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序 |
<勘違い> |
<所在> |
<地理院地図(参考)> (上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです) |
<4世代の峠道> |
<水系> |
第4世代/新鳥居トンネル |
<国道19号> |
<鳥居トンネルへ> |
<坑口の標高> |
看板 (撮影 2008. 8.13) |
<延長> |
この新鳥居トンネルは何度も通っている。昭和53(1978)年開通とやや古く、今となっては狭苦しい感じを受ける。
それでいて大幹線路として大型輸送トラック等の交通量は多く、ただただ足早に通り過ぎるばかりの峠になっている。
ちょっと手前には桜沢トンネルが開通し、国道19号は増々快適になって行くようだが、この鳥居峠部分の改修は難しいのだろう。 |
扁額 (撮影 2008. 8.13) |
第3世代/鳥居隧道(旧楢川村側) |
新鳥居トンネルの約1Km手前 (撮影 2008. 8.13) 右に分岐がることを示す看板が立つ |
<県道493号分岐> |
<県道493号・姥神奈良井線へ> |
権兵衛峠周辺案内図 (撮影 1992.10. 7) 最初に見た時 |
権兵衛峠周辺案内図 (撮影 1995. 5. 5) この時はまだあった (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
<権兵衛峠周辺案内図(余談)> |
<鳥居隧道への分岐> |
右に鳥居隧道への分岐 (撮影 2001. 4.28) この時ゲートは開いていた (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
<権兵衛峠(余談)> |
<ゲート閉鎖> |
<ゲートの先へ> |
まずは、ゲート脇にジムニーを置き、歩いて偵察。 |
旧國道からゲート方向を見る (撮影 1995. 5. 5) ゲート脇にジムニーが停まる |
ゲート方向を見る (撮影 1995. 5. 5) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
<栃窪隧道> |
栃窪隧道 (撮影 1995. 5. 5) この先が鳥居隧道 (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
<鳥居隧道> |
<隧道の様子> |
坑口の様子 (撮影 1995. 5. 5) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
扁額 (撮影 1995. 5. 5) |
<トンネルの変遷> |
第3世代/鳥居隧道(木祖村側) |
<木祖村側へ> |
<開道記念碑> |
開道記念碑 (撮影 2002. 9.28) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
開道記念碑の碑文 (撮影 2002. 9.28) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
<碑文> |
<石碑の先へ> |
<道の様子> |
「木祖村」の看板 (撮影 2002. 9.28) |
<坑口直前> |
<坑口> |
木祖村側坑口の扁額 (撮影 2002. 9.28) |
<扁額> |
第2世代/鳥居峠を越えた車道(奈良井宿) |
<奈良井宿へ> |
右に奈良井宿への道が分岐 (撮影 2008. 8.13) |
<以前の踏切> |
<奈良井駅前> |
木曽の大橋 (撮影 2002. 9.28) |
<木曽の大橋(余談)> |
<奈良井宿> |
鎮神社付近 (撮影 2001.11.10) 右手が神社 峠方向を見る |
鎮神社付近から奈良井駅方向を見る (撮影 2001.11.10) 細長い奈良井宿が延びる |
奈良井宿は鳥居峠越えを控えた重要な宿場だった。峠との関係が深い。今の奈良井宿には史蹟や資料館なども多く、いろいろ知識が得られる。 |
鎮神社前から峠方向を見る (撮影 2002. 9.28) この時は歩いて訪れた |
鎮神社前から集落方向を見る (撮影 2002. 9.28) |
第2世代/鳥居峠を越えた車道(奈良井宿以降) |
奈良井宿内の道を駅方向に見る (撮影 2002. 9.28) 峠へは左手の道を登って行く (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
<峠への入口> |
道は一路、峠とは真反対の方向へと急坂を登る。道幅は狭い。300m程進むと、また鋭角のカーブ(地理院地図)があり、そこを曲がるとやっと峠方向に向く。そのカーブをそのまま直進方向に下る未舗装路がある。それがかつての鳥居峠越えの車道の本線だった。今は通行不能だ。 |
<奈良井宿からの別ルート> |
左に分岐 (撮影 2002. 9.28) 右の道が峠方向 |
分岐に立つ看板 (撮影 2002. 9.28) |
初めて鳥居峠を越えて奈良井側に下って来た時、この付近で地元の方から話を伺った。しかし、今はどこの家の方だったかさっぱり思い出せない。 |
<未舗装路> |
道は、鳥居峠から北に連なる中央分水嶺の峰から奈良井川に流れ下る短い支流を、幾つも跨ぎ越しながら山腹を小刻みにうねって行く。 |
<眺め> |
奈良井宿の眺め (撮影 2002. 9.28) |
<中山道合流> |
右手に江戸期の中山道が下る (撮影 2002. 9.28) 奈良井宿方向に見る 手前が峠方向 (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
<峰の茶屋跡> |
休憩所 (撮影 2002. 9.28) 峠方向に見る |
休憩所 (撮影 2002. 9.28) 奈良井宿方向に見る |
<峠> |
<立地・標高> |
<峠の木祖村藪原側> |
左奥が藪原宿への中山道 (撮影 2002. 9.28) 脇に車を停められるスペースがある (ピンボケの写真ばかり撮ってしまった) |
正面が藪原へ下る車道 (撮影 2002. 9.28) 右に尾根沿いの林道が分岐 |
<道標> |
道標 (撮影 1999. 7.26) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
道標 (撮影 2002. 9.28) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
道標の文字 (撮影 2002. 9.28) |
<明治道路> |
<藪原へ下る> |
<丸山公園分岐> |
中山道を麓方向に見る (撮影 2002. 9.28) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
中山道を峠方向に見る (撮影 2002. 9.28) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
<中山道と合流> |
中山道のコースは昭和46年に信濃路自然歩になって以来、奈良井宿が重伝建に指定されるなと、歴史を偲ぶ観光地として人気である。各地点に案内看板も充実しているようで、以前より訪れやすくなったようだ。 |
第1世代/江戸期の中山道 |
<頂上へ> |
はっきりとは記憶にないが、途中で稜線沿いの峠山への作業道と別れ、西方向へと進む。寂しい道で、いよいよクマが怖くなる。 |
道の様子 (撮影 2002. 9.28) |
子産の栃の看板 (撮影 2002. 9.28) |
<子産の栃> |
<頂上> |
正面に御嶽神社の鳥居 (撮影 2002. 9.28) 残念ながらピンボケ |
<頂上より藪原側> |
更にちょっと先まで降りて行くと、階段で急降下して行く。峠の道標に「明治道路」とあったが、これでも「道路」と呼べるのだろうかと思う。 |
藪原側に下る道 (撮影 2002. 9.28) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
<鳥居> |
<神社の裏手> |
石仏など (撮影 2002. 9.28) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
石仏など (撮影 2002. 9.28) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
<峠名> |
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この峠についてはどこが本当の峠なのか、ずっと気になっていた。今回一応の決着が付けられて良かった。それにしても、鳥居の写真を撮ってから20年も経っていたとは、感慨深い鳥居峠であった。 |
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<走行日> <1997〜2022 Copyright 蓑上誠一>
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