪れるようになった。調べてみると、下北半島への旅は合計9回、日数で16日間、ホテル泊6回、野宿泊1回であった。それ程気に入った旅先である。

   

<下北半島の峠(余談)>
 ただ、峠については下北半島はそんなに心惹かれる地ではない。「峠と旅」でもこれまで大畑峠の一峠を挙げただけである。旅の回数が多いだけに下北半島にまつわる思い出も多く、例えば津軽海峡を目の前に野宿したことなどが記憶に残る。ところが、峠となるとハタと困ってしまう。これといった峠が何も思い浮かばないのだ。
 
<下北半島頸部の峠>
 それでも全くないこともない。下北半島を斧や鉞(まさかり)に例えた場合、その柄に当たる部分がある。下北半島の頸部(けいぶ)とか基部などとも表現される。 幅僅か10数キロばかりの細長い陸地が太平洋と陸奥湾(むつわん)を隔てているのだが、そこを横断する峠が何本かあるのだ。
 
 太平洋岸には国道338号、陸奥湾沿いには国道279号という立派な道が通じるが、それらを横に繋ぐ峠道になる。 両国道とも下北半島への陸路として欠かせぬ存在で、下北半島の旅でこの道を通らない者はない。しかし、わざわざその国道間を行き来しようとは誰も思いもしないだろう。 誰もそんなところに下北半島の旅情を求めない。そこを旅するのが峠好きの面目躍如である。

   

<所在>
 峠の東の太平洋岸側は青森県上北郡(かみきたぐん)六ヶ所村(ろっかしょむら)大字泊(とまり)になる。太平洋岸から峠までの全てが泊である。
 
 峠の西の陸奥湾側は同郡横浜町(よこはままち)である。横浜町は大字を編成しないので、峠道は幾つかの小さな字(あざ)を通過することになる。 峠の直ぐ横浜町側はまず字北川台で、途中より字太郎須田を進み、国道297号に接続した後、更に細かい幾つかの字を抜けて陸奥湾岸に至る。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<立地>
 峠の立地の図式は極めて単純だ。前述したように太平洋と陸奥湾を隔てる陸地を横断する。峰の標高は高くて550mくらいだが、海抜0メートルから駆け上がることになる。今回の峠は下北半島頸部のほぼ中央に通じる。

   

<吹越山地>
 南北に細く連なる頸部の峰に名前はないかと調べてみると、あまり一般的ではないようだが、吹越山地(ふっこしさんち)という名称が見付かった。 北の東通村(ひがしどおりむら)・むつ市の境付近にある朝比奈平(あさひなたい、257m)から、南の六ヶ所村・横浜町境にある吹越烏帽子(ふっこしえぼし、508m)付近に連なる山地をそう呼ぶようだ。
 
 吹越山地は直線距離で20〜30Kmの峰を成し、頸部の北半分以上を占める。吹越山地から更に南の頸部は六ヶ所台地(ろっかしょだいち)と呼ばれる台地状になっていき、あまりはっきりした峠道を形成しなくなる。今回の峠は吹越山地では最も南に位置する。
 
<吹越(余談)>
 尚、「吹越」(ふっこし)という地名は吹越烏帽子という山の名以外、横浜町の中に字吹越という場所がある。陸奥湾沿いに通じる大湊線(おおみなとせん)に吹越駅があり、その周辺が字吹越となる。

   

<峠名>
 下北半島頸部に於いては東西の海岸沿いに国道が幹線路として通じ、集落などもその沿道に多い。わざわざ吹越山地を越えて行き来する必要性があまりないのかもしれない。 その為か、海岸沿いの国道が立派に改修されて行くのに対し、峠道は極端に廃れている。峠に名前が付けられていないことも多い。やや疎外された存在だ。
 
 今回の峠もどうやら名はないようだ。名無しではタイトルに困ってしまう。勝手に仮称を付けたりしても、誤解を招くばかりである。 そこで最近では道の名前を使うこととしている。今回の峠に通じる道は、青森県道179号・泊陸奥横浜停車場線(とまりむつよこはまていしゃじょうせん)である。 あまり長いのも煩雑なので「泊陸奥横浜線の峠」としてみたが、それでも長い気がする。泊峠(とまりとうげ)とでも呼べば簡素で分かり易いと思うのが、やっぱり仮称は遠慮しておこう。

   

<下北半島頸部の峠(余談)>
 余計なこと知りつつ、頸部に通じる峠を調べてみた。主要なものを北から順に挙げると次のようになる。
 
・国道338号、むつ市、横流峠 (吹越山地に含まれるか微妙)
 (以下は吹越山地内)
・県道7号(主)・むつ東通線、東通村・むつ市、冷水峠
 (この間にも峠道はありそうだ)
・老部川林道(白糠林道?)・有畑林道、東通村・横浜町、峠名は不明
・県道179号・泊陸奥横浜停車場線、六ヶ所村・横浜町、峠名は不明
 (以下は六ヶ所台地に含まれると思う)
・県道24号(主)・横浜六ヶ所線、六ヶ所村・横浜町、峠名は不明
・県道180号・尾駮有戸停車場線、六ヶ所村・野辺地町、峠名は不明
・県道5号(主)・野辺地六ヶ所線、六ヶ所村・野辺地町、峠名は不明
 
 峠名がはっきりしているのは横流峠と冷水峠くらいなものだ。
 
 上記の中で峠道として面白そうなのは、今回の峠と老部川林道・有畑林道の峠の2つだろう。国道や主要地方道(「主」で表記)の峠道は快適過ぎる。 また、全般的に地形が穏やかで、特に六ヶ所台地に於いては道の起伏が緩慢で、ほとんど峠らしくない。やはり吹越山地只中の2峠が絶品と言える。老部川林道・有畑林道の方の峠は、随分昔に越えたことがある(下の写真)。

   
老部川林道・有畑林道の峠 (撮影 1992. 7.29)
手前は青森県下北郡東通村大字白糠
奥は同県上北郡横浜町字獅子沢平
道は、横浜町側は有畑林道、東通村側は老部川林道(または白糠林道?)
峠の標高は247m (地形図より)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
今回の泊陸奥横浜線の峠と同じように、比較的開けた峠だ
しかし、峠前後の林道は暗い砂利道だったように記憶する
   
   
   
六ヶ所村より峠へ 
   

<国道338号>
 9度目の下北半島の旅を終え、太平洋沿いに通じる国道338号を南に向かって走る。下北半島への陸路は、この道と陸奥湾沿いの国道279号の2本で、そのどちらかを選ぶこととなる。国道338号の方がやや最果て感があり、好みである。
 
 他の移動手段としては海路があり、北海道の函館と大間の間にフェリーが通じていて、これは何度か利用したことがある。 以前は室蘭と大畑港の間にも航路があり、一度乗ったことがあるが、今はこの航路なくなったようだ。また、津軽半島の蟹田外ヶ浜と九艘泊との間にむつ湾フェリーが就航している。 今回の旅では急に思い立ってこれを利用して下北半島に渡った。我々夫婦の他に乗船客は男性一人、航送車は我々の軽自動車一台だけであった。ほとんど貸し切り状態である。 これではフェリーを存続するのも大変だろうと思った。しかし、帰りの便には観光客が多く乗り込んだ観光バス2台と何台かの乗用車が待っていた。
 
<六ヶ所村泊>
 道は新しそうな泊・白糠トンネルを抜け、東通村から六ヶ所村に入る。国道338号もこうして徐々に改修され、下北半島のアクセスはますます便利になって行くようだ。
 
 道は大字泊の中を行く。ただ、泊の集落は国道より少し海岸寄りに集中していて、現在の国道は集落をバイパスするように山側に開削されている。その為、沿道は閑散としていて、古い集落の様子などは全く伺えない。ただただ、立派な道が延びる。

   

国道338号を三沢・八戸方面に進む (撮影 2018.10.16)
左に「泊」、右に「横浜」の看板が出て来た

<2つの分岐>
 目指す峠への道はこの泊から分岐する。県道が通じる峠とあって大したことはないと思い、これまで一度も越えたことがない。今回は気まぐれに越えてみようと思い付いた。 旅情一杯の下北半島ではあるが、この頸部の吹越山地にまで旅情を求める者は居ない。こういう所にも目を向けるのが、峠好きの面目躍如といったところだ。しかし、同乗の妻には念を入れて同意を求めておく必要があった。
 
 国道を注意して進んでいると、分岐の看板が出て来た。左に「泊」とあり、これは泊集落へと入って行く道である。一方、右には「横浜」とある。 吹越山地を越えた向こうの横浜町を示している。しかし、これは予定していた県道ではなさそうだ。道の入口には何の看板もなく、そもそも非常に寂れている。疑問に思いながらも、分岐を通過する。

   

左に泊への道が分かれる (撮影 2018.10.16)

右に横浜への道が分かれる (撮影 2018.10.16)
細く寂しい道だ
これがかつての旧道のようである
   

<旧道>
 後で地図を調べて分かったが、現在の国道が通じる前は、泊集落からその道を通って横浜町へと続いていたようだ。いわば峠道の旧道である。国道ができてからは、峠への入口が別に新しくできたものと思う。

   

むつ方向に立つ看板 (撮影 2018.10.16)

分岐をむつ方向に見る (撮影 2018.10.16)
現在国道を横切る道がかつての峠道だった
   

<県道分岐>
 最初の横浜への分岐から300m程で目的の県道分岐が現れた。右へと県道179号が分かれて行く。

   

県道分岐の看板が立つ (撮影 2018.10.16)

県道179号とある (撮影 2018.10.16)
   

<分岐の様子>
 現在の国道完成後に新しくできた分岐である。周囲はどことなく殺風景だ。あまり味わいもない。
 
 県道に入ると直ぐ、道路情報の看板がポツンと立つ。


右に県道が分かれる (撮影 2018.10.16)
   
県道入口から峠方向に見る (撮影 2018.10.16)
道路情報看板が立つ
沿道には数軒の人家が見られた
   

道路情報看板 (撮影 2018.10.16)

<泊陸奥横浜停車場線>
 道路情報看板には特に災害などの情報はなかった。「泊 陸奥 横浜(停)線 泊〜横浜」と路線名とその区間を示しているだけだった。
 
 一見、「泊・陸奥・横浜」と3つの地名が列記されているように見えるが、泊(とまり)と陸奥横浜(むつよこはま)を結ぶ路線であることを示している。 横浜と言えば神奈川県の横浜を思い浮かべるが、そうした他の「横浜」と区別する意味で、「陸奥」が付加されているのだろう。最近は「陸奥」が読みずらいのか、「泊むつ横浜停車場線」などと記載される地図もあるようだ。
 
 ところで看板の「(停)」は停車場線を示す。「ていしゃじょうせん」と読むことが多いが、私は断然「ていしゃせん」派である。

   

<陸奥横浜駅>
 停車場線とは何であるか正確には知らないが、単純に鉄道の駅を起点にしている路線と考えている。今回の場合、横浜町側に通じる大湊線の陸奥横浜駅が起点である。この駅は横浜町の中心的存在で、市街地もその周辺に広がる。
 
 県道側から国道方向を見ると、青い道路看板が立つ(下の写真)。国道を北(左)へは「むつ・恐山」、南(右)へは「八戸・三沢」と案内がある。この看板を参考にする者は滅多に居ないことだろう。

   
県道側より国道方向をを見る (撮影 2018.10.16)
   
   
   
県道179号を進む 
   

<沿道の様子>
 県道179号は、始めの内はセンターラインこそないが幅の広いアスファルト舗装が続く。県道に入って直ぐ、沿道には数軒の人家が見られた。どの家も洒落た造りで新しそうである。この付近は古くからの集落ではなく、新国道開通と峠道の路線替えに伴い、新しく宅地化されたのではないだろうか。
 
 しかし、国道より50mも進めば沿道から建造物は消え、林に囲まれた寂しい道となる。

   

<2個目の道路看板>
 更に100m余りも行くと、再び青い道路看板が出て来る。国道方向に見て200m先で国道に接続することを示している。地元民でも滅多に通らないと思うようなこの峠道で、こうもしつこく道路看板を設ける必要があるのかと不思議に思う。


右に泊集落へと続く旧道が分かれる (撮影 2018.10.16)
道路看板の直ぐ手前
   

2個目の道路看板を国道方向に見る (撮影 2018.10.16)
道路看板の直ぐ先を左に、泊集落への旧道が分かれる

<旧道合流>
 ただ、ちょっとした理由は考えられる。泊集落方面から峠に向かっていた旧道が、この看板の近くで現在の県道に合流して来ているのだ。 ドラレコ画像を確認してみると、確かに細い道が泊集落方面へと分かれて行く。分岐があることを示す道路標識も立つ。 この分岐に迷い込まないようにと、200m先に国道が通じていることをこの道路看板が示しているのかもしれない。ただ、迷い込むどころか、気付きもしないような細い道であるが。
 
 実際の旧道は道路看板より更に少し峠寄りに繋がって来ていたようだ(下の写真)。前の分岐は僅かなショートカットである。どちらも細いながらもしっかりアスファルト舗装されていた。2車線幅の県道が通じた今も、こうして旧道部分が維持されている。

   
県道を国道方向に見る (撮影 2018.10.16)
左斜めに泊集落へと至る旧道が分かれて行く
その先、黄色い丁字路を示す道路標識が立ち、その近くからも道が分かれる
   

<水系>
 今回の峠は下北半島の細い頸部を横断する峠道だが、この地域の河川は吹越山地を水源として流れ下っても、直ぐに太平洋か陸奥湾に流れ込んでしまう。 あまり大きな河川には育たない。特に吹越山地の主脈が太平洋寄りに連なるので、六ヶ所村側の河川は尚更短く、大きな水系を成さない。峠道も六ヶ所村側では川沿いに通じる区間は皆無に等しく、川の存在をほとんど意識させない。あまり水系を云々しても仕方がないように思える。
 
 それでも道の起伏に注していると、水域が変わることが分かる。国道から1Km足らずも走ると、7%勾配の道路標識が出て来て、その先道は俄かに下りだす。泊集落近くには明神川(みょうじんがわ)という川が流れているが、その水域から別の水域へと移って行くようだ。


この先7%の下り勾配 (撮影 2018.10.16)
この付近で水域が変わる
ちょっとした峠の雰囲気
   

馬門川を渡る (撮影 2018.10.16)

<馬門川水系>
 下り切った所に小さな橋が架かっていた。吹越山地主稜を水源とし、太平洋に注ぐ馬門川(まかどがわ)である。水域は小さいが、これでも1つの水系を成すのかも知れない。
 
 今回の峠道の六ヶ所村側は、概ねこの馬門川水域(水系)に入る。馬門川本流の右岸(南側)に流れる最大の支流(横沢?、南カンダイ沢?)の源流部に峠は位置する。
 ただ、峠道の一部は馬門川の更に南にある北川の水域(水系)も少なからず通る。よって今回の峠道は、正確には明神川・馬門川・北川の3水域(水系)に渡っていることになる。地形があまり急峻でない為か、峠道はフラフラと複数の水域を通過するようだ。

   

<旧道分岐?>
 こうして異なる水域を渡り歩くのは車道の特徴である。なるべく道の勾配が緩くなるようにと、距離の遠さやちょっとしたアップダウンはお構いない。しかし、歩いて越えた頃の峠道は出来るだけ短距離に、なるべく単調な坂道を好む。
 
 そうした目で見ると、馬門川からその支流沿いへと峠まで道が通じていた可能性が高い。地形図を眺めてみると、確かに馬門川支流の途中まで一本線表記の軽車道(地形図)が通っている。県道が馬門川右岸に渡った所よりそれらしき道が分岐していた(右の写真)。
 
 現在の県道のコースが開削される以前は、そちらが本来の峠道だったと思われる。元々は歩いて通るだけの山道を峠直下の途中までは林道に改修したのではないだろうか。しかし、現在の県道開通後には廃れ、分岐から覗く旧道はとても車では入り込みたくない道になっている。


馬門川上流への道(前方左) (撮影 2018.10.16)
これがかつての旧道?
左が県道を峠へ、右が馬門川を渡って国道方面へ
   
峠側より馬門川を見る (撮影 2018.10.16)
左が川沿いに登る旧道?、右は橋を渡って国道方面へ
   

<峠道の役割>
 今回の峠は、六ヶ所村の泊と横浜町の中心地を繋いでいる。六ヶ所村の中心地は泊の10数キロ南の交通便利な六ヶ所台地に位置する。 海と山に挟まれた泊集落としては、海岸伝いに六ヶ所村中心地に向かうか、山一つ越えて横浜町中心地に出るかの二通りである。その山越えの時に活躍したのが今回の峠道と思われる。 泊集落などの住民が六ヶ所村より繁華な横浜町の市街地へと生活物資などの買い出しに出掛けて行った道ではなかったか。海産物の交易などにも利用されたかもしれない。
 
 特に横浜町には鉄道が通じている。大正10年3月20日に大湊線の野辺地駅〜陸奥横浜駅間が開通した。 野辺地より更に鉄路を乗り継げば青森県の県庁所在地である青森市にも出られる。泊の村人がそうした都市部へと向かう時に越えたのが今回の峠ではなかったかと想像する。

   
   
   
馬門川以降 
   

<道の状態>
 馬門川右岸に入った県道は、川筋とは直角方向の南へと向かう。橋の直前まではしっかり整備されたアスファルト舗装だったが、一気に寂れた未舗装と化す。 しかし、よくよく見るとアスファルト舗装の痕跡も多く見られる。多分、峠道の多くに渡って一度は舗装工事が行われたものの、その後の補修が行き届いていない模様だ。 アスファルトは摩滅し、ひび割れ、剥がれ、そこに砂利が堆積し、実質は全線未舗装路と大差ない状態に戻ってしまっている。
 
 今回の峠についてはほとんど資料がなく、現県道となるこの車道がいつ開削されたかなどは分からない。 多分、昭和に入り、特に戦後の林業振興などで林道が盛んに開削された時期ではなかったか。 しかし、その後の車社会の好影響は及んでいない。海岸沿いの国道338号の改修・バイパス化が進み、泊地区の陸上交通は一手にそちらが受け持つ状態となっている。峠越えの県道は置き去りと言っても過言ではない。

   

道の様子 (撮影 2018.10.16)
ほとんど未舗装

道の様子 (撮影 2018.10.16)
舗装の痕跡も多い
   

<道の様子>
 道は元の峠道とは全く異なる方向へと進む。海岸線や吹越山地主稜とほぼ並行に、一路南へと下る。馬門川の支流のそのまた小さな支流を横切るような格好になる。緩いアップダウンがあり、あまり峠道らしくない。沿道は林に囲まれ、視界も広がらない。
 
<鳥居>
 この峠道は全線に渡り人工物に乏しく、目を引く物はほとんどない。ところが馬門川から700m位の所で、道の海岸側に鳥居がポツンと立っていた。 木製の立派な物だが、老朽化は激しい。何か表札に文字が書かれているが、どうにも読めなかった。鳥居前後には草や木が繁茂し、参道らしき道も確認できない。 勿論、近くに社などない。そもそもこの県道は元の峠道に代わって新しく開削された車道で、沿道に古い神社などあるようには思われない。
 
 多分、本来の参道は麓の海岸沿いの集落から直接登って来ていたのではないだろうか。鳥居のある位置は海岸から直線距離で1Kmほど山中に入った所で、県道は神社の裏手に当たるのではないかと思ったりする。

   

左手に鳥居 (撮影 2018.10.16)

鳥居の様子 (撮影 2018.10.16)
参道などははっきりしない
   

<分岐>
 県道からは時折道が分かれて行く。ほとんどが何の看板もなく、行止りの枝道と思われる。地形図に記載のない道がほとんどだ。多分、林業などの作業道であろう。
 
<看板類>
 沿道に立つ案内看板は皆無に等しい。観光案内などある訳はないが、せめて県道看板でもないかと思うが、それが全くない。やっと小さな看板を見付けたかと思うと、「不法投棄巡視区域」とあるだけであった。寂しい限りだ。


分岐の一つ (撮影 2018.10.16)
   

左手に不法投棄巡視区域の看板が掛かる (撮影 2018.10.16)

「不法投棄巡視区域」の看板 (撮影 2018.10.16)
   

<林が切れる>
 馬門川から1Km余り進むと、やや沿道が開けて来た。やっと周囲の山の様子などが伺えた。道の勾配もきつくなる。

   

やや開けて来た (撮影 2018.10.16)

周囲を見渡す (撮影 2018.10.16)
   

<遠望>
 少し登ると、海岸方向に視界が広がりだした。太平洋を見渡す。

   
太平洋を望む (撮影 2018.10.16)
   

 今回の峠道は高い峰を越える山岳道路などではないので、遠望はほとんど期待できない。唯一、六ヶ所村側で太平洋を望む区間があり、そこが貴重な展望箇所となる。S坂で更に高度を上げると、海岸線が一望に見渡せるようになる。
 
 丁度正面の海中に小さな島が一つ浮かぶ(下の写真)。魹(とど)島のようだ。林に隠れて見えないが、海岸に並行にして国道338号が通じ、浜辺には陸上自衛隊の対空射撃場が広がるらしい。この付近に人家は乏しい。


高所へと登る道 (撮影 2018.10.16)
   
沿道からの景色 (撮影 2018.10.16)
正面に小さな魹(とど)島が見える位置
   

<泊集落方向を望む>
 少し場所を変えると、北の泊集落方向も望める(下の写真)。中山崎と呼ばれる半島が太平洋に僅かに突き出し、それに寄り添うようにして泊港が佇む。 泊地区の人家はその周辺一帯に広がる。良港・泊湊を有する海路の要衝として「泊」の名も興り、江戸期の泊村、明治22年からは六ヶ所村の大字となる。

   
沿道からの景色 (撮影 2018.10.16)
泊集落方向に見る
   

 ただ、泊村の北も南も海岸沿いの地形は険しく、海路に頼らなければならなかった地でもあったようだ。最近は泊・白糠トンネルの開通などで改善は増々進んでいる。 それでも何らかの災害時に、西の横浜町へと抜ける脱出路があることは好ましい。その脱出路に相当するのが今回の峠道となるが、あまり利用できそうにはない。

   
   
   
北川水域 
   

<北川水域へ>
 東の太平洋側に開けていた道が徐々に西へと進路を変える。再び林の中となり視界は広がらない。その頃にはいつの間にやら馬門川水域を抜け、北川水域に入っている。 道は馬門川と北川の分水界となる尾根の北川寄りを、峠のある西へと向かう。遠望はないが尾根沿いとあって、比較的空は開けそれ程暗さは感じない。


道の様子 (撮影 2018.10.16)
   

左に屋萩神社 (撮影 2018.10.16)

<屋萩神社>
 すると不意に「屋萩(やはぎ)神社」という案内看板が出て来た。馬門川から3Km余り、地形図では標高216mの記載がある地点だ(地形図)。看板は比較的新しく、周辺もよく整備されている。

   

屋萩神社入口を麓方向に見る (撮影 2018.10.16)
右手奥に赤い鳥居

新しそうな屋萩神社の看板 (撮影 2018.10.16)
   

<赤い鳥居>
 看板が指す敷地の奥を覗くと、赤い鳥居が立っている。色は違うが、造りは前に見た鳥居とそっくりだ。この山中に幾つも神社がある訳はないので、同一の神社の物だろう。 元は鳥居を繋いで参道が通じていた筈が、近くに県道の車道が開通し、今は参道の痕跡もほとんど見られないものと思う。赤い鳥居の奥に続く筈の参道の続きも、あまり道跡ははっきりしない。

   

奥に赤い鳥居 (撮影 2018.10.16)

屋萩神社の赤い鳥居 (撮影 2018.10.16)
   

<別の鳥居>
 屋萩神社の看板が立つ直ぐ先、今度は道の右手の林の中に朽ち掛けた鳥居と、その奥に小さな赤い社のような物が見えた。 最初に見た鳥居からこの地点へと参道が続いていたと思われる。しかし、地形図にはこの付近に神社のマークはない。 それではと思い、「Googleマップ」の航空写真を閲覧してみた。すると、赤い鳥居から南へ4、500m進んだ山中の林の中に、赤い屋根が埋もれるようにして建つ。 それが屋萩神社であろう。「ポツンと一軒家」というテレビ番組があるが、正にそんな状態である。

   

麓方向の鳥居 (撮影 2018.10.16)

奥に小さな社が見える (撮影 2018.10.16)
   

<余談>
 妻は特にこの番組が好きだ。険しい林道などを車で走る様子が映し出されるが、そこが面白いらしい。我々夫婦はそれ以上の恐ろしい悪路を経験している。 私はもっぱら写真班なので、妻が運転することが多い。もっと壁に擦るくらい車を寄せて走らなければいけないとか、砂利道や雪道は四輪駆動じゃなければとか、日本の林道は狭いから軽自動車に限るなどと言っている。

   

<御宿山林道分岐>
 屋萩神社入口から60m位、目と鼻の先で左手に林道が分岐する(地形図)。この分岐にはしっかり看板が立つ。「御宿山林道」とある。

   
林道分岐 (撮影 2018.10.16)
   

 御宿は「おつくし」と読むようだ。北川の源流部に御宿山(498m)があり、御宿山林道はその方向を目指して北川の川沿いへと下って行く。 道の先に切り出した木材が置かれているところを見ると、林業用に使われる道であろう。六ヶ所村側にあるが、管理者は横浜営林署長となっている。

   

林道方向を見る (撮影 2018.10.16)

林道看板 (撮影 2018.10.16)
一般通行禁止
   

<林道分岐以降>
 林道を分けた先は、また一段と道が荒れていた。路面が掘れて、底の低い車はちょっと注意が必要だ。
 
<ご遠慮ください>
 ふと見ると、路傍に何やら看板が立つ。「この先 落枝等の恐れあり 立入はご遠慮ください 青森県」とある。これは枝分かれする林道のことではない。本線となる県道脇に立っている看板だ。単に道が寂れているだけでなく、もう一般の利用を放棄してしまっているということだ。

   

路面はやや荒れている (撮影 2018.10.16)
左手に看板

「立入はご遠慮」の看板 (撮影 2018.10.16)
   

<道の様子>
 道はまだ暫く尾根沿いを行く。林で視界はないが、深い谷間などと違って明るい感じだ。険しい地形でもない。

   

<枯枝(余談)>
 ただ、路面の枯れ枝には注意である。砂利道の砂利より枯枝の方がパンクし易い。これまで何度泣きを見たか。最近の車は背中に予備タイヤを積んでいない。 妻が調べたところ、今でもタイヤを積んでいるのはジムニーくらいなものだそうだ。現在所有しているハスラーもタイヤ修理材を装備しているだけである。 枝によるパンクはずぶりとタイヤの側面などに突き刺さり、ゴムが大きく裂けて修理不能である。そこで長旅の時は予備のタイヤを室内に積んで行く。 今回も助手席の後ろに立て掛けてある。2人で乗る限りはそれ程邪魔ではない。大抵は保険のようなものだが、実際にも役立ったこともある。 JAFを呼べばいいじゃないかと思うかもしれないが、「ポツンと一軒家」以上の道ではJAFのトラック自体が遭難しかねない。そもそも携帯電話の範囲外で連絡できないこともある。 とにかく、峠の旅では自力脱出の準備と覚悟は必要だ。

   

道の様子 (撮影 2018.10.16)

沿道にちょっとした空地 (撮影 2018.10.16)
   

木材が置かれる (撮影 2018.10.16)

<沿道の様子>
 道は相変わらず尾根近くをふらふらと走って行く。比較的なだらかな尾根で、場所によってはちょっとした平坦な広場もある。時折木材が積まれ、この奥まで伐採が進んでいることをうかがわせる。

   

<尾根上>
 一箇所、それまで右手にあった山が無くなり、開けた平坦地を通過する。後で地形図を確認すると、馬門川と北川の分水界となる尾根の真上を通過していたようだ。但し、馬門川水域に帰って来た訳ではなく、再び北川水域へと戻って行った。


尾根上の開け箇所を通過 (撮影 2018.10.16)
   
   
   
馬門川水域へ 
   

左手に峠林道分岐 (撮影 2018.10.16)

<峠林道分岐>
 ちょっと開けた箇所に出たと思うと、左手に林道が分岐していた(地形図)。何と「峠林道」と看板にある。しかし、この「峠」は六ヶ所村と横浜町との境の峠ではない。その峠はまだ1.5Km程先にある。
 
<分水界>
 多分、峠と名が付いたのは、この林道分岐箇所が北川水域と馬門川水域の分水界上にある為と思う。暫し北川水域内を通っていた県道が、ここより馬門川水域へと戻るのである。

   

林道看板 (撮影 2018.10.16)

林道方向を見る (撮影 2018.10.16)
   

林道分岐を少し手前から見る (撮影 2018.10.16)

<峠らしい様相>
 林道分岐箇所をちょっと離れて眺めると、確かにどちら方向からも登り坂になっている。分岐の峠寄りは僅かながら切通し状でもある。正に峠の様相だ。
 
<ウソ峠>
 これは峠道が異なる水域を通る時にしばしば発生する「ウソ峠」などと呼ばれる現象である。地形図などで状況を理解していないと、本来の峠と勘違いする場合もある。 しかし、長年峠を旅していると、地図など見なくとも、何となくこれは違うなと感じる。今回もそうであった。多分、周囲に広がる山の様子などから、本峠はまだこの先にあるなと分かるようだ。それに吹越山地主脈を越える割には、こじんまりし過ぎている。ただ、念の為にしっかり写真は撮って置く。

   

林道分岐を峠方向から見る (撮影 2018.10.16)
峠の様に見える

林道分岐をより峠方向から見る (撮影 2018.10.16)
ちょっとした切通しになっている
   

<峠林道>
 尚、分岐する峠林道は北川の最上流部へと進んで行く。この道も林業用であろう。また林道入口には「干害防備保安林」という標柱も立っていた。

   

<馬門川水域へ>
 県道はウソ峠を越え、再び馬門川水域へと戻って行く。直ぐに今度は右手に分岐がある。峠林道とはウソ峠を挟んで対角の位置関係だ。 馬門川右岸支流(横沢?)沿いに登って来た道に接続しているのかもしれない。この道と峠林道が繋がっていると考えると、県道とはウソ峠でクロスしていることになり、面白い構図である。 しかし、分岐する道を見ると、車道の様な規模はなく、登山道程度の細い道だ。川沿いまで続いているかも疑問だ。

   

右に分岐 (撮影 2018.10.16)

分岐する道を見る (撮影 2018.10.16)
   

<南カンダイ沢>
 ウソ峠を越えて数100m下ると、一本の川を渡る。小さな川だが比較的しっかりした橋が架かっている。 ここは重要なポイントだ(地形図)。 馬門川右岸最大の支流の上流部で、この川の源頭部に今回の峠が位置する。仮に旧道が通じていたとすれば、この川沿いであった可能性もある。ただ、橋の前後を見ても、道らしい痕跡は確認できない。 峠直下では必ずしも川沿いに登るとは限らないので、もっと別ルートで旧道があったのかもしれない。

   
南カンダイ沢を渡る (撮影 2018.10.16)
峠はこの川の源頭部
   

<川の名>
 橋の銘板がはっきりしていて、橋の名は横沢橋(よこさわばし)と呼ぶことが分かる。ならばこの川は「横沢」かと思うと、「南カンダイ沢」とある。馬門川本流の南側にあるから「南カンダイ沢」かとも思ったが、どうにも支流のまたその支流といった感じの名前である。
 
 これは想像だが、馬門川右岸最大の一次支流が横沢で、地形図では描かれていないが、その源流部が南と北の2つのカンダイ沢に分かれているのではないだろうか。 峠を源とする南カンダイ沢の方が流長が長く、横沢の本流の様に見えている。どちらにしろ、ここより上流側は南カンダイ沢であることは分かった。

   

「横沢橋」 (撮影 2018.10.16)

「南カンダイ沢」 (撮影 2018.10.16)
   

<橋の竣工年>
 橋が比較的立派だったのは、竣工が新しい為だった。「平成21年3月」と銘板にある。2009年のことだ。車道開通年を知る手がかりになるかと思ったが、期待外れだった。それにしても、つい最近にもこの県道は補修されており、全くほったらかしという訳ではなかった。ただ、橋が落ちたりして、最低限の補修だったかもしれないが。

   

「平成21年3月」 (撮影 2018.10.16)

「よこさわばし」 (撮影 2018.10.16)
   

<南カンダイ沢左岸>
 南カンダイ沢を渡った道は、またも川筋から離れてその左岸の斜面を登って行く。道は相変わらず舗装と未舗装の混じったような路面が続く。荒れが目立つ。川も詰まり、付近は峠直下のやや急峻な地形で、道の勾配もきつい。峠道らしさを感じる。

   

道の様子 (撮影 2018.10.16)
荒れが目立つ

道の様子 (撮影 2018.10.16)
   

<峠手前のヘアピンカーブ>
 道は北カンダイ沢と思われる川との分水界近くまで登ると(地形図)、ヘアピンカーブで向きを変え、その後峠方向に向かって進み始める。そのカーブ付近は少し広くなっていて、旧道がこ地点まで登り着いていても不思議ではないと思わせるが、何の証拠もない。結局、旧道跡は分からず仕舞いだった。

   
ヘアピンカーブ (撮影 2018.10.16)
この右手より旧道が登って来ていたかも
   

<峠直前>
 峠の手前700m位はほとんど直線的な道となる。沿道の林が途切れると、空がぱっと広がった。これだけ開けた峠道も珍しい。路面はしっかりしたアスファルトに変わり、峠へのフィナーレを飾っているようだ。

   
林が途切れ、空が広がる (撮影 2018.10.16)
   

<峠の六ヶ所村側>
 峠の50m程手前より道幅が広がり、どうにか路肩に車が停められる余裕が出て来る。それにしても、これまでの道の狭さからするとあまりに対照的で雄大な峠である。大きな切通しに道が一本ゆったり通じている。他に類の少ない峠の景観だ。

   

六ヶ所村側から峠方向を見る (撮影 2018.10.16)

峠の50m程手前に車を停めた (撮影 2018.10.16)
車の直ぐ後ろから道が分かれる
   

稜線へと登る道が分かれる (撮影 2018.10.16)

<稜線の様子>
 停めた車の直ぐ脇から稜線方向へと道が登っていた。舗装されてはいないが辛うじて車一台の道幅があり、何らかの作業道と分かる。 その先の稜線を望むと、それまで車道沿いに立っていた電柱が並んでいた。望遠で写真を撮ると、稜線上にアンテナらしい支柱が立ち、脇に小さな小屋が立つ(下の写真)。 多分、電波の中継施設であろう。麓からずっと県道沿いに延びて来た電線は、この施設に電力を供給する為ではなかったか。県道沿いに街灯など皆無なので、何で電柱があるのかと不思議に思っていたのだ。

   

稜線方向を望む (撮影 2018.10.16)

稜線上に電波施設の様な建物がある (撮影 2018.10.16)
   
峠側から六ヶ所村方向を見る (撮影 2018.10.16)
   
   
   
 
   

<峠の様子>
 峠を通過するアスファルト路面は比較的新しく、切通しの斜面も整っている。法面の草木が少ないことなどを見ても、最近に補修・改修が行われているのかもしれない。
 
 それにしてもこの広々した雰囲気はどうしたことかと思う。周囲に高い樹木がほとんどなく、灌木やクマザサのような低木や草ばかりだ。高い木が育たないのかもしれない。 ここは太平洋と陸奥湾を隔てる細長い陸地の頂上である。強風が吹き抜ける場所である。そんなことが理由かとも思う。

   
六ヶ所村側から見る峠 (撮影 2018.10.16)
   

六ヶ所村側から見る峠 (撮影 2018.10.16)

<峠の標高>
 この峠の名は分からなくても、標高だけははっきりしている。地形図に417mと記載があるのだ。ただ、実際にどこがその最高所なのか、現場ではちょっと分かりづらい。 ゆったりと道が越えているので、ピンポイントここと言う地点が示せない。本来なら六ヶ所村と横浜町との境を示す看板が立っていておかしくないが、この峠にはそのような看板など皆無である。どこにも境界線がない。その意味でも大らかな峠である。
 
<旧峠>
 あまりに大規模に峠が開削されてしまっているので、かつての峠の面影など微塵もないであろう。しかし、地形的には同じこの鞍部に峠が通じていたものと思う。車道開削で標高は低くなっても、水平方向の位置は変わらないのではないか。

   
泊陸奥横浜線の峠 (撮影 2018.10.16)
横浜町方向に見る
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<道程>
 馬門川右岸に入ってから峠までおよそ7Km、国道分岐からは約8Km、泊集落からは11Km弱といった道程だ。これは現在の県道179号を使った場合である。
 
 馬門川右岸以降は新道であり、これが旧道なら7Kmの約半分の3.5Km程度と推測する。馬門川右岸以前は新旧ほとんど変わりがないと考え、泊から旧道を使うと峠まで約7Km前後かと思う。ここを歩いて登れば、3〜4時間くらいかかったろうか。
 
 一方、峠から横浜市街まで県道を使うとほぼ10Km、旧道があったとしても9Km程度と思う。泊集落から横浜市街まで合計16Km前後だろう。登り降りのある峠道としても片道1日で十分歩き通せたのではないだろうか。

   
横浜町側から見る峠 (撮影 2018.10.16)
車はほぼ峠付近に停めてある
   

<峠の横浜町側>
 峠の横浜町側はカーブを曲がりながら一気に下って行く。山陰になるに従い木々が増えて行くように思える。一旦稜線上に登っていた電柱が再び道路脇に降りて来ていた。


峠付近かtら横浜町方向を見る (撮影 2018.10.16)
   
横浜町側に下る道 (撮影 2018.10.16)
周辺に木々が増えて行く
左手の稜線上より電線が降りて来ていた
   

横浜町側から峠方向を見る (撮影 2018.10.16)

<稜線への道>
 横浜町側にも稜線へと登る道が分岐していた。稜線上を北へと延びて行く。入口に看板が立ち、「この先 落枝等の恐れあり 立入は ご注意ください 青森県」とある。県道途中の看板では「ご遠慮」とあったのが、こちらでは「ご注意」になっている。しかし、県道より遥かに険しい道である。

   

稜線へと登る道 (撮影 2018.10.16)

入口に立つ看板 (撮影 2018.10.16)
   

<人影(余談)>
 最初に峠の手前に辿り着いた時、峠に一人の人影が見られた。国道から分かれて以降、一台の車とも会わなかったが、峠に先客が居たのだった。 車を降り、峠付近を散策している様子だった。こんな寂しい峠道には滅多に車は通らないと思ったが、時折こうして通行があるようだ。我々以外に物好きが居たものである。

   
   
   
峠より横浜町側へ 
   

<横浜町へ下る>
 峠区間を過ぎると、あっと言う間に道は荒れた。ほとんど砂利道だ。しかし、よくよく見ると舗装の痕跡はほとんど途切れず続いている。 六ヶ所村側では部分的な舗装だったが、横浜町側は一度は全線舗装されたのではないだろうか。村ではない町の財力によるものか。 それでもやはり補修は続かなかったようで、現状は砂利道と大差ない。

   
再び荒れた砂利道に (撮影 2018.10.16)
   

<横浜町側の水系>
 横浜地の中心部を流れて三保川が陸奥湾に注ぐ。横浜の地は元々この三保川河口の川口湊として発展して来た。旧泊村の泊湊と事情は似ている。どちらも海上交通の拠点であった。峠道の横浜町側は全てこの三保川水系に属す。
 
<北川台沢>
 しかし、どの川の上流部に位置するか、地形がやや複雑で判読しにくい。地形図をしげしげと眺め、どうやら三保川の支流・北川台沢(地形図)の上流部と判断した。しかし、その本流の源頭部ではなく、地形図にない右岸の支流の源頭部らしい。
 
<平沢川>
 峠部分は北川台沢水域にあるようだが、峠道の大半は三保川の別の支流・平沢川(地形図)沿いに通じる。北川台沢水域を通過するのは僅かである。一方、北川台沢に沿っても軽車道が峠の1Km足らずまで延びて来ていて(地形図)、もしかしたら峠道の別ルートではないかと思わされたりする。
 
<字北川台>
 横浜町は大字を編成しないので、峠の横浜町側は字北川台という地名になる。文献(角川日本地名大辞典)では字に関する項がないので、あまり詳しいことは分からない。

   

道の様子 (撮影 2018.10.16)

道の様子 (撮影 2018.10.16)
   

<北川台沢水域>
 道は一路、字北川台の中の北川台沢水域を平沢川の川沿いに向かって斜面を降下して行く。北川台沢本流の谷を左に見て、右手が平沢川水域との分水界の尾根となる。
 
<分岐>
 峠から1Km足らず下ると、左に分岐がある。地形図で標高338mとある地点だ。分岐する道は直ぐに藪となり、人も通れそうにない。もしかすると、北川台沢沿いの軽車道に接続する峠道の別ルートかとも思ったが、何とも判断が付かない。

   

左に分岐 (撮影 2018.10.16)

分岐方向を見る (撮影 2018.10.16)
人も通れそうにない
   

<平沢川水域へ>
 地形図に標高が記されるこの地点は、それなりに意味がある。分岐の直ぐ先を見ると、ちょっとした切通し状になっている。そこを抜けた後は左手にあった谷が右手に変わる。 道のアップダウンはないのでほとんど気付かないが、ここは一種のウソ峠である。北川台沢と平沢川の分水界上に位置するのだ。


分岐の先 (撮影 2018.10.16)
ちょっとした切通しになっている
   

右手が谷になった (撮影 2018.10.16)

<平沢川左岸>
 道は平沢川本流左岸の斜面を川沿いへと下る。勾配が急なので、道はSの字に蛇行して降下する。この峠道の中では最も険しく、それだからこそ最も峠道らしい区間となる。
 
 こうした蛇行は車道の特徴である。歩いて峠越えをした頃は、傾斜が少しくらい急だろうが、最短距離の方を目指したろう。ならばこの区間のどこかで旧道が分かれて行くのではないかと想像した。

   

<旧道?>
 すると、S坂の最初の右カーブで左に道らしき痕跡が見付かった。 地形図には記載はない。県道の方はどちらかというと
平沢川本流の上流部へと下って行くが、この道の方向を進めば、平沢川本流の下流側へと至る可能性がある。 ただ、分岐する道を見ても、ただただ荒れているというだけで、何とも判断できない。 Google マップ(航空写真)を見ると、何となく道が続いているような気がするが、やはり想像の域を出ないようだ。

   

左に分岐 (撮影 2018.10.16)
旧道?

分岐する道の先 (撮影 2018.10.16)
   

<駐車車両>
 カーブの先の路肩に車が停められていた。この峠道では、峠の先客に次いで2台目だ。先程の分岐と何か関係するのかもしれない。乗員はそちらに出掛けているのかもしれない。
 
 
<道の様子>
 吹越山地はそれ程高い山脈ではないので、全般に山岳道路のような険しさはあまり感じない。それでも深い森に囲まれ、その中に細々と一筋道が通じる様子は、鬱蒼(うっそう)という表現がぴったりだ(下の写真)。


車が停められていた (撮影 2018.10.16)
   
道の様子 (撮影 2018.10.16)
鬱蒼(うっそう)としている
   

<擁壁沿い>
 S坂を半分程下ると擁壁箇所を通る。この峠道はガードレールなどの人工物がほとんどなく、こうした擁壁もこの区間だけではなかったか。擁壁区間に入る手前のカーブで道が分かれているようにも見え、また旧道の詮索をしたくなったが、切りがないのでやめておこう。

   

この先は擁壁沿い (撮影 2018.10.16)
右手に脇道?

擁壁沿いから峠方向に見る (撮影 2018.10.16)
   
擁壁沿いの道 (撮影 2018.10.16)
擁壁は珍しい
   

<工事看板>
 もう少しで平沢川沿いに至るという所で「工事中」の看板が出て来た。300m先、200m先、100m先と順番に並んでいた。路肩に土嚢が置かれていたが、そのことではなかった。

   

300m先工事中 (撮影 2018.10.16)

100m先工事中 (撮影 2018.10.16)
   

<高見橋>
 工事は平山沢に架かる高見橋に関してだったようだ。欄干でも修理していたのだろうか。銘板で橋の名を調べ、一応川の名も確認しておきたかったのだが、工事車両が置かれていて写真が撮れなかった。


高見橋を渡る (撮影 2018.10.16)
   

橋の銘板を確認 (撮影 2018.10.16)

「高見橋」とある (撮影 2018.10.16)
   

<平山沢右岸へ>
 道は高見橋を渡って平山沢右岸沿いになる。そこを上流方向に道が分かれる。今回の峠とは関係ないが、この平山沢上流部は六ヶ所村側では馬門川本流の上流部に当たる。馬門川沿いにも途中まで軽車道登って来ていて、それと接続すればまた一つの峠道とも成り得る。
 
 地形図にはそうした道の記載はないが、この吹越山地には今回の峠以外に幾筋もの峠道が通じていた可能性が想像される。獣道程度の山道は実際にも通じていたかもしれない。そうした中から、今回の峠は車道として生まれ変わり、生き残ったと言える。

   
平山沢右岸上流方向を見る (撮影 2018.10.16)
道が分かれて行く
   

<看板>
 分岐する道には「山菜採り遭難注意」の大きな看板が立つ。こまごまと注意事項が示されていた。また例の「この先・・・」の看板も並ぶ。

   
「山菜採り遭難注意」の看板など (撮影 2018.10.16)
   
   
   
平山沢右岸沿い 
   

この先2車線路 (撮影 2018.10.16)

<平山沢右岸沿い>
 峠から平山沢沿いまで2Km余りだが、その先の平沢沿いを国道279号接続までが長く7Km以上だ。合計9.5Km程になる。
 
 
<2車線路>
 平山沢右岸沿いを走り始めて100mも行くと、その先は立派な2車線路に変わった。距離は長くとも、これなら快適である。ただ谷は細いので、視界が広がらない。

   

2車線路が続く (撮影 2018.10.16)

道の様子 (撮影 2018.10.16)
谷は狭く、視界は広がらない
   

<旧道考察(余談)>
 余談ながら旧道の考察。平山沢沿いを7、800m下った辺りで小さな支流を渡ると、左手に分岐がある。 平山沢左岸の斜面を下る途中に旧道が分かれていたのではないかと想像したが、その道筋がこの地点に至っていたのではないかと詮索するのであった。 ただ、分岐の先には平山沢が流れており、そこを渡らなければならず、橋など架かっている様子はない。

   

小さな支流を渡った先で左へ分岐 (撮影 2018.10.16)

分岐を峠方向に見る (撮影 2018.10.16)
右に旧道?
   

<字太郎須田へ>
 道を走っていても何の看板もないが、この川沿いの途中で字が変わる。北川台から太郎須田に入る。場所ははっきり特定できないが、丁度前述の旧道らしき道の分岐付近である。何か関係があるのだろうか。
 
 
<沿道の様子>
 この県道129号の峠区間では、車が通り抜けられる枝道は皆無に等しい。馬門川右岸に渡って以降、一本道である。脇見もせず、ひたすら走るしかない。
 
 暫くすると谷もやや広がり、空が広くなった(下の写真)。


道の様子 (撮影 2018.10.16)
一本道が続く
   
やや開けて来た (撮影 2018.10.16)
   

<川沿いから外れる>
 道はいつの間にやら平山沢沿いを外れる。道の両側は林が続き、かえって視界が狭まってしまった。

   

道の様子 (撮影 2018.10.16)
川沿いから外れた

道の様子 (撮影 2018.10.16)
   

<平地へ>
 やっと道らしい道の分岐が出て来た先、林が途切れ、周辺に耕作地が広がる。平山沢からその本流の三保川に続く扇状地がこの一帯に広がるようだ。畑が多いが中にはソーラー発電の施設も見られた。


右に分岐 (撮影 2018.10.16)
この先で林が切れる
   
平地に出る (撮影 2018.10.16)
   

<市街へ>
 耕地を抜けると市街地である。まずは企業の大きな建物が現れる。

   
この先市街地へ (撮影 2018.10.16)
   

国道279号の看板 (撮影 2018.10.16)

<国道看板>
 300m先で国279号に接続する看板が立つ。十字路を直進が「横浜町役場・陸奥横浜駅」、左が「青森・野辺地」、右が「恐山・むつ」である。

   
国道に接続 (撮影 2018.10.16)
この左手が道の駅
   

道路看板 (撮影 2018.10.16)

<国道に接続>
 国道と交差する十字路を直進すれば、町役場や陸奥横浜駅があり、1Km足らずで陸奥湾の海岸沿いに出る。ただ、県道179号は一旦国道を左に入り、ぐるっと回って陸奥横浜駅に戻って来るようだ。

   

<道の駅>
 国道手前の県道脇には道の駅・よこはまがあり、県道側から入るようになっている。下北半島への旅の格好な中継拠点になる。なかなか賑わっていた。今回の峠道の起点とも言え、峠越えの前や後の休憩に丁度良い。しかし、そんな目的で使う者は滅多に居ないだろう。
 
 道の駅にあった案内看板では、六ヶ所原燃PRセンターが県道179号の六ヶ所村側起点付近にあるように描かれていたが、これは誤植である(下の写真)。六ヶ所原燃PRセンターはもっと南に通じる県道24号沿いである。


道の駅の様子 (撮影 2018.10.16)
   
道の駅・よこはまにあった看板の一部 (撮影 2018.10.16)
六ヶ所原燃PRセンターの位置は誤植
   

<県道分岐付近>
 やはり泊地区に比べ横浜町は開けている。店なども多い。太平洋岸では山が迫って平坦地が少なかったが、陸奥湾岸側では耕作ができる平坦地が多いことも関係しているだろうか。横浜という地名は「横に長く続く浜」からきたとの説もある。やはり今回の峠道は、泊地区側にとって開けた横浜町に出る手段として重要な道であろう。
 
 国道沿いに立つ県道179号の道路看板には行先に「六ヶ所」と案内がある。六ヶ所村のことを指していることは分かっているが、何となく変な感じがする。六ヶ所村側からは「横浜」とあったが、これには違和感がなかった。


県道を峠方向に見る (撮影 2018.10.16)
この右手が道の駅
   

国道側より県道分岐を見る (撮影 2018.10.16)
右奥が峠方向

国道上から分岐を見る (撮影 2018.10.16)
県道179号の青い道路看板が立つ
この右手が道の駅
   
   
   

 今回の峠は、県道ながらも未舗装林道に匹敵する峠道であった。対照的に峠が雄大なのも印象的だ。下北半島の旅の最後にふと立ち寄った峠であったが、十分堪能することができた。これも下北半島の旅情の一つとしたい。
 
 若い頃、列車とバスを使って大間崎に一人立ったことから始まった下北半島との付き合いだが、これを最後に再びその地を訪れることはないと思う、泊陸奥横浜線の峠であった。

   
   
   

<走行日>
・2018.10.16 六ヶ所村 → 横浜町 ハスラーにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 2 青森県 1985年12月発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・東北 2輪車 ツーリングマップ 1989年5月発行 昭文社
・ツーリングマップル 2 東北 1997年3月発行 昭文社
・マックスマップル 東北道路地図 2011年2版13刷発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 
<参考動画(Youtube)>
泊陸奥横浜線の峠/六ヶ所村側
 国道338号からの分岐より峠までのドラレコ動画(2倍速)です。
泊陸奥横浜線の峠/横浜町側
 峠から道の駅・よこはま入口までのドラレコ動画(2倍速)です。
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

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