ホームページ★ 峠と旅
土坂峠
  つちさかとうげ  (峠と旅 No.238)
  埼玉・群馬にまたがる上武山地を越える峠道
  (掲載 2015. 7. 3  最終峠走行 2012. 9.12)
   
   
   
土坂峠/土坂トンネル (撮影 2012. 9.12)
見えているのは埼玉県秩父市上吉田(かみよしだ)側のトンネル坑口
(旧秩父郡吉田町(よしだまち)上吉田)
トンネルの反対側は群馬県多野郡神流町(かんなまち)生利(しょうり)
(旧万場町(まんばまち)生利)
道は県道(主要地方道)71号・高崎神流秩父線
坑口の標高は約700m (地形図の等高線より)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
このトンネルの上、標高約770mに昔の土坂峠がある
   
   
   
<上武山地>
 関東山地にある三国山は埼玉・群馬・長野3県の境になるが、そこより北東方向に派生する山稜は上武山地と呼ばれるようだ。 「上武」(じょうぶ)とは古い国名である上野(こうずけ)と武蔵(むさし)を意味する。 二子山(ふたごやま、1,166m)を最高点とし、父不見山(ててみずやま、1,047m)などが主稜をなし、概ね今の群馬県と埼玉県の境となっている。 今回の土坂峠はその稜線を越える代表的な峠の一つだ。
 
 土坂峠以外にもこれまで上武山地に関わる峠をいくつか掲載してきた。 そろそろこの山域から卒業しようと思うので、改めて稜線を越える峠を西から列記してみる(よせばいいのに・・・)。
 
天丸トンネル:上野村・旧大滝村(現秩父市)
●雁掛峠:上野村・旧大滝村(現秩父市)
●赤岩峠(あかいわ):上野村・旧大滝村(現秩父市)
志賀坂峠(しがさか):旧中里村(現神流町)・小鹿野町
●魚尾道峠(よのおみち、よのうみち):旧中里村(現神流町)・小鹿野町
矢久峠(やきゅう):旧万場町(現神流町)・小鹿野町
●坂丸峠:旧万場町(現神流町)・小鹿野町
●杉ノ峠(すぎの):旧万場町(現神流町)・小鹿野町
●土坂峠(つちさか):旧万場町(現神流町)・旧吉田町(現秩父市)
太田部峠(おおたぶ):旧吉田町(現秩父市)
●石間峠(いさま、城峯1号林道の峠):旧神泉村(現神川町)・皆野町
●奈良尾峠(ならお):旧神泉村(現神川町)・皆野町
●風早峠(かざはや):旧神泉村(現神川町)・皆野町
●その他
 
 この内、天丸トンネルは近年になって林道が通じた峠で、古くから峠が存在したかは疑問だ。 それに、もう三国山に近く、上武山地に含めていいか迷う。それ以外の峠は昔からあったようだ。 尚、志賀坂峠の少し南に八丁峠があるが、 この峠道は上武山地にあるものの、県境は越えず、埼玉県側にのみ位置する。
   
<山中領>
 群馬県の南西部にある上野村や旧万場町、旧中里村(なかざとむら、現神流町)の地域は、古くは山中領と呼ばれたそうだ。 利根川水系の神流川(かんながわ)最上流部に位置し、なかなか奥深い地にある。 昔は神流川沿いに東の藤岡や鬼石(おにし)方面に出る道は険しく、山中領より上武山地へと登り、武州の秩父地方へと越える峠道が発達したようだ。 元禄期には8つもの峠があったとのこと。土坂峠以西で天丸トンネルを除くと、丁度8つの峠が数えられる。 この内、現在車道が通じるのは志賀坂峠、矢久峠と、この土坂峠のみである。 土坂峠は山中領と武州を繋ぐもっとも東に位置する峠となるようだ。
 
 土坂峠より東になる太田部峠以東は、上武山地の稜線上にありながら、群馬・埼玉の県境にはなっていない。 土坂峠を東に過ぎた県境は、その後塚山を経て神流川沿いに降りてしまう。そして行く行くは利根川が両県の県境となっていく。
 
<太田部峠(余談)>
 太田部峠には現在林道が通じているが、それ以前は神流川水域にある太田部集落から稜線を越えて同じ吉田町の中心地に出るには苦労があったようだ。一旦神 流川沿いに下り、上流側の土坂峠を越えるか、下流側の城峯山(じょうみねさん、石間峠?)を越えて、町役場もある吉田川水域(荒川水系)に出ていたそう だ。神流川水域にある太田部集落としては、埼玉県より群馬県の方が近いのであった。
   
<地形図(参考)>
 国土地理院地形図にリンクします。

(上の地図は、マウスによる拡大・縮小、移動ができます)
   
<峠名>
 国土地理院の地理院地図で「土坂峠」と検索すると、岩手県の土坂峠とここが出て来る。 岩手県の方は「つちか」と呼ばれるようで、「つちさか」はここだけとなる。 他にも小さな土坂峠はあるかもしれないが、「土坂」という名の峠は多そうに思えて、意外と少ないようだ。
 
 「土坂」の由来などについては分からない。付近にそうした地名も見当たらない。 「坂」が付くからは、峠道に関係した命名だろうか。上武山地を越える峠では、他にも志賀坂、坂丸と「坂」が付く峠名が見られる。
 
 余談だが、最近BSテレビで「木枯し紋次郎」が放映されていた。笹沢左保原作、市川崑監督の時代劇で、今見ても十分に楽しめる。 劇中、芥川隆行のナレーションで紋次郎が旅をしている場所が説明されたりする。 ある回で秩父付近を旅していたのだろう、画面に映し出された地図に「土坂峠」の文字が見えた。 やはり古くからあった峠なのだと思った。
 
 
神流町より峠へ
   
<県道71号>
 神流川沿いに通じる国道462号は、中里で志賀坂峠を越えて来た国道299号に合し、 群馬県の西の外れで十石峠を越え、長野県に通じる十石峠街道だ。 土坂峠へは、十石峠街道より神流町(旧万場町)の生利(しょうり)で分岐する県道71号に入る。 この道は主要地方道で、以前は吉田万場線(県道133号)と呼んだが最近は高崎神流秩父線となったようだ。 吉田町が秩父市に編入されたことも影響するのだろうか。道路看板の行先は「吉田」となっている(下の写真)。 旧吉田町の役場がある中心地を指すのだろう。
   

国道462号より県道が分岐 (撮影 2012. 9.12)
十石峠方向に見る

分岐を示す道路看板 (撮影 2012. 9.12)
国道を直進すると上野村を経て、十石峠を越えて佐久穂町へ
   
<生利>
 県道が分岐する付近の生利(しょうり)という地名は、狭くは神流川を挟んだ両岸にまたがる集落で、広くは峠の群馬県側一帯の大字である。 江戸期から明治22年に掛けて生利村が存在し、その後、神川村・万場町・神流町の大字として続く。 生利は「生梨」とも書き、由来は枝折(しおり)だそうだ。
   
<生利大橋>
 生利付近は神流川の狭い河岸段丘が形成され、その上に人家が点在する。川岸は鋭く切れ落ち、車道から望む川底は深い。
 
 その神流川左岸に通じる国道から神流川に架かる生利大橋を渡る。この橋が実質的な峠道の入口となる。2車線路の立派な橋だ。

神流川に生利大橋が架かる (撮影 2012. 9.12)
   

「生利大橋」とある (撮影 2012. 9.12)

生利大橋 (撮影 2012. 9.12)
国道側より峠方向に見る
   
<神流川右岸>
 橋の先にはガソリンスタンドもあり、国道沿いではないのでちょっと意外な気がする。 そこから先には、いろいろ看板が立っている。道路状況の電光表示には「通行注意 落石のおそれ この先」とあった。
   

ガソリンスタンド付近 (撮影 2012. 9.12)

道路状況の看板 (撮影 2012. 9.12)
   

「お知らせ」の看板 (撮影 2012. 9.12)
 連続雨量120mmで通行止となることも示されている。4.3kmという距離はほぼ峠までを指すようだ。埼玉県側には雨量通行止はないのだろう。
 
<県道標識>
 県道標識には(主)高崎神流秩父線とあるが、「高崎神流」の部分は書き換えられた跡が見える。
 
 また、地名は「神流町 生利」とあるが、「神流」も書き換えられている。元は「万場」だったのだろう。

   
<以前の十石峠街道>
 この辺りの現在の国道はずっと神流川左岸に通じるが、ガソリンスタンドの直ぐ手前の右岸沿いにも、細々とながら道が通じる。 場合によっては、こちらの方が元の十石峠街道だった可能性もある。 それならガソリンスタンドがこちら側にあることもある程度うなずける。神流川に広い車道を通す折り、対岸に通したものだろうか。
 
 また、ガソリンスタンドより上流側の右岸の道は特に狭い。一方、対岸の左岸には生利などの大きな集落がある。 今の生利大橋ができる前にも、この辺りに橋が架かり、十石峠街道はここで神流川を渡っていたとも想像される。

県道標識 (撮影 2012. 9.12)
   

小さな尾根の上に神社の鳥居 (撮影 2012. 9.12)
尾根の向こうには人家も立つ
<飯島川沿いへ>
 ガソリンスタンドを過ぎた先で県道は小さな切通しを抜け、神流川の支流・飯島(いいじま)川沿いに出る。その切通しの上には神社の鳥居が見える。 また車道からは見え難いが、飯島川沿いに人家も立つ。連続雨量120mmで通行止と看板にある直ぐ先に、まだ人家があるのも変である。
 
<飯島>
 文献(角川日本地名大辞典)では、土坂峠は万場町「飯島」と吉田町小川を結ぶ峠道となっている。 地図には確かに神流川右岸に「飯島」の地名が見える。大字生利の内の小字である。飯島川沿いに見えた人家もその飯島集落の一部らしい。
   
<以前の道筋>
 どうやら、昔の土坂峠の道は始めから飯島川沿いに遡り、飯島の人家の前を通っていたものと思う。その道は今の地形図にも描かれていない。 ただ、県道からは人家へと降りる歩道があるようだった。
 
 道の改修時に神流川に生利大橋が架けられ、その橋の先の尾根を削り、飯島集落の上流側で飯島川沿いに出たものと思う。 こうして神流川本流と支流の飯島川を隔てる尾根の上には、小さな神社がポツンと残されたのではなかったか。

飯島川の看板 (撮影 2012. 9.12)
この左手に飯島集落の人家が見えていた
人家からは歩道が県道まで上がって来ている
   
<峠道の起点>
 文献が記す通り、土坂峠の群馬県側起点は、元は飯島であったようだ。神流川右岸より分かれる道であった。 今の峠道である県道71号は、左岸の国道より分かれ、よって生利が起点ということになる。
 
 飯島川沿いには「一級河川 飯島川」と看板が立つ。土坂峠より流れ下る川だ。 広い範囲では生利という大字で、飯島はその中の一つの集落に過ぎないが、川の名としては「飯島」が使われている。 古くは飯島村と呼ぶ村でもあったようだ。
   

ゲート箇所 (撮影 2012. 9.12)
<ゲート箇所>
 飯島川沿いを200mも進むとゲート箇所を過ぎる。雨量通行止は実質ここから峠方向であろう。 左手に飯島川を眺め、右手には神流川と隔てる尾根が通じる。ゲート箇所より手前の尾根の中腹には人家が見られる。 ここも飯島集落であろう。切通し上の神社からは、新しい車道開削で切り離された格好だ。
 
 
ゲート箇所以降
   
<ゲート箇所以降>
 ゲートを過ぎるとそこから峠まで、現在の県道沿いには人家を見ない。人家以外にも目立つ建屋はない。 路肩に資材が置かれている程度だ。飯島川の谷は狭く、耕作地もほとんどない。 それでも昔はもっと上流側にも集落はあったのだろう。何となく人家が建っていたように思われる場所も見られた。


沿道の様子 (撮影 2012. 9.12)
   
<道の様子>
  実は、上武山地を越える峠の中で、土坂峠は最も容易な道が通じるという認識でいる。 志賀坂峠には国道が通じるが、上武山地の西奥に位置し、道は長く狭く、勾配はきつく、屈曲も多い。 また、矢久峠や太田部峠、石間峠は林道の峠である。 その点、この土坂峠は古いツーリングマップ(関東 2輪車 1989年1月発行 昭文社)でも既に「道幅の広い舗装路」と注釈があった。 まだ、県道表記にもなっていない頃からのことだ。
 
 それを裏付けるように、県道71号は国道から分かれてからずっと2車線路を続ける。 それでも時々狭くなる。まあ、狭いといっても1.5車線幅を確保している。そして暫く行くとまたセンターラインが出て来る。 そんなことを何度か繰り返す。
   

この先で道が狭い (撮影 2012. 9.12)

1.5車線幅の道 (撮影 2012. 9.12)
   
<杉ノ峠>
  最初の狭い区間の途中、道は飯島川の支流・千ノ沢川を渡り、その先で右に険しい林道を分岐する。 その入口を撮った筈の写真はピンボケで、ここに掲載できなかったが、その道は千ノ沢沿いに登り、行く手の稜線上には杉ノ峠がある筈だ。 杉ノ峠の埼玉県側には吉田川支流の長久保川が下り、その川沿いに車道が途中まで登って来ている。 矢久峠の道を行くと、その途中で杉ノ峠への道を分ける。
 
 神流町の飯島と小鹿野町の長久保を結ぶ峠として、この杉ノ峠も古くから使われたそうだ。 同じ飯島を起点としていて、土坂峠とは深い関係にある。しかし、土坂峠には立派な車道が通じたが、現在の杉ノ峠には登山道が越えるばかりだ。
   
道の様子 (撮影 2004. 2.15)
また広い道(11年前)
   

道の様子 (撮影 2012. 9.12)
 道は飯島川の左岸から右岸へと渡り、また広い道となる。ただ、谷は狭く、視界は広がらない。切り立つ擁壁が道を囲む。
   
道の様子 (撮影 2004. 2.15)
(11年前)
   
<坂丸林道>
 道が右岸からまた左岸へ戻った所で、右に坂丸林道が分岐する。 上武山地には、稜線を越える峠道の他に、山腹を横断する林道が幾筋か通じている。 坂丸林道もその一つだ。土坂峠の道の途中から西の矢久峠の道へと繋いでいる。こうした道を探訪するのも面白い。


右に坂丸林道分岐 (撮影 2012. 9.12)
   

東へと延びる道が左手に分岐 (撮影 2012. 9.12)
  更に上ると、今度は東へと延びる道が分岐している。ただ、入口には分岐を示す看板が立つばかりで、何という道か、どこに通じるかも分からない。 地図を見る限りでは、車道は1〜2kmで行き止っている。 ただその先、徒歩道が県境を越え、秩父市の吉田太田部へと続いているようだ。
 
 道は川沿いを離れ、何となく本格的な登りになったようだが、相変わらず険しい道ではない。
   

道の様子 (撮影 2012. 9.12)
またちょっと狭い

道の様子 (撮影 2012. 9.12)
再びセンターライン
   
 道は狭いかと思うとまた広くなり、やはり全般的に快適だ。 「環境宣言の町 神流町」と書かれた看板が出て来ると、その先に土坂トンネルが待っている。

峠直前 (撮影 2012. 9.12)
 
 
   
土坂トンネルの群馬県側 (撮影 2012. 9.12)
   

トンネル手前の看板など (撮影 2012. 9.12)
<土坂トンネル>
 土坂トンネルは比較的平凡な物に見える。坑口の様子は特に意匠を凝らすこともなく、実用性のみに徹した感じだ。 坑口上部に扁額が取り付けられていて「土坂隧道」とだけある。 「トンネル」ではなく「隧道」となっている点はやや古めかしい。そう言えば、地形図の記載もこれに倣ったのか「土坂隧道」であった。
 
<看板など>
 トンネル手前には以前から看板や道路標識がいろいろ立っていた。 「トンネル内 すべりやすい 最 徐 行」などとある。中でもちょっと面白いのは「土坂トンネル」と書かれた看板だ。 トンネルがあることは見れば分かることだ。それに土坂トンネルかどうかは扁額に示されている。 ただ、「隧道」の文字に慣れていない人が居るかもしれないが。
   
土坂トンネルの群馬県側坑口 (撮影 2004. 2.15)
約11年前の様子
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
   
<トンネル銘板>
 坑口の左端に銘板が埋め込まれている。「昭和 46年 3月 竣工」とある。 この年(西暦で1971年)に土坂峠に初めてトンネルによる車道が開通したと考えてよいのだろう。 比較的最近のことである。
 
 ちなみに、国道が通じる志賀坂峠の方のトンネル開通は、少し早く昭和35年4月(昭和34年とも)である。 とにかく、上武山地を越える峠の車道開削は時代に大きく遅れていた。 その間、神流川沿いの交通が発達したようだ。


トンネル銘板 (撮影 2012. 9.12)
   

坑口上部に扁額 (撮影 2012. 9.12)
トンネルの延長は300m弱

トンネル内部の様子 (撮影 2012. 9.12)
照明が僅かに点灯する
   

トンネル内部より群馬県側を見る (撮影 2012. 9.12)
<坑口周辺の様子>
 坑口を背後に群馬県側を望むと、「環境宣言の町 神流町」と神流町を紹介する看板と、連続雨量120mmで通行止となる看板が立つ。 やはり群馬県側の峠から麓までの4.3kmがその対象区間だった。 埼玉県側にはこうした通行止はなさそうで、その意味で群馬県側の道の方が険しことになる。 峠は群馬・埼玉の県境になるのだが、群馬県側には県境を示す看板は見当たらない。
   
坑口付近の様子 (撮影 2012. 9.12)
   
<西への道>
 トンネル直前、西側にちょっとした広場があり、片隅に赤い鳥居が立っている。 「上彩宮」と書かれた札が掛けられている。ただ、その鳥居は草に半分埋もれていて、その先に社のような物も見えない。
 
 鳥居の横には西に向かって道が延びている。車一台がやっと通れそうな砂利道だ。林道看板などはない。 地図上では杉ノ峠方向に1〜2km程登って道は途絶えている。 よほど探索好きでもない限り、入り込みたいとは思えない道だ。砂防ダム工事などの作業道だろうか。それにしても、上彩宮なる神社が気に掛かる。 どこか県境の峰の上にでも鎮座するのだろうか。

この左に道が分岐する (撮影 2012. 9.12)
   

赤い鳥居 (撮影 2012. 9.12)
この横に道が通じる

西への道 (撮影 2012. 9.12)
   
<峠への道>
 土坂トンネル開通以前から土坂峠は存在した。その峠に登る旧道は残っているのだろうか。 地形図では、西に延びる車道とは反対側に徒歩道(点線表記)が描かれている。 その辺りの草むらに、道らしい物があるような、ないような。少なくとも一歩も足を踏み入れたくはない状態だ。 道があったとしても、今はほとんど使われていないのではないだろうか。 土坂峠には稜線方向に登山道が通じているようだ。ハイカーなどにはそちらの道が使われるのだろう。

正面の草むらの中に道? (撮影 2012. 9.12)
   
<標高>
 トンネル坑口の標高は、地形図では群馬県側が700m弱、埼玉県側が700m強である。文献では丁度700mとなっている。 一方、トンネルの上にある峠の標高は、地形図で770m強、文献では770mとなっている。 トンネルと峠では標高差で70mになり、道さえ良ければ私でも歩いて登れそうな高さなのだが。
 
 
峠の埼玉県側
   

県境の看板 (撮影 2012. 9.12)
<県境看板>
 土坂トンネルを埼玉県側に抜けると、直ぐに県境を示す看板が立っている。 「埼玉県 秩父市」とある。実際の県境はトンネルのほぼ中央、やや埼玉県寄りにあるが、便宜的に埼玉県側に県境看板を並べたようだ。
   
<道路補修境界>
 県境看板の足元に「道路補修境界」と書かれた標柱が立っている。 埼玉県方向に見て「秩父土木事業」、群馬県方向に見て「群馬県」と書かれている。トンネルは群馬県の管轄になるようだ。


道路補修境界の標柱 (撮影 2012. 9.12)
   
坑口周辺 (撮影 2012. 9.12)
十字路になっている
手前が土坂トンネル
   
坑口周辺 (撮影 2004. 2.15)
(11年前)
   

上武秩父林道入口 (撮影 2012. 9.12)
<上武秩父林道>
 埼玉県側のトンネル坑口の前は、はっきりした十字路になっている。 まず、東の太田部峠方向には林道上武(じょうぶ)秩父線が始まっている。 この土坂峠を起点に、太田部峠、奈良尾峠、風早峠とほぼ上武山地の稜線近くを皆野町まで通じる総延長19.6kmの林道だ。 入口には城峯山キャンプ場の案内などが立つ。
   

上武秩父林道の入口 (撮影 2012. 9.12)

以前の林道看板 (撮影 1996. 5.11)
左の写真で倒れている看板がそうだろう
 

上武秩父林道の看板 (撮影 2012. 9.12)
太田部峠近くに立っていた物(参考)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)

   
<西秩父林道>
 一方、西の志賀坂峠方向には西秩父林道が始まっている。土坂峠を起点とし、途中矢久峠を通過、志賀坂峠の国道299号に接続している。 全長約22kmの広域基幹林道だ。概ね上武山地の埼玉県側の中腹をクネクネと通じている。
 
<以前の分岐の様子>
 以前の西秩父林道脇にはトイレがあり、もっと開けた雰囲気があった(下の写真)。桜も咲いて和やかな峠であった。

西秩父林道起点 (撮影 2012. 9.12)
   

以前の西秩父林道入り口 (撮影 1996. 5.11)
トイレの小屋が立つ
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)

西秩父林道の看板 (撮影 2014. 5.26)
志賀坂峠側に立っている物(参考)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
   
 また、以前は十字路の角に水源かん養保安林の看板が立っていた(下の写真)。 その地図では県道はまだ「吉田万場線」となっている。「上武秩父線林道(土坂工区)」、「西秩父線林道(小川工区)」などともある。
   

水源かん養保安林の看板 (撮影 1996. 5.11)
以前は十字路の角に立っていた
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)

父不見山登山案内図 (撮影 1996. 5.11)
西秩父林道途中に立っていた
地図は下が北
杉ノ峠や坂丸峠が記されている
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
   
 初めて土坂トンネルを訪れたのは1996年のことだが、埼玉県側から登り、トンネルは抜けなかったようだ。 そのまま西秩父林道に入ったらしい。土坂峠の道よりも、そこから分岐する林道の方に関心があった。 今回調べてみると、何やら見覚えのある場所が写真に撮ってある。矢久峠であった。 矢久峠は2003年に訪れたのが初めてかと思っていたが、その前に、峠だけには訪れていたのだった。嬉しい発見である。
   

西秩父林道の開削現場 (撮影 1996. 5.11)
<西秩父林道の開削時(余談)>
 昭文社のツーリングマップ(ル)は林道が詳しく掲載されている、ちょっと風変わりな道路地図だ。 少し古い1989年1月発行の版には、矢久峠、土坂峠、太田部峠、石間峠(城峯林道)などの道は載っているが、 それらを横に繋ぐ坂丸林道、上武秩父林道、西秩父林道などは全く記されていなかった。 当時は丁度そうした林道の開削時期に当たっていたようだ。
 
 1996年に土坂峠から西秩父林道に入り、矢久峠も過ぎて更に進むと、二子山付近で道が途絶えた。 左の写真が多分その時の物と思う。岩盤の掘削現場で見事に道が尽きていた。 他にもいろいろと上武山地の林道を走り回り、地図に書き込んだ思い出がある。
   
土坂トンネルの埼玉県側坑口 (撮影 2012. 9.12)
県境を示す看板には「群馬県 神流町」とある
   
<トンネル坑口>
 トンネル坑口の様子は、群馬県側と大して変りがなく、ちょっと見ただけではどちら側だか判別し難い。ただ、県境を示す看板が埼玉県側にはある。
   
土坂トンネルの埼玉県側坑口 (撮影 2004. 2.15)
この時は既に「神流町」
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
   
 1996年に訪れた時は、まだ「万場町」となっていた(下の写真)。その時はトンネル内に立ち入ってないので、残念ながら群馬県側の様子は写真に収めていない。
   
土坂トンネルの埼玉県側坑口 (撮影 1996. 5.11)
この時はまだ「万場町」
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
   
<看板など>
 こちらにも「土坂トンネル」とわざわざ看板が立つ。
 
<記念碑(余談)>
 尚、地形図には群馬県の県境看板がある付近に記念碑が立っていることになっている。 埼玉県側の坑口の左脇に記念碑を指名す地図記号が描かれているのだ。しかし、そのような物はかつて見たことがない。
 
 ところで、志賀坂峠には立派な「志賀坂峠開鑿記念」の石碑が立っている。同じ埼玉県側坑口の左脇である。 しかし、地形図に記念碑の地図記号はない。土坂峠と志賀坂峠を取り違えたのかと勘繰ったりするのであった。 同じ「坂」の字が付く峠でもあることだし。


県境看板など (撮影 2012. 9.12)
   

坑口の様子 (撮影 2012. 9.12)
<扁額>
 扁額には「土坂隧道」とだけあり、県知事などの名前はなく、さっぱりしている。 しかし、改めて両県の扁額を比べてみると、字体が異なる。やはりそれぞれ当時の県知事による書であろう。

   

埼玉県側の扁額 (撮影 2012. 9.12)

群馬県側の扁額 (撮影 2012. 9.12)
   
<神流町観光案内図>
 峠の埼玉県側に少し下った所に、群馬県側の神流町に関する観光案内の看板が立つ。 峠道沿いには「桜並木」と「下穴」というのが案内されている。 桜並木については一般の道路地図などでも「土坂千本桜」などと紹介されているが、「下穴」とは何であろうか。 案内図に描かれた絵からすると、洞窟でもあるようだが。


埼玉県側よりトンネルを眺める (撮影 2012. 9.12)
   

峠の埼玉県側 (撮影 2012. 9.12)
右手に「神流町観光案内図」の看板が立つ(裏側)

神流町観光案内図の看板 (撮影 2013.11.13)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
   
<秩父市上吉田>
  埼玉県側に下る道に立つ県道標識には、「秩父市上吉田」とある。秩父市になる直前は秩父郡吉田町の大字上吉田であった。 「上吉田」と呼ばれる地は、明治22年からの上吉田村で、昭和31年に旧吉田町と合併してできた新しい吉田町の大字となり、 その後秩父市になっている。
   

県道標識 (撮影 2012. 9.12)
比較的新しい標識で、地名なども
「彩の国 秩父市 上吉田」と最新である。
テープで修正したような跡はない

県道標識 (撮影 2012. 9.12)
 
 
埼玉県側に下る
   
<吉田川>
 土坂峠は赤平川(あかびらがわ)の支流・吉田川の上流部に位置する。 ただ、矢久峠の方から流れ下る川も同じ「吉田川」の名が付いていて、どちらが吉田川本流か迷う。 矢久峠の方が奥深く、川の延長も長いので、一応そちらが本流だと思っている。 尚、赤平川は荒川の第一次支流で、当然ながら荒川水系になる。
 
<赤平川水域>
 石間峠から矢久峠までに居並ぶ峠は吉田川水域になるが、その本流の赤平川上流部には志賀坂峠がある。 埼玉県側から見た場合、上武山地の中で志賀坂峠はやはり一級の峠と言えようか。 志賀坂より西に位置する赤岩、雁掛、天丸の峠は赤平川より更に荒川上流域になる中津川水域となるが、ただただ、山深いばかりである。 一方、志賀坂峠は武州街道という要衝でもあった。
   
道の様子 (撮影 2012. 9.12)

<道の様子>
 道は終始快適である。群馬県側には狭い区間を残すが、埼玉県側ではほとんどセンターラインが途切れることはないようだ。 峠直下は比較的見晴らしも良い。
   
道の様子 (撮影 2012. 9.12)
  

小川林道?分岐 (撮影 2012. 9.12)
<埼玉県側の旧道>
 吉田川の上流部は大きく2筋の川に分かれている。土坂トンネルから続く県道は、西側の支流の谷に沿う。 一方に、土坂峠を越えた徒歩道は、上武秩父林道の一部を通過しつつ、東側の支流を目指して下って行く。 どちらが本来の土坂峠の道だと示す根拠はないが、どうも東側ルートの方が、土坂峠の旧道であったように思える。 西側の谷の中腹を大きく蛇行しながら下る今の県道は、少なくとも歩いて越えた峠道としてはあまりにも不自然だ。
 
<小川林道?>
 県道が川沿いに近付く頃、右手に林道が一本分岐する(左の写真)。多分「小川林道」と看板にあったと思う。 この林道は西側の支流沿いに登って行くが、途中で徒歩道になり、それさえも山の中腹で途絶えている。 仮に、西側の谷に旧道が通じていたとすれば、その道がそうだろうが、やはり東ルートが正解だろう。
   
<川沿い>
 峠(トンネル坑口)から3〜4km程、県道は屈曲を繰り返して下るが、道が良好のせいか、ストレスもなくあっという間に川沿いに降り立つ。 吉田川の西側支流の左岸沿いだ。ちょっと物足りなさが残る。
 
 川の対岸を望むと、採石場のような場所が望める(右の写真)。そちらに渡る橋も架かるが、ゲートで通行止だった。


採石場? (撮影 2012. 9.12)
   

川沿いの快適な道 (撮影 2012. 9.12)
 川沿いになると、道は尚更快適だ。ほとんど直線的に通じる。
   
<小川集落>
 川沿いを1kmも行けばもう人家が出て来る。群馬県側では麓の神流川に近い所にしか集落がなかったのに比べ、こちらは峠道の途中に集落が点在する。 最初に現れた人家は小川集落だと思う。文献に土坂峠は万場町飯島と吉田町小川を結ぶ峠とあった、その「小川」である。
 
<矢丸沢>
 集落に入って直ぐ、左手に車道が分岐する(下の写真)。峠にあった水源かん養保安林の看板に「矢丸沢線林道」などと書かれている道だ。 吉田川の東側支流沿いに遡る道である。その道の名前からして、東側支流は「矢丸沢」と呼ぶのだろうか。

人家が出て来る (撮影 2012. 9.12)
   
矢丸沢林道分岐付近 (撮影 2012. 9.12)
この左手に道が分岐し、左手奥の人家の裏に続く
  

この先で川を渡り、左に道が分岐 (撮影 2012. 9.12)
左斜めに上がる道が旧道か?
<旧道?>
 小川集落の中ほどで小さな川を渡る。それが矢丸沢か、少なくともその下流の川である。 渡った橋の袂より、その川沿いに登る、車一台がやっと通れそうな道が分岐する。 その道は矢丸沢林道と並走しながら、矢丸沢林道よりも更に上へ山道として延び、上武秩父林道にまで接続しているようだ。 思うに、それこそが土坂峠の元の峠道ではなかったかと。 土坂峠を下って来ると、この地点で小川集落に辿り着いたのではないだろうか。
 
 集落内には保安林や西秩父自然公園の看板などが立っていたので、それでも見ればまた別の情報が得られたかもしれないが、 土坂峠ばかりを旅していられない。 車を停めることなく、走りながら写真を撮ったので、看板の文字は流れ、分岐などもうまいタイミングで写真に納まらなかった。
   
<小川以降>
 小川集落で東西の支流を合わせてから下流側は、地図などを見る限り吉田川となっていることが多い。
 
 小川集落の人家は県道沿いに暫く散見される。集落の中を貫通する道の幅は広いが、この付近の吉田川の谷はまだ狭い。 人家はその谷に沿って細長く点在する。
 
 人家が途切れると、道は左岸から右岸へ渡る。一時的に人気のない場所となる。
 

左岸から右岸へ渡る橋 (撮影 2012. 9.12)
橋の銘板には「小川」とあるのだが?
   

明ヶ平集落付近 (撮影 2012. 9.12)
<明ヶ平>
 小川の次は明ヶ平の集落が現れる。同じように吉田川沿いに細長い集落だ。
 
 小川からは西隣の女形(おながた)沢沿いにある女形集落へと山道が通じていたようだ。 この明ヶ平からも東の石間川沿いの沢戸集落へと道が通じる。尾根を隔てた小さな村同士を小さな峠道が繋いでいる。
   
 武州から上州、更に十石峠を越えて信州に至る途上にある志賀坂峠を除けば、上武山地を越える峠と言えども、 主に地元住民が利用するばかりの峠ではなかったろうか。 例えば上州山中領に住む者が、手近な峠を越えて武州側の村に訪れ、更に秩父方面で用事を済ませるなどの用途に使っていたのではないか。 小川や明ヶ平と近隣の集落を繋ぐ小さな峠道とあまり変わらず、土坂峠もそんな役割の峠の一つではなかったかと思ったりする。
 
 明ヶ平集落を過ぎるとまたしばらく寂しい道となる。
   
明ヶ平集落を過ぎた先 (撮影 2012. 9.12)
 
 
塚越以降
   
<塚越>
 土坂峠の埼玉県側で3番目に見える集落は塚越(つかごし)となる。 ここには大きな分岐がる。県道282号が分かれ、もう一つの吉田川沿いに矢久峠方向に延びる。

塚越付近 (撮影 2012. 9.12)
   

吉田元気村の看板 (撮影 2012. 9.12)
矢印は県道282号方向に向く

県道282号分岐の看板 (撮影 2012. 9.12)
   

塚越の交差点 (撮影 2012. 9.12)

塚越の交差点 (撮影 2012. 9.12)
右に県道282号が分岐
   

塚越(つかごし)の信号 (撮影 2012. 9.12)
<塚越以降>
 2つの吉田川を合わせた本流の吉田川沿いには、県道71号の方がそのまま続く。 但し、これからの道は土坂峠の峠道でもあるが、矢久峠の峠道とも言えよう。
 
 沿道には建物が切れ目なく続くようになり、平凡な道で、もう峠道という雰囲気はない。 以下にはただ写真を掲載する。
   
塚越以降の県道71号の様子 (撮影 2012. 9.12)
この付近は集落をバイパスする道
人家は吉田川沿いに集まっている
   

地名はまだ「上吉田」のまま (撮影 2012. 9.12)

ちょっと狭い区間を通る (撮影 2012. 9.12)
   

右にカーブ (撮影 2012. 9.12)
直進は大波見集落

吉田川を渡る (撮影 2012. 9.12)
橋の名は小川戸橋
この付近の川を「小川」と記す地図がある
   
道の様子 (撮影 2012. 9.12)
 
 
宮戸
   
<県道37号に接続>
 道路看板には県道37号に接続するように出ている。 そこが土坂峠を越えて来た県道71号の終点となる。

県道37号の看板 (撮影 2012. 9.12)
   

宮戸の交差点 (撮影 2012. 9.12)
直進は旧吉田町市街
<宮戸交差点>
 県道が交わるのは宮戸(みやど)と呼ばれる交差点だ。
 
<峠道の終点>
 交差点を直進すると旧吉田町の市街地へと通じ、その近くで吉田川も赤平川に注いで終わりとなる。 土坂峠と言わず、上武山地を越えて来た吉田川水域にある全ての峠の終着点とも言える。

   
   
   
 峠を探訪するという点では、土坂峠に通じる県道はそれ程面白い峠道ではないかもしれない。道が快適過ぎる。 どちらかというと、本線の峠道より東西に分岐する枝道の方に心惹かれる。上武山地の山深さを感じさせてくれる林道が多い。
 
 古い土坂峠は、飯島川沿いに飯島集落の人家の軒先に通じる細い道や、小川集落より矢丸沢方面に延びる道に、その面影を残すのではないだろうか。 そんな所を探訪すれば、また一味違う印象を持つかもしれない、土坂峠であった。
   
   
   
<走行日>
・1996. 5.11 埼玉→峠より西秩父林道へ ジムニーにて
・2004. 2.15 群馬→埼玉 キャミにて
・2012. 9.12 群馬→埼玉 パジェロ・ミニにて
 
<参考資料>

・角川日本地名大辞典 10 群馬県 平成 3年 2月15日再発行
           (初版 昭和63年 7月 8日)  角川書店
・角川日本地名大辞典 11 埼玉県 昭和55年 7月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・県別マップル道路地図 10 群馬県 2006年 2版15刷発行 昭文社
・県別マップル道路地図 11 埼玉県 2011年 4版 6刷発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料
 
<1997〜2015 Copyright 蓑上誠一>
   
峠と旅         峠リスト